【沛然(はいぜん)】
晩餐会も終盤に近い頃、烈しい雷鳴と大きな地響きと共に、ロブロウの地に雷雨が降り注ぎ始めました。
「おや、雨だ。しかも雷雨、これでは暫く屋敷に戻れないな」
前ロブロウ領主、バン・ビネガーがメインのイノシシ料理を食べ終えた頃、現在の領主邸の食堂の窓に、叩きつける様に雨粒が降り始めていた。
そしてゴロゴロと雷鳴が轟き、食堂の中が一瞬白い光に満たされ、
「きゃっ」
と言うリリィの悲鳴の後に、
"ドオオオオン"と大地を震わせ、領主邸も僅かに震わせる雷が落ちた。
「―――これは近いな」
そうグランドールが口にし、左横の席にいるアルセンを見ると、彼も形の良い眉を寄せて小さく頷いた。
「お嬢さん、雷は苦手かな?」
前の晩餐会の時、アプリコットが座していた主人席に今日はバンが座り、雷に悲鳴をあげた客人を気にかけて言葉をかける。
「はい、大きかったり、いきなりピカッとするのは、どうしても驚いてしまいます」
リリィが素直に答えると、前領主はそうかと、穏やかな笑みを浮かべ、手にしていたナイフとフォークを置いた。
「では、お客様のお弟子さんの御代りも食べ終えたようだし、デザートにしましょう」
烈しい雨も、大地を轟かす落雷も関係ないとばかりに、ルイがモグモグと3回目のイノシシ肉料理を、全て口の中に入ったのを確認し、バンは手元にある銀のベルを"チリン"と鳴らした。
執事長のロックの代わりと用心棒を兼ねているシュトが、食堂の入り口姿を現して恭しく頭を下げる。
「デザートを」
「畏まりました」
言葉短く指示の会話があって、再び食堂の扉が閉まる。
「アプリコットさんは、リリィさんより少し小さい頃は大層雷が苦手でしたね」
前領主夫人が、話題を出すように右横座るアプリコットに向かって語りかけた
「ええそうですね。母上」
仮面をつけて、礼装をしているアプリコットは言葉少なく答える。
「誰だって、幼い頃はそうではないですか?。
私は花火の大きな音が苦手な時期がありました」
アルセンが整った笑顔で話を円滑に進める言葉を選び、発する。
(もう何度目だろう)
アルセンの左隣に座るアルスは、前領主夫人が"悪意なく"といった雰囲気でアプリコットを"下げる"ような発言を幾度となく食事中の会話として、提供するのを目の当たりにした。
その度にアルセンが笑顔で対応して、別の話題にしてしまったり、それ以上アプリコットの"恥"にならないように切っ先を違う方向にしてしまう。
今回の晩餐会は人が増えた事と、昔ながらのロブロウの作法に則り、長テーブル主人席にバン・ビネガーが座する。
バンから見て右側に、男性陣グランドール、アルセン、アルス、ルイ。
左側に女性陣、前領主夫人、アプリコット、リコリス、ライ、ディンファレ、リリィの順番に座って晩餐会は行われていた。
そして万が一を兼ねて、ディンファレがリリィの横に座るという形になっている。
会話は主にアルセンと前領主夫人が行い、バンもアプリコットも話を振られては不手際がない程度に返事を返す。
「アプリコットは自慢じゃありませんが、男の子より男らしくて。上に2人兄がいるんですが、2人とも気が優しい男の子で、喧嘩なんかいたしませんでした」
「元気なのは、良い事です」
アルセンがそう答えた時、食堂の扉が開きシュトが数名のメイドを連れて戻ってきた。
主にメイド達が主人席側のデザートの配膳し、シュトはアルスやルイの場所にデザートを配る。
ルイが側に来たシュトにこっそりと耳打ちをして、ある事を尋ねた。
(なあ、シュトさんの他にも男の召使いっているんだろ?)
(?。ああ、いると言えばいるけれど)
客人の質問の意図が解らないが、シュトは正直に答える。
(じゃあさ、オッサン達の年ぐらいの眼鏡をかけた執事さんがいるだろ?。あの人はこういう仕事はしないわけ?)
ルイの言葉に、シュトは心底驚いた顔して、周りの様子を窺い、素早く返事を返した。
(男の使用人で、執事みたいな仕事をしているのは、ロックさんと俺と、アトだけだ)
互いに互いの発言に驚き、ルイも思わず目を丸くして、動きが止まった。
「シュト、どうかしたのか?」
バンが主人席から、客人の側で固まる執事見習いに声をかけた。
「いえ、何でもありません。失礼致しました、下がります」
シュトはルイに目配せをし、デザートを出し、下がる。
(じゃあ、あれは誰だったんだ?)
ルイは考える。
「わぁ、プリンにアイスクリームだ」
が、デザートに喜びを含んだリリィの声を耳にすると、そちらの方に気を取られた。
そしてルイも目の前にあるデザートに心を奪われて、眼鏡をかけた執事らしき男の事は、頭のかなり片隅に追いやられる。
「リリィ、良かったね」
アルスが笑顔を向けると、リリィもニッコリと笑った。
「そちらのお嬢さんが、落ち込む事があったらしいと竈番のマーサから耳にした。
なので、元気が出そうなものを頼んでおいて正解だったな」
笑顔で話す兄と妹のやりとりを見て、主人席のバンが豪華なデザートの理由を説明し、穏やかな笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
「家族を研修に連れてきた上に、過分な御配慮、本当にありがとうございます」
アルスが礼を述べた後、グランドールもバンに向かって頭を下げた。
「あ、ありがとうございます」
リリィもそれに続くと、バンは手をあげて"もういい"といった具合、礼を止めさせた。
「で、大人の方々は私が甘いのが苦手な事があって、シンプルなフルーツゼリーにして貰ったが構わないかね?」
「それはこちらも大変助かります。ね、グランドール」
上品に微笑みかけると、グランドールに至っては心から安堵した表情をする。
「だな。ワシも甘い物が苦手な方なので、本当に助かります」
アルセンは決して甘いものが嫌いな訳ではないが、ロブロウにくる道中や、つい先程もウサギの賢者によってガトーショコラを食べさせられていたので、正直甘いものは遠慮したい。
グランドールに至っては、根っからの辛党である。
リリィやルイを除いた面々には、爽やにとスッキリした甘い匂いが鼻孔をくすぐる桃のゼリーが並べられ、皆デザートの匙を手に取る。
「リリィさんは、本当に女の子らしくて可愛らしいわね」
不意に、前領主夫人に話しかけられてリリィは驚く。
驚いたあまり、口に含んだアイスクリームが少し気管に入ったらしく、リリィはコンコンと咳き込んだ。
「大丈夫?」
本当なら"大丈夫ですか?"とディンファレは声をかけたい所だが、ここでのリリィの立場は"研修に付いてきた妹"なので、普通の語り口で咳き込む少女を心配する。
白いハンカチを取り出しリリィに渡して、小さな背中をディンファレは優しく撫でた。
「いきなり話しかけるものではない。お嬢さんが驚くだろう」
バンが前領主夫人を諫めると、夫人もごめんなさいね、と優しく声に出してリリィに謝る。
「あの、私も、アイスクリームに夢中になってました。大奥様、大袈裟に驚いてしまって、すみません」
前領主夫人に丁寧に頭を下げ、リリィはディンファレにも、ありがとうございます、と礼を述べた。
「リリィさんは、本当に可愛いわね」
夫人は改めてリリィの事を誉め、笑顔を浮かべる。
前領主夫人とリリィの間には、4人もの人の隔たりがあるのだが、ただの客人の妹に対しては"可愛い"という言葉を強調しているように、アルスには聞こえた。
「ちょっとマズいですね」
敬愛する上司のそんな囁きがアルスの耳に入り、思わず整った横顔を見つめる。
アルセンも綺麗な笑顔を浮かべたままだが、言葉は限らなく平い、感情が乗らない物となって言った。
そして、隣にいるグランドールや、アルスにやっと聞こえる程度の大きさで言葉を続ける。
「私があまりにも話題に乗らない為、リリィさんに相手を変えたかもしれません」
これにはグランドールが、アルセンとアルスに聞こえる程度に舌打ちをした。
「相手を変えるって」
何となく判るが、アルスは言葉に出し辛い。
「リリィさんなら、大丈夫だと思いますが」
アルセンは囁くように言ってから、不自然にならぬようにゼリーを口に運ぶ。
アルスにも視線で
(食事の手を止めてはいけませんよ)
と諭して、アルスは少し慌ててデザート用のスプーンを手に取った。
「リリィさんは、お兄さんのアルスさんと、王都の近所にお住まいになっている賢者様のお家にいらっしゃるのよね?」
ロブロウに訪れる前、決めた設定はその通りである。
領主夫人も"来賓"の把握をする為の、王都側が用意した資料に目を通したのだろう。
「はい、そうです、大奥様。あっ、あの大奥様と呼んでも構いませんか?」
「ええ、構いませんよ」
前領主夫人は朗らかな声でそう答える。
「じゃあ、大奥様。私はお兄さんと、大奥様が仰るとおり、賢者様のお屋敷でお世話になっています」
リリィには話し相手となっている"大奥様"の姿も見えず、様子がわからず、少し"怖い"と言った感情もあった。
だけれども、隣にいる座ってくれている強く美しい女性騎士が、リリィの小さな手を握っていてくれていたので、心強かった。
晩餐会の前に一緒に風呂に入り、出たらウサギの賢者が消えていた時。
リリィの顔が風呂上がりのバスローブを羽織り濡れた姿のまま、一瞬に真っ青になった時。
ディンファレも、まだ髪は濡れバスローブを羽織ったままの姿で冷静に置き手紙を見つけてくれた。
ウサギの賢者からの手紙を読んだが、まだ不安で顔色が悪いリリィの両肩をディンファレが力強く掴む。
『私はウサギの賢者が殿のように、リリィ嬢の気持ちまでは助けられません。
けれど、私がロブロウにいる間、命に代えてもお守りします』
真っ直ぐな瞳で、互いに風呂上がりの濡れた髪をタオルで拭いもせずに、"命に代えても守る"なんて、11才の少女は言われた事がなくて、不安で寂しい気持ちは一瞬ではあるが拭われた。
その後は泣き出したい気持ちが出てきたりもしたけれど、ディンファレに"守ります"と言われた時の真摯な眼差しと、気持ちを無駄にさせてしまうようで、リリィは涙を堪える気持ちを持つ事が出来た。
ただ、男性陣と話した時にルイからの悪気のない一言で、リリィは思わず涙を流してしまったが。
(もう少し、ルイにはデリカシーを持って欲しいものだけれど)
そのルイは、ガツガツとリリィの倍以上のスピードでデザートを食べていた。
(人と人もそうだけれど、男の子が女の子の気持ちを理解するなんて、とっても難しい事なんだよ、リリィ)
不意にウサギの賢者が言いそうな言葉が、リリィの頭の中を過ぎる。
(ルイは、私を守ろうって気持ちは凄く持ってくれているですよね、賢者さま)
「リリィさんのお世話になっている賢者さんは、どんな方なのかしら?」
ディンファレに手を握りしめられ、晩餐会までの事を振り返り、丁度賢者の事を思い出した時、前領主夫人にも賢者について尋ねられたので、柔和で眼鏡をかけた大好きなウサギの姿を、リリィは思い浮かべる事が出来た。
「とっても、良い方です。凄く尊敬してるし、大好きです」
「あらあら。そんな言葉が出てくるなんて、余程素敵な賢者さんなのね。
それに、言葉使いもしっかりしている。本当に素敵なお嬢さんだこと」
前領主夫人から賢者の事も自分の事も誉められて、リリィは顔は赤くなり少しモジモシとする。
「女の子らしい、女の子で、お兄さんもご安心でしょう」
「はい」
リリィに話をするのかと思ってばかりいたが、前領主夫人は、今度はアルスに向かって話かけられて正直にアルスは戸惑って、ゼリーを掬う手が止まってしまった。
「うちのアプリコットは、先ほどもいった通り、この娘は女の子なのに闊達で。おしとやかな、妹さんが羨ましい限りです」
(ああ、こうきたか)
アルスはどう答えるべきかわからず、答えに詰まった。
アルセンみたいな社交性のスキルは17才のアルスにはまだないし、そしてリリィは本当の妹でもない。
もしも本当に兄と妹なら、後で妹に謝る事にして、妹が傷付かない程度の失敗談でも話して、アプリコットの事を"下げる"事無く会話を交わす事も出来るだろう。
しかしアルスには、リリィの了承もなしにそんな事は出来ないし、したくない。
「お兄ちゃん、でも、よく私も賢者さまから、
『リリィは、態度がたまに強気すぎるから、気をつけようね』って言われるじゃない。闊達って、強気って言葉の意味似ているよね?」
リリィが割って入って、口を開いた。
アルスが驚いて、空色の瞳で"妹"を見つめる。
それからアルセンの足元の方からコンコン、と言う本当に微かな小さな音がアルスには聞こえた。
「いや、違う。闊達は小さな物事にこだわらないという意味だ。
もしかして、リリィは活発と混ぜて覚えておらんかな?。
晩餐会が終わった後にでも、調べて言葉の意味を確認するといい」
更にグランドールが、なかなか長い返事で会話に入って来てくれた。
アルスがアルセン越しにてグランドールを見る。
大農家は一瞬だけ視線を親友の貴族に向け、コンコン、と先程と同じような音をルアルセンの足元から響かせる。
どうやら、リリィの言葉の後、アルセンが話をズラすチャンスだと気がついて、グランドールの靴先を小さく蹴って促したらしい。
「じゃあ、明日からオレとリリィはまたエリファスさんを先生にしてもらって、勉強だな!」
"リリィとオッサンが喋るなら、オレも会話に参加しなければ!"
といった勢いで、ルイもデザートの皿を空にして会話に入ってきた。
「ちょっと、ルイ君!。冷たいデザートなんだから、もう少しゆっくり食べないと体に悪いわ」
治癒術師の衣装を身に着けている以上、不健康な行動を見過ごせないリコも会話に入ってくる。
「体に悪いに、よぉ~」
どうしても会話の語尾に"にゃ~"とつけてしまうので、晩餐会前から極力喋らないと公言していたライまでも会話に入ってくれた。
(ああ、皆さん。自分を助けてくれているんだ)
最早会話は、アルスをきっかけに、"アプリコットがお淑やかではない"となりそうのものからは、かけ離れた物となっていた。
アルスは少しだけ胸が熱くなり、公に礼が出来ぬ代わりに女性陣の方に深く瞼を閉じた。
「次からは気をつけまーす。それはそうとさ、領主様、アプリコットさまは強くて、その格好いいですよね!」
ルイがリコの注意から逃げる為か、話題を変える。
それは幾度も領主夫人が否定的に話をだして、逸らし続けていたアプリコットの話。
逸らし逃げてばかりの"話題の主・アプリコット"だったが、ここでは初めて「肯定的な言葉」でルイによって出される。
その"肯定的なアプリコットの話"にリリィが早速乗った。
「うん、凄いよね!。短剣の使い方や魔術とか。
魔術は異国のも使えるなんて、私憧れます」
「―――ありがとう」
ルイとリリィの言葉の後、晩餐会でアプリコットは静かに口を開いた。だがいつもの軽快な言葉な語り口ではなく、声も小さい。
そして王都からの面々が意外と思える反応の1つは、前領主夫人の反応。
「―――アプリコットさんが誉められた」
そう呟いた、前領主夫人の顔は"破顔"、笑った。
もうそれは、心の底から嬉しそうな笑顔で小さく頷いた。
生憎リリィの席から前領主夫人の顔は見えない。
だが男性陣、特に表情をあまり変えないグランドールまでが、驚いた顔をし、事態が変わったのが、伝わった。
「リリィさん、アプリコットさんは一体どんな、異国の魔術を使ったのかしら?」
前領主夫人の声は弾むような響きをもって、リリィに届き、
(大奥さまは、喜んでいる)
と言う事にまた驚いた。。
「えっと、私が見せてもらったのは何か御札を使った術でした。
遠くから見ていて、詳しくはわからないんですけど。
長い四角の御札ピッピッと切れて人の形になって。
その紙に、この国の精霊術みたいに呼びかけて、異国の神様を降ろしていらっしゃいました」
リリィの話を聞くと、前領主夫人は自分の手を胸の前に合わせ、更に喜びの声を上げた。
「まあ、その術は確か!。アプリコットさん、あなたは昔、私が話してあげた、私の御婆様の異国の術を覚えていてくれたのですね」
「ええ、母上そうです」
「シネラリア、アプリコットが認められて嬉しいのは分かるが、少し落ち着きなさい」
アプリコットがまた小さく答えた後、前領主のバンは妻の名前を呼んで、諫める。
「ああ、皆さんごめんなさい」
シネラリアはバンからされた注意を素直に受け取り、セリサンセウム王都から来た来賓達に頭を下げた。
皆、笑顔で前領主夫人の"アプリコットがほめられる"のを喜ぶ姿に嫌悪感など抱かなかったので、誰となく笑顔で構いませんと、シネラリアの謝罪を快く受け取る。
ただ前領主夫人・シネラリアのこの態度で、様々な思惑を乗せた視線が、交錯する事態にもなった。
(どうも、何かが違う)
叩きつけるような雨が降る前、旧領主邸で調査をしている賢者ネェツアーク・サクスフォーンが感じたような齟齬を、現領主邸でアルセンも感じていた。
それは他の王都から来た一行も似たようなものがあるらしいが、内容は口に出すのを憚る事でもある。
(大奥様は、アプリコットさまの事が好きなの?。でも、それならどうして、アプリコットさまの事を悪く思われる事ばっかりを、お話に出されたのかしら?)
リリィが心で考えたような気持ちが、王都から来た一行の中にあった。
「―――すまないが、領主殿、大丈夫か?、どうも、顔色が悪いみたいだが」
不意に、グランドールがの低い声が食堂に響く。
視線はグランドールに集まった後、アプリコットに集中する。
次の瞬間にはアプリコットはゆっくりと、テーブルに突っ伏した。
今まで気を張って我慢していたのか、突っ伏した瞬間からアプリコットのハァハァという荒い息づかいが、食堂に響く。
これには治癒術師たるリコが機敏に反応して立ち上がり、アプリコットの元へ駆け寄った。
「失礼します」
リコがアプリコットの脈を取る。
食堂にいる一同はアプリコットの元に駆け寄る。
「シュトさんに連絡して来ます。リコさん、よろしくお願いします」
「分かりました!」
心配する集団から、比較的落ち着いているアルセンが食堂の入り口へ向かい、外に控えていたシュトに詳細を話す。
「領主殿が休めるように、部屋の支度を頼みます。こちらの治癒術師が領主殿を診てはいますが、ロブロウ側の領主殿の主治医さんにも連絡を」
「はっ、はい」
シュトは動揺しながらも、指示を受けて屋敷の廊下を走る。
そして見習い執事の姿が廊下から見えなくなった時、アルセンの視界に懐かしい人が視界に入る。
(―――"エリファス")
「エリファ―――」
アルセンが呼びかけた時、食堂で大きな音がしてアルセンは振り返る。
「グランドール?!」
アルセンが驚きの声を出すと、アプリコットを横抱きに抱えたグランドールが、食堂の入り口にまでリコと共に来ていた。
「アルセン様、とりあえず領主様を楽な場所に移して休んで貰おうと思います。グランドール様、お願いします」
グランドールがアルセンを見つめて、アルセンは深く頷く。
「私はこちらで、前領主様達と待っています。グランドール、リコさん、落ち着いたら、連絡お願いします」
リコはアルセンに頭を下げ、グランドールに
「なるべく揺らさないように」
と指示を出しながら、アルセンが先ほどエリファスを見かけた場所の方へと行ってしまった。
食堂には不安そうな顔をしたリリィに、それを励ますアルスとルイ。
ディンファレとライは何やら話し合っている。
そして"娘"が抱えられて出て行った入り口を見つめる、前領主夫妻がいた。
「アルセンさま」
リリィがアルセンの元に駆け寄ってくる。
そしてアルセンと同じ緑色の瞳に、リリィは涙を溢れさせて尋ねる。
「アプリコットさま、大丈夫でしょうか?。お昼に、私を助ける為に無理をなされていたんでしょうか?」
昼間の一件を知っているアルセンに、リリィは原因は自分を助ける為にアプリコットが無理をした為ではないかと尋ねたいらしい。
アルセンが共にその一件を目撃していた、ディンファレとライを見るが、彼女らにもアルセンにも、それが原因かどうか判るはずもない。
2人とも静かに首を振っていた。
「そんな事ないと思いますよ。大丈夫ですよ、リリィさん」
確かな事は言えないが、アルセンも励ます為にしゃがみこんで、少女に目線合わせ、頭を撫でる。
だがまだリリィの不安は拭えないらしく、堪えきれず、アルセンに抱きついていた。
流石のアルセンも危うく尻餅をつきそうになるが、何とかこらえた時、耳元で震えるリリィの声が聴こえてドキリとする。
「賢者さま、私を助けた後いなくなっちゃったから、アプリコットさまも、姿を見せなくなっちゃうのかなって。2人とも、私を助ける為に、難しい、魔法を使って、たから」
ヒックヒックと息をつきながらも、周りには聴かれたくなかったのだろう。
リリィはウサギの賢者の昔からの友人であり、大人として信頼出来るアルセンにだけ、自分中で膨らみ広がる不安を話す事が出来た。
そんな様子をアルスとルイとディンファレは、痛ましいといった様子と
(まだ自分ではリリィに頼っては貰えない)
という不甲斐なさ綯い交ぜにして見守っていた。
「―――大丈夫。アプリコットさんの体調が悪いのは私達ではどうしようもないし、仕方ないことです」
アルセンは落ち着いた声で、自分に抱きつく再従兄妹をギュウっと抱きしめ返す。
柔らかい薄紅色の髪が包む頭をポンポンと優しく撫でる。
アルセンに与えられる"安心感"を全てリリィに与えるような、そんな優しさが溢れているのを周りも感じとっていた。
リリィの11年の人生の記憶にある中でも、おぶざけとかではなく、相手を思いやって"大人"に抱き締められたのは初めてだった。
昼間、アトに守られたのとはまた違う力強い"優しさ"に満ちたアルセンの抱擁だった。
リリィは安心して泣ける有り難さというものを、細いように見えても意外としっかりとしたアルセンの腕の中で、泣きながら学んだ気がしていた。
そして"ヒック、ヒック"と続いていた、リリィの嗚咽が止まった時、アルセンは抱擁を解いて、少女の両肩をしっかり掴んで、ニッコリと笑う。
それから少し茶目っ気を出したのか、日頃では絶対しない事をする。
右手の白い手袋を口で啣えて引っ張って外し、素肌の白い手で、無造作にポケットに突っ込んだ。
アルセンは今まで幾人の淑女達が触れる事に憧れただろう、生身の白い指先で、リリィの目元にまだ残る涙を払い落とす。
リリィの緑の瞳には漸く、いつもの"強気"さが戻ってきているのにアルセンは気がつき、残りの弱気を飛ばす為に発破をかける。
「リリィさん。あの"ウサギのぬいぐるみの為の涙"はもったいない事この上ないですよ?。
それに、強気が自慢なリリィさんが泣いているとは、貴女に会える事を待っているウサギのぬいぐるみは、考えもしてないと私は思います」
前領主夫妻がいるので、表立った事は言えないが、"ウサギの賢者"という"存在"を知って理解している者としてのアルセンの言葉は、スッとリリィの心の中に入ってくる。
(泣いていたらダメだ)
リリィの瞳にはっきりと芯が通ったのを、アルセンはしっかりと確認してから、
「その調子です、リリィさん」
と少女の小さな手の甲にキスをした。
ルイが、"ああっ!"と悲鳴に近い声を上げて、ディンファレは眉間に縦皺を刻み、アルスは、"おおっ!"と感動(?)で目を丸くし、ライは欠伸を堪えている。
そして丁度、アルセンがリリィの手の甲にキスをした所にグランドールが食堂の扉を開き、戻って来て大地の色をした瞳を丸くしている。
「おや、グランドール。戻るのが、早いですね?。その分だと領主殿は大丈夫なんですか?」
アルセンはしれっと言って立ち上がり、リリィの頭を軽く撫で、先程外した白手袋を填めなおした。
「領主殿を楽な格好をさせる為に、礼装を脱がさんといけなかったんでな。
頼まれた分が終わって、ワシだけ戻って来たわけだ。今はリコリス嬢とシュトがついている。それにしても、アルセンは相変わらず女性を口説き落とすのが、早いようだ」
グランドールが自分の状況を説明した後。
さっぱりとこちらの状況が掴めていない大農家だが、とりあえずアルセンがリリィに"手を出した"と結論がでた。
「悲しむ女性を慰めるのは、今や軍人でも紳士の嗜みとして必要らしいですので」
アルセンは全く必要ないと考えていた、最近の新人兵士の教育にも組み込まれている"紳士訓練"だが、少し考えを改める事にした。
紳士訓練を考案したのは、アルセンを何かとライバル視するロドリー・マインドというやはり貴族で軍人である。
アルセンとは、同年で何かとライバル視されている、蛇の様な印象を持った人物。
最近は"軍人"にしては些かピンとずれているような訓練を考案しては教育の現場に出る方アルセンの方は、しなやかな首を傾けていた。
(軍人と言えども、まず"人"なんですよね。紳士かどうか解りませんが、悲しんでいる人がいるなら、慰める余裕がある"軍人"を育てたいものです)
そしてグランドールの後ろにいる人影に、アルセンは気がつく。
「"御館様"、領主様の体調の報告にあがりました。それともう1つ」
前領主バンをそう呼ぶのは、ロブロウの領民だけである。
入り口を塞いでいるように立つ、大男でもあるグランドールに隠れて、見えなかったが領主の臣下が報告に上がって来た。
「おお、すまんな」
グランドールが場所を空けると、臣下は頭を下げてバンと元へと早足で進んだ。
小声で、領主であるバンと領主の母であるシネラリアに報告をする。
その2人の顔が安堵して息を吐き出すのが、王都からの一行にも見て取れた。
それからバンは苦笑いを浮かべながら、食堂にいる面々に報告をする。
「皆さん、どうやらアプリコットは礼服が合わなくて、胃を圧迫していただけの事らしい。本当に申し訳ない」
「ぶっ!」
バンが言う内容に、ルイが思わず噴き出すが、誰もこれは非礼とは受け取らなかったし、緊張していた雰囲気を解きほぐすには充分な出来事となる。
「これは本当に噴き出されても、仕方がない」
やんちゃなルイの事をあまり気に召していない前領主も、今ばかりは彼の笑いで場が和んだ事に感謝しているようだった。
「食事も殆ど終了していましたし、御館様、晩餐会は終わった事に致しましょう」
シネラリアがバンに進言すると、前領主はその提案に頷く。
自然と王都から来た一行は、同じ場所に集合するような形になっていて、バンは来賓達の方を向いた。
「パドリック卿、マクガフィン卿。晩餐会のもてなしが、こんな形になってしまって、申し訳ない」
バンが深く頭を下げ、グランドールもアルセンも同じ様に下げ返して、前領主の言葉を静かに受け入れる。
「領主様が何事もなくて、良かったです。それでは私達は部屋に戻る事にします」
アルセンが代表して返事をし、礼を行い、食堂の出口に一行は向かった。
殆ど皆が剣を所持しているので、安置場所に集まり各々剣を取る。
アルセン、グランドール、ディンファレが剣を帯剣しつつも、まだ食堂に残るロブロウの臣下とバンが何かを話している姿を確認する。
(他にも何かあるな)
(ですね)
まずグランドールとアルセンは目配せをして、示し合わせたようにディンファレを見ると、彼女もコクリと小さく頷いていた。
ディンファレが僅かに剣の柄をずらして、カチャリカチャリと2度鳴らす。
すると晩餐会中は、大人しく少しも誰とも視線も会話も交わさなかった、ライが口角をニュッと上げた。
「ワチシはリコにゃんもいない事だし、先に帰ってお休みするにゃー」
自分の独特な口調を前領主夫妻には聴こえないようにし、王都一行に先に休むと告げ、帯剣をしてないライは先に行ってしまった。
ライが行ってしまった後、ルイが今更気がついたとばかりに声をあげた。
「あれ、思えばリコさんは晩餐会に剣を持ってきていなかったよな?」
ルイが自分の短剣を腰の付属つけながら、同じく大剣を身に着けているグランドールを見上げながら尋ねた。
「治癒術師はな、武器を装備しちゃならんのだ」
ガチャンと大きな音をだして、グランドールはしっかりと大剣を装備した。
「へー、そんな決まりがあるんだ」
ルイが目をパチクリとしてリリィを見ると、彼女も初めて知ったらしく同じ様に緑色の瞳をパチパチとしていた。
するとリリィの側に立つディンファレが説明を補足する。
「決まりというよりは、武器を装備するだけで、治癒術師としての能力が半減してしまうのだ。
だから、治癒術師として任をおっていたり、その礼服を身に着けてる場合は、武器を装備出来ない」
「そっか、治癒術師なんですもんね、人を癒やすのが、仕事なんですよね」
リリィが感じいる様子で、ディンファレの言葉を聞いてから、ふと思い出したようにアルセンを見詰める。
「リリィさん、どうかしましたか?」
アルセンは早々に愛用の細剣を身に着けており、優しい笑顔をリリィに向ける。
「あの、連絡はまだ来ていませんか?」
それでリリィが、"ウサギの賢者"の連絡を心待ちにして待っているのにアルセンは気がついた。
「それでは、食堂を出てからにしましょう。来賓の私達がいたら、いつまでも片づけられませんからね」
そんな事を言いながらアルセンが食堂の主人席の方を見ると、食堂の後ろのドアから前領主夫妻が臣下を連れて出て行く所を確認した。
リリィはアルセンの言葉を聴くと、まるでご褒美を与えられる子犬のように目を輝かせて頷いた。
それからディンファレから差し出された手を繋ぎ、一番乗に食堂から出て行く。
「アイツはいい加減に思えたが、何だかんだで大層リリィに愛されているのぉ。
あんだけ想われてるんだから、それなりに、リリィを大切に育てているんだろうな」
グランドールが感慨深そうに言って、親友の肩を叩いた。
アルセンは叩かれた肩に、白い手袋を嵌めた手を回して少し複雑そうな表情を浮かべる。
そんなウサギの賢者ネェツアークを慕うリリィの姿を見ると、アルセンはの怒りの感情もが湧き上がる。
(こんなに大切に思われているのに。ネェツアークは本当に少しは、リリィさんの気持ちを考えて欲しいものです)
そんなアルセンの気持ちを察したのか、グランドールは苦笑してイタズラするみたいにアルセンの晩餐会ように整えてあった金髪をクシャリて崩して、先に出て行く。
そんな様子を2人の教え子と弟子である、アルスとルイが心底驚いて眺めていた。
「アルセン、相変わらずお前は何事に対しても真摯過ぎる。もちっと、力を抜け」
先に行ったグランドールが、少しだけ振り返ってアルセンに言葉をかけてまた先を行く。
「あっ、オッサン待ってくれよ!」
ルイは目配をして、アルスが頷いたのを見てからグランドールの後を追いかける。
「あの、アルセン様?」
アルスが恐る恐る声をかけるて、アルセンが盛大に溜め息をついて、教え子は大層驚いた。
アルセンはグランドールから整えてていた前髪を崩されため、淑女達を虜にする美しい眼差しは隠れていた。
「生真面目にやっていたら、いけませんかねぇ」
少しだけ忌々しそうに言ってから、アルセンは髪を掻き上げた。
そうすると、眉間に皺があるが、いつもの髪型のアルセンでいるのでアルスは笑う。
「自分はそんなアルセン様を、尊敬していますから、そのままでいてください」
アルスの天然ぶりを発揮した言葉に、アルセンは思わず噴き出した。
(この"子"はどんな私でも、受け入れてしまいそうで、嬉しい意味で少し怖いですねぇ。ありがとう、アルス)
敢えて礼を言わず、そして弟のように感じている教え子の頭をポンポンと、アルセンは撫でた。
「アルセンさまー」
リリィの呼ぶ声が聴こえる。
「行きますか」
少しだけ困ったような笑顔のアルセンを不思議に感じながらも、
「はい」
と、アルスは明瞭に返事をして、最後の2人は食堂を出た。
丁度アルスとアルセンが先に食堂を出た一行に追いついた時、稲光が光り、リリィがキュッと目をつぶる。
そして、"ドォオオオン!"という音と共に、何度目か分からない落雷。
少しだけ足元が揺れる程の強い落雷に、ディンファレは手を繋いでいるリリィを気遣う。
「リリィ嬢、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。わっ、私に雷が落ちるわけではないですから!」
なかなか極端な例えを出した少女にディンファレが、苦笑だけし、更に守るように、リリィの側に寄り添った。
ディンファレだったら、もしも落雷があったとしても、リリィを抱えてよける事ぐらいは本当にやってのけそうにも見える。
「さて、こんなに雨が降っていますけれど、帰り道はどうなるんでしょうか?」
食堂に来る為に、中庭を通った事を思い出したアルセンがその場所につく前に、問題提起する。
「あ、そう言えばそうですね」
アルスがそう受け応えたなら、一斉に足が止まる。
足が止まったのは、丁度色んな道に繋がっていそうな屋敷の広場。
恐らくアルセンはこの場所は色んな通路に繋がるだろうと、見越し、ここで発言したのだろう。
「ワシは濡れてもいいから、早くこいつを脱ぎたいのぅ」
グランドールが立派な群青色のマントを摘みながら、少し疲れたように言う。
その発言に反応したのは、ディンファレだった。
「国最高峰の仕立て屋兼服飾師キングス・スタイナー氏が作った"英雄・大剣のグランドール"の衣装です。
そしてそれは国民の税金で作られた、"官品"扱いです。雨に濡らしても良いなんて発言は控え、大切に扱って頂きたい」
ディンファレが少しだけ冷ややかな視線を投げかけた。
グランドールは苦笑して、すまないと一言言って広場から見える窓を見た。
「先程の領主殿の事がありましたから、雨の日の回り道の案内役にまで、ロブロウ側も対応が出来ていないんでしょう。
それでも、領主殿の容態は軽いようでしたから、その内シュトさんが走ってくると思います。
それに雨に濡れたら、私もキングスに作って貰った服を濡らす事になってしまうので、暫くここで待ちましょう」
どうやらアルセンの式典用の軍服も、グランドールと同じ仕立屋によって手がけられているらしい。
アルセンの提案に誰も異存はなかったが、リリィが何か思いついたらしく、小さく手を上げた。
「アルセンさま、ライさんはどうしたんでしょうか?」
「ライなら、心配ありません」
リリィの質問に答えたのは、彼女と手を繋ぎ真横にいるディンファレだった。
「彼女は鼻が効くから、雨に濡れない通り道を自分で見つけた事でしょう」
「そんな犬や猫じゃないんだから」
ディンファレの発言にはルイが驚いて、目を丸くしていた。
何が面白かったのか、ディンファレは目を丸くしたルイを見て、綺麗な笑顔を浮かべた。
年頃のルイやアルスには充分魅力的な笑顔で、ルイは少しだけ赤くなり、アルスは思わずディンファレを見つめていた。
教え子と弟子があっさり美女に"陥落"をされるのを見て、アルセンとグランドールは苦笑する。
「―――アルス、あんまり女性の顔を見つめすぎるのは失礼になりますよ。見つめていたいのは、わかりますがね」
アルセンが耳元で、小声で"忠告"する。
アルスがビクリとし、激しく瞬きをしてからスミマセン、と思わずアルセンに向かって頭を下げていた。
教え子は酷く照れていたので、アルセンは違う話題を提供する事にした。
「ああ、そうだ待っている間に。リリィさん、ウサギと連絡をとってみますか?」
「はい!」
リリィが横にいるディンファレを見上げると、先程の続きのように微笑みを浮かべたまま、女性騎士は手を離してくれた。
「さて、話せるといいのですが」
アルセンが通信機のスイッチを入れると、ガガガガーという雑音から始まって、向こうの不具合なのか会話するには前途多難さが伺えた。
リリィの表情が見る間に曇る。
「天気も、関係あるかもしれんなぁ」
グランドールが励ますようにリリィに気遣って、言葉をかけた。
「もしかしたら、ウサギにはこちらの言葉は聞こえているかもしれませんから、何か呼びかけるだけしてみたら如何ですか?」
アルセンの助言にリリィは従う事にする。
ガガガガと音を立てる通信機に向かって、少女は呼びかける。
「賢者さま、リリィです。晩餐会おわりました。色んな事があったので、お話を聞いて欲しいです。
早く、賢者さまの調査が無事に終わって、帰ってきたなら、ぬいぐるみの時みたいにギュウッと抱きしめたいです。
どうか、賢者さまに、私の声が聞こえていますように」
リリィが喋る間も通信機はガガガガとしか言わなかったが、少女は真っ直ぐに語りかけていた。
「やれやれ、何気にあの人は女性泣かせですね」
アルセンに言われて、リリィは少し緩みかけていた気持ちを引き締めた。
「あ、皆さん!」
その時食堂の方から、声がする。
「良かった、皆さんここでお待ちになっていて下さっていて、助かります!」
執事としての上着を脱ぎ、胸にかかるホルスターと銃が剥き出しの格好のシュトが、多少雨にも濡れたらしい姿で王都一行の方へと走ってきた。
王都からの代表者であるアルセンの前で止まり、お待たせしました、と頭を下げる。
「シュトさんは濡れていますが、領主さんの主治医さんを外まで迎えに行ってのですか?。いや、そうとしたら、こちらに来る時間が早すぎますね」
アルセンが懐からハンカチを取り出して、シュトに渡した。
「あ、ありがとうございます。実を言えば、俺は、じゃなくて、私は外にすら出てないんですよ。
主治医さんが来て、迎えに領主邸の勝手口の扉を開けただけでも、雨と風で上着はびしょ濡れになりました」
シュトは顔についた水滴を、ありがたくアルセンのハンカチで拭わせて貰った。
「雨と風、そんなに強いんすね」
シュトの話を聞いて、ルイが自然の力強さに感嘆の声を上げる。
頑丈な領主邸の中では、凄まじい雨音と雷鳴だけで済んでいるが、外は相当なものとなっている。
そしてウサギの賢者・ネェツアークが"外"に出ているのを知っている 2人、グランドールとアルセンは本当に少しだけ、お調子者で不貞不貞しい友人を心配する。
「実はエリファス師匠が用事があるからって、この雨の中、ちょっと外に出ているんで」
唐突にシュトが発言した。
何をどうこうそれ以上は言わないが、明らかにグランドールを意識しての発言だ。
グランドールは何かを喋ろうと口を開きかけたが、結局口少し開いただけに留まった。
そして―――
「こんな雨の中、エリファスは大丈夫なんですかね」
グランドールが言うべき言葉を吐いたのは、アルセンだった。
アルセンと面識が浅いシュトは大層驚いて、金髪の美しい紳士を見つめる。
「パ、パドリック様はエリファス師匠をご存知なんですか?」
「アルセンで構いませんよ、シュトさん。ええ、彼女と私はグランドールを通しての知己です」
知己という知り合いとも親友ともとれるそんな表現をして、シュトの質問にアルセンは綺麗な笑顔で、淀みなく答える。
これには王都一行からも、驚いた雰囲気が広がった。
だが、誰もがどうこう口を挟めない状況でもある。
「お弟子さんに心配をかけるとは、エリファスもまだまだですね。
シュトさん、とりあえず一度に部屋に帰らせてください。
エリファスを探すのを手伝うのは、吝かではないですが、服が動き辛いので」
シュトが驚きながらも分別を思い出し、首を激しく横に振った。
「いいえ、お手伝いなんて!とんでもないです。あ、雨に濡れない道をご案内します」
シュトが本来の役目をこなす為に通路を案内する為、動く。
「―――アルセン」
グランドールが先に行くアルセンに声をかけた。
「部屋で、話します。グランドール」
その時、また稲光が瞬いた。
アルセンは足を止めずに、エリファスが姿を消した日の事を思い出す。
(貴女は雨の日に姿を消すのがお好きですね、エリファス)
丁度今日のような沛然とした雨が降る日。
グランドールが、エリファスに"家族になろう"と求婚したその日。
『アルセン、グランドールの事をお願い』
土砂降りの中で泣きながらも、
『傭兵・銃の兄弟エリファス・ザヘト』
として、アルセンに屋敷に訪れた彼女に親友の事を頼まれた。
(エリファス)
親友の名前を今一度、アルセンが心の中で呼んだ時、とてつもなく大きな落雷がロブロウの地を揺るがした。




