第4節:雨の日に君と
「さて、俺たちも出かけようか」
すっかり身なりを整えたウォッチが、グレーのポロシャツにダークグレーのベスト、白パンという洒落た格好で出て来た。
かっちりしたイメージを、首元の赤い差し色であるスカーフと足元のロールアップ、そしてスニーカーで崩している。
「どこに行くの?」
「君の服を買いに行くのさ。言っただろう?」
ウィンクしながら恭しく手を差し出すウォッチ。
「デートに付き合ってくれますか、美しいお嬢さん」
軽く笑ったミコトは、彼の手を取って立ち上がった。
「良いわよ。年上の美形におねだりするのも悪くないわね。お金持ちだし」
「幾らでも買ってくれ」
「後悔しないでね」
「心配は無用だ。美人への贈り物は、最高のカネの使い方だと思っている」
ミコトが元々着ていた上着とブラウスはナイフによってダメになってしまったので、ウォッチの持ち物の中で比較的スリムなタイプの白ワイシャツを下ろして貰い、体の前で余りを結んだ。
下は元々履いていた黒のパネルスカートを合わせる。
あり合わせだが、少しはマトモだろう。
「美人でスタイルが良いと、どんな格好も似合うね」
ウォッチの賛美ににっこりと笑ってから、ミコトは彼のエスコートで事務所を出た。
この辺りは散々色んな男の相手をしていたので慣れている。
車に乗り込んで発車すると、ミコトは口を開いた。
「あなたとトキは、どんな関係なの?」
「気になるかい?」
シートの背もたれを僅かに傾け、左腕を設置された肘掛に預けたウォッチは、リラックスした姿勢のまま片手でハンドルを操っている。
そんな姿も、スマートで様になっていた。
「ただの知り合いにしては歳が離れすぎている気がするんだけど」
「確かに。奴は、元々は俺の息子のツレさ。おむつ履いてた頃から知ってる」
ウォッチの言葉に、ミコトは目を丸くした。
「貴方、子どもがいるの?」
「死んだがな。白金に殺されたんだ」
何でもない事のように言われた言葉がとっさに理解出来ず、数秒、ミコトはウォッチの横顔を見つめていた。
彼の表情は変わらない。
「……だから?」
囁くように言葉を漏らしたミコトに、ウォッチはちらりと目を向けて口の端を上げた。
「そう。君同様、こっちもよくある話だ。トキも、自分の体の事もそうだが、同じ理由で動いてる」
「体……」
「おっと、その辺りの事情は本人から聞くことだ。奴の問題は、奴のものだからな」
「律儀なのね」
「分を弁えた男は好きかい?」
「ええ、嫌いじゃないわ」
「俺にも興味が湧いたなら、今夜は俺とどうかな?」
「奥さんは?」
「息子と一緒だ。浮気はバレるかも知れないが文句は言えない。もっとも、向こうに行った時が怖いけどね」
「ゾッとしない。遠慮しておくわ」
「冗談だよ。うちの嫁様は大人しい女だったからな」
「それでも、よ。知ってる顔同士と、それも同じところに暮らしている男二人と肌を重ねるほど、無節操にはなれないわ。仕事じゃないしね」
「カタいね。なら、残念だがあきらめよう」
冗談なのか、本気なのか。
残念そうな顔をしていても、あくまでも軽い調子のウォッチに、ミコトは会話を重ねる。
「しつこくしないのね」
「強引が美徳なのは若い頃だけだ。それに女性の好みは分からない。俺のような紳士を好む女性もいれば、盛った猿みたいなクソガキを好む女性もいる。君のようにね」
男の趣味が悪い、とでも言いたげに首を横に振るウォッチに、ミコトは曖昧に笑った。
自分でもそう思うからだ。
それはウォッチとトキのどちらがいいか、という話ではなく。
どちらもろくでなしなのが間違いないのに、自分が好意を感じている事に対して、だ。
「ごめんなさい。それに中でも、特に親子丼は特に楽しい事にはならない気がするし」
「俺とあいつは親子じゃないぞ」
「でも、あなたとトキ、凄く似てるわ」
性格も外見も違うが、二人にはどこか似通った雰囲気がある。
あれだけ歳が違うのにウマが合う理由も、きっとその辺りにあるのだろう。
少し一緒にいただけでも分かる。
二人が親友のように遠慮ないやり合いをしているのは、お互いを信頼しているからだ。
ミコトの人生で、人を見るという事は仕事の一つだった。
会った時、寝る前、寝た後。
どんな人間か見極めて白金に報告するのも、彼女の役目だったのだ。
人を見抜く目には自信がある。
ウォッチとトキは、それでも底の見えない二人だが……似ていると思う、自分の感覚は信頼出来ると思っていた。
「血気に逸るクソガキと、紳士たる俺が? それは心外だな」
「そうね、方向は違うけど」
ウォッチはミコトの言葉に不満そうではあったが、どことなくむず痒そうな色も見えた。
もしかしたら、昔のウォッチはトキのようだったのかもしれない、とミコトは思った。
「トキが熱なら、貴方は冷気かしら。ドライアイスみたいに凍りついてるけど、触れたらどっちも、同じように焼かれそうな気がする」
「詩的だね。俺と触れ合う事を火傷だと思わせないように、気を付けているつもりなんだけどな」
「気付かないように、上手に火傷させる?」
「そう。危ない雰囲気の男は好まれるが、本当に危ない奴からは賢い女性は逃げてしまうから、上手に隠すんだ。でないと、残るのは危ない奴を利用しようとする強かな女性と、見抜けないお馬鹿さんだけになる」
「私は、見抜けないお馬鹿さんだった」
「そうかな? 目の前の男を危ないと見抜いたじゃないか」
「でも、今もこの国屈指の企業のトップを殺そうと考えてるような人には見えないもの」
「見えないが考えている。さあ今、君は事実を知ったぞ。どうするんだ?」
「大変だわ。早く逃げないと」
二人は白々しく言い合い、お互いに笑った。
嘘のやり取りを、こんなに楽しいと思えたのは始めてだった。
※※※
「ミコトに手ぇ出してねーだろうな、おっさん」
事務所に帰るなり、先に戻っていたトキがこちらを睨みつけて来た。
多くの紙袋を両手に抱え、腕から食材の入ったスーパーの袋を下げたウォッチが肩を竦める。
「残念ながら、だ。クソガキ。それに手早くコトを済ませるのは趣味じゃないしな」
「嘘つけ。最近遅ぇからさっさと出来ねーだけだろ」
ミコトはウォッチから紙袋を受け取り、椅子から立ち上がったトキが食材の方を受け取る。
ウォッチが首に手を当ててぐるりと回した。
「それならそれで、帰ってくる理由もないな。じっくり外で時間を潰しても、待ってるのは美女じゃなく、手に負えない悪タレ一人だからな」
「ウォッチは紳士だったわよ。トキ、貴方と違ってね」
「はん。人が口説いてる女を横取りしようとした奴のどこが紳士だって?」
ミコトがトキの部屋に荷物を放り込みながら言うと、冷蔵庫に向かったトキは鼻で笑った。
相変わらずの上半身裸だが、首からハンドタオルを下げているのを見ると、帰ってからシャワーでも浴びたのだろう。
「美人と見れば口説くのは嗜みだ。で、首尾は?」
脱衣所に置かれたラックから二枚のタオルを手に取って来たウォッチが、一つをミコトに手渡して、もう一つで自分の濡れた頭を拭き始める。
車から降りる時に濡れてしまったのだ。
荷物を持ってくれたウォッチに傘を差しかけていたミコトも結局肩が濡れたので、トキの部屋のドアを閉めて買って来たばかりの部屋着を探す。
出来れば紙袋の片付けもしたかったが、結構な手間なので後にする。
あまり彼らを待たせる訳にもいかない。
タグを店で落として貰っていた服を見つけ出して着替える間にも、ドアの向こうから二人の会話が聞こえて来た。
「残念ながら、俺のストライクゾーンが幾ら広くても七十代の婆様は守備範囲外だ。博愛の気持ちはあるが勃たねーよ」
「フラれたか?」
「いんや。孫へのお小遣い感覚だろな。すぐに面白い話を聞かせてくれたよ。跳ねっ返りが好きなんだとさ」
「だから行かせたんだ」
「こんなに気に入ったのは、お前以来だと言ってたよ」
「冗談はよせ。誰が跳ねっ返りだ」
ミコトは吹き出した。
やっぱり、見る人が見ればトキとウォッチは似てるのだ。
手早く着替えたミコトが部屋を出ると、トキが三人分のマグカップとポット、急須を用意していた。
思った通り、やっぱりタバコに火をつけているウォッチは自分の椅子に座っている。
「私の目も捨てたもんじゃないでしょう、ウォッチ?」
「ご慧眼、と言いたいが、マダムもそろそろ記憶が曖昧になる年頃だ」
「伝えといてやるよ」
トキはダイニングテーブルに腰を預けてマグカップに急須の中身を注ぐと、ウォッチのタバコを抜き取って火をつけた。
「オイ」
「ヤニ切れしたんだよ。雨だから買いに行きたくねー」
「これ、麦茶?」
「ほうじ茶」
マグカップの茶色い中身をミコトが尋ねると、トキは煙を上に吐きながら答えた。
ミコトは、湯気の立つマグカップを眺めて眉根を寄せる。
「どうしたんだい?」
「ほうじ茶は歯が汚れるのよ」
「気にすんなよ」
「気にするでしょ」
「ヤニは良いのかよ」
「やめろと言ってやめるの?」
「いんや」
「なら文句言うだけ無駄じゃない」
「身綺麗にしねぇと文句言う奴はもういねぇぞ」
「そういう問題じゃないの」
身に付いた習慣はそうそう破れるものでもない。
やらないと気持ち悪い、という感覚は誰にでもあるだろう。
その上、ミコトの当たり前は、全て白金の傍で生き残る為に必要な事で出来ている。
近くにいなければ、復讐のチャンスもなくなる……美しさを保つのは、同時にミコトが自分の心を保つのに必要な儀式だった。
マグカップに手をつけないミコトを見て、トキは気分を害したような顔をした。
「安いもんは口に合わねーか? 美味いのによ」
「言ったでしょ。そういう問題じゃないのよ」
「トキ」
ウォッチが仲裁すると、トキは大きくため息を吐いた。
「分かったよ」
次に彼が出して来たのは、なんと茶道具である。
茶缶と茶筅、それに匙と空の茶碗が二つ。
作法もクソもなくテーブルのポットから熱湯を茶碗に注ぎ、飲み干していた自分のマグカップにその湯を入れると、次に茶碗に抹茶の粉末を入れる。
もう一つの茶碗に再び熱湯を注ぎ、タバコを口に咥えたまま抹茶の粉末が入ったものに一呼吸置いて移すと、素早く茶筅で点てた。
黒光りする物騒な義手に似合わない、繊細な手つきだ。
「ほらよ」
そう言ってミコトの目の前に置かれたのは、紛れもなく抹茶だった。
抹茶の香りの中に、被せ香、という上質な抹茶に含まれる香りが強く含まれているのを鼻が感じる。
緑色も鮮やかで、以前に茶席で点ててもらったものに劣らない見た目だった。
「茶碗は眺めなくて良いぞ。安モンだからな。それなら飲めんだろ?」
皮肉に笑うトキに、ミコトは唖然としていた自分に気づく。
「お茶、点てれるんだ」
朝といい今といい、トキは食事に関して謎に高い技術を持っている。
「これ高ぇんだぞ。他に茶はねぇ。気に食わないならポットのお湯でも飲んどけ」
「トキの点てた茶は美味いぞ。ケチだから滅多に飲ませてくれないが」
「……いただきます」
口に含んだお茶は、上半身裸の、タバコを咥えた人相の悪い男が点てたとは思えないほどの美味しさだった。
滑らかな舌触りの茶の温度は程よく、鼻に抜ける爽やかな香りも、使われた茶が最上級品であることを示していた。
「おいしい」
思わず漏れた声に、ミコトが手をつけなかったマグカップをさらって飲んでいたトキが口を曲げた。
「明日からは麦茶だからな」
「それで良いわよ」
「トキ。そろそろマダムの話を聞かせろよ」
「ああ、そうだったな」
トキは一つ頷いて、ウォッチたちが買い物に行ってる間に自分に起こった事を話し始めた。




