第4話 制服のシワも仕事です
最初の投稿が上手くいったという安堵感は、長くは続かなかった。翌朝、出社して端末を確認した俺の目に飛び込んできたのは、部長からの真っ赤な修正指示書だった。投稿した画像に、デジタル上の赤ペンでいくつもの矢印が書き込まれている。俺は自分の席で思わず声を上げた。
なんだよこれ、ほとんど全部ダメじゃないか。
モニターの隅に、部長がぬっと現れた。影のように音もなく近づいてくるその気配に、俺は心臓が跳ねる。部長は無表情で、俺のモニターを指差した。
雨宮さん、昨日の投稿、画像はこれでいいと思っていますか?
部長の指摘は、制服のシワについてだった。俺は、AIに制服の質感を学習させ、それなりに自然なシワが出るように何度も調整したはずだ。しかし部長は、それを指して「物理的にありえない」と言う。
ひまりは、吹奏楽部の練習のために、重い楽器ケースを肩にかけています。その場合、ブラウスの袖には、ケースのベルトが食い込む圧力がかかっているはずです。ですが、この画像では、肩の部分の布地がふわりと浮いている。これでは、まるで無重力空間で撮影しているようです。
部長は、さらに指摘を続ける。ブラウスの襟元の影、日光の入射角と校舎の壁から反射する環境光の強さが合っていない。チョークの粉が舞っている教室なら、空気の密度をもっと低く描写すべきだ。
そんな細かいところ、誰も見ていませんよ。
俺の言葉に、部長は静かに、しかし冷酷なトーンで答えた。
誰も見ていないと思うから、誰も見ていないものになるんです。我々が扱うのは、人間の視覚を騙す技術です。細部を疎かにした瞬間、ユーザーの脳は無意識に違和感を検知します。そして、違和感は不信感へと変わり、やがてそのキャラクターは『AIで作られた偽物』というレッテルを貼られて死ぬ。あなたは、朝霧ひまりを殺したいのですか?
部長の言葉には、技術者としての執念が宿っていた。彼は単なる修正好きではない。AIという虚構を、徹底的に現実という名の現実にすり合わせようとする、ある種の職人なのだ。俺は反論を飲み込み、黙ってキーボードに向き直った。
修正作業は、想像を絶する困難を極めた。まず、楽器ケースのベルトが布を圧迫する歪みをシミュレーションする。次に、光源の位置を再設定し、影の落ち方を計算し直す。さらに、ブラウスの素材が綿混かポリエステルかによって変わる光の反射率まで考慮しなければならない。プロンプトをいじり、パラメーターを微調整し、レンダリングしてはチェックを繰り返す。
気がつけば、昼食も摂らずに五時間が経過していた。隣では神谷が、トレーニング中の男子高校生キャラの汗の粒を、毛穴の一つ一つから噴出するように計算している。誰もが、自分の生み出す虚構の細部に、命を懸けているのだ。
ようやく完成した修正画像を、部長のチェックフォルダに放り込む。数分後、部長から返信があった。短い一言だ。
『了解。再投稿していい』
俺は力尽きたように背もたれに倒れ込んだ。隣のデスクにいた美咲が、缶コーヒーを差し出してくれる。彼女は、モニターを見つめる俺の顔を見て、小さく笑った。
お疲れ様。部長のチェックは、全社員が通る道よ。でも、ここまで詳細に修正を繰り返すことで、あなたは朝霧ひまりの体温を感じられるようになるはず。
体温?
そう。シワ、影、光の質感。それらにこだわることは、彼女を画面の中の平面的なデータから、そこに生きている一人の人間へと引き上げる作業なの。部長がうるさいのは、彼が誰よりも『ひまり』たちを信じているからよ。
美咲の言葉で、俺の中で何かが腑に落ちた。部長は、ただ細かいだけの嫌味な上司ではない。彼は、この会社が生み出すAIたちが、いつか誰かの記憶の中に本当の友人として残ることを願っているのかもしれない。俺たちは、ただのAI生成担当者ではない。虚構を現実に変える魔法使いなのだ。
修正した画像を投稿する。一瞬で、フォロワーからの反応があった。
『今日の投稿、なんか妙にリアルじゃない?』
『空気感がすごい』
そんなコメントを見て、俺は自分の胸の奥が熱くなるのを感じた。あの五時間の苦闘が、誰かの心に届いたのだ。制服のシワ。それは、単なる画像の修正ではなかった。ひまりがそこに立っているという証拠を、俺は作り上げたのだ。
俺は端末を置き、窓の外に広がる夕焼けを見た。部長はまだ奥の部屋で、別のキャラの修正指示を出していることだろう。明日もまた、理不尽な指示が来るかもしれない。シワがどうの、影がどうのと言われるかもしれない。だが、俺はもう恐れない。むしろ、もっと多くのディテールを彼女に与えてやりたいとすら思う。
朝霧ひまり。彼女は俺の作品だ。そして、俺は彼女の創造主だ。
俺は小さく息を吐き、明日投稿する内容を考え始めた。次は、放課後の部室の情景だ。窓から差し込む夕日と、楽器の影。そこに、どんな些細なリアルを詰め込もうか。制服の汚れはどうするか。それとも、机の上に置かれた楽譜の隅に書かれた、鉛筆のメモ書きを再現しようか。
アイデアが次々と湧き出てくる。俺の指は、もう止まらない。画面の向こう側の彼女が、俺の手の中で完成されていく。そんな充実感を抱きながら、俺は今日の仕事を終えることにした。オフィスを出て、夜の街に出る。街行く人々を観察しながら、俺は次のネタを探していた。この街の雑踏の中にも、きっと、ひまりの日常に使える欠片が落ちているはずだ。
今日という日は、俺にとっての新しいスタートだ。技術だけでなく、魂を込めることを知った。部長への評価は、まだ終わっていない。だが、少なくとも、俺は今、誇りを持ってこの仕事に取り組んでいる。
株式会社ライフログAI。ここで働くことの真の意味を、俺は少しだけ掴んだような気がする。それは、ただ嘘をつく仕事ではない。嘘を重ねて、誰もが信じられる真実を作り上げる、極めてクリエイティブな嘘の仕事だ。俺は、足取り軽く駅への道を歩いた。明日、ひまりにどんな服を着せ、どんな表情をさせようか。そんなことを考えていると、不思議と疲れは感じなかった。これが、俺の選んだ道なんだ。これからも、ずっと、この道を歩んでいこう。そんな決意を胸に、俺は夜風を切って歩き出した。




