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【attempt rabbit】

ウサギの賢者・ネェツアーク・サクスフォーンは、夕闇に溶けて1人、来賓の客室から抜け出して、旧領主邸に向かう段取りになっています。




"ザッ"と音を立てて、ネェツアークは久しぶりに靴を穿いた状態で大地に足を着ける。

(土の匂いがする。雨が降るな)

ルイと同じように、雨樋を伝って客室の窓から屋敷を抜け出した賢者は空を見上げると、夕闇でも黒く厚い雲と湿った空気を確認する事が出来た。

雨から通信機から聴こえたリリィの泣き声を思い出してしまい、ネェツアークの胸を締め付ける。

(しかし、リリィがあんなに泣くとは思わなかったなぁ。あの子の母親なら、"勝手に消えんな!オッサンウサギがあっ!"ぐらい言うだろうに)

長い器用な指で鳶色の髪をボリボリと掻いてから、軽く溜め息つく。

(いや、母親、娘ではないか。言い訳にしかならん。とりあえず、ウサギに戻ったなら、リリィに謝ろう)

それからネェツアークは、親友の仕立ててくれた愛用のロングコートを翻して、疾走を始める。

旧領主邸までの決められた舗装されたされた道を通らず、"一直線"に向かう。

ストレートに向かうとなると、丘の上にあるので、当然、途中に壁のような崖があったり、普通には進めないような道のりになる。

しかし、姿がウサギの頃のままのような"バネ"と人の身体に戻った身長を遺憾なく使って、スイスイと進んでいく。

「よいしょっと」

時折"オッサン"らしい掛け声を出しながら、近道になりそうな木があれば跳躍して枝に捕まり、懸垂の要領で体を持ち上げて一気に崖を"駆け上がった"。

「到着♪」

軽く息は弾むが、ネェツアークは普通に向かう3分の1程度の時間で、旧領主邸に着くことが出来た。


「さて、リリィ達は今頃晩餐会―――ん?」

胸元にしまっていた通信機が、チカチカと光っていた。

先ほどは通信機で女性陣から"フルボッコ"なる仕打ちを受けたネェツアークにしてみれば、少しだけドキリともする。

もしかしたら緊急の用かもしれない。

だが、懐中時計を取り出して時間を確認すると、晩餐会はもう始まるという時間は過ぎている。

「連絡は後にするか」

とりあえずネェツアークは、2人の旧友と目論んだ"調査"を実行する事に専念する。


『―――今回の晩餐会は、王都から王族の私が来たと言う事と、英雄が2人と言うこともあって前領主とその夫人も参加するとの事です』

アルセンが来賓室で、風呂上がりの濡れ髪をタオルで拭きながら、組み手でティーテーブルとイス3脚を倒していたグランドールとネェツアークに正座をさせ、説教をした後、晩餐会の段取りの説明を話してくれたのを思い出す。


『ルイ君が探索した中庭を、ネェツアークの視線でもう一度丹念に探索をお願いします。アルスの見たという夢の話の符合も気になっているので、調べてください』

痺れる足を堪えつつ、アルセンの指示をネェツアークが聞いた後に、同じく足が痺れているグランドールからも説明された事があった。


『この前の早朝にルイが旧領主邸から持ち帰った、枯れた植物があっただろう。

あれはコスモスだ。今は時期ではないから枯れているみたいだな』

(さて、調べ事がいっぱいだな)

『旧領主邸は先代の領主と夫人しか基本的に暮らしていないので、2人がいない晩餐会が調べるチャンスとなります。頼みましたよ、賢者ネェツアーク』


何やかんや言いながらも賢者を信頼しているアルセンの眼差しを思い出し、軽い足取りで、先ずは中庭に向かう。

(中庭でアルス君の見た回廊と、枯れた"コスモス"を見るとしますか)

そして早速、賢者ネェツアークは様々な事やモノに遭遇する。

「う~ん、罠や仕掛けのオンパレードになってるね」

中庭と屋敷を隔てる回廊を入り口を筆頭に、様々な獣駆除や罠が張られていた。

次にネェツアークはウサギの姿の時にもかけている眼鏡を、中指でスッと少し上げて"視界"を切り変える。

そして獣の罠の仕掛けから重ね合わせるように、魔法による罠が仕掛けられていた。

「前にルイ君が侵入したのもあるだろうけれど、これはやりすぎだよね。"君"も、そう思うでしょ?」

当たり前のように語りかけるネェツアークの長いコートを、半透明の幼い少女が握りしめて立っていた。

最初から少女同行していたが如く、驚きもしないでコートの中から愛用の投げナイフを数本取り出す。

「私は君も庭に入れるようにするから、助けて貰えるかな?」

ネェツアークが庭を見つめたまま色んな算段をしながら言うと、少女はコートを握りしめたままコクリと頷く。

「よし、じゃあ私は"罠を壊さずに突破"する方法を先ずはするから、君は"外す順番"を教えて貰えるかな?」

少女はネェツアークのコートを掴んだまま、またコクリと頷いた。

「では、協力して貰う精霊さんを呼び出しますか」

ネェツアークが器用に5本のナイフを空に向い、右腕を伸ばし、投げた。

「魔力の無駄遣いはしたくはないが、前呼び出した"人"が契約を弄ってるな。全てを呼び出さないと、盟約違反になって駄目か」

少しばかり眉を潜めながら、ネェツアークは魔術を続ける。

ナイフの後ろには細いが頑丈な錦糸が繋がっており、糸の限界がくるとピタリと(くう)で止まる。

「さて、腕が落ちてないといいが」

ナイフが空に止まった瞬間にネェツアークは軽く緊張して呟き、伸ばした右腕の先にある5本の指に添うようにある、ナイフに繋がった糸に神経を集中させる。

「さあ、来ておくれ、異国の風の恩恵と畏怖を教えてくれる精霊さん!」

器用自慢の五指をネェツアークは巧みに動かし、5本のナイフはヒュンヒュンと音を慣らしながら絡まる事無く空を舞う。

ネェツアークは器用にナイフを操りながらも、精霊に語りかける文言を口の中で唱え続け、次なる手段の為に左手をコートの中に入れようとする―が、それを一度、ピタリと止めた。

そして初めてコートを握りしめる少女に、ネェツアークは鳶色の瞳で視線を向けて、微笑み、透けているはずの少女の頭を優しく撫でる。

「大丈夫、このオッサンに任せておきなさい」

賢者の言葉に、縋るようにコートを握りしめる少女の力が少し弱まったのを感じて、ネェツアークはまた空に回せているナイフに集中した。少女を撫でていた左手を懐に入れて、水晶を研磨してつくられた、術の為に使う透明なナイフを取り出す。

やがてナイフが舞う残像が―――"五芒星"の形を描いた。

「仕上げだっ」

ネェツアークは五芒星を描いていた器用な五指をギュッと握りしめて、5本のナイフは空で金属音を響かせて1つに纏める。

「さあ、来ておくれ"鎌鼬"!」

そう言って、ネェツアークが右手首を捻ると5本のナイフは纏まって、綺麗な円を描き、五芒星の5つの頂点を通り過ぎて、五芒星の魔法陣が完成した。

次の瞬間に、ブワッと旋風が3つ、ネェツアークと半透明の少女の前に現れる。

3つの旋風に向かって、左手に準備していた水晶のナイフをネェツアークは投げた。ナイフは風圧の影響を受ける事無く、跳び、五芒星の中央に刺ささり空で止まった。

すると一層激しい風が吹き荒び、ネェツアークがしゃがみ半透明な少女を風から庇った所で、暴風はぴたりと止む。

「"異国の地ながら、呼びかけに応えてくれた事を感謝して、この石を捧げよう"」

風が止まった事を確認してからネェツアークは立ち上がり、五芒星の魔法陣を描いた場所の下を見て、

「成功だが―――偉く愛らしい姿でいらっしゃったな」

思わずと言った感じで呟いた。

そこには赤茶けた体毛、細長い体に、短い手足、フサフサの長い尻尾をもった(いたち)が大中小と、3匹が、つぶらな瞳をパチパチとしながらちょこんと行儀よく並んでいる。

ただ一般的な鼬と違う所と言ったら、1番体の大きい鼬が短い手に手袋を嵌めて、2番目は短い手に"鎌"を構えて、3番目は体と同じくらいの大きさのツボをを抱えていた。

予想外の可愛い姿に、呼び出した賢者自身が驚いているとコートを半透明の少女にグイグイと引っ張られる。

「ああ、ごめん。君は早く庭に入りたいんだよね。じゃあ、順番を宜しく頼むよ」

半透明の少女はコートを握りしめたまま、罠だらけの中庭の入り口に進み、コートを握られたネェツアークもそれに付いて行く形となる。

鎌鼬3匹は召喚者であるネェツアークに従って、後ろに付いてきていた。

一番最初の罠を前にして少女が動きを止め、ピッと小さな人差し指をある場所に指した。

「そこが一番"最後"の罠の仕掛けられた場所なんだね」

ネェツアークが確認すると、少女が頷いた。

「じゃあ、外す順番を先に簡単に教えて貰えるかな」

少女は頷いて、人差し指をゆっくり順番にさして行くのをネェツアークは記憶して、"罠を壊さずに" 解除する為の"足場"把握していた。

「こういう時は、ウサギの体が便利なんだけどなぁ。あっ、でも君がいるから、こっちでも不便ないかな」

そう呟いて、少女に示された場所、解除する為のスペース、その時に使う時間をシュミレーションしながらネェツアークは足首や手首を回して準備する。

そして目配せをすると召喚した鎌鼬達が、賢者の側に並ぶ。

最初に1番大きな鎌鼬、2番目に鎌を持つ鎌鼬、3番目にはネェツアークとコートを握る少女、4番目には壷をを抱えた鎌鼬の順。

「準備は整った。さてと、私は君を抱っこしても構わないかな?」

ネェツアークは屈んで、コートを握りしめる少女に視線を合わせた。

賢者の鳶色の瞳の中に、今は顔を持たない女性の、幼い顔が映る。

「お嬢ちゃんの名前は、敢えて呼ばんでおこうか。もう一度同じ事を尋ねるけれど、"お嬢ちゃん"を運ぶ為、私が抱っこしても構わないだろうか?」

少女は視線を逸らさずに、コクリと頷いて、漸くネェツアークのコートを握りしめる小さな手を放した。

コートにはしっかりとシワが出来ていて、少女がここに居るのだという強い存在感を残す。

「よし、じゃあ抱っこはするけれど、落ちないようにしっかり捕まって貰えるかな」

少女は無言でネェツアークの抱きつき、首に細い腕を回す。

実体はないはずだが、ここに残った"念"の重さがネェツアークにかかる。

(今のリリィよりは、軽いかな)

左腕に少女を抱えて、ネェツアークは立ち上がる。

「それじゃ、行こうか。頼むよ、鎌鼬!」

指をパチンと鳴らすと、1番目の鎌鼬は少女が指差した場所に走った。

そして罠の軸となるを一帯の空間を短い手に着けている手袋で"撫でる"と、その空間が不自然に波打ちそこを2番の鎌鼬が手に持つ鎌で、クルッと丸く切り取る。

罠の起動なるはずの部分の存在が"消失"していた。

「しっかり掴まってね」

ネェツアークが切り取った空間に滑り込み、"切り取られた罠"を抜けた先にある、安全な足場に立つ。

1番目2番目の鎌鼬も続いて穴をくぐり抜けるが、安全な足場が無いため、ネェツアークの体に登る。

そして最後に壷をもった3番目の鎌鼬が、壷に短い手を突っ込みながら穴をくぐり抜けた。

3番目の鎌鼬が、切り裂かれた空間を通り抜けた直後に、壷に突っ込んでいた短い手を取り出す。

そしてその短い手の先に、壷の中に入っている軟膏をたっぷりとつけて、切りとられていた空間に塗りつけた。

すると無くなっていたはずの空間、"罠の起動"部分が元通りに復元されている。

「よし、この調子でまずは中庭のコスモスの所までいこうか」

ネェツアークは鎌鼬達による"罠を壊さずに突破"が上手くいったのを確認してこの手段を続行する。

ただ、足場無いために次の空間に向かう前に一度、ネェツアークの体に幼い少女を抱えた上に、3匹の鎌鼬が頭と両肩に乗せている姿になっていた。

1番目が空間を歪め、2番目が切り取り、ネェツアークがすり抜け、3番目が歪んだ空間を壷から取り出した軟膏で、修復するを繰り返し、一行は中庭を進んで行く。

(コスモスの場所についたら、ちょっと休憩するかな)

ネェツアークが数度目の鎌鼬の着地を受けて、少しだけ疲れていた。

抱えている半透明の少女が示してくれる罠の起動元となる場所は、あちこち仕掛けられているため、真っ直ぐには枯れたコスモス畑まで到着する事が出来ない。

更に切り取った空間をすり抜ける時、結構難解な体勢を繰り返していたので

(いかん、腰にきた)

と、また1つ空間をすり抜けた時、ネェツアークは体感する。

「―――コスモスまでは、もうちょっとだよ」

ネェツアークの耳元で、幼い囀りのような声が響いた。

数度目となる2番目の鎌鼬が空間を切り取る作業が終了して、背面を反らすようにネェツアークはその場所をすり抜けて、地に足をつけて落ち着いた場所で、返事をする。

「とうとう、声まで出せるようになってしまったね」

「コスモスまで、あと2つ」

少女はネェツアーク言葉には答えず、罠の数を答えた。

そうして、罠を2つすり抜けて今までとは違い、幾らか足場のある枯れたコスモス畑の前へと到着した。

しかし、鎌鼬達はどうやらネェツアークのフワフワとした鳶色の頭と、幅の広い両肩の場所を気に入ってしまったらしく、降りない。

「これあげるから、降りて貰えるかな?」

ネェツアークは鎌鼬達を召喚する際に使った水晶のナイフを取り出し、鎌鼬が降りても大丈夫な場所に投げ、大地に刺した。

水晶のナイフに一変に興味を向けた鎌鼬達は、頑として降りようとしなかった、賢者からスルスルと降り、土に刺さった魔術の道具に集まって小さな鼻を一同にクンクンとさせる。

「さて、君もおろそうかって、イテテテ」

少女を安全に下ろすために姿勢を屈めたネェツアークの腰に、軽く痛みが走る。

痛みが走ったが、口に出すだけで、姿勢を崩す事無く、賢者はしっかり安全に実体のない半透明の少女を地に下ろす事が出来た。

下ろしてから直ぐに、両手を腰に当てストレッチさせ、伸ばす。

「リリィとアルス君には、見せられないね」

ストレッチをしていると不意に、腰の部分をトントンと叩かれ、首だけで振り返ると、半透明の少女がネェツアークの腰を小さな拳で叩いていた。

賢者は何の為に叩いているか気がついたらしく、暫く黙って叩かれる。

「気持ち良いよ。マッサージ、ありがとう。そして"アプリコット"さんで、君はいいんだよね?」

半透明の少女は幾分かあった透明度がなくなり、存在が前よりも確りとしている。

「そうです。これが"禁術"をかけられた当時のアプリコット・ビネガーの姿です」

少女の姿ながらも声は、昼間に共に炎のイノシシ・グリンブルスティを共闘して倒したアプリコットの物となっていた。

「そうか、禁術をかけられた当時の君がそんなに明確になってしまうなら、ウサギの体に押し込んでいる私の昔の姿なんぞ、抑えきれるもんじゃないなぁ」

苦笑するネェツアークの眼下には、枯れたコスモス畑が広がっている。

幼いアプリコットがネェツアークの横に立ち、彼女は枯れたコスモス畑を悲しそうに見つめていた。

「私の禁術がここまで"ほどけ"たのは、ウサギの賢者殿がここまで運んでくれたからです。こちらこそ、礼を言わねばならない。賢者殿達がロブロウに来なければ、私の幼い時の"疵痕(きずあと)"は、ずっと中庭の入り口の回廊で泣いていたでしょう」

アプリコットが幼女の振る舞いにしては些か立派過ぎる態度で、ウサギの賢者に頭を下げた。

「礼なら一番最初にロブロウに向かう馬車の中で、夢で君の事に気がついた、うちのウサギの賢者護衛部隊、筆頭護衛騎士のアルス君に言ってあげて」

ネェツアークがそう言うと、アプリコットが愉快そう微笑んだ。

「ああ、あの金髪のお兄さん。あのお兄さんも色々と持っている様子でしたね。ただね、ウサギの賢者殿。言わせて貰えるならば、私は夢で、助けて欲しいと、悲しみ伝えた覚えがないのです」

「そうか、やはり夢をみた当事者には呼んだ自覚はないのか」

ネェツアークは眼鏡を少しあげながら、横に佇む少女を見つめる。

「誰かに気がついて欲しい、ここで私の幼い心が(さいな)まれている事を知って欲しい。その気持ちを持っていた事は否定しません。でも、卑怯者の私は言葉には出さないで、誰かに察してもらって、助けて欲しいなんて楽な事ばかり考えていましたから」

幼い顔に、情けないというアプリコットの表情はなんとも珍妙に感じられて、ネェツアークは再び苦笑してから、アルスが見たという夢の詳細を話した。

そして、ウサギの賢者が考えていた夢に引き寄せられる理屈も。

「成る程、それならアルス君が夢に私を見た理由が解らなくもないが。ただ1つ納得出来ない事が出来るんだが」

「アルス君を引き寄せた"心情"の持ち主が、亡くなっている筈の初代ロブロウ領主ピーン・ビネガーって事だよね」

ネェツアークもそこは考え及ぶらしく、長く器用な指で額をトントンと叩く。賢者として精霊や魔術に関しては、知識が明るいつもりだが"心霊"や"信仰"と言った方面となると、実は結構からきし駄目だったりもする。

「亡くなった方にも意志があると言うべきなのか、それとも」

ネェツアークにしては珍しく、気を使って次に続けようと考えていた言葉を飲み込む。

アプリコットが幼い姿になっている事もあるが、夢の中では大層泣いていたらしいので、次にだそうと思っていた言葉が琴線に触れ、心の傷を再び痛めないか配慮したらしい。

「気にする事はない。私が領主になってしまった事が心残りになって、亡くなり、静かに眠っていた筈のお祖父様の気持ちが、心配して出てきて、ウサギの賢者殿の護衛騎士君を夢の中に引っ張り込んだのなら、ある意味納得が出来る。

ただ安らかに眠っている方まで、引っ張り出してしまうなんて情けない事、この上ない」

幼い顔に似合わないニヒルな笑みを浮かべて、枯れたコスモス畑をアプリコットを再び眺めた。

笑みを浮かべる幼女の横で、素朴に疑問を浮かべる賢者の顔があった。

「ワシ、私にはそれが納得出来ない話でもあるんだよ。"亡くなった人"がそこまでアプリコットさんを、心底心配する強い念をもっていたとしても、そんなに長く持続するエネルギーなのか?」

「どういう事?」

幼女の言葉とは思えない口振りで、アプリコットが人型になり、結構背が高くなった"ウサギの賢者"を見上げながら尋ねる。

ネェツアークは口元をクッと上げて、どちらかと言えば人の悪い笑みを浮かべた。「アッハッハッハ、これから言うのは独断と偏見の、私の意見だ。それを念頭に、馬鹿げた話だと思って聞いて貰っても構わない」

最初にネェツアークは自分が語る"馬鹿げた話"を勢いづけるために笑った。

「こちらに来てから、私はぬいぐるみのふりをしながらロブロウのビネガー家を見てきたつもりだ。で、感じた事だけれども、アプリコット殿にしてもお父上にしても、サッパリとした御気性であると私は感じた」

「それはほめ言葉として受け取ろう」

アプリコットは"賢者"が何を言おうとしているか、まだ分からない。

ネェツアークはアプリコットが特に意見がないようなので、引き続き"馬鹿げた話"を続ける。

「で、その性質は血脈なものじゃないかと私は思うわけなんだ。ピーン、バン、アプリコットと続くね。で、アプリコットさん、あんたに訊きたい。

例え話だ、あんたは色々揉めてはいるが、跡継ぎになる子どもに孫までいる老人だ。

寿命は全うした時、あんたはまだ"残った家族が凄く心配だ、まだ安らかに眠れない"なんて考える"人"かな?」

幼い領主は頭を横にフルフルと振った。

「少なくとも、その条件なら、私は生きてる家族は生きてる家族に任せて、さっさと死んだ人間が行くという世界に行く」

アプリコットはケロイドがまだ存在しない滑らかな自分の顔を、小さな手で撫でた。

それからネェツアークをまた見上げて、アプリコットは1つだけ注釈の意見を述べる。

「ウサギの賢者殿は、三世代に渡ってサッパリと仰りましたが、性質はちがいますよ。私は単に、薄情ってだけです。

お祖父様は、何か不手際があれば迅速に処理をなさる方でした。

父上も、そう言った方です。"後腐れ"というものがあの方達にはありません。

食べ物の酢の物ように、サッパリとした方達です。

だからウサギの賢者殿の見解は、父上とお祖父様に関しては確かに正解だと私も認めます」

「私はあんたも気持ちの良い、サッパリとした"人"だと感じたんだがね」

賢者の言葉に、少女は漸くニヒルが抜けた笑みを向けた。

「ありがとう」

そして礼を述べたあと、考え込むように細く幼い柔らかな腕を組んで、また視線を枯れたコスモス畑に向ける。

「しかし、賢者殿が言うことに乗っ取るなら"お祖父様は自分が亡くなった後、家族の事を心配する念がロブロウに留まり、うたた寝をしたアルス君を夢に引っ張ってまで、幼いアプリコットの事を頼んだ"

ように見せた、"夢の持ち主"は誰なんだろう」

考え込むアプリコットにネェツアークも同調したらしく、小さく頷いた。

「そもそも、その夢がきっかけだからねえ。その夢がなかったら、ただの農業研修と、ロブロウへの貴族処刑の概要の内部視察で済んだ話なんだけれど」

「ウサギの賢者殿、それを私がいる前で言っていいの?」

幼女が呆れた顔で言う。ネェツアークも呆れた顔で言葉を返す。

「アプリコットさんがそれを言うとはね。そちらこそ、実体は向こうに置いておくとしても、晩餐会の最中に、意識を殆どこちらに飛ばして来ていていいのかい?」

互い"お前がそれを言うのか?"と言う空気になって、憮然とした表情を浮かべたが、どちらともなく笑い出してしまっていた。

「こうやって話せるチャンスは、もう無いもんだと考えていたんだがなぁ。いや、しかし本当に晩餐会は大丈夫なのかい?」

ネェツアークが重ねてアプリコットに尋ねた。

アプリコットは小さく溜め息をついて、人の姿になっているウサギの賢者を軽く睨んだ。

「この旧領主邸の主とその夫人がいれば、アプリコット・ビネガーは話に相槌さえうっていればいいんですよ。王都から王族なんて来たのは、領地ロブロウが始まって以来の事だから、"代理領主"で万が一あったらいけないから、"お人形"な状態が一番なんです」

それから幼く、小さな肩を竦めた。

「で、一番正直に言ってしまえば私もこちらに"惹きつけられている"んですよ。ウサギの賢者殿、貴方が来賓の部屋から雨樋を伝っておりて、道を無視して一直線にこの旧領主邸に向かうほど、私の"心"というか"意識"がね。

気がついたら、貴方のコートを握りしめて立っていた」

「それじゃあ、まるで"禁術"を使った者だけがこの旧領主邸に集まるように御膳だてされたみたいだね~」

ウサギの姿の時の口振りで、ネェツアークはコートの中に手を入れてハンカチに包まれた、枯れたコスモスの葉を取り出して、少女に見せた。 

「このコスモスってさ、アプリコットさんが植えたの?」

「いいや、植えたのは母上だよ。庭の植物は母上、野菜は父上。私は、物を育てるってことが苦手だから」

アプリコットの言葉に、ネェツアークは意外そうに眉を上げた。

「あんたなら、そつなくやりそうだがな」

賢者の言葉に、アプリコットは初めて幼女の顔とシンクロさせる表情を見せた。

今にも泣き出しそうな、子どもの顔だった。

「残念ながら私という人間、アプリコット・ビネガーは一般的にみたら"不幸"で歪んでいる"女"らしい。いや、不幸でなければならないらしい」

そう言って少女は涙を流して、泣き出した。

丁度、アルスの夢の中の少女と全く同じようにその場にしゃがみこみ、涙を流し始めた。

ネェツアークは大して動揺もせず、その様子を眺めている。

アプリコットとウサギの賢者が共に炎のイノシシ、グリンブルスティを倒した後に言っていた事が、今始まるのが分かった。

顔のケロイド以上に、アプリコットが仮面をつけている理由があるとネェツアークは気がついてしまった。

―――機会があったのなら、私はアナタがその姿になった経緯(いきさつ)を話してみたかったよ。

―――私の仮面と、アンタのウサギへの偶像、どんだけ不幸が勝っているかって、ね。

("機会"が出来てしまったなら、これはつき合わねばならない、か)

ネェツアークが覚悟を決めたのと同時に、周りの雰囲気も変わり始める。

魔法や獣の罠は全体的にそのままだが、"空気"が歪む。

呼び出した3匹の精霊、鎌鼬がキューとそれぞれ高い鳴き声を上げて、賢者の体に避難の為に駆け上がる。

先程、ご褒美のように大地に突き刺した水晶のナイフは、真っ黒く変色して端から塵になって姿と形を消してしまっていた。

ネェツアークは、この異様な雰囲気に怯える3匹の精霊の頭を順序良く、公平に撫でてやる。

そして泣き続ける少女を見つめれば、黒い靄に取り囲まれ始めていた。

「アプリコットさん、"不幸自慢"の支度は整ったかい?」

ネェツアークがそう声をかける頃には、庭中に黒い靄が満ちていた。

どうやら"支度"らしき事はまだ続いているのか、何も返答の言葉も様子もネェツアークには伝わってこない。

そして3匹の風の精霊達は本格的に得体のしれない空間に怯えて、更に賢者の背や肩に、ギュッと身を寄せてきていた。

(ちょっと、動きがこのままだと取りづらいなぁ)

そんな事を考えていると、胸元で装飾品のように固まっていた金色のカエルが、ネェツアークが何も指示をしていないのに動き始める。

いつもの定位置の胸元をピョンと蹴り上げて、靄にまみれた空中に身を投げた。

靄の中に吸い込まれるよう、金色のカエルが消えた次の瞬間ネェツアークの足元が金色に輝く。

輝く方向に、ネェツアークを含めた3匹の風の精霊達の視線が向けられた。

そして輝きの中心を見てみれば、金色のカエルが自らの体を発光させて、丁度半円のドーム状態にバリアーのような物を作り出している。

金色のカエルの放つ輝きの中には、黒い靄が一切入ってこれない。

「ゲコッ」

短く鳴くのを聞いて、ネェツアークは自分に身を寄せる精霊達を落ち着かせる為に再び撫でてから、しゃがみこむ。

「"カエル"がそこまでしてくれるなら、私もしっかり"不幸自慢"をしなきゃならんな。折角呼び出した精霊達だ、また世話になるだろうから、宜しく頼む」

ネェツアークが金色のカエルに向かって言葉をかけると、カエルはただ黒い円らな瞳をパチパチと瞬きさせた。

賢者はカエルが作り出したドーム状の光の中に手を伸ばし、入れる。

「鎌鼬達は、この光の中に入っていなさい。この中なら、安心だから」

鎌鼬達は意味を察したのか、ネェツアークが伸ばした腕を橋のように渡り、カエルが作り出した場所へ移動を始める。

まずは手袋を嵌めた1番大きな鎌鼬、次に壷をを抱えた1番小さい鎌鼬、そして最後に鎌を持つ中くらいの鎌鼬。

3匹が無事に渡り終えて、光のドームの中、互いに互いの匂いを嗅いだり、体が大丈夫かを確かめあう。

やはり1番小さな鎌鼬の体を気遣う大と中の鎌鼬の様子が、ネェツアークには見て取れた。

やがて鎌鼬達は何も異変がないと分かると、3匹は一斉に召喚主を見上げる。

金色のカエルをみつめてネェツアークは小さく頷いた。

「じゃあ、頼んだよ、カエル」

「―――ゲコッ!」

金色のカエルがもう一度鳴いて、鎌鼬達を連れて吸い込まれるように地面の中に消えた。 

「精霊ですら、1番小さい存在を守ろうとするのになぁ」

ネェツアークが遣りきれないとも、ボヤくとも受け取れる声を響かせ、今は僅かに啜り泣く声が聞こえる靄の向こう側を見つめた。

(1番守って貰えるハズの時期に理不尽な責めを受け、それをどうやり過ごし、この"現在(いま)"に存在をしているのか)

ロブロウを訪れてから"ウサギの賢者"として接した"アプリコット"は、仮面をつけている以外は、別段変わりない人にしか見えなかった。

だが、ルイが短刀を抜こうとするのを先回りして抑えたり、炎の纏ったイノシシ相手に全く怯まなかったりと"戦う"スキルの異常な高さも垣間見た。

(戦ってきたから、強かったのか。強かったから、戦ってきたのか。だが)

黒い靄からの啜り泣きは続いている。

(アプリコットさんが、仮面の貴族様が泣いていたのは"事実"だ)

ネェツアークはゆっくりと懐から"戦う"為のナイフを取り出した。

そして不意に啜り泣く声が小さくなる。

ネェツアークは何かの気配を感じて、鋭い視線を気配がした方に向けると、歪にしか感じられない声が飛んできた。


『ドウシテ、私ノ子供ナノニ、アノ人ニソックリナノ?』

黒い靄の中でも、一層黒い影が、片言でネェツアークに訴えかける。

『命懸ケデ産ンダノニ、何ヶ月モ私ノオ腹ニイタノニ、ドウシテ』

悔しさと悲しさを滲ませた声。


ネェツアークは声を発する黒い影に向かって、"正論"という名の文言を吐いて、ナイフを投げようてするが―――その手を止めた。


『愛シタイ、抱キシメタイノニ、ドウシテ…私ノ…私ノ…赤チャンナノニ…』


歪な言葉を吐く影自身も苦しんでいるのを、ネェツアークは察してしまった。

(成る程、ある意味1番やっかいな"愛"を、アプリコットさんは与えられていたわけだ)

母親が自分に向ける憎しみの中に、小さな確かな愛情があるのに気がついたら、小さな子どもはそれに手を伸ばさずにはいられない。

アプリコットはこの"仕組み"に捕らわれた、悲しい時間を戦ったのだと賢者は気がついた。

気がついた次の瞬間、黒い靄が動き、ネェツアークの側に何かが近づいてくる。

「もしかしたら、愛してもらえるかもしれない。どうしたら、愛してもらえるだろう。そんな事ばかり考えて、幼い頃は母に誉められる為に、もがいた」 

ネェツアークの耳元で一番最初に耳にしたような、気高く綺麗な声でアプリコットが囁き、構えていたナイフが、スッと彼女によって取られた。

「ナイフを投げないでくれて、ありがとう」

姿は再び半透明になっていたが、大人の体にケロイドに覆われた顔のアプリコットが黒い靄の中、ネェツアークの横に立っていた。

「1番の"被害者"が正論というナイフを投げてないのに、私が投げる訳にはいかないさ」

ネェツアークはアプリコットがよくするような、道化師の様に大袈裟な肩を竦める仕草をした。

アプリコットはクスリと笑って、器用にナイフをクルリと回して柄の方を向けて賢者にナイフを返す。

ネェツアークはナイフを受け取るが、まだコートの中には終わない。

中庭に溢れかえる靄の中、アプリコットは遠い目をして"自分の不幸"を省みている。

「仮面を着ける前のアプリコット・ビネガーが、何をどうこう頑張っても、母上はそれを心の底から喜んではくれなかった。必ず、この顔を通して母上を苛めた"女達"の記憶がついてくる。私がアプリコットが笑うのはあの女達が―――母を苦しめた人達が、笑うのと同じ事だから」

「そんな風に分かっていたから、アンタは捻くれ無かったんだな」

労いにも聞こえるネェツアークのこの言葉には、アプリコットが肩を竦める。

「捻くれたくても、捻くれられないよ。母上自身が1番苦しんでいたのに、気がつかされたんだ。しかも、それが大好きな、お祖父様からだったから」

黒い靄の中に、再び声が響きわたる。

『アプリコット、見テゴ覧』

今度は片言ながらも、歪と感じる声の響きはなかった。


『母様ハ、アプリコットヲ愛シテイル。ダケド、上手ク言エナイ"立場"デ"状況"ナダケナンダヨ』


「お祖父様にそう言われて、ある日の夜中に礼拝堂を覗いたら、母上が泣いているんだ。"アプリコット、ごめんなさいっ"て」

暗い礼拝堂で、アプリコットの母は自分の両手を握りしめ、涙を流しながら、姿を見つめるのも辛い娘に謝る。

娘を愛したいという気持ちはあるけれど、仲の良い態度をとることを許されない自分の狭量に、胸を掻き毟しられる。

「もしも、顔さえ母親に似ずとも、母を苛ませる人以外の顔だったならって幾度も考えた」 

アプリコットはそこまで言って、ふぅーっと大きく溜め息をついた。

「こう言ったらなんだけどさ、もし、あの時。私がウサギの賢者殿のお連れのルイ君みたいだったら、今みたいな状況じゃあなかったんだろうな、ってよく考える。"オレはオレだ、アンタ苛めた奴なんかオレがしるかよっ!"って啖呵なんか切ってさ」

靄の中、アプリコットは明るい口調で言って頭の後ろで腕を組んだ。

「そうだね。そうしたら、少なくともこんな形で、アプリコットさんにだけ"不幸"は積もり積もらなかっただろうと私も思う」

ネェツアークそう言って、アプリコットから受け取ったナイフを器用にクルクルと回す。

そして、賢者は自分の予想を口に出した。

「人は誰だってコミュニケーションをとるなら、物分かりが悪い人より、物分かりが良い人がいい。ついでに、自分の意見を聞いてくれそうなら、物分かりの良い人の個性も何もまるっと無視して、自分の都合の良い事ばかり言ってしまったりもするだろう。アプリコットさんはそう言った面では、初代領主さんから大分認められていたのではないかな

。頑なに息子の嫁から逃げる自分の妻より、揚げ足取りばかり狙う、他家に嫁いだ筈の自分の娘達より、心労で自分の娘に歪んだ愛情を抱えてしまう嫁に説明するより、アプリコットなら、話せばわかってくれる。だから後は、アプリコットさんがその不幸を、ビネガー家の中で闇を受け流しておけば、ビネガー家は自体はそう問題もない、安泰だってね」

アプリコットは頭の後ろで組んでいた手を解き、軽く拍手をした。

「殆ど正解に近い。けどね、それだけだとお祖父様が酷い人に見えてしまうから、これだけは言わせて。

お祖父様は、仲を取り持つような努力をしていた。けれど、実を結ばす私が 負担する事が多かった」

また黒い靄の中から黒い影が動き出して、ネェツアークとアプリコットはまたそちらに視線を向けた。


『アプリコット、貴女ノ御母様ハソンナ事モ教エナイノカシラ』

『アア、アプリコット。貴女ハ、母様にソックリダワ』

『女ノ子ナノニ、武道二バカリヲシテルラシイジャナイ。オヤメナサイ、ビネガー家ノ娘ナラ大人シクシテイナサイ』


今度の声は歪ではないが、妙に高い声で酷く神経を逆撫でするような響きをもっていた。 

「本当にお祖父様は、お祖父様なりに努力なされたんだよ」

アプリコットが再び敬愛する祖父を擁護して言うと、ネェツアークは今度は本当に労いの為に、影に視線を向ける彼女の肩をトントンと叩いた。

(かしま)しくて、御妙齢を過ぎたご婦人方のパワーは、たまに恐ろしい物がある。それに自分の娘とはいえ、4人対1人なら多勢に無勢だろう」

「ありがとう」

初代領主を庇う発言を、ネェツアークが受け入れた事にアプリコットは純粋に感謝していた。

「物心がついた時から、ずっとこんな感じだった。叔母様達は4人いるから、半月に一度は誰かが帰ってくるし、たまには示し合わせて帰ってくるから、本当に休まる日がなかった。そして母はついでの遊びのように苛まれ、懺悔をしながらも、憎い相手と似たような顔を持つ娘に辛くあたる」

そこまで聞いて、ネェツアークはボリボリと鳶色の髪を、自慢の器用な長い指で掻き毟る。

アプリコットが苦笑して、ごめんなさいね、と小さく謝る。

「殿方にしたら本当に、本当につまらない話。もしかしたら、女性でもつまらないわね」

「ディンファレさんあたりなら、斬って捨てるような話だ。で、この状態は"4人の貴族の処刑"で、改善されるというわけかな?」

アプリコットはまた苦笑をして、頭を横に振る。

「つまらない話が長すぎて、ご免なさいね。処刑するにしても"理由"が必要でしょう?。人攫いが世間を跋扈(ばっこ)するのは、ここ半年なのをお忘れかしら、ウサギの賢者殿?。

―――そして、処刑の報告書を送ったのが半月程前」

多少わざとらしくネェツアークは手をポンッと叩いて、思い出したといった感じのジェスチャーを取った。

「ああ、そうだった。嫌な話は相手にしないが、人生のモットーなんでね。まあ、こんなんだから王都からきた王族の使者であるアルセンから、若い頃はしょっちゅう説教を受けた。で、今では仕返しに"ぬいぐるみの格好して、調査してきなさい"』とか言われる始末だ」

今度は本当に楽しそうに、アプリコットは微笑んだ。

「じゃあ、私はそのアルセン様に感謝しないといけないわ。お陰様で、こうやって"ウサギの賢者殿"と話せるんだもの」 

朗らかに笑う彼女の周りにある黒い靄が、多少ではあるが確かに薄まったのをネェツアークは確認した。

「あんたの実体は晩餐会にあるんだろう?。アルセンはどうしてる?」

"不幸話"の息抜きのつもりか、ネェツアークがそう尋ねる。

アプリコットもそれを受け入れて、ケロイドに覆われた顔に火傷の後が残った右手をあてて、意識を晩餐会に集中させてみている。

「綺麗な笑顔を浮かべて、マクガフィン殿の横に座られている。母の話にも、上手にのってくださっているわ」

「アルセンの社交性は折紙付きだからね。私も"人"を止めても、命を捨てなかったのはアルセンや、その横にいる貴族嫌いな癖に、その貴族と親友のグランドールがいたからだ」

ネェツアークの命を捨てなかった、という発言にはアプリコットは意外そうな顔をする。

「へぇ。ウサギの賢者殿でも、自殺なんて考えた事があるんですね」

「いや、考えた事ないよ」

アプリコットの感想を、ネェツアークは一蹴する。

少しだけ、黒い靄が薄まるくらいの"マヌケ"な静寂が場を占める。

「いや、だってさっき、ウサギの賢者殿が"命を捨てなかった"って言いましたよ?」

アプリコットが確認する。

ネェツアークは長い指を顎につけて、自分が喋った言葉を懸命に思い出す。

「―――、あ、言った。私、言ったね♪でも、それは表現を間違えたな。私は死んでも"自分から命を捨てない"よ。"責任とって命捨てろ"と言われた事は、2回ほどあったけれど」

賢者とは思えないような言葉を使い、不貞不貞しき笑顔を浮かべ、ネェツアークは表現の間違いをアプリコットに詫びた。

アプリコットは不貞不貞しい笑顔を浮かべるネェツアークの顔を、眩しそうに見つめた。

「ウサギの賢者殿とは凄く気が合うから、似た者どうしかなぁって勝手に考えていたけれど、そうでもないかもしれない。私はこの顔のケロイドと仮面を"手に入れる"まで、死ぬことを夢見ていた時があったら」

「ああ、なら、私とアプリコット殿は違うなぁ。私は大事な人を失ったから、ウサギになったんだよ。まあ、今は理屈は分からないが人間に戻らされちゃっているけれど」

ネェツアークはまだ不貞不貞しい笑顔を浮かべていたが、アプリコットの発言で何かが気に懸かっていた。

その何かが、まだネェツアークは思いつかない。何でもないような表情を貼りつかせ、頭の中ではアプリコットと自分の齟齬の原因を探す。

(私とアプリコット殿の"禁術"を使った上での違いはなんだ?)

答えが出ないまま、ネェツアークはアプリコットの会話にまた集中する。

(結論を出すにはまだ"情報"が足りない、か)

「そう言えば、アプリコットさんとエリファスさんとはいつ頃出逢ったんだい?」

アプリコットとエリファスの馴初めは、エリファスからは聴いていた。

ただアプリコットからは、エリファスに関する詳しい話をまだ耳にしていないのを思い出したから、ネェツアークは何か試すような心持ちで尋ねていた。

「エリファスは、丁度怪我をした私の為に、お祖父様が買った仮面の商人のキャラバンにいたのよ。彼等は王国の各地にキャラバンで移動していて、エリファスはそこにいる商人の護衛をしていた人が、縁があって引き取っていた孤児だった」

アプリコットは顔と同じ様に、ケロイドがある右手を額に当てながら答える。

少しだけ思い出すのに手間取る、そんな感じで。

「へぇ~。それはまだ随分幼い時分に出会ったんだね」

そしてふと、先程の幼女の姿のアプリコットの言葉をネェツアークは思い出す。

"これが禁術をかけられた当時の姿のアプリコット・ビネガーです"

そう宣言する彼女の肌に"ケロイド"などなかった。

ネェツアークはアプリコットからの話を聞く態度を崩さず、頭の中で猛烈な勢いで考え始める。

(今までの話を鑑みて、私はどう考えていた?。

アプリコットは怪我をしたから、女性の身の上で顔に大怪我をして、ケロイドが出来たから仮面をつけるようになったと考えていたはずだ。

そして彼女の祖父が、そのケロイドを、"不幸"を癒やす為に、彼女に禁術を施したとばかりと思っていた)

只でさえ"顔"については、アプリコットは幼い頃から"不幸"な環境に身を置かされている。

その顔を何らかの事故でケロイドで覆われて。 

(待てよ?。"憎い大嫌いな顔"をケロイドで覆われる事は、アプリコットにとって、不幸な事なのか?。

母親からの愛情を歪にさせるものでしかない、顔がなくなる事は、アプリコットにとってはどうなんだ?。しかし、禁術がかけられたのは、肌がまだ滑らかな時で。いかんな、順序がゴチャゴチャになってる)

「ウサギの賢者殿?」

表情は一切崩さずに、アプリコットの話を聞いたフリをしてはいたが、彼女からの話はとうに終わっていたらしい。

ネェツアークを見つめるケロイドに覆われた顔には、顔が潰れた事に関しては、微塵の引け目も悲しさの感情も全く感じられない。

(順番を考えろ、ネェツアーク。ただでさえ憎まれる顔に怪我をしたから、祖父であった領主は慰める為に禁術をかけたのか?。

それとも禁術をかけた事で、怪我をした事にして、母親から愛情を奪う原因の顔をなくした事に仕向けたのか?)

自分に呼びかけるようして、賢者は更に考えを巡らせる。

(いや、こうした方が早いか)

ネェツアークは笑顔を浮かべ、長年の友人達なら"何か狡猾な事を考えているに違いない"と余裕で察する事の出来る、そんな作り笑顔で尋ねた。

「アプリコット殿、禁術はケロイドが出来る前にお祖父様に施されたのですか?。それとも、ケロイドが出来た後に施されたのですか?」

唐突なネェツアークの質問に、アプリコットが固まるのが見て取れた。

そして、アプリコットの反応を見て賢者は"3つ目"の可能性を手に入れる。

(アプリコット殿自身は、禁術がどの状態でかけられたか《覚えていない!》)

その時、激しく雷鳴が鳴り響き、ネェツアークの頬に大きな雨粒がぶつかった。


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