第3話 初投稿は難しい
白い画面の中央で、カーソルが点滅を繰り返している。それはまるで、俺の思考が停止していることを嘲笑っているようだった。株式会社ライフログAIでの研修も三日目。俺に与えられた端末には、朝霧ひまりの初期設定と、キャラクターデザインのデータが格納されている。あとは、俺が彼女としてSNSに第一声を投げるだけだ。だが、それがどうしてもできない。
スマホを握りしめ、俺は溜息をつく。高校二年生。吹奏楽部。犬派。甘いもの好き。数学苦手。情報が整いすぎているせいか、かえって人間味が感じられない。俺が打つ文章は、どれもこれも説明臭いのだ。
今日は高校二年生になって初めての登校日。新しいクラス、ちょっと緊張するけど、吹奏楽部の練習頑張るぞ!
……寒気がした。どこぞの安っぽいドラマの台詞ではないか。こんな投稿をしたら、AI生成特有の「薄っぺらさ」が見透かされてしまう。フォロワーは敏感だ。少しでも不自然な挙動があれば、即座に「中の人」や「管理運用」の影を感じ取る。今の時代、SNSでのなりすましやトラブルは社会問題化している。ユーザーは、まるで粗探しをするかのように、些細な違和感に鋭く反応するのだ。
俺は端末を放り出し、会議室で行われている研修へと向かった。そこには、俺と同じようにキャラクターを抱える同僚たちが集まっていた。講師役の美咲が、ホワイトボードに大きく『匿名性と実在感のジレンマ』と書き殴る。
いいですか。皆さんがこれからやるのは、ただの投稿ではありません。SNSリテラシーの極致を体現することです。皆さんの担当キャラクターは、この世に存在しません。しかし、フォロワーには「実在する」と信じ込ませなければならない。そのために最も重要なのが、徹底した情報の遮断です。
美咲はプロジェクターのスイッチを入れた。スクリーンには、不採用となった投稿画像のサンプルが映し出される。
例えばこれ。先週の研修生が投稿した画像です。制服の校章が見切れている。これだけでアウトです。制服から学校が特定されるリスクがある。次にこれ。背景の駅名看板。これもアウト。そしてこれ。窓の外に写り込んだ特徴的なビル。これだけで、キャラクターの居住区が絞り込まれてしまう。
俺は冷や汗をかいた。そんなことまで気にしなければならないのか。
部長が割って入ってきた。彼は、修正の鬼と呼ばれる男だ。その視線が、俺たちの中を鋭く貫く。
学校名は禁止。クラス番号も禁止。担任の名前も禁止。校章の形一つで、特定の私立高校だと特定されるケースもある。我々が運用するのは、特定の誰かではなく、誰もが「私の高校時代」を投影できる『記号』です。なのに、特定の属性が混じると、記号としての機能が死ぬ。いいか、リアリティは『情報』で作るんじゃない。情報と情報の『隙間』で作るんだ。
部長の言葉は、俺の頭を殴ったような衝撃を与えた。
情報を詰め込めばリアルになると思っていた。でも、違った。情報を徹底的に削ぎ落とし、残ったわずかなディテールだけで、フォロワーの脳内に「ひまり」という存在を補完させる。それが、この仕事の正体だ。
俺は再びデスクに戻り、端末を開いた。
先ほどまでの説明臭い文章をすべて削除する。そして、今の俺が感じている「高校二年生の空気」を、余計な情報を排除して切り取ることに集中した。
朝、校門で桜の花びらが服についた。部活の先輩が「春だね」って笑ってたけど、数学の課題が終わってないこと思い出して、胃が痛い。
これだ。
学校名も、制服も、駅名も、先生の名前も、何一つ入っていない。ただ、「桜」と「数学の課題」と「胃の痛み」という記号があるだけ。これなら、誰の生活にも溶け込める。誰の高校時代とも重なる。
指が震える。これが、俺の選んだ言葉だ。送信ボタンをタップする。
画面が切り替わる。投稿完了。
一秒、二秒。心臓が跳ねるような音が聞こえる。
端末の通知が鳴る。
『いいね』が一つ。
見知らぬ誰かが、俺の作った言葉に反応した。
それは、フォロワー数千万人を抱えるアカウントの数字よりも、遥かに重く感じられた。
このSNSリテラシーという名の檻の中で、俺は確かに、朝霧ひまりという少女の産声を聞いた気がした。
美咲が横を通り過ぎる際、俺の画面を一瞥した。彼女は何も言わなかったが、わずかに口角を上げたように見えた。
「個人情報を書かない」。それが俺たちの守るべき唯一にして最大のルールだ。だが、そのルールを守ることで初めて、朝霧ひまりという仮想の少女は、誰かの心の片隅に住み着くことができるのかもしれない。
俺は、もう一度自分の投稿を読み返した。
朝霧ひまり。彼女は、俺が守り、俺が作り上げる、最強のAI高校生だ。
この先、どれだけ部長の理不尽な修正が入ろうとも、どれだけ厳しいガイドラインが課せられようとも、俺は迷わない。
俺は、この「隙間」を埋めるために、明日の投稿を練り始めた。
どんな些細な日常を切り取れば、彼女はもっと「らしく」なるのか。
そんなことを考えていると、ふと、自分の心が軽くなっていることに気づいた。
ただの仕事だと思っていたはずなのに、いつの間にか、俺は本気で彼女の明日を案じていた。
制服のしわ一つにも意味がある。背景の木漏れ日一つにも理由がある。
俺の作る朝霧ひまりは、世界で一番、嘘っぽくて、世界で一番、本物だ。
そう確信しながら、俺は次の画像生成のプロンプトを打ち込んだ。




