05話 天と凡 ~Side能木~
能木光昭は凡人だった。
いや、正確にはほんの数分前まで――能木は自分のことを天才の端くれだとすら思っていた。
だが、そんなものは都合の良い幻想に過ぎなかった。
”本物”を前にして、能木は理解してしまったのだ。
天才とは、斯くあるものなのだと。
結局自分は、ただの凡夫にすぎなかったのだと――
(――いったい、何が起きてるんだ…?)
エリートであったはずの自分が、理屈を練り上げることすら許されない。
血の滲む思いで積み上げた理論も、経験も――この場では無意味だった。
ただただ、凡人として天才の所業を見せつけられるのみ。
彼が如何にして、凡人へと堕ちてしまったのか。
ここからは少し、時間を遡るとしよう。
――――――――――
通信端末から手を離した能木は、緩む口元を抑えきれずにいた。
(ふっ…ふふっ。さっきのは中々に決まってたな)
先ほどの”上司ムーブ”を思い出し、能木はその平均的顔面偏差値の鼻下をこれでもかと伸ばす。
堂島が現場に行かず、指示を出す側に回る時のやり方を真似したのだが――よく隣で見ている影響か、割と堂に入った雰囲気が出せてしまった。
脳裏対策局としてはまだまだ下っ端である能木は、そんな初めての経験に唇を噛みしめながら余韻に浸っていた。
(真衣ちゃんもいい返事返してくれてたし。っくぅ~こりゃ堂島部長にもすぐ追いつけそうですなぁ!)
なんてことを考えている内は、堂島に追いつくことなど夢のまた夢…
だとは気づきもしない辺り、能木は能木だった。
(さてさて、二人の監督をちゃんとしなくちゃね。なんてったって、上司ですから)
能木はそんな心の声に従って腰へと手をかけ、仰け反るように胸を張った。
もし真衣がこの場にいたとすれば、そんな姿をウジ虫でも見るような目で見下すことだろう。
だが、残念ながらこの場に能木を見ている者はいない。アキラも真衣の注文に応えるべく、忙しそうにカタカタと手を動かしていた。
(アキラ君は本当に、”あの真衣ちゃん”に対応できるのかな?)
能木が真衣と仕事を共にした時、とんでもない指示を出されたのは記憶に新しい。
心の内では『こんなん誰ができんねん!』と唾を吐いたほどだ。あの非常識さには、真衣の印象がガラッと変わってしまった。
今回も三つも要求を一気に出してきたようだが――時間的余裕がある状況なので、法外という程ではない。
(真衣ちゃん。戦闘中でも急にでっかいオーダーしてくるんだもんなぁ…)
能木は”前回”を思い出し、肩をガックシと落としながら重いため息を落とす。
普通、脳裏清掃員は重大な場面に備えて、ある程度”汎用性の高いモノ”を事前に要求してくれる。
それは長年、経験豊富な堂島を支えてきた能木にとっての常識だったし、おそらく局員の大半もそうしていることだろう。
ある意味、それは脳裏清掃員が持つべき――オペレーターに対するリスペクトでもあるのだ。
だが、真衣は違う。
その場その場で”一番適したモノ”を即座に要求してくる。
(確かに、それが脳裏清掃員にとっては一番効率がいいんだろうけどさぁ)
『こっちの身にもなってくれよ…』と、能木は目を閉じ、下唇を噛みしめながら握りこぶしを作る。
真衣に対する怒りで彩られているようにも見えるが、その内奥には悔しさが滲んでいた。
常人では対応できないであろう真衣の指示に対してでも、悔しさが先に来る辺りは立派なプロであった。
――が、それと人間的な感情などは完全に別物。
能木は心の内でしっかりと、真衣のことを”無茶ぶりの女王”とあだ名をつけていた。
(アキラ君はようやく、保護メガネとイヤーマフが出来た所か)
能木の目の前には椅子に座るアキラ。アキラは半球状に展開したホログラムを操作していた。
空気に直接浮かび上がるような透明なデータ群が、指先の動きに合わせて自在に形を変えていく。
これこそ、脳裏清掃員オペレーターの専用ツール――”櫛磐窓”だ。
(確かに年齢を考えれば恐ろしい程の才能だ――けど)
普段であれば座っている側の立場である能木は、少しばかり気持ちがうずきだす。
アキラは最後の防塵マスクを作るため、再度ホログラム上のデータを整えると、膝上に乗せた外部機器のキーボードを叩いていく。
だが、それら一連の流れはエリートたる能木よりも若干遅い程度。
(いや、僕に迫る勢いってのも、十分とんでもないやばさなんだけどさ……この年齢で一体、どれだけの勉学を詰め込んだんだ?)
脳裏清掃員とオペレーターでは、必要とされるものが全く異なる。
真衣や堂島のような脳裏清掃員へとなるには、センスと才能が必要だ。
まずは精神が主体の世界でも、肉体を正常に動かすための”イメージ力”。
それを基盤にして、さらに物質世界の限界すら超えて力を引き出す”奇想力”。
そして何より――他者の心象に汚染されず、精神が壊れないほどの”精神力”。
イメージ力は鍛えることである程度身に着けられるのだが、奇想力と精神力についてはなかなか鍛えられるものでもない。
そんな、ある種の壊れた才能がなければなれない脳裏清掃員とは――精神的にイカれた人間だとも言えることだろう。
一方で、オペレーターとは才能ではなく、努力と経験によって成り立つ職業だ。
プログラムコード、脳裏世界のデータ解読、解読データから導き出す状況判断。
才能によってそれらがある程度備わっていたとしても、血の滲む努力と経験によっては才能に追いつき、追い越すことだって可能だ。
能木は家族が脳裏世界での犠牲者となってから今まで――十五年間もの歳月を、オペレーターとしての勉学と実践に費やしてきた。
その成果は五年前まで通っていた、政府直属のオペレーター養成校で証明されている。
在籍した六年もの間、一度たりとも二位の座から転落したことはなかったのだ。
(まぁそれでも、化け物ってのはどこにでもいるんだけどね…)
能木は養成校時代を思い出し、天を仰ぐ。
そう『二位の座から転落していない』ということは、逆を言えば『一位になったこともない』のだ。
在籍した六年間――能木と”一位”との差は、努力や経験では埋められない程の隔絶した差が開いていた。
一点だけ、オペレーターにも才能にしかできないことがあった。
(僕にも、”あれ”ができてればなぁ…)
”櫛磐窓”は基本的に、キーボードなどの外部機器を接続してプログラミングしていく。
また脳裏世界のデータも、一度機器が読み取ってからディスプレイに表示されるため、数ms程度の若干な遅延が発生している。
オペレーターとは普通、そうした遅延や入力スピードを極限まで効率化し、最速の仕事成果を出すプロフェッショナルなのだ。
だが、”櫛磐窓”には”窓”が接続されている。
そのため外部機器を接続操作するだけではなく、直に”窓”と接続し、脳を使って操作することもできる――自分のイメージをプログラム化するのだ。
しかし実際のところ、この機能を完全に活用できているオペレーターはほとんどいない。
能木も脳裏世界のデータ読み取りには”窓”を活用しているが、入力操作に”窓”を活用することなどできない。
イメージを脳波に乗せ、正しくコード化するなど常人にはほぼ不可能だ。
それこそ、脳裏世界を熟知し――プログラムコードが言葉よりも先に浮かぶような、狂人でもない限りは。
能木の知る限り、そんな芸当ができる人物など幾度も辛酸をなめさせられた”一人”しか知らない。
(てっきり、アキラ君もそういう類かと思ったんだけどな)
以前真衣と仕事をした時、『こんなのアイツにしか対応できないだろ!』と何度思わされたことか。
だからこそ、真衣に本当のバディがいると知った時には『まだあんな化け物がこの世にいんのかよ…』と心底絶望したものだ。これ以上努力の見せ場を潰さないでくれと。
――が、実際にアキラのオペレーターとしての手腕を見れば、キーボードという外部機器を用いての入力操作。
たしかにその操作スピードは能木とも引けを取らず、年齢を鑑みればとんでもない逸材だ。
しかし、それだけでは逸材止まりだ。養成校でいえば、上位には入るが”頂点”には届かない。そんなレベルだろう。
能木はその”頂点”の仕事ぶりを、六年もの長い間見せつけられた。
それによって初めはあった才能への闘争心も、今では諦めに変わってしまった。あれはもう別の次元だと。
(”窓”の接続は一切してないようだし…これは本格的にどういうことだ?)
アキラが真衣の無茶ぶりに対応できるイメージが湧かず、能木は首を傾げる。
アキラが隠そうとしている線も少し考えたが――その考えは既にない。
何故ならそもそも隠す理由がない。それに今まで接してきたアキラの性格を考えると、そんな超ド級の才能を持っていたら能木に見せつけたがることだろう。
もはやそうなる未来すら予測し、心の準備だけは万端にしていただけに――肩透かしを食らった能木は逆に面食らった。
そんな答えの出ない思考の迷路へ誘われていると、通信ノイズ越しには真衣の声が聞こえてきた。
<ーーアキラ。手が空いてる時で構わないから、”領域封印”を作っておいて。とりあえず圧縮式で>
その指示に能木は苦笑する。『でたな無茶ぶり』と。
”領域封印”とは本来、片手間に作るような代物ではない。障害を全て取り除いた後、集中できる状態で三十分は掛けて作るようなものだ。
大規模なものや複雑な”式”のものであれば、よりいっそう時間は掛かる。それはエリートたる能木にとっても同じだ。
だが、それも容易に想像できるはずだ。
新しい武具の作成ですら、戦闘が命取りになるほどの時間をかけるのだ。空間全部を丸ごと封印するような大規模なプログラミング、時間がかかって当然である。
それをこの”無茶ぶりの女王”は、あろうことか、戦闘前に『片手間でやれ』と要求してくるのだ。
緊急を要するわけでもなく、戦闘終了後に必要となるものをあらかじめ要求してくる――もしこれが局員相手なら『コイツ、残業したくないんだな』と、冷えた目で軽蔑しているところだ。
もちろん、これを受けたのが能木だったら断固拒否しているところだ。それに加えて少々説教も入るかもしれない。
――だが、続く二人の会話には驚愕を隠せなかった。
「え〜?起爆式じゃだめ?」
<ーーあんたねぇ…さっきの話ちゃんと聞いてたの?もちろん爆縮式もダメだからね>
能木は耳を疑う。『いやいや、論点そこじゃないでしょ』と。
しかもわざわざ自分から、より大変な”起爆式”など提案している。
たしかに新人オペレーターなら、世間知らずからそんな反応をすることもあるかもしれない。
もしそうであれば、能木も『ははっ。お前勉強不足だな~』か『アホやな~今のは行動班の冗談やで?』なんて、茶々を入れる余裕すらあったことだろう。
――だが、この小さな少年が真衣とバディーを組んだのは、真衣が脳裏清掃員となった時からだと聞いている。
それはつまり、オペレーターとして少なくとも三年ほどの経験を積んできているはずなのだ。
その間、一度も”領域封印”を作ったことがないとは考えにくい――よって、この少年は『できる』と思って提案しているのだ。
(正気か!?いや…ということはやっぱり――)
能木の心中に、消えかかっていた予想が首をもたげ始める。
そしてホログラムに反射したアキラの瞳が見えた時、能木は目元を手で抑えながらもう一度天を仰いだ。目の輪郭が、青く象られていたのだ。
それは、”櫛磐窓”においては、”窓”に接続したことを意味する。
――いや、確かに能木も”櫛磐窓”を使う時は目の輪郭が青くなる。だがその目的は『データの取得』であり『データの入力』ではない。
それだけでも、限られた上位のオペレーターにしかできない芸当なのだが――”領域封印”を了解したオペレーターが、それだけに留まるとは思えない。
僅かな好奇心に負け、能木はチラッと手元を浮かせ、空いた隙間から”櫛磐窓”を見る。
するとそこには、先ほどと変わらずキーボードを操作する手と――爆速で一つのプログラムコードが、手とは次元が違う速度で出来上がっていく様子。
――能木はもう一度、手の蓋を閉じた。そして、心の中で涙した。
一度準備していた心構えを解いてしまっていた分、ショックは大きい。足元から崩れ落ちてしまいそうなほどだった。
(どうして…どうして!僕にはなかったんだ――)
能木は悔しさを抑えることもなく、その輝かしい才能に嫉妬する。
努力と経験は、他の全てを差し置いてでも十五年間積み上げてきた。だが、たった一つの”才能”には恵まれなかった。
その事実に、能木は悔しさを滲ませる。
才能以外であれば、誰よりも時間と実践をかけてきた自負があったからこそだ。
それが、自分よりも一回り以上小さい背中に追い抜かされる――才能とは”残酷”であり、”憧れ”だった。
――しばらくの間、傷心した能木は天を仰いだままだった。
だが、目元を抑えていた手が降ろされた時。そこに嫉妬の心は既に無くなっていた。
そこにあるのは”探求者の目”。
何度も見せつけられた才能の独壇場を、『今度は解析してやる』という決意の目。
秀才でしかなかった能木が初めて天才を直視し、理解しようともがき始めた瞬間だった。
(こんな自分にだって、何か学べることがあるはずだ…!)
先ほどまでの”浮ついた上司”も、”傷心した学生”も、ここにはもういない。
小さな背中を一人の天才オペレーターとして認めた能木は、秀才の代表としてその技術を盗み見ようとしていた。
そう、まだ養成校に入りたての”向上心溢れた学生”だった頃のように――
能木は今までにない真剣な顔で、二人の依頼を見守り始めたのだった。
世界観用語
●”櫛磐窓”
『神の窓』を意味するオペレーターの仕事道具。見た目は少し近未来的な座椅子であり、オペレーター用に最適化された”窓”が内蔵されている。座椅子近くの人間が発する『使う』という意思を読み取ると起動される。操作はホログラム上をタッチパネルのように使うことができ、座椅子に外部機器を接続することでPCのように扱うことも可能。オペレーターによっては内臓された本体を取り出し、自分のやりやすい椅子に作り変える者も多い。




