第2節:半年
ミコトは、ウォッチに仕立てて貰った黒のボディスーツとゴーグルを身に付けていた。
目の前には、ビル型のアスレチック施設がある。
中身はそのままオフィスビルのような体裁が整えられている、サバイバルゲームで使用されるものだ。
『スタート』
耳に差し込まれたイヤホンからウォッチの声が響き、ミコトは駆け出した。
腰のポーチや、ボディスーツの各所に仕込まれているものの配置は、頭の中に叩き込んである。
ミコトはまず、ワイヤーガンを脇のホルスターから引き抜き、上階の手すりに向けて射出した。
ワイヤーの先に取り付けられた重りが手すりに巻きつき、固定されると、ミコトはワイヤーガンを巻き上げながら外壁を登攀する。
本来なら禁止されている行為だが、ここはウォッチの知り合いの施設らしく、特別に許可を貰っていた。
巻き上げに合わせて体を上に持ち上げるのは、訓練しても中々出来なかった。
トキの手足は特別性だが、そうでなくても以前見た彼のような動きは望めない。
手足だけでなくトキ自身の身体能力も伊達ではないのだと、ミコトはこの半年で痛感していた。
体を手すりの中に滑り込ませたミコトは、腕のポインタがポーンと鳴るのを聞いた。
『クリア。次だ』
ウォッチは言い、ミコトは答えないままワイヤーガンを放置して小型のハンドガンを構えながら、低い姿勢で目標とする最上階へ向かう。
制限時間内に全てのポイントをクリアしなければ、合格点は貰えない。
ゴーグルに、3D警備員の格好をした敵ターゲットの姿が見え、ミコトは壁に張り付いた。
二名だ。
ぴったり壁に張り付いたまま両手で銃を構え、一人の体を狙って引き金を絞ると、体の中心への狙いは、銃の反動で僅かに右上に逸れて肩に当たった。
しかしなんとか撃破認定。自分の筋力はまだまだ足りていない。
もう一人の警備員がこちらに気付いて銃を引き抜こうとするところに、近付いて腰から引き抜いたナイフを振るう。
ぱっと血飛沫が散る表示から糸が切れたように警備員が倒れ込むと、再びポイントクリア音。
『良いぞ』
ウォッチの言葉に嬉しくなるが、気は抜かない。
警戒警報が鳴り、どうやら監視に引っ掛かってしまったようだ。
「減点1……」
悔しさを覚えながらももう身を隠す必要がない。
撤退か標的を狙うか。
迷わず、ミコトは後者を取った。
彼女が今しているのは、生き残る為の訓練であると同時に、白金を殺すための訓練でもある。
最上階まで駆け上がると、再び壁を背に棒タイプのドアノブを軽く下に落とす。
すぐに離せるように手を掛けたが、反応はなかった。
外開きのドアを一気に引き開けて中に光量を抑えた閃光弾を放り込み、光が収まると同時に突入する。
だが誰の姿もない、と思った瞬間、銃を蹴り上げられて手に衝撃が走った。
ミコトがしゃがむように腰を落とすと、頭上を何かが行きすぎるのを、上に跳ねた頭頂部の髪を撫でる感触で察する。
転がるように背中から地面に倒れ、両足を開脚するように跳ね上げると、右足に何かが当たる。
見上げた視界に黒光りする手が映り、同時に足を掴まれた。
だが、倒立の要領で腕を付きながら体を捻ってその手を引き剥がし、さらに転がって起き上がる。
薄暗い中で、相手がさらに喉元に腕を伸ばして来るのを後ろに引いてかわそうとするが、そこは壁際だった。
喉を掴まれて息が詰まった。
顎を噛み締めて首に力を込めながら、ミコトは予備のハンドガンを引き抜いて、相手の脇腹に銃口を押し付けるように発射した。
最後のクリア音と同時に、首から指が離れる。
「お見事」
荒く息を吐きながらへたり込むと、パチパチとおざなりに相手が拍手した。
ニヤニヤと人相の悪い顔に笑みを浮かべるトキが、そこに居た。
「何がお見事よ。手加減にも程があるわ」
ミコトが不満を覚えてそう言うと、トキは肩を竦める。
「仮想敵じゃない、と聞いてなかったにも関わらず反応を見せただろ。それに腕を剥がした。ま、倒れ込んだのはよくなかったな。頭を踏み潰されてもおかしくねぇ」
「一回も手を出して来なかったでしょ。本気の相手に失礼だと思わないの?」
トキは、ミコトを掴む以外の打撃や蹴りなどの攻撃をしてこなかった。
「貴方が本気なら、私が勝てるわけないじゃない」
「もっと自信を持てよ。白金のお飾りを演じてた頃より、今の方が遥かにマシだろ」
「指導されてる時に一回でも勝ててたら、そう思ってあげても良いけど」
ミコトは、汗で張り付いていた前髪を掻き上げた。
元々長かった髪は、訓練の時に邪魔になったのでばっさり切り落とし、今はショートカットにしている。
「女相手にマジになるのは口説く時とベッドインの時だけで十分だろ」
「デートに手を抜く男はモテないわよ」
「別に左手の薬指に飾りが欲しい訳じゃねーからな。一回楽しみゃ十分だろ」
「嫌な男ね」
「惚れてるだろ?」
「誰が、誰に?」
下らない言い合いをしてる内に、状況をモニターしていたウォッチが姿を見せた。
「仲が良くて羨ましい限りだが、今日のデートプランについてお浚いをしようか」
通信越しに話を聞いていたのだろう、施設内は禁煙の為、ハッカパイポをくわえたウォッチがいつものとぼけた顔で言う。
「採点は?」
「10点満点中5点だ。何が悪かったか分かるかい?」
ウォッチの質問に、ミコトはうなずいた。
「銃の狙いが逸れた事、警報を鳴らしてしまった事、今トキが言った、不意打ちに対して床に転がった事。他は?」
「最初に警備員を撃った事と、警報の後ターゲットに向かってドアから入った事は2点減点だな」
「それじゃ4点だわ」
「勿論、減点だけでなく加点もある。最後に用意した不測の事態に対応した事は誉めて良い。+1点で合計5点だ」
ウォッチは、そう言いつつも何処か満足げだった。
「合格点ギリギリだが、半年だけの訓練で合格点を取れる奴は俺の知る限りほとんどいない。君と後一年早く知り合いたかったな」
「私は満点が欲しいの。不満だわ」
「ウォッチに褒められた事なんか、俺でも数えるくらいしかねーのに、本当に負けん気の強ぇ女だな」
トキが呆れたような顔をするのに、ミコトは目を細めて彼を見る。
「ウォッチの採点が甘いのよ。紳士的なのも良し悪しね」
「おいおい、訓練に手を抜いた評価を下した事はないぞ。お浚いをしよう。まず、風もないのに銃の狙いが逸れる原因は?」
「姿勢が悪い。反動を殺しきれてないから狙いが逸れた」
「そう。今回は当たったが、上に狙いが逸れるのは良くないな。それでも肩よりも胸に近い位置に当たっているから本来は及第点だが、反動が大してキツくない銃だ。あの距離ならじっくり狙わなくてももう少し正確に当てて欲しい」
「基礎トレーニングの量を増やそう。ミコトは死人だ。元々体質的に太りにくいから、筋肉も付きづらい。体幹を支える筋肉の量を増やすトレーニングをじっくりやりゃ、無理やり腕力付けるよりも狙いは安定する筈だ」
トキの提案に、ウォッチはうなずいた。
「銃の狙いはそれで良い。次は、警備員を撃った事だ。相手は君に気付いていない想定だった。観察していれば分かった筈だ。やり過ごすか、二人同時にナイフで始末出来るタイミングを図っていれば、警報が鳴らなかった」
「タイムが気になったのよ」
「余裕は十分にあった。それを確認しなかったのも落ち度に含まれている。それに訓練はタイムアタックじゃない。最終的には、標的を安全に始末する事が最優先だ。もしくは撤退。危険だと分かった時点で安全な地点まで撤退していれば、任務は失敗だが加点の対象だった。が、別に標的に向かう事自体は減点対象じゃない。さらにもし警報が鳴らず、標的を始末して脱出出来て、初めて満点だ。タイムを気にして目的を履き違えていては戦力の向上は望めない」
ミコトは頷いた。
言われてみれば、その通りなのだ。
時間制限は、あくまでも無駄な時間を使わないようにと課せられている事を、ミコトは再度頭に刻む。
テストに緊張していた事は否定できない事実だった。
「成果を確認する為のテストだものね」
「そう。高得点を取る事が目的じゃない。それが分かっていれば良い。次に、警報の後で標的に向かった事。標的に向かった事自体は間違った判断ではないが、正面から下手に向かうと挟み撃ちになる可能性がある。入る際の対応は悪くなかったが、それ以前の失敗だ」
「時間を掛けろ、という事?」
「予想を外せ、という事だ。今回のトキのように、相手がこちらの動きを予測している事も考慮するべきだ。だから、不意を打たれる」
「どうすれば良かったの?」
「まずは間取りを見る段階で問題が一つ。俺は今回、事前に建物の中を君と一緒に見て回ったが、本来なら間取り図から全てを読み取らなければならない。その点は甘くしていたにも関わらず、君は標的のいる場所に窓があり、屋上や下階から入れる可能性を考慮しなかった事が、減点の理由だ」
ウォッチは窓際に行き、外をミコトに示した。
顔を覗かせて上と下を見ると、確かにワイヤーガンを使用すれば来れるような構造になっている。
「……最初にワイヤーガンを回収しなかった事も、ダメだったのね」
「潜入がバレる要素は極力減らすのが常道だ。バレた後にも標的を狙うなら、出来るだけ動きの選択肢を増やしておかないといけない。標的を殺せず、自分が殺されるのが最悪の事態だ」
ウォッチは、回収していたらしいミコトのワイヤーガンを腰から引き抜き、ミコトに向かって示した。
「ワイヤーガンは、巻き取りを終えて手際よく外せばものの3秒も掛からずに外せるようになっている。これも要訓練だな。正確な反復に勝る学習はない」
まるでなっていない、そう言われている気分になってくるが、ミコトはへこたれる自分を叱咤した。
トキやウォッチに、届かないのは当たり前なのだ。
たった半年。
全力でやっても、それ以上の時間を本気で訓練した人間に敵うはずはない。
沈んでいる暇があるなら、知らない事を覚えればいい。
昔から、そう考えて生きてきたのだから。
「そして最後に、トキ」
「何だよ?」
「相手がミコトちゃんだからと、手を抜くのは減点対象だ。お前なら、足を掴んだ状態から力づくでねじ伏せられた。ミスをしたミコトちゃんに合格を与えた罰として、ここの払いはお前が持て」
「げっ!」
トキの嫌そうな顔に、ミコトは舌を出した。
「当然よ、ばーか」




