04話 ローカルネットワークⅡ
雑多に散らばった工事道具と、鉄サビや油の匂いが充満する世界。
混濁した意識はぼんやりと視界を霞ませ――覚めきらぬ頭のまま軽く息を吐くことで、気持ちを入れ直す。
<ーーねえちゃん、聞こえる?>
「うん。接続は良好」
真衣は返答しながら少し身体を動かし、準備運動を行う。
真夏のような熱気と鉄サビの匂いが肌に貼りつき、少しだけ不快感を覚えるが身体に異常はなさそうだ。
そのまま身体を動かしているとアキラに代わり、能木が通信へと入ってきた。
<ーー真衣ちゃん。一応確認だけど、今回の依頼内容は前職PTSD関連の心象切除だからね>
「了解です。前職は工事現場作業員でしたっけ?」
<ーーそうだね。職場が結構なブラックでさ、上司からのいびりもエグかったみたい>
ということは恐らく、出てくる心象生物は”人型”の確率が一番高いだろうか。
他の可能性としては道具型、官能型、フィールド型もあり得そうだ。厄介な概念具象型だけは勘弁願いたい。
<ーー検診の結果はうつ病中等症で、睡眠時間も伸びてる。現状は五段階評価中のレベルⅡだね>
精神負荷が長く続くと、心は防衛のため、それを形にして吐き出そうとする。
吐き出された最初の”影”は、生まれたばかりで小さくおとなしい。
だが、怒りや憎しみを喰らっていくうちに、”影”は次第に自分の輪郭を覚え――心を象りはじめる。
<ーーそれと、依頼人の記憶野には軽微な欠落が見られたらしいよ>
力を得た心象生物は、他の心象を浸食しながら増殖し始める。
その過程で記憶は食われていき、人格の断片に空白を置いていく。
そうして脳は修復を求めるようになり――より深い眠りへと沈んでいってしまう。
まるで、永久の眠りを唯一の安息とするかのように――
「典型的な脳裏症の初期症状ですね」
<ーーうん。ただ記憶野の欠落がまばらじゃなくてね。ある特定の部分に集中してるみたいなんだ>
「それは…ちょっと厄介ですね」
嫌な予感がする。
普通、心象生物によって食われた記憶の欠落は、点々と散らばるように現れる。
そこに意志はない。ただ本能のまま、目に映るモノを無差別に喰らっていく。
だが、今回は違うようだ。
特定の記憶野だけを執拗に蝕む。それはつまり、本能的な執念がそこにあるか、自由意志――自我を獲得した可能性がある。
<ーーその場所は既にマークしてあるよ。ねえちゃんの準備がよければ、すぐ案内できる>
アキラの言葉に、真衣はしばらく思い悩む。自由意志があるとないとでは、天と地ほども対処難易度が変わってしまう。
安心を求めるかのように、”強制遮断”のポートへと、指が自然と動いていた。
真衣はその軟弱な気持ちを握りこぶしで押しとどめ、呼吸をひとつ整える。
「能木さん。私は工事現場の仕事には疎いんですが、どんなことが予想できますか?」
<ーーう~ん…僕もそれ程詳しいってわけじゃないんだけど――まぁ月並みで考えると砂埃や騒音とか?ブラックな職場を考慮すると、劣悪な環境なのは間違いないと思うんだよね>
「なるほど…アキラ、防塵マスクと保護メガネを出しといてもらえる?それと防音用のイヤーマフも」
アキラは「りょ〜かい」という間延びした言葉を返す。少しはこの緊張を押し付けたいものだ。
何もせず待っているのも癪なので、真衣は先ほど少し気になったことを再確認する。
「能木さん。依頼は心象生物の切除でいいんですよね?」
<ーーいや、真衣ちゃん。さっきの言葉は間違いじゃないよ。依頼は前職PTSD関連の全切除になる>
真衣の表情が一気に曇る。
残業が追加されたような億劫さのせいでもあるが、それ以上に――
「能木さん。お言葉ですが、心象侵食の影響がどれだけ広がってるか不明なまま、それは許容出来ません。人格への影響が未知数です」
押し殺した感情が、硬質な声となって響く。
そう、下手な切除は人を廃人にしかねない。
脳裏清掃員は合意のもとで、相手の記憶と人格を握っているようなものだ。
そこには重い責任が伴い、軽率な判断は許されない。
真衣は強張った感情のまま、返答を待つ。
すると、通信ノイズの向こう側から小さく、安堵の息が漏れた気がした。
<ーーうん。さすがだね、真衣ちゃん。だからこそ、僕から追加のオーダーをさせて貰うよ。――行動班は作戦中、継続して心象を調査。適宜目標を修正し、心象を可能な限り切除、あるいは封印に移行せよ>
真衣の胸が、じわりと熱を帯びていく。
今までに聞いたことがなかったであろう、脳裏対策局エリートとしての能木の声。
まだ堂島のような厚みには達していない。だがそれでも、十分にその声は真衣の心を奮い立たせた。
「了解!」
気迫へと応えるように、真衣も短く、気を乗せた声を返す。
続く言葉に少しばかりの期待を寄せていた真衣は――次の瞬間、期待してしまったことを後悔した。
<ーーそれじゃ、僕は後ろから見てるだけにするから。後は二人とも、頼んだよぉ〜>
先ほどまでの”出来る上司”はどこへやら。そこにはいつも通りの能木がいた。
あまりの落差に、真衣は小さな笑いと共に肩から脱力してしまう。
だが、その笑いは張り詰めた心をちょうどいい温度へと戻していった。
まるで、戦闘前の呼吸を合わせ直すかのように。
(まったく、ちょっとかっこいいとか思ったのに)
それに気付かぬ真衣は、『今の気持ち返せよ』と、心愚痴るのだった。
――――――――――
砂埃を舞い上げながら、真衣は心象世界を走り抜ける。
既にアキラから装備の用意はされており、マークされた座標へと移動を開始したのだ。
隙間のない防護メガネに、密閉されたイヤーマフ。
――そして、防塵機能なんてありそうもないドクロ柄の布マスク。
真衣は息を吸うたび、鼻を抜ける鉄と油の匂いに辟易としていた。
いや、確かに『防塵』としか言ってはないのだが――
(――なんでこん……はぁ…)
心の中ですらツッコミを諦める。段々と客観視しそうになる自身の思考を頭から振り払い、無心となることにした。
アキラの座標を元に暑苦しい心象を駆け抜けていると、次第に穴だらけの心象が見え始めた。
穴の空いた心象には薄く工事現場の心象が上塗りされかけており、侵食は思ったよりも広そうだ。
(これは――依頼人の思い出?ずいぶんと荒らされてるわね)
浸食の広さから見て、既に心象の全切除は諦めかけている。
とはいえ、多少なりとも依頼人の意向には答えたいのだが――頭を捻ってはみたものの、結局は”無難な方法”しか思い浮かぶことはなかった。
「アキラ。手が空いてる時で構わないから、”領域封印”を作っておいて。とりあえず圧縮式で」
<ーーえ〜?起爆式じゃだめ?>
「あんたねぇ…さっきの話ちゃんと聞いてたの?もちろん爆縮式もダメだからね」
ブーブーと豚のように文句を言う愚弟を他所に、真衣は思考を回す。
穴だらけの心象を見る限り、執拗に狙われているのは学生時代の心象らしい。
学校、部活、近場の商店街など――それらの思い出が虫食いのように荒らされている。
(この心象を狙う理由が見えてこない…本能による執念――では無さそうよね)
冷静な分析をする頭の片隅で、真衣は大きなため息をつく。今回も肩が凝りそうな依頼だ。
そうしているうち、徐々に浸食が大きい区画へと入っていった。
「…見えた、人型心象生物を確認した。あれは――何してるのかしら」
数十メートル先には、汚らしい黄色いつなぎを着た作業員のような”モノ”がいた。
ヘルメットを深々と被っており、目元は見えない――が、まるでオークのような牙が口元から突き出し、ねばつく涎を垂れ流している。
体躯は三メートルを優に超えているだろうか。およそ人間とは思えぬ粗野な風貌は、依頼人がそのくらい大きく、トラウマの対象を見ていたということなのだろう。
巨人は体躯に見合った巨大な削岩機を手にしており、その不快な騒音がイヤーマフ越しにも響いていた。
<ーーん~。見た感じ、心象を浸食してんじゃね?>
「…まさか、あんな物理的な方法で心象を壊してるっていうの?なんだかあんたを見てるようね」
<ーーんな!俺はあんなチマい方法とらねーっての!>
破壊してる自覚はあったのか。と、真衣は呆れかえる。
毎度それに付き合わされ、破壊兵器を持たされる身にもなって欲しい。今度からがつんと言うことにしよう。
軽口を叩きながらも、真衣は先ほど用意されたハンドガンを準備する。銃身、セーフティ、カートリッジを順に確認し、グリップの握りも入念に確かめていく。
距離は既に十メートルほど、ハンドガンでも十分に届く間合いだ。
「さて、お喋りはここまでにしましょ。アキラ、準備はいい?」
<ーーおっけー。サポートは任せてよ!>
「それじゃ――任務開始よ!」
――――――――――
削岩機の不快な唸りを裂くように、銃声が短く爆ぜ――戦闘の幕が上がった。
推進力を得た弾丸は綺麗な風切り音を残し、先駆けの一発として目標へと迫っていく。
それはブレることなく対象の手甲へと吸い込まれていき、甲高い衝突音が心象空間を震わせた。
「ヴォオオオォォォ!!」
世界が揺れ動いたかと錯覚される程の怒号。
振り上げられた削岩機はもう一度地面へと叩きつけられ、大きな地震となって足元が揺らされる。
巨人は口元から汚らしい涎を巻き散らし、舐めつくような赤い眼光で”侵入者”を捉えた。
「嘘でしょ!?外殻が硬すぎる!」
巨人の手甲を確認すると、そこには摩擦熱による煙が少し立ち昇るのみ。
傷は見受けられず、損傷を与えられたようには思えない。
まるで、堅牢な鎧を纏っているかのようだった。続く二発、三発目の弾丸も弾かれた音を響かせるのみで、損傷にはまったく繋がらない。
「アキラ!マシンガンに換装!それと徹甲弾も追加――最優先で!」
指示と同時に、ハンドガンは事前に用意されたマシンガンへと変わっていく。
真衣は後方に飛びのきながら、猛進し始めた巨人へと弾幕を展開する。
しかし、通常弾のままでは先ほどまでとさして変わらない。巨人は防御する素振りすらも見せず、熊のように四つ足で疾走する。
時間にしてたったの数秒。だが、その恵まれた体格の巨人は瞬き一つで距離を詰め、十メートルあった真衣の射程をゼロにした。
(思ったより素早い!)
巨人はその場で立ち上がり、野蛮な凶器を振り上げる。
ちっぽけな真衣の身体はその影にすっぽりと覆われてしまう。赤い眼光は直後の愉悦を浸るかのように、不気味に揺らめいていた。
<ーーねえちゃん!>
アキラの短い言葉と共に、目の前で青い電子ノイズが走る。
真衣はそれを迷わず掴み取り、流れるような手つきでカートリッジへと差し込んでいった。
「っんの!離れろ!!」
銃火器が再び唸りをあげ、キンッと澄んだ金属音に変わって響き渡る。
その弾丸は巨人の肉を抉るように食い込んでいき――それらは一発一発が鮮烈な血飛沫となって、虚ろな世界に赤い花を咲かせた。
「グオオォァァァ!」
強烈な連撃を受けた巨人は、野蛮な咆哮をあげながら大きく仰け反り――顔を庇うように振り上げた凶器を防御へとまわす。
開けた距離はようやく真衣に心の余裕を取り戻させ、流れる冷や汗を拭うことができた。
「早かったわね!助かった!」
<ーーへへっ!こんなもん三秒あれば十分だぜ!>
本当に三秒程度だったことに、真衣は苦笑する――言葉通りがこれほど心強いとは。
先ほどの掃射には確かな手応えがあった。焦りから一気に徹甲弾を使い切ってしまったが、一連の合間に新しく、予備の徹甲弾が用意されていた。
時間的猶予が貰えた真衣は手早くリロードを行う。
すると仰け反っていた巨人は削岩機を地面へと突きたて、一気に砂塵を起こし始めた。
「何!?煙幕のつもり!?」
砂塵は一気に砂嵐へと変貌し、保護メガネで守られた向こう側は一寸先すらも見えなくなってしまう。
砂塵自体からは、優秀な防具のおかげで影響を感じられないが――結局視界が塞がれてしまった今の状況では、攻めるにも守るにも危険が付き纏う。
真衣は焦りから、小さな舌打ちが出そうになる。
だが、その一瞬の合間にも青いノイズが再び走り――それはすぐに一本の槍のようなものへと形作られていった。
<ーーねえちゃん!”情報拠点”をその場に突き刺して!メガネに情報を接続する!>
「クソッ!ほんっと、自我有は面倒ねっ!」
真衣はその憤まんを発散するかのように、深々と与えられた槍を突き差す。
すると瞬時に槍は機械の駆動音を伴いながら二本のアンテナが開き、クルクルとそれが回りだした。
と同時に、メガネのレンズがサングラスのように薄い黒へと変わっていき――その端で赤い輪郭が動くのを確認した。
<ーー10時の方角!>
アキラの言葉に少し遅れ、身体を大きく屈ませながら転がっていく。
すると頭上を巨大な何かが重い風切り音を伴いながら通りすぎ、その風圧に髪の数本が引きちぎられるように舞い上がった。
心胆を凍えさせながらも真衣は転がった勢いを殺さず、地面を二度、三度と滑るように転がり――そのまま匍匐で体勢を立て直す。
舞い上がる砂塵の向こう側をレンズ越しに捉え、反動を殺した最小限の動きでその引き金を引いた。
銃火器は唸り、赤い輪郭は咆哮をあげる。先ほどと同じように頭部を庇っており、数歩ずつ下がり始める。
赤い輪郭との距離が開き、小さくなったのを確認してようやく――真衣は止め続けた息を吐き出し、砂に塗れた顔を拭った。
<ーー”情報拠点”が壊されるとまずいよ!少し距離をとって!>
アキラの指示を受け、休む間もなく低い姿勢のまま砂嵐を駆ける。
途中何度も無骨な凶器が砂塵から現れるが、アキラの座標指示とメガネの輪郭を頼りに避け続ける。
ふと地面に目をみやれば、点々と大きな血溜まりがあった。それを糧に真衣は気持ちを奮い立たせ、更なる弾幕を砂嵐に浴びせていった。
幾度かの応酬。ダメージを蓄積できている確かな手応えのさなか、唐突に世界を揺らすような巨大な地震が起きる。
「!?今度は何!」
真衣はその場に立っていることすらできず、逸る気持ちを抑えながら地面に手をつく。
ここで乱射したところで、弾を作るアキラの負担が増えるだけだ。冷静な考えを脳の片隅に捉え、揺れが収まるのをじっと耐える。
<ーーあいつが心象に穴を空けてるっぽい!別の心象に逃げようとしてるのかも!>
真衣は舌打ちを抑えることもせず、ぐるっと辺りを見回す。
すると赤い輪郭が削岩機を引き抜き、消えていくように輪郭がなくなるのを目にした。同時に世界を揺らしていた地震も収まっていく。
その方向へ脱兎のごとく駆け出していくと、次第に砂嵐も嘘であったかのように消えてゆく。
まるで術者が消え、その影響を無くしたかのように。
最後に赤い輪郭がいた場所には、大きく罅割れた漆黒の穴が顔を覗かせていた。
「あーんもう!面倒くさい!」
目標が一時いなくなったことによる緊張の緩和。
真衣は緩んだイライラを抑えることもなく、大股で裂け目へ向かおうとする。
すると突如、緊迫したアキラの声が鼓膜を切り裂くように走った。
<ーーねえちゃん!足元!!>
真衣は反射的に足を止め、顔を庇うように手を交差させる。
次の瞬間――何の変哲もない大地が削岩機の先端によって打ち壊され、地面の中から大地をめくり上げる。
寸でのところで足を止めた真衣は運よく、振り回された削岩機には当たらずに済んだ。
だが捲りあがった大地に巻き込まれ、空中へとその小さな身体は投げ出されてしまう。
這い出た巨人は、空中で回る獲物をその赤い眼光に容赦なく捉える。
そして三倍はあろう巨大な鈍器で、小さな的を横殴りに叩きつけていった。
「……ッ!」
音の出ない痛音を滲ませた真衣は、辛うじて身体と凶器の間に細い腕を滑りこませる。
その外側には不格好ながらも、急造のスクラップが固まりとして現れ、真衣への衝撃を和らげようとしていた。
――だが、それだけでは足りない。
圧倒的質量を伴った暴力は脆いスクラップを簡単に砕き、細い腕越しに強烈な震波を波及させる。
横薙ぎにされた真衣の身体はそのまま大きく吹き飛び、太い鉄柱へと身体ごと叩きつけられていった。
「ゲホッ!ガホッ!……ヒュゥ」
真衣は天地の方角すらも掴めず、崩れた体勢のまま痛みに支配されていく。
胸に貯めていた空気は一気に失われ、身体が新鮮な空気を求めて浅く鋭い呼吸を促す。
――しかし、その程度で失ったものは戻らない。
乱された思考は混沌から抜け出せず、ぼやけた視界はより深淵へと落ちていくかのようだった。
そんな状況でも、敵は待ってくれなどしない。
二呼吸しか猶予を与えなかった巨人は削岩機を掲げ――制御不能な力が真衣目掛けて、慈悲もなく振り下ろされた。
ドガンッという鉄柱すらも貫く轟音。そして続く静寂――
砂塵と静寂で埋もれたその場所に、もはや生命など一切生きる余地はないように見えた。
だが、その砂塵の空気は一匹の動物らしき影によって、機械音と共に切り裂かれた。
<ーーごめんねえちゃん!俺のアラートミスだ!>
それは機械仕掛けの犬だった。背中にはボロボロの真衣を括り付けており、なんとか滅命の跡地から生還していた。
イヤーマフは無惨に壊れ、保護メガネは砕け散り、マスクも既に破けていたが――それでも真衣は生き残っていた。
「ック…あ、アキラのせいじゃない。私が油断した」
血を吐き出しながらも真衣は鋭い眼光を宿す。
全身が焼けるように軋み、呼吸の度に肋骨の奥が悲鳴を上げていたが――それは未だ、戦う者の目をしていた。
痛みが全身を貫きながらも、意志だけは折れなかった。
真衣は鉛のように重い腕を無理やりに持ち上げ、ポンポンと優しく犬の頭を叩く。
その意図を理解したアキラは、器用にドリフトを掛けながら機械仕掛けの犬を停止させ――真衣をゆっくりと背中から降ろした。
<ーーねえちゃん…ヤバかったらちゃんと”強制遮断”してよ?>
犬は青いノイズに包まれて消えていった。
聞いたこともない心配そうなアキラの声に、自分がどれだけ窮地だったのかを思い知らされる。
(アキラに心配、かけちゃったか)
まったく、恥さらしもいいところだな。と、真衣はそれを自嘲気味に笑い捨てる。
(アキラのあんな声、初めて聴いたかもな…)
先ほどのアキラの声が脳裏によぎる。締め付けられるような胸の痛み。それを紛らわせるように真衣は浅く空気を拾い、一度深く瞬きをする。
――すると突然、世界が今までとは違って見え始めた。
頭に昇った血が抜けたのか、真衣の思考はあり得ない程冴え渡る。
敵の動き、データ、座標――そして、”感情”
それらの情報がまるで手にとるかのように、今の真衣には理解できた。
(――アキラ)
アキラの感情が流れ込んでくる――それは年齢に相応しいほど仄かで、小さく、魂に刻まれた素朴な願い。
知っていた。いや、知らなかったはずだった。だが、今それは真衣の魂にも届き、感情が同化してゆく。
いいように心象生物から弄ばれ、余裕をなくし――挙句、アキラにまたあの時と同じ寂しさを背負わせかけてしまった。
頭から流れる血をそのままに、真衣は中空を見つめていた。その胸中を埋め尽くすのは怒りか、それとも後悔か。
(いや、違う…そんなんじゃないだろ)
――心臓が一拍、大きな脈動を打つ。
真衣の内懐で、感情と共に何かが噛み合いをみせた。
「アキラ――」
静かな、澄んだ音色だった。
その声と共に、空間には一つの青いノイズが走りだす。
姿を現したのは可変式の大鎌。まるでこれから真衣が何をしようとしているのか、理解したかのようなタイミングで顕現する。
だが、真衣はそれに対して疑問を抱くことはない。余計な思考が浮かばない程、今の真衣は凪いでいた。
「グォオオオォォ!!」
巨人は離れた位置に現れた敵を視認し、咆哮を上げながらドタバタと走り出す。
真衣は急速に迫りくる巨人に一切臆することなく、ゆっくりとした動きで鎌を手にし、大きく振り回した。
空気を切り裂く音は騒音の中にあっても美しく、綺麗だった。
そのまま低い姿勢へと腰を落とし、足元から一気に爆発させる。
これまでとは比べ物にならない程の疾走。地面が砕け散る音を置き去りにしながら、一気に巨人との距離を詰め寄せていく。
巨人は近づいた敵に向け、粗野な鈍器を先ほどのように振り降ろす。しかし、それを極限の動作で小さく避けると、手にした鎌をその体重が乗った軸足へと掛ける。
「ッシ!」
浅く息を裂き、眼光を跡に残す勢いで一気に引き倒す。するとその巨体は簡単にバランスを失い、大きな音を立てながらものの見事に転倒した。
転びながらも巨人は駄々をこねるように削岩機を振り回し、最低限の抵抗をする。
だがその時には既に、真衣は巨人の頭上へと跳躍しており――青いノイズが手の中で形を変えていた。
それはグレネードマシンガン。爆発性の榴弾が連装された銃の引き金を引き、上空から絨毯爆撃の如く榴弾の雨を降らせた。
「グォ…ガアァァァァ!!」
苦痛に塗れただみ声と爆音が空間を埋め尽くしていく。転ぶことで面積の広がった身体は絨毯爆撃を効率よく受け止めてしまい、立て直す暇すらも与えられない。
だが、巨人は身をよじり、転倒した体勢のまま削岩機を地面に突きたてる。それは奇跡的に砂塵を引き起こし、身を隠すことに成功した。
「グガッガガァ」
巨人はこれで反撃が出来ると考え、下卑た笑い声をあげる。その認識は、間違っていないはずだった。
保護メガネを失った今の真衣に、砂塵に埋もれたその姿を捉える術はない――確かに、そのはずだったのだ。
だが、真衣の瞳にはまるでくっきりと赤い輪郭を映しているかのように、砂塵の目標を捉え続けていた。
射撃を止めた真衣は空中で一度、舞踊のようにふわりと身を翻す。
そして重力に従って落ち始めた身体のままに、右腕を砂塵へと一閃した。
その手に、グレネードマシンガンは既になかった。
青い残光を宿した一振りの刀が、砂塵の中で幻想的な揺らめきを見せていた。
「――任務完了」
砂塵が風に舞い、両者の間を駆け抜けてゆく。
戦闘が再開されて、わずか数十秒の出来事だった。立ち上がった真衣の隣では、心象生物が消滅した時に出来る黒いノイズが走っていた。
真衣は手にした刀を振り、血糊を払う。
黒いノイズは砂塵に埋もれ、青いノイズと共にあっけなく、空中へと溶けていった。
世界観用語
●心象侵食
心象生物によって他の正常な心象が壊され、上塗りされていく現象。本人の心理的負担を糧として加速度的に浸食は強まり、同時に異常を検知した脳は自己免疫機能として深い睡眠を求めるようになる。そのため、睡眠評価レベルと心象浸食の度合いには強い関連性がある。
●”領域封印”
脳裏世界における、ある特定範囲を封印する大規模なプログラミング。やり方によって圧縮式・起爆式・爆縮式などがある。封印を行う範囲によって作業強度は異なるが、対象の心象ごとに毎度オーダーメイドで作る必要があるため、膨大な演算量が必要となる。とはいえ”領域封印”は心象に潜る際必要となることが多いため、オペレーターにとっては特別でもない必修事項の一つ。”領域封印”された記憶野は心象本人にとって靄がかかったような状態となり、トラウマを大きく軽減させることができる反面、悪意を持って使えば人格を崩壊させる危険性も兼ね備えている。
●心象切除
心象切除は”領域封印”と同じような効果が期待でき、オペレーターの複雑な演算も必要とせず脳裏清掃員が主導で進めることができる処置方法。心象切除は完全にトラウマを切り離して再発を防止することができる反面、関連する記憶野に齟齬が生じる場合も多く、人格形成に多大なダメージを落とす可能性も大きい。オペレーターがいる場合は緊急でもない限り、この手段をとることは極めて少ない。心象生物の切除・排除はこれと異なり、心の自衛として切り離された存在を切除するだけなので人格に及ぼす影響は皆無。
●”情報拠点”
脳裏世界の情報をより正確に、素早く取得するための装置。“情報拠点“が無くともオペレーターが座標や各種情報を取得することは可能だが、意図的に隠された情報を取得したり、ノイズを取捨選択する場合は“情報拠点“が必要となる。脳裏清掃員に情報の同期を行う場合も“情報拠点“が必要となり、同期遅延が起きることもない。事前調査や偵察任務、危険度策定を行う際によく使われる。




