【浚渫】
「アッハッハッハッ。
見事に"唆し"をスルーしてくれたようで、何よりだ♪」
"国造り"の神楽舞が始まった直後に、緑色のコートを纏った鳶目兎耳のネェツアークが腕を組んで急に笑って独り言をいって―――アルスの度肝を抜いたのでした。
「ネェツアークさん、どうしたんですか?。儀式の途中で笑いだすなんて」
グランドール、ルイ、アプリコットそして"ウサギの賢者"の使い魔の金色のカエルによって、開始していた。
今度の儀式は先程の能楽の連舞より、かなり激しい神楽囃子が奏でる事で始まっていた。
その最中に総指揮者である男、ネェツアークがいきなり高笑いをしたのなら、護衛で控えてるのが仕事の新人兵士は驚いて思わず声をかけるのは、仕方ない事かもしれない。
「―――如何なる理由か解りませんが、真剣に取り組んでいる方々がいる中に笑いだすなんて、不謹慎でしかありませんよ」
「にゃ〜」
空色の瞳を丸くするアルスに続いて、深く眉間にシワを刻み険しい声を出すディンファレ、最後にそのディンファレの"魅惑のデコルテ"に収まる黒い小さな子猫が鳴き声をあげる。
「すみません、ちょっと嬉しすぎる事があったもので…。
静かにしますね、ごめんなさい」
素直に謝罪をして長い人差し指を自分薄い唇にあてて、静寂のサインを表現してネェツアークはニッと口の端を上げて笑った。
そして愛嬌のある丸眼鏡越しに、鋭すぎとも言われる鳶色の瞳を、神楽舞を始めている3人と1匹がいる舞台の方へと向ける。
「"ちょっと何々過ぎる"なんて、文法のおかしい言葉を、陛下直轄の鳶目兎耳を名乗るなら使わないで頂きたい。
しかも30の半ばを過ぎようとしているのに―――」
ディンファレは謝る鳶色の男に、結構長い苦言を口にする。
「にゃ〜」
(さっき、グランのおっちゃんとヒトデナシの賢者に笑われた事。
ディンファレ様、実は結構気にしているにゃ?)
黒い子猫が一声鳴くと、ディンファレのネェツアークに対する苦言がピタリと止まった。
(すごいなぁ、ディンファレさん。
陛下直轄の方にもしっかり意見出来るなんて)
尊敬の念を持って、"子猫の言葉が理解出来ない"アルスはディンファレを見つめる。
すると女性の騎士は顔を赤くして、子猫の小さな鼻をチョンとつついており、また意味が解らなくなった新人兵士の少年は首を捻る事になった。
そんなアルスにネェツアークが声をかける。
「トラッド君、大己貴命と"やんちゃ坊主"が出逢いますよ。
"剣術"に自信があるトラッド君なら、マクガフィン様と少名毘古那神との出逢い、見応えがあるものとなるでしょう」
「あの―――、そこはルイ君とグランドール様の剣術をみるということで――」
"ないのですか?"と、アルスがネェツアークに声をかけようとした時。
激しい金属と金属の激突する音が、"ジブリール"のリコによって浄められた渓流の渓谷に、響き渡る。
アルスは直ぐに"音源"の方に、空色の瞳を大きく見開き向ける。
そして、それはディンファレとその胸元にいる子猫も一緒だった。
最初から音源の方へと鳶色の瞳を向けていたネェツアークは、楽しそうに視線の向きを変えず、そのまま人差し指を当てていた唇を開く。
「いいえ。マクガフィン様と少名毘古那神でないと…。
本気のマクガフィン様の前では、"やんちゃ坊主"でも神様の力を貸りる位しなければ剣舞を舞う事すら、ままなりませんし」
そこで薄く微笑む。
「命がいくらあっても足りませんよ」
舞なので本気で"闘っている"わけではないはずなのだが――その有り様は、苛烈そのものだった。
互いに、グランドール、ルイも普段使いの武器の方が"伸び伸び舞える"という事で、大己貴命だが大剣、少名毘古那神が両手の短剣といった形をとっている。
しかし、舞の中で互いの武器がぶつかる音は凄まじく、火花は当たり前なものとなっていた。
「もし"ルイ・クローバー"のまま、この神楽舞をしていたら、それこそ赤子の手を捻るの調子。
最初の舞の中での一撃で、クローバー君は…と、これ以上は女性のいる前では凄惨な話となりますねえ」
グランドールと"少名毘古那神"の武器がまたぶつかり合う音の中、ネェツアークあ説明を続ける。
「まあ、そもそもが出逢い方が、少名毘古那神が大己貴命に喧嘩を吹っ掛けたんだったかな?」
長い指を顎に当ててネェツアークは、今度は自分が首を捻る。
そして、アプリコットと共有する"ロブロウ領主"として記憶の中に編纂される"国造り"の部分を諳じ始める。
「大己貴命と少名毘古那神は協力して天下を営んだ。
この世の人々や家畜のために、病の治療法を定め、鳥獣や昆虫の害を攘う為に、禁め厭う法(禁厭=呪い)を定めた。
以来人々はみなその恩恵を蒙っている。
―――出逢いは、もう少し前かな。
ここはもう、出逢ってからの話なっていますね」
ネェツアークは顎に当てていた指を外しながら、腕を組み、もう一度頭の中で"ロブロウ領主の編纂の記憶"のページを捲る。
その声のニュアンスから、ネェツアークの興味は、グランドールと"少名毘古那神"の舞よりは、"国造り"手順の方へと移っているのをアルスは感じ取っていた。
「あの―――、ネェツアークさんはグランドール様と、"少名毘古那神"の剣舞を見なくてもいいんですか?。
とても興味深いものだと思うんですけれど」
アルスは言葉を普通に発してはいたが、視線は普段は羨ましいくらい打ち解けあっている師弟による、苛烈な剣舞に奪われたままだった。
グランドールは、大きな体にリーチ(腕の長さ)が活かした、大振りな舞。
ルイは少名毘古那神――身体が小さい神であると言われるだけあって、全体的に敏捷く、細かい動きが目立つ舞いになっている。
何より違うのはルイには8つの光の球体――"招かれた龍神達"が側にいることだった。
先程は寸分違わない所作の舞をしていたとは思えない程、全く違う神の"個性"を宿して互いに舞っている。
唯一同じと言えば、"闘い"を表現する舞の前の所作だけであった。
グランドール、ルイも両腕を構えるようにして緩く伸ばし、各々の武器の切っ先を"天"に向けて激しく回転を始める。
そして激しい神楽囃子の音色に身を委ね、回転しながら移動して舞台の両端に別れて立つ。
一際高い笛の音が響き、怒濤のような太鼓の音が大地の蠢きを窺わせた瞬間。
目紛るしい回転と、それによって出来た風で儀式の装束の袖を膨らませ、"大己貴命"と"少名毘古那神"が舞台の中央で"邂逅"する。
まずルイ―――少名毘古那神が大己貴命に斬りつけて、数度目の火花が飛ぶ。
受け止めたグランドールによる大振りの剣舞をが始まり、少名毘古那神の敏捷い動きの舞が始まり、暫く"剣舞"が続く。
それは先程ネェツアークがいった通り、剣術に"重き置く"少年にしてみたら、剣舞といえども"英雄グランドール・マクガフィン"の剣筋を見る事を出来る滅多にないチャンスになっていた。
「ええ、私はいいんです。
トラッド君やディンファレさん、そして子猫さんみたいな"未来を背負って立つ若人"が、見て学んでください。
それに三十路も半ばをすぎると、流石に伸び代がありませんよ」
(それにグランドールの"剣筋"は、慣れてどうこうというよりは、避けて隙をを突くぐらいしか私には出来ないからね〜)
未だにロブロウ領主の記憶の編纂から、少名毘古那神・大己貴命の出逢いの記述を探しながらネェツアークは、軽く剣舞に興奮している最早釘付けの状態のアルスを見て目元を細める。
("ウサギの賢者の護衛騎士"じゃ、こんな『見取り稽古(他人の稽古や試合を見て学ぶ事。優れた技や剣風、「眼」も重要な技能の稽古)』はさせてあげられないからね。
利用出来る物は利用させて貰わないと)
自分の戦い方は敏捷と俊敏性、そして必要最低限しか使いたくはないが"魔術"に特化しているのはネェツアークも自負している。
なので力と技術タイプのグランドールとの戦い方は、どうしても、ある程度"型"に嵌まったものになってしまう。
だから"ネェツアークとグランドールの戦い"を、アルスに見せたとしても、魔術が使えない少年には"避ける技術"は身に付いたとしても、立ち向かう為の参考には恐らくならない。
(それに私は刃物は"ナイフ"以外の武器が使えないしね)
不意に『武器』という言葉で"思い出したくない"、だけど、"忘れてはならない記憶"が鳶色の賢者の頭にフラッシュバックする。
《ネェツアーク、私の、最後のお願い、聞いてくれる?》
自分が最も得手とした武器の"小刀"に、胸を貫かれた最愛の"妻"が夫になったばかりだったネェツアークに抱かれ、夫の名前を呼びながら、願いを口にする。
《アナタは、私だけの<英雄>でいて》
それ以来、ネェツアークはグランドールや他国の英雄達を翻弄した、英雄の自分の冠ともなった"小刀"はおろか、あらゆる"刃物"を手にする事も見る事すらが、一時期出来なくなっていた。
いけないと思いつつも、その時期の自分をネェツアークは思い出した時、背中に冷や汗がわいた。
(っつ!?)
ネェツアークの喉元に軽く胃液が逆流する。
口の中には、苦いような酸っぱいような味が広がった。
(こんな時に何を情けない事を思い出している、"ネェツアーク")
自分を説得するように語り聞かせ、周囲に気がつかれないように、深く呼吸を繰り返す。
幸いにも、吐瀉するまではいかないと自己判断出来た。
(早いところ、"ウサギの賢者"に戻らないと。
"ネェツアーク"のままだと、何時不調になるかわかったもんじゃない―――)
"ウサギの賢者"となった人は、最愛の妻やその妹を救う事が出来なかった"ネェツアーク"という人間に、嫌気がさして人の姿を捨てた事もあった。
しかし、時間や場所を選ばずにやってくるフラッシュバックを堪える為に、人の姿を"しまいこんでいる"という事情も隠しもっていた。
(早いところ、この姿をまた"匣"に押し込んで"ウサギ"の姿に戻らないと。
何よりリリィが"ウサギの賢者"を待っているんだから)
懸命に、"ネェツアーク"という、自分という人にまた言い聞かせる。
今となってはネェツアークの唯一の武器となる、刃物でもある"ナイフ"が使えるようになったのも、赤子であったリリィのお陰であるから。
妻を失い、ある程度回復してネェツアークが"ウサギの賢者"となり、『鎮守の森』に当初、1匹で隠栖している時期。
自炊をする分には、王都にいたアルセンが送ってくれた食料を、フワフワ手で千切ったり、果物なら硬い爪で剥いたり、直に噛じって食べていた。
諸事情で"妻の妹"の保護者になってからも自炊の仕方は変わらなかった。
それには、流石にお転婆でじゃじゃ馬な義妹呆れられて、
"仕方ないなー、ウサギのオッサンは"
と言われていたが、お陰で義妹は代わりに料理を覚え作ってくれるようになってくれた。
ただ、やはり妻の命を奪った刃物を手にする事は、ウサギの姿でも、義妹を引き取った頃でもまだ無理だった。
そして、やがて妻の妹も世界から"消え"、赤ん坊のリリィを託されて人の姿"ネェツアーク"の姿にやむを得なく一時的に戻り、懸命に世話を始める。
だが不思議な事に赤ん坊のリリィの世話をする間、ネェツアークは悲しみを思い出すことはあっても、妻を失ったフラッシュバックには襲われなかった。
穏やかで、安らぎに満ちた暖かい日々を、与えて貰っていた。
やがて赤ん坊のリリィの食事を離乳食に切り替える時期に来た。
まるで時期を見計らったように、アルセンから定期的に贈られてくる食料と共に、他の荷物があった。
マクガフィンの農場の焼き印が捺された、木箱一杯に入った瑞々しく良い薫りのする林檎。
それと一緒に、白百合の細工が施された美しい小さなナイフと、アルセンの手紙が入っていた。
『グランドールから、
"今年の林檎は無農薬で、特に出来が良い!是非食べてくれ"
と沢山頂いたので、ネェツアークにも御裾分けします。
それと離乳食の始めには果汁を薄めたものが良いと、育児書に書いてありましたから、是非とも私の可愛い再従妹の口にいれてあげてください。
追伸 ちなみに林檎の皮を剥いてから擂り実にして、清潔な綿で濾して果汁をあげてください。
くれぐれも皮を剥かずに擂りみにしない事』
赤ん坊のリリィをおんぶして、親友からの手紙と林檎を手にして、ネェツアークは途方にくれる。
(私が刃物が手にする事が出来ない事を知っているのに―――)
しかし、ふとある事にも気がついて、ネェツアークは驚愕する。
妻が世界から消えた当初は、人の姿なら刃物――食事に使うナイフを見るだけで"戻して "いた。
"禁術"を使いウサギの姿となって、ネェツアークの記憶をしまいこむ事で、漸く戻す事は止める事が出来るようになる。
ウサギの賢者となり、妻の妹を世話をする時でも刃物が視界に入ったなら、どうしても吐き気が賢者を襲っていた。
だが、赤ん坊のリリィを抱えて小さなナイフを見つめても、人の姿なのに全く吐き気には襲われていなかった。
最愛の姪っ子が、背中で赤ん坊特有の喃語を言いながら、ネェツアークの持つ薫り豊かな赤果物を見つめている。
『―――リリィ、林檎、食べてみたいかい?』
そう語りかけるとネェツアークの腕の中で、赤ん坊が嬉しそうに笑った。
唾を飲み込んで、人の姿で、妻を失って以来始めて小さなナイフを――刃物を震えながら、手に取った。
ほんの少しだけ、口の中に胃液が戻ってくる。
思わず握ったナイフから指を外そうとした。
『ね、ね』
きっと偶然なのだろうけれど、自分の名前の頭文字を腕の中にいる赤ん坊が喃語で口にした。
妻や義妹と瓜二つの、強気だだけれども優しい瞳で、信頼しきった瞳で自分という"人"を信じて見つめている。
『―――分かったよ。剥いてあげるから、ちょっと待っててね』
ナイフを一度置いて、慣れた手つきで、当たり前のように準備している"おんぶ紐"を取り出し、赤子のリリィをおんぶを固定する。
『―――やるか』
賢者の試験を獲得する為の試練にもしなかった緊張をして、ネェツアークは覚悟を決めてナイフを手にとる。
赤ん坊の暖かさを背中に感じると、吐き気はもうこなくなっていた。
ただ、利き腕の右手に握るナイフはまだ微かに震える。
震えながらも、今度は親友達が贈ってれた林檎を左手に掴む。
こちらも、少しだけ震えてしまっていた。
『ハハ、林檎は刃物じゃないってのに―――』
震える自分に呆れながらも、ナイフと林檎からは手を離さなかった。
そして、ナイフの刃の側面を林檎に当てる。
シャリッと心地好くも聴こえる音と共に、林檎の優しい爽やかな薫りが漂った。
その中で、震える手で、無言で黙々と林檎の皮を、小さなナイフでネェツアークは剥いていく。
最愛の姪っ子は、大好きな暖かくて大きな背中におんぶされ、穏やかに揺れる気持ち良さに、ネェツアークが林檎の皮を剥いている内に直ぐに眠ってしまっていた。
結構な時間を使って、何とか剥き終えた林檎の姿は、震えて剥いたことを如実に体現してる。
つまりは見事に凸凹だったのだ。
『―――はは、初めて剥いた時より酷い形だな』
長い指に掴まれている"歪"な林檎と、台所の流し台の下に落ちてる実を沢山つけている林檎の皮。
その皮の上に、一滴だけ泪を落とした時。
背中に新たな暖かさを感じた。
『あう』
赤ん坊のリリィが喃語を出して、パッチリと目を覚ました。
世話をやく内にそのニュアンスで、赤ん坊が何を訴えるか解るようになってしまったネェツアークは、不快を表現するリリィの可愛らしい声に苦笑いする。
『うん、気持ち悪いよね。
じゃあ、"お着替え"をしてから、リリィの再従兄の美人なお兄さんと、伯父さんの親友がくれた林檎のジュースを飲もうね』
不格好な林檎とナイフを置いて、おんぶ紐をといて赤ん坊と向かい合うと、リリィはまた笑ってくれた。
10年以上前のリリィの笑顔を思い出してた時、ネェツアークから吐き気はスッと退く。
舞台の中央では、グランドールとルイによう剣舞が続いていて、アルス、ディンファレ、子猫のライもまだそちらに集中している。
(ネェツアーク殿。そろそろ多邇具久と、久延毘古を動かし始めるけれど大丈夫?。
"吐き気"はもう治まったみたいだけれども)
ネェツアークとは舞台の対極に位置に控えているアプリコットから、テレパシーが送られて来ていた。
儀式の装束を身に付けた女領主は、既に泥土色の蟇に扮した、"ウサギの賢者"の使い魔であるカエルを肩に乗せ、ネェツアークを舞台の端から見つめている。
(ああ、"見取り稽古"もう十分だろうから、そろそろ次に移ろうか。
後すまなかった。
大事な儀式の最中に、吐き気なんぞを催してしまって)
"血の契約"で繋がっている事で、自分が味わった"吐き気"はアプリコットにも伝わってしまっているはずだった。
(気にしないで。私は昨夜は盛大に"戻して"、ネェツアーク殿や、リコさんとライさんに介抱までしてもらったんだから)
契約を結ぶ前、禁術の"副作用"とも言える"過去からの負荷"の怒濤の如く、受けて激しく"戻して"しまったアプリコットにすれば、ネェツアークの"吐き気"など可愛ものだったのだろう。
遠目から見ても解るほど、穏やかな笑みをアプリコットは口許に浮かべていた。
(それにとっても可愛いリリィちゃんも見せて貰ったから、私も吐き気は吹っ飛んだ)
他にもアルセンから小まめに気遣う手紙や、ナイフが使えるようになったのならと、グランドールから簡単な"投げナイフのセット"が指南が書かれたテキストと共に、親友達からネェツアークは贈られて来ていた記憶もアプリコットは垣間見る。
――――躓き、転び泥にまみれ遅れても、不貞不貞しいネェツアークなら、きっと自分のペースで立ち上がって、何れ追い付いてきてくれるはずだから。
そんな契約者の記憶も、アプリコットの気持ちを楽にさせていた。
(じゃあ、そろそろ出逢いの部分を終わらせて、大己貴命が、多邇具久と久延毘古から、少名毘古那神の名前を教えて貰って。
そして国造り――ロブロウの河川に"浚渫"をやって貰いましょう)
キイイイインと激しい大己貴命のグランドールの大剣と、少名毘古那神のルイの曲刀が、互い火花を散らして激突する。
その激突する金属音は、苛烈にも見応えのある"剣舞"の終了を伝えていた。
グランドールとルイ、舞台の中央は空け、互いに距離を取って構える。
舞台の床に足袋を穿いた摺り足で、じりじりと少しずつ距離を更に開く。
神楽囃子の激しい太鼓の連打の音が奏でられた瞬間に、少名毘古那神のルイは後転跳び(バック転)をして、アプリコットの元まで下がった。
アプリコットは自分の横にドンっと床を鳴らして跳んでやってきた、ルイを見て儀式は順調に進んでいる事を確認する。
殆ど少名毘古那神と同化に近い状態になった少年の周りには、8つの光の球体が機嫌よく"舞って"いるの見た時は、思わず口の端を上げてしまっていた。
(さて、私は久延毘古となりますか)
幾分砕けすぎにも感じる様子で、アプリコットは肩に蟇の姿になった使い魔のカエルを肩に乗せ、舞台の中央"手前"まで進み、足を止めた。
(じゃあ、頼んだよ!)
ネェツアークに視線で合図を送り、頷いたのを確認してから腕を広げて、アプリコットは久延毘古――案山子の姿を模した、不動となるが"天下の事を知る神"となる。
大己貴命のグランドールが、自分に斬りかかりながらも突如消えてしまった小さな神、少名毘古那神を捜す仕草を、神楽囃子の音色に合わせて舞台の中央で舞い演じる。
「大己貴命は色んな神々に、"あの小さなやんちゃな神様の名前を誰か知りませんか?"と尋ね回りました。
けれど、どんな神様も、あの小さなやんちゃな神様を知りませんでした」
再びネェツアークが、先程まで吐き気を催していた事など微塵も感じさせない滑らかな調子で、国造り行った神様の出逢いの説明を始めていた。
説明の話に振り向くアルスは、激しい剣舞を見た事で気持ちが昂っている。
いつもは優しい空色の瞳からの視線が、見る者によっては怯えてしまいそうな程、鋭くなっているのをネェツアークは感じていた。
ディンファレとその胸元にいる黒い子猫も、苛烈な舞いに少々触発されている節はあるが、少年よりまだ冷静そうな様子で、説明に耳を傾けてくれている。
「誰も知らないという事で大己貴命が困っていると、一匹の蟇がやってきました」
ネェツアークがそこまで言うと、久延毘古のアプリコットの肩から、蟇の姿に扮した使い魔のカエルが、ピョンと飛び降りる。
そして小さな身体から眩い程の光を放って、ちゃっかり目元を長い指でカバーしていたネェツアーク以外の者は目が眩む。
光が落ち着いた時、蟇がいたはずの場所には、泥土色をした衣と、誰が見ても"蟇"を模して作られたとわかる、頭全体を覆う面をつけた"人"が立っていた。
「この人は一体?!」
「にゃ〜」
「ああ、そうだな。
魔術に所縁のある者が見たなら、すぐにでも魔術と分かる細工だな」
アルスは驚きの声をあげるが、ディンファレがいう通りの事でもあった。
ただ魔術に縁がないアルスにしてみたら、"ウサギの賢者"の多分"優秀な"使い魔であるカエルが人になった驚きで、空色の瞳を丸くし、軽く口を開いて凝視ししてしまう。
蟇の多邇具久が大己貴命の前に進み出て、"案内"を表現する舞をする。
その際に、覆うような面の隙間から、金色の髪が僅に確認できた。
「にゃ〜」
「フム、金髪とあの背丈からみて――、使い魔の人の形のモデルはアルスみたいだな」
子猫が鳴いた後に、ディンファレがアルスにとっては結構な驚く事を言う。
アルスはまた、思わず自分をベースにしていると言う使い魔のカエル――"人"が演ずる多邇具久を見つめた。
(確かに自分と同じ背丈だし、髪の色も同じだと思うけれど…)
――"僕"とは違うものだ。
変に冴えた気持ちでアルスは、ディンファレが自分を模したと言う、人の形となった多邇具久見つめ直した。
アルスの冴えすぎた様子に、ネェツアークが少しだけ眉を上に上げて、口を開く。
「――トラッド君がお世話になっている、賢者さんの使い魔のカエルさん、姿は蟇のままでも構わないんですが」
ネェツアークの言葉にアルスは振り返ると、作られた笑顔の男がいた。
作られた笑顔にアルスが軽く戸惑っているのもお構いなしに、儀式の指揮者は言葉を続ける。
「これも、浚渫を手伝ってくれる神々を楽しませる為の演出です。
"見ていて楽しい、参加させて楽しい"そう思わせるのも、この儀式を成功させる重要な"鍵"となりますからね。
そして確かに、あの多邇具久は背格好をトラッド君をベースにさせて貰ってます。
トラッド君が不快にに感じたのなら申し訳ありません」
「あ、いえ。魔法の才能もないのに、護衛の仕事に加えて貰っているだけでも、とてもよい経験になりますから。
ただ、本当に少し驚いただけで。その――」
アルスには、姿が――背格好が似ているのは認めるにしても、"全く同じだ"といった様に言われてしまうのだけは、本当に"嫌だ"と思ってしまっていた。
でも、その感情のまま言葉を出してしまうのは、多邇具久を演じて舞っている、ウサギの賢者の使い魔である"金色のカエル"に対して、酷く残酷な言葉をかけてしまう事になるような気がした。
「安心してください。
あの多邇具久は本当に、外観の形をトラッド君から借りた――まあ、まず無断だった事はすみません――だけです。
あの蟇を象った面をとった姿が、トラッド君と瓜二つという事はありますが、"中身"は全くの"別"だから、ご安心ください」
まるでアルスの中にある燻る気持ちを見越した様に、ネェツアークが宥めるようにも感じる声色で言う。
アルスは自分が考えている不満――不安が、顔に出てしまっているのかと、思わず革手袋を嵌めた手で、自分の頬を触ってしまっていた。
《んーっと。―――さっきから心の声が、顔にだだ漏れだぞ、アルス・トラッドくん》
かつてウサギの賢者と初対面だった時、自分に言われた事を思い出し、又、やってしまったのかとアルスはその時と全く同じ仕草をしてしまっていた。
(おや、懐かしい仕草だねえ、"アルス"君。
思えば、あの時もアルス君が来たことに一番喜んでいたのは…)
ネェツアークは大己貴命のグランドールを、"動けないが何でも知っている"という、久延毘古のアプリコットの事を教える多邇具久演ずる自分の使い魔が"魔術によって、人の姿に見えるようになっている"のを見つめた。
("カエル"にしてみたなら本当に"待ちに待った"って、言葉がぴったりくるような事だったしな。だけど…)
――"アルス・トラッド"にはまだ"気づかせる事も、気づく必要もない事"だから、"浚渫"の方に気持ちを向けて貰う言葉をネェツアークはかける。
「ただ、お陰様で、この"演出"としては、協力してくださる"方々"には興味深いものになったようです。
浚渫に参加してくださる精霊――この場合は、"神様"といった方が良いでしょうか」
「精霊達や神様が、喜んでいる?」
指揮者の言葉で、アルスは顔に手を当てたまま、自分より背が高い鳶色の男を見上げた。
精霊達を見る事が出来ない少年は、俄には信じられないといった表情を浮かべている。
「―――それは本当だ、アルス。
魔術が苦手なお前にが判別が難しいだろうが、そちらの鳶目兎耳殿の言う通りだ」
そう言うのは、ディンファレだった。
「少々不可思議に私も思うぐらい、お前とあの使い魔が演じる多邇具久を見比べらたいが為に、この儀式に力をさしだして、精霊や神々に近い存在が多く集まっていらっしゃっている。
"客集めの演出"という意味では、確かに成功してはいるな」
「にゃ〜」
更に子猫に鳴かれて、アルスは顔に当てていた手を外し、そちらに振り返る。
「"それは本当だ"とはひどいですね、デンドロビウム・ファレノシプス殿。
まるで、いつもの私が嘘をついているみたいじゃないですか?。
――おふざけが好きなのは認めますが」
長いディンファレの本名を口にし、大袈裟に嘆くような反応をして、最後に冗談を言ってネェツアークはパチリと指を弾く。
弾いた長い指先から、空間が波打つように微かに波打つように揺れたように見えた次の瞬間。
音を弾き出した指先を出発点にして、放射状に様々な"色"が空間に透き通る位の明度をつけて素早く広がって行く。
どこまでも鮮やかな色広がっていくようにも見えたが、それはピタリと舞台の縁で、切り取られるように広がりは止まった。
「トラッド君にも解りやすいように、この舞台の中限定で精霊に"色"をつけてみました。
色を少し弱めにはしていますが、これで十分集まり具合はわかるでしょう?」
ネェツアークは軽く言うが、舞台の中で色が着いていない場所がないくらい、様々な色が宙をひしめきあっている。
"精霊の色付け"は3次元の"縦と横"の制限はされているが、高さはされていないようで、アルスが見上げれば曇天の雲がある場所まで、色鮮やかな太い"柱"が聳え立っているようにも見えた。
その様子は"十分"という表現を越えて、精霊達の集まり具合の凄さはが魔術の素養のない少年にも伝わった。
そしてどうやら色達――精霊達は、"混ざり合う"という事が出来ないらしく、まるで良い場所を得るために、押し合っている様子も、アルスに驚きを与えていた。
その"場所取り"を見る限り、本当にディンファレの言う"客集め"は盛況な状態らしい。
「こんなに、押し合う程、沢山集まっていらっしゃるんですね…」
アルスが"精霊が集まっている"という事に納得したのを見て、先程の不安が薄まった様子にネェツアークは心の中で――アプリコットにすら解らないように、心の中で安堵の息を吐く。
"多邇具久の姿が、護衛の少年と全く同じ事が、客寄せの演出として上手くいった"
それ以上、この"演出"の意味と価値が、人には見出だせない。
そして――――それで良い。
(それにせっかくディンファレが、出してくれた合いの手を使わないとね)
実際は、ディンファレにしてみればネェツアークに合いの手を出したつもりなど毛頭なく、事実を述べただけのつもりである。
だが、ネェツアークに"あまり良い印象を持っていない人物が述べた"事によって、"本当にそれ以上の意味を持ってはいない"というイメージを見事にアルスに与える事に成功していた。
工夫した"仕掛"も無事に成功し、勘づかれもしなかったので、ネェツアークはアルスに向かって、少しだけ調子に乗って饒舌に語りかける。
「このロブロウ自慢の渓谷一帯に、リコリスさんによる浄めの"ジブリールの"降臨に始まり、先程の能楽の連舞、そして今行っている国造りの神楽囃子に惹かれて、本当に沢山の精霊が集まってくれています。
浄らかな存在の精霊が多いので、そして集まれば集まる程、仕上げの"浚渫"が楽になります。
だから私は様々な集客の仕掛を―――」
畳み掛けるようにアルス説明していたネェツアークのスピードが急に滞り、止まる。
アルスにしてみても、その話を聞いて、自分の姿と使い魔のカエルとの姿を同じにする事で、グランドールとルイへの"浚渫の儀式の負担が軽くなる"という話なら、護衛だけではなく役に立てているので、嬉しかった。
だから、話の続きを楽しみにしていた矢先、急に黙ってしまった儀式の指揮者を見つめる。
「ネェツアークさん、どうかしたんですか?、―――え!?」
黙ってしまったネェツアークはどうやらある一点に視線を向けていた。
次の瞬間にアルスも感じ取る事の出来るぐらいに"圧力"を感じて、儀式の舞台に上がってから、何度も繰り返す振り返るという行動をまた行う。
そしてアルスとネェツアークが視線を向けた先は同じ人物だった。
(グランドール?)
ネェツアークが"策"を語る口を止めてしまう程、神楽舞を行う日に焼けた親友を見つめている。
国造りの神楽舞自体は、止まることなく進んでいた。
場面は、多邇具久に仲介され案内される形で、不動の久延毘古の元へと、大己貴命が案内されている様子が、国造りの物語の詳細を知らない者でも、話の中身が分かるようなシーンだった。
ただし、大己貴命――グランドールは周りは折角集まった、浚渫に協力しようとする精霊達が怯えて離れようとする程の圧力を出している。
それは魔術と縁がないアルスが感じられる程の、"気迫"でもあった。
大己貴命の演ずるグランドールの周囲が透明になる事で、ある意味人智を越えた気迫が色付けされた精霊にも伝わっていて、"怯え"に近い状態で、その側を離れている事も判る。
(何やってんだ、グランドール!?)
ネェツアークがテレパシーを飛ばすが、ガタイの良い親友は装束を纏った上でも判る逞しい背を向けたまま、アプリコットが演じる久延毘古に、ルイが演じる少名毘古那神の名前を尋ねる大己貴命を、舞演じていた。
「大農家殿は、どうしてあんなにも気を放っておられるのですか?。
これでは折角の精霊を集める為に行った演出の成果も、無駄になってしまうのでは?!」
ディンファレが低い声で、指揮者のネェツアークに尋ねる。
平素の彼女ならまず自分で考えて、本当に理解出来ない時にしか疑問の言葉を口にしない。
本当に意味が解らないと、表現するのが適切なぐらい、それ程グランドールの行っている行為の意味は不可解だった。
彼女の胸元にいる黒い子猫は、今まで出していた小さな頭は目だけ出して耳は怯えたように引き、寝かせられている。
"グランのおっちゃん"と、人見知りしないライがこんな風に怯えを体現する程、大己貴命を演じる男は尋常ではない気迫を放ち続ける。
グランドールは、未だにネェツアークのテレパシーには何も返事を寄越さず、儀式を続けていた。
そして肝心な儀式なのだが、それ自体は先程と同じように滞りなく進んでいる。
(珍しく裏表が"苦手"な男が仕組んでいるとは思っていたけれど、こんな時に何をしようってんだ)
ネェツアークが思わず舌を打ち鳴らそうとしたが、寸前で押し止める。
(―――アプリコット殿。どうして慌ててない…"動揺"していないんだい?)
"血の契約"を交わした者同士で、こんなに近距離にいるにならば、大きな"感情"や意識があったのなら、共有する事とになる。
そしてネェツアークには彼女のから"儀式の最中にグランドールは何をしている!?"といった、心が揺れるような感情は一切持っていない事が判る。
ただ落ち着き静かな感情の中に"申し訳ない"という気持ちを、抱えている事を見つける事が出来た。
(グランドールのやっている事に"心当たり"はあるって事でいいのかな?ロブロウ領主殿?)
少しばかり呆れて送るテレパシーに、返事は来ない。
「此は神産巣日神の御子少名毘古那神なり」
久延毘古となったアプリコットが、気迫に怯えを抱いて精霊が離れてしまった大己貴命のグランドールに、今まで名前がわからなかった小さな神の名前を教えた。
すると、舞台の端にいた少名毘古那神のルイがやって来て、挨拶を表現する舞をする。
ルイー少名毘古那神の周りを回る8つの龍神は、流石に肝っ玉が座っているらしく、激しい気迫をだしているグランドールに寧ろ興味深そうな様子を伺わせた。
不動の筈の久延毘古――アプリコットは腕をゆっくりと動かし始めた。
このアプリコットの動作で、相変わらず返事は来ないが、ネェツアークは"演出の変更がなされた事"を察した。
(多分"神楽舞"を演じる者同士だけの通信網を作って、あの二人で何かを示し合わせたわけだ)
ルイはどうやら少名毘古那神としての意識がメインになっているらしく、ロブロウの領主としてのアプリコットに行動の判断を"委ねて"しまっている様子で、打ち合わせと違う様子にも動揺をみせない。
多邇具久をやっている、"ウサギの賢者の使い魔の金色のカエル"は、『人のやっている事を意に介さない』といった具合で、ただ忠実に言われた役目ををこなしている様子である。
「やれやれ、いきなりの演者のアドリブは止めて欲しいもんだね」
指揮者がそう言うので、ディンファレはそれで本当にネェツアークにも予想外だった事態だったが"気を揉む事ではない"という事もわかって、これ以上尋ねようとするのを止める。
そして未だに自分の胸元で、小さく震える子猫の頭を優しく撫でた。
(ライは、大農家殿の…マクガフィン様が本当に"激された"姿を見た事がないから、怯えても仕方ない)
そうやって神楽舞は続き、アプリコットは仮面を外した。
その顔には、ケロイドがない。
(え?え?え?)
アルスの心の中に言葉にならない疑問符が、連続して沸き上がる。
まずケロイドのないアプリコットの顔、それがエリファスに似ているということ、そして―――"見覚えがある"と感じてしまった事。
初めてエリファスを見た時でさえ湧かなかったのに、"懐かしさのある見覚えのある顔"だとアプリコットには感じるのだ。
「この者はまことに我が子ぞ。
子の中に、我が手の俣よりくしき子ぞ。
汝、葦原色許男命と兄弟となって、国を造り堅めよ」
仮面を外した"素顔"のアプリコットが語っている台詞を聞き、自分が練った策を変更されても気分を害する事もなく、腕を組んでネェツアークは苦笑だけを浮かべていた。
もののついでにといった様子で、仮面の領主の素顔に驚いたままの勤勉な新人兵士に、レクチャーを続けるような感覚でアプリコットが演じる"神"の逸話について、"指揮者"は話しだしていた。
「アプリコット殿は、どうやら1人2役をこなしているらしいですね。
しかも大層な女神の役どころらしい」
「女神ですか?」
しかしどうやら"女神"という言葉は、アルスの疑問符まみれの頭の中で別の琴線に触れてしまっていた。
そして、曇天の中で出来た少年の薄い影が、僅かに揺れる。
"アプリコットの顔"と"女神"はどこかで誰かに、紹介されたという、"経験した事がない記憶"という、理屈の通らない、そして複雑な感情と共になり、アルスを苛み始めた時、薄い影が少しだけ濃くなる。
《――――様、人の都合で女神に奉りあげられ贄となった者を娶る事になりました》
(そう告げられて、"僕"は確か、そう、"祝福"したんだ)
《――――、ならきっと幸せにさせてあげる事ができるだろ》
どこから湧くのか解らないくらい、"自信"たっぷりに、わざわざ報告してくれた――――にそう告げて、――――の"妻"となった優しく情に篤い人の顔を見て。
パチンっ
聞きなれた弾ける音が、舞台に広がる。
ネェツアークが腕を組んだまま涼しげに微笑みながら、長い指を弾いていた。
色づいた精霊達から色が抜けて、"人の姿"で多邇具久を表現していた使い魔のカエルは、"蟇"の姿へと戻る。
「説明の前に、私の演出を終いましょう。
マクガフィン様とアプリコット殿の"演出"の方が、少名毘古那神の龍神たちには喜ばしい様子です」
緑のコートを纏った鳶色の男は、はっきりと言って、黒く揺れる少年の影をザッと力強く踏んだ。
("場所の支度"が整ったら、命がけでおもてなししますから、この"器"を巻き込まないで貰えるかな?。
それに"奥様"の言う通りなさたったらいかがです?。
こちらも僭越の過ぎる"弟君"を退かせますので)
ネェツアークが踏みつけるアルスの影に向かって、テレパシーと同じ要領で"要求"を投げつけるように飛ばすと、曇天にしては濃すぎる色をしていたアルスの影の明度は元に戻っていた。
次の瞬間、アルスが激しく瞬きを繰り返す。
「にゃ〜」
「アルス、精霊から色が抜けたら、儀式の進行具合がお前にはやはり判りづらいか?」
ディンファレも子猫も、精霊から色が抜け落ちた状況に、魔術が苦手だという少年を気遣う言葉をかけて見つめる。
「あ、そのさっきので"凄い"のは分かったんで、大丈夫です。
ネェツアークさん、自分にも判るように、わざわざ色を付けてくださって、ありがとうございました」
「いえいえ。こういった手間を惜しまずだしていたら、いざ協力をお願いしたい時に、正々堂々と助勢を頼めますから。
打算に満ちた手助けなので、気にしないでください」
ネェツアークの不貞不貞しい言葉に、騎士2人と1匹は呆れていた。
そしてアルスは呆れながらも考える。
(―――自分は何に戸惑っていたんだっけ?)
酷く、懐かしい気持ちを味わった気持ちになったのだが、アルスは思い出せなくなっていた。
「それでは説明を続けましょうか―――」
ネェツアークは腕を組ながら、指を弾かなかったほうの指で懐に仕舞っている"高所の神の絵本"に触れていた。
"間接的"にアルスの記憶の吸い取りが上手く行った事に、穏やかな笑顔で満足を表現していた。
("弟君"も"蠅王"殿も、昂っていらっしゃる。
やみくもに"器"に自分が望む中身を、注ぎ込もうとするのは、止めて貰わないと。
"舞台"は、まずは"人"の為に作られているんだから、私はそちらの事情を最優先にさせてもらうよ)
人サイドには"演出"と誤魔化していたが、使い魔の"昂り"を抑えるために顔を絶対に見せないという条件と引き換えに、"器"の前に姿を持たせてやった。
リコリスの"降臨"の邪魔をした時点で、こちらの儀式でも邪魔には入るだろうとは予測はしていたが、こうも"直"に来るとなると、またネェツアークは苦笑を浮かべる事しか出来ない。
(アルス君は本当に"精霊"に、愛される存在なんだから)
まだ少しネェツアークによって抜き取られた"中身"に戸惑いがあるようで、アルスは自分の首を撫でたりしながら、瞬きを激しく繰り返している。
"希望"を見つけた者達の執念と貪欲さと何より、行動力がネェツアークは羨ましくもあった。
そして自分も、もしも妻が帰ってくるなら、立場も居場所も投げ出して、普通を捨てる道を選ぶ事を考えようとして止める。
実際には、何度も考えた事だけれども、考える度に妻は優しそうに微笑んで首を横にする姿しか、ネェツアークの頭には浮かべる事が出来ない。
『ちゃんと、地に"足"をつけた生き方をしなきゃ駄目よ。
ただでさえ、貴方は空を飛び回る鳶みたいに自由な"人"なんだから。
地に足をつけてる時だって、ウサギみたいに飛び回って。
空は、"人"には見上げて憧れるぐらいで、丁度いいの。
だから神様は、天使と同じ姿の人は作ったけれど、天使には付けた翼を、人には付けなかった。
あるがまま、そのままでいいんだから』
この国の宗教の教会の騎士でもあった妻は、旋毛曲がりで好奇心旺盛な夫でも、耳を傾けるように、少し変わった言葉で、普通を越えた行動を選択しがちな伴侶を諫める。
不思議なくらい自分に惚れ込んでいる鳶色の人が、簡単に人の領域を飛び越えてしまう行動力も探求心を持っているのが、英雄の中で一番弱い妻には分かっていた。
その事が分かっていたから、その"力"が暴走しないように、側にいて"人"の愛しさを教えてやっていた。
そして役目が最期まで果たせないが分かっているかのように、妻はネェツアークという人に、もしもの時を言い聴かせていた。
"もしもメイプルという人が世界から消えたのなら、そこで諦めなさい"と。
(あの"言い聴かせ"が無かったなら、蠅王や弟君と、私も同じ事をしていただろうにね)
そして妻を諦める事は何とか我慢して受け止め、代わりに"最愛の姪が幸せにする事"と、"妻が消える原因"を無くす事―――魔法をこの世界から消す事をネェツアークは決意する。
その手始めに禁術を使い、"魔導の深淵"にある"匣"に触れた時、"声"をかけられた。
《貴方の願いの為に"力"を貸すから、"僕"の願いを叶える為に"居場所"を貸して――》
「あの、ネェツアークさん?」
――――声をかけられて、空色の瞳の少年に見つめられる事にネェツアークは気がついた。
(いけない、いけない)
"妻"の事を考えると、どうしても少し色んな意味で思考が"飛んで"しまうのを自覚してはいるが、未だに改善は出来ていないネェツアークである。
「すみません、トラッド君。お待たせしてますね。
考えていたより、説明する言葉を纏めるのに時間がかかってしまいました」
また作り笑顔でアルスに誤魔化すと、アルスはリリィにもよく向ける優しさに満ちた笑顔を浮かべていた。
「いいえ。ただネェツアークさんがすごく優しい顔をなされていたんで、もしかしたら、説明の中に楽しい話があるのかなって」
"妻"の事を思い出している時は優しい顔をしているらしいのは、アルセンから教えられて知ってはいた。
ただ"楽しい話"という意外過ぎる言葉に、ネェツアークは思わず丸眼鏡のレンズの奥にある鳶色の瞳を丸くする。
「楽しい―――話ですか?」
思わず鸚鵡返しするネェツアークの反応に、アルスがはどんな解釈をしたのか賢者すら解らないが、少年は笑顔のまま頷いて話を続ける。
「はい。先程儀式の始まる前に、領主のアプリコット様に教えて頂いた話です。
大己貴命が、その前に大穴牟遲神という名前の神様だった頃に、傷ついたウサギを助けたという優しい話でした。
そんな話が、今から説明をされる話にあるのかなって、自分は考えてました」
アルスがそこまで言った時、これ以上多邇具久として出番がない使い魔のカエルが、姿はまだ蟇のまま、ふよふよと宙を掻いてやって来て、アルスの軽鎧の肩当てにポテリと止まる。
「ゲコっ♪」
楽しく嬉しそうなアルスが、どうやら使い魔のカエルには"嬉しい"。
そんな使い魔をチラリとだけ見て、ネェツアークはアルスに尋ねる言葉を続ける。
「そうですか――。でも確か、あれはウサギが酷い目にあっている話でしたよね?。
まあ――ウサギに関していえば、自業自得な話ではあるんですが」
少しだけ罰が悪そうに、ネェツアークは長い指で頬をポリポリと掻きながらそんな事を言う。
「ええ。確かに話を聞いたら、イタズラというか、悪知恵が働くウサギの自業自得だと自分も感じました」
"悪知恵が働くウサギの自業自得"という言葉で、サクッとネェツアークの心を抉りながら、アルスが笑いながら続ける。
「でも、自分は―――"ウサギ"が理由があって好きなんです。
だから、傷ついたウサギが、大穴牟遲神に助けて貰えて良かったし、嬉しいなって思えたんです」
――アルスも何やかんやいいながら、お前の事を気に入っているし慕い始めているのも、気がついているだろう。
"ウサギが好きなんです"といった旨の話をアルスの口から聞いた時、儀式の前に親友とした会話が頭を巡る。
――どうして、こんなひねくれ者を、若人は慕ってくれるんだろうねぇ…。
――そりゃ、ワシらがお前の友だちやっているのと同じ理由さ。
あの時は照れもあって"いくら考えても解らない"と口に出して言ったが、慕ってくれるのも、友だちとして、いてくれるのも《好き》だからという事に、気がついてはいた。
(でも、どうして《好き》なんだろう?)
そして、まさかアルスからも"ウサギが好き"と言った発言が出るとは、ネェツアークは思ってもいなかった。
アルスの"ウサギの賢者"に対する感情にしても、精々"悪くない""嫌いではない"くらいのものだとネェツアークは考えていたから、本当に驚いているのである。
そんな中で、ライが未だにグランドールが発している気に耳を寝かせて入る状態だが、興味を持った様子でディンファレの胸元からネェツアークとアルスを見つめていた。
彼女も儀式とはまた違った形で、"緊張"している2人に気がついたが静観する事にする。
そして、自分の胸元にいる部下の"子猫"にも静観するように優しく指で小さな額を撫でてやることで促した。
一方、相変わらずストレートな表現に弱い、旋毛曲がりの鳶色の男は、顔が赤くなろうとするのを懸命に堪えていた。
――どうして"ウサギが好き"と口に出してまで言えるのか、尋ねておきたい事でもあったから、ネェツアークにしては、珍しく勇気を出してアルスに尋ねる。
「―――男の子でウサギが好きというのは、珍しいですね。
良かったらですが、私の儀式の説明の前に、トラッド君がウサギが好きな理由を、教えて貰えませんか。
まだ、時間があるみたいですので」
そう言って、自分の指揮から離れ、神楽舞を舞っている3人の方を瞥見してから、ネェツアークはアルスに向かって微笑んだ。
微笑んでいる中で、丸眼鏡の向こうにある鳶色の瞳は、
(本当に知りたいんです、話していただきませんか?)
と、とても純粋に好奇心と探究心を空色の瞳の少年に訴えている。
「ええっと―――」
今度は、アルスが少しばかり困る。
アルスからすれば、ネェツアークに"ウサギの賢者"の事を話すわけには、いけない立場であると思っている。
(どうしようかな―――)
儀式の方を見れば、何やら"祝詞"という、アルスには、知識でしか理解出来ない、魔術の言葉をアプリコットが述べていて、今暫くは続きそうである。
(「儀式の途中なんで…」って、魔術がからきしの自分には使える言い訳にならないし―――)
儀式で誤魔化して有耶無耶にならないかと、アルスにしては珍しく狡い事を考えていたが、それは考えるまでもなく、駄目な様子である。
自分でも不思議に思うのだが、アルスはこの鳶色の人――ネェツアークという人物には仕方がないという状況でも、出来るならば嘘をつきたくはなかった。
初対面こそ印象は悪かったし、リリィの事も朝食の時から信頼して託したつもりだったのに、仕事だからと、リリィも了承の上でだが姿を消したりもしていた。
仕方がないと解っていて、そんなネェツアークに腹をたてていたりもするのだけれど――アルスの中ではもう"赦してしまって"いる。
そしてこうやって考えて、アルスは"ネェツアークに悪く思われたくない"と思っている事に、初めて気がつく。
(アルセン様ならともかく、どうしてネェツアークさん?!)
気がついた内容の突拍子のなさのあまりに、アルスは無言になっていた。
ネェツアークはアルスの無言は、自分の質問が許諾されなかったと受け取って、苦笑いを浮かべている。
「―――駄目ですか?。まぁいきなりですからね」
(まっ、そんなにこんな胡散臭い"大人"からの質問を、簡単に答えてくれるわけないよね〜)
少しだけ、"許諾されなかった事"――"信頼"されていない事ににネェツアークはホッとしていた。
そして下がった丸眼鏡を長い指で押し上げて、話を切り替えるように、アルスに背を向けた。
「自分の護衛対象の賢者殿が―――」
ネェツアークの緑色のコートの背中に、アルスからぎこちない様子で説明される言葉をかけられた。
「いいえ、護衛対象というよりは、自分と妹がお世話になっている賢者殿が、今回の動向する事になった農業研修に行く前に、妹のリリィに、"ウサギのぬいぐるみ"をお守りとしてくださったんです。
リリィは―――妹は、本当に"ウサギのぬいぐるみ"が大好きで、少し手違いがあって手元を離れただけで、大泣きしました」
《アルスくん、賢者さまがいなくなっちゃった…》
気の強そうなリリィがあんなにもあっさりと、ウサギの賢者が不在になった事で涙を流す事になるとは、アルスは魔法鏡越しでその泣く姿を実際に見るまで、想像も出来なかった。
そして初めてみる少女の涙に、あの時のアルスは動揺をしていた。
その時、自分なりに精一杯言葉で慰めを言う事しか出来なかった不甲斐なさを思い出し、アルスはネェツアークに説明を続ける。
「妹がどうして、ウサギのぬいぐるみから離れたぐらいで泣いたのかというと、本当に賢者殿の事を尊敬していて、何より大好きなんです。
――きっとまだ頼りない"兄"よりも、血の繋がりなんて関係ないくらい、大好きだと自分は思います。
そんな賢者殿から貰ったお守りの、"ウサギのぬいぐるみ"は妹にとっては本当にかけがえのないものです。
だから、この研修での"ウサギのぬいぐるみ"はある意味、妹にとって"賢者さま"のそのものでした。
手違いの詳細は今でもまだ分からないんですが、ぬいぐるみが姿を消した事は、妹から賢者殿が離れてしまうぐらいに、感じたんだと思います」
そして誰が慰めても、リリィの涙を中々止めることは出来なくて、本当に困って、最終的に涙を止めたのはやっぱり"ウサギの賢者"だった。
「成る程―――私は拝見した事はありませんが、リリィさんは賢者殿から頂いた、ウサギのぬいぐるみが大好きなんですね。
―――それで、どうしてトラッド君はウサギのぬいぐるみが――ウサギが好きになるんですか?。
寧ろ、そのウサギのぬいぐるみに為に、妹さんは散々に泣かせてしまったというのに。
それで好きだというのは、話に脈絡がないようにも私には感じられますが」
アルスに背を向けたまま、頭をボリボリと掻きながら、今度はネェツアークが口を開いた。
背中の向けた愛想のない態度だし、声には"ウサギのぬいぐるみ"に対する呆れも入っているが何故だか"謝罪"の気持ちが込められているのをアルスは感じ取っていた。
「確かに、妹が泣いてしまった事で、そこにいらっしゃるディンファレさんを筆頭に沢山の方に、ぬいぐるみが事で沢山の心配をかけてしまいました。
でも、やっぱりウサギのぬいぐるみと一緒にいる時の妹が、一番幸せそうに見えるんです」
「だから、トラッド君はウサギが好きなんですか?。
その―――賢者殿からもらった、ウサギのぬいぐるみと一緒にいると、妹さんが幸せそうだから?。
それだけの理由で、ですか?」
相変わらず背を向けたままのネェツアークの言葉だったが、多少の複雑さを滲ませていた。
そしてアルスはアルスで、ネェツアークの言葉が自分の気持ちを表現するのにぴったりくると思って、力強く頷いた。
「あ、はい、そうですね。
呆れられてしまうかもしれませんが、自分じゃ、絶対引き出せないよう表情を"ウサギのぬいぐるみ"と一緒の時はしてくれます。
たまにウサギのぬいぐるみさえ妹の側にいてくれたなら、"兄"である自分は、別にいなくても大丈夫なんだろうって、思えるぐらいです」
アルスの言い切りに、鳶色の男は更に頭をガシガシと掻く。
「トラッド君は、どうも自己評価が低いみたいですね。
ウサギのぬいぐるみの方が余程、妹さんの成長の脚を引っ張っているように私は感じますがね?」
確かにリリィに涙を流す原因も、ウサギの賢者がつくってもいたのでアルスは苦笑した。
ついでに泣かせてもいたが、作為的にリリィが大嫌いな虫料理を食べさせようとして、怒らせるのも上手(?)だったのを思い出してアルスはまた苦笑した。
(そう言えば、珍しいアルセン様を教えてくれたのも、ウサギの賢者殿だったな)
普段は優しく、しっかりとした面しかみせない、兄のようにも慕う人が、ウサギの賢者が関係したなら、痛烈な皮肉をふんだんに使ったり、軍学校で見せたことがないような表情(主に怒りではあるが)を見せたりする。
けれども、リリィにしてもアルセンにしてもウサギの賢者の前では本当に、伸び伸びとしているのがアルスには良く分かった。
自分の大切な人達の本来の姿を引き出させる"ウサギ"にいつの間にか、アルセンとは違う意味で、憧れを抱いている事に気がついた。
そして"憧れ"と"好き"いう気持ちが入り交じっている事にも漸く気がつく。
アルスがそんな気持ちを抱く一方で、鳶色の男は随分昔に聞いた嘆きにも似た言葉を思い出していた。
《"僕"なんかより、貴方の方が余程"天使"や"人"の気持ちに寄り添えているのに。
どうして、僕がこの場所にいるんだろう》
少し疲れたようにも響きをもった声で、空色の瞳の少年が、自分にそう語る。
それでも少年以外の存在の幸せばかりを願う、そんな優しさに満ちた声でもあった。
その少年の声は、彼が司る"自信"や"誇り"を取り除いたのなら、自分の後ろにいる少年――アルスととても良く似ている声で。
(卵が先か、鶏が先か。
"中身"が先か、"器"が先なのか。
心が身体をつくるのか、身体が心をつくるのか)
どの考えが当てはまる、当てはまらないが問題ではないのは分かっているが、ネェツアークはどうしても考たくなる。
今取り巻く環境も事態も放り出して、ただひたすら、人の歴史と魔法が"産まれてしまった"関係を探究したくなってしまう衝動にかられた。
(だけど、ケジメはつけてからでないとね)
ネェツアークの目の前には、愈々(いよいよ)以て、様々な力を貸りて浚渫がするための支度が整っていた。
アプリコットを挟むようにして、グランドールとルイが舞っている。
最早、強烈な気迫を出してている大己貴命を演じるグランドールの周りには精霊達は側から離れ、代わりにルイ――少名毘古那神の8つの竜神の内の半数4つの光の球体が、グランドールに移っていた。
「―――グランドールらしいやり方といえば、らしいかな」
小さく口の中で呟いてから、自分も再び浚渫の儀式に集中するために一度眼を閉じた。
《まず、"1つ"仕事をやり終えてから、自分の好きな事を1つするようにしなさい。
そうやって自分を律っさないと、ネェツアークは自分の身体や心配している周りを省みないで、際限なくやりたい事だけをやり続けるんだから》
優しく説教してくれた時の妻の言葉を思い出しながら、ポケットの中にある花の種を長い指で揉んだ。
(そうだね、メイプル)
そこまで考えて、ネェツアークは眼を開き、振り返りアルスに向かって微笑んだ。
アルスは戸惑っているような顔をしていて、その顔ははどちらかと言えば、記憶の中にある少年ものとは似ていなかった。
(アルス君も、私の知っている少年もただ"優しい"所があるにに過ぎない。
そんな共通点があるだけの事で、何でもかんでも縁付けようするものでも、考えるものではない)
「"ウサギ"が好きな理由を教えてくれてありがとう。
それに、トラッド君が妹さんの事をとても大事に思っている事も、よくわかりました。
ただ、私はトラッド――アルス君は、もう少し自分に自信を持っても良いと思いますよ。
妹さん、きっとウサギのぬいぐるみ―――いいえ、お世話になっている賢者さんと同じくらい、兄であるアルス君の事を信頼していると、私は思います」
敢えて今まで避けていたアルスの名前を呼んで、"アルス・トラッド"として自信をつけるように促す。
そしてネェツアークはアルスの肩に乗るカエルと、その足元に薄くある影を鋭く睨んで牽制をしておく。
(この少年は、この時この場所では、"アルス・トラッド"。
ウサギの賢者の、護衛騎士の少年でしかない。
これ以上、今回の舞台で何かしようというのなら、この人の少年を、お前達が希望に考えている縁から"解き放つ"!!)
「――ネェツアークさん、優しい言葉ありがとうございます。
あ、そうだ。浚渫の儀式のさえ終われば、"ウサギのぬいぐるみ"は戻ってくるらしいんでリリィと一緒のところを見てあげてください。
本当にリリィが、お世話になっている賢者殿が大好きだっていった、意味が一緒いる所を御覧になったら、絶対解ると思いますから」
ネェツアークに誉められようにも感じた言葉に対して、アルスの照れと喜びに満ちた礼を述べる。
その傍らで、少年の肩当てにのる使い魔のカエルは怯えたように横長の瞳を閉じて、自分の足元にある薄い影が震えた事には微塵も気がつかずにいた。
「―――それでは、説明の続きをしましょうか。
丁度、浚渫も始まりそうですから―――。
ただ、申し訳ありませんが、アルス君が期待するような"ウサギ"は出てこない事はご了承ください」
ネェツアークの声と共に、渓谷の上にある曇天が蠢き、ゴロゴロとした音も鳴り響く。
その音に、護衛の騎士と黒い子猫だけが反応する。
「―――さあ、浄められ渓流の水底を削り、国を造る神様達を拝ませていただきましょう。
ただ、その前に"避雷針"を設置しないといけませんがね」
そんな事を言いながら、ネェツアークは緑のコートに手を突っ込みナイフを4本取り出す。
4本のナイフは、器用に指の間に挟まれていた。
そして、浚渫開始の合図のように高い笛の音色と共に、神楽囃子が始まる。
「"自然現象"に、人がどうこう出来るだなんて考えてはいけませんからね―――」
何気なく"当たり前の事"を言ったようなだけなのだが、どうしてだか他にもネェツアークは何か意味を含ませてはいるようにも、アルスには聞こえた。
だが、考える間もなく次の瞬間に、ネェツアークがダンッと軽く舞台を踏み込で、4本のナイフを浚渫を主だって行う面々の上空に向けて投げる。
ナイフは同じ手から投げられたはずなのに、綺麗に別れて丁度四方から囲むようにして、グランドールとルイの頭上でピタリと止まった。
そして長い指で、入組んだ"印"を器用に結ぶ。
「オン・マケイシバラヤ・ソワカ」
ネェツアークが張りのある声で雷を司る神の真言を唱えると、4本のナイフが、切っ先を投げられたままの斜めの方向から、天に向けた。
そしてナイフは宙で青く輝き、留まる。それを確認してから、安心したように息を吐いた。
「まあ、演出としては味気ないですが、避雷針の効果は大丈夫でしょう」
「にゃ〜?」
不意にディンファレの胸元から、まだ怯えた様子を表す耳を寝かせた状態で子猫――ライが鳴いた。
それはアルスには、"子猫が急に鳴いた"ぐらいの認識をしていたが、ネェツアークがまるで普通に会話をするように口を開くので驚いた。
「ああ、本当ならロブロウの土地柄に合わせた避雷の"雷鳴の陣"の儀式をしたかったんですけどね。
ただ弦打ちをするにも、今回のメンバーで"弓"を扱える人がいませんでしたから。
本当、演出としても、儀式なら弦打の方が確かに見栄えも面白みも良かったんだけど―――」
ネェツアークがそんな反応をするだけでも驚くのに、ディンファレの胸元がにいる子猫が寝かせていた耳をピンとたてて、今度は元気良さげに鳴き声をあげる。
それはまるで返事を返すような有り体で、アルスは眼を丸くする。
「にゃ〜♪」
「そりゃ、キングスは確かに弓の名人だけど、危険な事に巻き込みたくないし、まだ暴君に頼まれて出張中だからね」
「にゃ―――」
「―――我々なら危険な事に巻き込んでも良いと受け取れる発言ですよ、鳶目兎耳殿」
"一人"で語っているはずのネェツアークに、ディンファレが呆れた様に言葉をかけた。
そして胸元にいる子猫の鼻を、小さくチョンとまたつつく。
そこでネェツアークは、あ、と何かに気がついたように小さく言葉を漏らして、ディンファレの胸元にいる子猫を一瞥した。
気のせいか黒い子猫が、少しだけ"してやったり"といったような表情に見えたりもしたが、アルスは相変わらず全く状況が解らず、瞬きを繰り返す。
ネェツアークは子猫から視線を外すと、左手を腰に当てて、右手で鳶色の後頭部を誤魔化すようにガリガリと掻く。
(ネェツアークさんの仕草、どこかで―――?)
アルスがそんな事を思った時、再びディンファレが口を開いた。
「確かにキングス様は弓の名人でもあられます。
しかし、その前に仕立てにおいては、唯一といっても過言ではない人材の一人でいらっしゃいます。
鳶目兎耳殿が仰有る通り、キングス・スタイナー様を危険な事に巻き込む事は、言語道断です。
それよりも儀式に参加させる為の弓の担い手を育てるべきなんでしょう。
しかし技術や魔術に関する事を併せて、儀式についてまで指導が出来る人物が少ないのが王都の軍隊の現状です」
早口ではあるが滑舌良く聞き取りやすい声で、ざっとディンファレがアルスに向かって説明にしか聞こえない言葉を並べる。
おかげで、アルスはどうしていきなり儀式に関する事で弓やら、指揮官殿の"親友"の名前が出てきた理由も何となくは、分かった。
そしてアルスに説明に聞こえた言葉は、ネェツアーク――ウサギの賢者にとっては今度こそ"助け船"となって届いていた。
(アルスやリリィ嬢に正体がバレたくないなら、もう少し、しっかりしてください)
溜め息まじりのテレパシーに続いて、ディンファレからの"要求"がネェツアークに向かって口から出された。
「それより、本当に儀式が――龍神が、水底を削るのが始まります。
"指揮官殿"、できればそちらの説明をなさってください。
先程から、儀式自体は滞ってはいませんが、浚渫とそれを助勢してくれる神々の説明が頓挫しかけてはを、繰り返しているようにも感じます」
これには幾分勤勉な女性騎士の本音も含まれている様子だった。
―――――ドンッ
ルイ――少名毘古那神が舞台の床を踏み鳴らした。
そして自分の曲刀の短刀を、天に向かって振り上げる。
次にグランドールの大己貴命が摺り足で、股を開き大剣を構える。
曇天がまた蠢いた時、仮面を外した"素顔"のアプリコットが、浄められた渓流のある位置を指差した。
(あ、そう言えば―――)
アルスは自分がアプリコットの"ケロイドのない顔に驚いていた"事を思い出す。
だが元々、彼女がケロイドがある顔卑下しているわけでも、恥じている様子もなかったのも同時に思いだしていた。
そしてアルスが今見る女領主の顔は、儀式に責任感と領主としての使命感に溢れ真剣だった。
(ケロイドの事なんて、今訊いてどうこうなものでもない)
それに、この時に拘って訊かなくても"儀式"が終わったのなら、きっとアプリコットの方から笑いながら話してくれると何故か、アルスには想像出来た。
だから、アルスは何も言わずネェツアークの"儀式"の説明を続きを待つ。
少年の気持ちが顔に出ていたのをネェツアークはしっかりと勘づいて、口の端をを上げた。
「それでは、ファレノシプス様の仰有る通り、何度も頓挫仕掛けている私の演出したものとは、少しばかり予定が変わってしまった儀式の話を再開させて頂きます。
まずアプリコット殿は現在は2役なされています。
当初の予定では身体を動かすことは出来ませんが、天下の事は何でも知っている久延毘古だけの予定でした」
そう言ってネェツアークがアプリコットを見るが、護衛の騎士達から見ても、どうも"不動"ではなくなっている。
動いている事で、アプリコット予定されていた演出から外れてしまっているという事は周知になったが、今彼女が演じている"神"がどんな存在なのかという事が、東の魔術に詳しくないアルスとディンファレの疑問となっていた。
「本当なら、アプリコット様の久延毘古は、名前のわからないやんちゃな神様、クローバー君が演じる少名毘古那神の名前を教えたなら、儀式が終わるまでそのままの予定でした。
ところで、アルス君にファレノシプス様。
《この者はまことに我が子ぞ。
子の中に、我が手の俣よりくしき子ぞ。
汝、葦原色許男命と兄弟となって、国を造り堅めよ》
と、アプリコット様がクローバー君とマクガフィン様に仰有ったのを覚えていらっしゃいますか?」
「ああ。まるで領主様が少名毘古那神の親にでもなったような"台詞"でしたが―――」
ディンファレがそう答えると、ネェツアークは満足そうに頷いた。
「十中八九、ファレノシプス殿の言う通りです。
領主様は、恐らく少名毘古那神の親神"神産巣日神"を演じていらっしゃいます」
「カミムスビ―――?その、カミムスビ様も東の国の神様なんですか?」
異国の神様の敬称が分からず、アルスが辿々しく尋ねると、ネェツアークは肯定の為にまた頷く。
「そうですね。しかも、分かりやすく例えるにしてもとても、とても"偉い"神さまになります。
東の国では天地開闢といって、天地に代表される世界が初めて生まれた時。
その時に国を造る為に現れた3人の神様の内の1人になります。
その3人の神様は造化三神と呼ばれています。
先程の神産巣日神の他2人は、
天之御中主神
高御産巣日神
という名前でいらっしゃるんですが…まあ今回の儀式には登場されないので、申し訳ありませんが、詳細は割愛させていただきますね」
と、ちっとも割愛する事を申し訳なさそうに思っていなそうな顔をしながら、不貞不貞しく笑ってネェツアークは話を続け始めた。
「付け加えで、個人的に面白いのと興味深いことを言わせて貰えるならば、この造化三神は性別のない「独神」とされてはいる。
ですが、解釈の仕方によっては神産巣日神は、"女神"として扱われるのですよ」
ネェツアークがそこまで言うと、今度は優しくも鋭くも受け取れるそんな笑みを湛える。
("貴方"はどう考えますか?)
ネェツアークの顔は自分の側にいる、2人の若い男女の騎士と1匹にそうも訊ねているようにも見えた。
「――私が単純に思い浮かぶのは、"セリサンセウムの国の国教である宗教の起源と似てもいる様にも考えられる"という事でしょうか。
性別のない独神については良く解りません。
しかし、神産巣日神という東の神様を女神と見立てると、私たちの崇める天地創造の女神―――大地の女神と似ていると思います。
それと東の国を造ったという造化三神。
こちらも私たちの世界では丁度父なる神と、女神と天使、最初はこの3人で世界は始まったと言われています。
もしかしたら、偶然の数字の一致に過ぎないかもしれませんが、これも合っていると言えなくはないと私は思いました」
ディンファレが、まずネェツアークが求めるような模範回答を、直ぐに述べてくれた。
「そう。少名毘古那神は世界を造ったとされる、女神様の"子ども"。
即ち、少名毘古那神は初めから親神である神産巣日神に、大己貴命の国造りを手伝う為に遣わされた神様だった。
大己貴命は、そんな偉大な神である神産巣日神から、名前を葦原色許男命に改めなさいと言われて、名を改めます。
そして、少名毘古那神と共に"国造り"を開始するのです」
そう言ってネェツアークが横目でチラリと、舞うグランドールとルイを見ると8つの光の球体達は既に"満ちて"いる様子だった。
ネェツアークはニッと笑いながら、指を弾く為に右手を上げる。
(あれ、ネェツアークさん―――親指を怪我してる)
アルスがネェツアークの親指にある赤い筋に気がついた。
「にゃああ!!」
次の瞬間に子猫が驚いたような鳴き声をだし、アルスは思わずビクリとする。
ネェツアークの指の血の筋も気になったが、急に声を出した子猫を見れば、空を見上げている。
そして上空を見上げるのは、子猫を胸元に納めるディンファレも同じで、アルスも倣うように見上げた。
(曇り空だけしか見えない―――)
アルスがそう思った瞬間、バチリとネェツアークの指が弾く音と共に、いきなり辺りが暗くなった。
「どうしていきなり…暗く?。これは―――影?」
驚きの声を出しながも、周りの状況を把握すれば暗くなったのは舞台全体と、そして儀式が行われているロブロウの関所近辺にちらほらとある。
アルスが口に出した通り、暗くなっている場所は何かによって、曇天の間を縫って差し込む僅かな日の光さえ遮断しているようだった。
そして暗くなった事を体感してから再び、アルスが空を見上げれば、曇天の空にうねり輝く物体があった。
(あれは!?)
ロブロウの空は昨夜からの豪雨が止んだものの、未だに厚い雲に覆われた曇天だった。
その曇天は強い強風で海原の時化た波の様に、早く強く流れている。
アルスがそんな曇天を空色の瞳で見つめれば、灰色した暗い曇の間をまるで沢山の太い"管"が生き物のようにして、ズズッと出てきてはまた、上空の曇天の中へと蠢いている。
「にゃー」
「これが、龍という"神"なのか…」
猫の鳴き声に続いてディンファレが口を開く事で、曇天を蠢く"物"と名前をアルスは初めて知る。
「八大龍王。
難陀、
跋難陀、
娑伽羅、
和修吉、
徳叉迦、
阿那婆達多、
摩那斯、
優鉢羅。
――能楽、神楽舞、演出で集まった精霊達の力を上手くを使って具現化し、形を3次元になして姿を現してくれたようです」
ネェツアークは再び説明する口調で、唯一空を見上げずに"竜"空に蠢く竜達の名前を述べると、ゴロゴロと急に大きな音が渓谷に轟く。
次の瞬間には、激しい光が辺りを満たした。
「皆さん、耳を塞ぐことをお薦めします」
そんな注意を促しながら、ネェツアークは既に自分の耳に、長い人指し指を差し込んでいた。
それを見たディンファレは速やかに両手の平で自分の耳を塞ぎ、子猫はディンファレの胸元に潜る込む。
アルスも慌てて両手で耳を塞いだ瞬間に、渓谷の空気が揺れる。
周りが白い光に包まれ、直ぐに戻ったと思えた瞬間に眩すぎる光の"柱"が1本、先ほどネェツアークが設置した避雷針として設置したナイフに墜ちた。
そして光より僅かに遅れてドオオオオオオンという揺れるような音が、手の平をを壁にした耳の中に伝わって来てくる。
(凄い雷だあ―――)
小さな子どもの様にアルスは心の中で、産まれて初めて間近でみた落雷に、耳を塞いだまま、ある種の感動すら覚えていた。
そして上空を見上げれば、"龍"という神様は、長い蛇のような胴体で、姿を曇天の間から見え隠れをさせ、時折身体を擦り合わせるぐらい接近して、浮いて飛んでいる。
それがゴロゴロと雷特有の轟きを響かせている原因なのだと、"魔術が苦手な"少年には分かった。
少年が"理屈"に気が付いた事に、ネェツアークが嬉しそうに笑った。
そして長い指を引き抜いたので、各々も耳を塞ぐのを止めた。
子猫だけは再び耳を寝かせて、目だけをディンファレの胸元から見せている。
「まあ、こうやって3次元で具現化した事で雲と"竜神"達の長い胴体が擦れ合うことで、大量の静電気が起きて放電・落雷になりますからねえ。
龍神様達がいなくても、こんなに天気が悪くて雲の動きが激しかったら、普通に落雷があってもなんら不思議はありません」
その言葉を聞いて、"雷は魔術ではなくても出来る"、自然現象として"処理"出来ると感じたアルスは頷いた。
アルスがそうやって"理解"をしてくれた事に、ネェツアークは心から喜ぶ。
(魔法を世界から消す為に、一番の鍵となってくれるのは『魔法でなくても、本当に恐ろしい現象は、人災でも、自然災害でも起こりうる』だという"認識"だからね)
【世界から魔法をなくす為にしてきた下準備】
を邪魔されながらも、今ここでネェツアークは"邪魔された分を取り返す"。
魔法がなくても十分強い。
それを体現する存在の少年がそう思えば思う程に、【世界から魔法をなくすした準備】は整って行く事に気がついているのは、この世界にまだ数人といない。
又、白い光が渓谷を満たした時、護衛の騎士達と指揮官である男は、自然に各々で耳を塞いだ。
今回は、落雷がなかった。
しかし、指揮官であるネェツアークが耳に長い指を突っ込んだまま、口だけを大きく動かす。
(浚渫の儀式が終わるまでは、私達はこのままの耳を塞いだ状態でいましょう)
口だけの動きではあるが、ネェツアークがそう言っているのが、ディンファレもアルスにも分かる。
2人の騎士は一瞬だけ顔を見合わせ、了解した意味を表現するために深く頷いてみせる。
ネェツアークも頷いて、護衛の騎士達に背を向けて龍神達の助勢による浚渫を見るまたとないチャンスでもあるので、再び上空を見上げる。
(でもこうやってみると、本当に自分達は形だけの"護衛"なんだなあ)
緑色のコートの後ろ姿を見て、耳を塞ぎ大きな音から遮断された中で、アルスはそんなことを考えていた。
上空を見れば、稲光を纏いながら、巨大な蛇のような身体を持った異国の"龍神"という神様が、ロブロウの曇天の中で身体をうねらせている。
アルスには神様の数え方が分からないが、8"人"程いるらしい。
雷鳴に多少阻まれているが、国造りの神楽囃子の音色は変わりなく奏でられている。
また辺りが白い世界につつまれてた時、神楽囃子に併せて少名毘古那神――ルイが曲刀の短剣腕を振り上げ、降ろす。
次の瞬間にまた1個の雷が、大気を震わせて避雷針であるナイフに落ちた。
今度は白い光と、ドオオオオオオンという雷鳴が共に訪れる。
視界を奪われ、アルスはまた何も見えなくなったと考えた時、舞台のすぐ側にある浄められた渓流に、物凄い風圧と共に向かってくる影を感じた。
光と大きな雷鳴に区切られたような空間の中で、風圧を感じながらギョロリとした大きな爛々する輝く瞳が、舞う演者達のシルエット越しからアルスは見つめられている事に気が付いた。
【ほお、懇切丁寧に招待されて、降りて来てみれば珍しい。
"姿"だけとはいえ、久しくこちらに"昇って"きたか、異国の"竜"殿】
(え?)
次の瞬間、ザンッという大きな物体が水面にぶつかる音が新たに加わった。
そして舞台にいる全ての人が、今度は盛大な水飛沫を全身で感じて浴びる事となる。
渓流側にいる神楽舞いの演者の3人は、特に激しくその水飛沫を直撃していたが、大量の水を浴びつつもその事も介せず舞の続きをしていた。
その3人の向こう側で、先程まで曇天の上空に見えていた"龍"の胴体が、浄められた渓流に潜り込んでいく様子が見える。
"龍神"の身体は上空で見えていた時の大きさの比ではなかった。
また"降りて"来たことで、その胴体が美しい鱗に包まれているのにアルスは初めて気がつく。
続いて、驚きが休む間もなくといった調子でゴゴゴゴゴゴゴ、ドドドドドと雷鳴以上に凄まじい音が、今度は舞台を揺るがす振動と共に、塞いだ耳越しにまた聞こえてくる。
(地震!?)
先程語りかけられた言葉への驚きは、舞台を揺るがす驚きにあっという間に頭の片隅の追いやられる。
そして地震で真っ先に思い出すのは、旧領主邸の地下室に避難しているはずのリリィと、その安否だった。
「ネェツアークさん!!これは地震ですか!?。
地震なら、妹が、リリィが!!」
耳を押さえ、ずぶ濡れになりながらもながらも大きな声を張り上げて、アルスは妹の心配の旨を指揮官のネェツアークに伝える。
「大丈夫!これは、地震じゃないから!」
いつもの何処か丁寧さを滲ませる言葉遣いではなく、アルスと同じようにずぶ濡れで、眼鏡は少しだけ下がったネェツアークは、耳に指を突っ込んだまま簡潔に揺れの根元が地震ではないと断言する。
アルスがすぐ横にいるディンファレを見ると、彼女も水飛沫を浴びて濡れた姿に、耳を塞いだ姿で深く頷いた。
「じゃあ!、この激しい揺れは!?」
アルスが再び、ネェツアークに尋ねると―――耳に指を突っ込んだまま不貞不貞しく笑った。
「これこそが、龍神の力を以て行う"浚渫"です!!」
再び舞台が轟いた。
ネェツアークが指で耳を塞いだまま顎で示すように、舞台の方向こう側で凄まじい量の土砂が、渓流の水と共に"舞い上がって"いた。
【ちなみに、浚渫の意味は、水底にたまった土砂・岩石などをさらって取りのぞくことだから、覚えておいてね。
帰ったらテストにだします】
その様子を見て、アルスはウサギの賢者がリリィに宛てて書れていた手紙の内容思い出す。
("龍"が渓流の水底にある土砂を、削り取ったんだ)
ネェツアークのいう通り、"龍神による浚渫"が今成されている。
耳を押さえたまま、まるで重力に逆らうように、土石流が浄められた渓流の水と共に、上空に舞い上がるのを眺めていた。
その凄まじい大量の土砂の僅な間から、先程アルスを見つめていた爛々と輝く瞳がまた見える。
"龍"と呼ばれる神の瞳。
アルスは産まれてからこれまで、"龍"という存在の名前すら聞いたことがなかったので、その"神"をどう言葉で形容すれば良いかが分からない。
少年は頭の中にある情報で、"龍"の姿を表現するのに符号が合致する動物を捜し出し、整理し、"龍"を現す言葉を造り纏める。
蛇のような長い胴体に、猛禽類のような趾を持ち、ただ頭部は蛇とは似ても似つかない。
もし頭部を例えるなら、昔絵本で見たことのある駱駝という、砂漠を渡る為に使われる動物の頭に似ていようにも見えた。
その頭部には立派な角が生えてその下、丁度中央には爛々と輝く瞳がある。
瞳下にある長く大きな鼻の穴の下から続く細く長い、雄大にも見える髭は結構な長さを持っていた。
そして更にその下に、紅く大きく裂けるように大きな口がある。
龍の口の端は上がっていて、アルスには"龍神"から笑いかけられているようにも感じた。
しかし、それもほんの一瞬の出来事で、瞬く間に美しい鱗を纏った長い胴体をうねらせながら、"龍神"は曇天の空へと戻っていく。
そして竜の浚渫によって、水底から掘り出され、舞い上がっていた大量の土砂と岩石がドッドッドッドッドッドッと、音を伴いながら、先程よりは小さな揺れ起して、幅がかなり広い渓流の中央に落ちて積もる。
幅は大層広いが、水底まで浅かった渓流の中央には小さな陸地が出来上がっていた。
「これを後、7度繰り返します」
耳を塞いだ掌越しに、ネェツアークの声がまた聞こえた。
今度は大己貴命から葦原色許男命となった、グランドールが、舞台の床を踏み鳴らし舞いながら大剣を振り上げ、降り下ろす。
すると先程のルイの少名毘古那神と同じように、自身の武器と振り降ろしたタイミングで雷が落ちる。
白い光が渓谷を包み込み、落雷はネェツアークが支度した、今度はグランドールの側にある避雷針のナイフの上に落ちる。
空気を震わせるような雷鳴は、少し遅れてやって来て、それと同時に大地が揺れる。
ただ今回違う事は、先程の浚渫が行われた場所は舞台側の渓流の岸に近い側だったが、今度は対岸の方に"龍神"は降りていた。
舞台を設置している大地を揺るがす力は相変わらずの強さで、地震と間違って仕方がないものだった。
やがて浄められた水底に龍神が抉るように潜り込み、土砂を掬い上げる為に蠢く。
グランドールがまた舞の振りの中で大剣を振り上げた瞬間に、辺りは光と雷鳴の轟きにまた包み込まれる。
避雷針のナイフに光の筋が落ちるのと同時に、今度は対岸でドドドドドという音と大量の土石と砂利を舞い上がらせながら、龍神はまた曇天の空に戻っていった。
そして、舞い上がった土石と砂利は、先程中央に出来た陸地の部分に更に振り積もり、面積を広げていた。
その様子を見て、アルスはネェツアークの方を見て声を張り上げた。
「ルイ君の少名毘古那神が、自分達から見た手前の岸を、グランドール様の大己貴命…じゃなくて葦原色許男命が、対岸の岸の浚渫を行うというという感じなんですね!?」
互いに耳を塞いでいるのと、絶え間ない状態で雷鳴や水底を"龍神"掬い上げる音で、アルスも大声を出して指で耳栓をしているネェツアークに確認すると、鳶色の濡れ髪を大きく縦に振った。
(それにしても、アルス君はよく大己貴命から葦原色許男命と、唯でさえ変わった名前また変わったのに、よく覚えたもんだ)
アルスの記憶力に感心しながらも耳栓をしたまま、ネェツアークは龍神による浚渫という興味深い"研究対象"をまた眺めてもいた。
また"少名毘古那神"のルイが、曲刀の短刀を振り上げ降ろしたた事で、舞台側の岸に"龍神"が稲光の轟きと共に、曇天の上空から浚渫を行う為に舞い降りてくる。
舞台にいる面々は2度目の大量の水飛沫を浴びる事になっていた。
(眼鏡が下がるのだけは、どうにかならいものかな…)
音が凄まじいのと、タイミングを間違えて耳栓を外したならば一気に耳をやられてしまいそうで、タイミングを捜しながら、鼻先に辛うじてかかる眼鏡をネェツアークは寄り目して見つめる。
また大きな音がして、龍神が土砂を舞い上がらせながら、曇天の空へと戻って行った。
そして土砂はまた渓流の中央に降り積もり陸地の場所を広げる。
これは当初のアプリコットとの打ち合わせ通りで、浚渫で両岸を龍神の力をもって、底を掘り下げる。
浚渫によって掘り出された土砂を使って、河川の中央に陸地を造り、そこから両岸に向かって橋を伸ばすという手筈である。
『前々から渓流に橋を掛けたかったんだけど、浅い事もあって、農業も中々手が空かなくて。
それに増水さえしてなかったなら、大人は歩いていけるし、馬車なら余裕で渡れるから、"絶対造った方が良い"って、きっかけがなかったのよね』
アプリコットと浚渫の打ち合わせをした時の言葉を、不意に思い出した。
(でも、どうしてアプリコット殿は久延毘古から神産巣日神に?)
儀式事態は、やはり滞りなく今の所上手く行っている。
(まあ、儀式の方は元々この面子なら"失敗するほうが難しい"状態ではあるんだけれどね)
辺りはまた雷鳴と轟きに包まれ、4度目、今度はグランドールの葦原色許男命の舞いと伴って、龍神が対岸を浚渫する為に曇天から降りてくる。
ネェツアークはこれまで3度の浚渫を体験でタイミングを見計って、素早く耳栓をしている指を外して下がる眼鏡を中指で押し上げた。
(帰ったら、"人"の時のサイズを直した方がいいかな―――ん?)
久しぶりに指を耳栓から外すと、相変わらずの雷鳴や大地の蠢く音の他に"予想外"の情報がネェツアークにの耳に入ってきていた。
それは自分の足下――ロブロウから昔から使われてきている"舞台"だった。
《―――、―――、タノム》
ネェツアークだから何とか聞き取れる程のか細い声を出して――産まれたての"付喪神"が訴える。
(―――成る程、私がリコさんと"いちゃついている"間に、それなりに何かあった訳だ)
リコに"ガブリエル"を降臨させるとばかりに信じ込ませる為に、ネェツアークは集中していたので、こちらの舞台で行われていたグランドールとムスカリの"会話"に気にかけてはいなかった。
そしてアプリコットの"心情"も、多少なりとも影響を受ける状態でもあるので、殊勝になりきった男を"信じて"いた。
だがそれは"罪悪感"の裏返しだったのだと、舞台の"付喪神"がネェツアークに伝える。
(それでは、アプリコット殿は一応まだ"命を狙われている状態"なわけなんだね〜。
そりゃ、不動になったら危ないわ)
ネェツアークは、トントンと踵で舞台の床を鳴らすと、付喪神は囁きかけるのを止めた。
「―――神を産み出す、神産巣日神の影響を受けて、予定よりも早く付喪神として目覚めたのか」
耳を塞ぐ護衛騎士達には聞こえない小さく呟く声をネェツアークが床を見つめながらかけると、"舞台"が受け止めて言葉を返す。
《―――,―――》
返された囁きに、ネェツアークは苦笑を浮かべた。
「ああ、そうだね。"君達"はアプリコット殿が、本当に小さい頃から知っているんだね。
単純に"守りたい"んだよね、御祖父さんから教えて貰った神楽舞が大好きで、舞台の整備に人一倍懸命だった仮面の女の子を」
そんな言葉を口にすると、舞台は"沈黙の肯定"を表現して、また演者たちの床を鳴らす音を受け止める。
ネェツアークは再び、耳に長い指を突っ込み塞いだ。
次の瞬間には、辺り一面を白いと耳栓越しの雷鳴が場を占めた。
演者達を見つめれば、全員一様に濡れているが――グランドールを筆頭にアプリコット、そして意識の主導権は母神である神産巣日神―アプリコットに握られたルイも、儀式にの間ながらも"戦える"姿勢を保っている。
(こうやって"儀式の間"は隙なく動ける様になっている事は、"相手方"も勘づいてはいるはずだが―――)
久延毘古ならともかく、造化三神神産巣日神は存在感が大きすぎる。
遠方にいたとしても、術を使えば"大きな儀式"を初まった事は察知出来るぐらいの力を、"相手方"が持っているはずである。
(それに、一度は浚渫の儀式のに模した"国造り"をする為に久延毘古は絶対しなければならない事、"動けなくなる事"を把握していながら何もしてしてこないのは珍しい)
東の魔術や歴史を知らなくても、炎の猪や隕石の術をネェツアークに"天罰を下す"為だけに 努力を惜しまないあの"相手方"が、ある意味絶好のチャンスに動いて来ないのが、本当に不思議だ。
あまりの不思議さに、耳に指で塞いだまま首を傾けた時、ザブンと大量の水飛沫を浴びたのだった。




