エレオノーレ(3)
まだ戦闘引っ張るよ!
「よろしくお願いします。―――私はアレの相手をします」
視界を阻む濃い闇に満たされた崩した壁の向こう。アルフォンスが生み出す光も届かぬそこにいるそれをエレオノーレは見る。
それがいることへの予想をエレオノーレは全くしていなかった。ローパーが進化するものとはいえ、薬屋で聞いた情報やここに至るまでの痕跡からもその者の痕跡はなかったのだ。
倒した事は何度もある。だが、事前の準備がなければそれに致命傷を与える事はエレオノーレには不可能だった。
壁の向こうに足を踏み入れながらエレオノーレは手持ちの装備を確かめる。
(投げナイフは投げた奴を回収したから二十本のまま。薬は……右腰のポーチに傷薬が十本。左腰のポーチに発火剤と凍結剤が五本……ベルトに下げた爆薬が三つ。右太もものポーチには燃料油と毒消しが五本。左太もものポーチは音響剤と閃光剤が五個ずつ……)
持ってきた物はそれなりに吟味したものではあるが、これから戦う相手には殆ど効果が出ない物もある。例えば空気に触れた状態で強い衝撃を受けると、幾百もの硝子を叩き割ったような音を発生させる音響剤はこれから戦う相手には耳がないので効果はなく、同条件で太陽のような輝きを数秒だけ発生させる閃光剤もその相手には目が無いので効果は全く望めそうにない。
(爆薬と凍結剤を上手く使わないと……)
発火剤も使えるには使えるが使い時を考慮せねば全くの無駄で終わってしまう。燃料油と上手く組み合わせれば効果は数倍にも広がるが、それで倒すにはいかんせん発火剤も燃料油も数が足りない。
暗闇の奥、悠然と聳えるその敵をエレオノーレは見据える。
「まぁ何取り込んでここまで大きくなったんだか……」
出した言葉に答える者はいない。それには音を聞く耳も獲物を見据える目もない。ただローパーと同じように温度感知で動き、獲物を捕らえるのだ。
「スライム如きにやられる事はありませんが面倒な相手にはなりそうですね……」
盗賊の祠の最奥。広い事だけが取りえのそこに悠然と、聳え立つようにスライムはいた。
エレオノーレの背は決して低くはない。並の男性と目線を同じくするほどに体格は恵まれている。だがスライムの大きさはまるで小山のようであった。
十分な食物の摂取によりローパーから進化したそれはローパーのそれより上の強酸性の身体を持ち、その触手は野を駆ける獣を捕らえる程の速度があり、またローパーの時に本能で動いていた時と違って意思を持つ者として〝神術〟が使える。
岩石と泥で作られた壁を構築したのはスライムに違いなく、また盗賊の祠に住み着いたという話もなかった為、恐らくは数時間ほど前に生まれたばかりの個体だろうとエレオノーレは推測した。
思う間にわらわらと生き残りのローパーがエレオノーレを囲むように集まってくる。それら全てを睥睨し、一度だけ瞳に映したあとエレオノーレは動いた。
その動きは一瞬だ。左の太股に右手を、右の上腕に左手をやって携帯ベルトから投げナイフを抜き、身体を踊るように一回だけ回して周囲を囲むローパーに投げつける。
それらは〝神術〟による弾道調整を受けてはいない。また視界も身体の安定しない身を回す中で投げつけた。それにも関わらずローパーの核を正確に撃ち抜き、その活動を停止させた。
マントがはためき、音と風が生まれる。それを開戦の合図とする様にスライムが動いた。十以上の触手をエレオノーレに伸ばし、その身体を自らの内に取り込もうとする。
並みの人間には反応出来ぬそれをエレオノーレは反応してみせた。大きくバックステップし、腰の二刀を抜いて迎撃する。
正面から三本が来る。頭、腹、腰だ。槍の様に尖らされたそれは並みの人間ならどこに当たっても致命傷であり、回避しようと動けば他の触手が迫る。
厄介なものだとエレオノーレは思う。本来スライムは一人で相手をするものではない。複数人で掛かり、討伐する大物だ。金糸が二、三人もいれば余裕であろうが銀糸の、しかも上がりたてのリンゼが相手をするものでは決して無い。
だがここにこんなものがいるとは誰も露ほどにも思わなかっただろう。純粋に運が悪かった。
腹と腰に来た触手を左手の狩猟刀で切り払い、頭に来たものを右の逆手で握った採取刀で払うと同時に慣性で飛んできたそれを右にステップしてかわす。切り離せば動きはしないが、強酸の効果は消えない為だ。〝命術〟による活性強化を施した状態ならばローパー程度の酸ではエレオノーレは焼かれないが、スライムの酸では致命傷にはほど遠いものの焼かれてしまう。
故に回避。回り込むように足元に来ていた触手を小さく跳躍して避け、絡めとる様に振り回された胴体狙いの幾本の触手を着地と同時に地面を転がって回避し、上から叩きつけるように降ろされた触手を、大地に手を打ち付けてその反動で加速跳躍して逃れる。吹き飛ぶ様に横に跳んだ身体に捻りを入れて制御し、つま先から地面に触れ、速度による力任せで身体を起こした。
「ふぅ……さてさて、どうしましょうかね。防御は出来るんですが……」
手強い獲物として認識されたのかスライムは先ほどの倍以上の触手を生み出してエレオノーレの周りにゆっくりと張り巡らせる。それらを見てエレオノーレは心底困ったように呟いた。
防御は出来る。捨て身やおかしな行動を取らなければ今より数倍の触手が来ても捌き切れる自信は鈍った身でも湧いてくる。だが、攻撃手段が乏しい。
これがローパーだったならば赤黒い核を壊して一瞬で終わりだっただろう。だがその上位種のスライムは核が透明で、外側からは決して見破る事は出来ない。
何か強い色を持つ物で染色しても核も同時に染まって決して分からない。更には核もそれなりに再生力があり、七割を失っても暫くすれば元に戻るという治癒力がある。
「せめて爆薬があと二つはあれば……」
爆薬が五個もあれば戦闘が始まった瞬間に全て投げつけ、跡形もなく吹き飛ばして終了だったが三個では全てを吹き飛ばすには少々不安が残る。スライムの身体は多少粘性があるがその手応えは水と同じだ。斬撃でも打撃でも射撃でも素直に通る。だがそれらの攻撃はスライムの身体が柔らかすぎてすぐに抜けてしまい致命傷になりにくい。エレオノーレの爆薬は炎を生み出さず、中に鋲を入れているわけでもない。純粋に炸裂時の衝撃波で吹き飛ばすだけのものだ。
「ちまちま削りますかねぇ」
そう呟き、二刀を改めて構えた時だ。彼女の脳裏に在りし日の光景が浮かんだ。
それは若い、修行時代の頃で、〝命術〟を編み出した頃の記憶。同じようにスライムと対峙していたその記憶は一つの打開策を彼女に与えた。
――そういえばそんな方法もありましたっけねぇ。倒せるかどうかは微妙ですけど。
「とりあえず最初はこれで」
ベルトに下げてある爆薬を一つ投げる。
緩い放物線を描いたそれは遅くはないが早くもない速度でスライムに到達する。
その爆薬が入っている丸い硝子瓶は彼女の昔からの知り合いに作らせた特注の品だ。〝神術〟による加護がかけられていて戦槌の一撃を受けてもヒビ一つ入らないように出来ている。
また、爆薬を入れる容器として、爆薬がその効果を発揮しやすいように内側からの衝撃に弱い構造になっている特性もある。
外からの衝撃に強く、内からの衝撃に弱い。爆薬専用の容器として誂えさせたそれは主の思惑通りにスライムに当たり、
(まぁそうなりますよねぇ)
ゆっくりと、底なし沼に足を踏み入れるかのようにスライムの体内へ沈んで取り込まれていく。
もちろん全力で投げればスライムの身体にぶつけて割る事も出来るだろう。エレオノーレの力なら水面へワイングラスを叩きつけるのと同じ様に簡単に割れる筈だ。
だがあえてそうしなかったのは勿論理由がある。
(そうそう。早く中心まで取り込んでくださいね)
スライムやローパーは取り込んだ獲物が体内に入るサイズならば自身の核の近くで消化する性質がある。
養分を即座に取り入れる為だとか獲物を万が一にも逃さないようにより深いところで溶かすだとか諸説あるが今はそれが仇となる。
爆薬の進行速度が緩やかになる。養分になるか否か判別出来る核の近くに到達するのだろう。消化出来ぬ物として判断されるぎりぎりの位置。
エレオノーレは手の平の中に忍ばせた岩の凹凸から握りやすい場所を感覚で探し、
「ふっ!」
力を滲ませた呼気と共に全力で投げつけた。
投げた岩が水蒸気を纏う。活性強化したエレオノーレの膂力によって音速を超え掛けているのだ。それは数瞬、という時間すら経たずにスライムの身体に直撃して風穴を開け、その奥にある爆薬目掛けて真っ直ぐに飛んだ。
爆薬に直撃し、戦槌の一撃を受けてもびくともせぬ硝子瓶が一瞬たわみ、耐え切れず木っ端微塵に砕け散る。
だがまだ爆発はしない。空気が必要だからだ。本来ならばスライムの身体に気泡などというものはないので砕けたとしても爆発はしない。だが今はエレオノーレが投石によって風穴を開けていて、そこから大量に空気が浸入して爆薬と反応し、
「どっかーん」
マントで身を覆い隠した直後、スライムの内から暴虐的な炸裂の衝撃波が迸った。
次回で戦闘終わる予定だよ!




