2話目 神とドラゴン
自分たちの身に、いったい何が起こったのかさっぱり分からない二人。
誰だってコンクリートや人工物に囲まれた町から一瞬にして見たことのない草原に移動したら、体が固まる。
「咲月、俺の頬を叩いてくれ……」
「え、でも──」
「いいから」
咲月は申し訳なく思いながらも右腕を大きく上げ、信仁の頬に向かってそのまま振り下ろす。
静かな草原に渇いた音が響く。
「痛い……」
「ご、ごめんね……でも信仁が叩けって言うから……」
「いや、いいんだ。これで夢じゃないことが分かった」
見事な紅葉もみじができている顔をさすりながら、反対の手で咲月の頭を撫でる。
夢ではないなら、早急に何とかしなくてはならない。
どこか適当な方向へ歩いて集落や町を探してもいいが、この暗さで勝手の分からない場所を歩くのは危険すぎる。
咲月にもしものことがあったら、咲月の両親に顔向けできない。
信仁は、なによりそんな判断をした自分を許せないだろう。
「明るくなるまでそこの岩に身を寄せよう、今動くのはあまりよくない」
「いいけど、大丈夫?」
「何がだ?」
「信仁の胸、すごくどきどきしてるよ」
自分の左胸に手を添える。
今にもはじけそうな勢いで鼓動しているのが分かる。
自分ではかなり落ち着いているつもりだったが、実際はパニック寸前だった。
しかし咲月のことを考えると、理性が取り乱しそうになる自分を引き止める。
「咲月さえいてくれたら大丈夫だ」
「そっか」
俺は咲月の手を引き、並んで岩を背に腰掛けた。
夜とはいえさっきまで登校してたわけだから寝たいとは思わない。
日が昇るまでの間、何もしないというのも暇なので何か話題を探す。
「なぁ、少し気になったんだが、俺を好きになった理由って何だ?」
人を好きと言うからには、やはりそれなりの理由があるはずだ。
咲月の目には自分がどう映っているのか知りたい信仁。
「私が信仁を好きになった理由?」
「ああ、あるんだろ?」
まさか、何にも無しに人を好きになるなんてことはないだろう。
漫画の恋愛だって、出会い頭にぶつかったり不良に絡まれていたのを助けてもらったりと、いろいろある。
少し考えるような間を置き、咲月は口を開いた。
「優しいから、かな」
「俺が優しい?」
「うん」
そう言われてもピンとこない信仁の表情を察した咲月は話し始める。
「私が悲しいときも、悩んでいるときも、絶対にそばで励ましてくれたでしょ?」
「それは咲月の辛い顔を見たくなくて必死になってただけだから、別に優しさのつもりじゃ……」
「でもそのおかげで私は何度も元気をもらえたんだよ」
理由を聞いたのは自分なのに、なんだか恥ずかしくなってくる。
そっぽを向いて照れた顔を隠す。
「信仁は?」
咲月が俺の顔をのぞき込む。
「お、俺か?俺は─────」
続きの言葉を発したとたん、大きな陰が真上を通り過ぎ、その直後、暴風に声がかき消される。
風がおさまると、立ち上がり岩の陰から顔を出し、あたりを見回す。
「あ、あれはまさか……」
俺はまず、自分の目を疑った。
その目に見えたのは、数十メートルはある巨体にトカゲのような顔と長い尻尾。
その表面は燃えるような赤い鱗に覆われ、その背中からは一対の翼が生えている。
アニメや漫画で絶対的強者として君臨し、何千人の兵士を相手にしても簡単に蹴散らしてしまう。
それは、勇者にしか倒すことのできない───
「ドラゴン……」
「咲月、走るぞ!」
「え、ちょ、ちょっと」
咲月の手をつかんで走り出す。
咲月に合わせながらも、出せる精一杯のスピードで走る。
「さっきのところに隠れてたらいいんじゃない?」
「ダメだ、完全に俺たちを狙ってやがる」
信仁たちに気づいていないなら、とっくに通り過ぎているはずだが、ドラゴンは顔だけこちらに向けて大きく旋回している。
「どうなってんだよ!いきなり知らない場所に移動したと思ったら、今度はドラゴンかよ!?」
これだけ開ひらけていたら身を隠すこともできない。
ただ足を動かして距離を取るしかない。
「…………信仁、手、放していいよ。私がおとりになれば少しは逃げられる可能性が高くなるでしょ」
突然、咲月が溢すように言葉をはく。
「何言ってんだよ!?」
「だって、信仁の方が足早いし、私はきっと足手まといだから。何より信仁には生きていてほしい」
確かに足は信仁の方が速い、この手を放せば俺は今以上に速く走れるが、しかしそれは咲月を見殺しにすることにもなる。
そもそも生き残れる保証はないが、もし生き残っても、咲月を見殺しにしたなら信仁は間違いなく後を追って自殺する。
誰に何を言われようと、たとえそれが咲月の遺言であったとしても。
それが分かっているのに、なぜ手を放すという選択肢があるのだろうか?
しかし、咲月は握っている手の力を弱める。
「大好きだよ、信仁に出逢えてよかった……」
笑顔を浮かべたまま、盛大に死亡フラグを立て、完全に手を開く。
咲月の細い手は、簡単に抜けていく。
このままだと、本当に二人とも死んでしまうバッドエンド一直線だろう。
あっちの世界で一緒に暮らすのもある意味では幸せなのかもしれないと、一瞬信仁の頭をよぎるが、しかし─────
「お前だけ、置いていけるかぁぁぁぁぁぁ!!」
信仁は怒号とともに、離れかけた手を握り直し、咲月の体を引きよせた。
その勢いに乗せ、咲月をお姫様だっこで抱き、さっきよりも速く走る。
火事場の馬鹿力とはこういうことだろう。
「し、信仁!?」
信仁は咲月のここまで驚いた表情を見るのは、初めてかもしれない。
「なんで!?私が犠牲になれば生き残るかもしれないのに!」
その瞬間、俺の中で何かが切れる音がした。
「うるさい!」
腕の中で、咲月の体がピクンと跳ねる。
咲月にここまで叫んだことは一度もなかった。
それでも信仁は気にせず叫ぶ。
「俺は咲月が好きだ!大好きだ!すべてを愛してる!そんな咲月が俺のために死んで俺を生き残らせる?冗談でもそんなこと言うな!俺のせいで咲月が死ぬなら、俺も一緒に死ぬ!ここに咲月を置いていくくらいなら、今すぐ舌をかみ切って死んでやる!だから犠牲になるなんて二度と言うんじゃない!!」
咲月の頬を一筋の水が流れる。
しかし表情は、悲しみではなく、喜びに満ちていた。
「分かった、もう言わない。ごめんね信仁……」
そう言って信仁の胸に顔を埋める。
俺は更に足に力を込め、スピードを上げた。
しかし、所詮人間とドラゴン。
距離はみるみる縮まっていき、あっという間に追いつかれてしまう。
このままだと二人とも、おそらく喰われるか、炎で焼き殺されてしまうだろう。
ドラゴンは、余裕の態度で目の前に降り立ち、ギラリとひかる鋭い眼で二人を見下ろす。
「あれだけ大口叩いておきながら、すまない……」
俺は走るのをやめ、咲月を下ろす。
「ううん、信仁の言葉、嬉しかった。信仁が言ってくれたとおり、ずっと一緒だよ」
そう言って俺の首に手を回す。
「そうか……ありがとう」
俺は咲月の腰を持ち、抱き寄せる。
そのまま顔を近づけ、そっとくちづけをした。
「グァァァァァァ!」
そんなことはお構いなしにと、ドラゴンはその大口を広げ空気を吸い込む。
ゲームなどではよく見慣れた、ブレスを吐く予備動作。その口から繰り出される炎は、町を火の海へ変え、全てのものを焼き尽くす。
そんなものを生身で、しかも至近距離から受けてしまえば、二人は塵すら残らず消し飛ぶだろう。
十分に空気を吸い込んだドラゴンは一気に炎を吐き出そうとする。
口の奥に見える喉が一瞬にして炎で埋め尽くされた。
「……っ!」
死の恐怖から、信仁と咲月はぎゅっと目を固く閉じる。
しかし、いくら待っても熱を感じない。それどころか音すら聞こえなくなった。
そっと目を開けると、そこには確かに炎があった。
だが、その炎は二人の二メートルほど前で見えない壁に遮られたように広がっている。
「どうなってんだ?」
一度は死を覚悟したせいで、拍子抜けになる。
「ふぅ、なんとか間に合いました」
突然、後ろから声がする。
慌てて振り向くと、そこには眼鏡をかけてスーツを着た二十代半ばの男が、浮いていた。
「あ、どうも、自分『神』やらせてもらってます」
「「は……?」」
二人は突然の事に、その一文字を出すのが精一杯だった。




