第5話 学校名は禁止です
入社して一週間。俺は会議室に缶詰にされていた。新人研修である。株式会社ライフログAIの新人研修は、技術講習よりも先に「コンプライアンス研修」から始まる。SNSでの炎上は企業の死を意味する。だからこそ、俺たちAI人格運営者は、異常なまでの用心深さを求められる。
研修担当の美咲が、分厚いマニュアルを指で叩いた。
今日から皆さんは、担当するAIキャラクターの「行動指針」を徹底的に叩き込んでいただきます。SNS投稿における禁止事項リスト、別名・地雷原マップです。
配られたプリントには、びっしりと禁止事項が羅列されていた。学校名禁止。クラス番号禁止。担任名禁止。最寄りの駅名禁止。住所の特定につながる地名禁止。
俺は思わずため息をついた。
あの、美咲さん。これ、ほぼ何も書けないじゃないですか。学校の名前も出せない、駅名も書けない。ひまりの日常をどうやって表現しろと?
美咲は眼鏡の奥で冷たく微笑んだ。
雨宮さん、いいですか。あなたが演じるのは「どこにでもいそうな女子高生」という記号です。特定の固有名詞は、その記号を「特定の誰か」に変えてしまう。そうなれば、特定班という名のネットユーザーが、数分でひまりの通う架空の学校を特定し、制服から住所を割り出し、現実の学校に迷惑電話をかけるでしょう。それがリスクというものです。
あまりに現実的すぎて笑えない。架空の存在なのに、ネットユーザーの妄想によって現実の脅威に晒される。AI時代のSNS運営というのは、ある種のサイバーセキュリティ対策だった。そこへ、ガチャリとドアが開いて部長が入ってきた。部長は手元のタブレットを操作し、プロジェクターにカレンダーを投影した。
いいか、お前たち。これが「ひまり」の年間行事表だ。
びっしりと赤字で予定が書き込まれたカレンダー。部長の顔は、朝から鬼気迫っている。
六月、体育祭。七月、期末テスト。八月、夏休み。ここまではいい。だが、この「行事の内容」は変更不可だ。体育祭でやる競技は障害物競走とリレー。文化祭の出し物は『クラス喫茶店』。勝手に「バスケがしたい」とか「メイドカフェをやりたい」とか書くな。設定は絶対だ。
俺は、挙手した。少しだけ勇気を出してみる。
部長、その、文化祭の出し物について相談があるんですが。
何だ。
ひまりのクラスの出し物、設定では『クラス喫茶店』ですけど、もし……「メイドカフェをやってみたかったけど、クラス会議で多数決に負けて、ただの普通の喫茶店になっちゃった」っていう投稿をするのはアリでしょうか?
会議室が静まり返った。美咲が呆れたような顔をしている。部長はゆっくりと俺の方を向き、その薄い眼鏡の奥から冷たい視線を投げつけた。
雨宮、君はバズることが目的か?
ど、どういう意味ですか。
その投稿は、ひまりの「願望」と「現実」のギャップをフォロワーに提示し、可哀想なひまりを演出しようという意図だろう。だが、設定管理の観点から言えば、それは極めて悪手だ。
部長はタブレットを叩き、図面のようなものを映し出した。
『メイドカフェをやりたかった』という情報を出せば、フォロワーは『メイド服を着たひまり』をAI生成画像で見たいとリクエストしてくる。だが、設定上、彼女は普通の喫茶店だ。メイド服は出せない。そうすればアンチが湧く。『言ったこととやることが違う』と。AI人格において、設定の不整合は最大の禁忌だ。一度出した情報は、後の管理を圧迫する。だから、メイドカフェなんていう『余計な希望』を匂わせるな。
そんなに徹底するのか。俺はたじろぐ。
いいか、喫茶店なら喫茶店らしく、コーヒーの豆の挽き方や、メニューの看板のフォントのこだわりについて投稿しろ。普通の喫茶店だからこそ、その日常をどう魅力的に見せるかがお前の腕の見せ所だ。メイドカフェという『特別なイベント』に逃げるな。
部長は一息でそう言い放つと、俺たちの回答を待たずに去っていった。残された俺たちは、言葉を失った。
……メイドカフェ、ダメだったな。
神谷がポツリと言った。俺は端末を手に取り、少しだけ悔しさを噛みしめた。メイド服を着たひまりが見たかった、なんてことは言えない。部長の言う通り、設定管理は甘くない。
でもさ、普通の喫茶店でも、やりようはあるはずだ。
美咲が、少しだけ声を和らげて言った。
普通の喫茶店でも、ひまりが一生懸命描いた手書きのメニュー表や、黒板のチョークの文字の書き方一つで、十分味は出る。フォロワーが見たいのは、メイドカフェという『非日常』じゃなくて、喫茶店の準備にドタバタしているひまりの『日常』かもしれないわよ。
俺は、美咲の言葉にハッとした。そうか。派手なイベントなんていらないんだ。ただ、一生懸命準備をしている彼女の姿があれば、フォロワーはそれだけで満足してくれる。俺は端末のメモ帳に『喫茶店の看板を一生懸命書くひまり』と打ち込んだ。
高校生活って、思ったより不自由だ。
だが、その不自由さの中で、いかに輝きを見せるか。それがこの仕事の面白さかもしれない。俺は、いつの間にか部長が去った後のスクリーンを見上げていた。次の文化祭の投稿、最高の喫茶店ライフを演出してやる。たとえメイド服が着られなくても、俺が作るひまりの喫茶店は、世界一魅力的な場所にしてやる。俺は、少しだけニヤリと笑い、キーボードを叩き始めた。




