第1節:ミコトの事情
「お、目ぇ覚めたか?」
下着の上に腿まで隠れる大きなシャツだけを身に付けたミコトがリビングに顔を覗かせると、台所でフライパンを握る、タバコをくわえて上半身裸にジャージ姿のトキが笑いかけてきた。
「何してるの?」
「かはっ! 朝飯だよ。なんせ腹が膨れんのは幸せだからな。とりあえず座れよ」
言われてミコトは、ダイニングテーブルの椅子を引いて腰を下ろす。
彼女は、あの後にトキらの事務所に連れていかれた。
事務所は3LDKのテナントマンションの一室で、一つは事務所、そこにドアを隔ててLDKがあり、奥の2部屋が二人の私室だった。
その日は寝ることになったが、部屋は二つだけなので、どちらかの私室に入れと言われた。
今いるフローリングのリビングにはそのテーブルとテレビしかなく、ソファのある事務所は仕事用だと使わせてくれなかった。
まぁ明らかに言い訳だったが、ミコトはトキの部屋を選んだ。
悔しげな顔のウォッチを置いて寝室に入れば、当然ベッドは一つだけ。
まぁ、別にタダで済むと思っていなかったので良かったし実際にヨカったのだが、気付けばウォッチはどこかへ出掛けていたようだ。
なら彼の私室を使わせてくれれば良かったんじゃないかと、そこはかとなく納得がいかないミコトだったが、そんな気持ちは朝食の前に霧散した。
昨日は買ってきた食事だったので普段からそんな生活だったのだろうと思ってみれば。
置かれたプレートには綺麗な黄色のスクランブルエッグに程よい焼き加減のウィンナーが添えられ、ホカホカと湯気の立つトーストにはケチャップとマヨネーズ、そしてピザ用のチーズが振りかけられた簡単なピザトーストが並んでいた。
横にはコーヒーの入ったカップと小分けの角砂糖が二個、そして牛乳パックがテーブルの真ん中に置かれる。
「……意外」
「元々貧乏だったからな。美味いもんを安く食うためには作るのが一番だ」
ちなみにミコトは料理は出来ない。
料理の腕が必要のない生活をしていたからだ。
二人で食事を摂っていると、匂いに釣られたのか帰っていたらしい寝ぼけ眼のウォッチが顔を見せた。
頭に寝癖がついている。
「おい、クソガキ」
「なんだおっさん」
「俺の飯は」
「いつも食わねーだろが」
「大体、誰がおっさんだ。俺はまだ40代だぞ」
「十分おっさんじゃねーか」
トキと言い合いをしていたウォッチが、不意にくしゃみした。
「風邪?」
ミコトが聞くと、ティッシュを手に取りながら、気にするな、とウォッチが手を振り、鼻を噛んだ。
「免疫が落ちてんだろ。トシだからな」
元気にトーストを頬張りながら言うトキに、ウォッチは射るような目を向けた。
「そろそろ殺すぞ」
「おーこえー」
「機嫌悪そうね?」
「寝起きはいつもだよ。そのおっさんは朝が弱ぇんだ。ついでに機械にも弱ぇから目覚まし時計を枕元に置いても1日で叩き壊すしな」
「それ、機械に強いとか関係ない」
あえて言うなら、拳が強いというところだろう。
下らないと自分でも思ったので、ミコトは口には出さなかった。
「俺にもコーヒー」
ちゃっかりミコトの横に腰掛けながら言うウォッチに、トキは舌を出した。
「自分で入れろよ。メンドクセー」
「雨で濡れた上に一人寂しく寝ることになった年長者を労ろうと言う気はないのか。嘆かわしい」
くぁあ、と大きく欠伸をしながら言うウォッチに、トキは眉をしかめた。
「おっさん扱いされてーのかされたくねーのかはっきりしろよ」
「その辺りは時と場合による」
「節操ねーな」
「自分に素直と言え」
「私が入れる」
流石にコーヒーくらいは入れれる。
ミコトが立ち上がると、ウォッチは頬を緩めた。
「おお、ミコトちゃんは優しいな。おじさんが後で服を買ってあげよう」
「あら、ありがと」
「ミコトをモノで釣るんじゃねぇ。服なら俺が買う」
「ダメだ。お前には服装のセンスもないし、勝手に好きなもんを買いそうだからな。ミコトちゃんにそんな窮屈な思いをさせる訳にはいかん」
不機嫌そうに言うトキに、ウォッチはさっきの仕返しか、ニヤリと笑いながら拒否した。
ぎゃんぎゃんとうるさい食卓が、何故か少しだけ楽しいミコトだった。
親と暮らしていた頃は、こんな風に和やかに食事を摂っていた気がする。
高級な料理を見も知らぬ他人と共にする事の多かった彼女には、安いありきたりな食事が、手の込んだ料理より何倍も美味しく感じられた。
「さて、頭もすっきりしてきたところで」
コーヒーを片手にタバコに火を付けたウォッチが、不意に話題を変えた。
「ミコトちゃんの話を聞こうか。何故あんな事になってたのか、事情を聞かせてくれるかい?」
トキも、同じようにタバコを咥えながら、ミコトを見る。
ミコトは、うなずいて経緯を話し始めた。
※※※
ミコトの身の上に起こったのは、自分が死人だった事を除けばありふれた話だった。
彼女の両親は事業に失敗し、莫大な借金を背負った。
借金取りに催促されるような生活は送っていなかったが、ある日帰ると、彼女の家には見知らぬ男が居た。
それが後にミコトを買った男、白金だった。
白金は彼女の実家の借金を一本に買い上げたと言い、これをチャラにする代わりに彼女の身柄を渡すようにと両親に迫っていた。
両親にとっては一生モノの借金も、義肢工学を軸に巨大になった企業を経営する白金にとっては、はした金だ。
彼は言った。
『ミコトさん。君は死人だろう?』
ミコトには意味が分からなかったが、両親は青ざめた。
確かに彼女は、かなり整った顔立ちをしていると皆から言われていた。
両親は平凡で、親族にも特に顔立ちが良い者はいない。
死人は、五百年近く前にこの世界に流行った疫病を、唯一抗体を持っていた自身の血を人々に与える事で救ったと言われる聖女の血を与えられた人々の子孫である人類に、稀に現れる特異体質だ。
死人は先祖返りで死ににくく、成人すれば死ぬまで老いない。
社会的にも若いままなので働きは衰えず地位も得やすいし、聖女に近いという事で宗教的な信仰の対象になる事もあった。
そして、当然、商品としても高値がつく人材だ。
美しく、老いず。
それこそ爆弾で全身を吹き飛ばされでもしない限り、死なない者。
自分が痛みをあまり感じない上に傷の治りも早い事は不思議に思っていたが、まさかミコトは自分が死人だなどと思っていなかった。
その時、ミコトは14歳。
白金の視線の意味も分からず、養女にと望まれ、両親の為ならと了承した。
そして、彼女の地獄が始まった。
純潔は奪われ、慣れた頃には彼の権力をより高くする為に一夜を売らされる日々。
それでも、白金が彼女の実家を救ってくれたと思えば耐えられた。
憎悪が決定的になったのは、嫌な客に売られた後、どうしても耐えきれなくなって実家を訪ねた時だった。
実家は更地になっていた。
近所に話を聞くと、両親は自殺していた。
その上、借金は彼女の実家が扱っていた商品市場を、白金の系列企業が食い潰していたと知った。
全て、彼女を手に入れるための白金の策略だったのだ。
だがミコトは、白金を問い詰めなかった。
復讐を誓い、従順なフリをしながら機会を狙った。
アクセサリーとしてきちんと振舞いながら。
だが、彼女の行動や考えなど、白金にはとっくに見通されていたのだ。
つい先日の、決行の日。
彼女が白金を隠し持ったナイフで刺そうとした瞬間に、背後から護衛に手を掴まれた。
『残念だ、ミコト』
振り向いた白金は言った。
『君は、もっと賢いと思っていたよ』
そして彼女は車で連れ去られ、胸に自分の持っていたナイフを突き立てて男たちに遊ばれていた時に。
彼らが、現れたのだ。
人相の悪い手足が機械の男、トキと。
まるでゴミを処理するように人を殺す男、ウォッチが。




