【ディナーで初めまして】
リリィにとって、正装をしてディナーという形で食事をとるのは産まれて初めての事でした。
「正装って、堅苦しいし、息苦しいなぁ」
男側の客室の中央に、ポツンと1人立っているのは、パッと見た目はどこかの貴族の少年にも見えるルイ。
『ルイは、着替え、終わったの?、わぁ!』
機械から途切れ途切れに聞こえてくるのは、リリィの声。
『リリィさん、大丈夫?。コルセットなんか初めてなんでしょう?』
そんな声を出しているのは、リリィの"正装"の着替えを手伝いをするエリファス。
「リリィ、エリファスさんがいてくれて良かったな。
もしいなかったら、あの感じ悪いメイドに着替えを手伝って貰わないといけなかったからな」
少しからかうようなルイの言葉だけれども、実際エリファスがいなかったと考えるリリィは、冷や汗をかける。
彼女がいなかったら、あの冷たいメイド相手に正装の着替えをしなくては、ならなかった。
もしかしたら食堂で、1人、ウサギのぬいぐるみを抱えたまま、待ちぼうけしていたのかもしれない。
シュトとアトは、リリィが冷たいメイドから晩餐の知らせを受けてからすぐに、男性陣の客室にロックが現れて晩餐の支度を手伝うように言われて、戻って行ってしまった。
『それは、認め、わっぷ!』
『あっ、ごめんなさい!』
急にリリィの声が遮られて、エリファスの謝る声がする。
「おーい、どうした?」
ルイが何気なく尋ねると、
『ちょっと、エリファスさんの胸が顔にぶつかって、ぽよんって』
『りっ、リリィさん!』
『え!私何か悪い事言ってしまいましたか?』
と、言うような会話が聞こえ、やんちゃ坊主も珍しく顔を赤くしてしまっていた。
(―――オッサン、良い趣味してんな)
遠目からでも、エリファスの豊かな胸なのは分かったが、ロブロウの入り口で見た時には、ルイは正直度肝を抜かれてもいた。
「おっ、オッサン達の着替え遅いなあ。まあ、英雄の時の"衣装"は面倒臭いもんなぁ」
少年はわざとらしく話をすり替え、独り言のように呟いた。
『正式な衣装は何でも形式的で、面倒臭いわね、よし!―――これでリリィさんは大丈夫!。ごめんなさいね、私、髪の毛をセットするのが苦手だから、リボンでごまかすみたいな形になっちゃった』
リリィの方は着替えが終了したらしい。
「なあ、思ったんだけど着替えたし、エリファスさんもいるなら、魔法鏡で繋げても良いんじゃないか?」
『それも、そうよね。せっかくリリィさんが可愛く仕上がったから、ルイ君に御披露目しましょう。私もそれ程魔法得意じゃないんだけど、えい!』
ルイの提案に直ぐにエリファスが答えて、指をパチリと弾いた。
すると互いに部屋に備えられている魔法鏡で、姿がパッと映し出されて繋がる。
「へえ~、リリィは貴族の令嬢と言うよりは"お姫様"だな」
「え!あなたルイなの!?」
ルイの誉め言葉に対して、リリィの言葉があんまりだったのでエリファスが思わず吹き出していた。しかし、平素のルイしか見たことがないなら、素直な人物は声を出して驚いても無理はない。
いつも癖っ毛であちこちに跳ねている栗色の髪は、火の精霊の力で熱した鉄鏝でまっすぐストレートになっているし、常に顔のあちこちにある擦り傷も、グランドールにより強制的に治癒術をかけられ、滑らかな肌。
何より服装が上品でありながら、決して豪奢でもない。
ただ魔法鏡越しでも、服が偉く高そうなのは見てわかった。
「本当にルイよね?」
リリィが重ねて尋ねるので、ルイは少し面白くなさそうにサラサラになった髪を掻いてから、イーッと歯を見せた。
彼のトレードマークである、八重歯がニュッと出てリリィは漸く安心した。
「それじゃあ、魔法鏡も繋げたから通信機械は止めましょうか。あ、そうだ。せっかくブローチみたいなんだから」
エリファスは機械のスイッチを切ってから、それをリリィのドレスの胸元に飾った。
「あっ、オレも真似しよっと♪」
それを見ていたルイも、言葉通り真似をし、胸元にブローチのように通信機械を飾った。
「わあ、何だか仲良しみたいで嬉しいね」
思いがけないリリィの言葉に、ルイは顔を再び赤く染めていた。
(リリィさんて、もしかして小悪魔系なのかしら)
エリファスが心の中で独り言を呟いていると、男性陣の奥の部屋の扉がチャリと音を立てて開いた。
「あ、お兄ちゃんにグランドールさま!」
「あれ、魔法鏡繋げたんだね」
魔法鏡が繋がっている事に、アルスは驚いている。
一応軍からの出向でグランドールの配下になっているアルスは、軍の礼服に白い手袋をしていて、髪型もいつものように無造作ではなく整えられていた。
ただ、いつものアルスと比べると人当たりの良さが消えていて、ほんの少し近寄り難い印象をリリィは受けた。
一方のアルスは、魔法鏡の向こう側にいるリリィを見て喜んでいる様子で、
「わあ、リリィ可愛いね」
と褒め称えた。
兄妹を謳っているので端から、アルスの言葉はシスターコンプレックスを疑わせる発言だが、実際、リリィは可愛らしくエリファスが仕上げていたので、場は和やかになった。
「お兄ちゃんも、堅苦しいけれど格好いいよ」
「うん、堅苦しいから正直言えばちょっと苦手なんだよね。手入れも大変だし」
「相変わらず、お前たち兄妹は仲が良いのう」
と、兄妹の会話にのっそりと言った感じで入ってきたグランドールの姿は、『重厚』といった表現があてはまる。
勲章を数個胸元につけ、立派な群青色のマントをしているのが特徴的。
格好は"これでもか"というぐらい確りしてはいるが、グランドールの顔は既に疲れている。
「グランドールさま、お着替えが大変だったんですか?」
リリィが尋ねると、疲れた顔ながらも笑いながら、グランドールは頷いた。
「ああ、格式張ったのはとーっても、苦手でな。
で、仮面なんかをしている、変わり者の貴族の相手をせにゃならんと考えるとな」
温厚なグランドールにしては、投げやりな喋り方に正装した一行は驚いてしまう。
グランドールが"貴族嫌い"という事しか知らない側には、いつもの温厚さが見えない事は結構なショックとなる。
その直後、ベッドに倒れないように置かれていたはずのウサギのぬいぐるみが、ぽてりと横に倒れる。
「あっ、あれ、置き方悪かったかしら」
すかさず、倒れたウサギのぬいぐるを置き直す為に、リリィがベッドに駆け寄るのを魔法鏡越しにグランドールは見ることが出来た。
グランドールには
(あ~あ、大人気ないねえ)
と旧友に溜め息をつかれる代わりに、ああいった動きをとられたように感じ、観念して鼻から息を吐き出し、気合いを入れ直した。
「リリィのドレスはいいな、作ったのか?」
と仕切り直しのように、少女に語りかけた。
「え?。あ、えっと、このドレスはリコさんが、貸してくださったんです」
ウサギのぬいぐるをしっかりと元の位置に戻して、リリィは立ち上がりながらグランドールの質問に答える。
「"もう小さいし着れないから、あげるね"って言ってくれたんですけど。
とても丁寧に箱にしまっていたから、綺麗に洗ってから、ロブロウのお土産と一緒に、お返しをしようと思ってます」
ただ綺麗なドレスを着れた事は、リリィにとっては、とても嬉しい事だった様子で自然と愛らしい笑みを浮かべていた。
「ほう、リコリス嬢のおさがりか。ある意味ルイと一緒だな。ルイはアルセンのおさがりだよ」
グランドールがチラリと、澄ました格好となっている弟子とリリィを見比べて言った。
「あっ、なるほど!。アルセンさまのお下がり、って言葉で何だか凄く話がわかりました」
リリィが思わず手を合わせて納得しているのに、ルイは面白くない。
そんなルイの頭を、マントと合わせた群青色のシルクの手袋をしたグランドールが、クシャリと撫でた。
「まっ、どんな服を着ていても"ルイ"って、リリィにわかって貰えるように頑張れ。エリファス」
グランドールがエリファスの名前を呼んだ事で、リリィの心は大きく"ドキン"とした。
身近で"恋人"という関係を目の当たりした事がない、11才の少女にしたらそう言った名前の呼びかけすらも、少々刺激的。
「何かしら」
当のエリファスはもう気持ちは随分落ち着いていて、最初の時程、頬を赤らめる事もない。
(でも、やっぱりグランドールさまと話せて、エリファスさん、嬉しそうだなあ)
顔はキリッとしていても、エリファスが出す雰囲気が柔らかいのが側にいるリリィにはわかる。
「詳しく話せて貰えるかわからんが、どうしてここの領主様は仮面をしているんだ。支障がなければ、教えて貰えるかのぅ?」
しかし、グランドールはエリファスの柔らかい雰囲気も、リリィのドキドキもお構いなしに淡々と質問をした。
自分勝手とわかっていながらも、少女はちょっとだけグランドールに腹をたて、エリファスはというと、雰囲気を壊さないまま、少し考えるように瞳を閉じて口を開いた。
「―――簡単に言えば、アプリコットが仮面をしているのは、顔に"大きな傷"があるから」
エリファスの答えに、グランドールは眉間に厳つい縦皺を寄せて、ルイは目を丸くした。
「えっ、でも、ロブロウの領主様は女性の方ですよね?」
アルスはエリファスに質問をしながら、狼狽もしていた。
「怪我をしない人生なんてありませんよ、アルス君」
そう言ってから、エリファスは再び瞳を開いた。
それから小さくため息を吐いて、妙に明るい口調になり言葉を続ける。
「アプリコット、領主様に傷が出来た時期は、本当に幼い頃。
原因は些細な事らしいのだけれど、思った以上に疵痕が残ってしまったの。
ただね、領主様からすれば、毎回傷を隠す為の特殊な化粧をするのも面倒くさい。
ついでに、実は毎日の化粧するのは面倒くさかったから、これ幸いって、今は仮面をつけてるわ」
「へ?」
狼狽に続き、アルスが間抜けな声を出した。
だが、アルスの間抜けな声も正装した農業研修一同には納得出来るものだった。
「なんつーか、女だけれど男らしい領主さまっすね」
不躾満載のルイの言葉にも"尤もだ"という雰囲気が、エリファスを除く全員に溢れている。
エリファスもどういった顔をすればいいのかわからず、結局苦笑する形で頷いた。
「女性が顔に傷がつくと、どうしても深刻にとられがちなんだけど領主様――――アプリコットに関しては、"これ幸い"って感じがどうしてもね。
だから、領主様の仮面に関しては"そんな理由なんだ"ぐらいで考えてもらっていいから。深刻に受け取らないでね」
「成る程、おまえがロブロウの領主殿の仮面について話そうと思っていたのに、すっかり忘れていたのは、そこら辺の事情があったからかのぅ」
グランドールが腕を組み直しながら、魔法鏡越しにエリファスそう言うと、ルイが振り返って尋ねる。
「オッサン、どんな事情だよ?」
若い弟子には噛み砕いて説明しないと、理解できないと悟った師匠は簡単な説明を始める。
「ん?ああ、ワシ達にとっては、凄く不思議に見える事が、仮面の事情を知っているエリファスにとっては不思議でもなんでもないって事だのぅ。
この場合の領主殿はどちらかと言えば、"寝癖が酷いから、帽子を被っています"みたいな感じでいいのか?」
グランドールがまたチラリと魔法鏡越しのエリファスを見ると、エリファスは無言で豊か胸の前で両手を使って「○」のサインを出していた。
サインを確認してから、グランドールは説明を再び始める。
「で、領主殿してみれば、仮面を被る事は"寝癖を隠している"ぐらいな事なのに、"可哀想"やら、やたら同情や憐れみが籠もった視線や言葉をかけられたら、どうだ?」
「あー、そう言う感じなんだな。オレなら、それは鬱陶しいし、エリファスさんが説明するのを忘れてたのもわかる」
ルイが納得して頷いた。
ただ、格好が立派なので、傍目にはえらく難しい学問を理解できた、貴族の子どもにも見えたリリィは、吹き出してしまう。
「リリィ、笑うなよ」
ルイが本気で情けない顔をしている。
「ごめんなさい、バカにしている訳じゃないんだけど、いつものルイと違いすぎて」
リリィが素直に謝るので、ルイが気持ちを持ち直した時、男性陣側の部屋がノックされた。
「入ってくれ」
グランドールが声を出すと、扉が開き執事のロックが恭しく頭を下げていた。
「晩餐の支度が整いました。お客様、食堂までおいでください」
そう言ってから、ロックが頭を上げると部屋の中で使われている魔法鏡を見て、驚きの声をあげた。
「おや、魔法鏡を繋げたのですか?」
「ええ、私が。悪かったかしら?」
エリファスが困惑したような声を出すと、年老いた執事は首を小さく横に振り、更には懐かしむような声を出す。
「こうやって魔法鏡が、ビネガー家内で使われているのを見るのは、随分久しいですので驚きました」
「え、どうして使われてなかったんすか?」
ルイがそう質問すると、ロックは少しだけ目を丸くして、少年を見つめた。
アルセンのおさがりの服と、まっすぐサラサラな髪型のルイは、一瞬自分の目を疑うくらいの効果がある。
「失礼しました、これは、見違えました。はい、そうですね、私が覚えているだけで、もう20数年は、魔法鏡は使われているのを見たことがありません」
「いったい、どうしてでしょう―――」
アルスがそう言った時、今度は女性側の客室をノックする音がして、
「あっ、どうぞ」
とリリィが答えると、不思議と扉を開く音が"無遠慮"に聞こえ、あの冷たいメイドが礼儀正しくは、あるが威圧的な雰囲気で頭を下げていた。
お客様、そろそろいらしていただかないと、支度が整って皆様お待ちに―――?!」
メイドが慇懃に下げた頭を上げて、使われている魔法鏡を見て表情が固まる。
「え、でも皆部屋に?」
リリィがキョトンとして、魔法鏡の向こうにいる仲間とメイドを見比べた。
メイドは顔を真っ赤にして再び頭を下げ、
「失礼いたしました、では部屋の外でお待ちしております」
そそくさと言った感じで、再び扉を閉めてしまった。
「何だぁ、ありゃあ」
ルイが気持ち悪いものを見たような感じで声を出す。
「―――、ま、誠に、申し訳ありません!」
老執事が深く恥じ入った様子で頭を下げると、グランドールが気の毒そうな視線を向けた。
「―――まあ、"実害"がなかったからいいわい。それよりも、エリファス。
お前は晩餐に参加をしないのか?」
項垂れる老執事に気を使い、グランドールは話を変えようとエリファスに水を向ける。
彼女もそこは"好漢"の意志を汲み取って、すぐに答えてたくれた。
「今回はご遠慮するわ。私がドレスが苦手なの忘れてしまっていたのかしら」
少しだけ"拗ねた"ような言い方をして、エリファスはニッコリと微笑む。
"そうだったな"とグランドールは、整えた顎髭を撫でて笑った。
「ドレス苦手なんですか?」
自然とリリィが話にのって尋ねると、エリファスは豊かな胸を揺らして苦笑いした。
「ドレスだと、どうしても胸元を締めて息苦しくなるの。
後、私のドレスの場合はデザインがちょっとね。
エスコート役がいないと着るのが恥ずかしいって感じなのよ」
「エスコート?」
初耳の言葉で、尋ね返す。
「女性につきそってくれる人のことよ」
説明を聞いた少女は"良いことを思いついた"と言った感じで
「じゃあエスコートを」
と口を開き、"グランドールさまに"と思いっきり言いそうになったが、賢者から注意された事を思い出して、止まる。
「ええっと、エスコートはお兄ちゃんにして貰えば」
必死に取り繕いを作り出したが、かなり苦しい。
その苦しい所を助けたのは、エリファス自身だった。
「ありがとう、リリィさん。
でも、ドレスは苦手だし、私のドレス姿は『若い人には目の毒』らしいから。
じゃあ、私は行くわね。ついでに魔法鏡は、繋ぎを切断しておくわ」
と、パチリとエリファスが指を弾いて、魔法鏡の通信を解いた。
鏡には再び、おめかししたリリィとエリファスのみが写し出される。
「―――もしかして、リリィさんは私とグランドールの昔の事に気がついたのかしら?」
不意に、鏡に視線を向けたままエリファスに尋ねられ、少女はしどろもどろし、視線を下にして、両手の指を変に重ね合わせてしまう。
「あっ、別に責めている訳じゃないのよ。
やっぱり女の子はそう言った事に鋭いのかな~?って、勝手に思っただけだから」
"女の子はそう言った事に鋭い"はリリィに関して言えば、エリファスの大いなる誤解だった。
だが、確かにウサギの賢者に言われて、必要以上にリリィはグランドールとエリファスの関係を意識している。
当たらずとも遠からず、正にそれなので、何とも言えないリリィはモジョモジョとしてしまう。
そんなリリィがエリファスには可愛く見えた。
ゆっくりリリィの柔らかい髪の頭を撫でて、少しずれていたリボンを結いなおす。
「―――ねえ、リリィさん。私とグランドールは2人並んだら、どういった関係に見えるのかしら」
エリファスに質問されたけれど、この人は答えを求めていないのが不思議とリリィにはわかった。
だからリリィは黙っていた。
そしてエリファスはリリィが作ってくれた<静寂>の時を有り難く堪能する。
『私とグランドールは2人並んだら、どういった関係に見えるのかしら』
と自分自身すら言い難い問いを、敢えて声を出して尋ねた事で、幸せであった時間を反芻しているのかもしれない。
それからその気持ちに踏ん切りをつけるように、エリファスはニッと口角を上げた。
「さて、私は先に行くわね。
多分私の夕食は厨房の方で、別に用意してくれているから、場所をとってもいけないし。
何かあったら、その通信機械でシュトとアトに言って。
じゃあね、リリィさん、あ、食器さげなきゃ」
エリファスは少しだけ慌てて、リリィに用意した食器を片付けて盆に乗せた。
「それじゃあ、行くわね」
盆を抱えて、ドアノブに手をかけて部屋を出かけたエリファスに
「エリファスさん、ライスボール、とっても美味しかったです」
とリリィは礼を述べた。
既に半身を部屋の外に出ているエリファスは、手をひらひらとさせて照れ笑いをする。
「空腹は最高のスパイスってね。
私より、ここの竈番さんのご飯はよっぽど美味しいわよ。それじゃあね」
そう言って完璧に部屋から姿を消した。
「私もいかなくちゃ。賢者さま?」
呼びかけて振り返ってみたなら、ウサギの賢者は両腕をブンブンと回していた。
「ジッとするのも疲れるね~。体を静止させる為の筋力の強化は、もう少し研究が必要かな~」
「じゃあ、賢者さまの体がほぐれてからいきましょうか」
軽い足音をたてて、リリィはウサギの賢者がいるベッドに駆け寄る。
ウサギの賢者はドレスアップした、小さな自分の「秘書」を見て円らな瞳をキュッとして微笑んだ。
「とても可愛い仕上がりだねえ。リコさんのおさがりと言ったが、リリィにその服は良くあっている」
リリィは少しだけ気取って、昔絵本で見たような淑女のようにドレスの裾を掴んで礼をしてみせると、ウサギの賢者が小さな拍手を送ってくれた。
「実はリコさんも、ドレスはおさがりらしいです。
リコさんの大叔母様が、誰かの為に作ったらしいんです。
けれど渡しそびれたのを、リコさんに差し上げたそうです」
リリィは気がつかなかったが、ウサギの賢者の動きがピタリと止まっていた。
「ああ…それなら…」
ピタリと止まるのをやめて、漸くそれだけを口にして
(似合うハズだねえ)
と続けるつもりだった言葉を、賢者は飲み込んだ。
リリィが身につけているドレスが、リコリスの大叔母で、嘗て国を代表する魔導師シトロン・ラベルが"リリィの母親となった少女の為に作ったドレス"だと気がついて、賢者は少しだけ瞳を潤ませた。
「あれ、通信機械が光ってる?!」
幸にも、リリィはウサギの賢者が瞳を潤ませた事には気がつかなかった。
まだ平らなドレスの胸元で、ブローチのように身につけている通信機械がチカチカと石の部分を輝かせる注意を向けていた。
「リリィ、後ろのスイッチを入れてごらん。向こうからの連絡合図だよ」
賢者にそう言われてカチリと、通信機械の宝石部分の裏側にあるスイッチを入れると、空腹なルイによる悲惨な声が聞こえた。
『リリィ、腹へったから早く部屋出てくれ~』
「あっ、ルイ、ごめん!」
思わずリリィが謝罪の声を出すと、
『へっ?、あ、リリィ?!』
とルイの慌てる声がする。
どうやら、通信機械が繋がっていた事に気がついていなかったらしい。
『ウサギ、お前さんも行くのだろう』
「ワシに向かってが喋っているって事は、部屋にはロブロウの人は居ないって事だねえ。ああ、リリィに抱えて貰って行こうかなと。じゃあ、部屋を出るよ」
大人達は互いに慌てる子ども達を後目に、会話を纏めてしまった。
『じゃあ、念の為通信機械のスイッチはいれたままにしておきませんか?。
側に居れないから、せめて音だけでも繋がっていた方が、自分は安心出来るんですが』
アルスの言葉にリリィは賛成らしく、ウンウンと無言で頷く。
「じゃあ、グランドールそう言う事で。ワシ等も今から部屋を出る。
じゃあ、リリィ。よろしく頼むよ」
「はい、賢者さま」
リリィの返事を聞いた途端、ウサギの賢者は見事にぬいぐるみの状態へとなる。
少女は丁寧にウサギのぬいぐるみを抱えて、部屋を出ると例のメイドが立っていた。
「お客様、大層支度に時間がかかりましたね」
メイドからの冷ややかな意志を、今度ははっきりとリリィは受け取った。
ぬいぐるみに扮したウサギの賢者をギュッと抱きしめながらも、笑顔でリリィは返事をする。
「ごめんなさい、待たせてしまいました」
リリィの言葉を最後まで聞くか聞かないかの内に、メイドはスイスイと歩き出した。
(感じわるいなぁ)
作った笑顔をあっという間にしかめ面にして、リリィはメイドの後ろに付いて行く。
「―――お客様に1つ、ご忠告させていただきますね」
メイドは振り返りもせずに、突如として喋り始める。
「ロブロウでは、魔法鏡を介したとしても、殿方とあんな風に話すのは、婦女子としてはしたない事ですよ。
それに、ぬいぐるみも抱えているなんて。これから、お控えください」
しかし、その魔法鏡で話すという"はしたない"がなければリリィは今頃、食堂に独りぼっちだったかもしれないのだ。
(忠告というより、"いちゃもん"だわ)
スイスイと先を歩き、客人を置いていきそうな勢いのメイドには見えないからと、リリィはつい、無言ではあるが"イーっ"と、形の良い歯を剥き出しにしてやった。
その行いにはウサギのぬいぐるみの耳が呆れたように、半分に曲がって、リリィは慌てて"お澄まし"に戻る。
暫く歩くと、アルス達と別れた通路が見えてきた。
そこには既に執事のロックと、農業研修の一行が正装で待機している。
「おまたせしました。お嬢様をご案内してまいりました」
(ええ?!)
ここでリリィが実際には声に出さないが、驚きのあまり自分を案内してきたメイドの後ろ姿を、"ギョッ"とした感じで見つめてしまった。
(私の前とみんなのいる時とじゃ、声も態度も全然違う!?)
驚きから抜け出せず、リリィはまだ目をパチクリとさせている。
「お嬢様もどうぞ、皆様とご一緒に」
そう言って振り返り見せるメイドの微笑みは上質で、男性陣に会うまで冷たく振る舞われていたのが夢みたいだと、リリィ自身が感じていた。
「はっ、はい」
やっとの事でそれだけを口にすると、リリィは漸くアルスの横に立つ事が出来た。
「それでは失礼いたします」
メイドは頭を下げて、行ってしまった。
「あのメイドって、リリィに意地悪したっていうか、嘘をついた奴だよな?」
黙っていれば貴族の子どもにしか見えないルイが、メイドが見えなくなってからポツリと呟いた。
「うん、そのはずなんだけど」
リリィもポツリとルイに返した。
「女性には時折、男の前と女の前では、信じられない程態度が違う人はいるらしいけれど」
アルスもどうやら信じられないらしい。
「まあ、そんな考えの奴もいるだろうさ。ロックさん、領主殿を待たせては失礼だ。行こうか」
グランドールはメイドの態度は、特に気にならないらしい。
「リリィお嬢様、申し訳ございませでした。それでは案内させていただきます」
それでも慎み深いロックは、執事としてリリィに一言謝罪をしてから案内を始める。
ロックに導かれて、歩いて行くうちに中庭に造られた道を通る。
少しだけ洒落たベンチや、茶を楽しむ為のティーテーブルなども備えられている中庭であったが、今は何より中庭を包み込む色が素晴らしかった。
四方囲まれているが、日が射し込むように上手い具合に造られている中庭は、今は美しい夕焼けに全体的に茜色に染まっていた。
そこを通って今が夕方なのだと、一行は気がついた。
「わあ、凄い夕焼けの色」
リリィが感激したように声が上げると、ロックがゆっくりとした歩みになりながら、柔らかく受け答える。
「もうすぐ一年で一番、日が長い日です。その時の夕暮れは、最も美しい茜色だと言われていますよ」
「ふむ、その時まで農業研修が続くかのう」
グランドールも茜色が美しい景色が気に入ったらしく、そんな言葉を言う。
「どうぞ、早くに農業研修が終わっても、逗留して一番美しいロブロウの景色を堪能してからお帰りください。
領主様も、これからは開かれた領地をお望みですから。さて、こちらです」
広い中庭の終わりに、重そうな扉があった。
ロックが開けるには重そうな印象を受けるが、予想を裏切ってスライド式の扉で大した力を使わずにスルスルと左右に開いた。
「賢者さまのお部屋と同じね、お兄ちゃん」
「ああいう扉、珍しいね」
扉を通り抜けながら、兄妹がそんな会話をしていると、一行の歩みが止まる。
少し長い屋敷の食堂までの道のりの締めくくりは、両開きの食堂の扉だった。
扉の前には、昼間みた衣装より、上質なものに着替えたメイドが2人いて、ロックを姿を確認すると深く一礼してから扉を開いた。
いよいよ食堂に入り、長方形の長いテーブルにグランドールとルイ、アルスとリリィと左右別けられて、席に案内される。
帯剣しているグランドール、アルス、ルイは中に控えていた召使いにそれぞれの武器を預けた。
「召使い、結構いるんだな。じゃあ、オレに通信機械を渡した召使いさんもどっかにいるのかな」
ルイがふと思い出したように呟くと、グランドールは聞き逃さず
「その"召使い"には会わないほうが、穏やかな人生を送れると思うがのぅ」
と答えた。
「へ?」
と、ルイが間抜けな声を出した時、リンリンと鈴の音が鳴り響いた。
農業研修が入ってきた、食堂の開かれた扉にドレスの裾が見える。
荘厳とか華美とか、そんな表現する言葉は"彼女"は纏っていなかった。
"普通の貴族"の女性。
ただ、仮面だけが異質で、仮面がなければきっと誰も彼女の事は記憶に、留めきれないだろう。
その仮面はぴったりと彼女の顔面に密着する作りで、素肌が見えるのは口元だけ。
それでも、唯一見える素肌よりも、銀色の仮面に紅梅色の塗料で装飾されている"梅"の華やかさに視線を奪われた。
「申し訳ありません、お待いたしました。そして、初めまして。
私が、ロブロウ『代理』領主、アプリコット・ビネガーです」
漸く、仮面以外で彼女の印象を残る物が耳に入った。
高く優しい、とて可愛らしい声だった。




