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【希望】

きぼう【希望】こうあってほしいと願うこと。


その願い。


―――俺は、"シュト・ザヘト"がどうしたいのかがわからない。

『私の事は師匠と書いて――、"せんせい"と読みなさい』

孤児院でもある教会から、シュトとアトの二人の兄弟を引き取った胸の豊かな女性が優しく微笑みながらそんな事を言う。


教会から離れた場所の夕暮れの小道、転がっている枝を拾って、地面にガリガリと"師匠"という言葉をこの国での難しい文字で書き記す。

そして"せんせい"というふりがなを簡単とされる文字でまたガリガリと書いて、ふりがなのように呼べというのだ。


『え、でも―――そのザヘトさん。

確かそれって、"ししょう"って読み方ですよね?』


11歳を過ぎたばかりの兄の方となるシュト少年は、自分も転がっている小枝を拾って、ザッザッと土を削る音を出す。

そして"せんせい"のふりがなの横に"ししょう"と、その年の割りには結構綺麗な文字書き足した。


『シュト、あなたワイルドそうでいて、案外理屈っぽいわね』

枝を小さく振り回し、シュトを見ながらそんな事を言う。


『ししょうー、せんせー、ししょうー』

コミュニケーションは苦手だが、具体的なもの――"文字"ならば同年代の子供より寧ろ読めてしまうアトが、身を屈め指差しをしながら、難しい文字を含めて、記された順にゆっくりと読み上げた。


『アト、そうそう、上手ね〜』

アトの側に屈みこんで頭を撫でてから一気に立ち上がり、女性にしては高い背で理屈っぽいシュトに迫る。


『シュト、傭兵、"銃の兄弟"は師匠と書いて"先生"と読む。オーケー?』

ついでに木の枝を指揮棒の様に振るうと、今までシュトが見てきた中で最も大きな胸が間近で揺れて驚く。


『はあ、わかりました。師匠(せんせい)

(でも、胸がデッカイけれど、この人…師匠、色気ってもんがちっともないなあ)


自分の引き取った少年がそんな失礼な事を考えている事など露知らず、早速師匠を"せんせい"とシュトが呼んだ事にエリファス・ザヘトは大変満足そうに、頷いて次にアトに教えている。


『エリファスせんせー♪』

アトは"師匠"の意味は把握もしていないだろうが、"センセー"という響きがすぐに気に入ったらしく、こちらも早速口に出していた。


『よし、じゃあ、呼び方も決まった事だし行きましょうか、シュト、アト』

『はい、師匠(せんせい)

シュトが頷きながら弟を見ると、弟はニコニコしながら口を開いた。


『エリファスせんせー、手を繋いでいきましょう』

《エリファス、どうせなら手を繋ぎませんか?》


夕焼けの不思議なイタズラが、手を繋ごうと言う少年の髪をエリファスに金色に見せていた。

それは"周りを欺く為"と言いながらも、まるで幼友達が手を繋ぐように、手を繋ぎ歩いた親友の姿をほんの少しだけ思い出させる。


『エリファス、師匠?』

自分から行こうと言った歩みを、急に止めた新しい自分達の保護者に、シュトが呼び掛ける。

するとエリファスは体をビクリと反応させて、それにつられて大きな胸を揺らした。


『あ、ごめん。うん、じゃあ3人で手を繋いでいこうか』

真ん中を一番幼いアトにして、エリファス、アト、シュトの順番で手を繋ぐ。


『―――さん、―――セン、安心してね』

"エリファスせんせー"が小さく呟いたのを、アトは確かに聴いたが、最後の方しかよく聞こえなかった。

それよりも、3人で手を繋いだ影法師が、随分と長く延びて、それがとても嬉しかった。



「―――――どうして、俺とアトが、そんなコートを身に付けないといけないんですか?」

旧領主邸の地下の座敷牢にやって来た先代のロブロウ領主バン・ビネガーに対して、いささか敵愾心(てきがいしん)にも似た雰囲気を滲ませながら、シュトは自分の銃に触れたまま尋ねる。

バンの従者が鋭く目を細め、すかさず前に主の前に出た。

リリィとアトは一瞬で物々しくなった場に、互いに不安そうに顔を見合わせる。


「大丈夫だ。お前の気持ちは有り難いが、銃という武器の前ではな」

バンが穏やかに従者に声をかけると、従者はあっさりと後方に下がる。

シュトも前領主の落ち着いた声に、尖っていた気持ちを引っ込める事が出来た。

そして穏やかな声に触発されるように、疑問に感じていた事を口に出した。


「御館様は、到着した時のといい、銃の事を威力とか、どこまで事情を知っているんですか?」


《大切だから、距離を置いて離れておくって事もあるのではないのかな―――》

旧領主邸に来た直後、そんな言葉だけをシュト達に言い残し、前領主は再び古い館に戻っていた。

そもそもバンはシュトが執事見習いとしてきた時から、"隠居とした身だから"と挨拶をしたぐらいで、先日の晩餐会で、初めてじっくりと顔をみたくらいだった。


「そこは"ご存じなんですか?"というべきだろうな。

やれやれ、ロックはやはりお前達兄弟への躾は、甘かったみたいだな」

バンは仕方ないといった具合に息を吐き、シュトの言葉遣いを注意しながらも、彼からの問いには答えない。

持っていた2着の紅黒いコートを、控えている従者に渡した。

バンが紅黒いコートを渡す所を眺め、未だにシュトと一緒に銃に触れたままリリィが小さな口を開き尋ねる。


「あの―――前領主さまは、ネェツアークさまに言われて、こちらに来たのですか?」

「ほう、お嬢さんには"あの男"で、国王陛下からの遣いで来たと言われる人物だと判ったのかね?」

興味深そうなに自分見つめるバンの視線に、少女は少しだけ赤くなる。


「あの、前領主さまが持っているコートでわかりました。

確か、ネェツアークさまもそんなコートでしたから。

そのコートって同じ物があるなんて、人気があるものなんですか?」

少しばかり照れて言うリリィのこの言葉に、バンは思わず杖を持っていない方の口元に手の甲を当てる。


―――笑いを堪えていた。


「人気があるかどうかは解らないが、私は紅黒いコートは、正直にいってあまり好きな仕立てでない。

だが、お嬢さんはこのコートというよりは、これを纏っていた人物、サクスフォーン殿が好きみたいだね。

好きでもなければ、こんなに暗い"秘密基地"でコートを見ただけで、そんなに鋭敏に反応はできないだろう。

人は、好きな者のには、尋常でない執着をみせる」

バンの言葉にリリィは顔を更に赤くして下を向くが、その語り方が仮面をつけている友人によく似ていて、前領主に"悪意"がないと自然に理解して、俯くにとどまった。

リリィが口を閉じたので、シュトは"どうせ、執事を辞めるのだから"という気持ちで少しばかり強気にまたバンに向かって尋ねる。


「で、どうして俺とアトがそのコートを身につけなければならないんですか?。

ネェツアークさんがそう言ったんですか?」

シュトが改めての質問に、執事のロックよりも10歳以上若いはずの前領主は、父とはまた別の苦労ばかりで老成円熟した口を開いた。


「いいや、あの遣いの者、サクスフォーン殿は時間が来たなら…"浚渫"が始まったのなら、お前達銃の兄弟に自分が着ていたコートと」

そこで振り返って従者が持つ、大層古いコートを見つめる。


「どこから探してきたか解らないが、我が父の遺品でもあるこのコートと、渡して欲しいと言っていただけだ。

纏ったほうが良いというのは、バン・ビネガーの個人的な意見だな」

「―――ネェツアークさんは、"渡してくれ"と言っただけなんですね?」

シュトが、確認するように前領主に尋ねる。


「ああ、そうだ。

ただ、随分と不貞不貞しい笑みを浮かべていた。

恐らく、"バン・ビネガーならそう言うに違いない"と見越して、コートを渡したのだろうがな」


「それは、あるかもしれません」

バンの"ネェツアークがやりそうな事"にはシュトも苦笑いを浮かべて頷き、前領主も深く頷いた。


「中々"狡い"ご仁みたいだな、遣いの方は」

「あの、ネェツアークさまは、ズルくありません!優しい方です!」

バンの"狡い"という言葉にリリィが直ぐ様反応すると――前領主が少女の言葉には、満足そうに頷いた。


「ああ、多分それもあるだろう。

あの男は"優しくて狡い"。

そんな所は我が父、老獪の賢者"ピーン・ビネガー"のようにな」

バンの言葉でリリィは、今までシュトと共にあてていた銃から、手を外すほど驚いた。


「え、前領主さまのお父さん―――アプリコットさまのお祖父さんは、"賢者さま"なんですか?」

いつものクセで賢者の後ろに"さまを"付けながらも、リリィは初代ロブロウ領主が、国でも最も難しい資格をもっている事に驚いた。


「おや、お嬢さんは存じてなかったのかね。

てっきりアプリコットさんからその話を含めて話を聞いていて、旧領主邸の肖像画を眺めていたと思ったんだが」

前領主はここで初めて、リリィと同じ様に驚いた表情をして見せた。


「それでは――そこの見習いの執事達が、私の父親に似ているというのは?。

確か数日前に、私とお茶をする前にアプリコットさんと、マクガフィン殿の弟子という少年と見たと聞いたが」

「はい、でも確かに見ることは見たんですけれど。

私には"似ている"とは、思えませんでしたし。

アプリコットさまも、特にそんな事は仰有いませんでした」


―――数日の前の旧領主邸の中庭でルイにも"肖像画"の話を聞いた。

そしてリリィは、確かにその後に"ぬいぐるみ"に扮したウサギの賢者、アプリコット、アト、そしてルイと共に昼間に旧領主邸にある肖像画を見る。


甲冑を身につけた初代ロブロウ領主と、ケロイドのなかった時のアプリコットによく似ているという領主夫人の肖像画。


それはリリィからして見れば、誰にも似ていない。

ピーン・ビネガーはピーン・ビネガー、カリン・ビネガーはカリン・ビネガー。

少女には、そうにしか見えなかった。


《誰が誰かに似ている》というのであれば、"ウサギの賢者の性格"と、"アプリコットの性格"といったものの方が、余程似ているようにリリィは感じていた。

リリィが肖像画を前にして"似ていない"と小さく呟いたのなら、見るのは2度目となるルイだったが、同じように見上げながらを首を捻っていた。


『似てねえや。―――どうしてだろう?』

まだそんなに打ち解けていなかったアプリコットのいる手前、疑問の詳細は口に出せなかったが、早朝に受けた絵の印象とあまりに違うので、ルイ自身もその事に驚いていた様子だった。


「おい。俺もアトもあんなに白髪だらけじゃないし、しかめ面してないぞ」

シュトが前領主とリリィの"初代領主"についての会話に割って入った。


彼にしてみれば、2、3度見ただけの初代領主の肖像画だが、確かやけに頭髪が真っ白で厳めしい面構えをした老人の甲冑姿と、自分達が兄弟が似ているなんて初耳だった。

何よりも、似ているとも思っても感じてもいない。


「あんな"不幸を一身に背負ってます"みたいな表情は、俺はしてねーよ」

リリィが"シュトさん、口が悪いなぁ"と考えた瞬間に"場"に動きがある。


前領主バンの後ろに控えていた従者が、素早い動きで"トンっ"と靴底を鳴らしてシュトとの間合いを瞬く間に詰める。

従者は紅黒いコートを抱えたまま腰に隠すように持っていた短剣を抜いて、余りに"ロブロウ領主"に対して無礼な発言をする"見習い執事"に向かって切っ先を向けていた。

勿論、"傭兵"を稼業とする少年も殺気には敏感に仕込まれている。

動きがあった瞬間、リリィの小さな手が離れていた事を幸いと言わんばかりに、無言でホルスターにある銃のグリップを握る。


銃口には消音器(サイレンサー)が装着されたたままで、撃鉄を引きながら、先程まで会話をしていた"銃"を抜いてバンの従者に向ける。

――従者の短剣の切っ先がシュトの喉仏手前を、シュトの減音器が装着された銃口が、従者の額に触れて互いに動き止まった。


「銃口が額に触れている分、俺の勝ちだな」

「―――っ」

シュトが口の端を上げて、従者の歯軋りの音が座敷牢に僅に響く。


「シュトさん?!」

従者にしても、シュトにしても俊敏過ぎる動きすぎて、"喧嘩が大嫌いな"リリィも反応が出来ていない。


「シュト、銃を納めなさい。―――お前も、控えなさい」

バンがシュトと従者に控えるようにと、険しい声を出した。


「先に剣を抜いたのはそっちの…御館様の従者さんっすよ。

それに俺の"傭い主"は、アプリコット・ビネガー伯爵と、このお嬢ちゃんの保護者にあたる賢者さんなもんでね」

シュトが銃口を従者の額につけたまま、悪びれなく言った時、"ビュッ"という空を裂くような短い音がするのと同時に、


「ダメです!」

リリィの悲鳴が響いた。

そして紅い雫が、舞うように寝台に落ちる2着の紅黒いコートの上に散った。


「リリ!!」

アトの声が響いた時、リリィは寝台から身を乗り出してバンの従者が短剣を握っていない方の手――紅黒いコートを持っている方にあった為、完璧に隠れていた手に(きり)のような武器で、グリップを握るシュトの手首を貫こうとしている――それを抑えていた。


錐の先端はこちらもシュトの手首の寸前で止められていたが、それはリリィが小さな両手で、バンの従者の武器を止めていたからで、止めていなかったら確実に貫かれていただろう。

そしてバンの従者の武器を握る手を抑える、リリィの小さな右の白い手の側面には、血の筋が出来て紅い雫が紅黒いコートの上に滴った。


「お嬢ちゃん!?」

シュトの声を聞いて、バンの従者は錐のような武器を、脱力したように絨毯の上に落とす。


自分に向けられた短剣も錐のような武器も――殺意も無視して、シュトは銃をホルスターに納めて"恩人"を見つめる。

リリィはまだ、武器を落としたバンの従者の手を抑えるようにして握っていた。


「――あの、シュトさんも、えっと」

リリィは自分の手から身を切り溢れる血にも構わず、前領主の従者に言葉をかけようとしたが、名前を知らない事を思い出した。


「―――クラベル、そちらのお嬢さんに、お礼をいいなさい」

「―――御館様」

バンの従者が初めて口を開いた。

多分、リリィ達の保護者より上で、バンと同じ位――そんな落ち着いた男性の声が響く。


「その私の従者は"クラベル"。

本来なら、ロックから執事の仕事を受け継いでいるはずの男だ」

バンが自分に忠実な従者の"紹介"をした。


「ロックさんの、"執事"の仕事を受け継いでいるハズのクラベル―――さん?」

リリィが不思議で一杯の気持ちでバンの発言を繰り返すように、小さな唇を開いた瞬間、2人の人物に血が流れる方の手を掴まれる。


「そんな事より、お嬢ちゃん、あんた怪我してんだよ!」

「―――失礼します、治癒の術をさせて頂きます」

少女の手当てを成さねばとまず動き出したのは、先程まで殺意まで剥き出し、拮抗しあっていたハズのシュトと、従者のクラベルだった。

短剣を速やかにしまった従者、心から心配いている執事見習いによって、リリィは挟みこむようされて、傷ついた手を確認される。


「えっと、あの、血が出てるみたいですけれど、私はそんなに痛くはないですから」

殆どしどろもどろなになっているリリィの声はあっさりと無視され、シュトが傷ついた小さな手を固定し、クラベルによって治癒術を施されて、止血はなされた。


「――止血は出来ましたが一応、傷口を保護する布をあてておきましょう」

「そっすね、その方がいい」

クラベルがする提案にシュトが素直に頷くのに――リリィは軽く混乱する。


(えっと、さっきまでシュトさんと、ク、クラベルさんは確か喧嘩を―――)

そんな疑問の思いを言葉には出せずに、リリィは緑色の瞳をパチパチと激しく瞬きをする。


手は相変わらずシュトに固定され、クラベルが身につけている鞄から取り出された、清潔な脱脂綿を貼付(ちょうふ)されて、"治療"は完了した。


「リリ、痛いのなくなりました〜♪」

兄と"御館さまの従者"によってなされたリリィへの完璧な処置に、アトが両手を上げて喜びを表現する。


「あ、ありがとうございました」

リリィは礼を述べて、シュトと――クラベルを見る。


改めてバンの従者という人物の顔を見れば、やはり声の印象から受けた事は外れてはいないようで、グランドール、アルセン、最近出会ったネェツアークよりは年上で、前領主のバンよりは同年か、または年下に感じられた。


「―――申し訳ありませんでした。

こういった風だから、私はロック殿に、"執事"の仕事を認めて貰えず、任せて頂けなかったのかもしれません」

クラベルが浮かべる弱々しい笑顔には、シュトが怪訝な表情を浮かべる。


「えっと、その―――クラベルさん?だよな。

あんた、俺より余程しっかりしているみたいなのに」

シュトが、"クラベルがロックから認められない"のが信じられないと言った様子で口を開いた。


先程まで大いに敵意を出して、クラベルとは対峙していた相手ではある。

ただそんな風になるまでの間に見た、昇降機からのバンに対するクラベルの従属の振る舞いには、シュトは正直舌を巻くものがあった。


("痒い所に手が届く"、そんな風にバンの従者をこなすこの人が、ロックさんから認められないと言うことあるのか)

純粋な疑問の気持ちがシュトの中で渦巻いていた。


「シュト、"ロックはお前達兄弟への躾は、甘かった"と、ここへ私とクラベルが、到着した後に言ったのは、覚えているかな?」

リリィの治療が完了したのを確認してから、バンが穏やかな声で、再びシュトに尋ねる。

前領主の言う"優しい老執事"から仕事を教わった少年は、《兄弟への躾は、甘かった》という改めて耳する言葉に動揺する。


(ロックさんなら、誰にでも公平で優しいし、仕事を丁寧に教えるはずだろう?。

それにそんな偏った人付き合いをする人じゃなくて、誰にでも)


シュトが思わず口元を抑えて考え込んでいると、ゆっくりと落とした錐のような武器を、多少疲れた顔で拾うクラベルが視界に入る。

この人物が決してロックから認められないような人材ではないと、シュトには思えた。

それに合わせてシュトは自分が見習いの執事でもあるが、主だった仕事は"用心棒"としてロブロウに招かれたのを、忘れてはいない。

だから、ある意味自分と"役割"以上の力を保持して、互角に戦力で向かいあえていたクラベルなら、もう執事として十分過ぎるくらいだろう。


「――クラベルの仕事ぶりは、私は認めていたし、ロックも認めていないわけではなかった。

ロックは、あの男はクラベルの才能や努力を認める事が出来ても、言うなれば"受け入れる"事が出来なかった」

バンの言葉に口にあてていた手を外して、シュトは先代の領主と、それに忠実な従者を見た。


《認める事が出来ても、受け入れる事が出来ない》

何だか"悲しい"という気持ちが、シュトとリリィの中に(もた)げる。


「"受け入れる事"が…出来ないんですか?」

リリィが小さく呟いた言葉に、クラベルが深く眉間にシワを刻み、バンは頷いた。


「ああ、そうだ。―――これは"最初から受け入れられていた者"には、解らない感覚かもしれない」

「そんな言い方をされると、俺とアトが"最初からロックさんに受け入れられていた"みたいに聞こえるんですけど」

「――(しか)り」

シュトの言葉に、バンは間も置かずに肯定をした。


「このロブロウに訪れたばかりのお前達兄弟。

そして、幼くしてこのロブロウに戻り育った、ピーン・ビネガーに愛された、我が娘も多分解らない。

お前達兄弟の姿見は、あの厳めしい甲冑を纏った老人から考え及びもしないだろが、ピーン・ビネガーが最も溌剌としていた時期。

そこに落ちている紅黒いコートを纏って時期に、よく似ているのだよ。

迷いながらも、まだ未来に希望を持っている、平定の英雄達と活躍していた時分の我が父にな」

共に活躍したロックと、平定を終えて戻ってきた時の父の姿を見た、今はもうビネガー家ではバンしか知らない姿。


「そして、我が娘は外見が全く違えども、"ピーン"が自分に似ていると認めた程、"心"がとてもよく似ている」

自身の父親を名前で呼び、ロブロウの"若い来訪者"達をバンは再び眺める。


「ロックはとても優秀な人ではあるが、それはピーン・ビネガーがあってこそだった。

いや、実際にはピーン・ビネガーが亡くなってからでも、ロックは遺言通りに後追いもする事なく、喪に服した。

その後は"普通"の生活を営む事も、振る舞える事も出来ていた。

"後継者を育てねばならない"という、現実の問題も理解はしていた。

まだ領主だった私の言葉に、耳を貸してくれてもいたのだが」


そこでバンが来訪者と自分の間に佇むクラベルを静かに見つめると、忠実な従者は落としてしまっていた紅黒いコートを丁寧に拾いあげる。

リリィから出た血の滴は、紅黒いコートが吸ってしまったようで、もうどこに滴り落ちたのかも解らない。


「それは、私が悪い面もあったかもしれません。

ロック殿は、確かに仕事面では評価して認めてくれていました。

でも、決して心を許してくれていると――私というクラベルという人間を信頼していると感じる事は、一度も出来ませんでした。

私にはそれが堪える事が、出来ませんでした」

そして2着のコートの内の古い方を、クラベルはシュトに差し出した。

シュトは複雑な顔をして、"先輩"になるはずだった人物からコートを受けとる。


「―――信頼されないって事は、耐えられない事なんですか?」

それはシュトにはよく解らない感覚である。


"任せた"と言われたのなら、頼まれた事をしっかりと完璧にこなさなければならない。

自分1人でもしっかりとしているとは思えないのに、何かと世話を必要とする弟もいる。

信頼の名の元に、頼まれた何かをやり遂げなければならないという義務感が産まれるなら、そんな"重たい信頼"はいらない。

シュトは、そんな考えでこれまでやって来ている。

だがクラベルにはその信頼が無いことが、堪えられないと言う。

シュトが本当に不思議に思っている事を感じ取り、クラベルは困ったように微笑んだ。


「生半可に、自分に自信を持っていたせいもあるかもしれません。

でも、それがロック殿にとって、私に信頼を委ねる事が出来ない理由の一部になったのだと、今なら分かるような気持ちがしない事もないのですが」

自信の欠片(カケラ)すら持たずに、信頼に持たれる事に固執していなかった事で、あっさり受け入れられた―――後輩になったかもしれない少年に、クラベルは今度は自嘲を浮かべる。


「私や御館様――バン様の世代にとっては、平定の4英雄は本当に憧れでした。

その憧れの英雄達に最も助勢したという、賢者の懐刀と呼ばれる男の立場を、私が引き継ぐのだ事になるのだと。

ピーン様が亡くなった後、若い時分に執事見習いになった時にそんなに自信を――傲慢な気持ちを、ロック殿はそれとなく感じ取ったのでしょう。

いつも私がこなす仕事を誉めてくださいますが、口元に笑みを浮かべながらも、心には大きな隔たりを感じられました」

クラベルが新しい方のコート――恐らくネェツアークが身に付けていたと物と思われる物を、アトに手渡した。


「クラ、ベルさん、ありがとうございます」

アトは御館様の従者の名前は、何とか覚える事は出来たらしい。

無邪気な笑顔を浮かべると紅黒いコートをちゃんと受け取り、丁寧に頭を下げた。


「クラベルが持つ自信は、決して根拠の無い自信ではなかった。

しっかりとした、努力に裏打ちされたものだ」

バンが言う言葉には、シュトが頷く。


「それは、従者さん―――クラベルさんの手を見ればわかります」

シュトの言葉を聴いて、リリィが紅黒いコートを渡し終えた従者の手を見ると、そこには無数の傷痕があった。


「あの、このクラベルさんの手にある傷跡は、さっきの短剣を扱う為に練習した時に出来たものなんですか?」

リリィもシュトと同じように、クラベルの傷跡だらけの手を見つめてから、確認するように尋ねた。


晩餐会の際、倒れたアプリコットの容態を伝える時に、初めてリリィを見た時から可愛らしいと思えて仕方がなかった少女の質問に、クラベルは優しく頷いた。


「左様です。全て、自己流でやった短剣の訓練の名残です。

お恥ずかしい事ですが、ロック殿にこのビネガー家の執事と少しでも認めて貰えるように、ゴマをするような気持ちで、ピーン様が得意とする短剣の舞踊を、我流の見よう見まねでやりました。

ただやはり、そんな浅はかな気持ちは見透かされたようです。

結局私がしていた事は、『努力をしているのだから、クラベルをロックの跡継ぎとして認め、受け入れろ』と強ばっていたのとかわりませんでした」

クラベルは傷痕を見ながら、本当に後悔し恥ずかしそうに表情を歪めていた。

そしてそれを取り成すように、シュト達の側にバンが歩み寄りながらゆっくりと口を開く。


「だが、どういった思惑があって始めた武芸にしても、私にはまあまあ立派な見えた。

我が家の御転婆のアプリコットさんも、クラベルの強さはこの領地では"抜きに出る"物になっていると認めている程だった」

バンの"アプリコットも認めている"という言葉に、彼女の強さをそれなりに知っているシュトとリリィは、クラベルが我流ながらも身につけたという技術に、改めて尊敬にも似た視線を送っている。


その事に嬉しそうな笑みを浮かべるのは、尊敬の視線を送られる従者の主――バンだった。

更につけ加えるように、言葉を続ける。


「せっかくそれなりに優秀な人材が、1つの事に"賢者を支えた執事"に妄執して、才能を潰す事になるのも惜しかった。

だからクラベルを執事という仕事から一度距離を置かせ、私の従者として側においた。

そうする事がクラベルの、それにロック自身の為になると思ってな」


《―――大切だから、距離を置いて離れておく事もあるのではないのかな》

先程、旧領主邸に来た時にも言われたのと、似た言葉をバンはまた口にする。


(何だか、クラベルさんに言い聴かせているようにも、聞こえるな)

シュトの考えが当たったかどうかは解らないが、クラベルが主の言葉に応えるように口を開く。


「我流で癖のある武芸となりましたが、御館様の役にたてるものになりました。

そして仰有る通り、距離を置く事は、確かに"私の為"になりました。

改めて自分の力は執事に拘らずとも、このロブロウの為に役に立てるものなのだと再確認出来ました。

まだ、ロック殿に受け入れて欲しいという気持ちは、"無きにしも非ず"な状態ですが」

そしてまた自嘲の笑みを、今度はリリィに向かって浮かべた。


――私は、憧れる人に、ただに認めて、受け入れて欲しい。

――努力を惜しむ事もしないから、どうか受け入れてくれませんか。


クラベルという人物の若き日の苦悩を、シュトは垣間見た気持ちになる。

そして、それは多分シュトは"俺は一生味わう事がないものなんだろう"とも、思えた。

生きる上で、出来る範囲の努力をするつもりも、覚悟もシュトにはある。

けれど、幾らか努力して、見通して報われる事がなさそうと思えたなら、多分そこでシュトはそこで歩みを止めて、違う道を探すだろう。


(ま、今はあの賢者さんから"一本道"を歩かされているけれどな)

そこでふと、シュトはある事に気がついた。


先程から幾度となく"賢者"という名称を聞いてはいたが、《シュト》、《リリィとアト》、そして《バンとクラベル》の思い浮かべる"賢者"の姿はそれぞれ違うという事だ。


リリィとアトはには賢者と言ったのなら、《大きなぬいぐるみにも見えるモフモフ、フワフワとした毛を持った丸眼鏡をかけた"ウサギの賢者"》。


シュトにしてみれば、緑の愛用のコートを纏い不貞不貞しく笑う、丸眼鏡をかけた髪も瞳も鳶色のギリギリ青年にも見える《賢者ネェツアーク》。


バンやロックにしてみれば、白髪でもっと年をとってはいるのであろうが、アトやシュト――自分にも似ているという《老獪の賢者ピーン・ビネガー》。


(皆、1つの同じような物を視ているようで、実際は違うものを視ているって事か)

シュトは(おもむろ)に、バッという音をたてて、古い紅黒いコート――ピーン・ビネガーが纏っていたという物に袖を通した。


「で、今の俺の姿は、御館様の御父上に見えますか?」

バンはゆっくりと頭を振った。


「―――いいや、似てはいるが、"正気"の瞳で見たのならば、お前は娘の友人が連れてきた、言葉遣いもままならない執事見習いで、まあ何とか用心棒代わりになる少年でしかないな」

バンの言葉に、シュトには少々袖が長かった紅黒いコートの袖口をたくし上げながら頷いた。


「そう言われ―――仰って頂いて安心しました。

俺…じゃなくて、"私"は初代領主様に会った事もないけれど、失礼な態度をしたら、斬りかかってくる程憧れを集めてる方に似ているなんて、言われたなら気が重くて仕方ない、です」

シュトなりに言葉に気を付けながら、そんな事を言ってクラベルの方を見る。


紅黒いコートを纏い、少しばかり目付きを悪くして、髪を掻き上げている姿は、リリィには初対面の時の粗野な"ワイルドなお兄さん"――本来のシュトのように戻ったように見えた。

クラベルには再びシュトの悪態を見る事になったのだが、今度は額に大きなシワを刻んではいるが、口元は随分と穏やかなものとなっている。


"世話のやける後輩を見つめ、苦笑いを浮かべる先輩"

パッと見たなら、そんな関係を思わせる2人と今はなっていた。


(本当なら、用心棒をするにしてもカモフラージュの為に執事の指導をしてくれる先輩は、クラベル…さんでも可笑しくないんだよな)

ここで初めて関わった人物だけれども、彼が"嫌な人ではない"という確信だけはシュトは得ている。

バンも"努力を惜しまない先輩と、すぐ諦め、見切りをつける後輩"、もしもクラベルがシュトに指導をしていたのなら、揉める事があったのは予測は出来る。

でも、揉めてたとしても、クラベルとシュトは上手くやっていけてるような気がしていた。



シュトはコートの中に手をいれ、肩からホルスターを外して、銃は腰のベルトにさす。


(アルスにホルスターの肩ベルトの調整頼んでたけれど、まあいいか)

シュトにしてみれば銃の"定位置"はここだし、いざという時は、きっとここに手が伸びるだろうから。


(―――エリファス師匠がいなかったら、俺はそもそもロブロウにくる事もなかったのだろうな。

―――それでもクラベルさんは、ロックさんに受けいられる事はなくても、時が過ぎたのなら、ロブロウの誰にでも認められる"執事"になっていたんじゃないかな)

不意にネェツアークに準備された道――"リリィを警護して、地下牢で時が過ぎるの待つ"の他に、もう一筋の道がシュトには見えたような気がした。


(―――踏み込めってか?)


「シュト――さん?」

リリィの不思議そうに呼び掛ける声を聴いて、シュトは歯を見せてニッと笑う。

シュトに見えた"道"は、ネェツアークによって用意された一本道のように、歩き易く(なら)されてはいない。

傍目から見たなら、シュトにそう思えるだけの道で、他の人なら、道とは認めても貰えないかもしれない。

もし見えたとしても、何処に繋がるかも解らない道に踏み込む物好きは、あまりいないだろう。

ただシュトは、紅黒いコートに袖を通したのなら、躊躇いの気持ちを抱いたままでも、"物好き"と自負しながら道を進む決意を固める。


自分がそうなるように仕向けられた"仕掛け"が、鳶色の賢者に託された、紅黒いコートにはあるのは、バンからコートを纏うように進められてから、シュトはうっすらと気がついていた。

踏み込んだなら結末は解らないけれど、均された道よりも"そんな道"があるなら、シュトはそちらに進んでみたかった。

ただ、きっと"安全の保証"はされていない。

ネェツアークがシュトの安全を保証するのは、リリィという少女を護る場合だけに限られる。

もしも、少女から離れる道に踏み込んだのなら、そこからシュトの命はシュトの責任となる。

賢者は自分の護衛騎士の少年や、仲間の命を気遣っても、用意した道を外した"者"の命など気にしてはくれない。


(まっ、俺はその方が"重く"なくて気楽だけれどもな。

―――でも俺がお嬢ちゃんの側を離れたらなら、護衛の料金は絶対値切るだろうな、あの悪人面の賢者殿…)

そんな事を考えて、寝台にちょこんと座るリリィと、その後ろに立つ"鳶目兎耳のネェツアーク"のコートを持つ弟を見る。


思い付いたと言わんばかりに、左の手のひらに右手を拳にして、ポンと叩いた。

そしてバンとクラベルの主従の方に向いて、シュトは口を開く。


「―――ところで、初代領主さんに心服し過ぎているらしいロックさんは、烏滸がましいですけれど、俺の姿を見たならば、若い頃の初代領主様のピーン・ビネガーには見えませんかね?」

突然訊ねられたシュトからの不躾にも突拍子のない質問に、バンは珍しく目を丸くはしたが、質問で何かを察したようで丁寧に答えてやる。


「そう言えば、辛うじて今のシュトのように、髪に色あった時代ののピーン・ビネガーの姿を知っているのは、もうロックだけだ。

そうだな、"病で弱っているロック"になら、今のシュトの姿はもしかしたら、もしかするかもしれない」

口ではそう言うが、バンはシュトなら――今までどんな執事見習いを最終的にはいつも拒んでいた、父の忠実な執事が初めて"受け入れた"この少年なら、見えてもなんら不思議ではないと思った。


「―――ついでに思い出した事を、伝えておこう。

そのコートは、私の母とロックの手作りだ」

(そしてピーン・ビネガーが、人生で最も一番幸せだった時期の代物だ。

片付けが苦手な男なりに、その紅黒いコートを大事にしているの、家族をもったばかりの息子に笑顔で話してくれた)


急に頭に響く、過去に望郷と切なさを含ませた老人の声に、シュトは少しだけ目を細める。


リリィという少女が座敷牢にいる中で、ピーンとロックについて語れる部分は口で語り、聞かせられない部分は、テレパシーで前領主は器用にシュトに伝えてくれた。


「じゃあ、待っているだけなのは何だから。

せっかくロックさんが好きな人の姿に似ているように見えるんだから、この格好で"見舞い"に行ってこよう。

あ、そうだ。アト、執事の上着を脱いでその紅黒い色のコートを着てください」

シュトの指示にアトは素直に頷いて、執事服の上着を脱いで、恐らくネェツアークが身に付けていた紅黒いコートに袖を通す。


リリィは急に活動的に動き始めたシュトの様子に、はっきりいって戸惑っていた。

自分に打ち掛けられるように着せられたシュトの執事服の上着を、少女はギュッと手当てして貰った手でシワを刻むようにして握りしめる。


「シュトさん、そんな、急にどうしたんですか?。

ロックさんのお見舞いに行くって」

だがリリィの不安など意に介さず、シュトはやはり自分と同じ様に、ネェツアークのサイズでは袖が長すぎなアトの為に袖口をたくしあげてやりながら明るく口を開く。


「いや、さっき言った言葉のまんまだよ。

ロックさんを"元気づけよう"と思ってね。

あ、だから」

アトの世話を終えてから、シュトは少しだけわざとらしくバンとクラベルを見比べて、リリィの小さな耳に囁く。


(帰ってきてから、"付喪神"の話をしよう。

"銃"もなんかさ、御館様が来てから黙ってしまったから。

それに、アトも一緒に留守番させておくから)

大切な弟は絶対の安心を保証するこの場所に残し、自分の安全も自ずから手放すけれど、リリィには不安を抱かせないように。


さっきまでしていた話に"必ず続きがある"とリリィに信じ込ませ、安心させる。

奇遇にも、それはネェツアークがアルセンに大切なモノを託し、必ず戻ってくると安心させるやり方と酷似していた。

リリィも"アトがこの場所に残る"と聞いて、シュトは必ず早く戻ってくるものと堅く信じた。


「じゃあ、私は賢者様との約束がありますから、ここで儀式が終わるのを待っていますね。

シュトさんも、お見舞いが終わったのなら、早く帰ってきてください。

あ、でも、そうだ」

リリィは頭の中で"お見舞い"という言葉と――優しく綺麗な人の姿が繋がる。


「シュトさんもしロックさんのお見舞いが済んだのなら、もし良かったらアルセンさまも、見てきてくれませんか?。

多分、おやすみになっているとは思うんですけれど。

休んでいらしたなら、外から中をそっと見るだけで構いませんから」

思いもよらなかった人物の名前が出てきて、見舞いも頼まれて、シュトは驚いたが、すぐに笑顔になって頷いた。


「わかった。アルセン様も見舞えたら見舞う。

もし、起きていらしたら、お嬢ちゃんが心配してたから、寝ててくださいって言っとくから」


「アルスのせんせー、緑の服を脱いだら天使さまです!。

天使さま疲れているから、グランさまが、おやすみさせなさい言ってました!」

アトはどうやらアルセンの名前はわかっているが、呼び方に拘っているらしい。


自分の拘りである散歩を済ませた事で、今一番の拘りはどうやら"天使さま"の容態になったようだった。

そしてグランドールが、アルセンの事を心から心配していた事をアトなりにしっかりと理解は出来ていたらしい。

そんな優しい友人の妹と、自分の弟がシュトには嬉しかった。


「良い子だし、優しいし、頭の回転も早いな。さすが賢者様の巫女のお嬢ちゃんだ」

思わずシュトが笑って頭を撫でると"約束"と言った具合にアトも"アトもしてください!"と声をあげ、シュトは笑って弟の頭も撫でてやる。


それからシュトがしている茶番にも誤魔化しにも見えかねない事を、口を挟む事なく静観して見守ってくれているバンとクラベルを見る。


「御館様にクラベルさんは、暫くこちらに居られるんですよね?」

確認するように尋ねると、バンはクラベルが黙して頷いたのを見てから口を開く。


「ああ、そうだな。今回は浚渫の儀式には、アプリコットさんを手伝う必要も、私の出る幕はなさそうだ」

バンはシュトの言葉にそう応えると、寝台に座る"強気な緑の瞳"がなければ世の人々を虜にしかねない、"魅了"の力を持っていると初対面から感じていた少女に言葉をかける。


「だから、儀式が終わって王都からの皆さんがお嬢さんをお迎えに来るまで、一緒に待っていても良いだろうか?。

良かったら、このお爺さん手前の前領主とお話をしてくれないかな?」


「はい、私で良かったら。

それに、私、お話を聞くの好きです」

急なバンからの提案だったが、リリィは話を聞く事は好きなので、直ぐに笑顔で答えた。


"戦駒"という娯楽の他に、読書と研究が趣味でもある前領主は、リリィの快活な返事に満足そうに頷く。


「それなら、古今東西の昔話をしてあげよう。

そうだな、ついでに良かったらお嬢さんには、最近の王都の情報でも聞かせて貰って時間を有意義に過ごさせてもらうのも、いいかもしれないな。

お嬢さん、それでは話相手を、本当に宜しく頼む事にしよう」

リリィは、自分が前領主のバンの話し相手になる事に、少しだけ頬を緊張の為に赤く染めた。


これである意味シュトはこの場所から、安心して離れる事が出来る支度が整った。

(きっと本来は"役割の割り振り"はこうなるのがベストなんだよな。


御館様は多分、初代の領主さん、アプリコット様とはタイプが違うけれども、領主としての才覚は持ってる)

どうしても印象の強いピーンやアプリコットがいる中で、バンという2代目の存在が霞んでしまいがちに見える。


だがクラベルのような忠実な従者を見極め、才能を潰さずに伸ばし、妄執(もうしゅう)に囚われないように、仕向ける手腕は生兵法では出来ないと、見かけによらず理屈っぽい少年には思えるのだ。

王都からの遣いの男であるネェツアークから、コートに関して渡さすようにと言われだけで意味を解して、"狡い"という事も見破っていた。


(今みたいな、争いの無い世相では、ある意味御館様の様に過ごされる領主が一番なのかもしれない)

領民の資質を見極め、決して押さえつけずにその者の個性や才能が活かされ、動きの邪魔にならぬようにただ領主という場所に佇む。


ロブロウの農家を代表するムスカリとバンの間柄などが、それを最も表しているのかもしれない。

バンは表立ってはされないが、裏では不遜に言われ扱われていた事に、気づいていながらも黙し、ムスカリにロブロウという領地の"農"を任せる。

ムスカリは強引で高飛車な部分はあったが、その力強さと行動力は領民を纏めて見事に牽引してきていた。

そしてそのやり方を、半ば強引に代替わりしてしまったアプリコットにも"譲渡"してする。

結果としてはやはり、裏では随分と(そし)られる事にはなっているが、農に関しては代替わりをしても安定した収穫や、王都には幾ばくか遅れながらも発展もしてきていた。

シュトはロブロウに着いてすぐ、ロックに執事見習いの服を見繕ってもらいながら、領主の心得らしきものを聴かせてもらっているのを思い出す。


【人に与えて貰う側なら、その与えてくれる人物に、何か与えたくなるように振る舞う努力をしなければならない。

金を求めるものには金塊を。

尊敬を求めるものには敬愛の眼差し。

真摯な態度なら、真摯を超えた慕情を。

求める相手が快く差し出せるように、全身全霊で向かい合わなければならない。

そうやって、ロブロウの領主は成り立っている】


(前領主様は、ロックさんが言っていた"心得"を、を実践なさってきていたんだな)

――愚鈍な昼行灯な領主だから、自分が影で支えてやろう。


悪意に満ちたバンの姉妹の言葉をムスカリは鵜呑みにもしたが、実際はバン自身も"ロブロウ農家代表"が増長するように振る舞ってもいたのだろう。


"自信"というプライドを持ったのなら、ムスカリは"伸びる"


"ムスカリという存在がいなければこの領地の農が成り立たないという誇り"

内面の与えられる喜びを最大限に与え、結果として、バンの目論見は成功したが、それはムスカリ自身では拭い去る事が出来ない程の横暴を抱えてしまっていた。


(ただ、ちょっと"我慢強すぎる"所もあったみたいだけどね。

そして、それに家族や他人まで巻き込んだのはどうかと思うよ)

ムスカリの"被害"に弟共々軽くあってしまったシュトが、率直な気持ちを心の中で吐露した。

バンがリリィと話す為にクラベルが用意した椅子に座した時、急に腰のベルト――定位置に戻った"銃"が口を開いた。


《それは、僕もそう思ったよ。

だけど、バンは"我慢強く"振る舞う事で、懸命にバランスを保っていたんだ》


「何だよ、今まで黙っていたくせに」

急に語りかけてきた自分の"銃"に、小声でシュトは語りかける。


「シュト兄、どうかしましたか?」

アトが兄の様子に目敏く気がつき、首を小さく傾けている。


「あ、いや、アト、独り言だから気にしなくていいです。

じゃあ、わたし―――俺は、そろそろ見舞いに行ってきます。

御館様もいるみたいだから、ついでに色々済ませてくくる。

だから、もしかさたら遅くな感じるかもしれないけれど、その時はごめんな」

「ああ構わん。我慢強く待つのは、ビネガー家の血筋の者なら得意な事だ。

気が済むまで色々やってくるといい」

弟や友人の妹かけたシュトの言葉に、返事をしたのはバンだった。

そのバンの言葉はシュトに向かっていたが、視線はベルトにささっている"銃"に向けられている。


《―――シュト、行こう。色んな事をしなければならないから、"遅くなる"以上になってしまうかもしれないから。

バンがこの悲しい場所で、過ごす時間が少しでも味短くなるように》


"銃"から前領主のファーストネームが出た事に、驚いた。

しかし、それ以上に憐れみに溢れた銃の声がシュトの耳に入った時、バンの理性で感情を圧し殺して造りあげられたような瞳は、微かに潤む。


《行こう》

銃は急かすように、シュトに語りかけてくる。


(この場所じゃ、"コイツ"にしても御館様にしても聴くに聴けないし、話せない話だろうしな)

シュトは急ぐ"相棒"を宥めるように、ベルトに納まる銃をポンっと軽く叩いてやった。

それから少しだけ目を瞑って、アトやリリィに気が付かれないように気合いを腹に入れる。


「じゃあ、行ってきます」

鉄格子の扉を通り抜けようと、入り口にあたる格子にシュトは手をかける。

ガチャリという音が、薄暗い座敷牢に響く。


「シュト、待ちなさい。

折角銃があるのだから、"近道"をしていくがいい」

出て行こうとする執事見習いの少年に声をかけるのは、またしてもバンだった。

シュトが出口となる鉄格子の側から振り返りると、バンが飾りとして持っているの杖の切っ先を、天井に向ける。


「銃があるのなら、父が仕掛けた"秘密基地"の脱出口を開く事が出来る。

そうしたら、昇降機を使わずともずっと早く外に出ることが出来る」

バンの杖の尖端が示す方向を視線で追いかけても、シュトには暗い天井にしか見えない。

そして初めて耳入る単語を聴いて、思わず尋ね返してもいた。


「秘密基地ってなんですか?。

ここは、"座敷牢"なんじゃないんですか?」

そう疑問を口にしながら、上を見上げる。


この場所"座敷牢"にはロブロウに訪れてからは、結構多くの時間を過ごしているシュトだが、暗い天井を見つめた事などなかった。


「この場所の名前は思いたいように思えばいい。

そんなに深い胸積りがあって、父は名付けたつもりはないだろうから。

だが領主と、領主が赦した者しか場所の存在を知っていても、来る事は叶わない、そんな場所だ」


―――ロブロウ領主に代々伝えようと考え、(こしら)えた秘密基地。


(名前にそこまで拘っていないのは分かったけれど。

この"部屋"を大切にはしているんだよな)

薄暗い"座敷牢"と言うわりに換気はしっかりされているし、ロックから最低でも2日に1度の"メンテナンス"の為に赴くように、と教えられた場所だった。

ロックの事を思い出した時、薄暗い天井を見つめるシュトの視界に、本当に錐で穴を開けたような小さな光が見える。


「今日は曇天だから、判りづらいだと思っていたが。

シュト、お前の見た所からあの光の右側を」


《僕も2回目だから覚えてる。

シュト、あの光の右に真横の所を》


「撃てば良いんだろ」

前領主と"相棒"の撃てと言う言葉を聞く前に、シュトは銃をベルトから抜いて発砲する。


消音器(サイレンサー)を装着したままの銃口から、"チュンっ"音をだして弾丸は飛び出る。

放たれた弾丸はバンと銃が狙えと言った場所を見事に貫通して、光の横を掠めた直後、カチッと何かが弾け飛ぶような音がした。

それを皮切りに、次々に"カチッ、カチッ、カチッ、カチッ"と時計の針が進むように音が連続して"秘密基地"に広がり、響く。


「ひゃあ!」

アトは急激な状況の変化に心がついていけず、幼子のように両手で頭を押さえてベッドに頭をつけて震える。

リリィはアトの側に近より、優しく頭を撫でてながら、口を開く。


「この場所―――揺れ、ては、ないですよね」

「はい、揺れているのは"天井"です!」

リリィが投げ掛けた問いに答えたのはクラベルで、バンの忠実な従者は怯える少年と気の強い少女の頭を庇う為に側に寄り、長い腕をそれぞれの頭上を守るように伸ばしていた。


シュト、バン、"銃"は黙って、動き続き始めた天井を見上げる。

ゴゴッと岩壁と岩壁が摩れあうような音が、暫く続く。

次にザアアア――っと、大量の水が流れる音が部屋に響いた。

続く様に響き始めるのは、最初の岩壁程ではないが、ズズズっと今度は石臼の摩れあうような音が響く。

やがて天井俄に明るくなって、光が射し込む。

そして天井から差し込む光には、様々な色が着いていた。


「―――わあ、綺麗」

リリイが(あか)く染まった光を全身に浴びながら、クラベルに庇われる腕の隙間から、丸く切り取った様に明るくなった天井をを見上げる。



「ガラスの絵です!天使さまいます!」

アトがリリイの言葉であれほど怖がっていた状況の変化から持ち直し、こちらもクラベルに庇われる腕の隙間から天井を見上げる。


「これは――宗教画のステンドグラスですね」

もう安全を感じとったクラベルが、庇うように広げていた腕を下ろし、リリイとアト続いて天井を見上げ、色を(はら)んだ光の絵画を見つめて感嘆の声を出す。


「もう、お約束ってくらいの典型的な宗教画だな…」

シュトが銃をベルトに戻しながら、"旅人"のステンドグラスの色――緑色の衣の色を浴びながら呟いた。


「リリ、女神さまの色です!」

アトが言うように、丁度リリィは(あか)を 基調として表現されていた"大地の女神"のステンドグラスの部分から透かされる光を浴びて、少女は紅く染まっていた。


「あ、本当だ。アトさんは、――天使さまの色ですね」

リリィが笑顔で紅く染まった姿で見つめるアトは、天使の纏う白い衣と丁度"金色の髪"を表現する黄色と 瞳の色を表現する青が当たっていた。


(あ、でも瞳の色はどちらかと言えば"青色"で言うよりは、"空色"に近いかな)

アトの頬に映る瞳の色について、リリィがそんなことを思っていると、アトが天使のステンドグラスを指差し、不満そうに口を開く。


「天使さまの目の色は、緑です。

リリとアルスのセンセーと天使さまと、緑です!」


「アト、無茶を言うなよ。

それに、今は光を浴びているから、お嬢ちゃんだって紅色だ…?」

シュトがアトを宥めるように言って光で朱に染まるリリィを見ると、桃色の髪は完璧に紅色で全体的に紅色に染まった姿だった。



(お嬢ちゃん、瞳は"緑色"だよな?)

だがシュトに見える少女の瞳の色は、元から生粋の色であったかのように"紅"色だった。

ガラガラガラという金属音と共に、横さん(手や足をかける部分)が金属で他は縄で造られた吊り梯子が降りてきて、注意は一斉にそちらに向く。



「――これを使えば、昇降機や暗く危ない道を通らずとも、すぐに外に出られる」

バンの言葉でシュトはハッとした様子で、梯子の方に近づく。


シュトはステンドグラスの"旅人"の緑色の光から抜け出し、改めてリリィを見たなのら、彼女の瞳は紅色の光が当たった緑色の瞳でしかなかった。


(俺の目の錯覚だったのか?)

シュトの戸惑いには全く気が付かず、リリィは未だに天井に現れたステンドグラス見上げていた。


「結構高いですね。

シュトさん、気を付けて登ってくださいね―――どうかしましたか?」

そこまで言って、紅黒いコートを纏った兄の友人からの自分への凝視に気がついて、リリイは朱いの光の中、寝台の上で執事服の上着を羽織ったままを瞳を激しく瞬く。

シュトは頭を軽く振って、横さんを手に握るとグッと縄がしなる音がした。


「いや、ちょっとな。

じゃあ、御館様、この梯子を登れば直ぐに外なんですね?」

シュトが尋ねるとバンは深く頷いた。


「ああ、旧領主邸の―――噴水の場所だ。

ただこの方法を使う為には、先程みたいに何かで起動スイッチと弾いてもらうのと、毎度噴水の水を抜かないといけないんでな。

私はこれを使うのを見たのは、2度目だ」

「ではさっきの水の流れる音は噴水の水を抜いたから、聞こえた音だったのですね」

クラベルが言うと、バンがまた穏やかに頷いた。


「本当は井戸をここに掘ろうとしていたらしいが、いざ掘ったのなら、こんな変わった形の空洞の洞窟があったらしい。

結局井戸は違う場所に掘りなおして、初代はここに秘密基地を作った。

そして本当は芸術家になりたかった名残の1つで、自分で傑作と思っていたあのステンドグラスを、秘密基地の天井に――取って置きの寝台の上に飾った」


「あ、じゃあ、客室の寝台のベッドに画がかれているのも?」

リリィはウサギの賢者と一緒に見上げた、豪奢な寝台の吊り天井に描かれた宗教画を思い出していた。


"素人さんが描いたにしては、上手いかねえ。まあ細部が少し荒いかなぁ"

中々失礼なことを賢者が言っていた事も思い出して、リリィはちょとだけ困ったを顔をする。


「ああ、父ピーン・ビネガーが画いたものだよ。

大雑把な性格だから私としては、もう少し丁寧に細部を仕上げた方が良いと思ったがね。

さ、シュト。行っておいで」

ウサギの賢者と同じような絵の見解の話をして、バンはシュトに"見舞い"に行くことを進める。


「――はい、アト。良い子でお留守番を頼んだぞ」

「はい!、アトはリリを"守って"良い子で、シュト兄の事を待っています!」

ネェツアークが着ていたコートを纏い、アトは元気に手を振った。


「シュトさん、いってらっしゃい。

あの、もしエリファスさんに会えたのなら、幸せになって下さいって伝えてください。

多分、直接会っていうのは私は出来ないと思いますから」

とても明るく澄んだリリィの声に、シュトは梯子に手をかけながら、ドクンっと胸が弾む。


賢者がそれなりに"シュトを思いやって造った道"を、自分で進むのを止めて、先が見えない筈の道を選んだのに、道の終着点が、まるで決めた決心を惑わせるように見える。


"人の姿をしながら、人でないエリファス"

"かつて忠誠を誓った主人の姿に似ていたから、自分達兄弟に優しかっただけのロック"


その目元は影で隠れながら口元だけは微笑む姿が、闇の中でまるで浮かぶように見えた。


《―――エリファスさんであって、エリファスさんではなくなるものを間近で見て、君は耐えられるかい?》

アトが着ているコートを纏いた、髪も瞳も鳶色の男が意地悪く、シュトの記憶の中なのに、まるで後ろから囁くように声が聞こえたような気がした。


(―――うっせーや、"悪人面のオッサン"がっ!!)


「ああ、見舞いのついでにエリファス師匠をみつけて、大好きな人と絶対幸せになって下さいって、言ってやるよ。

だから、何の心配もしないで待っててくれよなっ!」

いつも少し皮肉めいた笑みではなく、ニッと珍しく歯を剥き出して笑ってシュトは、梯子をギシギシと鳴らして、登り始めた。


(―――若き日の父の顔と、父の"場所"にいたはずの人の跡継ぎか)

曇天ながらも、暗闇と呼べない明るさを持つ地上へと向かうシュトを見上げながら、バンは"儀式"と"後始末"の無事を祈る。


そして、外套のポケットに手を入れて"鳶目兎耳"と敢えて名乗る賢者から頼まれて譲った、"コスモス"の種の残りを指で揉んだ。



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