*
『本日より、私の“影”となる者だ。名をイヴァン。きみと顔を合わせる機会も増えるだろうから、紹介しておこう』
学園に入学するより以前、ハルト様の屋敷に招かれた私はそこで初めてイヴァンと出会う。
ハルト様に紹介された時の衝撃ときたら。
『……ハルト様、双子だったのですか?』
おなじ顔が二つ並んでいたら、誰だって驚くだろう。
私は背格好も容貌もすべてがそっくりな二人を見比べ、これはすごいと感嘆の息をもらす。
眉間の皺の数やホクロの位置に至るまで瓜二つで、双子というよりは鏡写しのよう――いや、目の錯覚に近い。
『は。さすがのきみも、私たちのどちらが本物かは分からないだろう?』
得意げに笑う二人のハルト様。
私はそうですねとあっさり肯定した。
『ええ、まったく。婚約者を見分けられないなんて、まだまだ愛が足りないんですかねぇ』
『……その手の冗談はやめないか』
『あら、すごく嫌そうな顔してますね、こちらのハルト様。じゃあこちらが本物ですね』
『………』
ハルト様がなんとも言えない表情をする。
もう一人のハルト様――もといイヴァンは観念したのか、さっさと変身を解いていた。
どうやら私に一泡吹かせるために、渋々ハルト様に協力していたらしい。
『お初お目にかかります、リーゼロッテ様。イヴァンと申します』
片目を前髪で隠した黒ずくめの男が、にこりともせずに淡々と挨拶をしてきた。
ハルト様とはまた違った意味で取っ付き難そうだ。
『初めまして。さっそくハルト様の茶番に付き合わされるなんて運のない……』
『聞こえているぞ、リーゼロッテ』
『ところでハルト様、彼は魔導師ですか?さっきのは特異体質の一種?』
『……人の話を聞いてるのか』
コホン、と咳払いをするハルト様。
『まあ、そうだ。本来は少し違うが、応用性の高い能力故に私の型を覚えてもらった』
『………型』
どういうことだそれ。
あんまり想像したくないなと思ったけど、ハルト様は語った。
『本人曰く身体を自在に液状化させることのできる特異体質で、さっきの姿は私を象ることで似せている。後は魔導による錯覚を用いて完璧に仕上げているのだ。もっとも、入念な下準備が必要になるから、即興で他人を真似るのは至難の業だがな』
『ほう……』
象ることで似せる、って。
その言葉が意味するところってつまり、液体を型に流し込んで鋳物を加工するような、そういう解釈で間違いないのだろうか。
う"っ……。
あまり想像したくなかったのに、ありありとその光景を想像してしまったぞ……。
『随分とまあ、汎用性の高い能力ですねぇ』
『……きみほどではない。だが彼は、私の手となり脚となり、盾となる人間だ。長い間探し続け、ようやく見つけた、絶対に裏切ることのない私の影だ』
―――だから、リーゼ。
その先の言葉に、ああだからハルト様はわざわざ私にイヴァンという影の者を紹介したのか、と遅れて気づいた。
『リーゼ。リーゼロッテ。私との婚約を、どうか』
*
………変なことまで思い出してしまった。
イヴァンとの出会いは、ハルト様が私との婚約に拒絶反応をはっきりと示すようになった始まりの夜だ。
学園に入学する前から、ハルト様は度々婚約の取りやめを口にしていた。
元々から好かれている自信がなかったので、然もありなんと聞き流していたのだが、ハルト様にとっては割とガチな問題だったらしい。
学園でクラウディアさんと運命の出会いを果たしてからは、さらに拍車がかかり歯止めが利かなくなったとみえる。
婚約破棄の危機に、暗殺未遂もかぁ。
はぁー、気が重たい。
私だって別に好きでハルト様の婚約者をやってるわけじゃないのに、どうしてこんな気苦労ばかり背負わなきゃならんのだ。
どれもこれもハルト様のせい、と心の中でハルト様に呪詛を送りながら、私は学園の敷地にある女子寮の一角でイヴァンと対峙する。
何故、女子寮に移動したのかと言えば、あらゆる面でセキュリティが万全のためである。
内緒話をするにはいい隠れ家。
もちろん男子禁制ではあるが、今は寮に住む子たちも授業に出払ってるだろうし、バレなければ何の問題もない。
私は仮にもハルト様の婚約者というだけあって色々と融通の利く立場にあるのだ。
普段があれなだけに、こういう時だけ「ああ私ってハルト様の婚約者なんだなー」と実感する。
「じゃあとりあえず、ユーリから淹れ方を教わった特製の紅茶でも飲む?」
部屋に着くなりイヴァンを椅子に座らせ、ティーカップ片手に問を投げる。
もちろん拒否権なんてないとも。
まあ、イヴァンが私やハルト様の言うことに否を唱えたことなんてないんだけどね。
「………恐縮です」
「茶葉は、隣の国で流行ってるらしいやつ。ユーリが調達してくれててね、いつの間にか増えてるんだよね」
「この部屋は、どういった目的で……?」
私の様子を見て、この部屋を使用する頻度の高さに気づいたらしいイヴァン。
私だって仮にも貴族を名乗るだけあって、いくらこの女子寮が安全面に長けていると言っても外泊を許されない身だ。
女子寮に部屋を持たないはずの私が利用しているのがおかしいのだろう、イヴァンは首を傾げていた。
「秘密基地かなぁ。幽霊が出るって言われる開かずの間だったんだけど、ヒルデが勝手に使い始めちゃってさ、私とユーリも時々サボりに利用させてもら……コホン!ええ、間違えました。遊びに来てるの」
「御三方は、本当に仲がよろしいのですね」
「ん〜」
仲が良い、と言われるとあまりしっくりこない。
なんだかんだ一緒にいることの多い、くされ縁みたいなものだ。
「イヴァンも、クラウディアさんと懇意にしているみたいだね?」
クラウディアさんの名前を出した瞬間、分かりやすく顔を強ばらせるイヴァン。
なんだか今日のイヴァンは表情豊かな気がするな。
「イヴァンってハルト様命って感じで、他の人とあまり関わろうとしなかったでしょ。立場上仕方ないんだろうけど、そんなイヴァンがハルト様以外の人と仲良くしてるのは私も嬉しく思うよ。学生の本分は一に勉強、二に青春だからね!」
「青春、ですか……」
「うん。だから、クラウディアさんをめぐってハルト様と争うのもアリだと思うよー全然。雇い主だからって遠慮することないし」
「な、なにを」
「あれ?クラウディアさんが好きだけどハルト様の想い人だし、色々悩んだ結果二人を応援するっていう苦渋の決断に至ったんじゃないの?だから障害物その1である私を狙って毒蛇を仕込んだんでしょ?」
「っ」
ガタンッ、と音がする。
イヴァンが勢い良く立ち上がったため、座っていた椅子が床に倒れた音だ。
図星か、それとも心外だ、という反応なのか。
「俺を、俺を罰してください、リーゼロッテ様。主の婚約者であるあなたを殺そうとした、主に刃を向けたも同然の行いです。決して許されるものではない」
「………」
「自覚を持ってください……!今、あなたは、自分を殺そうとした相手と二人きりなんですよ!?俺がいつ、あなたに再び殺意を向けてしまうか――」
ふう、とため息をつく。
「ま、とりあえずはさ」
―――紅茶でも飲まない?
ユーリ直伝、特製ブランドだよ、と言って私は興奮気味なイヴァンの前に紅茶と洋菓子を用意した。
「………」
「………」
「………い、いただきます……」
タイミングがタイミングなだけに、差し出された紅茶に困惑するイヴァンだったが、私がニコニコと無言で見つめていれば根負けしたように着席し、紅茶に手をつけた。
それを見て、私も自分の分の洋菓子を一つ頬張る。
うーん、美味しい。
このお菓子もユーリが用意したものだけど、彼女が選んだものは味もセンスも群を抜いてるんだよなぁ。
「この紅茶……なんだか不思議な香りがします」
紅茶に一口つけたイヴァンは、もとの落ち着きを取り戻していた。
「それじゃあイヴァン、一息ついたところで、あなたが私の靴箱に毒蛇を仕込んだ理由を教えてくれる?」
「……それは」
イヴァンはぽつりぽつりと語り始めた。
ハルト様とクラウディアさんの出会い。
ハルト様の傍らにいるため、自然とクラウディアさんとの交流が増え、次第に彼女のために何かしてあげたいと思うようになったこと。
それが―――自分にとって“ありえない”感情だったこと。
「俺は、俺のすべてを主であるハルト様に捧げています。それなのに、彼女に対して何かしてあげたいと思うなど」
「いいことなんじゃないの。大切な人が増えたってことでしょう?」
「いいえ!違います。違うんです、彼女に対する感情は、なんていうかその……幾重にも閉ざされた箱を切り裂いて、無理やりねじ込まれた、みたいな――すみません、口下手なもので上手く表現できなくて」
「……」
「とにかく自分がおかしかった。俺はそれを自覚していたけれど、だからと言ってどうすることもできませんでした」
ふむ。
私は言葉を挟まず、イヴァンの話に黙って耳を傾ける。
「次第に、自分の感情が制御できなくなって、このままではいつか、俺が俺でなくなってしまうのではと危惧しました。……ハルト様の婚約者である、あなたが邪魔だと思うようになってしまったのです。あなたがいなければ彼女はハルト様と結ばれるのに、と。実際はそんなこと、万が一にもありえないというのに、俺はどうしてかあなたを排除することばかり考えていました」
だから毒蛇を仕向けたのだろう。
動機は分かった。
しかしヒルデが言っていたように、あの蛇は既に絶滅寸前の種であり、用意するにはあまりに足がつきやすい。
呪いの効果もさほど高くないため、確実な暗殺を目論むならもっと別の手段を選ぶだろう。
そうしなかった理由はきっと―――
「……よく分かったわ。あなたは私を排除したかったけど殺せなかった。毒蛇を下駄箱に仕込んだ理由は、暗殺未遂で終わらせ罰を受けるためね?」
私が罰しないと宣言した時、まるでこの世の終わりだと言わんばかりの表情だった理由はそういうことなのだろう。
はぁ、と私はため息をついた。
なるほどね。
ハルト様に好きな人ができたと聞いた時、ようやくあの生真面目な方にも春が来たのかと嬉しく思ったけれど、事実はどうにも複雑そうだ。
「イヴァン。今この時もまだ、私を邪魔に思う感情はある?」
「……いいえ。不思議と、紅茶をいただいてからは……」
「そう。じゃあ決まりね。あなた、これから私の担任であるゴートン先生のもとに向かいなさい。この手のことは、彼の専門分野だから」
首を傾げるイヴァンに、私は告げる。
「紅茶ね、暗示を解くまじないがかかったものなの。あくまで一時的だけどね。持続効果はないわ」
「暗示――まさか」
そう、そのまさかだ。
今の会話で確信した。
彼女――クラウディアさんは、特異体質『魅了』の持ち主だ。