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【当為 (とうい)・後編】

もう今日だけで数度は聞いた圧し殺された破裂音と共に、弾が銃口から消音器を抜けて、シュトを狙うようにしていた紙飛行機の切っ先に被弾した。

弾は紙飛行機を貫通すること無く、尖った切っ先をひしゃげ、丁度ロックの部屋の入り口の扉の上に突き刺すようにして、壁にめり込んで止まった。


「―――なんやかんやで、俺が一番ロックさんの部屋を荒らしてまっているような気がしてきたな」

発砲した事を少しだけ申し訳ないと考えて、銃を手にしたまま紙飛行機が張り付いた、入り口の上の壁をシュトは見上げる。


それから開けっ放しとなってしまった窓から入り込む風で、ロックの部屋の入り口に上で張り付くようになっていた、"紫色に染め上げられた紙飛行機"だったものは、はらりと揺れながら床に落ちた。

シュトは再び撃鉄を引き、弾を装填して床に落ちた紫色の紙屑になった物に、銃口を向けたままゆっくりと歩み寄る。


「魔法が苦手だから具合がわかんねえだけど、もう大丈夫だと思うか?」

視線は床に落ちた紫色の紙屑に向けたまま、同じように銃口を向けている"銃"に訊ねる。


《魔法が全く出来ないジュリアンの為に、僕が造られたんだよ?。

僕が、魔法に関することが判別が出来ると思う?》

(いささ)か呆れたような銃の声を、シュトは、尤もだ、と鼻で笑って慎重に更に紫色の紙屑に近寄った。


いつでも発砲が出来るように銃を構えながら、まずは靴の先で踏む。

カサっと、至って普通の紙屑を踏んだ時と同じような音がする。

シュトは一度唾を呑み込んでから、意を決したように手を伸ばし、紫色の紙屑に震える手で触れた。

すると紙屑に中に、キラリと光るものがある。


(何だ、ありゃ?)

銃もシュトが見たものを確認したのか、急に話しかけてくる。


《―――シュト、多分もう大丈夫だと思うよ》

先程までの"魔法は分からない"と言っていたに等しい主張を見事に翻して、銃が魔法の作用によって攻撃してきたであろう、紫色の紙屑の"安全"を宣言した。


だがその"翻し"にシュトは皮肉の1つも言わないで、無言で素直に銃の言葉を聞き入れて銃口はあっさりと下ろした。

紙のすぐ側まで近寄り、しゃがんでまだ少しばかり銃身が熱を持っているので、利き手でない方に銃を移して代えて、シュトは紫色の紙屑を丁寧に広げてみている。


《―――シュト?》

自分の言葉を素直に受け入れた"主"に、銃の方が逆に拍子抜けしたような、驚いたような反応を示す。


ただシュトはそんな銃の様子に気が付きながらも、黙々と床に落ちている紙を丁寧に引き伸ばす。


《どうしたの?。シュトなら、「さっきお前、魔法に詳しくないとかいっていたじゃねえか」とか、君なら言いそうなのに》

ややわざとらしく、気障に語りかけられる銃の呼び掛けにも、シュトは特に反応をしない。


「いや、単純に"銃"のお前は俺よりも年上なわけだから。

それに、さっき分からなくても今になって分かった事があっても、おかしくねえんじゃないかってな。

あ、これは文字の方向が逆か…」

銃の気障な態度にすら拘らない姿をみせて――シュトは紙屑のようになっていた紫色の紙を丁寧に広げていて、それが自分から見たら逆さまである事に気がついた。


文字を見やすくする為、指で軽い紙の端をピッと弾く。

紙を指先で弾いた瞬間に、床の上で回転させた紙から、先程光って見えた用な物が紙屑の中から、遠心力の為に飛び出た。


「おっと」

それをシュトは思わず、条件反射の様に、弾いた指先で押さえていた。


《紙より、指で押さえた"それ"に気を付けた方が良かったみたいなんだけど…。

大丈夫みたいだね》


"気を付けた方が良い"という物を指で押さえたまま、左手に握り代えた銃を少しだけシュトは睨む。

あらかた銃身から熱もひいたみたいなので、再びベルトに納めながら今度はしっかりと文句を言った。


「早く言えよ、そう言うことは!。

確かに大丈夫みたいだけどさ。

で、こりゃなんだ?焦げて曲がった針金?」

押さえた指先を上げて、爪で転がしながら細長い焦げた金属の物体の見る。


《それは、弾を受けたから焦げた針金に見えるんだよ。

多分僕の見立てだと―――、それは"針"だったんだろうね》


「"針"って、あれか?縫い物したりする時に使う?」

銃の言葉を目を丸くしながら聞いて、シュトは注意深く指先にある"針"だったらしい物を観察する。


折れ曲がってはいるが、確かに端の一方は鋭く尖り、もう一方は欠けてしまってはいるが糸を通す為のごくごく小さい穴があった。


《東の国の魔術ではね、日常的に使っていたものが古くなった時、しっかり使っていたものを弔いをして感謝しないと、それに"魔"が宿りやすくなるんだ。

けれどそれを利用して、呪物の道具として使う事があるらしい。

多分、何らかの理由があって、この魔法の紙飛行機仕込んでおいたんだね》


「古い物には心が宿るか。

付喪神とは、大事にされたかされなかった位の差なのかな。

お前は、古いけれどジュリアンさんやエリファス師匠に大事にされといて良かったな」

《―――"古い"を連発しないでくれるかな?》


先程の危険物かもしれないという針に対する応酬をしてから、指先にある物体を眺める。

シュトにしてみれば、銃の言う"マ"やら"ジュブツ"の意味は分からないが、"良くないもの"の仕込まれた何らかの"理由"が何となく――紫色の紙を見て判った。


「なあ、ロックさんてそんなに怨みを買うような事、しちまっているのか?」

紫色の紙屑を綺麗に開いて見てみれば、弾が貫通した箇所は丸い穴が空いていて、穴の縁は至近距離で撃った為か黒く焦げている。


しかしそれでも、紫色の紙にそれ専用の白いインクで書かれている、まるで定規で引いたような直線の文字の内容の判別は出来た。


【 裏 切 っ た な 。 怨 】


"怨"と言うこの世界での文字の一部が、丁度貫通して焼け焦げた形ではあったが確りと、文字の意味は解せた。

そしてその言葉が、この部屋の主に向けられ、届けられているのも判ると何とも言えない哀しみも込み上げてくる。


シュトにしてみれば、ロックには優しく仕事には厳しいお爺さんというイメージを未だにもったままで、寧ろ悪いイメージが持てない。


《うーん、僕はあまりロックとジュリアンが話しているところはみなかったけれど。

ロックっていう執事さんが、対人関係で意見の違いがあったとしても、恨みを買うような事をするような人じゃあないと、僕は思うよ》


そんなシュトの気持ちを察したのかどうかは分からないが、先程応酬を受けたというのに、こうやって労りを感じさせてもくれる銃の言葉は本当に嬉しかった。


「お前の事、信頼はしているけれど、信用はしてない。

だけど、お前がそう言ってくれるなら、ロックさんは悪い人じゃないって、俺は信じられる」

シュトの言葉に、回転式弾倉の銃の癖に、珍しくジャム(弾詰まり)を起こした様な反応をした。


《―――何だか、僕に関して微妙な言い回しをされたみたいだけれど》

だがすぐにシュトの言葉に、苦笑いにも似たニュアンスを含ませて、銃は紫色の紙をついて言葉を続ける。


《ロックに送られてきた、この不気味な手紙。

定規で引いたようなこんな文字を使って書いてるのは、筆跡を辿られないようにするためだろう。

そしてそんな手間をとるのは、もしもこの手紙が表に出た時に、筆跡で身元が割れる恐れがある人物》

「手紙の送り主は、そんなに特徴的な文字を書くって事か?」


シュトのざっくりとした解釈に、銃はまた苦笑いを溢した。


《それも、あるかもしれないけれどね。

僕が考え付いたのは、手紙を送りつけた人物は、一度は(おおやけ)に"自分の字"が、記録の残り安い"国の仕事"に関わったのかなって事。

それと、それに合わせて、もしかしたら"軍"にも籍を置いていた事があったのかもしれない。

ジュリアンもこれに似た、紙飛行機の手紙を受け取った事がある。

それはこざっぱりとした、白い紙飛行機だったけれどね。

それを造ったのは、僕達"銃の兄弟"を造った賢者の弟子。

"試作品"って注意書もあったけれど、精巧で、それで連絡を寄越したのを見たことがあるよ。

そして、その弟子はグロリオーサ達が平定した国の軍隊に入ったというのを、風の噂に聞いたから。

伝達の手段での子供の玩具のようなふざけた形状はともかく、"紙飛行機"を使った通信は情報を傍受(ぼうじゅ)されない魔法として、軍に直ぐに取り入れられたとも話に聞いたよ。

最近の事は知らないけれど、軍に取り入れられたってぐらいなんだから、随分重宝がられたんじゃないかな》

銃を造った賢者の弟子はネェツアーク、そのネェツアークが造った物が軍で重用されている。


「あの人、やっぱりそれなりに仕事はしているし、優秀なんだなんだな…」

(性格が不貞不貞しいところはあるけれどな)

とりあえず誉め言葉は口にして、"難あり"な部分は口には出さずに、丸眼鏡をかけた鳶色の男をシュトは思い出す。


そして今一度、伝達以外の魔法がしこまれていた紫色の紙飛行機を眺めた。

賢者の弟子だったネェツアークも、また賢者となり、こういった形に残り、これからも使われ続けられる道具を造り出したりと思うと、シュトは計り知れない気持ちも湧いてきていた。

感慨に耽りながら、賢者の作品から派生した産物を眺めているシュトを確認しながら、"銃"が説明を続け始める。


《だから軍は学校を含めて除隊してた後も、管理が結構徹底しているらしいよ。

こういった"良くない"使われ方があったり、一度籍を軍に置いたものが、軍の技術を持って不祥事に荷担した場合、教えた側として速やかに縛さないと、技術を施した国として面目がないからね》

銃の話すことは、最もだと思えたのでシュトは静かに頷いて、話の続きに耳を傾ける。


《どちらかと言えば、こんな字筆跡を解らなくしてまで手紙を持書いた方は、正体がバレないようにしてまで、こういった事をしているんだから…。

送って来た方が、後ろめたい事をしているんじゃないのかな》


銃の見解は、自分寄りに好意的に解釈をしてくれているものだと、シュトは冷静に考えていた。

しかし、冷静な考えとそれに自分生来の性格を"皮肉屋"をミクスチャーしたならば、ロックに紫色の紙飛行機を飛ばしてきた人物のは、随分と難しそうな"人"のような気がしてきた。


「じゃあ、ロックさんは裏切ったわけでもなくて、単に相手が逆恨みして、こんな"ジュブツ"込みな手紙を送りつけてきたってわけになりそうなのか?」


《うーん、会った事もない相手にこんな事をいうのも、なんだかなって、僕でも思うんだけど。

シュトが言っている"的外れな逆恨み"をしている事は、当たらずも遠からずなんじゃないかなあ》

「いや、俺は"的外れな"とまでは言っていない」

銃と会話していく内に、弾が貫通した紫色の紙も、書かれた内容もなんだかとても"小さい"物に感じられきた。


最初は指先で恐る恐るにつついてものを、シュトはためらわずに拾い上げ、哀れみに似た気持ちすら持って見つめ始めていた。

(せっかく、"伝える"力があるのに、こんな暗い気持ちを伝える為に工夫まで凝らすなんて、馬鹿らしいし、もったいない)


人とのコミュニケーションが生まれつき、自分にはどうしようもない上で、不自由な弟を思い出して、更にそう思う。

希に、上手くコミュニケーションが取れなくて、心ない人に馬鹿にされたり笑われたりするけれど、そんな人を貶め傷つける笑いを浮かべるような、心が貧しい奴より、アトの方が余程ましだと、身内贔屓と判っていながら考えた。


《少なくとも、こんな趣味の悪い色の紙に、わざわざ"怨"の一文字なんて、随分思い込みが激しいし、独り善がりも強そうな印象を僕は受けるよ。

――だから、シュトは深く関わらない相手に、真面目に取り合っている時間も気力ももったいないよ》

少年が考え込みそうになるのに気がつき、それを引き留めるように銃がまた話しかけた。


シュトもハッとして、今は弟の事を思う事態ではない事を思い出して、再び手紙を見つめて、銃に問いかける。


「じゃあ、この紙飛行機の内容を真に受ける必要がないって事なのか?」

《さて、そこが"分からない所"でもあるよ、シュト。

ロックがこの手紙の主にした"裏切り"がどういったものなのか…。

今から、僕の"弟"を迎えに行くに当たって、その"裏切り"がこちらの有利か不利か。

はたまた何の利もオチも産みもしない、ただのお邪魔な哀れな手紙をだったのか、とかね》

最後の方は気障な上に、幾分芝居がかった銃の言い回しにシュトは辟易としたが、確かにその通りだと思った。


もう何も恐れを抱かずに、シュトは紫色の紙切れを紅黒いコートのポケットに押し込む。


「とりあえず、浚渫の儀式、エリファス師匠と多分ロックさん。

そしてもう1つ"杞憂"に終わりそうな、この"ジュブツ込み"の手紙を送ってきた人がいるって事を忘れないで、これから行動すれば良いってこったな。

一応こいつは持っていっておこう。

この部屋に残しといて、ほかの使用人がみつけたなら、気分だけは一丁前に悪くなれる。

それにあの賢者さんに現物見せたなら、あっさり身元割れも出来るかもしれないし。

あの人も、自分が造った物がこんな使われ方されても嫌だろうから」

別にネェツアークを思いやるつもりはないが、自分でも"人の役に立つ為"に自分が造った物が悪用されたら嫌だと普通に思えたので、何気なく口にしたが、それが"銃"を造った賢者も同じだったのだろうと、ふと思い付く。


(銃は"戦うための力"であって、"傷つける為の力じゃない"か)


【魔法も剣も敵わない、使うものの技術も問わない。

最も危険で、無慈悲な武器だから、銃を使う人は誰よりもその恐ろしさを弁えて、"この世界"で最も優しい心を持たねばならないの】

エリファス初めて銃を渡され、ひんやりとした優しい手を重ねられながら、そう教えられた。


(多分、エリファス師匠も最初の"銃の兄弟"のジュリアンさんに、同じ事を言われたんだろうな)

腰のベルトに納まる銃を眺めると、"銃"はシュトがそんな事を考えているとは考えも及ばず、次の行動への忠告を言葉に出す。


《そうだね、その人に見せればいいよ。それに手紙に関しては、知らなかったよりは、知っていた方が良かったと思おう。

ああ、そうだ、これから行く、アングレカムの子供の部屋に行って、もしも起きていたのなら、その"子"に尋ねてもいいんじゃないかな?。

アングレカムの子供なら、魔術がきっと得意だし、賢いはずだから》


「"アルスの先生"…アルセン様を子ども扱いで呼ぶなよ。

確かグランドール様や、賢者さんとそんなに年は変わらないはずだぜ?。

まあ、見た目が綺麗で若いし、腹黒そうで賢いこそうなのも認めるけどさ」


《腹黒そうとまでは、僕は言ってないよ?》

色々と考えていたのだが、"銃"の良い"立派な大人"を子供呼ばわりするこの言い草にシュトは呆れてしまって、思わずそんな言葉を返してしまっていた。


銃は返された言葉に感じ入るようにしてから、ため息を吐き出すように、言葉を出す。


《僕には、泣き声で大好きな父親を助けてっていう、アングレカムの子供の姿が一番記憶に残っているから。

その前の、父親と本当に楽しそうに散歩する姿がどうしても忘れられないんだよ。

僕の中じゃ、アングレカムの子供、名前はアルセンか、アルセンは小さな可愛い天使みたいな子供のままなんだよ》

それから再びため息を吐くと、シュトに"告白"をする。


《あの時、狙われていたのがアングレカムではないと気がつけていたのなら。

あの可愛い子供から、大好きな父親を失わせずに、あんな悲しい声も顔もさせずに済んだのにって、今でも思うんだ。

しっかりと"人"になっているらしいけれど、父親が共にいたのなら、アルセンの人生はなお良いものになっていたんじゃないかなって》

後悔の気持ちに溢れた声で"銃"は語る。


《僕の力は、魔法の力がなくても、守りたい者を守る為にあるのに》

慰め、励ますつもりは更々ない。

そんな風に自分に言い聞かせ、シュトはロックの部屋を退出する為に、先程開いた窓を閉めながら"銃"に言葉をかける。


「"ジュリアン"さんが、気がつけなかったのは仕方ないんじゃねえの。

誰だって狙うなら、そんな罪もなさそうな子供を狙うとは思わねえもん」

カシャンと音を出して、窓は閉まった。


《そうだね。ジュリアンは時に苛烈にも見えるアングレカムの所業を見た事があった。

それに強すぎる彼を狙うなら、僕みたいな武器を使っても仕方がないかもしれないと、思い込んでいたかもしれない》

「お前も禁術に付き合いすぎて、心持っちまったから、キツいよな。

"普通"なら、あり得ねえ事だもんよ」

《―――》

この言葉に"銃"は押し黙るが、シュトはお構いなしにロックの部屋のドアノブを握った。


"人の都合で、声や心が無かったものに、与えるものではない"

――単なる武器であれたなら、自分の腰にいる"銃"は天使のような子供の哀しみに、心を悼めて傷つく事はなかった。


(まっ、他にも色々ややこしそうな"事情"があるんだろけれど…)

"使用人部屋"での考えに一度区切りをつける為に、シュトは思いきり息を吐いて、瞼を強く深く閉じた。


(俺は、俺がこの事で後悔しないように、やる事をやるだけだ)

胆を据え、一気に瞼を開け、口元にも力を入れる。


「んじゃ、アルセン様の様子を見にいくか。

お休みになられていたら、そのままで、起きてたら、この不気味な紙飛行機の手紙を渡してって事で。

最終的には、お前の"弟"奪還の為に、ネェツアークさんとアプリコット様がしている儀式の後片付けに"乱入"としけこもう」

"乱入"という言葉に、気持ちを昂らせながらシュトはロックの部屋を出て行く。


《まるで喧嘩に乱入するみたいな言い方だなぁ。

もう少し表現の仕方を考えたら?》

「それで間違ってもいなだろう?。

それとも、"決闘に乱入"の方が良いとでも言うのかよ?」

《うん、僕的には"決闘に乱入"の方が格好良くていいかな》

銃との"掛け合い"にも思えるやり取りに、大分慣れてきた。


そんなやり取りをしながら廊下を足早に駆けて使用人の部屋の入り口――、シュトが銃で破壊した扉を鍵を壊れているなりには、丁寧に閉めた。

また足早に進み、先程貴賓室への分かれ道となった場所へと直ぐに辿り着いた。

更に進んで角となる場所を曲がると、丁度貴賓室の繋がる廊下の中程に倒れている使用人が見える。


「マーサさんが言っていた、例の"失恋"したメイドさんかな?」

シュトの言う通り、倒れている使用人の服装はメイド服であるのが遠目からでもわかった。


《女性が倒れているのを放って置いては、男が(すた)るよ、シュト。助けよう!》

「言われなくてもそうするし、初代領主様の魔術が効いてぐっすり寝ているだけなんだろうから、その気障ったらしい話し方を止めてくれ」

やけに張り切り気味な銃の言葉に、皮肉満載の声で返事をして、シュトは倒れているメイドの側に駆け寄った。


メイドは俯せに倒れているので、取り合えず肩を抱いて抱き起こして仰向けにする。

そしてその人物の顔を確認して、シュトは目を丸くする。


「クリアさん!?」

クリア――最初はリリィの部屋の専属メイドで、何やらやたらと少女に対して冷たく接してきていた。


しかし王都からの一行が来てからは、特にディンファレからの威圧感にあっさりとやり込められる。

そして、次は王都からきた美しい"貴族"の接客を仕事仲間から強引に横取りしたはいいが、腹黒い貴族でもあるアルセンの"顔"と言葉に、これまたあっさりと篭絡(ろうらく)されていた。

ただアルセンの篭絡のお陰で、それまで刺々しさ満載だったメイドが、物凄く物腰柔らかにもなっていた。

アトなどは、シュトやマーサの目の届かない所で軽く"イジワル"をされていた事あったらしく、アルセンが来てからやけに優しくなったメイドに、激しく驚くと同時に怯えている有り様である。


そして驚いている分にはシュトも同じで、やけに冷たく澄ました態度で"余所者"と、自分と弟を睨み付けてきていたメイドが、昨日アルセンが専属の接客の指名した途端に、四六時中ニコニコと笑顔を浮かべているのには、軽く引いてしまったりもした。

皮肉屋の執事見習いは、"クリアが急に改心したみたいに、気も効いて優しくなったから、ロブロウは昨晩は急な豪雨に見舞われ、河川が反乱寸前になったのでは?"とも、考えた程だった。

メイドは現在、シュトに抱えられながら眠り続ける。

『立派』という評価が満場一致で貰えそうな(イビキ)を、"クーカー"という鼻にかかる様子でかいていた。


「アルセン様に、寝姿見られたり、鼾を聞かれなくて良かったですね」

皮肉屋の少年は、聞こえないと知った上でそんな言葉をクリアに向かって出していた。

"俯せ"よりはと、シュトは仰向けにして"綺麗倒れました"といった様子に見えるように、廊下にメイドを横たえ直した。

しかし、相変わらずクーカーと鼻にかかる鼾は継続している。


「…俺に出来るだけの事はしたかな」

何時もより倍の早さで諦めの決断をして、シュトは立ち上がった。

"女性に優しく"をモットーにしていたらしいジュリアンの性格に"似た"という銃も、確かにこれ以上はシュトに出来ることはないと判断したのか、特に何も言わない。


《このメイドさんが倒れていたのは…》

「まあ、他にも恋敵はいたし、アルセン様が一人で休んでいたのもわかっていたらしいし―――」


《"抜け駆け"かなあ》

「"抜け駆け"だなぁ」


シュトと銃はは同時にそれだけ言って、互いに閉口した。

《でも、こんな調子のメイドさん…一度マーサに諦めるように言われたのに、抜け駆けしようとするガッツのある人が"失恋"して、それが耐える事の出来ない程の辛さ_。

失恋の具合によりにけりだろうけれども、初代領主さんが"堪えきれない痛みの為"に支度していた術が動きだしそうな程、このメイドさんが傷ついているとは、僕には到底思えない》

銃の語る言葉にシュトは腕を組み、(もっと)もだという具合に頷く。


「まあ、このメイドさん――クリアさんに悪いけれど、アルセン様から直接訊いて玉砕するか。

それかアルセン様が、"恋人"となる人と熱烈な包容でも交わしている所でも見ないと、簡単には"失恋した"と諦めそうもないな気もするんだけど―――」

最初のツンケンとした、悪い意味で"強気"な彼女を知っているシュトからすると、クリアが大人しく失恋して悲しんでいる様子をまず想像できない。



(寧ろ、ライバルがいたのなら"排除"してでも、アルセン様の側に入り込みそうな気がするな)

シュトが弟がイジメられていた事もあって、多少意地悪く考えているのを尻目に、長生きしている銃は冷静に考えを述べ続ける。


《そうだよね。それでね、シュト。

僕は"他のメイドさん達"も、多分マーサに"忠告された"として、諦めようと悲しむかもしれない。

それでも、アングレカムの子供から直にはっきりと断られるか。

もしくは、シュトがさっき言った様な、恋人との熱い逢瀬を見せつけない限り、"失恋"したと受け入れる事が出来ないと思うんだ。

人はどうせなら、希望の灯火を持っていたいからね》

相変わらずの言い回しだが、深く共感が出来たので、シュトはまた納得して頷いた。


「また気障な言い回しだな…。まあお前のその意見には、賛成するよ。

確かに中々諦めつかないし、アルセン様は本当に外面は綺麗だし。

それに、普通に接する分には親切で優しい方だもんな。

人の好き嫌いがはっきりし過ぎているアトが、ジュリアンさんが造った絵本にならって"天使"さまって、申し訳ない程まとわりついてしまうぐらいだから。

それにアルセン様と恋人になることは不可能でも、側で眺められるだけでも幸せって思えるんじゃないかな」

普通に、優しく微笑んでその場にいるだけで、落ち着ける気持ちと、安らぎを与えてくれるような人だと、思った。


母親をほんの少しだけ思い出させてもくれた、そんな人。


《諦めと、合理的な考え方が得意なシュトがそう思うのならさ――。

他のメイドさん達もそんな風に考えたんじゃないかな?。

"眺めているだけでも良い"ってさ。

最初から、恋人なんて畏れ多くて、もしも恋心を抱いたとしても、それこそ今しがた言ったみたいに"眺めているだけで良かった"と、考えているメイドさんも中にはいたかもしれない》


「―――何が言いたいんだよ」


"失恋で傷付いた者がいない"


この事実で例えようのない不安が、シュトの心をひんやりとさせる。


《アングレカムの子供に恋心を持っていて、例え失恋したとしても。

"初代ロブロウ領主が支度しておいた術が動き出す程、心を痛める失恋をメイドは誰一人していない"って事さ。

……アングレカムの子供が実はプレイボーイで、影でメイド達に手を出していたとかならともかくね》


最後に付け加えた言葉は冗談だと言うのは、シュトでも分かる。

冗談で、シュトの沸き上がる不安を少しでも弱めようとしてくれている、銃の心遣いが分かる。

だが、あまり効果はないようだった。



「はは、それは…ないだろう…」

震える声で、アルセンが休んでいる筈の貴賓室の方を見つめる。


(じゃあ、耐えられない痛みを受けて傷ついているのは…)



"…グランドールは、そうやって、いつも自分が正しいみたいな言い方をしますよね"


美しい薄く形の良い唇を噛み、白い顔と可憐にも見えた緑色の瞳に、哀しみにと怒りの含ませていた。

オリーブ色の"軍服"の上着に、袖を通す事で、魔力を大量に失って、内心では気弱になってしまっていた、"アルセン・パドリック"という己を、健気にも見える様子で奮い立たせようしていた。

シュトはそれを察して、感じ取っていた。


"シュトさん。お粥は、帰ってからしっかりいただきますから、部屋に置いておいてください"


アルセンに比べて、自分の方が人生経験も、戦力も余程、子童と分かっていたが、あの時の様子を思い出すと"この人を守らなければならない"という気持ちが、シュトの中に湧き出す。



《シュト、落ち着いて!!。

ピーン・ビネガーの、初代ロブロウの領主の魔法が効いていたなら、アングレカムの子供は、アルセンはただ普通に寝台で休んでいるだけの事なんだから!》

腰のベルトに納まる銃の言葉を聴きながら、シュトは走り出して、在室・不在の精霊石の確認もせず、貴賓室のドアノブを力一杯に握りしめた。

自分の握ったドアノブがスムーズに回る。

その瞬間、シュトは眉間にシワを刻み込む。



(…鍵が、かかっていない)

それだけの事が、気持ちを更に不安にさせる。


《シュト、落ち着きなって!!》

2度目となる銃の抑制の声も空しく、シュトは不安の力を伴って力一杯にドアを開いた。


そして貴賓室のエントランスに駆け込み、ネェツアークに荷物を渡しアルスとルイの"息抜き"を眺める事の出来た部屋に繋がる扉のドアノブを掴み、また回す。

このドアノブも、入口と同じように何もひっかかりなく、スムーズに開いた。


(ここも、施錠されてない)

広い客室に繋がる扉を開いて、一気に部屋の中央にまで紅黒いコートを翻して、シュトは入り込んだ。

部屋全体を見回せる場所で足を止める。

急に止まった為に、後ろに撫で付けていた長めの前髪がハラリと降りてくる。

不安を誤魔化すようにおりてきた前髪をかき上げてから、ハッとして頭を振って(おず)しとも見られる瞳の視線を、床――下の方に向けた。


(この部屋にいる時に、もしも仕掛けが稼働しているのなら、マーサさんと同じように床に倒れている可能性もあるかも)

それを思い出して、調度品であるソファの影や、ティーテーブル付近など、倒れたのなら、身体が隠れてしまいそうな箇所も丁寧にわざわざ身を屈めて、シュト丹念にアルセンの姿を捜した。


「―――ここにも、いらっしゃらない。アルセン様!!」

もしアルセンが在室していたのなら、誤魔化しようのない程の非礼な振る舞いをしている事を自覚している。

それでも胸を燻す不安が止まらず、シュトは声を荒らげながら寝室に繋がるドアノブに手をかけた。


――ガチャ


(閉まっている)

開かないと分かった途端に、腰のベルトに納まる銃の銃把グリップを握って、撃鉄を親指にかけながら引き抜こうとする。

使用人室の時と同じように、ドアノブと鍵の部分を銃でもって破壊し、シュトは寝室に入るつもりだった。


《シュト、いい加減に一回落ち着きなさい!》

いつもの慣れ慣れしく気障ったらしい口ではなく、年嵩を重ねた落ち着きと重みを含んだ声で"銃"は、三番目の主であるはずの少年を諌めた。


「…だって!」

――天使のように優しいあの人が、心を潰されるような苦しみか、身体が耐えきれない痛みを、"目が覚める前"に何とかしてあげないと――


哀しみが過ぎるとばかりに思えていた、本当は大好きなのに、嫌いだと誤魔化して絵本の"天使"の幸せを折角知ること出来た。

その話の"種"となった人が、リリィが心配しているように"孤独"の中でに苦しんでいるのはやりきれない――

シュトの握る銃の銃身が、ベルトから完璧に抜かれた時、銃は刹那に躊躇い、彼にだけ聞こえる声を最大限に張り上げた。


《――心に焦りや余裕のない時に、"銃"という武器を手に取る事は、"私"が許さない!》

身体が全体をビクリとさせて、シュトの動きが止まった。


もし普段の気障ったらしい口調だったのなら、いつものように"うっせえ"と銃の言葉を一蹴しただろうが、一人称を変えた銃の言葉は、シュトにとっては予想以上に重たかった。

そしてその重みが、不安で跳ね上がっていた心の中に、再び慎重と落ち着きをシュトに取り戻してくれている。

ベルトから抜かれて、寝室への扉と自分の身体との間にある銃を見つめる。


《…もう一度言うよ。心に焦りや余裕のない時に、"銃"という武器を手に取る事は、僕が許さない。

"銃"という力を扱うのなら、その一発の弾丸が命を簡単に奪える事を忘れ、覚悟をしていないようなら、君はもう銃を手放すべきだ。

もし、そんな使い方をして一番後悔するのは君だよ、シュト》

未だに厳しい声ではあったが、噛んで含めるようにも言う言葉には優しさもあった。


今のシュトには、厳しさよりも、優しさの方が堪える。

肩が上がるほど、大きく息を吐き出す。

シュトに焦りや心配はまだ拭えないが、"無謀"さを感じさせる所は無くなっていた。


《…僕が悪かった》

シュトが落ち着いたと分かると、銃がシュトに謝罪する。


「…どうして、急に、お前が謝るんだよ」

銃を持ち上げて、顔の前まで持ってきて、取り乱した自分の自覚がある少年が口許を歪める。


《君がそんなに不安になったのは、多分僕が"アングレカムの子ども"やら、"天使みたい"なとか、シュトがまだ幼い頃に悲しすぎて逃げ出した"絵本"の中身を連想させる事を沢山喋っていたからだ。

君はアングレカムの子どもが、"良い大人"だって言っていたのに、僕が自分の過去に拘るような言葉を口に出してしまっていたから。

君は気がつかない内に、まだ悲しい結末のままの"絵本の天使"と、アングレカムの子どもを重ねてしまっていたんだと僕は思う》


「…いいよ、それの影響がなかっとも言えないけれど。

俺も自分でも分からないぐらい、何かアルセン様が心配で取り乱したのは本当だから。

それに、そうだよな。確かに仕掛けが動いていたなら、アルセン様は苦しんでは―――」


――ピチャッ


何かが、滴る音が寝室の扉越しにシュトには聞こえる。

シュトは目を丸くして、扉に耳を押し当てた。


―――ピチャッ、ピチャッ、ピチャッ


《…浴室は確か寝室の更に奥の部屋だよね?。

もし、湯に浸かっている間にでも仕掛けが動いてたなら…》

水の滴る音は銃も聞こえていた様子で、その言葉の間も、断続的にその滴る音が、扉にあてた耳に入ってくる。


「どっちにしろ"こうなった"か!!」

銃の扱いに関して諌められたばかりなのに、こうやって使うのが少しだけシュトには恥ずかしかった。


《良いじゃない。シュトは冷静だし、お客様が命の危機かもしれないって大義名分もあるんだから》

銃は普段使いの言葉に戻したのを耳にしながら、シュトは銃口をドアノブの鍵の部分に押し当てて、極々冷静に引き金を引いた。


鈍い発砲を出して、シュトは貴賓室の扉の鍵の部分を破壊する。

直ぐに左手でドアノブをガチャガチャと掴み回すが、扉は開かない。

舌打ちをして、また銃口をドアノブに当てて撃鉄を引き、続いて引き金を引く。

ガタンと重々しい音がして、今度はドアノブ事扉から外れて落ちた。



「無駄に頑丈だな」

《いやいや、ここは頑丈でないと》

硝煙を消音器を付けた銃口から出しながら言う、銃の言葉を聴き、シュトはドアノブが無くなった扉を激しくとバンッと蹴り開いた。


「……なんだぁ、こりゃ!?」

シュトが再び目を開いて目にした光景は、部屋一面泥だらけとなった寝室だった。


調度品は倒れる物は、泥を被って倒れている。

食事を運んできた手押し車も、それに乗せてきた食器も泥を被って散乱していた。

唯一"泥を被っただけ"と表現出来るのは、荷物を納める為に使われているクローゼットだけだった。

ただ、このクローゼットはある意味最も"泥"を被ってもいる。

近距離で泥の塊が爆発したと形容するのが、ぴったりな程、クローゼットの扉は泥がへばりつき、床も泥まみれである。

そして"ピチャ"とした滴る音は、この泥まみれのクローゼットの天井から落ちる水分量の多い泥水だった。


「あっ、えっと…。やっぱり浴室からみるべきなのかな?」

《ああ、そうだね。水に関しては、やっぱり万が一の事があるから…》

「わかった」

もし1人でこの状況でこの場所に"遭遇"してしまっていたら、シュトは平常心が保てていた自信はない。



道具が心を持たない方が良いと考えていながらも、この時ばかりは"銃"が気障でも喋ってくれる事に感謝した。

静かに怯えを抱くような貴賓室の泥の箇所を出来るだけ避けて進みながら、浴室の扉の前に辿り着く。

こちらの扉にも、何をどうやって飛散したか分からない泥によって少しだけ汚れている。

ドアノブはスルリと回った。



「普通、浴室に入る人は鍵かけるよな?。だったら、いない?」

《アングレカムの子は"貴族育ち"だろ?。

そういった所はもしかしたら無頓着かもしれないから、一応確認した方がいいかもね。

貴族と一般育ちが、そこの所でたまにカルチャーショックを起こす時もあるらしい》


「へえ、そうなんだな。貴族さんて、そんな感じなのか」

シュトは銃の少しだけふざけた様にも感じられる口振りに、泥だらけの部屋を見た時の怯えの気持ちを拭って貰った気持ちになり、浴室の扉を開く。


扉がしまっていたお陰で、浴室及び脱衣場に"泥"の被害は及んでいない。

そして中に誰かがいるという雰囲気も、入り口からは感じない。


「…脱衣場は誰もいる様子はないね」

少しだけシュトの鼻を、煙草の匂いが(くすぐ)る。


「グランドール様は、ここで煙草を吸っていたのかな…」

王都一行で唯一の愛煙家であるグランドールを思い出しながら、シュトは脱衣場を進む。


上がり(かまち)があって、泥が少しだけ付着した靴を脱いで中に入り、浴室に向かう。

途中にある大きな洗面台の鏡に写る自分の姿に、シュトは思わず足が止まる。

初代の 紅黒いコートを纏った姿の自分を見るのは、初めてだった。


(―――初代さんと似ているねえ…)

ツラッとだけ鏡に映る自分の姿を眺めて、シュトは直ぐに浴室に向かう。


(ま、今は自分の事より、お客様を心配する"見習い執事"の仕事を最優先だな)

敢えて拘ら無いように考えて、浴室と脱衣場を仕切る扉を開く。

開いた瞬間に、今度は桧の良い香りシュトの鼻を捉える。



「浴室には、いらっしゃらないか…。

部屋は泥だらけだし、一体アルセン様は何処に…」

湯の桶や椅子も使われた形跡はあったが、やはり人はいない。

上がり框まで戻り、シュトは靴を履く。


「泥まみれの部屋、ちゃんと様子を調べた方が良いよな」

爪先でトントンと叩き床を鳴らしながら、シュトはベルトに納めている銃に訊ねる。


《そうだねえ。お嬢さんに『アルセンさまがちゃんと休んでいるか見てきて下さい』って頼まれたかね》

「まあ、休んでないのは確かだから、アルセン様を見つけて、速やかに休んで貰わなきゃな。

俺がお嬢ちゃんに叱れるし、ガメツイ賢者に賢者料金の値切り交渉されるかもしれないし。

お、そうだ」

シュトはクルリと脱衣場の方へと振り返り、膝を框の上の床につけた。

そして次に四つん這いになって、脱衣場の清掃用具の棚に手を伸ばす。


《そんな"ずうそう(だらしない)"事をしないで、ちゃんと靴を脱いで上がれば良いのに…》

国の各地を巡る生活をしてきたシュトは、銃からだらしないと西の地域の方言で責められと言った意味を解して、うっせえ、といつもの調子で応えた時、その手にウエス(使い捨ての歯切れ)が一杯に詰まったブリキのバケツを手に取っていた。


「これ、使えるだろ?。

雑巾だと、何回も泥を洗い直さないといけないし、ウエスが使ってを上から触れば、手は汚れないし」


《これだけ派手だと、確かに泥を探る必要があるのは分かるけれど、結構大変だし、どうしても汚れちゃうよ?》

「大変だからだよ。

"泥を侮るな"って、最近教えて貰ったばかりだからな」


"ほら、そうやってまた無意識に下に見ている…。

泥は、4大精霊の内の水と土を併せ持った物質だよ。

どんな植物だって、土と水がなければ中々芽吹く事が難しいんだから"


ネェツアークの薫陶宜しくといった訳ではないのだが、今までなかった"泥"がこの部屋に蔓延(はびこ)っているのは、やはり何らかアルセンがいなくなっている事に理由と関連付いていると思うのだ。


「あ、そうだ。一個確認しないといけない」

シュトはブリキのバケツ取手を掴み、脱衣場を出る。

また床にある泥に気を付けながら歩いて、先程蹴り開いた寝室と客間の扉を今度は手で押し開く。


「確か、なかったと思うんだけれど…」

そんな事を言いながら、早速バケツに入っているウエスを1枚手に取り、僅かに付着していた泥を拭ってから客間に戻る。


《何が、なかったのさ》

「―――銃には縁がないもの。"剣の安置場所"」

銃の質問に短く応えて、今度は鍵の掛かっていなかった、入り口のドアノブを再び握る。


貴賓室に設えられている剣の安置場所は、入り口のエントランスにあった。

一見すると白銀で造られた、美しい枝振りの梅の花のをつけた枝を模したオブジェにも見える。

だが、これが貴賓室における剣の安置場所だった。

そこに剣が安置されたならば、細々としながらも美しい枝が、剣を支えているある種の芸術作品にも見えるような作りなのだが―――。


「やっぱり、無いな」

シュトが眺める先にある、白銀の美しい梅の枝は何も支えていなかった。


「で、この場所から寝室にかけて泥の痕跡が全くないって事は、アルセン様は部屋を出ていくにしても、寝室が泥まみれになる前に出ていったって事だと考えたんだけど」


(あつ、でも、だとすると、色々具合が変わってくる…事になるのか?)

アルセンが部屋からいなくなるほどの理由をシュトが考えると―――どうしても日焼けた大男。


この国ではアルセンと同じ英雄グランド―ル・マクガフィンが、シュトには思い浮かぶ。

あの優しく美しい"アルスの先生"でもある"大人"の人は、決められた算段を勝手に破る人ではない。

決められた事を反故(ほご)するとなると、絶対にそれなりの理由があるはずであるし、親友であるグランド―ルが休んでいて欲しいという思いも、無下にしている事になる。

そして真面目なアルセンが約束を破る理由があるとしたならば、それもやっぱりあの日に焼けた英雄にあると、シュトは思うのだ。


(あんだけ互いに思いやっていたんだ。

こうやって、魔法がろくに使えない状態で、体調が寧ろ不調の時なのに武器までとって出ていくって事は…)


"グランド―ル・マクガフィンの身に何かが起きる?"

(それもどちらかと言えば、"危険"と思えるような事じゃなければ、あの人は算段を反故してまで動かないと思うんだけれども…)

シュトが短時間でそこまで考えを纏めた時、銃から声をかけられた。


《じゃあ、アングレカムの子ども…アルセンは"眠ってしまう仕掛け"が動き出す前に、貴賓室から出ていったて事になるのかい?》今のところ、シュトにはそういう風にしか考えが及ばない。


「ああ、剣は武器を置いてたなら直ぐにでも戻るかもしれないけれど、持っていっているとなると…」

シュトはそこまでで、言葉を切った。


《アングレカムの…"アルセン"は、何かと戦う可能性があるって事なのかな?》

いい加減に最初の持ち主の親友の息子を、子ども扱いを止めようと考えた"銃"の言葉にはシュト首を捻ってから、腕を組んだ。


「俺の武器はお前…"銃"だからまだ携帯するのは楽だけれど、アルセン様も細剣でも、銃より重たいだろう。

帯剣して持ち歩くにしても、体力の落ちてるアルセン様には負担にならないかなと俺は思うんだよ。

それとも軍人てのは、どんな時でも武器携帯でないといけないのかな。

あと、何か伝えるにしても確か"通信機"があったはずなのに、それを使ってないってのも気になるな」


《それは、例の"浚渫"の儀式の最中だからとかじゃない?。

でも、やっぱり離れていても連絡する方法があるのに、動いているのは不思議だな。

何だか、分からない事だらけになってきたね》

ほんの少し"人"であるシュトに対して同情する響きを持った銃の声に、シュトは眉を挙げて、人指し指で額をポリポリと掻いた。


「全くだ。でもこうやっていてもどうにもならないし、時間も勿体ないから覚悟を決めて、"泥だらけの寝室"に戻って、調べるか」

再びウエスの入ったバケツを取手を掴んで、シュトは意を決して泥だらけの寝室に戻った。


《で、どこから調べるの?"当たり"をつけてからしないと、下手したらあんまり考えてたくはないけれど、間に合わなくなってしまうよ》

「ああ、お前の"弟"の事は忘れちゃいないから、安心しろよ。

とりあえず、俺なりの見当――"当たり"はつけているから、そこから」

そしてシュトは、グチャリと靴底や靴の側面に大量の泥がへばりつくのも構わず、寝室の中で最も泥が激しい部分"クローゼット"の前に立った。

両手に生地が厚めのウエスを握り、開閉部分に手をかける。


「アルセン様が部屋を出る前にしても、簡単な支度の為に一度はクローゼットの扉を開けると思うん…だっ、と!」

泥が飛び散らないように、慎重に開いたのと、泥の比重が土の成分が多かったお陰で扉を開いても、ボトボトと泥が落ちる程度ですんだ。


「―――え?」

そして扉を開くと、シュトは信じられないものを"視覚"と"嗅覚"で捉える事になる。

まず目に入ってきたのは、衣紋掛けにかかったオリーブ色をした、この国の将校以上の階級が身に付ける軍服の上着だった。


「これって、アルセン様の着ていた軍服だよな…」

匂いに多少気を取られながらも、シュトも先程別れるまでアルセンが身に付けていた筈の衣服を不思議そうに眺めた。


「軍服を脱いだって事は、アルセン様は自分の服にわざわざ着替えてから、貴賓室を出ていったのか?」

《私服で隠密行動取るにしても、アルセンは顔が綺麗過ぎるし、服装が洗練されているだろうから、田舎のロブロウじゃあ、逆に目立ちそうな気がするけれどね》

「―――だな」

銃の意見に頷き、クローゼットの中をまた見回す。


衣紋掛けには、グランドールの私服である毛皮のものや、会食の為に身につけていた"英雄"としての群青色の服がかけられていた。

下には旅行鞄もあったが、グランドール、アルセンと思われる物は整頓して置かれている。

シュトは無意識に"嗅覚"が捉えた"匂い"についてさけて、とりあえず目に入る軍服を調べようと決めた。

クローゼットを開ける為に使い、泥塗れになったウエスを1つに纏めて床に放ると、シュトは手が汚れていないのを確認してから、軍服を手に触れる。

触れた瞬間に、無意識に避けようとすらしたのにシュトに戸惑いを与えたもう1つの感覚、嗅覚――嗅ぎ慣れた匂いが強烈にシュトの鼻孔を改めて捉えた。

もう無意識に誤魔化す事も出来ない匂いに、思わず舌打ちをして"正体"を口にした。


「火薬の匂い…」

思わず衣紋掛けにかけられた軍服を、荒々しく外して、手に取る。

すると火薬の匂いは、やはり軍服から漂ってきていた。

この状況でシュトが思い浮かぶのは、ただ1つ。


「エリファス師匠が、アルセン様を…」

"撃った"とまで、シュトは言葉が続けられない。


《シュト、キツいかもしれないけれど、軍服をよく調べてごらん。

僕には匂いが嗅ぐ事が出来ないけれど、どの場所から、火薬の匂いはするんだい?》

銃からの言葉にシュトはハッとしてから、頷いて上等の作りの軍服の上着の両肩の部分を両手で持ち上げて、掲げるようにした。


「あった!?」

左の胸元に、黒く小さな穴が空いている。


「やっぱりエリファス師匠が、アルセン様を…」

掲げるように持っていた、アルセンの軍服の上着を下ろす。

弾が撃たれたらしい部分をじっくりと見る為に、顔に近づけると、やはり独特の銃の火薬の匂いがする。

シワが入る位、シュトは軍服を握り締めた。



《アルセンが英雄になっていたとしても、著しく衰弱していたり、親友であるエリファスが相手って事で油断したかな》

ネェツアークから、エリファスには"昔から恋い焦がれて、総てを(なげう)ってでも慕う相手"がいたとは聞いてはいた。


しかし、アルセンとエリファスが"親友"という話は聞いていない。


「―――何だよ、それ。"親友"って。

グランド―ル様と色々あったのは聞いているけれど、アルセン様は知己って曖昧にいっていたけれど、親友なのか。

ていうか、師匠は友達を、親友を撃ったのか?。

命を簡単に奪える、とても危険な武器でもある"銃"で、親友を…」

《シュト、落ち着きなさい。

そもそも命は奪ってないだろうから。

見てごらん、軍服は少しの"血は流れていない"のだろう?》

シュトの感情が昂り始めるのを、銃は"血は流れていない"という言葉見事にで止める。


《色々あって、感情が昂り易くなっているのは仕方ないとして…。

血が流れているかどうかぐらいは、銃を扱う者として気がついて欲しかったかな。

それとも、僕がアルセンの事を可愛い子ども扱いした事が、まだ引っ掛かっているのかな?》

「あ、その、ごめん」

呆れと少しばかりの皮肉を滲ませた銃の言葉に、シュトはベルトに納まる相棒に、謝罪の言葉を口にする。

それは、自分でも頭に血が上りやすくなっていると、自覚している部分もあるからだった。



《謝るのはいいよ。

それと親友についても、あとでアルセンに聞くと良い。

僕は、アルセンとエリファスの2人の関係を、上手く語り伝える事は出来ないから。

それよりも今は、アルセンが着ていた軍服の裏側を見てみようよ。

"血が流れていない"から、貫通はしていないはずだよ》

素直過ぎる様にも感じる謝罪に、銃は照れ臭いのと気まずいのが交ざったような気持ちになったのか、シュトに次のアドバイスを出し、行動を促した。


「あ、そうか。そうだよな。

弾が、貫通をしていないハズなんだよな」

アルセンとエリファスの"親友"関係も気にならなかったと言えば嘘になる。


しかし、そこの所はシュトも切り替えが利くらしく、直ぐに沈んだ雰囲気から持ち直したような声を出し、クルッと軍服の表と裏をひっくり返した。

その際に軍服の内側に、"何か"物があるのを感じ取れた。

ん?と"何か"に関して疑問に感じる声をシュトは出すが、まずは軍服の裏側を見る。


「やっぱり、裏側に穴は空いてない。

それに貫通はしてないから、"何か"がアルセン様を銃弾から守ったんだ」

そしてその"何か"が、未だにこの軍服にの中に残されたいるのをシュトは確信しする。


軍服を元通り表向きにしてから、上着の中に手を差し込んだ。


「アルスの軍服とは、また形が違うんだなっ…と、この軍服には内ポケットがあるわけか」

内ポケット手を差し込むと直ぐに、シュトの指先に触れる2つの感触がある。


丸い金属らしき物、感触からして皮細工の小さなケースらしきもの、その2つと思っていたが、指先に何か掠った。

シュトには慣れた感触で、恐らくアルセンに放たれた弾らしい。


《アルセンを、助けた物の正体は解ったかい?》

銃は既にシュトが何を探しているかを解っていたらしく、尋ねる。


「あったけれど、正確には判らないから、服の中からちょっと取り出すよ」

シュトがゴソゴソして取り出されたのは、まず最初に掴んで取り出したのは随分年期の入った懐中時計だった。


「少し、表の蓋が凹んでいるな。

あと1つあるから、この懐中時計は置いておくか」

とりあえず落として、泥でもつけて汚してはいけない。


そう考えて、クローゼットの旅行鞄の置かれている横にあるスペースに、懐中時計を丁寧に置いた。

次に取り出しのは、こちらも中々年期の入った(なめ)し革で造られた"何か"の小さなケースだった。

シュトが"何か"と表現したのは、弾が丁度四角い皮のケースの中央にめり込んでいた為で、何の為のケースか判らなかった為だった。

そして弾は皮のケースを貫通し損ねて、弾の先端までだけ出して止まっている。


「これが、弾を防いだんだな。

それで多分、革のケースの後ろにあった懐中時計の蓋も、弾を止めるのを手伝った。

表の蓋が少し凹んでいた理由はこれか。

ありがとうな」

アルセンを銃撃から守ったであろう、革のケースと懐中時計に向かって、シュトは礼を述べた。


シュトが見ただけでも、古く、蓋の凹んだ懐中時計も、何かの皮のケースはとても大事に使い込まれてるのが触れてみて、感じてとれる。

革のケースに弾がめり込むのを見ると、僅かに心が傷んだ。

"せめて"、と思って革のケースにめり込んだ弾を摘まんで引き抜くと、めり込んでいた空間が開いて、カチャリと金属の音が響いた。

見た目はコインケースにもみえたが、音を聞いた感じでは小銭の類いの音ではない。


「蓋のデザインは楓か―――」

弾を引き抜いたならば、革のケースには楓をモチーフにしたデザインがされていた事が、はっきりとシュトには判別出来る。

そして引き抜いた弾を拳に握ったまま、丁寧にケースを開いた。


「―――これは、裁縫セット?」

そこには十中八九、銃弾を受けた為に変形してしまった針や、こちらも変形してしまった鋼だけで作られた糸切り鋏、それに厚紙に巻き付けてあったらしい白い糸と、緑の糸…らしきものがあった。


この3つが重なり合うようになっていたのだろう。

数本の針は束ねられていたものが真ん中から折れ、糸切り鋏も一番固そうな部分で、弾丸を受けたのわかるように丸く凹んでいた。

そして糸を巻き付けてある厚紙は一番"健闘"したらしく、厚紙に幾重に巻き付けた糸も弾の衝撃を吸収しながらも、千切れて貫通された様になっている。


「裁縫道具―――、こんなお母さんが持ち歩くようなの…アルセン様だから?」

軍服の胸ポケットから、シュトにしてみれば意外すぎるものが出てきたので、驚いた。


でも結果としてアルセンの命を助けた(のだろう)のに決定的になったのは、やはりこの裁縫セットなので、改めて敬意を払って皮のケースを見つめる。

ただどうしても、幼い頃に母が持ち歩いているのを見たからそれを思いだし、どことなく母とタイプが似ているように感じているアルセンを関連付けてしまっているシュトがいる。

その母は流行り病の前に、家族を愛しみ、障がいを持った弟を気にかけながら、亡くなってしまった。


(―――大丈夫、アルセン様は血を流すような事にはなっていないはず。

命を落としている事なんて、あるわけない)

頭を軽く振って自分に言い聴かせ、グッと手の皮の裁縫ケースを握りしめた。


《どうやら、アルセンを決定的に助けたのは、その裁縫セットみたいだね》

銃にもどうやら革の裁縫ケースは見えているらしく、言葉を続ける。


《偶然かもしれないけれど、ある意味その裁縫ケースはアルセンの命を助けるのに、ベストな道具だっだみたいだね。

シュトも覚えておくといい。

弾丸を止める伝統的な手法として伝えられているのは、複数の繊維層手段で弾丸を補足する、単純明快に言ったのなら幾重にものの糸で絡めとって、受け止める事だ》


「じゃあ、なんだ。

この糸を沢山巻いている奴みたいなのが、折り重なって止めたって事なのか?」


《そうだね、正しく絡めとって、動きを封じる。

ただ糸は正しく使わないと、すぐ絡まる。

逆にいつの間にか絡めとられて、気がついた時には身動きがとれなくて、大変になってしまう時もある》

「そうだな。俺も仕方なく縫いもんをする時、何回も絡ませちまうから、よくわかる」

どうも自分"銃"とシュトのいう『糸』の認識が違うようだが、それでも構わないように銃は構わないようにフフっと笑いを小さく漏らした。


("普通"と思われる人だって、話を抽象的にしたり、意味に"裏"を持たせたのなら気づかない人も沢山いるだろうしね)

シュトが笑って考え込む"自分"見つめているので、少しばかりごまかしの意味を込めて、銃は言う。


《ところで―――、シュト、その素敵な裁縫ケースを僕によく見えるようにして貰ってもいいかな?》

「ああ、アルセン様の命を多分守ってくれたんだろうけれど、今よく見たら結構もったいない気持ちがあるんだよ。

とっても丁寧に使い込んでいたみたいだから、(なめ)し革がすごく綺麗な飴色になっていて、デザインも"楓"で、裁縫ケースにしても格好いいんだよな」


元々、"ワイルド"――野生染みたデザインが好きなシュトは、改めてこの革のケースを見て、デザインがとても好みのものだったのに気がついた。

腰のベルトの銃が見えやすい位置にケースを下ろして見せてやる。


《本当、丁寧に使われていたみたいだね。

デザインされているのは楓ー"メイプル"、花言葉は"大切な思いで"か》


「またお前は、花言葉なんて気障ったらしい事を…"メイプル"?」

銃がいつもの調子の言葉に呆れながらも、"メイプル"という名前をつい最近耳にした事を思い出した。



『―――ああ、そうか。"アトの教育"はエリファスがメイプルから』

グランド―ルが懐かしそうにも語っていた、賢者の『妻』の名前で、アトみたいな"発達に(かたよ)りがある子どもや、人達の為"に、研究をしていたという女性。


そして、エリファスにその教育を伝えていてくれた女性で、きっと"友達"でもあっただろう女性。

余計な勘繰りだが、もしもネェツアークが偶然だとしても、この妻の名前のデザインの裁縫ケースをアルセンにあずけていたか、亡くなっているらしい彼女がアルセンに形見として持っていたとしたのなら。


「メイプルさんが、守った?」

親友だったという"2人の友"が、何かがあったにせよ、互いを傷つかせない為。

何より、アルセンとエリファス、どうにかして両方を"守る"為に。


(偶然に過ぎない)

そう頭の中では解っていても、"命を救った、メイプルの裁縫ケースの奇跡"に心が痛いくらい、弾む。


(本当に、裁縫ケースのデザインと、ネェツアークさんの亡くなった奥さん名前、偶々同じなだけかもしれないのに―――)

名前は偶然だとしても、革のケースはアルセンの命を確かに守った。

シュトは会ったことも、見たこともない女性に尊敬を抱いてしまう。

死んでも、存在が消えても尚、守りたい人達を守る、その因果の力に畏れ入る。


《シュト、どうかしたの?メイプルって言葉に何か心当たりでもあるのかい?》

様々な偶然が重なりすぎて、シュトは呆然としていたの事に、銃に話しかけられて気がついた。


「あ、何かあったというか…今はまだ予想というか、偶然の範疇だから。

全部終わって、賢者―――ネェツアークさんかアルセン様に話を聞いて、確信してから話してもいいか?」

本当に偶然だったなら、けっこう自分が考えている内容は恥ずかしい所があるのも、事実なのでシュトはそう言葉を濁した。


《全部終わってからか。まあ、確かに急いでいるから、今は話している時間ももったいないし、仕方ないか。

ところで、シュト。その素敵な裁縫ケースの中に、もう1つ何かがあるみたいなんだけれども》

銃の一言で、感慨深く思っていた気持ちが少しばかり落ち着き、それにともなって小さく驚きもする。


「裁縫ケースの中に?他の裁縫道具か? そんなのあったか?」

銃の方に見えやすくしていた裁縫ケースを、自分が確認しやすい位置まで持ち上げる。


《銃弾の衝撃を受けたせいかな。

ケースの隅に填まるように何かあるのが、僕には見えたんだけども。

でも奥で挟まっているから、何かまでは解らなくて》

銃に言われた事を念頭に、銃弾を受けた事で、蓋と底に貫通する小さな穴が空いてしまってるのでシュトは慎重にケースの中を指先で探る。

すると確かに、指の先が何かに触れた。


「固いな。触った感じではこれも何かの金属…てか指輪かこりゃ」

《―――指輪?》

銃の言葉が揺れたようにも感じたが、シュトは裁縫のケースの中にある指輪に気を取られていた。


「マジにこれはケースの端に食い込んで挟まってんな―――と!?」

指輪の縁に指先に引っ掻けて、挟まっていた物を力一杯に引っ張って、本当に"スポンッ"という感じで漸く抜けた。


そして過分な力も入っていたため、シュトは転けるまでもないが、主に上半身でバランスを崩した。


「いけねっ!」

"メイプルの裁縫道具をだけは、汚してなるものか"


そんな考えだけはしっかりと頭の中で浮かび、裁縫ケースは中身を溢さずに、左手に握る。

指先に引っ掻けてせっかく取り出した指輪も、同様に考えて右手に握りしめようとする。

ただ指輪を掌に包もうとする際に、手を開いてしまった為、握っていた革の裁縫ケースを貫通し損ねて止まった弾を落としてしまった。

弾はトプンと音をだして、泥だらけの床に沈んだ。


「あーあ。一応拾っとくか」

幸いにも自分を靴の爪先に落ちたので、爪先で上手い具合に泥の中から上げたのなら、手を泥だらけにしなくても済みそうだった。


「その前とりあえず裁縫ケースと指輪を…って、思えば誰の指輪になるんだこれは?」

落とすまいと奮闘して、強く握りしめた拳を開いてみると、そこには銃弾をを受けた革のケースに入っていたというのに、変形する事なく美しい円の形を保った銀色の指輪があった。


「銀色だから、家族の色だよな。

じゃあ、裁縫ケースケースも含めて、一応奥さんがいたらしいネェツアークさんのか。

グランド―ル様もアルセン様も独身だし」

昔、エリファスがどうしてだか指輪の色のレクチャーをずっと笑いながらしてくれたのを思い出して、シュトは綺麗な銀色の指輪を見て、単純にそう考える。


《内側に何か文字を掘っていない?。

それは丁寧な造りみたいだから、中に何かのメッセージとか彫り入れたりとかしてないかな》

「またそう言った気障ったらしいことには、付喪神の癖に詳しいな。

お前がそんなに気障なら、本物のジュリアンさんはどんだけ気障だったんだか…」

軽く皮肉ってシュトはそんな事を言って、指輪の内側を覗くと、シュトに自嘲するような銃の声が耳に届く。


《ああ、彼は最愛の恋人と家族になりたくて、出来るならプロポーズの為にと、銀色の指輪を手作りで作ろうと考えていたほど気障野郎だった。

『私は、人生の伴侶を見つけた時。

この銀の弾丸を溶かして、指輪にしてプロポーズしようと心に決めていました』

何て言葉を言うほどね》

「えっ、じゃあ今お前の中に入っている銀の弾は―――」

指輪の裏側に刻み込まれた文字から視線を外し、シュトはベルトに納まりながら尚も喋り続ける銃を見つめる。


《その通り、今の僕の"中"にある弾さ。

人格形成に影響を受けた僕でも、ジュリアンのこの言葉には、あまりにも気障すぎて笑ってしまうよ。

―――シュトじゃないけれど、気障ったらしくて腹がたつ》

ジュリアン・ザヘトが、最愛の恋人に家族になって欲しい捧げるつもりだった銀の弾で、命を奪った事を"銃"は赦していない。


銀の弾が懇願された為といえども、"最愛の命を奪った"のを知らないシュトは、銃の語る言葉の中でも他の言葉に反応した。



「お前は、好きで気障ったらしい喋りしていると思っていたけれど、あくまでも"影響"を受けた上でのその話し方なんだな。

じゃあ、結構、俺はお前にきつい事言ってた。

わるかったな、ゴメン。

"自分じゃどうにも出来なかった事"だったのに」

そう言って、シュトは汚さずにすんだ裁縫ケースと指輪をクローゼットの蓋の凹んだ懐中時計の置いた。


(指輪に刻まれ言葉は、銃に尋ねられるまで、まだ言わなくてもいいか)

腰にいる銃は、シュトがそんな事を考えながら、何気なく言っている謝罪に、戸惑っていた。


《どうしたのさ、シュト。

君なら、痛烈な皮肉を返してくれると思ったのに》

「幾ら俺が皮肉屋だからって、そんな事期待すんなよ」

苦笑いを浮かべてシュトは、先程泥中に沈んだ弾を取り出す為に俯いて、泥の中にある靴の爪先を動かした。


「俺には超身近に"自分ではどうにもすることが出来なかった人"がいるじゃないか」

《―――ああ、そうか。アトだね》

シュトは泥の中を爪先で探りながら、小さく頷いた。


「そ。アトはどう考えているか分からないけれどさ、もしもアトが"普通"ならって、よく考えちまうんだよな。

顔は似ているらしいけど、雰囲気とかは絶対アトの方が柔らかいし。

大雑把でガラの悪い俺に比べたら、きっと細やかな心遣いが出来て、モテるだろうなって。

でも、これもあくまでも"俺が"考えただけの事でさ。

実際の現実では、絶対に"普通"のアトを見ることは叶わないんだよな―――おっ、これかな?」

泥の中に落とした弾らしき物を見つけ、泥の中に靴の爪先を潜らせて、甲の部分に乗せて取り出す。


泥が結構深くて重く、爪先を持ち上げる際にグポっと言う音までした。


「やれやれ、結構な泥塗れ具合だな」

前屈の要領で、身を屈めてシュトは指先に泥をつけて落とした弾を摘まんで拾い上げた。

それからバケツからウエスを1枚取り出して、その泥を拭いながら口を開く。


「世間でいう"普通のアト"になれる事はこれからも、この先も絶対にない。

本当にどうしようもない事なんだって、俺自身ちゃんと覚悟しているつもりでいる。

それでも、俺の大切な家族で、弟なんだって。

そうちゃんと覚えていないと、この世界にもう一人しか残っていない、大切な家族のアトを、俺の我儘でいつか失ってしまうような気がしてさ」

泥で汚れたウエスを、先程の使用済みのウエスと同じ場所に放り投げ、綺麗になった弾は、革のケースの横に置いた。


《―――ゴメン、シュト》

「何で、今度はお前が謝るんだよ」

再びシュトが苦笑いを浮かべた時、泥にまみれた弾は綺麗に拭きあげられた形で、革のケースの横で光っていた。

それを見つめながら、シュトはまた口を開く。



「お前に言われて、久しぶりに思い出したんだ。

"人格形成に影響を受けた"って。

アトも、ある意味そうだからさ。

エリファス師匠や俺に形成されたんだろうアトを見てみたら、家族の欲目で見ても、アイツは結構悪くない感じだからさ」

それでも忘れてはいけない事があるのを、初対面でも解ってくれていたグランドールの言葉で思い出す。


"アトだって、こういう風に産まれたくて産まれたんじゃない。

出来るなら、きっと自分の力でやりたい事だって沢山あるかもしれん"


普通であるという事は、自分の力で努力すれば何とか出来る"可能性"を持っているという事。

けれど、アトも銃も、自分を表現する言葉すら、"自分ではどうしようも出来なかった"から。


「勿論コミュニケーションにまだまだ困難な部分もあるけれど、アトの事を解ってくれる人は解ってくれるし、受け入れてもくれる。

幸せを比べるわけじゃないけれど、自分では、"どうしようも出来なかった"っていう今生の中では、俺の弟は結構幸せな方で生きてるような気がすんだよ。

で、俺のひねくれてる所を曝すわけだけどさ。

"幸せ"なのは何よりなのかもしれないけれど、アトにあったかもしれない"普通の可能性"を見ることだけは、絶対に叶わないとも、おもっちまうんだよ」

シュトは少しだけ遠い目をして、クローゼットの中から蓋の凹んだ懐中時計を手に取った。


《―――言っておくけれど、僕は自分のこの"在り方"に不満はないからね?。

シュトからみたら、わけのわからない禁術の影響を受けた付喪神かもしれないけれどさ。

それに、僕が言うのも何だけど、きっとアトも僕の気持ちに近いと思うよ。

僕が気障ったらしいジュリアンに腹をたてるみたいに、皮肉屋の兄貴に怒ってるかもしれないよ》

「そうだな。俺の皮肉が"意地悪"に聞こえる時には、『シュト兄、イジワルはいけません、メッ』って、ちゃんと言ってくれるよ」

それから話を切り替えるように、蓋の凹んだ懐中時計を開こうと、竜頭ステムをカチャリと押したが開かない。


「―――あれ?」

片手から両手で包み込むように懐中時計を握りなおして、竜頭を数度、カチャカチャと鳴らして推すが、開かない。


「げっ。壊れてる!?」

自分が壊した訳でないのだが、メイプルの革の裁縫ケースにしろ、先程の指輪にしろ、見つけた物達が"思い入れ"は深くて強そうな物ばかりなので、シュトは焦る。


《蓋だけが多分壊れている感じではないかな。

破損はしてないんだから、そんなに焦らなくて大丈夫。

ただそういう精密機械は、下手に触らないでちゃんと専門の人に見せた方がいいと思うよ》

シュトの慌てる声に銃の気持ちも切り替えたようで、元の"気障ではあるが落ち着きのある銃"といった様子に戻っていた。

蓋が壊れただけと言われ、焦る少年は素直に助言を聞き入れて、コクコクと頷いた。


「わかった。そうする」

これ以上弄くりまわして壊してはならないとばかりに、銃の言葉に従って懐中時計を先程安置したクローゼットの中に戻した。


《じゃあ、シュトこれからどうする?。

とりあえず、部屋はどういう理由があってこんな泥だらけなのか、わからない。

アルセンは多分軍服から着替えて、部屋から武器をもって出ていってしまっている。

そして、アルセンは銃撃を受けているいるけれど、血は流れていないから、負傷はしてないと考えられる》

「でさ、お前が今列挙したのって"順番的"にはどうだと思う?」


《順番的にって、時間的にどうだったって事かい?》

「そうそう。この部屋が泥が一番なのか、アルセン様が着替えたのは銃撃を受けた後だ、とかさ。

ちょっと、時系列を纏めて考えたいんだ」


《ああ、そういえばシュトは粗野で大雑把そうでいるのに、理屈屋だったね》

「うっせえ。時間がないんだから、一緒に考えろ。

で、お前の意見を教えてくれ」

"信頼"しているが、"信用"はしてないという様子を明瞭にしてシュト尋ねた。


《ハイハイ。じゃあ、僕が思うに"泥"は一番最後って事》

銃にしては珍しく年相応というべきか、好好爺をイメージさせるような穏やかな声でシュトに自分の考えを述べた。


「んじゃ、さっきの言った事を踏まえて、アルセン様は1番にエリファス師匠に銃撃された。

で、とりあえず師匠の事はおいといて。

2番にアルセン様は銃撃を受けた軍服を着替えて、大事な物は置いておいて、武器を持って、この部屋を出ていった。

3番目に理由のわからない大量の泥って訳だ」

シュトは泥だらけになってしまっている貴賓室を見渡しながら、銃に確認する。


《うん、僕の考えはそうだね。

これだけの泥の量だから、もしも1番にしろ2番にしても、"泥"が間にあったのならアルセンの軍服に少しぐらいは付着するだろうし。

でもシュトが見た限り、付着している様子がない。

それは既に違う服に着替えて、軍服がクローゼットの中に"避難"されていたからじゃないのかな》

クローゼットの中は一切泥が入り込んでいないので、シュトは銃の考えにしっかりと頷いた。


《それとさ、アルセンが銃の事を威力を含めて詳しく知っているのなら、撃たれた時は心にしても体にしても凄いショックだっだと思わない?》

不意に、銃がそんな事を付け加え、そのまま言葉を続ける。


《シュトは、アルセンは仕掛けが作動する前にこの部屋から出ていったって考えていたよね。

けれど、やっぱりあの仕掛けはアルセンが銃撃された事によって動いていたんだと僕は思うんだ》

この"銃"の考えをシュトは認める。


「そうだな。それが、流れ的には一番しっくりくる。

英雄と呼ばれるくらいのアルセン様だから、仕掛けが働いて"痛み"が全くない状況になったのなら、逆に意識を早く取り戻したのかもしれない」

《ああ、確かにそれはあるかもしれない。

撃たれても、守ってもらっていたわけだしね》

銃の言葉に、クローゼットに安置している品々にシュトはまた視線を向けた。


「それでもし、意識を取り戻して真っ先に心配するのは…儀式に参加している王都からの皆の事だよな」

"皆"と言いながらも、シュトにはアルセンが一番している人物は、すぐにグランドールなのだろうと思い浮かんだ。


(まっ、そこはあの2人に"両親"を重ねている俺の都合か)

少しだけ苦笑いを浮かべていると、銃が最後に残った小さな疑問を言う。


《相変わらず、泥の正体がが分からずじまいだけれど。

どうやら、この泥がアルセンに危害をどうこうって訳じゃないみたいだから、そこまで深く考えなくてもいいみたいだね》

銃の楽観的にも感じる言い方だったが、確かに現状では"泥"どうこう言えない。


「ある意味"混乱させる"という役割なら、見事に果たせてはいるな」

シュトがそう皮肉った直ぐ後


"リーーーン"


誰かがこの貴賓室に訪ねて来たことを知らせるベルが、泥だらけの寝室に鳴り響いた。


「仕掛けが動いてるこの屋敷で、もう動ける人がいる?!。

―――あ、クリアさんかな?」

《いや、術が効いていたみたいだし、何よりあれだけイビキをかいて寝てたんだから、違うんじゃない?》

シュトが銃に向かって尋ねると、速やかに否定された。


「じゃあ、誰だ?」

カチャリと扉の開く音がして、コッコッコッコッコと軽めに聞こえるの足音が、こちらに向かってくる。


《とりあえず、来賓の部屋にも躊躇わずに入ってこれるぐらいの立場か、度量の持ち主みたいだね。

そして魔術の心得がある人だと考えた方が良いかもね》

靴音は真っ直ぐこちらに向かって来ていた。


「―――なあ、俺がここにいる事でマズイって事になるか?」

《うーん、この部屋の泥だらけの犯人が"執事見習いのシュト"って事になったのなら、マズイいんじゃない?。

調度品は偉く豪華な感じだから、泥だらけの犯人にされたのなら、今生は、ロブロウの領主の館で、弁償の為に一生に近い年数を只働きに近い―――みたいな?》

"銃"は多少冗談めかしていってはいるが、確かにそうなってもおかしくはない豪奢な造りな部屋なのである。


「ちょ、マジで?!」

エリファスと離れて半年間の間で、正式な"傭兵"仕事などなくて中々に逼迫(ひっぱく)したカツカツな生活を送っていたシュトにしてみたら、充分肝を冷やす事が出来る話である。


足音がドアの前で、足音が止まった。


「…―――あら、ドアが壊れているわ…。

"アプリコットさん"かしら」


(この声は…!)

ゆっくりと扉が開かれて姿を現したのは、2代目領主夫人"シネラリア・ビネガー"だった。



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