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第20話 【再臨】黒猫が取り戻した「業火の魔力」とおぼろげな記憶

 クラーケンの最期と共に、洞窟を支配していた重苦しい瘴気は、嘘のように霧散していった。


 紫色の粘液に塗り潰されていた地底湖は、本来の透明度を取り戻し、岩壁に灯る発光苔の淡い光を反射して、神秘的な瑠璃色の輝きを放っている。


「……本当に、見違えるほど綺麗になった。 これが、本来のこの水源の姿なんだね」


 ヨシトは湖の縁に腰を下ろし、清らかな水でクラーケンとの戦いで汚れた顔や腕を洗っていた。

 冷たい刺激が戦いの高揚と疲労を静かに冷ましていく。


 隣ではシルバーが、布を手に、ヨシトの背中や首筋に残った汚れを甲斐甲斐しく拭き取っていた。


「主様、あまり動かれないでください。まだ服の隙間に汚れが残っております。……ふふ、やはり主様には、このような濁りのない輝きがよく似合います」


 シルバーの翡翠の瞳は満足げに細められている。

 彼女にとっては、魔獣の討伐よりも、こうして主を『手入れ』することの方が重要で幸福な仕事であるようだった。


 そんなやり取りを、少し離れた岩の上で憮然とした顔で眺めていたベルが、ふと水面を見て声を上げた。


「ん……ちょっと、ヨシト。あそこをみて。 あの、岩棚の影に何か沈んでないかしら?」


 ヨシトが目を凝らすと、水が極限まで澄んだことで、今まで隠されていた、何かが見えた。

 シルバーが淀みのない動きで水中に手を差し込み、岩の隙間に挟まっていた古びた金属製の宝箱を引き抜いた。


「いい物を見つけたかもしれないわ。ヨシト、開けてみなさいよ。あんたの【リペア】なら、錆びついた鍵穴くらいどうにかできるでしょ」


 ベルに促され、ヨシトは箱の前に跪いた。確かに鍵穴は完全に腐食している。

 だが、ヨシトがそっと指を触れると、箱の内部構造が設計図のように頭の中に浮かび上がってきた。


「……【リペア】」


 静かな銀色の光が指先から漏れ出し、複雑な機構をあるべき形へと戻していく。

 カチリ、という小気味よい音が響き、長年閉ざされていた蓋がゆっくりと開いた。


 中に入っていたのは、金貨でも宝石でもなかった。色褪せたベルベットの上に鎮座していたのは、青白く脈動する 石だった。


 内部では、小さな稲妻のような火花が絶えず走り回っている。


「これ、ただの石じゃないよね? すごく強力な魔力を感じるんだけど」


 ヨシトが手を伸ばそうとした瞬間、ベルの目がこれ以上ないほど鋭く見開かれた。


「これは……『魔女の涙』。 この石は、魔女の系譜に連なる者しか扱うことができない魔力の結晶体よ。適性がない人間が触れば、瞬時に全身を焼き切られるわ……」


 ヨシトは慌てて手を引っ込めた。


 シルバーが即座にヨシトの前に立ち、剣の柄に手をかける。だが、ベルは構わずに、不思議な表情でその輝きを見つめていた。


「……思い出してきたわ。たしか……黒猫にされる前は、大魔女だったの……でも、なんで猫なんかに?……いったい誰に?……思い出せないわ???」


 ベルの声には深い悔恨が混じっていた。


「この魔女の涙を使えば……私の失くした記憶の回路の一部でも再び火を灯せるかもしれない。ヨシト、シルバー、ちょっと離れてなさい」


 ベルはそう告げると、迷いのない動きで魔石をパクりと口に含んだ。


「えっ……嘘だろ、ちょっと、ベル! ? そんなもの、飲み込むなんて無茶だよ!」


 叫びと同時に、地底湖全体が白銀の世界に変わった。

 ベルの小さな体を中心に暴力的なまでの青白い電撃が奔り、周囲の岩盤を容赦なく撃ち抜く。


 凄まじい衝撃波が広がり、ヨシトはシルバーに抱きかかえられて辛うじて吹き飛ばされるのを免れた。

 やがて光が収まった時、そこには一見、今まで通りの黒猫の姿があった。


 だが、その漆黒の毛並みは銀色の火花が時折走り、瞳の奥には恐ろしいほどの理知の光が宿っている。


「……ふう。流石に、この小さな体格でこれだけの魔力を受け止めるのは骨が折れるわね。でも、 完全とはいかないけど、ボンヤリ記憶が戻ってきたわ。とりあえずは、【電撃魔法】の術式がこの体に再接続されたみたいね」


 ベルは誇らしげに尻尾を立てると、ヨシトを見上げてニヤリと笑った。


「感謝しなさい、ヨシト。これからは私の雷で敵を黒焦げにしてあげられるわ。私のお手伝い賃は、これでさらに跳ね上がるわよ?」


「……よかった、ビックリしたよ。 無事ならそれでいいんだけど……」


 ヨシトは安堵し、放電しているベルを抱き上げようとした。


「あだだだだだだだだっ!」


「あら、不可抗力よ! ボンヤリと大魔女だった記憶は戻ってきたけど、まだ、霧の中のような記憶なの。ゴメンね、ヨシト」


 痺れた手を振るヨシト。だが、彼は確信していた。失われた力を取り戻し始めた大魔女と、最強の剣の精霊。そして物を直すことしかできない一人の職人。彼らの前には、まだ見ぬ未知の領域が広がっている事を。



挿絵(By みてみん)

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