第5話 【破格】商会の巨頭に切望され世界一「豪華な工房」を得る
「君は……あの……あの男、イヴ・ヨハン・ルシフェールの息子なのか? 」
ゼペット・ゴールドバーグは、去ろうとするヨシトの背中を見つめながら、慌ててその後を追う。
彼の脳裏には、数十年前に出会った『あの男』の姿が鮮明に蘇っていた。
鉄を叩けば奇跡を呼び、宝石を磨けば星を降らせ、どんな物にも圧倒的な奇跡を見せる男。
だが、その瞳には常に何かに怯えるような影があった。
しかし、その伝説ともなった男の息子が、ゼペットの目の前の泥道を歩いている。
「おい、そこの君! 待ちなさいと言っているんだ。……頼む、待ってくれ。私の話を少しだけでも聞いてくれ! 」
ゼペットは老体とは思えぬ足取りでヨシトの元へと駆け寄った。
やっとの事で追いついた彼は、肩で息をしながら、しかしその眼光だけは鋭くヨシトを捉える。
「……あ、あの。お礼なら、大したことはしていないので……大丈夫ですよ。……それとも、やっぱりどこか具合が悪いんですか? 建て付けが悪いとか、車軸の馴染みが甘いとか」
ヨシトは困惑し、つい修理箇所を探すような目でゼペットの馬車を見てしまう。それは、根っからの職人病ゆえだ。
「いや、違う! 馬車は完璧だ。完璧すぎて恐ろしいほどにな。そんな事より……君、これからどこへ行くつもりだ? 君の予定を教えてもらえないか」
「どこへって言われても……。とりあえず、次の街で宿を探して、何か仕事がないか探そうかと。鍋の穴を塞ぐとか、農具を研ぐとか、そんな感じですけど」
その答えを聞いた瞬間、ゼペットは天を仰いだ。
あのルシフェールの『継承者』が、路地裏で鍋を叩く。
それは世界最高のダイヤモンドを漬物石にするような暴挙だ。
「……決めた。君、今日から私の『お客様』になってはくれないか? 」
「……はい? 」
「私の商会が経営する、王都近郊で一番の宿を貸し切ってやる。食事も、服も、全て最高級のものを用意させよう。いや、させてくれないか?」
「……その代わり、君のその『神の手』を、しばらくでいい、私のために預けてくれないか?」
ヨシトが口を開くより早く、肩の上のベルが「フンッ」と鼻を鳴らした。
「聞いたわね、ヨシト。このジジイ……じゃなくてステキなお爺様、なかなかお話がわかってダンディな紳士じゃない」
「最高級の宿なら、きっと泥水じゃないスープどころか、最高級の黄金精霊のコンソメが出るわよ。……あ、私はクリームたっぷりのホーンミルクもお願いね」
「ベル、勝手に決めないでよ! ……あの、ゼペットさん。僕は静かに働きたいだけで、そんな大層な生活は……」
「だったらなおさらだ。私の商会の庇護下に入れば、無粋な連中……たとえば、君をぞんざいにするような連中は一切近づけさせる事ない」
「君はただ、私の用意した専用工房で、心ゆくまで【リペア】を楽しんでくれればいい。君にも、悪い話ではないはずだ」
ゼペットは不敵に笑った。
彼は知っている、職人という生き物は最高の環境で、好きなだけ作業に没頭して良いという言葉に、何よりも弱いということを。
ヨシトは、右手の掌をぎゅっと握りしめた。
勇者レオンたちに貧乏臭いと捨てられた自分の手が、今、王都の大物であろう、この老紳士に切望されている。
その実感が、少しだけヨシトの凍てついた心を溶かし始めていた。
「……本当に、好きなものを、好きなだけ直していても良いんですか? 」
「ああ、もちろんだ。……ただし、直すものは私が多少、選ばせてもらうがね」
ゼペットの瞳に、老練な商人の光が宿る。
こうして、一人の追放された修理師は、図らずも世界で最も『豪華な工房』を手に入れることになった。
ヨシトはまだ、自分が【リペア】のつもりで施している仕事が、どれほど物理法則を置き去りにしているかを知らない。
それが、後に世界中の遺物や物事を塗り替えていくことになる奇跡の始まりだとは、ヨシト自身も、そして黒猫のベルも、まだ完全には理解していなかった。
次話より『夜21時に毎日連載』致しますので、
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