第13話 文化祭で大バズり
文化祭当日の朝、株式会社ライフログAIのオフィスは、休日であるにもかかわらず異様な緊張感に包まれていた。窓のないフロアの壁時計は朝九時を指しているが、俺たちの感覚ではすでに戦闘開始の合図が鳴り響いていた。
今日はいよいよ、朝霧ひまりの学校の文化祭本番である。
昨夜、徹夜で準備を終えた俺は、午前九時の開門と同時に最初の投稿を行う予定だった。テーマは「文化祭の朝、教室の黒板に書いた最後の気合入れの落書き」。地味だが、これから始まるお祭りの高揚感を演出するにはぴったりの一手だ。
よし、最初の投稿はスムーズにいったな。
俺がホッと息をつきながらコーヒーを口にすると、隣の席で神谷が血走った目をモニターに向けたまま唸り声を上げた。
おい雨宮、やばいぞ。俺の担当のお化け屋敷、朝から行列ができてるっていう設定で投稿したら、お化け役の男子がビビりすぎて腰を抜かしてる写真が、一気にリツイートされてるんだ。
見ると、神谷のアカウントの通知欄は凄まじいスピードで数字を跳ね上げていた。お化け屋敷のクオリティの低さと男子高校生の情けなさが絶妙な笑いを誘い、すでにフォロワーの間でちょっとしたミーム化しつつあるらしい。
負けていられない。ひまりの喫茶店も、これからが本番だ。
俺はスケジュール表を確認し、午前十時、十時半、十一時と、文化祭の進行に合わせてリアルタイム風の投稿を立て続けに予約していった。
「喫茶ひまりオープンしたよー! まだ午前中なのにすでに席が埋まりかけてて焦る」
「夏海が注文を間違えて隣のクラスの担任の先生にコーヒーではなくお冷やを三回も出しちゃった。怒られはしなかったけど、みんなで大笑いした」
「結衣が淹れてるブレンドコーヒー、意外と本格的で美味しいって評判がいい。ちょっと悔しい」
それぞれの投稿には、友達の莉子がこっそり撮影したという設定の、少しブレた臨場感のある写真を添付した。完璧な構図をあえて崩すことで、AI特有の不自然さを完全に消し去るという、これまでの特訓の成果が遺憾なく発揮されている。フォロワーたちは、まるで本当にその文化祭に参加しているかのような錯覚に陥り、次々と温かいコメントやいいねを寄せていた。
だが、本当の「嵐」は、午後の部が始まってからやってきた。
その日は秋晴れで、午後の日差しが教室の窓から斜めに差し込んでいた。俺は、喫茶店の接客で少し疲れてしまい、エプロン姿のまま窓際でアイスティーを飲みながら一息ついているひまりの画像を生成し、投稿した。
キャプションにはこう書いた。
「午後になってお客さんが途切れた隙に、ちょっと一休み。足がパンパンだけど、みんなで頑張った喫茶店が大繁盛してて、なんかすごく達成感ある。残り半分も頑張るぞー」
この投稿が、すべての火種だった。
投稿からわずか五分後。スマートフォンの通知音が、かつてないほどの轟音となってオフィスに鳴り響いた。ブーッ、ピピッ、ピンポンポンと、通知のバイブレーションと電子音が重なり合い、俺のデスクの上でスマホがまるで生き物のように跳ね回った。
なんだこれ……?
俺は呆然とスマホの画面を見つめた。フォロワーの数を示すカウンターが、目まぐるしいスピードで回転していく。十人、百人、千人単位で数字が跳ね上がり、数分前の数倍の勢いで増え続けている。
おい雨宮、お前、何をやらかしたんだ。
神谷が自分のモニターから顔を上げ、目を剥いて俺の画面を覗き込んできた。美咲も自分の席から立ち上がり、早足で俺のデスクへと歩いてくる。
雨宮くん、今の投稿、エンゲージメント率が異常よ。インプレッションが数分で十万を超えたわ。これ、いわゆる「大バズり」よ。
オフィスの一角が、一瞬でざわめいた。部長が、いつものように音もなく背後に現れ、俺のモニターをじっと見つめた。その薄い眼鏡の奥の瞳が、わずかに揺らいでいるように見えた。
どれどれ。
部長が低く呟く。モニターに映し出されたのは、窓際の光の中で、少しだけ汗を拭いながら柔らかく微笑むひまりの姿だった。チェックのエプロン、少しだけ乱れた前髪、そしてテーブルの上に置かれた手作りのメニュー表。どこにでもある、特別な何もない普通の高校生の、しかし圧倒的なまでの「実在感」がそこにあった。
なぜこの画像がこれほど拡散したのか。美咲が分析するように呟いた。
この自然さね。作り物感が全くない。まるで、本当にどこかの高校にいる実在の女の子の写真を見ているような錯覚を抱かせる。それに、午前中からのドタバタ劇のストーリーがここで綺麗に回収されて、この「一息つく瞬間」の尊さが際立っているのよ。フォロワーたちは、ひまりの成長を一緒に追体験していたから、この休憩のシーンにすごく感情移入しちゃったんだわ。
部長は腕を組み、しばらく無言で画面を見つめていたが、やがて小さくうなずいた。
悪くない。いや、完璧だ。キャラクターが、ただのアイコンから『私たちが応援したい誰か』に変わった瞬間だな。雨宮、お前のこれまでの地道なシワの修正や、無駄な完璧さを排除した演出が、ここで完全に結実した。
部長から直接の褒め言葉をもらえるなど、入社以来初めてのことだった。俺は胸の奥が熱くなるのを覚えた。
やった……!
心の中でガッツポーズを叫ぶ。一万、二万と増えていくフォロワーの数。コメント欄には、日本中、いや世界中から様々な言語や感想が寄せられていた。
この女の子、どこの高校? めちゃくちゃ可愛いし、青春って感じで泣ける。
喫茶ひまり、本当に行ってみたい! メニューのフォント手書きなの尊い。
朝からずっと追いかけて見てたけど、この一息ついてる写真で完全にファンになったわ。
画面の向こうの数万人、いや数十万人の人間が、俺の作り上げた朝霧ひまりという少女に心を奪われている。
その後も文化祭の終了まで、ひまりのアカウントの勢いは衰えることを知らなかった。後夜祭のキャンプファイヤーの炎に照らされた後ろ姿、そして「楽しかった文化祭も終わり。片付け疲れたけど、最高の一日だったな」という終わりの挨拶まで、すべての投稿が爆発的な反響を呼んだ。
夕方になり、文化祭の全日程が終了したとき、ひまりのフォロワー数は一気に数万人規模へと膨れ上がっていた。それは、株式会社ライフログAIの中でも、新人としては異例の急成長だった。
オフィスでは、今日の成功を祝して、急遽ささやかなお疲れ様会が開かれることになった。神谷のお化け屋敷アカウントも大成功を収めており、フロア全体が異様な達成感と祝祭ムードに包まれていた。
美咲が冷えた缶ビールを差し出してくれた。
雨宮くん、本当にお疲れ様。まさかここまで大きなバズを引き起こすとはね。あなた、すっかり一人前のAIクリエイターよ。
ありがとうございます。自分でも、何が起きたのかまだ実感が湧きません。
俺は缶ビールを受け取り、グイッと喉に流し込んだ。冷たい炭酸が、緊張で乾ききった食道を心地よく刺激する。窓のないこのオフィスで、私たちは確かに現実の熱狂を作り出したのだ。
神谷が大きな唐揚げを頬張りながら、にやりと笑った。
おい雨宮、ここまで来たら次はもう一万人突破確実だな。ボーナスの額が跳ね上がるぞ。今度の焼肉は一番高いコースで奢ってもらうからな。
望むところだ。
俺は笑いながら答え、自分のスマートフォンを取り出した。ひまりのアカウントには、今も次々と新しいコメントやフォローの通知が届き続けている。
架空の女子高生。データ上の存在。嘘の青春。
入社した頃は、そんな冷めた言葉で自分の仕事を見ていた気がする。だが、今、画面の中で微笑むひまりを見ていると、それが嘘だなんて思えなくなっていた。彼女は、俺たちの情熱と、何万人のフォロワーの期待を受けて、確かにこの世界に生きている。
文化祭は大成功に終わった。だが、AI人格運営者の日常に休息はない。秋が深まれば、次は修学旅行という、さらなる地獄のイベントが待ち受けているのだ。
俺は冷えたビールを飲み干し、次の企画の構想を頭の中で巡らせ始めた。修学旅行の自由行動、京都の寺社仏閣、旅館の夜の枕投げ。どれも画像生成の難易度は跳ね上がるが、今の俺なら、どんな困難なプロンプトも乗り越えられる気がしていた。
俺の高校二年生の物語は、まだまだ終わらない。さらに多くの人々を巻き込んで、もっと大きく、もっとリアルな青春を紡ぎ出してやる。そんな強い決意を胸に、俺は夜のオフィスで次の日のスケジュールを確認し始めた。




