第7節:勝負の時間だ
港湾区第三エリアは、貨物運搬船の停泊場がある一帯だ。
コンテナが連なり、昼夜を問わずに荷が入るエリアではあるものの、運び出し時間や荷下ろし時間が違う荷物は厳密に区画を分けられており、無人の時間帯が多い地域でもある。
トキはそんな事をミコトに説明しながら、人気のない一角で誰かを待っていた。
「あいつらは、私たちがどこに逃げたか分かるの?」
「人目につかずに、無許可の人間が陸と海を行き来出来る場所はそんなに多くねぇ。遊覧船の停泊位置から港湾区を張るのはそこまで難しい事じゃねぇよ。今すぐ事務所にゃ戻れねーしな」
周囲は闇が深い。
それまでは閉鎖された場所からの開放感で気にならなかったが、暗いのはそれだけで怖い。
闇の中から、今にも池早が顔を出すのではないかと、ミコトは怯えていた。
「そんな心配すんなって」
ミコトの息遣いが荒い事を聞きつけたのか、トキはミコトを手探りで引き寄せると、頬にキスしてきた。
「ちょっと、こんな時に……!」
「見張られてちゃデキなかったからな。溜まってんだよ。ちょっとくらい良いだろ?」
離れようとするミコトを無理やり抱き締めたトキの、心臓の鼓動が力強く耳に届く。
タバコの匂いと汗の匂いが混じるトキの体内で鳴る、少し早い気がする鼓動を聴きながら、ミコトは少し落ち着く自分を感じていた。
彼は今、生きている。
そして彼を生かすために、ウォッチは自分の復讐心を遂げる事よりも、危険を承知で彼を救う可能性を選択した。
「あなたたちは、強いわね」
悪辣を装いながらも、決して彼らは相手を見捨てようとしない。
今だって、別々に逃げればどちらかは逃げ切れるかも知れないのに。
「雑魚いから、小賢しい事しか出来ねーんだよ。だからって、暗くなってても仕方ねーだろ。鬱々してたら誰かが助けてくれる訳じゃねぇ。バカやりながら楽しく生きる方が面白い」
トキはミコトの髪を撫でて、顔を上向かせた。
「お前も、心の底からバカになれよ。死んで元々なんだからよ」
言って、今度は口にキスしようとしたトキだが、ミコトがずっと耳の中に入れていた極小タイプのイヤホンから声が響く。
『お楽しみのところ悪いが、時間だ』
「残念、お邪魔虫が来た」
ミコトがトキの見る海の方向に目を向けると、岸に上がろうとする誰かの姿が見えた。
そのシルエットから、ダイバーのような服装をしているように思えるが、詳しくは分からない。
「ウォッチ……?」
ミコトが呟くと、不意に銃声が響いた。
トキがミコトの頭をまた自分の胸元に押し付けながら壁に張り付く直前に、ダイバーも頭を伏せるのが見えた。
「お出ましだ。やり合う時間だぜ。首に手を回せよ」
再度手足の制限を解放したトキは、常人を大きく超える力でミコトを背負ったままコンテナの凹凸に手を掛けて、素早く上に登った。
「伏せて、良い子にしてな」
ミコトが錆びの浮いたコンテナの冷たい感触に張り付くように身を伏せると、彼自身はミコトの傍を離れて飛び降りた。
「ウォッチ!」
思わず顔をコンテナの隅から覗かせると、飛び降りながらトキが叫んでいた。
伏せながら移動し始めていたウォッチが、トキの声を聞いて腰に手をやり、何かを投げる。
暗い中でも正確にそれを受け取ったトキは、自分も這いつくばるように移動を始めた。
銃声が何発も響く。
ミコトは、転がるように別々に物陰に飛び込んだ二人の動向を追えなくなり、息を詰めてコンテナに伏せた。
イヤホンから、短距離通信でトキの声が聞こえてきた。
※※※
「どう動く?」
トキは腕の通信機能を利用してウォッチに話し掛けた。
『奴らの人数によるな。どの位いる?』
「さぁな。俺が見たのは三人だけだが、地上の私兵が全員動いてるんなら20人は居るんじゃねーか?」
『全員は動かんだろう。せいぜい半分だな』
「なら、別々で行こう。勝負だ。少なかった方が白金をハメる為の雑用をやるって事で」
『悪くない。押し付けてやるよ、クソガキ』
「体力有り余ってる俺に勝てると思うなよ、おっさん」
トキは、コンテナの壁を叩いて派手に音を立てながら、ウォッチが逃げたのとは逆方向へ走り始めた。
二人の基本は、トキが身体能力を活かした陽動で、ウォッチが始末する形だが、今日は勝負だ。
「手助けは最初だけだぜ」
足音が幾つかこちらへ向かって来るのに合わせて、トキは再度コンテナに登ると、次は静かに息を潜める。
ウォッチから受け取ったモノのピンを抜き、追いかけてきた連中が鉢合わせするのに合わせてポトリと頭上に落として這いつくばると、固く目を閉じた。
閃光、そして悲鳴。
トキが投げた閃光弾によって放たれた光が治まるのと同時に、トキは飛び降りた。
目を押さえる三人の私兵。
その一人に近付くと、トキは力任せの拳で側頭部を殴り倒す。
次の一人は頭を掴んで顔を膝に叩き付け、取り落とした銃を拾った。
「て……めぇ」
視界が少し回復したのか、こちらに銃で狙いを定めようとする最後の一人に、無言のまま顔の前に両腕を揃えた姿勢で体当たりした。
よろめく相手の顎に右手に持った銃口を押し付ける。
「射撃はからっきしなんだけどよ」
相手が命乞いする前に引き金を絞って永遠に黙らせた。
「距離がなきゃ、百発百中だ」
そのまま身を翻したトキの足元に別の場所から乾いた音と共に銃弾が飛んで来た。
弾はアスファルトに跳ねてトキの足に当たり、金属同士が接触する耳障りな音がする。
「い……ってぇな!」
金属製でも、手足には感覚がある。
トキは悪態をつきながら、再度の銃声を避けて転がるように物陰に飛び込んだ。
「おいおい、スキャンダルが怖くねーのか!?」
物陰から声を張り上げたトキに、意外な事に返答があった。
「この場で貴様らを始末すれば、全てなかった事になる」
池早だ。
トキは移動すると、コンテナの間に身を潜ませてストップウォッチを見た。
残り時間が30時間を切っている。
もしウォッチがクスリを持って来ていない場合、在庫の在処と事務所までの距離は同じ程度……ここから2時間。
余裕を見るなら5時間は残さねばならない。
不測の事態に備えるなら10時間。
手足の付け根は、生身の部分が無理な負荷を受けて既に熱を持ち始めていた。
全開で動けるのは後10分程度、無理を押しても20分が限度だろう。
「持久力がねーよな、こいつは」
ぼそりと呟いて、トキは一度、手足を通常機動に戻して移動を始めた。
池早が声を出したのは、おそらくトキと同じ理由。
自分の位置を知らせることで伏兵を潜ませるか、自分が裏を掻いて不意打ちをする為だ。
トキは、コンテナを登って慎重に自分の居るコンテナの周囲を見回しながら、敵の姿を探る。
そこで不意に、女の悲鳴が上がった。
「ッ……やってくれるな!」
トキは、自分が池早にさらに裏を掻かれた事を知った。
音を気にせず、コンテナからコンテナへ飛び移りながら、ミコトが居る筈の場所へ向かう。
案の定。
「トキ……」
「動くな、WMPLの男」
青ざめたミコトのこめかみに銃を突きつけてコンテナの上に立つ池早が、無表情にこちらを見ていた。
事務所と同じ状況だ。
「カッコ悪いな、お前。女を人質に取らなきゃ何も出来ねーのか」
負け惜しみに吐き捨てるが、池早は全く痛痒を感じていないようだった。
「そんなどうでも良い事に拘るから、こうして不利な状況に陥る。確実に勝つ為の手段を選ぶのは当たり前の事だ」
トキは、池早を見下すように笑った。
「はっ! 男がイキがんなくてどうすんだよ。存在価値がねーよ、そんなゴミは」
「価値がないのはお前の方だ。金も力もない、女一人守れない自意識過剰のクソガキだ」
「……何でだろうな。ウォッチに言われても別になんとも思わねぇのに、腐りきったお前にそう言われるとムカつくぜ。絶対殺してやる」
「残念だが、お前には不可能だ」
ミコトに突きつけていた銃を、池早はトキに向けた。
トキはミコトを傷つける可能性がある上に下手くそな自覚のある銃を放り出して、横に跳ねた。
彼が居た場所を、銃弾が穿って火花を散らす。
ミコトに、今動く事は期待出来ない。
度胸はともかく、慣れていない人間がとっさに動けるほど世の中は上手く出来ていないからだ。
「避けるか。コイツがどうなっても良いのか?」
再び盾にしているミコトに銃を向ける池早に、トキは笑う。
「やりゃ良いだろ。ミコトは死人だ。頭を撃ち抜いて死ぬかどうか試せば良い。言っとくが、撃った瞬間に俺はお前に飛び掛かるぜ」
膝を曲げ、獣のようにコンテナすれすれまで頭を落としたトキは、宣言通りいつでも飛び掛かれる姿勢で再度池早と対峙した。
制限はここに来る間に解除してある。
WMPLの全開性能なら、コンテナの真ん中にいるトキから端に立つ池早までは1秒掛からない。
そのまま体当たりでコンテナから突き落とせば、ただの人間である池早は確実に怪我をするだろう。
「では、試してみよう」
池早が引き金を絞る指を、凝視していたトキは。
銃声が響くと同時に、コンテナを蹴った。
※※※
「ぐぁ……!!」
銃声に、悲鳴を上げたのはミコトを抱えていた池早だった。
こめかみの硬い感触が離れると、トキが目に追えない程の早さでミコトの眼前に来て、そのまま池早の顔面を殴りつけてミコトを池早から引き剥がす。
「ご……!」
池早の気配が後ろから消えて、すぐに地面に何かが叩きつけられる鈍い音。
コンテナから落ちたのだ。
「悪かったな、ミコト」
ミコトを片手で抱いたトキは、それまで見たことがないようなギラギラとした怒りを目に浮かべていた。
「今、あの腐れボケをぶっ殺して来るからよ」
犬歯をまるで牙のように剥いた笑みを浮かべるトキに、ミコトは縋った。
「おい」
「……無理しないで」
ミコトは、トキの腕に触れた。
義肢と体の接合部分が真っ赤に腫れている。
ストップウォッチを見ると、明らかに時間が減っていた。
今もまだ、減り続けている。
「『ミコトちゃんの言う通りだ、トキ。池早は確保した』」
コンテナの下と、耳のイヤホンから二重にウォッチの声が聞こえた。
「流石だぜ、おっさん」
トキはミコトの肩をぽんぽんと叩くと、ミコトを抱き上げて飛び降りる。
池早は、壊れた人形のように手足を放り出して倒れていた。
両手と足の付け根から血を流し、肘の上辺りにも血が滲んでいる。
その脇に、潜水服を身に付けたウォッチが立っていて、拳銃と血に濡れたナイフをそれぞれの手にぶら下げていた。
「手足の健は切った。池早の元がどんな顔か知らないが、元には戻らんぞ。可哀想に」
池早を見ると、トキはどんな力で殴ったのか鼻が完全に潰れて血まみれだった。
それでも気絶はしていないようで、痛みに呻きながらも彼は、憎悪に染まった目でこちらを見ている。
「よくこいつの腕だけ狙えたな。狙撃銃でも持ってたのか? おっさん」
「どっかのクソガキが危ない真似をして派手に気を引いてたからな。こっそり忍び寄って、暗視付きゴーグルでじっくり狙いを定めるのも簡単だった」
ウォッチはいつものトボけた顔のまま、額にあるゴツいゴーグルをナイフの柄で、コンコン、と叩く。
「この場にいる私兵は、 全員始末した。残念ながらお前らの負けだ。約束通り手を出すな、と白金に伝えろ」
ウォッチが表情を消して池早に言うと、池早は痛みに脂汗を浮かべ、荒い呼吸を繰り返しながら不明瞭な言葉を返す。
「殺ざながった、ごど、後悔、さぜてやるぞ……!」
「お前がリハビリを終える頃には全て片付いているさ。命を拾った事を感謝するんだな」
ウォッチは顎をしゃくると、池早を置いて歩き出した。
トキがミコトを促してそれに続く。
「殺したかったんだがな」
トキの呟きに、ウォッチは軽く眉を上げる。
「ミコトちゃんに怪我がなくて良かったな。読みの甘いお前の落ち度だ。落とし前を付けるなら、相手を殺すよりもミコトちゃんにお詫びをするべきだな」
「分かってるよ!」
イライラしているトキに、ウォッチは口の端を上げる。
「やる事がいっぱい増えたな。ちなみに俺は池早を含めて7人始末した。雑用係はお前に決定だ、クソガキ」
「私は何をして貰おうかしら?」
恐怖の残滓を押し殺しながら、ミコトはあえて楽しげな風を装って首を傾げる。
「車の中でじっくりと考えると良い。なんせ命の危険に晒されたんだ。目一杯好きな事をねだれるぞ」
ウォッチの言葉に、ミコトは顎に指を当てた。
ミコトの表情に何を感じ取ったのか、少し頬を引攣らせながらトキが言う。
「……あんま無茶な事言うなよ」
「そうねぇ。ちょっと無茶な事かも」
「マジかよ……」
「でも、多分無理な事じゃないと思うわよ」
ミコトは、トキの腫れた腕の付け根と、ウォッチの腰に差した銃を交互に見ながら、自分の要求を告げた。
「二人ともゆっくり休んで、体調が戻ったら、私を鍛えて欲しいわ」
言葉の意味を図りかねたのか、二人は顔を見合わせてからミコトに目を向ける。
「どういう意味だい?」
「何を鍛えるんだよ」
「勿論、私が戦えるように、よ」
二人が口々に言うのに、ミコトはニッコリと答えた。
元々、復讐の為だけに白金に付き従った自分だ。
今のままじゃ、誰かの手を借りなければ戦えないと言うのなら。
そうでなくなる為に努力をするのは、嫌いじゃない。
「今日で痛感したわ。―――私、守られるだけって、凄く嫌なんだって」




