第15話 フォロワー一万人突破
修学旅行の投稿が一段落し、京都・奈良の余韻が冷めやらぬうちに、朝霧ひまりのアカウントは新たな歴史的瞬間を迎えようとしていた。フォロワー数が、ついに九千九百人を突破し、大台である「一万人」の壁の目前まで迫っていたのだ。
株式会社ライフログAIのオフィスでは、朝から妙な緊張感が漂っていた。私のデスクのまわりには、いつの間にか神谷や他の同僚たちが集まってきており、モニターの数字をじっと見つめている。
おい雨宮、あと十人だぞ。歴史的瞬間だな。神谷が自分のマグカップを片手に、やけに落ち着かない様子で言った。
わかってるよ、こっちだって心臓がバクバクしてるんだから。
私はマウスを握る手に力を込めながら、フォロワー数のカウンターを凝視した。一万人。それは、ただの数字ではない。生身の人間が一万人、この架空の女子高生である朝霧ひまりの日常を追いかけ、その言葉に共感し、日々の投稿を心待ちにしているという動かぬ証拠だ。
午前十一時十五分。
私は、記念すべき一万人突破の瞬間に向けた投稿を準備していた。写真は、放課後の教室の窓際、夕暮れのオレンジ色の光に包まれながら、ひまりがこちらを向いて少し照れくさそうに笑っている姿だ。完璧すぎず、しかし最高にエモーショナルな一枚。テクスチャの調整には丸一日を費やした。
キャプションにはこう打ち込んでいた。
「放課後、教室に残って片付けしてたら、すっかり夕方になっちゃった。なんだかあっという間に一日が終わるなあ。みんな今日も一日お疲れ様!」
送信ボタンを押す。その直後だった。
カウンターの数字が、一気に「10,000」に切り替わった。
おおおっ!
フロアのあちこちから歓声が上がった。神谷が私の背中をバシバシと叩き、おめでとう雨宮、ついにやったなと叫んだ。美咲も自分のデスクから歩いてきて、穏やかな笑みを浮かべながら拍手をしてくれた。
おめでとう、雨宮くん。一万人達成よ。新人研修の頃から見てきているけれど、まさかここまで見事に育て上げるとは思わなかったわ。
ありがとうございます。本当に、みなさんの厳しい指導と、何よりひまりを支えてくれたフォロワーの皆さんのおかげです。
私は胸の奥からこみ上げる熱いものを感じながら答えた。そこへ、いつものように音もなく部長がやってきた。部長は私のモニターを一瞥し、いつもの薄い眼鏡の奥でわずかに口角を上げた。
一万人か。数字としては通過点に過ぎん。だが、それだけの人間を惹きつけるだけの『物語』を維持し続けたことに対する評価は値する。今夜の焼肉のランクは、一番上に指定しておいてやる。
部長のその言葉に、オフィス全体がさらに沸き立った。一番上のランクの焼肉。それは実質的な社内最高峰の褒賞であった。
投稿のコメント欄は、一万人突破を祝うメッセージで瞬く間に埋め尽くされていった。
フォロワー一万人おめでとう! ひまりちゃんの日常を見るのが毎日の楽しみです。
いつの間にか大人気インフルエンサーだなあ。これからも応援してるよ!
一万人記念に、今度ぜひライブ配信とかやってほしいな。
ライブ配信。その言葉を見た瞬間、私の背筋に冷や汗が流れた。AIキャラクターによるリアルタイムのライブ配信。それは技術的にもコンプライアンス的にも、現在の我が社のリソースでは極めて困難な領域だった。
美咲もそれに気づいたのか、苦笑しながら首を横に振った。
ライブ配信なんてしたら、AIが突然意味不明な言語を話し出したり、指が八本になったりするリアルタイムの事故が起きるわよ。コメントの拾い方も考えなきゃいけないし、当分は静止画とテキストの投稿でいこう。
そうだよね。でも、それだけフォロワーがひまりの「生きた存在」を求めてくれているってことの証拠でもある。
私は一万人のフォロワーが並んだ画面を見つめながら、深い感慨に浸っていた。
入社した頃の私は、ただ言われるがままに制服のシワを直し、駅の名前を隠し、存在しない日常の嘘を組み立てるだけの作業員にすぎなかった。しかし、今やこのアカウントは、何万人もの人々の心を動かす巨大なメディアへと成長している。
架空の女子高生という名のキャンバスに、私たちはどれだけの情熱と、どれだけの細やかな嘘を塗り重ねてきただろうか。その嘘は、いつしかフォロワーたちにとってかけがえのない「真実の青春」へと変わり、彼らの日常を彩っている。
夜、高級焼肉店での祝勝会は最高潮に盛り上がっていた。神谷は生ビールを片手に、自分の担当キャラが八千人を突破したと自慢げに語り、美咲はマイペースに肉を焼き続けている。部長も珍しくグラスを傾け、私たちのこれまでの労をねぎらってくれた。
肉の脂が口の中に広がりながら、私はスマホの画面を開いた。
ひまりのアカウントには、今も途切れることなく新しいフォロワーからの通知が届いている。一万人という数字の向こう側にいる、一人ひとりの顔は見えない。だが、その人たちが確かにこの物語の続きを待っている。
一万人を突破したからといって、私たちの仕事が楽になるわけではない。むしろ、ここから先はフォロワーを飽きさせないための、より高度な設定管理と、よりリアルな日常の演出が求められるようになる。設定資料はすでに分厚いバインダーの厚さを超えつつあった。
それでも、私は怖くなかった。
むしろ、この不自由で、細かくて、だからこそ愛おしい嘘の日常を、これからもずっと紡ぎ続けていきたいという強い思いが胸に満ちていた。
窓のないオフィスに戻り、明日からの新しい投稿のアイデアを練る。
フォロワー一万人。この節目を越えて、朝霧ひまりの物語は、さらに大きく、そして鮮やかに動き出していく。私はペンを握り直し、次の季節に向けた設定のページをめくった。私の作る青春は、まだまだこれからだ。




