第4節:メリットとリスク
昼間、懐かしい記憶を思い出したからだろうか。
ミコトは夢を見た。
まだ幼い彼女は、家族と共に古い遊園地にいた。
今にして思えば遊具なども古く、最新のアトラクションを備えたような場所ではない。
それでもミコトは楽しかった。
楽しみすぎて周りが見えず、気付いた時には迷子になっていた。
夢の中でミコトはひたすら、見覚えのない人々の中をさ迷い続けている。
―――昔、こんな事があった気がする。
今の思考と夢の中の泣き喚く子どもの意識が混在して、ミコトはそんな風に思った。
―――どうしただろう、あの時は。
考えながら不安を覚えて、泣きながら冷静に周囲を見回す。
そんな不可思議な状況の中、不意に声が聞こえた。
ミコトはその声を知っている。
夢の景色が遠ざかり、ぼんやりと霞み。
『ミコト?』
自分の名前を呼ぶ低い声と体を揺する震動で、ミコトは目を覚ました。
次に視界に映ったのは、この半年で見慣れた部屋の天井と、彼女の顔を覗き込む人相の悪い男だ。
「トキ……?」
まだぼんやりとした意識で呼び掛けると、彼はうなずいてナイトテーブルに手を伸ばした。
一緒に乗った時計の淡く光るディスプレイを見ると、既に深夜の時刻だ。
「帰ってきたら、随分寝苦しそうだったからな。水は?」
「……ありがとう」
水を受け取って飲むと、全身に汗を掻いていた。
「ミコトの匂いがする」
「変態」
わざわざ首筋に顔を寄せるトキに、ミコトは眉をしかめて身を離した。
「嫌な夢でも見たか?」
「少しね。忘れてた事を思い出したからかしら」
ミコトの言葉に、トキが少し考えるように目を細めてから、ああ、と声を漏らした。
「遊園地か」
「知ってるの?」
「小さい頃に、おっさんによく連れて行って貰ったよ。この辺りは子どもが遊ぶとこが少なかったから、リミトと一緒にな。今は愛想もクソもねぇ白金の持ち物がぶっ立ってたけどな」
「貴方の命を繋ぐモノがあるところでしょう」
ミコトがトキの額を指先で押し離すと、トキは素直に頭を引いた。
「死んだら困るか?」
「そりゃね。知ってて助けないでいられるほど、薄情にはなれないわ」
「情け深いね。女神に見える」
「茶化さないで聞けないの?」
「はん。そんだけ元気なら大丈夫だな。白金んとこには、在庫がたんまりあるらしい。それもここ一ヶ月の間に量産体制に入ったってよ。白金の野郎は思い切ったな。ーーー奴は、WMPLを広めるつもりだ」
テーブルの横の椅子に腰を落としたトキは、両膝に機械の肘を置きながら凶悪に笑う。
「手紙の件がなくても、時間の猶予はないな。俺の命も、世界中の紛争地帯の命運も、今回の俺らの暗殺が成功するかどうかに掛かってるって訳だ」
「ご大層な話だが」
開けっ放しのドアから、ウォッチが顔を見せた。
ドア枠にもたれながら手に持った灰皿を弄んで紫煙をくゆらせる。
「見ず知らずの人間の生きてる場所がどうなろうが、俺たちの知ったこっちゃないだろう?」
「おいおい、WMPLの開発を世界を憂いてやめた男の言葉とは思えねぇな」
「そんなものを憂いた事なんか一度もないな。俺は、パワーゲームに飽きただけだ。ーーーだから、俺たちにはもう一つの選択肢が出来た」
「どういう意味?」
ウォッチの言葉にミコトが首を傾げると、彼は肩を竦めた。
「大した事じゃない。白金が、このタイミングで俺たちを懐柔しようとした意図が掴めただけだ。奴は、さらにのし上がる為にスキャンダルの種を残したくないんだろう。量産体制を見るに、奴は既に取引先を見つけてる。予想以上の在庫が量産されていた。トキが1,000回生きても余るくらいのクスリがな」
ミコトは、ウォッチの言葉に息を呑んだ。
トキのクスリが、既に一千万個単位で量産されている。
それが実験や、国内試販を目的とした量産でない事は明白だった。
「クスリがないと、死ぬような義肢を持つ人が、一千人……?」
想像するだけで、恐ろしい話だった。
トキの持つ身体能力に加えて、専門の訓練を受けた軍人に換算すれば、一個大隊を三つ編成出来る程の人数である。
「あいつは……本当に人の命を何だと……」
「自分の金儲けの道具としか思っちゃいないさ。分かってただろ?」
平然と言うトキが、ウォッチに目を向ける。
「で、つまり俺たちが白金を殺すのを諦めて、クスリと金を貰ってトンズラって話になる訳か? その取引が成功すれば、白金は今以上の億万長者、WMPLの私兵も量産して、警備も万全、俺自身すらもが脅威ではなくなるな。そんな状況で、いちいちこっちを探し出そうとはしねぇ、って考えか」
「そういう事だ。メリットはデカいぞ。俺もお前も、そしてミコトちゃんも、私怨を捨てさえすればこれ以上のリスクを負う必要はなくなるんだ」
ウォッチの言葉を、本能的に拒絶する自分を、ミコトは感じていた。
冷静に考えれば、その通りなのだ。
ミコトは安全を、トキは命を、ウォッチは金を、リスクを負う事なく手にする事が出来る。
ただ、白金を殺すことを諦めさえすれば。
「ーーーそして俺たちは、腐って生きる事になる」
トキが珍しく真剣な顔で、ウォッチを睨みつけていた。
「我が身可愛さに、あのクズを放置するのか?」
「そうだ」
ウォッチは淡々と言い、ミコトもそんな彼に噛み付く。
「世界中の人間がトキのようになるのを、受け入れて?」
「何がいけない? 誰も彼もが無理強いされる訳じゃない。望む奴がそうなるだけの事だ」
「リミトの野郎の、敵討ちは必要ない、と」
「私怨だからな。奴を殺してリミトが生き返る訳でもない」
「トキの手足が、こんな風になったお礼は?」
「それも私怨だろう? 命は買える。それもタダでな」
「貰える金のデカさに目が眩んだか?」
「まさか。冷静に損得を計算してるだけだ、ミコトちゃんも、もう白金を殺さなくてもその影に怯える必要もなくなる。いい事づくめじゃないか」
ミコトは唇を引き結び、トキは口の端を笑みの形に吊り上げながら。
同時に深く息を吸い込んで、声を張った。
「「ふざけんなよ、クソオヤジ!!」」
二人の罵倒に。
ウォッチは、ニヤリと笑った。
「だよな」
「……え?」
ウォッチはミコトの戸惑いに構わずに煙草を灰皿で揉み消すと、ポケットから車と保管庫のキーを取り出した。
「まぁ世界の危機は俺たちには関係ないが、心を売ったら、そこから人生を楽しめなくなる。リスクもメリットもクソ喰らえだ。白金には、きっちり落とし前を付けさせる」
ウォッチは、トキとミコトに着替えるように言った。
トキは平然とミコトを促す。
「準備だ。ぼーっとしてねーでさっさと動けよ」
「え? え?」
戸惑いから覚めないミコトに、トキは呆れた目を向けた。
「白金を殺すんだろ? そもそも俺たちは、その為に集まったんだろーが」




