第2節:セイルテム
「……まぁ、クズらしい話だな。大方予想通りだけどよ」
つまらなそうな顔で話を聞き終えて、トキは立ち上がった。
「辛かったね」
気遣う言葉を投げ掛けたウォッチに、ミコトは首を横に振る。
トキは台所に歩いていくと、カットした一口大のロールケーキを小皿に盛り付けたものを冷蔵庫から取り出してフォーク三本と一緒にテーブルに置いた。
「デザートだ」
トキは席に戻り際、ぽん、とミコトの頭を撫でていき、不意に泣けてきてミコトは顔を伏せた。
二人は、コーヒーがすっかり冷めてしまうまで泣き続けるミコトに声を掛けず、ロールケーキをつまみながら黙って待っていてくれた。
「……ごめんなさい」
「いや。落ち着いたかい?」
ティッシュを差し出しながら問い掛けるウォッチに頷くと、ウォッチはトキと目を見交わしてから言葉を続けた。
「なら、君に聞きたい事が一つあるんだが……」
「何?」
涙を拭ったティッシュをごみ箱捨てると、次にトキが黙ったまま差し出したロールケーキ付きのフォークを受け取り、答えてから口に放り込む。
噛むと、程よい甘味が舌の上に広がった。
優しい味だと、ミコトは思った。
「俺たちは君と同様に白金に恨みがある。しかし、彼に近づく方法がどうにも見つからなくてね。奴の弱味や、職業上の隙、あるいは夢中になっている趣味や生活の拘り。なんでも良いから教えてほしい」
問い掛けるウォッチの口調は、ミコトに負担をかけまいとしてか軽いが、目は真剣だった。
「お前、長ぇ事奴と一緒にいただろ? 俺らも奴を張ってたが、仕事の合間だしな。個人的な事までは分からねぇ」
「アイツの事……」
「ほんの些細な事でいい。何か奴に近付けそうな情報はないだろうか」
「顧客の事なら、それなりに顔と名前を知ってはいるけど……」
ミコトは悩みながら思い出そうとした。
白金に、弱味などあるだろうか。
あの男の仕事内容などまるで分からない上に『仕事の話になったら口を挟まず黙っていろ』と言われていた。
「整理出来ないなら、一つずついこう」
ウォッチは言い、力のこもったミコトの肩に軽く手を触れた。
「気負わなくて良い。奴の趣味に関してはどうだい?」
「……よく分からない。仕事の付き合いで必要だからって、ゴルフやビリヤード、ダーツ、テーブルゲームなんかは一通りアイツから教えられた。でもそれは、白金にとっても必要な事―――つまり仕事でしかなかったから、のめり込んではいないし、多分、付き合いでなければやらないわ」
「料理や服装なんかは?」
「アイツは、お酒もさっきと同じ理由で詳しかったし、それも教えられた。ファッションも同じ。親しみやすさを見せるためにわざと崩すのでない限り身なりには厳しかった。けど、それもやっぱり、仕事に必要だからよね」
「ミコトを売って取引してたなら、それは弱味にゃなんねーのか? ウォッチ」
トキが何故か不機嫌そうな顔のまま口を挟むと、ウォッチは揶揄するような目をトキへ向けた。
「どうやって立証する? 大体俺たちは奴に法の裁きを受けさせたいんじゃなく、殺そうとしてるんだぞ」
「汚職で無一文になって、ムショから出た所を狙う手もあるぜ?」
「悪くないな。で、それを俺が認めると思うのか?」
「出来そうならやろうぜ」
どこか面白がるようなような態度のトキに、ウォッチは灰皿でタバコを捻り消した。
「却下だ」
そう言うウォッチの声音は普段と変わらないのに、何故か彼から剽軽な雰囲気が霧散していた。
トキは笑みを消さないまま肩をすくめ、それ以上は言葉を重ねない。
だが、ミコトは気になって、ウォッチの態度に戸惑いながら口を開く。
「ねぇ、何でそれじゃダメなの? 必要なら、私は法廷に立つけど」
「その段階まで行けるなら、実際に悪くはない手だよ、ミコトちゃん」
言いながらミコトを見たウォッチは、もう普段通りだった。
「でも恐らく、そこまで奴を追い詰めることは、俺たちには不可能だ。俺たちの証言で司法が調べ始めたら、必ず政府側から圧力がかかる。カネってのは力だ。権力は、数とカネで出来てるモンだからな。君の客に、司法関係者や議員が居たら、ほぼ確実に潰される。心当たりは?」
言われて、ミコトは息を呑んだ。
どちらも、そうした肩書きを持つ人間の顔を見た事がある。
特に議員の方は。
「議員は、客だった……」
「なら、そういう事だ。議員の名前を教えてくれるかい? 立場によってはそっちは使える。まさか政党のトップではないだろう?」
「ええ。白金は、幹部ではない、と言っていたわ。候補ではあるから取り込んでおく為に……」
「有望株か。本当に使えそうだ」
ウォッチは、ミコトの情報に価値を見出したようで、一つ頷いた。
「脅すのか?」
「必要ならな」
ニヤニヤとトキが問いかけ、ウォッチは平然と返した。
彼らが非合法な手段を厭わないのは当然としても、目の前で実際に人を殺していたウォッチの言葉には凄みがある。
「なら議員なんか遠回しに使わなくても、実際に権力のイヌのトコに駆け込むんじゃなくて、ミコトを法廷に立たせる事をダシに直接奴を脅せるんじゃねーの?」
「その方法で仮に白金を誘きだしたとして、そこに本人が来る保証はない。奴はミコトちゃんを殺そうとしていたんだぞ。お前や俺が一緒にいたところで関係ない。数を揃えた兵隊に、一緒に始末されるだけだ」
ウォッチは自分の首を跳ねるように手を当てて振った。
「それにこちらが直接奴に対して非合法な手段に出たら、それこそ相手の思う壺だろう」
「どういう意味?」
ウォッチは新しいタバコを取り出すと、吸い口でとんとん、とテーブルを叩いた。
「奴を脅せば、その瞬間に国まで俺たちの敵に回る事になる、という事さ」
そのタバコを咥えながら、ウォッチは続ける。
「そもそもミコトちゃんが手元にいることをわざわざ奴に知らせる事自体が、論外だ」
「何でだよ?」
「少しは自分で考えろよ、クソガキ」
「メンドクセー。賢いんだから勿体つけてねーで教えろよ、おっさん」
ウォッチは煙と共に溜息を吐いた。
「今聞いた事をもう忘れたのか? ミコトちゃんは奴の養女だぞ。脅さなくても誘拐犯にされるだけの理由としては十分だろうが」
ミコトは、トキと目を見交わした。
言われてみればその通りだ。
今頃、ミコトの始末が失敗した事を知った白金が、堂々と行方不明の届け出を出していても何もおかしくないのだ。
「それなら……私がこの場に居ちゃどっちにしろマズいんじゃ……」
「監視網はそれなりに把握してルートを選んだ。そうそうすぐには見つからないから、そこは安心して良い」
「これから先は分からないんでしょう? 何で私を仲間にしたの?」
ミコトの言葉に、ウォッチは困ったように鼻を掻きながらトキに目を向けた。
トキはおかしげに喉を鳴らす。
「あの野郎に恨みがあんだろ。俺もそれは一緒だ。ウォッチもな。だから仲間にした。それ以外に理由とかいらねーんだよ」
「まぁ、利用価値があると思ったことは否定しないよ。実際に議員の情報もあった。でも、それも君の状況を知るまでの話だ。君が奴の横にずっと居た事は俺たちも知っている。だから君が車で出た時に後をつけたんだ。……でもあの貸し倉庫の状況はどう見ても、君が奴への取引材料にならない事を示していた」
「助けたのは、ま、気まぐれだな。言っただろ? 野郎二人より美人が仲間に居る方がやる気も出る」
「一番重要なのはそこだな」
ニヤリと笑みを交わす二人が、本気でそう思っているのかミコトに負い目を感じさせないように敢えてそう振る舞っているのかは分からなかった。
分からないなら、ミコトは都合の良いように信じる事にした。
「貴方たちが馬鹿だって事を忘れてた」
「その調子だ。大体、ミコトがいなくても俺自身が追われてるしな」
「え?」
どういう事? と続ける前に、トキは話題を変えてしまった。
「殺した後の事を考えないなら、単純に隙を見て通り魔みたいに襲うのも悪くねーんだよな。メンドクセー事もねーし」
「それは散々話しただろう。白金の警備は固い。移動は基本的に護送車クラスのものを使い、外食の際にはチェックの厳重な店を選んで店の内外に護衛も置く徹底ぶりで自宅はそれ以上だ」
「リスキーじゃねぇ方法とかねーだろーよ」
「中でも特にヤバい方法なんだよ。ミコトちゃんを人質にするのと同じくらいヤバい。何より俺たちには権力と情報がないからな。奴の行動情報が事前に読めればまだしも、基本は後追いだ。もし感づかれたら今後は同じ手段も使えない上に、具体的な敵が現れた事で奴はより周囲を固めるだろう」
「あれだけ後ろ暗い事をしてるのに、手を出す手段がないのね」
ミコトは、話を聞けば聞くほど八方塞がりのような気がして来た。
最初に感じた通りの無謀さだ。
「忘れちゃいけないのは、奴が裏の人間じゃなく表向きは単なる大企業のトップだという事だ。裏の人間なら逆にやりようもあるんだがな」
沈黙が落ち、ミコトはふと思い返した。
「そう言えば」
「何だ?」
「アイツがちょっと前に、何か物資が足りないような事を、珍しく漏らしてたんだけど。セ、セル、なんとか。シルなんとかだったかな……」
ミコトは眉根を寄せてこめかみに指を触れるが、思い出せない。
自分に関係のない事は聞き流すクセがついていた事が裏目に出ていた。
ああ、もう、と苛立つミコトに、ウォッチが目を細め、トキが首を傾げる。
「少ない物資の納入か。目の付け所は悪くないぞ」
「足りないっつーなら輸入品か。でも、モノが希少金属なら流石に俺らじゃ手が出ねーぞ。量を揃えるにゃ高すぎる」
「搬入ルートも少ないし、値も張るな。だが、モノが高いとは限らない」
タバコの箱を手で弄びながら背もたれの体を預けて足を組むトキと対称的に、ウォッチは両肘をテーブルについて、口元を掌で覆った。
「最近、奴の企業内のカネの動きが変わってるという話を聞いた。系列の製薬会社に落とす予算が増えてるらしい。おそらく物資が足りないのはそこだろう。ならモノはレアメタルじゃない。多分、触媒だ」
「断定の根拠は?」
「今日のニュースを出してくれ」
ウォッチの言葉に、トキは口元をへの字に曲げた。
「自分でやれよ。本当に機械に弱ぇな」
言いながらも、トキはテーブルの隅に積まれた雑誌の間から古臭いパッドを取り出した。
操作してウォッチに差し出す。
「ほらよ」
「おう」
画面をスクロールしながら目を走らせるウォッチの手元を何気なく横から覗いて、ミコトは驚いた。
ほとんど表示されているニュースをまくる指が止まらないのに、彼はマーカー機能を使って逆の指でスクロールする文章の必要とおぼしき部分にマーカーを入れていた。
「そ、その速さで読めるの?」
「速読は大した技術じゃねぇよ。そのおっさんにとってはな」
代わり答えたトキが、自分のこめかみを指で示すと、くるくると回した。
「大したもんなのは、その脳みその方だ。衰えてる体と違って出来が良い脳みそしてるみてーでな。覚えた情報をきっちり溜め込んでる。機械に頼らなくても頭の中がデータベースだ」
「褒めても何も出んぞ。気持ち悪いからやめろ」
「へいへい」
数分でどれだけのニュースを読み終えたのか、ウォッチが、ふう、と息を吐いた。
「目が疲れた。寝不足には辛いね」
「どーでも良いよ。で、なんか分かったのか?」
「思った通りだ。今は大陸の南西がきな臭い。そっち関係で流通が滞ってるなら、触媒は多分、セイルテムだ。違うかい?」
ミコトはウォッチに問いかけられて、記憶が繋がった。
「それだわ」
「その触媒ってのは、何に使うもんなんだ?」
トキが興味を示すと、ウォッチは皮肉に笑ってトキを指差した。
「お前の使ってる、そのクスリを作るための触媒だよ」




