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暗殺未遂。

 


 昨日も言った通り、婚約を破棄したいのなら婚約をとりつけた家元に具申するべきだと私は切に思う。


「リーゼロッテ。きみとの婚約を破棄したい」

「はい、こちらリーゼロッテ。その話は昨日も聞きました、ええ」


 翌日いつも通りに登校すると、校門でハルト様が待ち構えているというデジャヴな光景が……。

 なんなの。このパターン日課になっちゃうの?


「ハルト様、暇なんですか」

「いや、学園での私の予定は常に分刻みだ」

「はぁ。凄いですね、そういえば学園代表を務めてるくらいですもんねぇ」

「嫌味を察しろ!忙しい中、わざわざきみに会うために時間を割いてやってるんだ!」


 頼んでない。

 私は昨日と同じように喚くハルト様をスルーして、昇降口に向かった。

 流石に遅刻をして学んだのか、私の歩む足を止めることはせず後からついてくるハルト様。


「……なるほど。ストーカーをするためにですか?」

「そんなわけあるか!きみは俺を何だと思ってるっ」

「愛しの婚約者様ですが」

「!?」


 私は昨日の一件を根に持っていたりする。

 仮にも婚約者の前で堂々とクラウディアさんとイチャつくのは何事か、と嫌味を込めて「愛しの婚約者様」なんて語気を鋭く発言すれば、ハルト様は予想外の言葉に驚いたのか固まった。

 目を見開き、口をあんぐりと開けている姿は少しマヌケだ。


 ハルト様がいくら浮名を流そうが、私がハルト様の正式な婚約者であり続けられるのなら別に構わないんだよ。

 前にも言ったように、私は愛人には寛容だ。

 だけどさすがに目の前で見せつけられるのはねえ?

 幼少期から付き合いのある身としては、お砂糖みたいに甘いハルト様なんてハルト様じゃないから見たくない。


「り、リーゼロッテ?何を……」


 些細な仕返しは効果覿面だったようで、ハルト様はたいへん困惑している。


 いや、違うな。

 私の軽率な発言に怒っているのかもしれない。

 ハルト様の顔は熟れたトマトのように真っ赤だ。


「ハルト様。あなたが怒る気持ちも分かります。私みたいな形だけの婚約者からこんなことを言われても嬉しくないでしょう、ええ。でも私だってこんなことを言ってしまうほどには怒り心頭なんですよ」

「待て、何を言っている。俺は怒っているわけでは―――」

「今にも噴火してしまいそうな顔色では説得力もありませんが」

「……!なっ、そ、そうだ。私は怒っているんだ。だからこれは断じて、照れているわけではないぞ!?」


 わざわざ口に出して否定しなくても分かってますよ、とため息をつく。

 ハルト様は自分の顔を隠すようにして、足早に去っていった。


 あーあ。ひょっとして、明日も校門のあたりで待ち伏せしてたりしないよね?

 婚約を破棄する、しないの押し問答が日常的になってしまいそうで、私は再び深くため息をついた。


 何にしても今日は遅刻しなくて済みそうだ、と下駄箱の扉を開けた瞬間――。


「ギュルルゥゥ!!!」


 毒々しい色の何かが呻き声を上げながら現れ、鋭く尖った牙を剥き出しに、大きく口を開けて迫ってきた。

 ―――蛇だ。


「!」


 噛まれるっ!


 私は体を後退させようとするが、間に合わない。


「リーゼ!!」


 痛みを覚悟して目を瞑った瞬間、ヒルデの声が聞こえた。


 恐る恐る瞼を上げると、そこには素手で蛇を掴んでいるヒルデがいた。

 間一髪のところで助けてくれたらしい。


「大丈夫か?リーゼ」

「ヒルデ……。あ、ありがとう」

「おうよ。にしてもなんでこんなところに蛇がいるんだ。迷い込んだのか?」


 ヒルデが蛇を吊し上げながら首を傾げるが、それはないと思う。

 下駄箱の扉の内側にいたことから、どう考えても故意によるものだ。

 イタズラにしては度が過ぎている。

 一体誰がこんなことを……。



「びっくりですわねぇ。婚約者のハルト様愛人問題に続き、下駄箱に蛇とは不吉ですわ」


 教室に辿り着くと、例によってすべてをご存知なユーリが目を伏せて嘆いていた。


「それにしても蛇の種類が“ヒドラ”なのも、嫌がらせ……というよりは殺意すら感じてしまいますわね」


 ユーリはヒルデが抱える虫かごを一瞥する。

 生き物を殺したら可哀想だろ、と言ったヒルデがどこから持ってきたのか虫かごに収納し、そのまま彼女が飼うことにしたらしいが、この蛇ってそんなに危険な品種なの?


 私の疑問に答えたのはヒルデだった。


「ああ。言い伝えによればその昔、100の首を持つ水蛇の怪物が首の数だけ分裂したのが今の姿なんだとよ。牙には猛毒、噛まれれば命の危険もある。でも本当に厄介なのはその蛇を殺しちまったとき。こいつは死んだ後に仲間を呼ぶんだ。自分の無念を晴らせ、雪辱をくれてやれ、自分を殺した人間を殺せ!とな」

「ええ……」

「そうですのよ、リーゼ。恐ろしいことに、何十匹もの毒蛇がその人間のもとに大挙しますの。現れた蛇を殺せばさらに別の蛇が、そしてまた別の蛇が。キリがない。ヒドラを殺してしまった人間は、死ぬまでヒドラに狙われ続ける……別名呪いの蛇ですわ」

「こわっ。なにそれ、こわ!てゆーかヒルデはそんな蛇を飼おうとしてるわけ!?」


 やめといたほうがいいよ絶対!


「暗殺用にしては最高の生物兵器ですものねぇ。蛇を放っておくだけで、毒による殺害に失敗しても、対象が自己防衛のために蛇を殺傷してくれればそれだけでいいのだから」

「暗殺!?」


 ユーリの物騒な言葉に反応すれば、「あら、ご存知ありませんでした?」とキョトンとした表情で首を傾げられる。

 ご存知あるわけないだろ、むしろ暗殺用にはもってこいだとか、そういう一般人が知りえない情報をどこで得ているんだあんたは。


「ヒルデ、やっぱり飼うのは危険じゃ……?」

「大丈夫だって。ぶっちゃけヒドラっつーのはもう、絶滅寸前の品種だからな。呪いの効力もさほど高くないだろうさ。アタイがたっぷり可愛がってやるよ」

「……」


 虫かごの蛇を見るヒルデの瞳が、猛禽類のそれに重なってみえたのは錯覚だろうか。

 完全なる捕食者の目だ。


「そんなことよりリーゼ、気にはなりませんの?」

「えっ、何が」

「何がって……蛇をあなたの下駄箱に仕込んだ犯人についてですわよ。まさかヒドラが自然発生した、なんて馬鹿なことを考えてはいませんわよね?」

「……それは」

「希少価値の高いヒドラを入手できる立場にあり、あなたに死んでほしいと思うほど恨みつらみを募らせている、またはあなたが死ぬことで得をする人物――時期が時期なだけに、特定は容易そうですけれど」

「まさかクラウディアさんを疑ってるの?」


 私の問いかけにユーリは扇子で口元を隠し、曖昧に微笑んだ。

 否定ともとれる仕草だけれど、悪友という括りにいる私からすればそれは完全なる肯定を表しているのだと判断できる。


 確かにクラウディアさんがハルト様に懸想しているのは昨日のやりとりから見て取れるし、婚約者である私が目の上の瘤なのも分かる。

 だけどハルト様の寵愛を受けているのなら、単なるお飾りでしかない私を殺そうとする意味はまったくないと思うんだよねぇ。


 こちとら政略的な婚約なのだから、私が死んでも次の候補がハルト様に宛てがわれるだけ。

 立場的な問題から、クラウディアさんが正室に選ばれることはまずないと断言できるし。

 だったらハルト様の心の本妻として囲われていた方が大団円な気がするんだよ。


 それに私の直感が告げている。

 あの蛇は、彼(・)の仕業だと。


「クラウディアさんがどういう人かまだよく分からないからはっきり言えないけど、蛇をけしかけるような子じゃないよ、たぶん」

「―――リーゼったら本当に」


 しようのない子ねぇ、とユーリたちに呆れられた。




 *




「リーゼロッテ。昨日の話の続きだが」

「はい、こちらリーゼロッテ……またですかハルト様」


 やはり日課と化してしまうのか。

 翌朝、校門の前に佇む見慣れた人物を目にしてため息がこぼれた。


「そもそもハルト様、私が時間ぎりぎりに登校してくることはご存知のはずでは?どうして毎回、時間のない朝に私を待ち伏せしているんですか」

「私も多忙の身だ。面と向き合ってきみと話ができる機会はそう多くない。……婚約者だというのに、二人で話す機会がないというのもおかしな話だが」


 今更な話だろう。

 ハルト様は貴族の務めを果たしつつ、忙殺を極める中、空いた時間を見計らって学園に通っている。

 そのうえ学園内では代表役として立ち回っているので、本当ならこうして毎朝私を待っていられる余裕はないはずだ。


 ―――今まで、ずっとそうだった。


「形だけの婚約者ですからね。まあその形すら、ハルト様はなくされたいようですけど」

「……リーゼロッテ」


 ハルト様が苦虫を噛み潰したような表情をする。

 なんなんだろう、この人の反応は。

 婚約を破棄したいと言い出したのはハルト様の方なのに、どうしてそんな顔をするのか理解できない。


「リーゼ、私は……」

「―――ハルト様」


 ハルト様の絞り出すような声に被せ、彼の名が少し離れた場所から呼ばれる。


 振り返った先にいたのは、ハルト様の護衛を務める男子生徒だった。


「お時間が迫っています。このままでは、視察の時間に間に合いません」

「イヴァンか。……済まない、すぐに行こう」


 この話はまた今度、と言い残し、足早に立ち去ったハルト様。

 その背中が見えなくなる頃に、未だその場に残る視線を辿った。


「……あなたは行かないの?」


 先程ハルト様に「イヴァン」と呼ばれた男子生徒。

 表向きハルト様の学友として学園に通っているが、実際は年齢はおろかイヴァンという名前すら虚実がはっきりしない、謎の多い人物でもある。


 そして聞くところによれば、彼もまた、クラウディアさんに特別な感情を抱いているとかいないとか。


 イヴァンは私をじっと見つめたまま微動だにしない。

 ハルト様の護衛役を請け負っているはずなのに、こんなところで油を売っていていいのかと疑問に思ったけど、まあちょうどいいかと私は口火を切る。


「―――ねえイヴァン。あなた、蛇は好き?」


 脈絡のない質問だ。

 イヴァンは何かを考えるように目を細め、「いえ」と低い声で簡潔に答えた。


「そ、残念。あなたにプレゼントしたいものがあったのだけど」

「……リーゼロッテ様、ご無礼をお許しください。失礼ながら、あなた様にご忠告申し上げます。ハルト様とのご婚約につきましては、考え直した方が得策かと。このままではいずれ死人が出ます」

「そうは言われても婚約については私が決められることじゃないんだなー、これが。というか、死人が出るって一体どういうこと?」


 イヴァンの一挙手一投足、彼の挙動を見逃さないためじっと見つめたが、やつは顔色ひとつ変えていない。

 うーん、こういう駆け引きって苦手なんだよなぁ。

 いっそ単刀直入に聞いてしまおうか。


「あんたが下駄箱に蛇を仕込んだんでしょ」と。


「イヴァン。あなたは私とハルト様との婚約を快く思っていないみたいね。私みたいな出来損ないの貴族もどきでは、あの人の伴侶に相応しくないと?それとも何か、別の理由があったりする?」

「……」


 イヴァンは黙り込んだまま答えない。

 否定の言葉すらないなんて、なんだかショックだ。


 イヴァンとは数年前、彼がハルト様の護衛としてその任についた頃から面識があるが、そうかそんなに疎まれてたのか。

 或いは……。


「―――人を好きになって、短慮になった?」


 きつく咎めるように口にした。


 イヴァンが女の子に血道を上げる姿なんて想像もできないけど、ハルト様の友人は軒並みクラウディアさんを好意的に思っているらしいとヒルデも言っていたし、決して有り得ない話ではないだろう。

 もしくは惚れた腫れたの感情でなくとも、クラウディアさんの友人として彼女の恋を応援しようとしたのか。

 いささか短絡的な犯行ではあるが、もし私の推理が正しいのなら殊勝な心がけだと思う。


 他人を蹴落としてまで恋を成就させてあげようだなんて、普通の感覚を持った人間には一生理解できない動機だろう。


「私が脱落したところで、ハルト様には次の婚約者が宛てがわれるだけ。それは決して、クラウディアさんではない」

「………承知しております」

「じゃあどうして」


 イヴァンは質問に答えない。


「何故。俺の方こそ、疑問が尽きない。リーゼロッテ様、そこまで分かっていながら、何故俺を咎めないのです。俺はあなたを殺そうとしたのに」

「まあ、結果生きてるからね。死んでたらあなたを呪ってただろうけど、ヒルデに助けられたし。それに、私はあなたを評価してる」

「――評価……?」


 どんどん曇ってゆく目の前の顔。

 理解に苦しむ、とその表情が訴えていた。


「あなたは三度、ハルト様の身代わりとして死にかけている。一度目は毒味で、二度目は魔導による呪い。三度目は、暴漢による凶刃。身を呈してハルト様を庇い、三日三晩生死の境をさまよったこともあると聞いてるから、あなたのハルト様への忠誠は、揺るぎないものだと確信してるの」

「……過分なお言葉です」

「だから、二度とこんな真似をしないと誓うのなら、特に咎める理由はないわ。此度のことは、なかったことにする」

「つまり俺を、赦す、と」


 まるで極刑を言い渡されたかのような悲痛な声色だった。

 ああ、やっぱりか、と私はため息をつく。


「イヴァン。今、ハルト様の護衛は?」

「代わりの者がついております」

「じゃあ、今のあなたはフリーなのね。こんなところでいつまでも立ち話はなんだから、移動しましょう」


 始業のチャイムはとっくに鳴ってしまっている。

 毒を食らわば皿まで、このまま授業をサボってしまおう。

 後でゴートン先生に怒られてしまうだろうが、それも仕方ない。


「ということだから、適当に誤魔化しておいて」と、きっと今も聞き耳を立てているのだろう悪友に向かって、私はそう言葉を投げた。


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