第5節:マダムの珈琲
「セイルテムかい。確かに最近、少し値上がりしてるね」
マダムは、紫色に髪を染めた老女だった。
顔にはシワが走り、髪のボリュームも少なくなっているが身なりに気を使っていない訳ではなく、実年齢に対しては若いと言えるだろう。
実際、若い頃は美人だったんだろうなと感じる、柔和な面差しだった。
出来れば四十年前に出会いたかったところだと、トキは思いながら口を開く。
「在庫ある?」
「それなりにね」
カウンターに置いてあるターミナルを操作する手つきは慣れたもので、老眼鏡を掛けて画面を覗く。
「最近の仕入れが多いのは白金んトコかい。ふん、特効薬を扱ってない筈のあの規模の製薬会社にしちゃ破格の仕入れだ。まぁ、うちの在庫でも一回の卸にゃ十分足りるんじゃないかね」
「ビンゴ。売ってくれる?」
朗らかに笑みを見せるトキに、マダムは鼻を鳴らした。
横に置いてあった珈琲の粉をドリッパーをセットし、湯を注ぎ始める。
「あんたは馴れ馴れしいガキンチョだね」
「親しみやすいだろ? 馬鹿馬鹿しいビジネストークなんか俺にとっちゃクソほどの価値もねぇ。商売なんて所詮カネのやり取りだろーが」
「間違っちゃいないね。でも、あたしがヘソを曲げるとは思わないのかい?」
「見た感じ、マダムは俺と同じタイプだと思ったんだけどな」
「小坊主にしちゃ多少は見る目があるね」
マダムはまっすぐトキを見て、ニヒルに唇の端を曲げた。
そんな顔をしていると、柔和さよりも鋭さが強く感じられる。
マダムは蒸らした粉に再び湯を注ぎ始めると、強く珈琲が薫った。
果物のような豊かに広がる香りを、トキは深く吸い込む。
「芳醇な薫りだ。嗅いだことがないな」
「違いが分かるかい? うちのオリジナルブレンドさ」
珈琲がカップに流れ始めるのを見ながら、マダムは一つうなずいた。
「あんたはイイ。そう感じるのはウォッチ以来だ。最近ではピカイチだね」
「嬉しいね。おっさん以上だと言ってくれたらもっといい」
「残念だがそこまでの評価はやれないね。あんたの方が無鉄砲だが、奴の方が強かだ。珈琲と同じさ。匂いや産地が違っても、違う美味さがある」
「腹芸が得意だからな、あのおっさんは。……で、売ってくれんの?」
トキが片目を見開いて見おろすと、しばらく黙ったマダムは湯を注ぎ終え、ドリッパーをカップを外した。
そしてカウンターの中に座ったまま、台の上に肘をつく。
「残念だけど、買わない方がイイよ」
「何でだよ?」
「必要ないからさ」
マダムは、カップを取ってトキに差し出した。
「飲んでみな」
トキは、ブラックコーヒーが注がれたカップを言われた通りに手に取った。
まるで濁りがない液体の黒い表面は、マダムの技量をうかがわせるように曇りがない。
口に含んで最初に感じたのは、先ほどの果物のように芳醇な香りと絹のような舌触り。
滑らかでありながら蕩けるように感じられる。
そして舌の上で酸味と甘味が踊り、どちらもしっかりと感じ取れるのに喧嘩せずに喉を下っていく。
様々な味が現れては消える、フーガのような味わい。
飲み下した後味は物足りないと感じた。
しかし、これはわざとそうしているのだ、とトキは思った。
口の中にほのかに残る後味が、次の一口を欲しいと思わせる。
贅沢をする為のものではなく、普段から飲むためにブレンドされた、飽きのこないよう考え抜かれた味だ。
「最高だ、マダム。こっちを一つ買う。どこの豆だ?」
「ベースはドルドだよ」
「ドルド? 冗談だろ? 酸味のキツさが特徴の豆だぜ?」
確かに薫りは良いが、そこまで高い豆でもない。
マダムはしてやったりと笑う。
「調合は秘密だ。あんたの持ってるクスリと交換なら考えない事もないけどね。お代もいらないよ」
「食えねぇな、マダム」
この老女は、どこまで情報を掴んでいるのか。
表情を消して、しかし珈琲を楽しむ事はやめないまま、トキは首を横に振った。
「珈琲は、大人しくこの店で買い求める事にするよ」
「おや、残念だね」
マダムは食い下がらずに喉を鳴らした。
「セイルテムを売れない理由を教えてくれ」
「その話にも値札がついてるよ」
「構わねーよ」
「あんたたちには必要ないからさ。ウォッチは気付いているだろうが、あんたをここに寄越したのはあたしに会わせる為だろう。あんたらの横取りした女は、あんたらが思っている以上に『高い』。奴ら、血眼になってあんたらを捜し始めてるよ」
「へぇ?」
トキはおかしくなって笑った。
「あんなザコどもに、雑に始末させようとしていたのにか?」
「あんたが突っ込む間に、ウォッチが外で張ってた白金の手下も一緒に壊しただろう? 元々女はさっさと殺す手はずだったところを、馬鹿どもが自分が楽しむために生かしてたんだ。そのせいであんたらが手を出す隙を作っちまった」
マダムは、つい先日の出来事をもう掴んでいるらしい。
ミコトが死人で、どういう立場だったのかも当然把握しているのだろう。
「奴らも、女を殺したら始末される予定だったんだろ。クッションを置いて、犯人の身元は不明となりゃ、白金に手は届かない。養女が直接行方不明じゃ、探さなかったら白金は具合が悪いからね。司法も気づくかも知れない」
「でもウォッチは、俺らにゃ司法は頼れないと言ってたぜ」
「世論は余裕で動かせるだろう? あの女が喋り始めたら、それは大企業のおいしいスキャンダルだ。そっちをメインにすりゃ、いくら権力者でも庇いきれやしない。……それをしないのは、あんたらがあの子を晒し者にしたくないからだ。違うかい?」
トキは答えなかった。
ただ、脳みそにマダムの語る情報を漏らさないように刻み込んでいく。
「帰りも気を付けてたみたいだが、機械はともかく人の目は避けきれない。私は奴らには情報を売らないけど、同じ仕事をしてる他の奴らもあたしと同じネットワークを使ってる。あたしらは相互に情報を交換してるからね。早晩、あんたらの身元が奴に割れる」
マダムは、自分の首に噛み付くようにシワだらけの指を立てた。
「あんたら、そもそも奴に近づくために関係のない人間をコマに使う気はないんだろう?んだったら売るだけ無駄さね。全員が顔が割れてる状況で上手く行きゃしないよ。あたしは無駄が嫌いなんだ」
「そういう事か」
「小遣いが手元に残って良かったじゃないか。毎度あり」
手を差し出すマダムに、トキは肩を竦めて飲み干したカップを乗せた。
「もう一つ教えてくれよ」
「何だい?」
「奴がセイルテムや薬品の在庫を保管してる倉庫とか、そういうの知らねぇ?」
「人の動きは常に把握してるけど、物の動きはあたしの場合、随時買取だからね。買った情報から目的がバレたくなきゃ、自分で調べな」
「ヒントが欲しいな」
トキは、胸元から折った最高額紙幣を一枚抜き取ってカウンターに置いた。
代わりに珈琲粉を二つ渡してくれるのをトキは掴み取る。
「白金があの製薬会社を作る時に、胴丸って名前の議員が口を利いたらしいよ。付属の倉庫なら、場所を知ってるんじゃないかね。だが、どうする気だい?」
紙幣をそのままレジに放り込みながらマダムが問いかけた。
が、カネを払った以上、トキに答える義理はない。
「良いこと思いついたのさ。マダムと話せて良かったよ」
「生きてりゃまた顏を出しな。豆は割引にしてやるよ」
「気前良いね」
「無鉄砲なガキは好きだからね」
※※※
「俺が貰った情報はこんなトコだ」
トキが話し終えると、ウォッチは眉をしかめていた。
「お前が思いつく良い事なんか嫌な予感しかしないな。とりあえず言ってみろよ」
問いかけに、トキは2本目のタバコをウォッチから拝借しながら、凶悪に笑った。
「その倉庫、爆破しようぜ」




