第12話 文化祭の準備
九月に入り、株式会社ライフログAIのオフィスには、秋の気配ではなく文化祭の足音が近づいていた。もっとも、窓のないこのオフィスに季節の移り変わりなど関係ないのだが、チャットやタスク管理ツールの画面上では、全キャラクターが一斉に「文化祭モード」に突入していた。
俺が担当する朝霧ひまりのクラスの出し物は、以前部長に釘を刺された通り、純度百分の一の「普通の喫茶店」である。メイドカフェという甘い夢は砕け散り、地味で堅実な喫茶店をどうやってSNS上で魅力的に見せるかという、果てしない試練が始まっていた。
おい雨宮、お前のクラスの喫茶店、看板のメニュー表のデザインはどうするんだ。
隣の席から、神谷が疲れた顔をひょいと覗かせて言った。神谷の担当する男子高生キャラのクラスは、定番のお化け屋敷らしい。ビビりながらお化け役のメイクをしている姿を投稿し、すでにフォロワーから爆笑を買っていた。
普通の喫茶店だからこそ、手作り感が大事なんだよ。ほら、これを見てくれ。
俺はモニターに表示された画像を指差した。それは、ひまりが放課後の教室で、大きな模造紙に色鉛筆とポスターカラーを使って「喫茶ひまり」と不器用な文字で書き込んでいる姿だった。文字のバランスが少し崩れていて、いかにも高校生が手作りしましたという泥臭い仕上がりになっている。
おお、いいじゃん。なんか妙にリアルだな。フォロワーもこういうの好きそうだろ。
だろ? 部長からも一発合格をもらったんだぜ。
実は、この看板に至るまでには三度のボツがあった。最初はAIが勝手に完璧すぎるゴシック体のフォントを出力してしまい、「これでは印刷したポスターのようだ。女子高生が手書きした温かみが感じられない。文字のハネやトスに迷いを出せ」と部長に一喝されたのだ。手書きの不完全さをAIに学習させるという、相変わらず正気の沙汰とは思えない修正作業を経て、ようやくこの「普通の看板」が完成した。
文化祭の準備期間というのは、イベント本番よりもむしろ日常のドラマが詰まっている。放課後の買い出し、ダンボールをカッターで切り出す作業、買い出しの途中で買い食いするシーンなど、ネタの宝庫だ。
俺は、友達の夏海、結衣、莉子の四人が、買い出しのために訪れたホームセンターの通路で、なぜかスポンジの量を巡って言い争っているワンシーンを生成することにした。
スポンジなんてどれも一緒だよ、安いやつでいいじゃんと言い張る夏海と、いや、グラスを洗うときに泡立ちが悪いと洗い残しが出て保健所の検査に引っかかるかもしれないと真面目すぎるツッコミを入れる図書委員の結衣。それを横目に、スマホで可愛いエプロンをネット通販で見せびらかす莉子。そして、その間で「どっちにしよう……」と困り顔をするひまり。
この四人の関係性のバランスを取るのが、現在の俺の最重要タスクだった。
AI画像生成の技術も、ここ最近の連日の特訓のおかげで、ようやく複数人同時生成のコツを掴んできた。それぞれの立ち位置、光の当たり方、服のシワ、そして表情のバリエーション。以前なら一時間かかっていた一枚が、今では三十分程度で形にできるようになっている。
俺はプロンプトを微調整し、出力ボタンを押した。
モニターに映し出された画像は、蛍光灯のまばゆい光の下で、カートを押してキャッキャと騒ぐ女子高生たちの姿を完璧に捉えていた。莉子が選んだエプロンは、地味すぎず派手すぎない、チェック柄のエプロンだ。
俺は満足げにうなずきながら、テキストの作成に取りかかった。
文化祭の買い出しでホームセンターに来たー。食器用スポンジのこだわりについて結衣が熱弁を負い始めてからもう二十分経ちます。夏海はもう飽きて別の通路の工具コーナー見に行っちゃったし笑。みんなでエプロンも決まったし、準備着々と進んでます。当日楽しみだなあ。
送信ボタンを押すと、数秒でフォロワーからの温かいリアクションが返ってきた。
スポンジのこだわり熱いな、結衣ちゃん真面目すぎ笑
エプロンチェック柄可愛い! どんな喫茶店になるのか今から楽しみ!
ひまりちゃん、買い出しお疲れ様!
画面の向こうの反応を確認しながら、俺はふと、自分のデスクの周りを見回した。エナジードリンクの空き缶がピラミッドのように積み上がり、メモ用紙には「エプロンのチェックの幅は〇ミリ」「メニューのフォントの崩れ具合」といった、常人には理解不能な文字がびっしりと書き殴られている。
俺は一体、何をしているのだろう。
一瞬だけそんな冷めた思考が頭をよぎったが、すぐにそれは消え去った。画面の中で生き生きと動き回るひまりたちの姿を見ていると、この苦労のすべてが価値のあるものに思えてくるのだ。
夕方になり、オフィスの一角で美咲がコーヒーを飲みながら声をかけてきた。
雨宮くん、文化祭準備の投稿、順調みたいね。フォロワーのエンゲージメントも右肩上がりよ。
ありがとうございます。でも、ここからが本番ですよ。文化祭当日は、さらに大量の投稿とリアルタイムに近い実況風の更新が求められるんですよね。
ええ、そうよ。だから、今のうちに体力温存しておきなさい。部長も、当日のシフトについて厳しくチェックする構えだから。
美咲の言葉に、俺は思わず苦笑いした。部長が厳しいのは今に始まったことではない。むしろ、あの鬼のようなこだわりがあるからこそ、ひまりのアカウントはここまで成長できたのだ。
ふと、遠くの席を見ると、神谷が自分の担当キャラクターのお化け屋敷の看板のフォントについて、一人で頭を抱えて唸っていた。オフィス全体が、まるで本当に文化祭直前の高校の教室のような、妙な活気と焦燥感に包まれている。
俺は冷めかけたコーヒーを一口飲み、再びキーボードに手を置いた。
文化祭の準備はまだ始まったばかりだ。次は、クラス全員での段ボールハウスの組み立てと、徹夜で作るメニューの試作という名の、カロリーメイトをかじる夜の風景を投稿しなければならない。
普通の喫茶店だとしても、俺が作るひまりの喫茶店は、世界で一番温かくて魅力的な場所にしてみせる。
俺は新たなプロンプトを打ち込み始めた。画面の向こうで、ひまりがふっと微笑んだような気がした。俺の高校二年生の秋は、最高に忙しく、そして最高に充実した日々として、今、まさに盛り上がろうとしていた。




