【当為 (とうい)・前編】
当為
《(ドイツ)Sollen 》哲学で、まさになすべきこと、まさにあるべきこと。
あること(存在)、あらざるをえないこと(自然必然性)に対する。
カント倫理学では、端的に善なる行為そのものを命令する当為(定言的命令)と、他の目的を実現する手段としての行為を命令する当為(仮言的命令)が区別されている。
Let justice roll down like watersAnd righteousness like an everlasting stream.
公道を水のように、正義をつきない川のように流れさせよ。
(ここが、スライドして開くわけだな)
色鮮やかな硝子に透かされて染まる、ステンドグラスの天井の"旅人"の部分の緑色の光を浴びながら、器用に梯に足をかけたまま両腕で天井に触れて、シュトは出口となる箇所を見つけた。
丁度把手の様な場所も見つけ、そこに指を差し込みむ。
「ぐっ」
思わず声を出し、力を入れるとジリジリと、石と砂が擦れ合うような音を出して、ステンドグラスの天井をはスライドして開いていく。
シュトは極力丁寧に押し開き、自分の身体が通り抜けられるのに必要なスペースだけを開けた。
梯の横さんに脚をかけ、更に登り古い紅黒いコートを纏った少年は、旧領主邸の中庭にある"噴水"の底からまずは上半身を出す。
「本当に、噴水の場所なんだな。よいしょっ―――と」
出入口になっている箇所と、ステンドグラスの絵の縁取となる部分は鉄枠で作られいる様子なので、そこに両手を乗せ、反動をつけて一気に身体を噴水の上に出す。
「よっと!」
ザっと音を出して、上手い具合に靴底をステンドグラスの鉄枠の上に乗せてシュトは、水の抜けた噴水の中に立ち上がっていた。
俯いて自分が出てきた、"ロブロウ領主の秘密基地"を見つめるが暗いばかりで、下の様子を伺う事は出来ない。
「雨が降ったらいけないから、閉めとくか」
《うん、僕もその方が良いと思う》
シュトは独り言のつもりで言ったつもりだったが、腰のベルトに納まる"相棒"である銃が応えてくれる。
「御館様が来てから、結構今まで黙りだったのに、どうしたんだよ」
《シュト、弟を迎えに行きながら話すよ。
時間が、限られている》
「それも、そうだな」
シュトはステンドグラスの鉄の枠を踏んで、噴水の中から外に出ようとする。
縁に手をかけて出ようとすると、欠けている事に気がついた。
「あれ、ここだけ欠けているな……って、なんだぁ!?」
シュトが驚いたのは、今まで秘密基地から登ってきた余韻や、ステンドグラスを壊さないようにと気遣っていたが、いざ旧領主邸の中庭を見れば、荒れ放題だった。
それは、昨晩ネェツアークと、ベルゼブルを降臨したロックとの戦いの名残がそのまま残している中庭。
欠けている噴水の縁は、ベルゼブルだったロックへの"止め"となる落雷によって欠けた場所だった。
「―――一体全体、何だってんだよ」
シュトは充分警戒しながら、噴水の内側から身体を外に出す。
驚きながらも、忘れない内にステンドグラスの入り口を噴水の外から閉めるが、シュトが思わず言葉を口に出さずにはいられなかった。
ステンドグラスの扉を完璧に閉まったのを確認してから、シュトは改めて惨憺たる状況になってしまっている中庭を観察する。
よくよく見れば、中庭を酷い状態にした原因の一部は、狩猟や農作の害となる獣を駆逐する為に使われるトラップらしきものが、大量に使われた為だと分かった。
「罠がここまで稼働する獣って、なんなんだ?。
報告もされてないし。
っと、時間がないんだった」
もしかしたら、まだのこっている罠があるかもしれない。
と警戒しながらシュトは中庭から、外との区切りとなる回廊の方へと急ぎながら且つ、慎重に足を進めた。
荒れきっている中庭は更に昨夜からの豪雨で泥濘が酷く、場所によってはシュトは泥に軽く足を取られそうな場所もある。
「こりゃロックさんと後片付けするのが大変」
泥濘に足を取られながら、自然に口に出しているのは、自分達には優しくも厳しい老執事の名前だった。
そして当たり前のように、中庭の片付けを手伝う気持ちの自分がいるのに、思わず足が一度止まる。
「クラベルさん、後片付け大変だろうな…」
《―――シュト》
敢えて言い直して、再び歩きだし、荒れた中庭を突っ切る勢いで闊歩して抜けて、回廊に着いた時、空が白く瞬いた。
「雷か?!」
次の瞬間には、あめこそふらないが、曇天の空に雷鳴が轟く。
「"秘密基地"の扉を閉めておいて良かった。
アトは雷を怖がるし、お嬢ちゃんも雷を喜ぶような事は無いだろうから」
今度は完璧な独り言となって、旧領主邸の入り口に向かって進む。
泥にまみれた靴で、玉砂利を踏んだ、瞬間にシュトはまた驚きに足を止められる。
「本当に、なんだってんだ…」
小高い丘に建てられている旧領主邸から、関所の方を見れば その上空にある曇天に幾筋もの稲光が走っている。
そしてその中には、シュトが産まれてこのかた見たことがない"生き物"が灰色の雲の中を蠢いていた。
それはどちらかと言えば魔法が苦手なシュトでも、大々的な魔術の儀式が行われている為に起こったのだと、察する事の出来る状況だった。
《シュト、とりあえず新しい領主邸に行こう。
あのお嬢さんとの約束を守らなきゃ》
「分かってるって。結構諄いな、お前」
《淑女には常に優しくしないと。紳士として当たり前だよ》
銃の気障ったらしい言葉を聞きながら、小高い丘にいるのだからついでに――。
そう考えたシュトは、領地を見渡すと、昼前だと言うのに道という道に、人の姿は見えなかった。
曇天の空の下、日の光が遮られ薄暗中に、無人にも思える渓谷に美しいと自慢の領地に強い風が吹き荒れる。
"ロブロウの領民なら雨の日でも必要があるなら、雨具を羽織ってでも働く"
ムスカリに、この土地に到着して、自己紹介した時にも言われた話を思い出した。
(皆、儀式だし雷も鳴っているから、家に引っ込んでいるだけ?)
「俺はまだクソ生意気な、就職したての青年で構わないよ」
全く人影がない事を不思議に思いながら、相棒に軽口で返事を返して、坂道となっている新領主邸までの道をシュトは疾走を始めた。
途中何度か滑るが、何とか転倒せずに、息を弾ませて新領主邸の使用人専用の勝手口にまで辿り着く。
勝手口の入口の横には、靴の泥を落とす為の洗い場があり、そこで手押しポンプを押し、水を出してザブザブと靴の泥を洗い流し落とした。
《ねえ、シュト。やけに静か過ぎると思わない?》
「―――そうだよな」
ポンプの側に置かれている拭き上げの為に置かれている雑巾で、水滴滴る靴を拭きながらシュトは銃の意見に同調する。
雑巾を所定の位置にゆっくり戻して、シュトは慎重に勝手口を開いて、新領主邸に足を踏み入れた。
「なあ、お嬢ちゃんとの約束もあるけれど、竈番のマーサさんの様子を見に行ってもいいかな?。
儀式の支度で皆出払っているのも分かっているんだけどさ、何だか―――」
言葉が続かない程の胸騒ぎを抱え、シュトは銃に頼んだ。
《いいよ。僕も、あの元気な小母さんが気になるから》
銃の返事を聞くやいなや、シュトはマーサの"城"である厨房へと向かって、走ってはいけないと指導された廊下を走る。
「考えれば、お前はマーサさんと"前から"知っているんだよな」
《うん、よく知っているよ。
彼女もある意味バンと似た立場の人間だったから。
でも、あの人は潔い人だから…》
「潔いのは、何となく分かるかな―――!?」
厨房の入口に扉が小さく開いている事に、シュトは驚いた。
「マーサさん!?」
誰に対しても豪快で態度がはっきりしているマーサが、厨房の扉を中途半端にしているのが珍しかった。
何より、彼女がそういった態度も状態が嫌いなのをここ数日共にしただけでも、シュトにはわかる。
『コラ、ちゃんと扉は閉めておいき!』
シュトだけでなく、他の使用人も数度そうやって叱れているのを何度となく目撃している。
ちなみに、アトはそういった面では"拘り"を発揮して、扉の開閉に関しては唯一マーサに叱られていない使用人であった。
そしてマーサは、扉を開くにするにしても領主邸に住む全員の食事を配る時や、掃除をする際には邪魔にならないように、しっかりと全開の形にして、ストッパーまでする徹底ぶりである。
だから、"少しだけ開いているという状態"だけでも、竃番の小母さんに何かがあったのだと察して、シュトは少しだけ開かれた厨房の扉を荒々しく開いて、中に駆け込んだ。
小柄でふっくらとしたマーサが、火が消えた竃の前でうつ伏せに倒れている。
「マーサさん!?」
再び名前を呼んでシュトは駆け寄って、肉付きのよいマーサを肩から抱き上げて、起こす。
初老の婦人の安定した喉の動きと、口と鼻から漏れる息から、ただ意識がない状態なのだと分かってシュトは安堵の息を漏らした。
「息してる―――生きてる」
《シュト、落ち着きなよ。マーサさんは簡単にくたばるたまじゃあないよ》
「うっせえ」
銃の言葉に乱暴に答えた時、シュトの抱えるマーサが呻いた。
「マーサさん!大丈夫ですか!?」
「その声は―――シュトなんだね?」
マーサが目を開けずに、シュトの腕の中で尋ねる。
「マーサさん、何かあったんですか?」
「それが分からないんだけれども、急に眠たくなってね。
でも、儀式の後は皆腹を空かすだろうから、気合いをいれて昼食を作っていたんだけど…。
吸い込まれるように、物凄く眠たくなってね。
竃の火だけは危ないから、落とさないと、で必死で火を消して―――」
そこでマーサは言葉を区切る。
(眠らされたって事なのか?)
そんな事を考えていると、紅黒いコートに触れて、マーサが少し震える。
「シュト、もしかしてお前が今、着ている"コート"はもしかして初代様が身に付けていたものじゃないかい?」
依然として瞳を閉じたまま、マーサがシュトに尋ねた。
「そうですけど、目を閉じてるのに感触だけでコートって…?。
それにマーサさん、どうして目を開かないんですか?」
《いや多分マーサは目が"開けられない"んだよ、シュト》
「?。どういう意味だ?」
シュウトが不思議そうに、腰のベルトにいる銃に言葉をかける。
「どうやら、初代様のイタズラにも似た"お守り"が作動しているらしいね」
銃の言葉の意味もよく理解できないのに、マーサまで続いてシュトに意味の理解できない言葉を口にした。
「―――どういう意味っすか?」
銃にもマーサにも尋ねるつもりで、シュトは口を開いた。
「どれ、説明するから、私を休憩室の椅子まで案内してくれるかい?。
何、短い話さ」
「えっと、じゃあ立てますか?」
シュトの言葉に、マーサは口の端をニッと上げた。
「足腰は、まだまだ丈夫さ」
長年竈を守ってきた竈番は力強く言い切って、シュトから身体を離して、床に手をついて自力で力強く立ち上がった。
だが、立ち上がった瞬間にふらりと小柄だがふっくらとした竈番はよろめいてしまう。
慌ててシュトが支えるようにマーサの肩を持つ。
「大丈夫じゃないじゃないですか!!」
「ああ、心配するでないよ。
これは体調うんぬんじゃないよ、単に目が見えないからバランスが難しかっただけさ。
さ、椅子まで案内しておくれ」
心配に満ちた声を出す新人の使用人に、マーサは苦笑しながら支えてくれている手を、領主邸で一番の働き者の手で、宥めるようにポンポンと叩いた。
「分かりました、こっちです、マーサさん」
シュトは支えるように取ったマーサの腕をそのまま掴んで、彼女の休憩室に連れていく。
時間はあまりないが、弟がここに来てから"一番偉い人"と思っている、ある意味お節介な所はエリファスに似ている小母さんを放っておくことは出来なかった。
何よりマーサの言う"長くはない話"が気になってもいた。
「マーサさん、椅子、出しますね」
ガッと椅子を引いて、シュトはマーサの手を取ってそれを、年季の入ったパッチワークで作られたクッションに触れさせる。
馴染みのクッションに触れた途端、初老の竈番は心からホッとした表情を瞳を閉じたまました。
「シュト、ありがとうよ。もう大丈夫だよ」
ドサリと椅子に腰を降ろして息を吐いた。
「さて、私が言えるのはこういう状態になった時が、前にも一度あった時の話さね」
マーサが椅子にこしかけて、パッチワークのクロスがかかったテーブルに逞しい腕をおきながら、早速"短い話"というを始めた。
「―――前にもあった時は、どんな時だったんですか?」
ロブロウの三代全ての領主にただ一人変わらぬ態度で使えてきた料理人は、目蓋を閉じたまま、少しだけ難しそうな顔をして口を開いた。
「私も詳細は、後から初代様から教えられた話なんだけどのね。
今の領主様、アプリコット様が、顔に火傷をなされた時の話さ。
旧領主邸にまだ御住まいで、初代様がアプリコット様のお兄様と5人の娘さんを連れて、ロブロウ自慢の秋の渓谷を眺めにいったのさ。
カリン様は、バン様達がもどられた頃から体調が芳しくなくてね、その日も休まれていたよ。
幼いアプリコット様は珍しく父上である御館様のバン様とシネラリア様を独り占めに出来て、本当に嬉しそうだった。
そこは一緒に留守番をしていた私も見て、覚えているんだ」
マーサは一度息をついて、パッチワークのされたテーブルクロスの上で手を組んで息を吐き出した。
「楽しい雰囲気のまま、コスモスが綺麗に咲いた庭でアプリコット様が、シネラリア奥様と一緒にお茶を淹れようとして、熱湯を顔にかかってしまった。
ちょうどその時、初代様が忘れ物をしたとかで、偶然にも戻ってこられていて、シネラリア様の悲鳴を聞いて直ぐに中庭にいらしたんだ。
初代様は、アプリコット様の痛みを和らげる為に咄嗟に眠りを強制的に促す魔術を使ってね。
でも流石に慌てていたんだろうさ。
あまり強すぎる術の力に、屋敷中の魔術の心得がないものが昏倒するほど、眠りこけてしまったのさ」
「魔術の心得があったのは…その、眠りこけなかったのは」
シュトの言葉にマーサは組んでいた手をほどいて、太いが器用そうな指を額に当てる。
「そうだねえ…、本当に初代様のお力は凄まじいものだったから。
領主になる為の教育をうけていたバン様と、初代様についてきた執事のロックさんぐらいだったんじゃないかね」
《アプリコットが顔に熱湯を浴びて初代が帰ってきて処置をしたのは、後からピーンが"継ぎ足した"記憶。
アプリコットが本当に怪我をしたのは、右手の火傷のケロイドだけだよ。
でも、ケロイドに関してはマーサはきっと見ているし、バンの奥さんが悲鳴をあげたのも本当の事だよ》
マーサの説明の話の後に、銃が説明を補填するようにシュトに語りかける。
(ネェツアークさんが言ってる嘘の理屈みたいだな)
【嘘をつくのなら、本の少し"真実"を滲ませなさい。
そうすると、造形を創りやすくなり、相手も信じてくれやすくなるから】
後づけの記憶にしても、具体的にみた真実が確かにあるから、マーサも受け入れてしまっていた。
こういった悲しい出来事がおかしくはない状況が、ビネガー家には満ちていたから。
「それじゃあ、どうして今のマーサさんの目が開かないんです」
か?と続けようとしたが、アプリコットの"ケロイド"がある時の顔を思い出して、シュトは口を噤んだ。
もし、火傷で爛れた肌を治療するにしても、その姿は痛ましいもので見ている方も辛いものがあるかもしれない。
しかもマーサの記憶の中では、火傷を負っているのは幼い少女の顔面なのだ。
シュトが口を噤む事で、既に口が開けない理由をわかったのだろうと察したマーサは珍しく弱々しい顔を瞳を閉じた状態でしていた。
「あんたが思い浮かんだ通りの事だよ。
孫娘があまりに痛ましい姿になってしまったもんでね。
その姿にショックを周りにも何よりアプリコット様にショック受けさせまい。
初代様は火傷の処置が完璧に終わるまで、引き続き眠りを促すを伴って、"目が開かなくなる"魔術を使っていたのさ。
まあ、それも半日程度の事だったから心配するでないよ」
シュトがあまりにも心配そうな感情を籠らせて声をだしているので、マーサは苦笑いを浮かべる。
それから"短い話"の核心部をシュトに話始めた。
「そして初代様はまた"こういった事態"が起きた時の為。
御館様――バン様が領主に代替わりをなさる前に、新しい領主邸を建築なさる際に、この場所でも、もしも"堪えきれない程の悲しみと痛み"が起きてしまった時。
アプリコット様が火傷を負った際に使った、"皆が寝てしまう術"が発動する設計を組み込んだのさ。
初代様は"『せんと』として『てんと』するには、若さと体力がついていかないと"と何だか難しい言葉でも、イタズラっぽくボヤいていらっしゃっていたけれど。
ちゃんとなされていたんだね」
マーサが懐かしそうにそんな事を口ずさむが、シュトは慌てる。
「じゃあ、今、誰かがこの新領主邸の中で苦しむかかなしんでるって事じゃないんです…あ、でも術が"利いている"なら眠っている?」
「ああ、そういう事になるんだろうね」
不思議とマーサには慌てる様子が見受けられない。
「マーサさん、やけに落ち着いてますけれども、どうしてですか?。
術の仕組みを知っているにしても、その…動き出す条件が結構重たいもんだと俺は思うんですけど…」
シュトが自分の気持ちを素直に言うと、マーサは優しく口の端を静かに上げた。
「私も正直に言うとね、術が動き出していまいそうな悲しみにも…痛みにも心当たりがあるのさ」
落ち着いたマーサの声の中には、寂しさが滲んでいた。
「心当たりですか」
余裕で自分の倍以上に人生経験を持っていて、誰にでも潔い態度のマーサの言葉にシュト耳を傾ける。
「悲しみの方はまあ、何と言うかね。
王都からいらっしゃった美しい貴族様については、脈がないから諦めなと言って、失恋したメイド達の恋心のものかもしれない。
一人、随分と惚れ込んでいるのがいたんだよ。
私は名前は聞いているけれど顔を拝見してないが、パドリック様は大層綺麗な人らしいねえ」
また目を閉じたまま、苦笑いを浮かべるマーサをシュトは見詰めた。
「はあ、失恋ですか…」
悲しみが失恋だったのはシュトには予想外で、そんな相槌しか言えなかった。
ただマーサが言っている事は前置きに過ぎないのを察して、次の発言を待った。
やがて潔い婦人にしては珍しい様子――迷いながらに口を開く。
「シュト。ロックさんはまだ、臥せっておいでなんだろう?」
「…え、あ、はい。まだ床についていらっしゃいます」
言われてすぐに反応は出来なかったが、何とか取り繕ってシュトは返事をする。
(思えばネェツアークさん、マーサさんにはロックさんの事をどう伝えるつもりなんだろう)
マーサには、まだロックの事を話せていなかった。
もし、ありのままを真実を伝えたとして、マーサがどんな受け止め方をするかが、本当に分からない。
そして病で床についたロックの世話をやくにしても、家族でもない男女に関しては、大層うるさいロブロウという土地では、マーサは長年の"仲間"為に精々食事と洗濯のぐらいしか出来ずにいた。
だからロックの食事を運ぶのは、シュトやアトが頑張っていた。
しかし、シュトはアプリコットの補佐の仕事が入ったり、"膿抜き"前のムスカリに使い走りにされたりと忙しい。
アトはアトで彼に出来る仕事を任されたりとで、見習い執事達はそれぞれに忙しかった。
従って、体調を崩して臥せる先輩執事の看病は、満足に出来ない状態が続いていた。
結局、土地の柵に囚われない――"領主の友人のエリファス"が、執事の仕事の代わりを補佐しつつ、殆どロックの世話も請け負っている形になっていた。
そして、そのエリファスも昨夜からロック共々所在が不明となっている。
「―――ロックさんは矍鑠だし若々しく見えるかもしれないけれど、一応もうこのロブロウじゃあ、年長者なのさ」
マーサの言葉に、シュトが抱いた心配がだんだんと"杞憂"な物へと変わって行く。
もしかしたら、この竃番の婦人は"ロックが今し方亡くなった"と伝えたとしても、ある意味あっさりと受け入れてしまうかもしれない。
「まだまだ若いシュトには、少しばかり辛い話かもしれないけれどね。
年をとった人は、一度病気なり、怪我なりをして寝込んでしまうと時に信じられないくらい、あっさりと天からお迎えが来てしまう時があるんだよ」
申し訳なさそうにも見える態度で、マーサがゆっくりとシュトに伝える。
「その、じゃあ、マーサさんはロックさんが…亡くなったかもしれないと?」
我慢できずにシュトが出した言葉に、目を閉じたままマーサはゆっくりと頷いた。
「ああ、私はロックさんが今でも明日でも、寝台から起きなくてこなくても、不思議に思わないくらい、あの人が年を取っている事を知っているからね。
そして、亡くなる事は、あの人に世話になった人には――アプリコット様や、他の使用人達にも、堪えきれない悲しみだろうとも思う。
少なくとも、私はそうだよ」
マーサはそう言って、鼻を啜った。
《―――マーサは本当に潔い人だから、シュトが今からロックの部屋で確かめ、亡くなっていたと伝えたなら、それをそのまま信じてくれるよ》
腰のベルトに納まる銃からの囁かれる言葉に、シュトは小さく頷いた。
そしてネェツアークがロックの為に支度している"人としての自然な最後"を悟る。
「あら、思えばまだ確認もしてないのに、ロックさんに失礼だったね」
瞳は閉じていながらも、テーブルの上に備え付けで置いてあるちり紙に器用に手に取って、マーサは洟を軽くかんだ。
「あ、それじゃあ、"堪えきれない痛み"についての心当たりは何なんですか?」
確かマーサは"どちらにも心当たりがある"と言っていたのを、シュトは覚えている。
マーサはゆっくりと頷いた。
「そちらもね、どちらかと言えば、ロックさんの為に初代様が用意していたような気が私はするんだよ…」
「また、ロックさんですか?」
思わず顔をしかめ、シュトには初代領主という人物が不可解になる。
マーサはシュトの声だけで、気持ちをしっかり汲み取っていてくれた。
「初代様は、家族も大切になさっていたけれど、ロックさんも本当に大切な人と思っていたんだよ。
ロックさんがいたから、ピーン様は"平和になったロブロウ領主の仕事"を何とかこなす事が出来ていた」
『マーサ、私はロックがいるから、この土地と家族から逃げ出さないで済んだんだよ』
旧領主邸の厨房で、年老いて髪が真っ白になったピーン・ビネガーが自分の反対側の椅子に座って、そう語る姿を料理人は回想する。
かつて旧領主邸で、余った材木でこのテーブルクと合わせた椅子を造ってくれたのはピーンだった。
厨房に威勢の良い少女が入ったと使用人に聞いて、早速好奇心旺盛なイタズラ好きな領主の跡取りは、自ら厨房に訪れて、ドアをきちんと閉めない事を、跡取りであろうと遠慮なく叱り飛ばす威勢の良い料理人の小娘を、一辺で気に入ってしまっていた。
ちょうど研究で使った丈夫な木材が余っていたので、威勢の良い少女にテーブルと椅子を造ってやる。
その後、嫁いできた妻のカリンも、趣味でしていたパッチワークで作ったテーブルクロスと、同じくパッチワークで作った椅子に付けるカバーをくれた。
カリンの方は、娘達に半ば強制的に聞かされる、どこから仕入れてくるのか分からない"嫁いで来たばかりの息子の嫁の噂話"を極力聞き流すためにしていたパッチワーク 作品だった。
それは根も葉もない噂で気持ちを煩わせる事がないように、気持ちを落ち着かせる為に、優しい緑色を基調として作られていて――カリン・ビネガーという人物の優しさも作品に写し出されていた。
まだこの机と椅子とパッチワークのカバーが作られた頃。
初代のピーンの力と威厳が"生きている時期"は、比較的に穏やかな日々が過ぎていた。
そんな中で、自分が出来なかった事をあっさりとこなしてしまう"嫁"に覚えなくてもよい"怯み"を覚えてしまっていた。
極力聞き流していた娘達の言葉に、耳を少しばかり耳を傾けてしまう
すると沼地に泥に足を捕られるように、"そちら"側へと領主夫人は引き込まれてしまっていた。
そして決定打は、シネラリアがまた懐妊したという話だった。
"男児2人"なら、"女の子が産めず、華やかさがない"と表には出さずとも心の底で謗る事で、カリンの"ビネガー家の領主夫人"としての威厳が保てていた。
しかし、あっさりとシネラリアは懐妊してしかも医師の報告によれば、腹にいるのは双子の女の子だと報告される。
離れて暮らす、息子夫婦はちゃんと礼節を弁え、季節や行事の時には顔をみせて、決してカリンを貶めたりする事などしていなかった。
"常識"に則る態度しかしていないのに、それを"跡取りの嫁なのに気配りが足りない"と必要以上に里帰りをする、娘達の言葉に初代領主夫人の心は揺れる。
自分がこなせなかった事を優々とこなして、唯一勝てていたと思われる"女児"についても、一気に2人も産もうとしている、息子の嫁。
夫も、夫が弟のように可愛がりしっかり者でカリンの事も何かと助けてくれる執事も普通に、これでビネガーは安泰だと喜んでいる。
決してカリンを責めるような事はしない。
(これで、良い…これが領主様が望まれた"戦がない世界"の日常なのだから)
そう懸命に自分に言い聞かせるカリンに、娘達の悪意に満ちた会話が耳に入る。
『これで、女の子1人だったのなら、"男児2人女児1人なんてお転婆にしかならない"とからかえるのにね』
『双子の出産は大変だし、昔は忌まれた事もあったんだから、いっそねえ…』
クスクスと笑い、口では本当に好きなことばかり喋る娘達を少しばかり、呆然として母は見詰めていた。
【もしも、次のお産で息子の嫁が不手際をしてしまえば、私のこの気持ちは、拭えるの?】
とても暗い声がカリンの心の中に響いた。
真夜中に、賢者でもある夫が乱雑に置いてある書物でも、危険だからあまり触らないで欲しいと念を押された場所にカリンは訪れていた。
妻を本当に信頼していたから、ピーンは口頭だけでそう伝えていた。
命を奪いかねないそんな魔術ばかりを記載した書物の部屋に、姿を見られないようにと、夫が愛用してくれている、自分と執事のロックとで作った紅黒いコートを頭から被って入る。
"箱入り娘で世間知らずで、怖がりだけれども、優しく可愛らしいく裁縫が好きな妻"とばかり夫に思われているカリンは、闇夜の中で震えながら、危険と夫に教えられた書物に手を伸ばす。
『―――カリン奥様ですよね?。
どうしたんですか、旦那様のコートを身に付けられて。
何をなさっているんですか?』
気配を感じさせない優秀な執事――ロックが夜の見回りの為に片手にランプをもった姿で、カリンに声をかけていた。
そしてこれは、本当に偶然にタイミングがあっただけの事だった。
カリンはロックに呼び掛けられて腰を抜かして、頭から被った紅黒いコートを床に落とし、その場にへたりこんだ姿を、ランプで照らし出された。
(―――見られた!?ロックに、領主様にどこまでも忠実な、あの人に…)
カリンが大層な怖がりと知っているのに、驚かせてしまった事に、ロックは申し訳なさそうな顔をして近づく。
まず床に落ちてしまった、ピーンの為にカリンと共に作った紅黒いコートを拾い上げてから、更に領主夫人の側に近づいた。
『カリン奥様、驚かしてしまってすみません。
でも、こちらの書物は扱いが大変危険でございます。
何か調べものがあれば、私が…』
そう言いかけて、片膝をついて執事は領主夫人に手を伸ばす。
バシンっ!!
まるで闇から伸びてきた手ように見えた手を、カリンは震える手で打ち弾いた。
ランプに照らし出されたカリンは目に一杯の涙を溜めて、泣き出しそうな顔をしていて、ロックは戸惑う事しか出来ない。
そして執事が戸惑っている内に立ち上がって、その部屋を出ていった。
翌日、領地の端の方で暮らしているバンからシネラリアの腹の中にいる双子の内、1人が残念な事になったと早馬で知らせられた。
『―――そうか、では残りの1人だけでも健やかに誕生する事を願おう。
ロック、バンとシネラリアに見舞いの品を―――』
領主の椅子に座して言う夫の言葉を、真っ青になりながら横の椅子に座して聞いているカリンに、指示を聞いているロックだけが気がついていた。
『―――ロック、どうかしたか?』
いつも冷静な執事が心配そうな表情を浮かべて、自分の横にいる妻を見つめていた。
『領主様、すみませんが気分が優れません。
申し訳ありませんが、失礼します』
ロックにピーンが尋ねた瞬間に、カリンは立ち上がり謁見の間から退出して行った。
ピーンは妻と執事に何か溝が出来てしまっている事に気がついたが、決定的な理由はわからなかった。
執事にしてみても、ただ真夜中に危険な書物の部屋にいる領主夫人を見かけただでけで、心当たりがない。
余計な邪推など露ほどにもしていなかったのだが、それからカリンは不必要な程ロックを避けはじめたが、ロックもピーンにもその理由は分からなかった。
そしてうやむやの内に数ヵ月が過ぎ、無事にシネラリアが女児を出産したという話が届く。
産まれた女児がとても健やかで、誕生の時から祖父であるピーン・ビネガーの片鱗を感じられるような魔力を溢れさせているという話を聞いた時、カリンは久しぶりに安堵に満ちた歓びの表情を浮かべていた。
産後の日達も良く、首も座り、それでも母体と赤子の大事を取って生後3ヶ月を過ぎて漸く初めて、ロブロウの旧領主邸に帰ってきた。
ただ旧領主邸にきた時、バンの妻となる女性、シネラリアは随分と疲れているようにピーンにもロックにも見えた。
ピーンもロックも、そしてカリンも考え及ばない所で、"4人の娘達"が双子の内の1人を失った事で、シネラリアを責めてたてていた。
しかも、さもカリンがそう仕向けたような言い草で――まるで"母親の気持ちを代弁しただけ"という具合に、シネラリアを追い詰めようと構えていた。
当人達の預かり知らぬ処で、余計な諍いの種が芽を出していた。
そして諍いの種を撒き散らして、あくまでも"母の味方"をしているつもりの娘達は、更に母であるカリンが言わせたかの如く言葉を吐く。
【この赤ん坊、アプリコットは、本当にカリンお母様にそっくり】
【まるで双子の片割れを、奪われたから"意地でも母親に似るものか"ってつもりなのかもしれない】
【そうね、片割れを命を取られたから、その恨みを表現する為にカリンお母様に――お祖母様に似たのね】
――その言葉が、シネラリアだけではなく母親であるカリンを追い詰めることになる事も知らず、アプリコットの叔母となる女達は言葉を吐く。
娘達のあまりの言葉に、ピーンが戒めの言葉を強く発したが、数で勝り固まる娘達は、反省の色を全く出さなかった。
赤子のアプリコットを見つめて強張るシネラリアに、ピーンが労りの言葉をかけるのを、娘達はまた面白くないように見ている。
その側でカリンが真っ青な顔を扇子で隠しているのに気がついたのは、やはりロックだった。
【片割れを命を取られたから、その恨みを表現する為にカリンお母様に――お祖母様に似た】
娘が戯れに過ぎない気持ちで言った言葉に、心の底から震え上がる。
片割れを取られたから、その恨みを伝える為に、カリンの、孫娘が自分の顔をして産まれてきた。
(違う、違う、―――違う。私は何もしていない、何も出来てはいない!)
『奥様、大丈夫ですか?』
カリンは、ロックの何も疑わずに自分をまっすぐに心配する澄んだ瞳に――怯えた。
――奥様、決起軍に入ったならピーン様の治める事になる、領地ロブロウが安寧に包まれるように、平定の為に頑張ります。
奥様は、家の事を頼みますね――
一緒にピーンの為にコートを作る時に言われたロックの汚れない言葉が、今度はカリンの心を締め付けた。
そして、バン達がまた元の住まいに戻った数日後。
カリンはロックと共に作った、最愛の夫が大切にしている紅黒いコートを旧領主邸の中庭の噴水の縁に置いて、燃やそうとする。
燃料を、紅黒いコートを大量にかけた。
いつも優しく縫い物をする指先で、拙い魔術で火を出して紅黒いコートに火を点そうとしていた。
『―――カリン?、何をしてい…カリン!?』
中庭と外の境目になる回廊に、領主ピーンが姿を表していた。
その日、ピーンも息子夫婦が帰ってから妻の顔色が優れないのに気がついていたが、特に思い詰めていた顔をしていたので、気にかけていた矢先だった。
妻の指先から、様々な憎しみや悲しみが詰まった炎は、涙のようにもピーンには見えた。
そして指先から炎が零れるのを見て、一般的に年老いたとされる年齢からは考えられない程の俊敏さで、ピーンは中庭を駆ける。
(コート(あれ)だけは、燃やしてはならない)
妻と、自分に忠信をしてくれている執事が、微笑みながら作ったその"コート"は、きっと人が平和に暮らしていく為に必要なものを象徴した"結晶"ようなものだと、"賢者"は信じていた。
互いを思いやって、独占するのではなく、やたらめったら平等にするのではなく、"その人らしさ"を巧い具合に重ね合わせて作られた、コート。
噴水の縁に置かれたコートを火が溢れ落ちる前に拾いあげる。
しかし、大量にかけてあった燃料がピーンの衣服にかかり、溢れた火が引火して燃え上がった。
ピーンの後を追って、中庭に来たロックも思わず動きが一瞬だけ止まり、ハッとして燃え上がる人の方へと駆け寄った。
ロックは焦り、カリンは悲鳴で炎にまみれた主人の名前を呼ぶ。
『旦那様!?』
『領主様!?』
『だいじょう…』
ぶ、と言う前に、ピーンはバシャンという水音と共に、炎を纏った体で噴水の中に落ちていた。
ジュウッと火が消える音と共にすぐにピーンは、ブハッと声を出し、噴水から白髪だらけの頭を水に濡らしてコートを抱えて、姿を表した。
『あ〜、流石に驚いた―――』
まるで自分のした実験が失敗したような、ただそれだけの反応で、ピーンは2人が作った紅黒いコートを抱えて、水浸しで噴水から出てくる。
燃料を大量に浴びて、最初に引火した上半身部分は火の回りが早かったらしく、肌が見える程になっていた。
(―――種火の感情がそれだけ強かったって事か)
少しだけ鋭い瞳になり、肌が顕になった部分を見てからピーンは、中庭にの地に座り込む自分の妻を見た。
『旦那様、お怪我は―――?!』
駆け寄って来たロックの心配する声を、無事だった紅黒いコートを見つめながら制止する。
『カリン、どうしてこのような事をするんだ?』
敢えてコートを燃やそうとした事をピーンは口に出さないが、賢い執事は状況から起きてしまった出来事を察する。
そして濡れた紅黒いコートと、それを共に作った主人の伴侶である女性を驚愕の表情で見詰める。
ロックに見詰められた瞬間に、カリンは中庭の大地に、柔らかい自分の指をめり込ませた。
『―――耐えられなかったんです。
自分の中で、余りにも醜い心ばかり育っていく事が 』
『―――そんな、奥様はちゃんと内助の功で、しっかりとお役目を果たしておいででないですか!?。
いったい、何が奥様をそんなに苛むのですか』
その言葉で、カリンはかつて夜に危険な魔術書の保管場所に行った事に対して、ロックが微塵も疑いの心を自分に抱いていない事が分かる。
(結局、私だけが、"変わってしまっている"のね)
コートを作り上げた時、同じ場所にいて、共に主になる人を自分は"妻"として、横で驚く人は領主の"執事"として支えあおうと決めていたのに。
『ロックは、あの頃から歪む事なく、ただ約束したことを守れているのに、私は、私は―――』
自分の"領主夫人"という居場所に固執してしまっていた。
自分がなし得なかった、男児を2人産むという事を簡単にこなした息子の嫁に嫉妬した。
そして更に女児まで産んで、完璧に自分が"貴族の領主の妻"として果たせなかった"仕事"をこなしてしまわれる事に、恐れを抱いた。
だから信頼しているからこそ教えてもらっていた、人の命すら奪える魔術書がある場所に、大切なコートを頭から被り手を伸ばそうとしてしまった。
――コレ以上、私ヲ"追イ抜イテイカナイデ"。
――ココハ"立派なロブロウ領主夫人"ハ、私ノ"誇り"ナノ。
大粒の涙をボトボトと、大地に落としては染み込ませ、カリンの話す言葉にロックは小さく首を振る。
『で、でも、奥様は魔術書に触れてすらいなかったではありませんか。
それに、誰だって心に暗い気持ちを抱くものです。
奥様は何も責められる所以はございません』
そう言った気持ちなら、ロックも平定の4英雄の――グロリオーサの前で、何度も目の当たりにさせられた。
自分の前では中々しないしない、伸びやかな主の笑顔を何度も見せつけられた。
偏屈で有名な賢者ピーンの心と"傍ら"にいとも簡単に、黒髪の精悍な瞳を持つ青年は入り込んで"親友"となっていた。
"王"のカリスマに惹きつけられている、賢者が分かった。
それは、長年側にいて、心から忠誠を誓う青年には、本当に、本当に悔しい事で。
でもそれは個人的な感情でしかなく、平定の4英雄ととピーンが目指している"安寧の世"を作る為には、邪魔なだけだと、ロックはわかっていたから、嫉妬の気持ちを押さえ込んでいた。
"貴女だけが、心の闇に悩まされている訳じゃない"
そんな怒りと悲しみの気持ちを、ロックは初めてカリンに対して抱いてしまった。
それでも、まだカリンという女性が、望んで世間知らずに育てられてわけではないと知っていたから、理性的な言葉を選び、そして励ましの言葉をかける。
『バン様のお子様、アプリコット様の事も、偶然でございましょう。
双子というのは、得てしてそういった事がある事例もあると、医学書にも載っている事でございます』
だが懸命な励ましの真っ直ぐな言葉が、かえってカリンには堪えていた。
それが解ったから、ピーンは広い掌を見せて、励まそうとする執事の言葉を止めさせ、妻に言葉をかける。
『カリン、そうか、辛かったな』
『―――旦那様』
悲しそうに呟くロックには、濡れた紅黒いコートがピーンから差し出された。
『ロック、すまないがカリンと2人にさせてくれないか。
それと、このコートの手入れを頼む。
私にとって、本当に"大切"なものだから』
"大切な"というピーンの言葉に、カリンはまたさめざめと涙を流して、ロックはコートを受けとる事しか出来なかった。
『―――畏まりました』
やっとそれだけ返事をして、水に濡れたコートを手にして、ロックは頭を下げる。
再び頭を執事が頭を上げた時、濡れたコートの水分が彼の袖を染み渡り、ロックの目にも涙が浮かんでいるのを、賢者は見逃さなかった。
「初代領主様はロックさんが傷ついている事に、勿論気がついていた。
けれど、カリン様の心が繊細で、その時ケアをしなければ一生の深手を心に負うこともハッキリ分かっていた。
だから、ロックさんには申し訳ないけれど、"我慢出来る人"に我慢をして貰った…そう仰っていたよ」
瞳を開けないマーサの脳裏には、未だにそうこのテーブルと椅子で語った時の、悩める初代領主の姿が簡単に思い出せる。
「もし、俺も初代領主様と同じ立場ならそうしたかもしれません。
でも、その代わりではないけど、奥様が落ち着いたのなら、我慢をしいてしまった人に、ロックさんに、俺で出来る限りでちゃんとお詫びと礼を―――」
そこまで言って、シュトの言葉が止まった。
「この"仕組み"は、そのロックさんへの、傷つけた心へのお詫びなんすか――」
「私には、それもあると思うんだよ。
何より、それからが尚更大変だったんだ。
初代様の4人の娘達は、初代領主様がそのコートを守る為に出来た火傷を理由に、バン様を呼び戻した。
そして、さもカリン様がそう仕向けたように、シネラリア奥様を…"いじめ"なさったからね。
カリン様は、アプリコット様の双子の片割れが消えたのは、自分の所為だと思い込んでいるから、引っ込んでしまわれた」
「なんつうか、何もかもが悪循環みたいな感じっすね。
その初代の領主様の娘さん達はどうしてそこまで…。
だって、アプリコット様の顔の事情は知らなくても、母親が、それで傷ついている事に、気がつかなかったんすかね?。
偉く遠回りだけど結局は、母親である"カリンさん"を苦しめているって事に気が付かないもんなんですか?。
その、一応"賢者"の娘でもあるわけなんすよね?」
シュトはいつの間にか、実物には会った事も見た事もない"カリン・ビネガー"という女性に同情していた。
「賢者の娘は、賢者ってなるわけでもないのは、シュトでも分かるだろう?。
でも、少しばかりは賢かっただろうとは思うし。
私は、娘さん達は、母親のカリン様が苦しんでいるのは、幾何かは気がついていたかもしれないと思うよ」
マーサは、少しだけ切なそうに言葉を濁しながらシュトの質問に答えて、更に続ける。
「けれど、"気がついていながら、気がついていない"。
そんな風に振る舞って、そうやって、カリン様にもしかしたら小さな復讐をしていたのかもしれない」
「はぁ?何を復讐するっていうんですか?。
しかも、小さなって何なんですか?」
マーサの話で、シュトの声に怒りが隠る。
「父親である初代領主様とロックさんが、争いの無い世の為に、命懸けて戦って。
まだ安全である土地に母親や姉妹で家族で過ごしてて、何処に復讐する必要があるっていうんですか?。
母親だって、世間知らずでも、それなりに頑張って子どもの1人だって欠けさせて訳でもないのに、ふざけんなよ!」
もう、この世界にはいない人と分かっていながらも、ピーンとカリンの子どもであるはずの4人の姉妹に憤りを抑えられなかった。
幼い頃に二親を亡くして、障がいのある弟とみを寄せ会うように懸命に生きてきた少年には、世間知らずでもな母親でも、平定の為にと家族をおいて行ってしまう父親でも、そして何より衣食住の心配もせずに、"子どもらしく"過ごせた。
それなのに、何を親に対して、"復讐"なんて御大層な言葉を使って、子どものいじめの延長でしかないような事をした"大人"に呆れ、侮蔑した。
「いったい、何に対しての復讐だっていうんですか?!。
何がそこまで、バン様の姉妹を歪ませる事になったんですか?」
「それこそ本当に小さな事。
小さな"嫉妬"と"愛情"さ。
例え、傍目から見たなら、大変そうに見えても、根底に裏打ちされた"愛"があるかどうか、"賢い"子どもなら気がつくだろうからね」
マーサがそう語り始めた瞬間、シュトには瞳を開けないこの初老の婦人が、ネェツアークとはまた違った意味で賢い人に見えてしまった。
そしてシュトは、バンと長女以外が跡取りではないからと、子ども時代に"特別扱いをされなかった"というエリファスから聞いた話を思い出す。
"特別な領主に必要な教育"を受けさせて貰えない。
それは後を継ぐ可能性がない娘達には、必要のないものだからと与えて貰えない"寂しさ"は、領主としての仕事の大変さを知らない子どもからすれば、自分にだけ愛情を注いで貰えないと受け止めても仕方がないかもしれない。
(でも、だから、アプリコット様と大奥様の親子の仲をカリン様のせいにして、弄んで良いわけじゃない)
シュトが唇を間で黙ってしまうと、マーサがまた口を開いた。
「シュトは、もうエリファスや、何かと事情通そうなアプリコット様の御友人のネェツアークさんに、色々話をもう聞いているとは思っていたけれど。
そんなに怒るとは思わなかったよ。
もしかしたら、この話はあんたを傷つけてしまったかもしれないね。
それなら、すまなかったね」
マーサの言葉が、優しさと労りをもってシュトに届いた。
初代領主の紅黒いコートを纏った少年は、小さく首を横に振る。
「俺も話は確かに、エリファス師匠から聞いてはいました。
聞いてはいましたけれど、お祖父様にあたる領主様も、ロックさんも、カリン様も、決して努力をしてない訳じゃないのも分かりました。
結局、又俺は"コイツが一番悪い奴なんだ"ってのを…まだ探していただけなのかもしれません。
そうしないと、気持ちがやりきれないから…」
シュトの言葉に、マーサはまた静かに頷いた。
「―――次世代の為に、争いの無い世の中を目指して初代様は頑張って、英雄と呼ばれる人達を手助けて、国を平定したのに。
安らぎを産むハズの家庭から、こんなにも苛まれるなんて、初代の領主様にとっちゃ、なんて皮肉なんだろうね」
マーサは、シュトが立っている場所に顔を向けた。
見えないが、はっきりとした少年の気配がある。
紅黒いコートを着ている事が、どうしてもピーンとシュトを重ねてしまう。
「"誰も悪くはない"でも"正すべき所はある"。
そんなジレンマを抱えながら、領主様なりに、改善させようと頑張っておられたのを私は見かけた事もあったよ。
だけれども、領主様がいざ娘達と向き合おとすれば、娘は嫁いだ家とさっさと逃げ帰る。
"一対一"なら、絶対父親に敵わないと、そんな所は"賢い"から分かっている。
初代様はそんなに中で、領主としての仕事をこなしながら、国王陛下に頼まれた東の国の術を編纂したりもしていた。
話し合う機会を以外は、少しでも何か他の事で気を紛らわさないと、多分初代様もやっていられい気持ちだったんだろうね」
「あの、そう言えばさっき、"ロックさんのお陰で領主を続けられた"って言っていたのは…」
シュトの言葉を聞いて、マーサはああ、と哀しそうに溜め息を吐いた。
『マーサ、私はロックがいるから、この土地と家族から逃げ出さないで済んだんだよ』
最後にピーンが紅黒いコートを纏っている姿を見せた時、威勢の良い料理人に語った話の内容を忠実に伝えなければと、そうピーンの声と共に思い出した時、マーサの瞳は開いた。
シュトは瞳が開いた竈番に驚いた顔をしているのを、マーサは優しい小母さんの顔で見つめる。
マーサ自身は、自分の瞳が開いた事には特に驚かず、懐かしい紅黒いコートが視界に入った瞬間に、懐かしそうに小じわが沢山ある顔の中で、目を細めた。
「もしかしたらシュトはどこかで、ピーン・ビネガーという人と、何か縁付いているのかもしれないねえ」
そう言って、かつて旧領主邸の厨房で、ピーンが腰かけていた椅子に、穏やな眼差しを向ける。
そしてピーンが領主を続けられた"内情"をシュトに話す。
最後の愛着あるコートの姿で、初代領主が言っていたのは、自分に忠実過ぎるロックへの"感謝"だった。
『私が、本当に家族に対して抱いてはいけない気持ちや、遣りきれなくなった時。
思ってはいけない、考えてはいけないと思っている事を、ロックは代わりに悲しいぐらい優しい瞳で、私に訴えるんだ。
"ピーン様、共にロブロウから旅にでも出ませんか?"
"宛のない旅人になりませんか?"
"私が、このロックが何があっても、お仕えしますから"
そうやって、悲しそうな瞳で訴えて、私の為に沢山の逃げ道を用意してくれているんだ。
私が決して口にしてはなら気持ちを、代わって表現してくれる』
「もう白い髪しか残っていない豊かな頭髪をガシガシと掻きなさってね、領主様は"情けない"って顔をしながら仰るんだ」
椅子に座り、机に突っ伏し白髪の髪をピーンは掻きむしっていた年老いた"賢者"を、厨房の主は思い出す。
『ロックがあまりに明け透けな感情を見せてくれる。
だから、私は自分でも考えているくせに、"そんな卑怯な事はしてはいけない"。
そうやって何とか、このロブロウという土地に踏み留まろうと、考え直す事が出来ていた。
ロックにばかり、我慢する役目や、自分の弱さを露呈させるような、心が痛むような事ばかりをしてもらって、漸くだ。
でも、そうやってくれたから、私はロブロウの領主という役目から逃げ出さず、留まる事が出来た。
だから"感謝"を伝えたいが、もう駄目なんだ。
どんな感謝の言葉を並べたとしても、今のロックは私が、先にカリンを庇ったことへの"罪悪感"からの言葉としか、受けとらないだろう。
だから、あの時のアプリコットの痛みを和らげた時のような、こんな方法でしか、もうロックへの恩返しが出来ない』
マーサがピーンが語ったという言葉をシュトに伝えた時、腰のベルトに納まる銃が口を開いた。
《もういくら言葉で言ったとしても、感謝が"謝罪"としてしか届かない。
もしロックの最後が、心でも体でも"苦しみ"を伴うものになりそうなら、それがなくなるように、老獪の賢者さんはしたわけなんだね。
人としての終わりの時、大きな悲しみや痛みを一切感じないように。
"普通"に天寿を全うするような、"安らかな最後"をロックさんに与えてやりたかったんだね》
突然の銃のしんみりとした言葉に、シュトは驚きもしたけれど、少しだけ"違和感"を抱いていた。
まるで"銃"は、"大切な人の最後"に立ち会った事があったような語り口でシュトに語りかけてきていた。
確かに前にアルセンの父親である、アングレカム・パドリックの死の間際に、銃は自分達の"初代"ジュリアン・ザヘト共に居合わせた話は聞いてはいた。
けれども、今さっきの語り口はまた違うニュアンスを含んでいるような気がしてならない。
(まるで"大切な人"の安らぎを願ってやまないような――)
シュトが銃の話に返事をする事なく、軽く考えこんでいるとマーサの声がシュトの耳に入ってくる。
「―シュト、お願いがあるんだ。
もし良かったら、この後、ロックさんの様子を確認してきておくれ」
しかし、マーサから心からロックの身を案じる声に、一気に気持ちが現実に引き戻される。
「あ、はい、分かりました」
元から"ロックの見舞い"を口実に、"農業研修に来た兵士の家族の警護"を抜け出して来たのだとシュトはマーサに言われて思い出す。
もし普通にマーサや他の使用人達と接したならしようと考えていた言い訳を忘れる程、この威勢の老婦人が倒れていた事がショックだったのだと、改めて感じ入っていた。
そして竈番の小母さんも、本当ならシュトがしているはずの仕事を急に思い出した様子で、紅黒いコートに身に包む「見習い執事」を見て、思わず指を指して、あ!?と驚きの声を出してしまっていた。
だが、こうやってこの場所にいて、いつの間にか見かけなくなった"初代領主の大切なコート"をシュトが身に付けている。
初代がかつて仕掛けて術も動いていたし、多分、領主邸の厨房を守ってきた自分の予想を上回る状況が何か起こっている。
長年ロブロウに身をおくマーサはその事に気がついて、すぐにシュトに向かって上げていた指を下ろした。
それから、切なそうなそうな顔をする。
多分初代がここで愚痴を述べていた時と同じように、マーサでは力になってやる事が出来ない、解決するには、"シュト"自身がこなさければならない事も解った。
「―――私は、魔術やら小難しい人の心なんてわかりゃしなけどさ。
とりあえず、自分の"役目"を果たしておくよ。
皆が浚渫の儀式が終わったなら、腹を空かして帰ってくるだろうからね。
すぐにでもその腹を、美味しいロブロウ料理や、私の自慢の料理で充たせるようにね。
お腹が空いて、寂しい思いなんて、私がいる限りこのロブロウにいる間にさせてなるもんかい」
潔い人は、すぐに自分がしっかりとこなせる仕事を見据えている。
椅子からゆっくりと立ち上がって、自分より高い位置にあるシュトの肩をパンっと音をたてて叩いた。
「だから、あんたも自分が出来そうな事を、しっかりとこなしておいで。
そうだ、昼飯に作れるもんなら、あんたが好きな物を作っておいてやるから、何かリクエストあるかい?」
「あ、えっと…、じゃあハンバーグで。
確か、玉ねぎに火を通さないで捏ねたやつを、お願いして良いですか?」
咄嗟にではあるが、シュトは前に一度食べて偉く舌が美味く感じた料理の名前を出す。
ロブロウに来た翌日の昼食に、マーサが使用人の賄い飯として手早く作って貰ったハンバーグだった。
普通なら、微塵切りにした玉ねぎを飴色になるまでじっくり炒めるのだが、"時間がないから、一手間抜くよ"と、微塵切りにした玉ねぎをそのまま捏ねた挽き肉にぶちこんで作ったものである。
「俺、火を通してない玉ねぎのハンバーグの方が、食べたときにシャリシャリした食感があって好きなんです。それに―――」
一度だけではあったが、共にそのハンバーグを共に食べた時のロックの朗らかな顔を思い出していた。
『シュトもアトも、美味しそうに食べますねぇ。
食材も作った人も、2人みたいに食べて貰えたなら、きっと幸せでしょう』
品良く食べながら、ロックは賄いの食事を食べる自分達兄弟を、優しい皺だらけの顔で眺めていたのを思い出す。
「あの時、ロックさんは本当に嬉しそうな顔をしていたよねえ。
作った私より、幸せそうな顔をしながら食事するあんた達兄弟を眺めていたね」
どうやらマーサも、ロックの様子に気がついていたらしい。
「あの時は、"これから、少し騒々しくて、楽しそうな日々が始まる"と、おばさんなりに少しだけワクワクしたりしたんだが―――」
「俺も、もしかして用心棒じゃなくて、このまま執事になって。
安定する収入をゲットで、アトもこのまま優しい小母さんと、優しいお爺さんが出来て良かったなあ、とか考えてたりしていたんですけれどね」
結構しんみりとした気持ちで、喋ったつもりだったのに、シュトのあっけらかんにも思える現実的な言い種に、マーサは思わず笑いを出してしまっていた。
「じゃあ、その優しいお爺さん…ロックさんの様子を見てきておくれ。
もしかしたら、『勝手に天に召させないでください』ぐらいの言葉を言われるかもしれないけれど」
「はい、わかりました。―――あ」
(そう言えば、ロックさんの為に術が"動いていない"のなら、誰の"痛み"と"悲しみ"で術は発動したんだ?)
もしかしたら、万が一でロックが部屋に戻ってという考えも浮かんだが、ネェツアークの話を聞く限り多分それはないものとシュトは直ぐに考えを打ち消す。
「あの、マーサさん。もしも、"ロックさんの痛み"ではない場合はどうしましょうか」
「そうだねえ。多分まだ術は効いているなら、眠っているだろうからね。
まあ、失恋した居眠りメイドなんて無理に起こさないでおくのが一番だろうさ。
そもそも、貴族様相手に恋をするのが―――」
マーサもそこまで口に出して、もう一人、現在体調を崩して休んでいる人物がいる事を思い出す。
来賓で貴族でも王族でもあり、アルセンが確か体調を崩したとかで、朝に特別に粥を拵えた。
「初代様の術が稼働したのは、お客様の加減が、急激に悪くなったってことかい?!。
でも、そんなに?元々そこまで体調を崩したとは窺ってはないけれども」
マーサが、これまでになく慌てる。
もし、ロックの不調の為でも、メイドの失恋でもないのなら、王都からの貴賓で王族と縁がある人物が、"堪えきれない程"、体調かもしくは心を傷めている事になる。
状況としては、アルセンが心を痛めるよりは体調を急激に崩したとしか、マーサには思い付かない。
「はい。確か、著しく魔力を消耗したとかで、体力がどうこうってわけじゃないはずです」
マーサが慌てるのでシュトは安心させるつもりで、今朝みた美人と形容するのがぴったりな貴族の姿思い出す。
美人の貴族――アトからすれば"アルスの先生"は、とても綺麗で優しそうな顔をしながらも、あの逞しいグランドールと互いに一歩も引かない程の口論を展開する程の気力を今朝は確かに持っていた。
「俺も今朝、少しだけ御目通りさせて貰いました。
アルセン様は確かに魔力が減ってるせいで、体力も少しばかり落ちている様子でしたけれど、気分が悪そうとかそんな感じじゃなかったです。
朝食の前には、アトの散歩にも付き合ってくださいましたし」
これで安心するだろうと思って、シュトは散歩の話を持ち出したが、未だにマーサの不安は拭えていない様子だった。
それから又しても、ハッとした表情を浮かべて自分より背の高い見習い執事を見上げて質問する。
「シュト、確か浚渫の儀式は水の精霊や、東の国の、やっぱり水を司る神様を利用させてもらうんだよね?」
「あ、はい。ネェツアークさんからは、簡単にそんな風に説明をしてもらいました」
捲し立てるようなマーサの問いかけに、シュトは瞬きを激しく繰り返しながら答えた。
「じゃあ、もしかすると、もしかするのかもしれない―――」
"確か現当主、アルセン様の血液の型"水の型"ですので、荒れた雨の天気ならば、宜しくない影響を受けられるかもしれません"
朝食を取る前に、鳶色の男が言っていたことを竈番は思い出して、胸騒ぎを覚えていた。
マーサも水の型の知り合いが、豪雨の前後に体調を崩したの人を見たことが数度はある。
「体調を崩した訳ではないんだろうけれど、浚渫の儀式の影響はその魔力を失った貴族さんには、凄く辛く感じるものになるんじゃないのかね?」
「あ、でもそんなに辛いものになるなら、その辛さを感じさせない為に、その…初代の領主様が、新しい領主邸に仕込んだっていう痛みや悲しみが和らぐ術が、稼働している訳なんですよね?」
互いに疑問符を吐き出す会話を繰り返しながら、竈番と執事見習い兼用心棒は顔を見合わせて、とりあえず"術が効いているお蔭で、苦しんでいる人はいない"という結論にたどり着いて――苦笑を浮かべた。
「ああ、そうだった、そうだったね。
術が効いているなら、逆にゆっくりとお休みになられているかもしれない」
いくらなんでも、体調を崩していて、儀式の精霊の影響を受けていたとしても、術が効いていれば、大火傷を負った幼い少女も、痛みを感じずに眠って処置がこなせたぐらいのピーン・ビネガーの魔術である事を思い出す。
マーサは安心したように胸に手を当てて、大きく息を吐いた。
「でも、どちらにしろアルセン様の様子は見てきた方が良いみたいですね。
休んで居られるなら、それはそれでいいわけですし」
シュトが言う言葉に、マーサはしっかりと頷いた。
「ああ、そうだね。
じゃあ、シュト。ロックさんの調子を見るついでに、その貴族さんのお部屋も見てきておくれ」
「はい、そうします」
元々、その事も此方に来た理由の1つ――リリィから頼まれていた事に含まれているので、シュトは確りとマーサからの頼みとしても請け負った。
とりあえず何より、この婦人が大事ない事もシュトには嬉しい事だった事も再確認して、厨房を出る決心がつく。
「じゃあ、もし道すがら廊下で寝ている人を見かけたら、変な格好をしていたなら、直すぐらいはしておきます」
シュトのこの言葉にマーサは笑った。
「ああ、そうだね。急に術が発動した所もあるだろうから、変な姿勢のまま寝違えていたりしたら、後が大変だからね。
それと、ロックさんの事だけれども」
マーサの瞳に、寂しさと"もしも"の時の覚悟の色が滲んでいた。
「―――はい」
シュトは少しばかりマーサがいい淀みながらも、懸命に言葉を探しているのが解る。
ある種の覚悟は出来ているのだろうが、あってもおかしくはない事実を口に出すの事を躊躇っていた。
そして一度強く瞼を閉じてから、ゆっくりと開いて気持ちを固めた様子で竈番は口を開いた。
「どちらしても、"休んでいるなら"今日の儀式がちゃんと終わってから、報告しておくれでないかい?。
きっとね、どっちにしてもロックさんは自分の為に、アプリコット様の仕事が"ロブロウ領主の役目"が、自分が障害になる事は、きっとあの人の誇りが許さないと思うのさ」
長年共に同じ職場で過ごしてきたからこそ、ロックの仕事に対する姿勢は誰よりも弁えているつもりだったので、マーサはそう断言した。
シュトもマーサの言葉は、ほんの少しの時間を共にしただけだが、執事の仕事と向き合っているロックなら、病の床に付こうと、確かにそう言うと思えたので、素直に言葉を聞いて頷いて答える。
「判りました。俺も、ロックさんの見舞いの他にしなきゃいけない、やらなきゃいけない事があるんで、多分戻って来るのは儀式が終わった後ぐらいになると思います」
シュトも今一度肝を据える気持ちで、マーサに宣言をする。
「そうかい、じゃあ、シュトのリクエスト通りのハンバーグを作っておくし、体調の悪い人の為にもちゃんと粥を用意しておくから。
何をするにしても、どうせするのなら頑張って、"ああしておけば良かった"なんて後悔をしにように、遣りきっておいで」
「はい。それじゃあ、後で報告にきますね。
じゃあ、行ってきます」
シュトはニッとリリィにしてみせたみたいに、歯をみせてマーサに笑いかける。
そして古い紅黒いコートを翻して、マーサの休憩室を振り返らずに出ていった。
トットットットットットっと、足音を響かせながらシュトは、とりあえず貴賓室にもロックの部屋にも通じる屋敷の通路を駆ける。
《シュト、アングレカムの子供の部屋と、ロックの部屋、どちらの部屋を先に行くんだい?》
銃がまた久しぶりと感じる具合で、シュトに話しかけてきた。
「先にロックさんの方に行っておこうと思う。
まあ、結果はわかっている…決まっていると思うけれども」
《そうだね。じゃあ、ロックの部屋に行こうか》
そう言い終えた時、丁度使用人専用の部屋に通じる通路の入り口に辿り着いた。
入り口の扉には防犯の為に施錠がされており、その鍵は住込の使用人にだけ配られている。
マスターキーを持っているのは、執事長のロックと領主であるアプリコットだけであった。
「えっと、鍵はと―――あ」
シュトは慣れた仕草で紅黒いコートに手を突っ込んで、固まった。
そしてとりあえず、使用人部屋の入り口のドアノブをガチャガチャと回してみるが、対人関係はともかくロックの使用人教育の賜物か、確りと施錠はなされている。
ガリガリと後頭部を掻いて、シュトはドアノブを見つめた。
《まさか、ベタな失敗してないよね?。
部屋の鍵をあの可愛らしいお嬢さんにかけてあげた、執事服の上着にいれっぱなしなんて事ないよね、シュト?》
「ベタなツッコミには、ベタな返しで構わないよな?」
そして、今度も慣れた手つきで今度は自分にツッコミを入れる、喋る無機物――消音器を装着した銃を腰のベルトから引き抜いた。
「銃はこういう時にも、利用できるよなぁ」
そんな事をを言いながら、撃哲を親指で引いて減音器付の銃口をドアノブに当てる。
《まあ、人を傷つけるよりは有効的な使われ方をされているとは、僕でも思うけれどさ》
「だろ?」
いつもの皮肉屋の笑みを浮かべて、シュトは引き金を躊躇わずに引いた。
また隠ったようなチュンとした弾が発射される音に続いて、ドアノブがガチャと鈍い金属音を出して破壊される音が、静寂に包まれている新領主邸の廊下に響く。
「ネェツアークさんに貰っていた消音器を付けていても結構響くから、ある意味"眠る術"を仕込んでくれていた初代様に感謝だな」
銃口をから出る硝煙をフッと息を吹いて飛ばす。
《"2人の賢者"に感謝だね》
銃が何気なしに、賢者に関して感謝の言葉をシュトに伝えるが、シュトは破壊したドアノブの扉を、銃を持っていない方で開きながら、また少しだけ疑問が擡げていた。
(感謝をするなら、こいつ"銃"の立場なら"3人"の賢者に感謝なんじゃねえのかな?。
確か最初のネェツアークさんの師匠がこいつを造った産みの親でもあるわけなんだし)
そこまで考えた時、ドアが開いてシュトは部屋の中に入る。
("銃"は―――こいつは信頼できるけれど、"信用"はしないほうがいいかもいれない)
リリィが先程、少しだけ話してくれた"元々喋らない物に言葉を与えるべきではない"という話。
この国の王様と"ウサギの賢者"の言葉に、シュトは賛成する気持ちを持った。
"心がある"という事は、表面だけ見ていれば良いという事ではなくなる。
表現が目に見える、表面だけ見ていればよいという、"気軽な単純さ"は有り難い事なんだと心を持った無機物を相手にしてみて、シュト初めて実感する。
少なくとも心がある存在の前で好き勝手出来る程、シュトは常識はずれではないて思っている。
(あれもこれも、心があって裏表があるなんてなっちまったら、俺はたまんねえな)
《シュト、結構弾を使ったから、ロックの部屋に行く前に自分の部屋に寄って、弾を補充しておいたら?》
「―――そうだな」
(こうやって何気に気遣いがされ過ぎるのも、俺には疲れるかも…。
そもそも気を使われるよりは、気を使う方が慣れてんだよなぁ。
アルスぐらいあっさりで、偶に天然出してくれるのが、俺には"相棒"として有り難いや)
やや自分でも自己中心的な思考を繰り広げていると自覚しながらも、シュトは自室にの扉の前につきドアノブを手に取り――"普通"に回った。
《扉の鍵、開いているね》
少しばかり沈んだ声で銃の言葉で、多分部屋で起きている事態をシュトは予測出来ていた。
「―――まあ、シュトも昨日銃を撃ったから、エリファス師匠も弾を補充したんだろ」
シュトとアトにに与えられた部屋は、恐らくはエリファスが配慮してくれたのであろう、兄弟での相部屋である。
入り口から右側が細かく整理整頓され、ロックの手書きの説明が何処かしこにされているアトのスペース。
左側が辛うじて整頓はされているようには見えるが、細部を見れば整頓具合は雑なのが判るシュトのスペースだった。
そしてシュト方の寝台の下の鞄に、隠すようにしまっていた筈の火薬の詰まった薬莢が、ケースの箱ごと寝台の上に置かれていた。
一応記憶していた薬莢の数と、実際に残っている数を照らし合わせると、足りないのは一発だけだった。
(本当に"必要な分"だけ、持っていったってことか)
昨日、アトが炎の猪を仕留めるのに使ったのは、一発のみだった。
シュトは小さく溜め息をついて、回転式弾倉を振って――左側にスイングアウトして、新たに火薬の詰まった薬莢をつめる。
かつて、前々法王の妹の"エリファス"の命を奪ったという弾倉の1つに納まる銀い色の弾丸が、鈍く輝くのを複雑な気持ちで眺めてから弾倉を閉めた。
一応、予備に一掴み程の薬莢を紅黒いコートのポケットに捩じ込む。
《そんな扱い方して…いざという時困らない?》
"細かい事"ではないのだが、やや煩くも感じる銃からの"お小言"に、眉間に皺を刻んで、減らず口を叩きながらベルトに再び銃をシュトは納める。
「うっせえ。"お前"はアトの銃と違って回転式拳銃で、弾の融通が効くのが特徴なんだから、四の五の言うな」
まだ年若い"相棒"に、無機物なりに溜め息をつきながら、銃はまたシュトに語りかける。
《ロックも、この部屋に来たんだろうね》
「そうだろうな、マスターキーを持っているのはロックさんとアプリコット様だけだ。
それにアプリコット様が儀式の場所に向かってから、アトがこの部屋に来て荷物を持って施錠するのは、俺もはっきり見たし」
旧領主邸の"秘密基地"に向かう前に、アトは『リリに、天使様の絵本見せます!』と、自室にシュトと共に荷物を一緒に取りに来ていた。
そして部屋を出る際に、ロックに毛糸で編んで作って貰った紐に鍵をつけて首からぶら下げていた物で、しっかり施錠するのを見た。
「ロックさんに、エリファス師匠が待ちわびた"存在"が何か関係しているのはわかるんだけどさ。
陣取り合戦とか、話がデッカ過ぎていまいちまだ現実味がないんだよなあ」
シュトはそんな事を言って、自室の外に出て今度はロックの部屋に向かう。
《それにしては、銃の"僕"が喋る事には寛容じゃないか》
執事見習いは鼻から小さく息を吐いて、ヘッとアトやリリィの前では絶対しないような悪態をつく。
「―――お前の場合は"気障な口調がムカつく"が先にくるから、いいんだよ」
《何?その変な理屈?それにシュトは本当に、変な所で理屈屋だなぁ》
そんな会話が終了した時、ロックの部屋に着いた。
一応、コンコンっと軽くノックする。
「返事はあるわけないよなあ…」
シュトはそう言って、心労から床に臥せってからは施錠がされていないロックの部屋のドアノブを回した。
扉は障りなく開き、主のいなくなった部屋をシュトは眺める。
寝台も机も綺麗に整頓されている、そう思ったが違和感をシュトは覚える。
「ん?何か…」
《どうしたの?》
シュトの疑問の声に、銃が訊ねの声をかけた。
「いや、何か俺が見たときと少しだけ机とか…」
机の横に据えられている書棚の方も、ロックの不在に気がついた時とは違うような気がした。
「俺たちが来る前に、誰かが来て、ロックさんの部屋に何かしたのかな?」
腕を組んで、手で口許を抑えて、考える。
《変だと感じるなら、少しだけ調べてみたら?。
どうせロックは、もうここには戻ってこないだろうから》
銃からの提案には、シュトは躊躇いながらも頷いた。
「失礼します」
一言詫びてから、部屋のなかで動いたように見える机の引き出しや、書棚で動いたように見える本を手にとり開いたりして、ロックに"勝手にすみません"とまた心の中で謝罪をしながら、シュトは調べる。
そして、考え付いたのはのはシュトが今しがたしたように、"誰か"もロックのは部屋を調べたという事だった。
「それにしても、随分とこまかく調べ回ったみたいだな」
シュトがそう感じたのは、引き出しを調べた際に、奥の方にまである小さなメモ帳まで手にとって捲った痕跡があったからだった。
「俺の前に来てロックさんの部屋を探った奴は、ロックさんにバレてもいいから探したい物があったってことだよな?。
じゃなきゃ、こんなに跡を残した調べ方しないだろうし」
シュトは引き出しを押し戻しながら、銃に意見を求めた。
《捜し物をするにしても、引き出しをひっくり返したりしてないし、書棚の本をいちいち戻している辺りは、その人の性格なのかな?。
家捜しなら、結構えげつない調べ方されるもんだよ。
多分一人で慌てやって、何らかの事情があってすぐにこの部屋を出ていった。
それに使用人部屋の入り口は施錠がされてあった事、忘れちゃいけないよ。
ロックさん部屋に入れた人物は、使用人である可能性か、アプリコット様やロックさんにないにしても、マスターキーが使用人の入り口の鍵を自由に使えた人物って事かな。
ただしエリファスは除外される。
シュトも見てたしアトもいっていた通り、ロックと親密そうだった。
捜し物があったのなら、ロックが確りと、捜し物の在りかを教えて、こんなに何処かしこに痕跡を遺すような事にはならないと思う》
銃が相変わらずの気障っぷりを滲ませた言葉ではあるが、シュトが気がつけなかった細かな"点"を銃は告げる。
「あ、そういや、そうだな。鍵はちゃんと施錠されてた。
―――お前伊達に60年以上も年くってねえな」
シュトは素直に感心して誉め言葉のつもりで、具体的な年数を出してから腰のベルトに納まる銃をポンポンと叩いてやった。
《あのねえ、シュト、僕は―――》
何かを言いかけるようにして、銃は押し黙る。
それから改まるような小さな"間"があってから、銃は再び口を開いた。
《僕がまだジュリアンとグロリオーサやアングレカムとトレニアと行動を一緒に行動していた時、一度だけ平定する前の国の軍が行う家捜しを見た事があるけれど、本当に全部ひっくり返していくような有り様だった。
まだロックの部屋で捜し物をしていた人は、良心があったんだと僕は思うよ》
まるで話をすり替えるように、銃は平定の4英雄と、自分のかつての持ち主の話を語る。
「そうか、うーん、乱暴に荒らされていたら、この部屋を探ったのはムスカリさんかもとも思ったんだけれども―――」
シュトは銃の話に乗りながらも、自分がしかけた"鎌かけ"が不発終わってしまった事に、実は心中で舌打ちをしていた。
彼の内である憶測が生まれていたが、それは自分でも突拍子のないものと思えるものなので、はっきりと口に出せない状態になっていた。
(確信もってからじゃないとなあ…)
まるでどこかの賢者のように、確証がもてない事を口にすることを恐れて、シュトはとりあえず考えを切り替える。
「しかし、じゃあいったい誰なんだろうな…。
多分初代様の術が動き出す前、儀式の開始前の事だと思うんだけれども」
"膿抜き"がなされた状態のムスカリを知らないシュトは、乱暴に探されていないというだけで、ロックの部屋を探ったのは彼ではないと思ってしまっていた。
だが、実際にこの部屋で"捜し物をしていた"のは、ムスカリである。
ルイの朝食の際に膿抜きをされて、"浚渫の儀式の間に不動となるアプリコットを謀殺する計画"を止める為に、ロックの部屋に入って連絡手段を探し回った名残に、シュトと銃は今出くわしているという事になっている。
連絡手段を捜していたムスカリは、これまでとは見違えるほど奇特な様子で、彼なりに丁寧にロックの部屋で探し回っていたのだ。
それでもシュトには、気がつかれてしまったわけではあるのだが。
不意に、ココココココと何かが連続して突っつくような音が、部屋の窓の方から聞こえた。
「窓の外に何か来てるのか?」
シュトが音のするロックの部屋の窓辺に寄る。
そこには、紫色に染め上げられた紙で出来た紙飛行機があった。
ムスカリが懸命に捜していた、連絡手段の"道具"がそこに来ていた。
紙飛行機は尖った切っ先を何度もまだ窓ガラスに、ぶつけている。
しかし、窓辺に寄ってきたシュトの姿を確認したのか、ぶつかる事を止めた。
その場で、窓の付近を上に下にと舞い飛び始めていた。
"紙飛行機"みたいな形をした魔術が、この国の軍の伝達手段でも、最も速いなんてシュトは知らない。
「自分で浮いているって事は…、これは魔法なのか?」
だからそんな言葉を口にしながら窓越しに、紙飛行機を眺める。
風に乗っているというより、自分の力で自在に動いて飛んでいるのがよく判った。
そしてその"体"を窓の内側にいる人物に見せつけるように、窓ガラスの近辺ばかりを飛んでいる。
「えっと―――。俺は、この紙飛行機を部屋にいれた方がいいのかな」
《とりあえず、埒が開かないからその紙飛行機入れてあげたら?。
何か、自己主張激しく飛んでるし、こちらに有利な内容が、紙飛行機にはあるかもしれない》
銃の"自己主張の強い紙飛行機"には、シュトも共感出来たので窓に手をかける。
「そうだな。何だか、さっきまでえらくせっかちに窓ガラスを突っついていたみたいだし」
その言葉と共に、上げ下げで開く窓の縁に手をかけて押し上げる。
昨日の豪雨の名残のような生温い風と共に、スッと紙飛行機が入ってきて、部屋の上空に上がる。
そして天井まで上がって旋回したとも思ったら、急激に加速をして、尖った切っ先がシュトに向かって、矢のように飛んできた。
《シュト!?》
「―――何だってんだよ!?」
確かな"殺気"を感じて、シュトは自分に呼び掛ける銃の声と同時に腰のベルトから抜きながら撃鉄も引き、"紫色に染め上げられた紙飛行機"に銃口を向けた。




