第2話 【血統】 「悪魔の姓」を持つ修理師が抱える因果
「……いつまで死人のような顔をしているのかしら? せっかく磨けばソコソコ格好良くなりそうな顔なのに、それじゃあまるで台無しだわ」
ベルがヨシトの肩で大きな欠伸をしながら、小馬鹿にするように、けれど、見惚れているように視線を投げかける。
一人と一匹の背後にそびえるのは、王都の巨大な城壁。ヨシトは泥のついた鞄を抱え直した。
使い古した工具鞄の、脂の抜けた革の感触。その重みと、肩に伝わる猫の体温。
それだけが、今の彼にとって唯一確かな現実だった。
ベルが、下を向いているヨシトに声をかける。
「……どうしたの? ヨシト」
「……心配なんだ。僕がいなくなった後の、パーティの装備の手入れが」
「やれやれ、どこまでお人好しなのかしら。でも、そこがヨシトの良いところかしら」
ベルは鼻を鳴らし、器用にヨシトの頬を尻尾で愛おしそうに撫でた。
その黄金色の瞳が、闇を透かすようにヨシトの顔を見つめながら細められる。
「でも、心配すべきは、そんな過去の不燃ゴミどもの事じゃない様ね」
「……ねえ、貴方が隠し持っている本当の悩みは、貴方の名前にまつわる事じゃないのかしら? 猫の瞳は、人の心を覗くのが得意なのよ」
ヨシトは思わず足を止めた。
無意識に指先が、ポケットの奥にしまい込んだ薄汚れた王都での身分証明証に触れる。
そこに刻まれた文字は、彼が『栄光の輝き』にいた三年間、一度も口にしなかった呪縛のような名前だ。
「……『サン・ヨシト・ルシフェール』。それが僕の、本当の名前だ。……不吉だろう? 」
その姓を口にした瞬間、街道の空気の温度が僅かに下がった。
かつて幼いヨシトが父から聞かされた話を思い出す。
「いいか、ヨシト。我ら『ルシフェール一族』の名は呪いだ。決して人前で口にしてはいけないよ」
「……私のような『イヴ(夜明け前)』とは違い、『サン(太陽)』の名を持つお前の手が、これから一体何を直してしまうのか……私には恐ろしいのだ」
父の名は、『イヴ・ヨハン・ルシフェール』。
王国で最も腕のいい職人でありながら、なぜかその名を隠し、ただの修理屋として震えながら村外れの丸太小屋で隠れるように暮らす男。
この国において『ルシフェール』の名は、かつて世界を混沌に陥れた災厄の一族。
忌み嫌われ、歴史から消されるべき不浄の象徴……すなわち悪魔の名前であった。
「……僕にできるのは、鍋の底を叩くか、勇者の機嫌を取りながら剣を磨くことだけだ。この不吉な名前と一緒に、誰の目にも止まらず、ひっそり生きていければ、それでよかったんだ」
「クスクス……。太陽の名を冠しながら、影に潜んで道具を磨くなんて、最高に皮肉な話じゃない。猫の勘はね、貴方の名前よりも、その手の熱に驚いているのよ」
ベルはヨシトの顔を覗き込み、不敵な笑みを浮かべた。
「貴方がその手に宿しているのは、単なる修理の技術じゃないわ。壊れた因果そのものを強引に繋ぎ合わせ修復する、禁忌の業……そんな一族の名前が確か『ルシフェール』だったかしら。この脆弱な世界には、過ぎた名前かもしれないわね」
ベルは愉しげに喉を鳴らした。
理屈ではなく、圧倒的な直感で、彼女はヨシトの正体を見抜いているようだった。
ヨシトは黙って自分の掌を見つめた。
今もこの手には、ベルの命を救い、存在を書き換えた時の異様な熱が、微かな痺れとなって残っている。
(……もし、あの父さんの話が本当だとしたら)
「僕は、とんでもない呪いを抱えたまま、これまで道具を磨き続けていたのかもしれない……」
足元に広がる影が、夕日を浴びて不自然に長く伸びていた。
「さて、まずはその暗い顔を【リペア】するのが先決ね。腹が減っては神の業も振るえないでしょう。
「……そうだね。とりあえず、街まで歩こう」
ベルの軽口に、ヨシトの口元にわずかな笑みが漏れた。
裏切りと蔑みの中で、すべてを失ったはずの荒野。
けれど、ヨシトの肩に乗った小さな黒猫の重みが、今は不思議と、かつてのどんな重厚な鎧よりも頼もしく感じられた。
二人は王都に背を向け、未知の街道へと一歩を踏み出した。
それは、世界に平穏をもたらす救済か? あるいは全てを塗り替える崩壊の始まりか?
その答えを知る者は、まだ誰もいない……。
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