【仮面の貴族さま】
リリィが目を覚ましたのは、もう直ぐ夕方になろうという、そんな時間でした。
(お腹すいたな)
空腹を感じて、リリィは瞳をゆっくりと開いた。
そんなリリィの視界に最初に入ってきたのは、黒くヒクヒクと動き、長いヒゲをピクピクと動かす物体だった。
「うわあ!」
元気な悲鳴をあげて上半身をバネのようにして、少女は飛び起きる。
「リリィ、起きたかい?」
起き上がった瞬間に、横の方に吹っ飛ばされ、仰向けになったままウサギの賢者が尋ねた。
「けっ、賢者さま、ごめんなさい!」
慌てて仰向けに倒れているウサギの賢者の元へ、フワフワのベッドの上を四苦八苦しながらたどり着いて、リリィは抱えようとした。
しかし、ウサギの賢者の体は今までの軽さではなく、元の"リリィは何とか抱え上げられる"重さに戻っている事に強気な瞳をパチパチとする。
「あれ、賢者さま、どうかなさったんですか?」
「ん?ああ、ちょっと魔法を使っていたから、いつも通りにしちゃってるね、ワシ。ちょっと、待っててね」
そう言ってパチリとウサギの賢者が指を弾くと、リリィが軽々と抱きかかえられる重さに再びなった。
「賢者さま、何か魔法を使っていたんですか?」
ウサギの賢者と真っ正面に向かい合いながら、リリィが尋ねる。
「うん、ちょっとね。後機械をいじるのに、握 力が欲しかったから、元の重さになっていたんだ」
そう言いながら、ウサギの賢者は愛用のベストの内ポケットにフワフワの手を突っ込み何かを取り出した。
「わあ、キレイですね。ブローチですか?」
「まあ形はブローチみたいだけれど、連絡を魔法を使わずにとるための機械なんだ。
魔力や魔法を使わないから、精神を集中しなくてもいいからお手軽ではある。
ただ聞こえてくる声がワンテンポ遅れてくるから、会話のタイミングが難しいので注意してね」
そう言いながら、機械の緑色の石が付いた方をひっくり返し、ウサギの賢者は短い爪でスイッチらしきものを『カチリ』と音をたてて入れた。
『―――なんだ、何か機械から音がしたぞ』
「あっ、ルイの声だ」
リリィが思わず笑顔になって機械を見てから、それを持つウサギの賢者を見た。
『ん!リリィ?』
「これは、アルスくんの声ですね、け」
"賢者さま"と言おうとしたリリィの口を、ぷにっとした肉球でウサギの賢者が塞いだ。
それから通話の機械をリリィに手渡し、少女の耳元でウサギの賢者が囁いた。
(もしかしたらグランドール達以外の人達がいるかもしれないから、状況が解るまでワシの名前を出さないように。
ワシはあくまでも"ぬいぐるみ"だから、喋る時は注意してね)
リリィは慌てて、素直にコクコクと頷いた。
ウサギの賢者とリリィがそんな事をしていると、機械からまたルイの声が聞こえてくる。
『なあ、オッサンこれ壊れてんじゃねえか?。ウサギのだ――――』
そこで"バシリ"と音がする。
「ルイがグランドールさまに叩かれた?」
リリィが疑問符がつく形で言うと、
『正解だ、リリィ』
一呼吸置いた間の後に、グランドールの声が答えた。
「ええっとそちらは今何に――、何をしていますか?」
リリィは何人いらっしゃいますか?と、尋ねようと思ったがその質問は変だと感じたので、何をしているかと慌てて尋ね直した。
『――――えっと、シュトさんとアト君がお茶と簡単な食事を持ってきてくれたんで、それを食べていたんだ。
シュトさんがルイ君のおかわりを取りに行ってて、今はいないんだけれど、アト君がいる』
アルスの声が機械から聞こえた途端、
"グゥ~"
と、盛大な腹のなる音が、リリィからした。
『今の、リリのお腹の音!』
アトが嬉しそうな声で、大正解を発表していた。
「スミマセン」
向こうに表情は見えないとわかっていても、少年の顔は耳まで赤い。
『昼飯も食べてないし、仕方なかろう』
そんなグランドールの声に、リリィの側にいるウサギの賢者も無言で同調するように首を縦に振っている。
それから、アルスもやはり慰めるように機械を通して、リリィに声をかけた。
『朝ご飯を食べたきり、今まで何も食べてないなら、本当に仕方ないよ。
リリィ、誰か召使いの人を呼んで、何か頂いたらどうだろう?』
「でも、どうやって召使いさんを呼べば良いんでしょうか?。扉を開けて声をかけるんですか?」
リリィが機械に向かってそんな事を言っていると、ウサギの賢者が何かに気がついたようでベッドの隅の方にポテポテと歩いて行く。
そんなウサギの賢者を、緑色の瞳で追っていると、再びグランドールの声が機械から聞こえた。
『多分ベッドの隅の方に、小さな鈴―――"ベル"みたいなものが備え付けられておらんかのぅ?』
グランドールが言った直後に、"リン"とベルの音がする。
ウサギの賢者が小さな手に、銀で出来たベルを手にしていた。
『おっ、わかったか?。速いな、それを鳴らして召使いを呼んでごらん』
グランドールの声で、ウサギの賢者がリンリンとベルを鳴らした。
それからリリィの元に戻り、その手にベルを握らせぬいぐるみモードとなる。
トントンと2回ノックされ、失礼します、と言ってメイドが入ってきた。
「何か御用でしょうか?」
澄ました印象が強いメイドに、リリィは若干狼狽えながらも
「あの、お腹が空いたので、何か頂けませんか?」
と声を出した。
「―――"もうすぐ"夕食のお時間です、それまでお待ちなっては如何ですか?」
メイドが高圧的にはっきりとそう言うので、
「えっ、じゃあ、そうします」
とリリィがそう言うと、メイドは仕事がありますので、失礼します、と早口に言って再び部屋を後にした。
カチャリとドアが閉まる音がしてから、ウサギの賢者がムクリと起き上がり、短い腕で自分の後頭部をポリポリと掻く。
『何かエラい尖った言い方するメイドだなぁ』
――――ガチャ
『失礼します、おかわりをお持ちしました』
ルイが喋るのと同時に、男部屋側のドアの開閉音とシュトの声が機械を通して、リリィに聞こえる。
『シュト兄、リリいるよ!』
『へっ?、どこに?』
えらく間の抜けたシュトの声に空腹ながらも、リリィは吹き出してしまっていた。
『あれ、確かにお嬢ちゃ―――様の声がするな』
シュトは機械の向こう側で、きっとキョロキョロとしているのだろう。
『シュトさん、実は―――』
アルスがシュトに簡単に説明を始め、見習い執事は大層驚いていた。
弟のアトは、機械の仕組み等は理解出来はしないが、"これでリリィと話せる"と言う事だけはわかったらしく、盛んに話かけてきていた。
『リリ、きこえますかー』
「聞こえてますよ~」
―――アトと会話だけでも空腹は、大分紛れるとリリィは健気に考えた。
『え、でも夕食って確か領主様も含めての会食だから、確か――――"2時間以上後"だって執事のロックさんが言ってましたよ』
そんなシュトの言葉が聞こえて、アトとの会話で紛れたと思った空腹が、また一気に健気な少女を容赦なく襲う。
「―――2時間ですか」
そう呟いたリリィは、思わずぱたりとフカフカのベッドへと再びうつ伏せに、突っ伏すと同時に、グゥ~、と平たいお腹から空腹を訴える音を鳴らした。
その音は通信機の向こう側にいるグランドール達にも、伝わっている。
『シュト、すまんがリリィに何か食べ物をやれんかのぅ?』
グランドールが代表して発言するが、気持ちは農業研修一行は同じで、一気に見習い執事に視線は集中する。
『判りました!、俺、ロックさんに、ちょっと聞いてきます!』
シュトも気持ちは同じ様子で、静かに行動するように言われているだろうに、急いで部屋を出て行く様子は、ガチャガチャと激しくドアノブを回す音で伝わって来る。
「死ぬわけじゃないから~、大丈夫です~」
リリィが力のないながらも、機械が声を届けてしまうる部屋にいるアルス達に心配かけまいと伸びた声を出す。
『腹グーグー鳴らしてて、何言ってんだ。つか、オレだったら腹減りすぎて暴れてるぞ!』
怒り半分、心配半分でルイにはあんまり余裕がない。
『リリィの旅行カバンの中に、何かお菓子とかなかったかな?』
アルスは思い出したように言った言葉で、リリィはうつ伏せの状態から顔を上げて、子栗鼠の様に部屋の中を眺めた。
「―――カバン、見当たらない、です」
それから再びポスンと顔をベッドにうずめた。
そんなリリィの目の前に、肉球のついたウサギの賢者の手がニュっと出てきた。
(肉球を揉んで気持ちを紛らわせ、って意味なのかしら)
リリィが腹が空きすぎて、ポヤンとする頭でちょっと素敵な妄想をしていたら、ウサギの賢者は肉球がある手をキュッと握り締めてから再び開らく。
するとそこには大きな飴玉が、ミズタマの可愛い包装紙にリボンのように包まれて突如現れた。
「わあ!」
リリィがそんな声を上げてから、思わず口を塞いだ。
『お、何かあったか?』
グランドールにはリリィが明るい声をあげたのが解った。
「―――えっと、その」
ウサギの賢者の事は喋ってはならない。
何か良い言葉はないかとリリィがキョロキョロとすると、ウサギの賢者は飴を握らせてから、自分の身に着けているコートのポケットをポンポンと叩く。
「ポ、ポケットの中にアメ玉が入ってました」
リリィは、ウサギの賢者のアドバイスを汲み取り咄嗟に答えた。
『―――そうか、では、せっかくのアメ玉だ。今はそれで凌ぐといい』
リリィの声の調子で、グランドールは、"旧友"が何かをしたと察したらしい。
落ち着いた声で、リリィにそう指示を出した。
リリィはア両手で開封し、ウサギの賢者にお礼会釈してから、アメを摘み丁寧に口に入れた。
「おいしい~」
リリィは「ほっぺが落ちそう」のごとく、両方の頬を両手で押さえて、食べ物の有り難さを実感していた時、機械から扉が開く音が再び聞こえる。
『すみません、何か変な話になって―――』
シュトの戸惑いを含んだ声がリリィとウサギの賢者の耳に入ってきて、互いに顔を見合わせる。
『何だよ、変なことって?。で、リリィは食べ物をくえるのか?』
ルイがぶっきらぼうに尋ねる声が、機械から響いた。
『食べ物は、エリファス師匠がリリィお嬢様に運んでくれる事になりました。
ただ結果的には、エリファス師匠が融通を効かせてくれたから、食べ物が運んばれるようになっただけで』
シュトの言い方が歯切れが悪いのを、王都から来た一行全員が感じる事が出来る。
『―――ここ、イジワルな人います』
アトの平坦な声が響く。
そして、シュトもそれを敢えて否定しなかった。
『まあシュト達も、ワシ達の数時間前にロブロウについたんだから、この土地の因習について詳しくなかろう』
グランドールがやんわりと割って入る。
それからすぐに、リリィの部屋の呼び鈴が"リーン"と響き、更にドアを激しくトントントン!とノックする音が響いた。
「リリィちゃん、簡単な物だけど持ってきたわ!」
ウサギの賢者はぬいぐるみモードとなり、パタリとベッドに仰向けに倒れる。
『師匠っ、速いな!』
シュトの驚いた声が機械から聞こえて、リリィは思わず吹き出してしまった。
「今、開けます」
リリィは通話機械を握りしめて、ウサギの賢者を抱えてベッドから飛び降りて、入り口のドアへ駆け寄り、ガチャリと音をたてて開けると、エリファスが豊かな胸の前にお盆に小さなライスボール2つと、マグカップを乗せて立っていた。
「大丈夫?凄くお腹が空いてるってシュトが言っていたから。あっ、中に入ってもいいかしら?」
「どうぞ、あっ!」
リリィは自分が食べ物を口に含んだまま喋るという粗相に気がついて、ウサギの賢者を抱える手で口を押さえてた。
「あら、アメがあったの?。良かった、何も食べれていないと聞いていたから」
エリファスは粗相とは感じていないようで、お盆を客室にあるティーテーブルの上に置いた。
「顔色も良さそうで、良かったわ。
でも、どうして荷物が部屋の外に置きっぱなしなのかしら?」
ニコニコしながらリリィの顔を見て、ふと思い出したようにエリファスが言う。
「え?そうなんですか?。じゃあ、部屋の中では荷物のカバンが見当たらないはずですね」
リリィもエリファスに言われて、初めて気がついた。
「―――まあいいわ、私が運ぶから、リリィちゃんは少しでも食べておきなさい。育ち盛りなんだから」
そう言ってエリファスは部屋を出ると、直ぐにリリィのカバンを持って戻って来る。
まだ突っ立ったままのリリィを見て、エリファスは苦笑する。
「待ってなくてもいいのに」
「す、すみません」
『師匠、そう言った世話焼きの所は、相変わらずせっかちっすね』
急に弟子であったシュトの声が聞こえたものだから、エリファスが驚いた。
「あっ、エリファスさん、これです」
リリィが握りしめていた通話機械を、エリファスに差し出すと、まだ半信半疑である様子で、通話の機械をまじまじと見つめた。
『せんせぇ~、きこえますか~』
アトの、のんびりした声も機械から響いてエリファスは漸く信じる。
「これって、今シュトとアトがいる場所に繋がっているの?」
『あ、自分達の部屋です!』
エリファスの質問には、アルスの声が答えた。
「―――そう言えばそうよね。
シュトに言われて慌てて食事を作って持って来たけれど、男では女性側の客室と連絡が取れない筈だもの」
『何だ、そりゃあ』
今度は野太いグランドールの声がして、エリファスの頬に赤みが差す。
それを誤魔化すようにエリファスは小さな咳をして、少し難しい顔して話を始めた。
「王都や他の領地ではあまりないし、受け入れがたいと思うんですが、ロブロウは男女を分けて考える所が非常に強いんです。
だから執事長のロックさんが、メイドに口出しはあまり出来ないのが現状で」
そう言ながらエリファスがティーテーブルの椅子を引いて、リリィに椅子に座るように手を差し出した。
「とりあえず、リリィちゃんに食事を頂いてもらうから、一度会話を止めていいかしら?」
『リリ、お腹空いています』
アトがそう言う頃には、リリィの口の中のアメ玉は小さくなり、消えてなくなっていた。
「そうそう、アトの言う通りだから一旦食事タイムよ。
リリィちゃん、大切なウサギのぬいぐるみでしょうけど、食事で汚してもいけないし、私が触ってよければベッドに置いて来るけれど、どうする?」
リリィが椅子に座り、テーブルに通話の機械も置いたが、"ウサギのぬいぐるみ"は抱えて食事をするには確かに大きかった。
「あっ、じゃあ自分で置きます!」
座っていた椅子から立ち上がり、ベッドにウサギのぬいぐるみを置いた。
しかし普通に置くと、横向や後ろ向きベタッと倒れてしまうので、リリィはベッドに備えられているクッションを使って、ぬいぐるみが起きていられるようにする。
「これでいいですね」
リリィはウサギのぬいぐるみの配置が上手くいったのが嬉しいらしく、笑顔でエリファスが待つティーテーブルに戻った。
エリファスの側に来た途端に、リリィが尋ねる。
「エリファスさん、私、あのぬいぐるみが見えるように座ってもいいですか?」
「ええ、どうぞ。私も座ってもいいかしら?」
ニコニコと微笑みながらエリファスが尋ねるので、リリィも笑った。
(エリファスさんて、優しいなぁ)
そう感じる程、"どうしてグランドールさまと別れたんだろう"という疑問が湧き上がるだが、流石に先程ウサギの賢者から、"恋愛講座"を受けたばかりのリリィは、聞く事を控えた。
リリィは"ウサギのぬいぐるみ"が視界に入るように座り、自然とエリファスはウサギがいるベッドの方には、背を向ける形で椅子に腰掛ける。
「じゃあ、いただきます!」
パチンと行儀良く手を合わせて、ライスボールを手に取って食べ始めた。
「リリィちゃんが食べてる間、良かったらこの"機械"の事、教えて貰えるかしら」
そんな事を言うエリファスは機械を手に取って撫でたり、ひっくり返したりして不思議そうに見ている。
『じゃあ、このロブロウの因習とトレードしようかのぅ。
どうも資料で集めた情報とは、違うらしいからな』
エリファスに、グランドールが淡々と交渉を開始する。
「私が知っているぐらいのロブロウの事なら、話せるけれど、それでいいなら」
『ならワシも知っている事だけを話そう。それはあの"賢者"になった奴が作ったもんだ。魔法の力を使わず会話する機械だ、で、ワシが話せるのはこれだけだな』
グランドールはサラッと自分が知っている事実だけを言ってのけた。
"賢者"という言葉をあっさり言った事に、アルスやリリィが息を飲む。
幸にも、口に飴が入っていて声が出ないのと、エリファスが会話に集中していてリリィの方を注視していなかったので、小さな賢者の秘書が驚いているのは、全くバレなかった。
「噂にきいているけれど、本当にこの世界から魔法を消したいのね。
あれから、まだ、鎮守の森に隠棲されていらっしゃるの?」
エリファスが感慨深い様子で機械に向かって言っている目の前で、リリィは背中に冷や汗をかきながらライスボールを頬張っていた。
その隠棲しているはずの賢者、当人が真後ろにいる。
(緊張すると味がしない話は、本当だったわ!)
そんな事をリリィが実感していると、エリファスが顔をあげて、素直にビクッとしてしまう。
そしてそんなリリィに、エリファスも驚いてビクッとしてしまっていた。
「リリィちゃん、何か驚く事があった?」
エリファスが驚いてリリィに尋ねる。
「えっと、グランドールさまやエリファスさんがお話している、賢者さまはもしかしたら、私がお世話になっている賢者さまなのかなって、思いまして」
少し言葉につまりながらも、何とか"いいわけ"を思いついたと言った感じでリリィが言うと、エリファスは大層驚いた。
「リリィちゃん、あの賢者さんを知っているの?」
この質問にリリィは、小さな頭をプルプルと横に振った。
「あっ、あの、でも、もしかしたらエリファスさんが言う賢者さまと、私が知っている賢者さまは違う方もしれないし」
『おい、話がズレ始めているぞ。早く、ロブロウの事を話さんか』
グランドールが正に助け舟といった感じで、エリファスに軌道修正を促し、リリィは正直にホッとした。
ただ、エリファスとしては納得いかない。
「あら、私がロブロウの事を長たらしく説明しなきゃならないのに、貴方は『賢者が作った機械だから、詳しく知らない』で済ませているんだから、少しぐらい話してもいいじゃない?」
そう言ってエリファスが腕を組むと、彼女の大きな胸が揺れて、リリィが目を奪われる。
『師匠~、俺からも頼みます。ロックさんとかは良い人だし、アトも懐いているんですけれど、メイドさん達の中でなんというか、派閥みたいなの感じて、やりにくいんですよ』
『いじわるな人います』
シュトとアトのこの声でエリファスは小さく溜め息をついて、賢者について聞き出すのは諦める。
「とは言っても私も半年前に、戻ったばかりだから、そこまで深く知らないわ。
あくまでも私の主観のと聞いた話になるし、自分語りになるけれど、それでも構わないかしら?」
『ああ、構わん』
グランドールの返事を聞いて、エリファスはロブロウの話を始めた。
「ここの領主になったアプリコットとは、幼い頃から縁があってね。
よく2人で遊んだわ。
私は保護者の事情でロブロウに常にいるではなくて、所謂半端者だったけれど、逆にそれが彼女には良かったみたい。
半年前に弟子も一人前になったし、ロブロウに来た時は、大人しいばっかりだった彼女が、今は立派な領主になっているのに、嬉しかったり驚いたりよ」
『"半端者が良かった"というのが、気になるな』
グランドールの言葉にエリファスが苦笑する。
「本当に意外な所でグランドールは敏いわね。
細かくいうなら半端というか、私がいつも『独り』だったから、アプリコットには良かったのよ」
『せんせい、ひとりはさびしいよ』
アトのシュンとした声が聞こえて、リリィは最後のライスボールを口にしながらも、思わず慰めたくなる。
エリファスも少しだけ悲しそうな顔をして、アトの言葉に応えた。
「そうね、アト。独りはさびしい」
だが次の瞬間、エリファスは口角をキュッと上げた。
「けれどね、独りだとよっぽど人に迷惑をかけない限り、文句や悪口を言われないって良いこともある」
『ひとりだと、悪口いわれないの?』
アトが驚いた声をあげるので、エリファスは再び苦笑した。
「まあ、それはロブロウって領地の中だけに関していると思うんだけれどね。
シュトがさっき言っていたでしょう?。派閥があるって。
うーん、こっからはアトにわかりやすく説明するには難しいし、ちょっと人間の嫌な部分を聞かせなきゃいけなくなるかも」
エリファスは組んでいた腕を組み直し、そしてリリィを申し訳なさそうに見る。
出切ればリリィにも、聞かせたくはない内容。
『アトには悪いが、派閥の仕組みを教えて貰えると助かる。
いずれにしろ、この領地に研修が済むまでは滞在しないといけないのだからな。
知っておいた方が無用の揉め事を避けれる』
グランドールの言葉にエリファスは小さく溜め息をついて、話を始めた。
「派閥がどこから始まったかと言えば、それは先々代の領主様が6人のお子様を授かった事から始まります」
エリファス物語を読み上げる様に、口を開いた。
「ロブロウという土地は、元からそうっだったらしいんだけど、先代の国王陛下の親友でピーン・ビネガー公爵が、平定の後に改めてまた、賜りました。
ビネガー公爵の治世は、平定するまで混乱期でも、比較的落ち着いた領地でした。
賢く少しばかりイタズラ好きな公爵の人柄があって、領主ピーン・ビネガーは、領民からとても愛されていました。
そして、領主になるビネガー公爵には、可愛らしいお嫁さんもやって来て、お子さんも授かります。女、女、男、女、女、女の順番に」
『なんだぁ、女ばっかだな』
ルイの呆れたような驚いたような声に、リリィも無言で大きく頷いた。
エリファスやリリィには見えないが、多分アルスやシュトも頷いている。
「ええ、そして"女が多い事"が派閥の元となります」
そう言うエリファス悲しそうで、沈んだ口調で話を続ける。
「平定後、国は落ち着きピーン様が統治している間は、別に問題はおきませんでした。ピーン様も色々ご配慮をなさって、子の中で唯一の男子であるバン様に世代交代なされたのだけれど、その後が色々と芳しくなかった」
『上手くいかなかった内容は、詳しくは話せないのか?』
グランドールの言葉に、エリファスは初めて冷たい眼となる。
「話してもよいけど、本当にくだらないわよ?。
そう、貴族やなんやの前に人としてくだらなすぎる」
エリファスの言い方は、吐き捨てるという表現がぴったりと当てはまる。
組んでいる腕や手先に力が入っているのがわかり、指は腕にめり込ませている。
強気なリリィが萎縮してしまうほど、エリファスの瞳は怒りを孕んでいた。
ただ少女を萎縮させたのに気がついた後は、力を抜きリリィを見て、言葉に出さないが頭を下げた。
(ごめんなさいね)
そんな気持ちが伝わってきて、リリィは小さくふるふると頭を振った。
(いいですよ)
そうリリィは心の中で言って、ニッコリ笑うとエリファスにも伝わったらしい、微笑み返してくれる。
『―――話すのが辛い内容なら、またの機会でかまわんが』
先ほどのエリファスの物言いと沈黙で、機嫌を余程損ねたと感じたグランドールの控えた言い方に、思わず女性2人は吹き出した。
「魔法鏡と違って表情が見えないっのって、こういう時面白いわね」
エリファスが明るい声で言うと、怒ってなくて良かった~、といった具合の男性陣の声が聞こえてきてリリィはまた笑ってしまう。
『何だ、怒ってないのか?』
グランドールの渋い声がする。
「怒っていたわ。けれど、過去の事にこだわっても仕方ないとも黙っている間に、気がついてもいるのよね」
『何だか、話がわからんぞ』
「ええ、わからなくていいの。私の中での問題だから。
じゃあ、派閥について話すわね。派閥が出来たきっかけは、バン様が結婚なさった事。そしてバン様のお嫁さんを、ピーン様が気に入って輿入れさせたって事。
お嫁さんが見事に男児を2人、女児を1人産んだ事」
エリファスは一気に喋って、息を吐き、また沈黙が場を占める。
『―――エリファスさん、自分には何が問題なのか判らないんですが』
アルスの遠慮がちの言葉に、リリィも無言で頷いた。
貴族は親が相手を決めて結婚するなんて、庶民でもよく知っている。
そして輿入れしてきた嫁は見事に跡取りとなる男児と、社交界では有効な女児も授かった。
"何処が悪い"のかが、判らない。
「―――じゃあ少し例え話をしましょう」
エリファスは、アルス達の疑問を最もだと分かっていた。
それを踏まえた上で、理解できるようにエリファスはまた話始める。
「今あなた達は、ある人と2人暮らしをしています。
あなた達は、そのある人が大好きです。
ある人がある日、『新しい家族だ』と3人目を連れてきました。
3人目の人は、自分より劣っている所もあるけれど、どこか優れている所もある同性、同じ性別の人です。
ただ、どうしても不都合な事が1つ。あなたは3人目の人にどうしても、"安心"が出来ない―――」
そこで一度、エリファスは言葉を切る。
「"私"は3人目の人に、安心出来ないんですか?」
リリィがエリファスに尋ねると、深く頷いた。
「そう。しかも3人目は、日々一緒に過ごす内に、自分では出来なかったを次々とこなさしていって、あなたが大好きな人も3人目の人を誉める。
あなたの目の前で、ある人と3人目の人は談笑する。
そしてあなたは3人でいるのに、独りぼっちの、置いていかれるような気分になる」
例え話をするエリファスが、嫌な冷たさを醸し、まだ続ける。
「"置いていかれる気持ち"の時、不意に3人目の人が自分を見つめる。
そして笑ったなら、あなたはそれをどう受け取る?」
リリィの頭に浮かんだのは、ニヤリと口だけが笑う顔がない人物だった。
「―――イヤな笑い方をするなっ、て感じると私は思います」
リリィは小さい声で答えた。
『向こうがどういう気持ちで笑ったか、わかんねえからなあ。適当に笑い返すかな?』
「3人目の人が、事あることに何度も繰り返してきたなら?」
ルイのあっけらかんとした答えに、リリィは気持ちを救われそうになったが、エリファスの更なる冷たい言葉にその気持ちは打ち砕かれた。
『うーん、そうなるとあんまし面白くはないかも』
流石の楽天家もそう言った。
『で、どこに派閥が出て来るんだ?』
そこで、グランドールは痺れを切らした声で割り込んで来た。
「例え話の"あなたを先々代公爵夫人"、"ある人で大好きな人をピーン様"』、"3番目の人をバン様のお嫁さん"に置き換えて貰えるかしら?」
サラッとしたエリファスの返答に、皆先程の例え話を急いで置き換える。
そして最初に声を出したのは、シュトだ。
『師匠の話で考えたら、バン様のお嫁さんは、失礼な言い方になりますが、酷くイヤミな人になりますよ』
「あら、どうして?」
エリファスはちっともそんな風に思っていないのが、彼女の姿を見ているリリィには分かった。
『だって、ピーン様の奥方様が出来なかったが出来て、"ざまあみろ"みたいに笑ったんでしょ?』
「別に"ざまあみろ"とは、言ったつもりはないけれど。まあ、シュトはそういう話が頭に広がったのよね?」
『―――何だか後出しがありそうな話だな』
低いグランドールの声が聞こえて、機嫌が悪いのが伝わってくる。
「ええ、勿論」
躊躇わずに言うエリファスの声に、通信機の向こう側の男子達の"ええ~!"という声が聞こえる。
『せんせい、"あとだし"はジャンケンの時、ズルいって言ってました!』
『ひっかけかよ~』
アトとルイが非難の声を上げているが、エリファスは澄ましている。
『確かに師匠は、例え話が終わりとは言っていないもんな』
シュトは、気がついたと言った感じの声をだす。
『"あなた"って人の話ばっかりで3人目の人サイドの話が、全く出てきませんものね。では後出しは3人目の方の話ですか?』
アルスもシュトに続いて、気がついていた。
エリファスは、"兄2人"が気がついた事に満足そうに見てから、リリィを見た。
「リリィちゃんは、どうかしら?」
「3人目の人の、バン様のお嫁さんの話を聞かせて貰わないと、わかりません。
ただ正直に言ったら、後出しの話がでるまでバン様のお嫁さんがとってもイジワルだと思いました」
リリィが反省したように頭を下げるのを見たエリファスは、複雑そうな顔をした。
それから気を取り直したように笑顔になり、リリィに励ましの言葉をかける。
「そうね、片方の話だけを聞かされていたから、そう考えても仕方ないかもしれない。だから、一方的な話を聞いた時は、"本当にそうなのかな?"って気持ちも忘れない方がいいわね。
でも、何もしらない第三者がそうやって話を聞かされたなのなら、やっぱりバン様のお嫁さんは、"悪者"にされてしまうのね」
口元は笑みを浮かべながらも、エリファスの瞳は悲哀の色を含んでいる。
「あっ、あのバン様のお嫁さんからしてみたら、どんな感じなんですか?」
リリィが慌てて聞いた。
「また話が長くなるけれどいいの?」
エリファスはニコリと笑って、時計を見ると夕食まであと一時間ぐらいある。
「それにシュトにアト、執事さん―――ロックさんのお手伝いは?」
『ロックさんから、夕食まで"おもてなし"をしろって、仰せつかってます』
乱暴と丁寧が混ざった雑駁な言葉使いのシュトの声に、師匠としてのエリファスはため息をつく。
「もう少し、言葉に気をつけなさい。ロックさんに迷惑をかけるわよ」
『まあ、とりあえずバン様の嫁さんサイドの話をしてくださいよ、師匠』
興味が出てきたらしいシュトの口調は軽快だが、エリファスの顔はしかめ面になる。
「シュト、あなたは"他人の喧嘩話"ぐらいに捉えているんでしょうけれど、私は一応、この地の領主様と友人で、その友人の家族について話をしているんだから、調子に乗るのはやめなさい。
彼女はそれなりに悩んでいたし、私もそれを間近に見ていた。
派閥について説明する為の伏線で、話はするけれで、決して夕食までの暇潰しの為にしているわけではないの。―――解ったかしら?」
『す、すいません』
エリファスが一気に諫めると、シュトが素直に謝る声が機械を通して伝えられる。
『それくらいでいいだろう、そろそろバン様の嫁さんの笑顔の経緯を頼むかのぅ』
グランドールの執り成しの言葉に、リリィは思わず小さく頷いた。
リリィはどちらかと言えば、気のよいシュトが師匠に叱られているのが、気の毒だといった感じが近いかもしれない。
エリファスはリリィが頷く仕草が可愛く見えたらしく、口元を押さえて微笑んだ。
「そうね、じゃあ話すわ。バン様のお嫁さん、先代の領主様の奥様で、現在の領主アプリコット・ビネガー様の実母にあたる方は、ピーン様がロブロウの中からお探しになったの」
そこで言葉を続けようとした時に、アルスの声が割って入って来る。
『ピーン様がわざわざ探したのは、派閥に関係ありますか?。って、あ、すみません!』
「いいえ、構わないわ。成る程、これが会話がワンテンポ遅れて聞こえてくる、という仕組みの弊害ね」
エリファスが驚いて、まだ聞こえてくる謝るアルスの声に苦笑した。
『実際の所、ワシも話をするエリファスが語るが終わったと感じるぐらい間があったから、アルスが質問した途端、エリファスが話始めたから驚いておる』
そんなグランドールの声が聞こえてくるまで、やはり2・3秒間があった。
「タイミングが難しいわね。じゃあ、とりあえずバン様のお嫁さんの件が終わったから"おしまい"っていうから、それまで口を閉じていてね」
『は~い、せんせい』
とアトが男性側を代表して返事をする。
「じゃあ形式も整ったところで、アルス君の質問に答える所から再開しましょう。
アルス君が尋ねた通り、バン様がお嫁さんをとったのと、派閥は関係あります。
ただ領主の跡取り息子ということもありますが、どちらかと言えば、領主達の娘が関係ありました。
話を今思い出すと、派閥の前身はここからだったのでしょうね」
体のどこかにある痛みをこらえるように、額に真っ直ぐな皺を作り、エリファスは溜め息をついて更に続ける。
「ピーン様の娘達は一番上の方を除いて、皆仲が良かった。
特に2番目あたる方は特に気が強く、"母親想い"だったと話に聞いているわ」
エリファスの"思い出すのも嫌"と言った雰囲気をだしているのが、リリィには伝わる。
(賢者さまは、どう考えていらっしゃるのかしら)
リリィは一瞬だけ、エリファスの肩越しにぬいぐるみに扮するウサギの賢者を見たが、ぬいぐるみに徹しているらしく、微動だにしない。
「ピーン様も自分の娘達の仲が良く、結束が固いのを御存知だった。
もしバン様に嫁を娶せたとしても、万が一気が合わない場合の惨事を、懸念なさっておられてました。
だから、まずは娘達を嫁がせて、バン様の結婚相手をお迎えする手筈を整えました。まずは一番気の強い次女を、次に三女、四女、五女を」
『師匠、スンマセン、どうしてもわからないんすが、長女はどうして他の姉妹と仲良くないんすか?』
シュトは話に横槍を入れて、申し訳ないという気持ちをもちながらも、理解出来ないと声を出す。
だがこの横槍は、派閥の説明を理解する為には、"正しく、必要"でもあった。
エリファスは目の前にいるリリィも小首を傾げているので、ある事の説明が必要な事態を察して、グランドールに質問する。
「グランドール、失礼な尋ね方だけれど、教えてもらえるかしら。
農業研修のご同行の子ども達に、"普通の家族"を持っている人はいるの?」
例の少しの間があって、グランドールが短く応えた。
『いや、皆、災害孤児や理由があって家族というものを、知らない』
「そっか。シュトもアトもそうだし。このまま話を聞いても、ちょっと解りづらいかな。じゃあ簡単に説明するけれど、理解はしなくていいから、知っておいて」
『理解しなくて、いいんですか?』
「ええ。くだらないから」
独特のあの間の中、エリファスはアルスの質問に即答する。
それから何事もなかったように、エリファスは再び話始める。
「最近は男女どちらでも、領主になる事が出来るけれど、昔は男子だけだったの。
ただ、子どもは病気になったり事故にあったり、考え及ばない事で亡くなったりする。
だから領主には複数の子ども不可欠且つ、男子は2名以上必要だった」
そう言われると、思い浮かべるのは、ピーンの子ども達。
女5人に男1人。
『エリファスさん、オレも横からすみません。
男が少ない場合って、その、どういうふうにするもんなんすか?』
ルイもおずおずとした声ながらも尋ねる。
「跡継ぎの男子が出来ない場合は、血縁者から養子にもらったり、娘がいるなら婿にしたりね。ピーン様も、バン様がいらっしゃったけれど、念のため御長女を跡継ぎを迎える為の婦人教育を、他の4人とは別に行っていたわ。
勿論バン様も、跡継ぎになるべく教育を受けた。
ただ、それが子どもからしてみれば、"特別扱い"に見えていたかもね」
尋ねられるのは予想の内だったので、エリファスは普通に質問に答えた。
「それでは話を戻すわね。ピーン様は次女、三女、四女、五女の4人をそれなりの家に嫁がせた、前々から目星をつけていた娘さんをバン様のお嫁さんにと動き始めていたわ。
それと偶然にも、良縁が長女さんにきたの。
お嫁さんを探すのや、ピーン様の代わりに、各地を動いていた彼女の勤勉さに惚れ込んだ商人が、長女さんに求婚された」
「わあ、良かったですね!」
リリィが思わず声をあげてから、ごめんなさいと口を押さえて頭を下げた。
「リリィちゃんは、長女さんが"幸せ"になれると嬉しい?」
エリファスの質問にリリィは、"キョトン"としながらも
「え、はい、嬉しいです。弟のバン様の為に、妹達と遊べなかったり、勉強だったりしたんだろうけれど、"好きだ"って言ってくれる方て出逢えたから」
と、ポツポツと思った通りの事を言う。
それから明るい顔をして、
「私、頑張った人が、ちゃんと幸せになれるのが好きです!」
と、嬉しそうにリリィはつけ加えた。
その答えを聞いたエリファスは、眩しくも、切なそうな表情を浮かべ
「そう、そうね」
と優しく微笑み、話を続け始めた。
「そんな理由で、長女さんを無事に嫁がせ、バン様も、いよいよお嫁さんを迎える事になった。
花嫁はピーン様が選んだのだけれど、バン様と相性も悪くなかったみたいで、領地領民も祝福したわ。
ただ、私も又聞きなんだけれど、式には勿論嫁いだ他の姉妹も参列していて、花嫁を値踏みするように見ていたらしいわ」
『値踏みか』
グランドールの皮肉を含ませた声に、エリファスは苦笑する。
「ただ花嫁は驚いた事があった。バン様に姉が2人いる事は聞いていたけれど、妹が3人もいる事は聞いていなかったから。
花嫁自身、兄が2人で下に女の3人の姉妹の末っ子だったから、女のよい面嫌な面に関して分かっている。だから、式の間中見詰めてくる、花婿の4人の姉妹に一抹の不安を抱えたらしいわ」
『せんせい~、"いちまつ"ってなんですかぁ~?』
「ほんの少し、"ちょっと"って意味よ、アト。まあ、結果は一抹どころじゃなかったんだけれどね」
アトの質問に答えつつ、残念そうな顔し、エリファスは両手で自分の顔を包み込む。
それから、自分に"活"を入れるように顔をピシャリと叩き、息を吐いて話を続けた。
「花嫁さんは、嫁いだその日から、義姉妹達にことある毎に"男児を2人は産まねばなりませんよ"、とそれはしつこく言われてきたらしいわ。
ビネガー家はロブロウとい土地を改めて賜ったけれども、それでも平定後でいったならまだ2代目だものね。
そして改めて初代となったピーン様の奥方様も、貴族でない時でも"跡取りを!"と周囲から、それはきつく言われていたみたい」
『そんなに言われるものなんですか?』
エリファスの話を聞いて、俄かに信じられないと言うのは、アルスの声。
跡継ぎを必死に熱望し、あらたな"家族"となった女性に多大なプレッシャーを与える。そんな話は、家族持てなかった子ども達には、どこか現実味がない話に聞こえた。
『何か、家族ってなると、誰でもそんな考えなのか?』
驚きで、ルイも思わず声をだしていた。
エリファスもショックを隠せない声を出す子どもたち達に、どう話すべきか考え込む顔をする。
『昔からそういう風潮があったと言えば、あったのぅ』
伝える言葉を考え倦ねるエリファスを、助けるようにグランドールが言葉を出す。
『ただな、あんまり悪い方ばかりに考え方を捉えるもんでもないぞ。
変な例えかもしれないが、植物を育てるのと似たようなもんだ』
「植物―――ですか?」
今度はリリィが驚いた声をだす。
『ああ、そうだ。種を植える、植物が育つ、また、種を植えるの繰り返しだ。
だがな、育つ度に植物の味は違うし、形も違う。
そして、何より一番最初の植物があったらこそ、今の植物があるのだという実感があるんだ。
人で言うなら、一番最初の人がいたから、今の自分があるという存在の"証明"がな。まあ、お前さんの師匠の賢者はそんなもの突っぱねていたが』
グランドールがそんな事を言うので、リリィは思わずベッドに鎮座するウサギのぬいぐるみを見てしまう。
そんなリリィにエリファスは気がついて、振り返りウサギのぬいぐるみを見つめて、ああ、と優しい笑みをもらした。
(ウサギのぬいぐるみは、リリィさんの師匠さんからの、プレゼントなのかしら?)
エリファスはリリィに気を使い、小声で尋ねてきた。
この研修に出る際に、"ぬいぐるみ"に関して尋ねられたら答える"手引き書"をリコとライが予め用意していた。
その中に、正にエリファスの質問も含まれていたので、リリィは躊躇うことなく頷いた。
(私、賢者さまの側を長く離れるのも初めてなんで、賢者さまが"おまもり"にくださりました)
と、これもリコとライが用意してくれていたセリフをスラスラと、小声でリリィは答えた。
少女の答えを聞くと、エリファスは嬉しそうに笑って機械に向かって話しかける。
「私の知っている賢者さんも、つっぱねた所はあるけれど、優しい人でもあったわ。正直、私はその人とあまり縁がなかったんだけれどね。
ちゃんと話した、と、言うよりは、彼の考えを聞いたのは、一回きり。
その時の話が印象的だったから、よく覚えている」
エリファスは視線をティーテーブルに落とし、半眼になり、懐かしそうな眼差して喋る。
「賢者になったって聞いたけれど、その頃はまだ、賢者じゃなかった。
ロブロウのこの事も、それなりに知っていたみたいで、さっくり言っていたなあ。
"どうして人っていうのは、長く続いた物を締めくくる時に、罪悪感を抱くのだろう。それが良い物や思い入れがあるなら、まだ何とか続けようと努力しようとするがわからんでもないが、人を不幸にするだけの続け事なら止めてしまえばいいのに"
ってね。その時は、何て恐れ多い事をいうんだろうって考えたけれど、今は判る」
『あっ、オレもそれなら、その人と同じっす』
ルイの明るい声がしたと思ったら、パシリと良い音が機械から響く。
どうやらグランドールに例のごとく、叩かれたらしい。
『ルイ、軽々しく王都でそう言った事を口走るなよ。ましてや、このロブロウでは絶対に言ってはならんぞ』
グランドールが厳格な態度の声が、響き渡る。
「ごめんなさいね、ルイ君。私の言った言葉に、調子を合わせてくれたのにグランドールから叩かれてしまって。でも、グランドールの言う事も、間違ってないのよ」
エリファスはルイに謝りながらも、グランドールの言う事を支持した。
「ここロブロウは、若い人たちに分かり易い言葉でいうなら、因襲の基盤が"古く且つ確固"なの。
だから国王陛下が領主を、男女どちらでも良しと、法を定めたのに、"領主は男性であるべきだ"、という考え方の人もいる」
『んじゃ、軽々しくそういう事をこのロブロウで言っちまったら、"白い目"つーか、土地の人に助けて欲しい時に、助けてもらえないってことっすね?』
説明の後、少し沈黙の後に聞こえたのは意外というより、予想外のルイの言葉だった。
エリファスとリリィは思わず顔を見合わせてしまっている。
『ルイ、頭いいです』
アトが無邪気な声を出していたが、グランドールを除く全員がルイの洞察力に驚かされた。
ルイが"無学"とは誰も思ってはいなかったが、ここまで言葉を噛み砕き、思慮深いとはいつもの腕白な姿からは、グランドール以外の誰も考え及ばない。
『さて、うちの弟子もこの土地での振る舞い方も分かったみたいだから、そろそろ派閥の続きを願おうかのぅ?』
気のせいか、ほんの僅かだがグランドールの声は、誇らしげにリリィには聞こえた。
(グランドールさま、ルイの事を大切に思っていらっしゃるんだなぁ)
ルイを羨ましく感じながらも、エリファスが話を再開したので、リリィは話に注意を戻す。
「じゃあ、ご要望にお応えして。バン様と奥方様は、結婚してすぐにピーン様の命令で、領地の端にある城へと赴任なさったの。
ピーン様なりに、自分の娘達が、早速息子の奥方様にプレッシャーをかけるのを見越していたのね。これは良くないと思って、物理的に距離を作ったのね」
接近する事もなければ、衝突もない。
領主の息子夫婦は5年間で、男児を2人、女児を1人授かりそれなりに、離れた場所で仲睦まじく暮らしていた。
勿論、季節の節目や祝日の行事には子どもを連れて、領主の館に帰ってくる。
軽いいざこざはあるにしても、大問題など起きない普通の家族のあり方だった。
「そのままだったら良かったのだけれど、ある日ピーン様が、火傷をなされたの。
命を落とすような傷ではなかったけれど、ピーン様はバン様夫妻を呼び戻した。
と言うよりは、呼び戻すように催促の嵐を受けたのね」
「えっと、そのバン様の姉妹の方から言われたんですか?」
遠慮がちなリリィな声に、エリファスは残念そうに頷いた。
「"長男なのだから、嫡子で特別な扱いをうけたのだから、親の世話をするのが当たり前だ。子ども頃から何かにつけて、バンだけが優遇された。
その恩返しをしなさい。そもそも嫡子なのに、離れて暮らすのはおかしい"
と言ったのが一例ね。とにかく何かにつけて、文句の早文が届けられたそうよ」
徐々に怨嗟を孕むエリファスの口調は、先代領主の姉妹達に対して本当の憎しみを向けているみたいにも、リリィには見えた。
それから自分の感情が高ぶっていた事に気がついたエリファスは、極力素っ気ない様子を装いながら話を続ける。
「更にどういう訳か、ピーン様の奥方様がバン様の奥方様に何故か、跡継ぎとなる、孫を連れて一緒に領主の館で暮らし始めてから、まるで引きこもるように人前に出ることを止めてしまったの。
私も今の領主様からの又聞きだから、実際はどうだか知らないけれど、ただ"辛かった"って、言っていた」
「何だか、最初の話と比べると何が何だか分からなくなりました。結局どちらが悪いんですか?」
まだ幼い少女は、頭を抱えてしまっている。
ピーンの奥方様はバン様の奥方様に意地の悪い笑顔を向けられ、と言い
バン様の奥方様は、言われた通りに嫡子を産みながらも、義理の母は外に嫁いだ義理の姉妹達に責められる。
『リリィ、もしかしたら話の発端の考え方が違うのかもしれないよ』
機械通しの声の質だけでも、リリィが"悩んでいる"と察する事が出来た"兄"であるアルスが助力の声を出す。
「考え方が違う?」
リリィが頭を押さえていた手を離して、彼女の柔らかい髪が数本ふわりと舞い落ちる。
アルスは誰も言葉を発しないのを確認してから、再び声を出す。
『エリファスさん、確かバン様の奥方様が意地悪く笑った時の話に
"自分が出来なかった事をこなした"っていうのありましたよね?。
それは男児を2人、バン様の奥方様が授かった事ではないんですか?』
『はあ?!。だってバン様の奥方様が子ども産んだのは、ピーンの奥方様や姉妹達が結婚した時から、文句言ってからだろ?』
ルイが理解出来ない、と言った感じの声を機械を通して張り上げたが、アルスの言った事が正解なのだと、エリファスが静かに頷いていた事で、リリィにはわかった。静かに頷くエリファスのバックグラウンドミュージックの様に、アルスの言葉が続く。
『ルイ君、自分も女性の感情に詳しいわけじゃないけれど、異様に勝ち負けに固執する"人"に関しては、少しは知っているつもりなんだ。
エリファスさん、知っているなら教えていただきのですが、ピーン様の奥方様はそう言った性分の方でしたか?』
「どちらかと言えば、娘さん達の方がそういった面が強かった。
奥方様自身は、結構な箱入り娘で嫁がれてきたらしいんだけど。
でも、"ロブロウの中に領主夫人"という誇りは、持っていたんじゃないかしら。
箱入りさんなだけに、世間は知らないけれど、自分の居場所に対する固執はあったと思う」
エリファスはゆっくりと考えながら答えた。
『そうですか。リリィ、悲しいけれど、この話に"誰が悪い、それを反省した、みんな仲直りした"って終わりは来ないよ。
"気にくわないを人を取り除こう、それか自分が消えよう"
そんな悪循環が続いていたんだと、自分は思う』
『ピーン様の奥方様にすりゃ、自分が出来なかった男児を2人、さっさと産みなさったバン様の奥方様が"怖かった"とか?。
でも、バン様の奥方様にすりゃ、"御言いつけの通りに、男児を2人産みました"って微笑んでも、ピーン様の奥方様には意地悪く笑っているようにしか、見えないって話になるんすかね、師匠?』
アルスとシュトが連なって言う言葉に、リリィはショックを隠せない。
先程リリィが言った"頑張った人が、幸せになれる"は、この派閥の話の中では真逆の話となってしまう。
リリィはもしも自分が、いくら頑張っても"気にくわない"という感情だけで、努力を無碍にされる状況になったなら、どう振る舞えばいいか分からなくなっていた。
『まだ、自分を敢えて下に見せて従順な嫁を振る舞うには、バン様の奥方様は若くて無理だったか?』
グランドールの言葉で、リリィは、震え壊れそうな"自分の在り方"というプライドを何とか支え直す。
しかし、リリィは11年間生きてきた中で、"自分を下に見せる努力"という言葉は初めて耳にした。
ただ、成人であるエリファスには既知の言葉のようで、
「そうねえ。バン様にお嫁入りされたのは、まだ若い溌剌とされた時期だし、5年間はそう言った事に出逢った事がなかったし。
社交界における人関係なら、"そう言った人なんだ"と気がついて、自分を下に見せるあしらいが出来たかもしれない」
と受け答えていた。
『"穏便に"を優先させ過ぎたのも、逆に仇となったかもしれんな』
グランドールも、残念そうな声を漏らす。
そういった話に、リリィが不安な顔をしているのに気がついたエリファスは、困ったように笑って手を伸ばし、柔らかい髪の毛越しに少女の頭を撫でた。
「ごめんなさいね、嫌な話ばかりで。もう少しで、終わると思うから、本当にごめんなさいね」
重ねるように、エリファスがリリィに謝罪した。
『話がもう少しと言ってますが、派閥はもう出来ているんじゃないんですか?。
その、ピーン様の奥方様派、バン様の奥方様派で』
『でもアルスさん、だったらバン様の嫁さんの方が分が悪いんじゃね?。
何かエラく気が強い小姑とか、沢山いたんだろ?』
アルスとルイの会話の通り、派閥は姑派と嫁派のもの。
そして、今までの話を聞いただけでも優劣の差で言えば、姑の方が人数的には優位であると分かる。
「ええ、バン様の奥方様は1人だった。だけれど、怯まなかった。
道理が通らない文句や、理不尽な言いがかりに、信じられない出来事に心を歪みそうになりながらも、"派閥"として成り立って言った。
元々、初代領主の娘というだけで、嫁いだ後も婚家にいかず実家にばかり帰ってきては、威張り腐っていた姉妹に嫌気がさしていた使用人も多かったのも事実。
ただ、姉妹に取り入って、良い目をみていた使用人もいたの。
ああ、でも不思議と"ピーン様の奥様とバン様の奥様が、直接争った話"は1度も聞かなかったな。とりあえず、今は此処までで、"おしまい"でいいかしら」
エリファスがそう言うと、一同はドッと力が抜けたような雰囲気に包まれる。
『あっ、じゃあ師匠、リリィのお嬢ちゃんに冷たく振る舞っているのは、ピーン様の奥方様派って考えていいんですかね?』
『リリや、女の子にイジワルな人達います』
シュトが思い出したように尋ね、アトが相槌をうつように喋った。
「正確に言うなら、元・ピーン様の奥方様派ね。正直な所を言えば、派閥は数年前に領主となったアプリコット・ビネガーが、"仮面の貴族さま"が、先月に漸く壊滅させたわ」
『"仮面の貴族さま"ってのは、何だ?』
エリファスはさも当たり前のように言ったが、"仮面の貴族さま"と言う言葉は王都から来た一行には初耳だった。
グランドールの言葉に、エリファスは激しく瞬きをして、
「ああ―!!」
と大きな声を出して、見事に王都から来た一行を驚愕させた。
しかし、当のエリファスは、驚愕させた事など全く気がついてない様子で口を両手で覆い隠すという、まるで劇場の役者を彷彿とさせる仕草をしてから、急いで説明を始める。
「いけない!。あなた達が落ち着いたのなら、一番最初に言わなきゃいけないって考えていたのに、すっかり忘れていたわ。アプリコット、ここの領主様の事なんだけれど」
説明の序盤早々、部屋をノックする音が聞こえた。
「夕食の支度がまもなく整います。食事が冷めぬ内に支度をお願い、いたします」
例の慇懃ながらも、どうしても『無礼』な感じが拭えない、女のメイドの声が豪奢な客室に響いたのだった。




