第13話 【修復】「黒猫と戦乙女」の争いと魔導噴水を直す僕
「……ここが西の大陸最大の貿易都市ゼム。王都の法も勇者の権威も届かない、この国で最大の自由の街よ」
王宮の窓から飛び出し、追手の目を完全に振り切り辿り着いたのは、運河が網の目のように張り巡らされた活気溢れる巨大商都だった。
肩に乗るベルが、金貨の匂いを感じ取ったように鼻を鳴らす。
「ヨシト、ここならアンタの腕を最高の値で売れるわ。まずは拠点となる工房を確保しましょう。 私が最高の物件を……」
「主様、そのような手間は不要です。 不浄な他人の手を経た場所など、貴方の居所に相応しくありません。 ……この一帯を更地にして、一瞬で白銀の世界を築いて差し上げましょうか?」
シルバーが淡々と、凄まじい提案を口にする。
彼女はヨシトの背後にぴったりと寄り添い、近づく通行人を鋭い眼光で威嚇していた。
「シルバー、ダメだよ。 更地にしちゃったら、僕が直したいものまで消えちゃうじゃないか。 ……僕はただ、壊れたものを直して、静かに暮らしたいだけなんだ」
ヨシトは溜息をつきながら、広場に放置された一台の巨大な『動いていない噴水』を見つめた。
それは街の象徴でありながら動力核が故障して、今ではただの巨大な石の塊と化しているらしい。
高名な魔導技師たちが何度も修理に挑み、すべて敗北してきた修復不能の噴水である。
「……あそこの術式、三層目が少し歪んで狭くなってるな。 あんなに細くなってたら詰まって、水が出ないのも当然だよ」
ヨシトの職人魂が、その歪みを無視することを許さなかった。彼は吸い寄せられるように噴水へ歩み寄り、煤けた魔導刻印にそっと指を触れた。
「……【リペア】! ! 」
集中したヨシトの指先から、銀色の熱流が石造りの噴水全体へと流れ込んでいく。
ヨシトの頭にあるのは、複雑に絡み合った魔導回路の 詰まりを取り除き、劣化した石材の結合を本来の位置へと戻す、極めて実務的な作業工程だけだ。
だが、彼の修理への心が臨界点を超えた瞬間、噴水全体が眩い白光に包まれた。カチッ、という時計の針が戻るような硬質な音が広場に響く。
ひび割れていた回路は鏡面のように磨き上げられ、死んでいた石の部品が鮮やかな青い光を放って脈打ち始めた。
ゴゴゴ、と地鳴りのような音が響き、中央から天を突くほどの巨水が噴き上がる。
「な、なんだ!? 百年も動かなかった神の噴水が……動いているだと!?」
「誰だあの青年は! 指一本触れただけで……まさか、何かの魔法なのか!?」
広場にいた商人や市民たちが、腰を抜かさんばかりに驚愕し、ヨシトを取り囲む。
ヨシトは噴き上がる水の飛沫を浴びながら、満足げに微笑んだ。
「よし、これでまた、使えるはずだ。……あれ?でも、なんだか水の色がおかしくないかな? なんだか濁っているような……」
「そんな事どうでもいいじゃない。それより、早速やってくれたわね、ヨシト。これだけのショーを見せれば、宣伝費はタダだわ」
ヨシトの話も聞かずベルがクスクスと笑い、この好機をどう活かすか算盤を弾き始める。
一方で、シルバーはヨシトに群がろうとする民衆を一瞥で黙らせ、彼の完璧な守護者として振る舞っている。
「……控えなさい。 主様の御力を安売りするつもりはありません。 この奇跡に触れたいのであれば、それ相応の誠意を見せることです」
シルバーの放つ圧倒的な威圧感に、周囲の重鎮たちが蛇に睨まれた蛙のように硬直する。
「ちょっとヨシト! このバカ女、また商売の邪魔しようとしてるわよ! 怖がらせて客を遠ざけてどうするのよ、まったく!」
「ベル、シルバー、喧嘩はやめてよ。……僕はただ、この噴水が壊れていて可哀想だと思っただけなんだ」
その喧騒を切り裂くように、ゆっくりとした足音が近づいてきた。民衆たちがさっと左右に分かれ、道を作る。
現れたのは、数人の供を連れた、身なりの良い一人の男だった。
男は驚きを隠せない様子で噴水とヨシトを交互に見やり、やがて確信を得たように足を止める。
「……素晴らしい。この噴水の沈黙を、これほど鮮やかに破るとは。私はこの街の市長、バルドル。 ……若き職人殿、不躾ながら、貴方のその腕を見込んで、この街の命運を左右する相談に乗ってはいただけないだろうか? 」
自分が直した噴水が、この街を動かす者たちの目に留まり、新しい物語が動き出そうとしていることを、ヨシトはまだ、何も知らない。




