表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/195

【撤収(支度)】

なんらかの作業のためにその場に広げた道具・荷物などを片づけ移動させること、という意味ばかりでなく、作業者たち自身がその場から立ち去ること、という意味でも用いられる。

ドンっと、足袋を履いた足が水に濡れた舞台を踏み鳴らし、曇天の空は雷鳴と雷光が同時に響き渡る。

葦原色許男命アシハラシコヲとして舞うグランドールが大剣を振り上げ時、ネェツアークが設置した避雷針代わりの"術仕込みのナイフ"に何度目かの落雷が落ちた。


(雷鳴の"音"の衝撃も大分慣れたな)

アルスは耳を塞ぎながら、落雷を薄目にして眺めながら、そんな事を考えていた。


――"護衛"する立場のアルスとディンファレ、そして指揮者としてネェツアークはもう随分と"雷"に対応出来ている様子で、音に備えて常時耳を塞ぎ、稲光が激しく輝く瞬間には、うまい具合に目を閉じて、その場をやり過ごしていた。

そうこうしている内に、渓流の水底に浚渫の為に舞い降りていた"龍神"が、雷鳴をも越えそうな土を抉るドドドドっという音と共に大地を揺るがした後、神々しく雄々しい頭部を水面から出す。

そして大量の土砂と水飛沫共に龍神は上昇し、曇天の空へと帰って行く。


合計8回、龍神によって、幅の広い渓流の両端の水底から掘り出された土砂は、龍の上昇と共に舞い上がり、やがて落下する場所は全て同じだった。


それは、幅の広い河川の中央に降り積もり、結構な高さの土砂の山を造りあげている。

ネェツアークが長い指を耳に突っ込んだまま、龍神が帰った曇天を見上げ"尾"まですべて見えなくなってから、二人の護衛騎士に振り返った。


優鉢羅ウッパラカ)、最後の龍神による"浚渫"が成されたようですね」

アルスとディンファレにそう呼び掛けてから、長い指を耳から抜いた。


それから水飛沫を浴びる度に下がって難儀していた、丸眼鏡を中指で押し上げる。


「ネェツアークさん、もう雷は大丈夫何ですか?」

指揮官が耳を塞ぐのを止めたのを確認してから、アルスも掌で押さえ込むようにしていた耳を塞いでいたのをゆっくりと外しながら尋ねた。

隣にいるディンファレを見てみれば、すでに耳から手を離して胸元に避難させている黒い子猫を気遣っている。


「完全にというわけではありませんが、龍神がいらっしゃった時ほど、もう落雷する事はないと思います。

まあ、まだ雷を引き寄せる雷針の側以外で、剣の類いを抜くことはお勧めはしませんが」

腕を組みながらネェツアークは肩を竦めて苦笑いを浮かべたのをみて、アルスも最もだという気持ちで笑った。


そして舞台の方を眺めれば、徐々に"大人しく"なっていく神楽舞が演じられている。

アプリコットの側にある精霊石から奏でられる神楽囃子の音色も、今は激しさが殆んどなくなり、"終わり"に近づいて行くのが知識がないアルスにもよくわかった。


「浚渫の為の神楽舞はこれで、終了なんですか?」

「そうですね。最後の"閉め"として葦原色許男命アシハラシコヲと少名毘古那神に、水底から渓流の中央に掘りあげてもらった、あの土砂をの山を"踏み均して"貰って、陸地となったのなら、儀式は終了の予定です」

ネェツアークはそう言うと、緑色のコートを翻してサッとアルス達に背を向けて、渓流に出来上がった土砂の山を指差した。


儀式の舞台と渓流ーー土砂の山での距離は、目測してもそれほどあるようには見えない。

あると言うならば、"段差"である。

舞台が設置された場所は、ロブロウ自慢の渓谷と渓流に挟まれるような街道にあるので、丁度"上中下"と表現するなら"中"の高さの箇所。

そして土砂の孤島は距離はないが、かなりの下の位置となる。

ただ、土砂の積もった山の頂上と今いる舞台の高さを比べるなら、それほどないようにも見える。

アルスは土砂の積もった山を見て、更にその下に浄められた状態で流れる渓流を眺める。

今更ながら、河川はあんな下の場所にありながら、舞台は中程の場所とはいえ龍神達は"浚渫"によって水を跳ね上げたものだと感じ入った。


(ところで、"土砂の山を踏み均す"場所への移動するとなると、どうするんだろう?)

「ネェツアークさん、グランドール様とルイ君はあの場所に行くとしても、どうやって…」

疑問を口にしながら、アルスがネェツアークを見ると、その手にはいつの間にか儀式の衣装に会わせた"畳表草履"を2足手にしている。

如何にも芝居かかった動きで、2足の草履をギュッとネェツアークは抱き締めた。


「私が"儀式が成功ますように"と願いを込めて、親友が作ってくれたコートの内側にいれて暖め、この"畳表草履"を隠し持っておきました」

草履を抱き締める鳶色の男の顔は、極めて真面目である。


しかし、言っている言葉と心は極めてふざけているのがアルスには解るが、一応"上官"にあたる男にどう答えればいいか分からず革手袋を嵌めた手で、頬を掻いた。


「えっと、じゃあ、徒歩ですか?」

とりあえず新人兵士が、真面目に言葉を返すと、ネェツアークはニッコリと笑った。


「ええ、そうですね。人の"足"は歩くためにあります―――しかし」

そこからニッコリとした笑顔から、見事に不貞不貞しく見える笑顔に切り替えた。


「折角の身軽な動きの少名毘古那神と、大きな力を持つ葦原色許男命アシハラシコヲ、いえ、元からやんちゃなでバネのあるクローバー君と、馬鹿力のマクガフィン殿と言った方が良いでしょうか。

どうせならこの儀式の閉めも、"二人ならでは"といった"足の使い方"をお願いしましょう」

アルスには怪しくしか感じない言葉を並べ、楽しそうにネェツアークは胸元に草履を抱き締めるようにして組んでいた腕を広げた。


いつの間に持ち変えたのか、両手の端にそれぞれに、グランドールとルイの畳表草履を1足ずつ持ちあげている。


「どんな方法を目論んでいるかは知りませんが、その草履を履いて"舞台"を移動なさると言うのなら、演者の方に渡してはいかがですか?。

この舞台での神楽舞は、"終了"の様ですよ」

「にゃ〜」

ディンファレがアルスが"ネェツアークは怪しいが、突っ込めない"のを見越して、指揮者に意見する。

神楽が愈々(いよいよ)終わると聞いて、アルスは空色の瞳を舞台に走らせた。


耳に入ってくる精霊石から奏でられる囃子は、糸を引くような細く伸びた長い笛の音を最後に全て止まった。

それに伴うように"奉納"の終わりを表す、平伏し座礼をすることを舞台の上で舞を演じていた3人が、渓流と8柱の龍神が訪れた曇天の方向に向かって行っていた。

それは丁度ネェツアーク達に、背を向ける形となっていた。

そしてその背に指揮者である男は、とある人物に嫌味を込めて声をかける。


「――途中、指揮者に報せのない急な変更はありましたが、御三方とも、とりあえず"此処まで"はお疲れさまでした。

しかし勝手な変更をしながらも、"備えていた不安"が訪れませんでしたが…まあ、起きなくて何よりという話になるんですかね」

スッとグランド―ルが膝を立て、姿勢良く立ち上がりながら背を向けたまま口を開く。

その声には、苦笑いを滲ませているものだった。


「そう回り諄く怒るな、ネェツアーク。

黙っていた事も、勝手に集めた精霊を怯えさせた事、配役を増やした事も詫びよう――と!?」

謝るグランドールの元に、"回り諄く怒っているらしい男"から投げられて飛んでくるのは畳表草履だった。



それを驚きながらも、危うげなくグランドールはキャッチして、やれやれと肩を竦める。

次に立ち上がったのは勝手に配役が変わった上に、新しい役まで加えてしまったアプリコットだった。


「本当に、勝手して申し訳なかった。ネェツアーク殿」

そして嫌みのない好奇心と、不思議そうな視線をケロイドのない滑らかな素肌の"素顔"の自分に、アルスが向けている事に気がついた。

余りに純粋に見つめるアルスに、アプリコットは微笑で見せる。


(私の"顔"の詳細は後で良いかしら?)

そんなアプリコットからの言葉が、頭の中に自然と浮かばせる微笑みに驚いたが、直ぐに短く頷いた。


(それでは機会がありましたら、お願いします)

アプリコット微笑みの中に"意味"が含まれているのを、魔法は使えないし精霊の姿を目視するのは自力では出来ない少年は、しっかりと感じ取り、自分なりに思いを込めて、アルスは静かに頷き返していた。

アプリコットとアルスの短いやり取りが終わったのを確認したかの如く、ネェツアークがまた口を開く。


「―――作戦変更…いえ、"演出変更"を唆したのは、そちらのマクガフィン殿みたいですから、アプリコット殿は気にしないでください」

鳶色の瞳を鋭く細目、微笑みにも威嚇にも見えるそんな表情をネェツアークは浮かべて、アプリコットからの謝罪を退けた。


「出来事に企みや策を囁かれて、それに乗るという事はそれだけ"魅力的"で利用価値があるという事。

マクガフィン様のアプリコット殿に提案したものが、それほど素晴らしかったということでしょう」

そう言ってからネェツアークは残る畳表草履、ルイのものもグランドールに向かって投げた。

それも見事にキャッチしたが、今度は心の底から苦笑いを浮かべる。


「まあ、その(くわだ)てに備えたが、何事も起こらなかったからのう。

ワシも領主殿も、魔力の無駄遣いとなってしまったわけだからな。

しかし、構えておいて何なんだが、"此処まで"何事もなかったのはかえって不思議というか、座りが悪いな」

話の終わりの方には、苦笑いから困惑の表情へと顔つきに変えてグランドールは2つの草履の内、ルイの分を軽く放り投げる。


見事に神楽舞を"奉納"が終えた後に、床の上に平伏から身を起こし、未だに正座したままのルイの横にドサリと音を出して、グランドールが投げた草履が落下して届いた。

しかし、ルイは真横に草履が落ちたのに、全くの無反応で微動だに動かない。

相変わらず、舞台の床の上で姿勢よく正座したままだった。


「にゃ〜」

「あの、グランドール様。ルイ君は疲れてお腹が空いているから、座り込んで動けないという事なんでしょうか?」

ディンファレの胸元から不思議そうな鳴き声を出す子猫に便乗して、アルスが未だに姿勢正しく動かなくなってしまっているルイの"不思議"さを訊ねた。


今朝の早朝にも一応、疲れたと言うよりは"空腹すぎて動けなくなってしまったルイ"をアルスは見ていたので、そこまで心配はしていないつもりではある。

ただ、慕っているグランド―ルから投げられた草履にも無反応な様子には、怪訝(けげん)な気持ちをもってしまった。


「ああ、それはまだルイはこの後の"陸を踏み均し"まで"少名毘古那神"の状態のままだからな」

当たり前のようにグランドールがそう言って、アプリコットに目配せをした。


「ルイ君だけ、少名毘古那神のままなんですか?」

そのグランドールの目配せに連れられながら、アルスと子猫はアプリコットを見るが、彼女は薄く微笑み、佇んでいるだけだった。


――ギシッ

舞台の木の床を鳴らしてルイは無言のままはゆっくりと立ち上がると、視線はそちらに集中する。


アルス達の方に振り返るルイは、いつものやんちゃそうな瞳は半眼していて、その色は静かに澄んでいる。

そしてすぐ側にある、つい先程グランドールが投げた畳表草履を落ち着いた様子で、履いていた。

少名毘古那神のままだからと説明されても、いつもやかましいぐらいやんちゃ者である少年の静すぎる様には、アルスは戸惑ってしまう。

黒い子猫もアルスと同じようで、激しく瞬きをしながら、儀式の衣装を纏うルイの姿を見ていた。

ルイだけが無言でいるのは、少名毘古那神という神様を未だに宿している為らしいが、何も喋らない様子に、アルスは勝手だと思いながらも痛ましさを感じていた。

そんなアルスも気持ちに気がついたのか、先程から苦笑の回数が多いグランドールは、またカウントを増やす。


「アルス、言っておくがワシと領主殿――アプリコット殿も、一応、葦原色許男命アシハラシコヲと神産巣日神を、模するのを留めたままの状態ではあるんだぞ」

「え、あ、そうなんですが!?」

アルスの驚き反応は予想できていたらしいグランドールは、逞しい腕を組んで頷いた。


「まあ、ワシらは今は殆ど"自己"を優先させて貰っているが」

そう言って、同じく"模して留めている状態"だというアプリコットに、またグランドールは視線を投げると、彼女もまた頷いた。


「―――現状は浚渫に行う為に協力をお願いした、精霊や龍神を"もてなし"と"御礼"為の2つの舞が奉納し終えたところ。

あの土砂の山を均して、舞台を片付けるまで儀式です」

アプリコットが静かにアルスとグランドールの会話に続けて入り、音もなく片手を上げると草履を履いたルイが、静かにこちらに歩み寄ってきた。


そしてアプリコットの横に静かに止まった。

傍目から見たならまるで寝ぼけてしまっているようにも見えるが、仄かに厳かな雰囲気を漂わせているのが、ルイが近くに来たことで"鈍感"なアルスにでも感じる事は出来ていた。


「ルイ君が、どうしてここまで大人しくて、私やグランドール殿みたいに"自己"を出していないというのは、私の配慮です。

ルイ君には無許可だけれども、グランドール殿もこの方法の方がルイ君に負担が少ないだろうからと、了承を貰ったからこの様な形になっています」

「負担―――ですか?」

「要は、演じる者の相性と性格、そして成りきるまでの"手順"なんですよ、アルス君」

すっかりアルスを名字で呼ぶ事を止めてしまった、鳶色の男も口を開いた。


グランドールとアプリコットからなされた、ルイの状態における話のニュアンスを、アルスは掴みきれていないと判ったネェツアークが、割って入って来ていた。

丸眼鏡の奥の鳶色の瞳からの視線だけで、話に割って入った事をグランドールとアプリコットに詫びると2人して小さく肩を竦めたので、アルスとの話を続ける。


「相性と性格と、手順ですか。

ルイ君は、どこが関係して少名毘古那神のままなんですか?」

アルスは単純に3つに纏められて、その中にルイがこの状態なっている理由がある事を理解して、ネェツアークに尋ねた。


「クローバー君の場合は"手順"ですね」

「手順、ですか」

ネェツアークの説明を聞いてから、グランドールとアプリコットを見てから、次に大人しいままのルイを見て、アルスは束の間に黙考してから、また、指揮者である男を見上げた。

それから決意をしたように、グッと手を拳にして唇を一度強く結んでから、開く。


「時間は短くするので、こういった儀式において"演者"タイプ別の考察について、自分の考えを、言ってみても良いでしょうか?」

まず"指揮者"である鳶色の男を真っ直ぐに見てから、許可を願う。

勿論回りにいる儀式の"参加者"達にも、許可を貰わんと訊ねるようにアルスは見回す。


「――ええ、どうぞアルス君の考えを言ってください」

ところがネェツアークは周りの意見など聞かずに、アルスが見回している間にすぐにそう請け合ったので、少年は慌てて、振り返り指揮者の男を見つめるが、お構いなしに言葉を楽しそうに続ける。


「私は、指示された策に疑問も抱かずに唯々諾々で従う駒のような兵士よりは、おかしいと思える事や、疑問に感じる事に向き合って考える人は、大好きですから♪」

アルスの考察を聴くことを本当に楽しみにしている様子で、ネェツアークにしては優しく微笑んだ。


「――何より、アルセンがいたなら、アルスの考えを喜んで聴いてやっただろうからのう」

グランドールもアルスの考察を聞く事に賛同して口添え、頑丈そうな歯を見せて笑った。


「魔法が不得手な教え子のアルスが、不得手なりにこういった魔法が盛り込まれた儀式から色々と学んで考える姿を見たかっただろうからな。

部屋で休んでいるアルセンへの土産話に丁度良い、ネェツアークに話してみるといい。

儀式も色々あったが――」

リコと"ライ"が休んでいるらしい舞台の方に視線を向けてから、ディンファレの胸元から顔を出す子猫を見て、グランドールはまた笑って続ける。


「この後の事を含めて予定の時間内には、"儀式自体"余裕をもって終りそうだからのう。

遠慮なく考察を言うと良い。構わんよな?」

そこまで言ってから、グランドールは女性陣に返事を求めて、まず答えたのはディンファレだった。


「―――私は、アルセン様に"借り"がございますので。

アルセン様が喜ばれるなら、アルスの考察を土産話にする位の時間は、私も構いません」

「ディンファレさんが、アルセン様に"借り"ですか?」

ディンファレがいうアルセンへの"借り"が、アルスには気になる。

アルスが、アルセンの名前を出したことで"借り"の内容を気にしている事にも女性騎士は気がつく。


「―――この場では話必要のないことだ。

それに話す時期でもない。

私の気持ちが変わらない内に、考察を指揮者殿に申し上げて、間違っている部分は訂正してもらうといい」

予想上回る素っ気なさで、ディンファレから柔らかみの全くない微笑みも加えられてで、そう告げられたならアルスこれ以上言葉を続ける事は出来なかった。


「まあ、後で話して貰える内容だったらしてもらえば良いじゃないの。

それよりも私も、早くアルス君の考察を伺いたいわ」

ディンファレのアルセンの"借りの内容"への牽制の言葉に、戸惑うアルスにアプリコットは笑いながら先を促した。


「―――ルイ君もこの状態が儀式が終わって抜けたなら、今度からは、もう今の"手順"がもっと短くてすむようになっているかもね」

少名毘古那神を宿して、それを"基準"のまましているルイの頭を、アプリコットは軽く撫でながらそんな事をいう。

その言葉で、アプリコットが自分に"ヒント"も与えてくれている事が、考える事を弛まないアルスには分かった。


「―――魔法が全く使えない分、今から自分が考えている事が頓珍漢な事となっていると感じたら、そこは遠慮なく言ってください」

「にゃん!」


"まかせとけっ"といった感じでディンファレの胸元から子猫が鳴いた。

「何だか、人の言葉が分かっているみたいですね」

アルスはそう笑ってから、控えめに考察を話始めた。


「グランドール様とアプリコット様は、"葦原色許男命"と"神産巣日神"を演じる為の手順が、ルイ君みたいな"状態"になるまでにそこまで困難ではないって事なんですよね。

そうなるまでの"支度"に手間を取らないって、捉えていたらいいんでしょうか?」

アルスの"考察"を聞いて、ネェツアークは満足そうに頷いた。


"解って欲しい箇所"を、少年は、ちゃんと理解してくれている。


(やっぱり"いい子"だねえアルス君は―――)

自然と笑顔でネェツアークは頷き答えた。


「そうですね、それで概ねあっています。

それと、ルイ君が"知識"と"経験"がないからという事も関係しますね。

何よりアプリコット殿の、媒介が入っている事が分かっていたら、更に花丸です」


「あ、はい。それは今朝中庭でのディンファレさんとルイ君の戦いを見た時から、何となく。

それで、これまでの儀式を動きを見て、そう思いました」

ネェツアークの言葉にアルスは、珍しく無邪気にも見える笑みを浮かべて頷いた。


アルスのその答えとその表情に、グランドールは驚きを声に出さずとも、片方の眉をグッと上げた。

ネェツアークは驚いてはいたが、何とか表情を崩さないでアルスが語る考察に、"笑顔"で耳を傾ける。


「――儀式の前に"動けなくなるのは久延毘古の役を演ずる為"って話もうかがいましたけれど、アプリコット様が媒介の一手間をしていたとなると、色々と考えが纏まってきました。

それと、これは考察でなくて質問になってしまうんですが、いいですか?ネェツアークさん?」

「ええ、構いませんよ、アルス君」

まるで軍学校の座学の、講義質疑応答のような会話となって話は続く。


そしてネェツアークとグランドールも、会話の流れの特徴でアルセンがアルスの事を"本当に弟のように可愛がる理由"を垣間見たきがした。


(昔のワシらの雰囲気と似ているのう。特に"今の"アルスは、アルセンに)

グランドールから送られてくるテレパシーで、ネェツアークはまだ軍学校でつるんでいた頃の"若造"の自分達が簡単に思い出せる。


"マクガフィン中曹、サクスフォーン中曹、さっきの講義なんですが。

質問してもよいですか?"


「アプリコット様は、ルイ君と少名毘古那神の間を"取り持つ"為に動けなくなる…まではいかなくても、行動が常時の時よりは遅くなる。

ただ動きが遅くはなるけれど、魔術の方面はこなす事が出来る。

そんな風に考えてよいのでしょうか?」

あの時の少年と同じように、金色の髪を揺らしアルスはネェツアークを見上げる。


(ほう、アルセン。よくそこまで分かったのう)

(さすが、私とグランドールのお世話する班にいるだけあるね)


「魔術が不得手なのによく、そこまで判りましたね。

パドリック様が、お気に入りなのも納得です」

先程から繰り広げられていく考察と、鋭いアルスの観察眼に驚きながらも、そこにアルセンが自分の"跡目"にアルスを仕込んでいるのがネェツアークには良く分かった。


「自分がアルセン様のお気に入りだったなら、本当に嬉しいです」

ネェツアークに"アルセンのお気に入り"と言われて、照れ笑いしながらも、アルスは直ぐに小さく首を横に振った。


「けれど、アルセン様にはお気に入りとか関係なくて、それ以上の"方々"がいらっしゃいますから」

今は背を向ける形になっている敬愛する人の親友だというグランドールや、今は姿を消している"ウサギの賢者"を意識して、アルスはそう断言する。


「ただ、アルセン様に認めて貰えたならとは、正直に言ったなら、いつも心の中で思っています」

アルス自身、ネェツアークと話すことで少しだけ気持ちを高揚させてしまっていて、思わず本音を口に出してしまっている。


何よりこの場にいる人たちが、皆大人で、尊敬して信頼出来てしまうから、日頃どちらかと言えば寡黙な少年は考察を述べる理由があるにしても、多弁になってしまっていた。

そして胸に隠し持った信念を語る姿は本当に、先に国から"英雄"として認められた3人に追いつこうとしている少年の頃のアルセンの姿を、ネェツアークやグランドールにまた思い出させた。

それから、少年は自分が赤裸々に語りすぎたところがあるのに気がついた様子で、照れ隠しを含めてまた"考察"を少しばかり口早に語り始める。


「それで、その続きなんですけれど。

アプリコット様が、媒介に入ってまでしてするルイ君がなる少名毘古那神は、もしかしたら少し具合が違う神様なのかなと、思いました。

アプリコット様が媒介に入っているなら、"経験"は十分に補える。

相性は、ルイ君に合わせて決められたような神様だと思いました。

だから、経験も相性の面でクリアーしているのに手順がかかるのなら―――」

アルスには"手順に手間がかかる事ぐらい"までが解っていてくれれば良い。


そう考えていたネェツアークには、"今の段階"でそこ理解できていた少年に、警戒の喚起を己に課す。


(強いのは、まあ当たり前で、型のないこの子の動き加えて、この観察眼…。

これで魔術を理解して、"扱えて"しまったのなら、数年やそこらで敵無しの存在になりかねないな)


「それと、ルイ君が"少名毘古那神になれる"のは、賢者殿の使い魔である金のカエルが"多邇具久"の役割をしている時だけですよね?」

そしてルイに限らず、"少名毘古那神"を扱う時のウィークポイントも見抜いていた。


「ええ、それに表に出てくる為には、やはり久延毘古という神様も必要なんですよ。

何せ、この世界で少名毘古那神の名前を知っているのは、久延毘古だけですからね。

そして久延毘古に繋がるためには、やはり久延毘古を知っているの多邇具久を介さなければならないわけで。

多邇具久という蟇の神様と、久延毘古という農業で活躍する案山子の神様を辿ってやっと、少名毘古那神という"名前"と"存在"が明らかになる。

何より少名毘古那神という"神様"の登場する場所が、そこしかないんですよ」

ネェツアークが改めて説明をするように東の国の神話の"通り"を語ると、アルスはしっかり頷いた。


「はい、そこの所の話は儀式が始まる前に、アプリコット様に教えて頂きました。

それで確か、グランドール様がのなさっていた東の国では大変有名な神様、大己貴命(おほなむち)と、ルイ君がしている少名毘古那神が協力しての国造りの話でしたよね。

そして、大己貴命はやがて東の国では、とても名前が良く変わることもあるんですけれど、国を造った事で有名な神様だと聞きました。

そんな有名な神様と同等の活躍をしたとしても、やっぱり多邇具久に久延毘古の事を教えてもらって、それから少名毘古那神に繋げるしかないから、手順がかかるんですよね?。

いきなり"少名毘古那神"にはなれない。

なるためには"多邇具久"となる存在と不動の"久延毘古"になって、少名毘古那神の"名前"を表に出す為の下準備が必要となる」

ルイが自己まで意識を戻さず、少名毘古那神のままでいる理由の考察をアルスは言い終えた。


―――パンっパンっパンっパンっ

ネェツアークが微笑みながら、少年の考察に大きな掌から、湿り気があり音が拡がりにくい中でも、重みがあり、空気を揺らすような"拍手"を贈った。


いきなりの拍手に、アルスは目を丸くするが、すぐにネェツアークに向かって、ありがとうございます、と頭を下げる。

下げた頭を上げた時、アルスは真っ直ぐな視線を再び向けた後、少名毘古那神状態のルイに振り返り、また口を開いた。

そして指揮者である男を見つめて、先程とは違った意味の決意を滲ませて口を開く。


「ここからは考察ではなくなるんですが、自分の考えを聞いて貰っていいですか?」

「"君"の考えですか?」

ネェツアークは微笑みから表情を動かさないで、アルスを見つめ返す。


「―――魔法が使えない者なりに、この手順で考えた事があったんです。

あの、その、ネェツアークさんや時間の都合が良かったらでなんですけれども」

そんなアルスの今更にも感じる遠慮の言葉の途中から、ネェツアークは既にグランドールと視線を交わしていた。


日に焼けた大男は、時間はまだ余裕があるように思えたので、親友が弟のように可愛がっている少年の話を聞いても構わないと思い、快く髭の生えた逞しい顎を縦に動かした。

次にネェツアークは自分の契約者であるこの土地の女領主に向けると、アルスに見えない事を良いことに、道化師のようにコミカルに肩を竦めて微笑んで頷いてくれる。

そして"ネェツアーク"という人を許してくれない女性騎士を見た。

彼女は、"自分"がかつて自信がどうしても持つことが出来なくて"おちこぼれ"と思い込んでいたが、それでも自分なりの努力を重ねていた姿とアルスを重ねてしまって――本当に小さく頷いた。

今度は、全ての人から"了承"をとってから、ネェツアークは自分の"都合"も"丁度良い"と思ってアルスの話を聞くことにする。


("彼"が此処に来るのにはもう少し時間がかかりそうだしね)


そして"ウサギの賢者"をしていたのなら、聴けなかった話を聴けるかもしれない。


("おもしろい"じゃないか)


純粋にそう思えて、小さくニイイッと口の端を上げた。

アルスに最後の確認を、ネェツアークは取る。


「考察ではない。それでも了承を得られるなら、何か言いたい事がある、そう言う事ですね?」

「言いたいというか、"尋ねたい"んです。

"魔法を使えない自分"の考えている事が、魔法を使いこなせている人達にとって、どんな風に受け取めてくれるかどうか」

――少なくとも、ここにいる"人"は、最初から『これだから魔法を使えないし、魔術の理屈しから知らない奴は』。


そんな態度を、決して取らないとアルスには信じられる。


「それは、魔法を使えない"自分を情けない"と少なからず思っている所があると言う事ですか?」

ネェツアークに言われた事に、アルスは迷わずに頷いた。


「軍学校では、グループでの魔術の講義や実地訓練の時間に、同期の仲間に大きな迷惑をかけました。

皆、優しかったから決して責めはしませんが、自分の所為でグループの試験結果が下がった事もあったと思います」

「それは、それで"良い機会"をお友だちに与えた出来事だったのではないのですか?」

上げていた顔を俯かせて、"優しい同期"に迷惑をかけた事を恥じ入るアルスの金髪の頭に、ネェツアークはカラッとした感じでそんな意見をかけた。


「えっ?」

下げていた頭を上げて、アルスは空色の瞳の中に鳶色の髪と瞳を持つ男を映した。


そしてネェツアークはアルスの瞳が左上に動くのを――記憶を辿る時にしてしまうという眼球運動――見て、笑った。


「"仲間や友の失敗や不利をどう対処するべきか"、そんな事を学べるチャンスは、余りありませんからね。

私が指導し、教える立場ならそう思いますよ。

多分パドリック様は、同期仲間に申し訳なさそうな態度をしたアルス君を見た時、似たような事を仰有ったんじゃないんですか?。

『そういう事を"学ぶ"のも学校の役目なんです。

かえって"よい機会"を同期の仲間に与えたぐらいに考えては如何ですか?』と」

アルスはネェツアークに過去の事を言い当てられて驚きに目を丸くしながら、しっかりと頷いた。

その少年の様子をネェツアークは"楽し"んで、丸い眼鏡の奥に鋭い瞳をニッと笑む形にする。


「やはり、そうでしたか。

ところでアルス君は、パドリック様が、"アルス・トラッド"だから、そのような言い方という事には気がついては―――」

「"僕"だから、ですか?」

「―――いないみたいですね、その顔と言葉では」

自分の話の途中でも、驚きのあまりに割り込んでくるアルスに、今度は苦笑を浮かべる。


(やれやれ、こちらでも"思い遣り"の気持ちが互いに強すぎて、(こじ)れが出来てしまっているねえ)

後輩でもある親友は、教官としてしっかりと役目を果たしてもいたが、"弟"のように可愛がっているアルスに無意識に"線引き"をしていたのではないかと、ネェツアークは考えた。


"アルセン・パドリック"という教育担当の将校が、どんな訓練生にも厳しくも優しくそして"公平"に接しているというのは、彼が所属する軍学校では有名な話で、"軍隊嫌い"のウサギの賢者でも知るところである。


("公平感"を意識しすぎて、訓練生のアルス君と接する時間を、他の訓練生と必要以上に"平等"にしすぎてしまったきらいが、あったんだろうな)

世話をしてやったとはいえ、必要以上に教官である自分と親しくしているのを、他の訓練生達が見たのなら、"アルスの軍学校"の生活に支障が出るかもしれない。


(アルセンなら、そこは徹底してそうだもんな)

ネェツアークは少し考えただけでも、軍学校で綺麗に微笑みながら、大勢の訓練生と生活するアルスに、語りかけるのを堪えているアルセンの様子が想像出来た。


実際、アルセンは軍学校での生活では、アルスに対してあくまでも他の訓練生と同じように平等に徹していた。


"差しで話し合った方が良い"事があったりもしたが、余程特別(他の教官では、アルスが強すぎて対応出来なかった剣術の指導、軍学校での最後の日)な事以外、2人きりになることを極力避けていた。

きっと二人きりになったなら、アルスに対して"兄"のように振る舞う事を止められない事が、自分でも分かっていたのだろう。


(まあ、私たちの軍学校時代でも、仲が良すぎて面倒な人間関係やらでそれなりに色々あったからなぁ。

アルセンは私やグランドールに相談もしないで、自分でケリをつけたりもしていたけれど。

大切な人には、犠牲的精神が過度な所があるから)

ネェツアーク個人としては、アルスとアルセンの2人なら、誰も邪推などしないと思う。


寧ろ、本当に年の離れた弟だと周囲も信じて疑わず、暖かい目で見ただろうとも思う。

実際"ウサギの賢者"は初めてアルスという少年と出逢い、その人柄に接してみた時。

昔から親友達にだけ"弟が欲しかったんです"と密かに言っていたアルセンに、アルスはぴったりな"弟"に見えたものだった。

そんなアルセンは、本当なら弟のように可愛がり、手元に置いて置きたかったアルスの"幸せ"の為に、彼の才能が"活かされる"ようにと、ウサギの賢者――ネェツアークの元に送り出していた。

そんな少年に、"兄"の気持ちを教えてやるのも悪くないと考えて、ネェツアークは薄い唇を開く。


「それなら、私からの補足として1つお話しておきましょう。

先程も一度いいましたが、パドリック様がそう言う言い方をしたのは、"謙虚過ぎる"アルス君だからですよ」

「謙虚―――ですか?自分が?」

アルスは意外な事言われたと言った表情だった。


「――いや、謙虚というよりは、自分に誇りが無さすぎるんだ」

そしてアルスの言葉の後ろに言葉を続けたのは、ディンファレだった。


「ディンファレさん…」

後方の先輩騎士から思いがけない言葉をかけられて、アルスは驚きで振り返った。


「普通、君ぐらいの年代は、軍学校の時点で御前試合で判定負けとはいえ、2番目であることを誇りに思っていても、なんら不思議はない。

剣の指南を、他の教官で務まらないからと、大戦で活躍された英雄であるアルセン様にして頂ける事も、誇りに思ってもおかしくはない事だ。

そんな2つの"誇り"に思えるような事を手にしておきながら、少しも誇りに感じていない」

ディンファレは顔には出していないが、言葉に"呆れ"を滲ませて新人兵士にそう告げる。


「―――それはいけない事ですか」

憧れを抱いている分、ディンファレの声に含まれていた呆れに気がついて、アルスは思わず気恥ずかしさと僅かな怒りを孕んだ声で言い返した。


だがこれまで"口"の問答においては、職場を抜け出す国王に始まり、おっとりした法王から、舌を数枚は持っていそうな賢者まで相手にしてきた女性騎士には、それこそアルスの反論は雛の(さえ)ずりみたいなものにしか感じなかった。


「いけないとはいっていない。

ただそのアルスの態度は謙虚を通り越して、そう、卑屈かな。

卑屈の中に自分を押し込んでいるようにも、私には見えるんだがな」

全く動じずに、尚歯に衣きせぬディンファレの"相変わらず"のいい様に、流石にアルスも狼狽する。


会話に割り込まれたネェツアークは苦笑いを浮かべ、グランドールはアルスに初めて"深く"興味を持った。

"アルセンが気に入っている教え子"ぐらいの認識でアルスを見ていたグランドールは、今はまだ狼狽の表情のままの彼を改めて見る。

外見は整っているし、髪の色はアルセンと同じで、婦女子に人気のあるサラサラとした金色。

人柄も控えめで、剣の腕前が素晴らしくて、分別がある"好青年"を型どった様なアルス・トラッド。

ただ、親友であるアルセンとアルスを"タイプ"で表現するというのなら、全く別物にカテゴリーされるとグランドールは思う。


(―――まあ、アルセンがアルスを気に入った本当の理由は"当人"達でも気がついてないかもしれんのう…)

グランドールがそんな事を、考えている内に"話"はまた進む。


気の優しい少年には、実は始めから、仄かな想いを持っているディンファレに、いくら厳しい事を言われたとしても、怒りを持続することは難しかったら様子である。

直ぐに上げていた肩を下げ、力を抜いて"誇りを持てない"理由をアルスは口にする。


「―――いくら剣が上手いと言ってもらっても、自分のは軍学校に入ってから習ったので、ベースは我流です。

強いと評価されても、流派や師弟関係が"物"をいう世界では、懸命にやっても、決着をつける前に止められて、最後は"後ろ楯"がある方が判定勝ちになりました。

"僕"は、剣術は好きです。

だけど、そんな派閥や自分の努力の範疇(はんちゅう)ではどうにもならないところで、優劣が決められてしまう事で決められた"新人の中では2番目"という評価は、誇りには思えません」


「今年の訓練生での優勝者は、新人兵士でも軍の将校学校の幹部候補生だと聞いてはいた。

ただ、そんな決勝の決着だとは知らなかった。

やはり、教育部隊の閉鎖的な部分は改定を進言した方が良いみたいだな」


ディンファレがそう言ってから、アルスの"上司"に当たる存在を彼の肩越しに見ると、『へえ〜、そんな事があったんだ』という顔をしている。

どうやら"軍隊嫌いの賢者"は、そういった事まで存じてはいないらしい。


(リリィ嬢の護衛騎士を選ぶに(あた)っての最優先事項は腕前と人柄だけであって、その兵士の内情までは知ったことではないということか)

ディンファレは今度はネェツアークに対して呆れてはいたが、やはり顔には出さずにアルスの"誇りを持てない理由"に引き続き耳を傾けてる。


「アルセン様に剣術を指南して貰えるのは、本当に嬉しかった事です。

ただそこを誇りに思って良いのかどうか、自分にはわかりません。

ディンファレさんの仰るとおり卑屈は…、自分の中にあるのは認めます。

自分は、災害孤児で孤児院からも出る事になって、浮浪児をしていた所をアルセン様に世話になりましたから。

自分にしてみたら、剣術の指南をして貰ったことも、忙しいアルセン様に手間をかけさせてしまったような気がするだけです」

アルセンが側にいたなら言葉に出来ない事をディンファレに向かって、アルスは話す。


敬愛する人の親友というグランドールに聞かれて、それを伝えられても構わない気持ちで、その事を話していた。


(ねえ、ディンファレさん。

気のせいかな、アルス君は無意識に"誇り"から自分を遠ざけているように感じない?)

不意にディンファレの頭の中に、馴れ馴れしさ満載のアプリコットの声が響いた。


真剣に後輩と向き合って話し合っているつもりだったのだが、馴れ馴れし過ぎるテレパシーにディンファレは盛大な溜め息を吐き出して、アルスはビクリとしてまた狼狽える。

周りにいる人物が皆、自分より人が出来ていて大人とはいえ、"誇りに思えない理由"が拗ねたようにしか見えない自分の本音にディンファレから、呆れられたのとアルスは考え、またうつ向く。

そんな消沈した自分の護衛騎士である少年を、ディンファレの肩越しに眺めて、アプリコットが先にテレパシーを送った事を知らないネェツアークが、今度はテレパシーを送る。


(うーん、アルス君が"失恋"してしまったみたいな状況になっているねえ。

脈がないのに早めに"お断り"するにしても、もう少し柔らかくしてほしかったな)

次に受け取ったネェツアークからのテレパシーには、ディンファレからすれば"どう解釈したら、そんな失恋話になるんだ"、と怒りを心の中で荒れ狂う渦潮の如く渦巻くかせ、瞼を深く強く閉じて、肩を小さく震わせた。


ディンファレは、再び大きく溜め息をついた。

王族護衛騎士として身嗜みの為にだけに引いている、それでも彼女の美しさを際立たせる薄紅が塗られている唇を大きく開く。


「馬鹿らしいし、自分の思い込みだけで勝手に気持ちを固める物ではない!!」

とりあえず、アルス、ネェツアーク、アプリコットの3人纏めて異国に伝わるという、言葉では通じ難い気持ちを伝える"喝"のニュアンスを込めて、わずか残る雷鳴をも凌ぐ凛とした声をディンファレは渓谷に轟かせた。


アルスには、迷いや拘りを断ち切るように、ネェツアークには昔から何かにつけて変な勘繰り及び解釈をいい加減に止めろというそんな意味合いを込めて。

そしてアプリコットには"確かに貴女の考えは一理あるが、もう少し距離感とタイミングを考え、持って頂きたい"と伝える為に。


3つの気持ちを込めて、ディンファレは言い放った。


「"まず"は、アルス!。アルセン様は恐らくそんな気持ちを見越していてお前に優しくいってくれていた事に気がつきなさい。

もう、軍学校ではない。まだ訓練期間が終わって間もなくて、軍隊嫌いな賢者の元にいる為もあるかもしれないが、少しばかり考えが甘ったれている!」

ビクリと肩を竦めるアルス越しにネェツアークをディンファレが睨むと、頭をボリボリと掻いていた。

どうやら、一応軍属であるアルスから軍隊の"規律"を損なわせている傾向があるのは、自覚しているらしい。

ネェツアークの"自覚"を確認してから、ディンファレは言葉を続けた。


「アルセン様は確かに優しく公平な方だが、どうやらアルスには甘すぎる傾向があるのがわかった。

そして、その優しさが、アルスの剣筋を鈍らせている。

優しさを盾にして、誇りを持つことから逃げようとしている事に、気がついてもいないとはな」

先程まで、女性騎士の発言に肝を冷やしもしたが、アルセンの優しさが自分をダメにしているという発言は、"慕う"気持ちを持っている女性でも聞き捨てならなかった。


「そんな事ありません!。

それに優しい事のどこがいけないんですか!?。

誇りを持って何になりますか?。

決勝で自分に勝った事になった相手は、自分の剣術の流派の誇りの為に反則染みた行為までして、優勝をもぎ取ろうとしていた。

そして、派閥か流派か知りませんが、審判達は同期や教官達がいくら反則染みた行為を指摘しても、動こうともしなかった」


アルスにしてみれば、そうやって応援してくれた同期や、自分の危うい剣筋を矯正してくれたアルセンや、「魔法が使えなくても剣術がある」と励ましてくれた教官達の為に、試合の時は勝とうとしていた。

でも、結局は剣を止められて、判定で"模擬試合であるのに、命を奪いかねない。剣筋が危うすぎる"という理由で判定負けに持ち越されてしまった。


《アルスが生きている間は、もう戦がないように願ってこの事も伝えておきます》

《争いがない『御世(みよ)』に剣を扱う時は、敵を倒す為と心頭においてはいけません》

《貴方が戦っている相手にも、大切に思っている存在がいて、武器を手にしている》

《大切な存在を守る為に、敢えなく剣を扱う。そう考えなさい》

《そうする事で、貴方の強い剣が無用な哀しみを産むことは、きっと少なくなるから》


その判定は、アルセンから優しい言葉で教えて貰った剣術に、泥をかけられ汚されたような気がした。


―――そんな"誇り"なんて、いらない。


まだ柔らかい少年の心を頑なにさせるのに、十分な出来事だった。


「―――"誇り"を保つために、見苦しいし嫌な体験をした事には、同情もしよう。

だが、それと己の誇りを持た無いことは関係ない」


("アルス君は無意識に"誇り"から自分を遠ざけている"理由はこれで、解明されたと思いますが、如何ですか、領主殿)

そうアルスと向き合って冷然と言いながら、ディンファレはアプリコットにテレパシーを飛ばす。


(わざわざ"解明"ありがとう、ディンファレさん。

でも、剣術を学ぶにあたって、"ボッチ"だった私には、教官さんや同期の優しさに応えたかったアルス君の"誇り"を汚された気持ちは、分かってあげられないかもしれないわ)

苦笑いを含んだ様子で、アプリコットから礼のテレパシーが送り返されてきた。


ディンファレは最初"ボッチ"の意味がわからなかったが、胸元にいる黒い子猫が悲しげに喉を鳴らして意味を教えてくれる。


《独りぼっちの、"ぼっち"だにゃ…》

アプリコットの生い立ちを詳しくは知らないが、明るい言葉やコミカルな動作を見せる中に、中々重い物を感じながらも、ディンファレはまだアルスに厳しい視線を送っていた。


(前もって言っておきますが同情ではありません、ただ貴女に興味が湧きました。

それで良かったら領主殿、後程"知人"としてお話をしましょう)

そして再びアルスを"叱咤"する。


「私からしてみれば、優しさで誤魔化して剣筋を愚鈍にしているのなど、愚の骨頂だ。

それにお前は"自分が汚れてでも守りたい"気持ち、そんな"誇り"など考えた事はないだろう」

忘れようと努めていた"怒り"を思い出して気色ばむアルスを覆す勢いで、ディンファレが言い返す。


「今こうやって話している時も、優しさを盾にして、汚されるくらいなら――相対する者と互いに傷ついて傷つけてしまうくらいなら、"誇り"などいらないと考えているだろう。

ただ優しく強い剣を振るって、守りたいものを自分も相手も傷つけずに守ろうと思っている。

そうやって、汚れない為の逃げ道を作って"普通"の考えを保とうとしているだろ。

そんな考えなら、軍人など次の任期契約の際がきた時に止めてしまいなさい。

――でないと、お前が敬愛しているアルセン様がいずれ恥をかき、もしかしたら立場を失う事に繋がりかねない」

そう言ってからディンファレは横にいる、口を開きかけた日焼けしている大男を鋭く一瞥した。

そして、"跡目を継がせる"つもりのルイがロブロウでしてしまっていた事を強い視線で責めていた。


(戦がない世だからと、"甘やかす"から、本当に守りたい者を常に守らねばならない立場を忘れて、勝てるはずのない相手に蛮行を行うのです)

農業研修であるロブロウの地においては、ルイがリリィを"守る役目"になると、ディンファレは聞いていた。


一応年上であり分別を弁えて、幼いリリィを守り、少女から"決して側から離れない事"がルイの役割だった。

それを忘れて問題を起こした事、そのルイにリリィを守らせる事をまだ年若い弟子に請け負わせたグランドールにも、ディンファレは表には出さなかったが、怒りを覚えていた。

ディンファレが"リリィ"という少女に対して抱えている深い気持ちを知っている、数少ない"理解者"として、弟子の失態には確かに申し訳ない気持ちが拭いされきれず、開きかけた逞しい唇を閉じた。

グランドールはアルスを庇う言葉を発することなく、儀式様にアルセンに髪を結い上げて貰った大きな頭を横に振った。

誇りを持てないのなら軍人を辞めろというディンファレの言葉に、アルスはまだ俯いていた。

尚もディンファレが叱咤を続けようとした時、そのアルスとディンファレの前に、スッと緑色のコートの男が入る。


「『兵の訓練は、穴掘りに始まり穴掘りに終わる』その覚悟がないなら、なんて古くさい事をいうつもりですか?」

自分が言おうとした事を、滑らかに先に口にされてディンファレは美しい栗色の髪と揃えられいるような、ブラウンの瞳を細める。


漸く乗っ取られた会話を取り戻す糸口を見つけて、ネェツアークは会話に言葉を捩じ込み"参加"した。

そしてその声と口調には、これまでディンファレとアルスの間にあった"怒り"と違った物を含ませている。


「―――最近の"お試し"みたいに任期契約で入隊する新人兵士には、その格言の詳細を"古くさい"などという理由で意味の詳細を教えていないそうで、嘆かわしい限りです」 

幾度となく負けてきたが、それでも全く怯む事なく自分の目の前にたつネェツアークにも、ディンファレは堂々と言ってのけた。


「―――私に言わせてもらえば、この平和な時世に、そんな"死ぬ為の覚悟"みたいな格言や信念を入ったばかりの一般から入った新人兵士に求めるのは、如何なものかと思いますがね?」

そう言って、ゆったりと腕を組んでネェツアークはディンファレに向かって微笑んだ。


ネェツアークの優しそうに見える笑みほど、相手に対して容赦をしていない"証"だと知っている女性騎士は、一度だけ小さく喉をならして唾を呑み込む。

彼女の胸元にいる子猫だけがそれに気がついて、ディンファレを見上げる。

そしてこの場に自分の親友の――リコリスが居なくて良かったと、子猫は考えてもいた。

きっとこんな状態、昨夜のリリィが眠る客室前のような一触即発状態のディンファレとネェツアークを見たなら、リコは敬愛する先輩騎士の"怯え"を含む様子に心を痛める姿を、ライは容易に想像が出来てしまう。


(にゃあ〜、東の国の神様の少名毘古那神とルイ坊の話と"アルスっち"から、にゃんだか話がとんじまってるにゃ〜。

早いとこ、儀式の最後の所まで終わらせて、ワチシ的には休んでいるリコにゃんを、迎えに行きたいとこにゃ〜)

実質的にディンファレとネェツアークの間に"挟まれながら"、黒い子猫は独り言を考えていた。


(ご心配なく、話の"着地点"はしっかりと支度しているつもりですし、これも必要な"手順"なんですよ、ライさん)

テレパシーの"回線"を繋げているわけでもないのに、黒猫になっているライの思考の波長に合わせて、"独り言"て言葉を拾って賢者は勝手に返事をする。


黒い子猫が驚いて、耳をピピっと動かした時。

賢者は口許に笑みを浮かべ、新人である兵士に叱咤する、この国で女性騎士では最強と言われるディンファレにネェツアークは語りかける。


「―――軍に骨を埋める覚悟を固めるにしろ、それとは違う別の役割で国の繁栄に関わりたいという気持ちを芽生えさせる為、"契約である軍属期間を設ける"。

それを施行しているのが、セリサンセウムという国です。

契約期間の2年の間に、自分の中に身命を賭す程の愛国心と兵士としての資質があるかどうか、見定めればいい事です。

もしそこまでの覚悟がないとしても、その間に培われただろう"国を愛し、護りたいという気持ち"を根付かさせれば、国として成功している方です」

ネェツアークの例え方に、ディンファレは露骨に眉を潜めるが、言葉は挟まない。


鳶色の男は更に続ける。


「国を思う気持ちさえあれば、有事の際には"自分に出来る事"で国を助けるために、自ずから動く"民"が国にいてくれる。

兵は国を護ってくれますが、民程国を"造って"くれるわけではありませんからね」



ネェツアークは笑って"真実"を思い出していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ