第5節:潜入技術
次のウォッチからのメッセージは、前の連絡からさらに四時間が経過した後に来た。
『ユートピアからの解放は、聖女の生きた指によって成された。プラチナと引き換えに』
やはりミコトでは意味がよく分からない。
「欺瞞のメサイアが作り出したユートピアという箱庭の神話を知ってるだろ?」
トキが、ミコトの膝を撫でながら、不意に問いかける。
意味を解説してくれているのだ。
「ユートピアに閉じ込められていた死人たちは、聖女によって解放された、って話よね」
「そう。聖女がいなきゃ、死人は欺瞞のメサイアの束縛からは自由になれなかった。鍵は聖女のコレが押した爆弾のスイッチだ。その指先は、ユダと呼ばれた男に与えられたプラチナの指輪によって彩られていた」
トキは、人差し指と親指をピストルの形に立てた。
閉じ込められた死人、とは自分達の事だろう。
なら鍵とは、この部屋を閉ざす鍵。
「聖女は、ユダの恋人?」
「さぁな。だが、仲間だったんだろ。欺瞞のメサイアとユダが実は同一人物だったとする説もある。聖女は元々、欺瞞のメサイアに従っていたとな」
欺瞞のメサイアとユダは同一人物。
ユダの仲間、つまりは池早だ。
彼の指が、この部屋から解放される為の聖女の指先……生体認証キーになっているらしい、というところまでは、ミコトにも理解出来た。
ウォッチがどうやってそんな事を知ったのかは、ミコトには見当もつかないが。
「……楽園の場所は、皆が知ってたのかしら」
「多分な」
監視され、音声を聞かれている可能性がある、とトキは言ったが、見立ての会話に、ミコトは慣れていない。
しかしトキは、正確に意図を汲み取ってくれたようだった。
ウォッチは既に、ミコトたちの居場所と解放の条件を知っている。
「俺はそれより、聖女が指輪の事をどう思っていたかの方が興味がある。もし『盗まれた』ら、どうするんだろうな? 取り返すのか、捨てるのか」
プラチナを盗む。
白金を人質に、ミコトたちの解放を迫る、という事なのだろう。
だが、それなら。
「取り返そうとするんじゃないかしら。でももし、取られた指輪が壊れたら……」
白金に迫れるなら、ウォッチはそのまま白金を殺す可能性がある。
奴を殺したら、池早はミコト達を殺すだろう。
「その時は諦めるだろうな。だが、指輪をなくした聖女は、死人を助ける気もなくすかも知れない。だが、それはどうでも良い話だ」
言いながら、トキはストップウォッチに目を落とした。
残り時間は5時間。
しかしトキは、またミコトから腕を引き抜くと、手にずっと握りこんでいたクスリを首に突き立てた。
ストップウォッチが、ピー、と音を立てる。
クスリの注入を感知して、時間が戻ったのだ。
「トキ……?」
「これで残りは48時間だ。使っちまったらバレたって構わねぇだろ」
5時間も無駄にしたトキに、先ほどまでクスリを打たない事を懸念していたミコトは、逆に不安になる。
「……ギリギリまで、待たなくて良かったの?」
「ギリギリになって池早が戻って来たら困るだろ」
トキは再びミコトに手を回し、微かな声で囁いた。
「……俺たちの1番の目的を忘れるなよ。どっちにしたって、後二日は掛からない」
成功でも失敗でも。
ウォッチが白金を殺してミコトたちを見捨てても。
よく考えたら、それで良いのだ。
ミコトたちの目的はあくまでも白金を殺す事であって、その後まで生き残れればより良い、というだけの話だ。
「トキは、それで良いの?」
「当たり前だろ。俺の生きている『今』は、本当ならなかった筈の時間だ。代わりの手足を与えられて、リミトの代わりに奴がやりたかった事を、やってやってるだけなんだよ」
トキは、ミコトの肩に顔を伏せていて、その表情は見えない。
「ーーー今の俺は、目的を達成する為の『代替品』だ」
「リミトさんが、やりたかった事……?」
言われて、ミコトは気付いた。
リミトは、白金に迫るためにWMPLを作ったのだ。
それは、何か白金に近づく目的があった、という事だ。
「リミトさんの目的って、何?」
「気が向いたら教えてやるよ」
そう答えるトキの声は、いつもの、ミコトをからかうような口調だった。
※※※
ウォッチは、ちゃぷん、と音を立てて水面へ顔を出した。
潜水服に密封された防水リュックを背負った彼は、海上で停泊している豪華客船に目を向ける。
頭上の手すりを見て、素早く腕に巻いていたワイヤーを投げて外に設けられた作業用の手すりに巻きつけると、船体を素早く登り始めた。
僅かに顔を覗かせて確認した船のサイドデッキに設けられた通路に、人はいない。
パーティーは船頭の方で行われているのだろう。
人の姿を確認しながらトイレに入り個室の鍵を掛けたウォッチは、潜水服をタオルで丁寧に拭き取り、上からスーツを身に付けた。
リュックは肩紐を外して仕舞うとビジネスバッグのように見えるもので、中に小型の酸素ボンベと潜水眼鏡を仕舞ったウォッチは何食わぬ顔で個室を出た。
『行動開始』
そう一言だけ通信を送って会場に向かう途中で、ウォッチは気付く。
「しまった。サングラスを忘れたな」
会場は立食パーティー形式であり、イベント設備が設けられていて騒がしい。
ますます好都合な状況で、ウォッチはリラックスした様子で会場の中を歩き出した。
歩く途中で私服姿の客の一人から、目の前を通り抜けるついでに胸元のサングラス抜き取り、別の自分に似た背格好のスーツの男のからネームプレートを頂戴する。
目標である白金は、会場の中にいた。
白のスーツに、広めの額がよく見える後ろに流した髪型の、40代半ばの中年。
油断のない目をしており、体に弛みはない。
誰かと談笑している仕草は落ち着いていて、顔立ちも悪くはない。
どことなく機嫌が良さそうにも見える。
単にウォッチが現状を知っているからかも知れない。
「呑気な事だ」
白金を見張りながら、ウォッチは傍にあったドリンクカウンターに烏龍茶を頼んだ。
そのままカウンターにもたれて会場の中を見回していると、ふと一人の女性と目が合う。
髪にウェーブを当てた、赤のドレスを身に付けた中東辺りの人種とのハーフらしき顔をした美しい女性だ。
軽く笑み掛けると、彼女は笑みを返してこちらに歩み寄って来た。
「こんばんは、レディ。御一人ですか?」
「ええ。少し手が空いてしまったの。お相手して下さる?」
ウォッチは彼女の姿に目を走らせた。
腕に品の良い金の腕輪をしており、細いプレートが下がっている。
VIP用の個室キーだ。
「美しい方のお相手をさせていただけるのは光栄ですね」
「あら、嬉しいわ」
シリ、と名乗る美女とそのまま会話を続けると、ウォッチはさりげなく会話を自分が望む方向へ向けた。
「私は宝石商をしております。お近づきの印に」
高級と言われるブランドのネックレスを納めた紫のジュエリーケースを差し出した。
「これはお誘いなのかしら?」
「お気に召していただけたのなら。勿論、無理にとは申しませんが」
ウォッチは微笑んだ。
「この場所で、あなたとの出会いという望外の幸運を得たのです。もし仮に今がプライベートであったなら、もっと率直にお願い申し上げた事でしょう」
「今はビジネス?」
「取り繕わなければ、他の顧客に見られていた時に品のない者だと思われてしまいます。二人きりになれれば、プライベートな姿を見せる事が出来る。そうなれば嬉しいと思います」
「良いわ。来て」
女性に誘われてVIPルームへと向かうと、中に入ったウォッチは通信があったフリをして機器を取り出すと、眉根を寄せた。
「すみません、ミス・シリ。どうも用が出来たようで……」
と、ウォッチが言い掛けたところで、シリはウォッチに体を寄せた。
「演技はもう、良いわ」
シリの口調は、笑みを含んでいた。
ウォッチは、バニラ系の芳しい彼女の香りを感じながら、表情を引き締める。
「それは、どういう意味です?」
「マダムから伝言よ。『釣りやすいのが、あんたの悪いとこだ。気を引き締めな』」
体を離して微笑んだシリは、全てを見透かしたような顔で面白そうに言った。
「あの方のおっしゃる通りね。口が上手く、紳士的で、目的の為なら平然と嘘をつく油断の出来ない男。でも、美人局が効果的」
ウォッチはドアにもたれて天井を仰いだ。
「参ったね。何もかもお見通しか。……肝に銘じるよ。君はマダムに雇われたのかい?」
「どちらかと言えば、協力者かしら。マダムの『目』の一つよ」
「一体、幾つ目があるんだろうね、あの人は」
「この『目』も、あなたを良い男だと思った。今度はビジネス抜きでお相手して下さる?」
「喜んで。今から着替えと一服するのを許してくれるかい?」
「お好きにどうぞ」
笑顔のシリに甘えたウォッチは、スーツを着たまま裾を捲って潜水服の腰に酸素ボンベを付け、脇の下の銃を点検して戻すと、身なりを整えてから煙草を吸った。
時間を確認してそのタバコの箱もカバンに仕舞い、彼女に礼を述べて部屋を出る。
白金が使用している部屋は把握している。
近くにあるテラスデッキで待つと、程なく白金が現れた。
白金の行動パターンは、ウォッチが知る頃と変わらない。
何かのイベントの際、一度、絶対に途中で自室へ行く。
理由は知らないが、ルーチンを決めるとその通りに行動しなければ気が済まないところのある男なのだ。
周囲を警備する者は二人。
ウォッチはテラスから中へ入ると、白金がドアを開けたタイミングで即座に仕掛けた。
引き抜いた銃を一息に四連射。
二人の警備員それぞれの頭と胸元を撃ち抜き、振り向いた白金を部屋の中へ蹴り込んでドアを閉めると鍵を掛ける。
「久し振りだな、白金」
床に倒れ込んだ姿勢のまま、自分に銃を突きつけるウォッチを見て、白金は信じられない様子で目を見開いた。




