依頼:白の世界 4
爆炎がこの世界を支配する中、頭の中では別の爆音が響き渡った。
<ーーうっひょぉ~!!すげぇ!すっげぇ!やっぱシュワちゃんすげぇ!!!>
「誰がシュワちゃんじゃ。〆るぞ」
つい漏れ出て行った軽口も虚しく、燃え残った爆煙へと溶けていく。
追加で怒る気力すらも沸き上がらず、仕方なく発射体勢を解除しながら立ち上がることにした。
「これで心象の切除は完了ね。ちょっと荒々しかったから周辺心象への影響が心配だけど…まぁとりあえず、問題の心象は間違いなく切除できたでしょ」
<ーーねえちゃん、シュワちゃんの名言知ってたんだなぁ!Hasta la vista, baby.って。っくぅ~~痺れるぅ!>
少し演技がかったその言い方に、先ほどの自分をバカにされたかのような気持ちがフツフツと沸き上がる。
だが言葉にする気力までは沸き上がってこない。
それほどまでに、一連の流れは私の心をズタズタにしてしまったのであった。
「…はぁ。バカやってないでバイタルはどう?覚醒に向かってそうなら”強制遮断”するけど」
<ーーっへへ。え~おほん。えーっとどれどれ。バイタルはっと>
余韻に浸ったままだらしない返事をする弟に、私は特大のため息をもう一度こぼす。
そのまま浮ついた通信ノイズには『処置なし』という諦めのレッテルを貼り付けてやった。
あれはもう少し時間がかかるだろう。仕方がないので、霧散し始めた噴煙の方を先に確認するとしよう。
流石にあの火力だ。
並の心象――それも自我すら持っていなかった心象であれば、問題なく切除できたことだろう。
事実、圧倒的暴力の跡地となってしまったその場にはもう一つの漆黒の穴が出来上がってしまっており、心象生物を思わせる物品は欠片も残ってはいなかった。
その様子にひとまず、私は安堵の吐息をこぼす。
緊張が抜け始めると段々アキラの態度が気に喰わなくなり、トゲのある口調で確認を急がせた。
「こっちは心象の切除が確認できたわよ。後はバイタルだけなんだけど」
<ーーへいへいちょっと待ってよねっと。えーっと。まずはセロトニンがっと…ん?あれ、ちょっと待って>
――少し緊迫したかのようなアキラの声が、頭に響き渡る。
思考は一気に仕事へと巻き戻り、先ほどまでの緩くなった気持ちが引き締め直された。
「アキラ?どうしたの状況を報告して」
<ーーなんで覚醒レベルが下がって…それにオキシトシンも低下…いや、これって反応が消滅してない?なんだこれ…まさか!情報が改ざんされてる!?>
アキラの考え込むような独り言に、私の心臓は跳ねあがる。
<ーーまずいねえちゃん!!”管理者権限”が急速に支配され始めてる!はやく”強制遮断”――>
――アキラの言葉は、そこまでしか続かなかった。
ブチッと無理やり切られたかのような焼ける痛みと共に、うるさかった気配が跡形もなく消え失せてしまう。
遅れて焦燥を抱えながらも”強制遮断”を始めようとするが…脱出用のポートがどこにも見当たらない。
”強制遮断”用のポートは即時出せるよう、いつも準備しているはずなのに…
「いったい何が…」
焦りからか、小さく言葉が漏れる。
焦燥で思考は霧散していき、何をすべきかすら掴めない。
混乱は自失を深め、無意味な時間だけが過ぎてゆく。
――しばらく、茫然と立ち尽くすことしかできなかった。
すると突如として、周りを覆っていた間延びした部屋が音もなく変化し始めた。
壁の輪郭は水面のように揺らめき、瞬きする間もなく渦のように漆黒へと吸い込まれていく。
「…え?」
それは、まるで予兆を感じさせなかった。
何もない漆黒と無音の中に、ただ私だけが取り残されていった。
自分の発した疑問の声が、漆黒の世界に反響し続ける。
今まで見たことがない現象、経験したことのない状況に私は寄る辺なく立ち尽くす。
分からない。
こんなこと経験したことがない。
でも、だからこそ…一つの答えに辿りついてしまう。
「――これって…自我崩壊……?」
その言葉を合図とするかのように、漆黒と無音だけの世界には泣き声が響き渡った。
”それ”は世界をまだ知らない赤子の、純粋無垢なわめき声だった。
”それ”は世界の不条理を学び始めた幼子の、窮鳥入懐な泣きじゃくる声だった。
世界に響き渡る不快な泣き声と共に、”それ”は姿を現す。
石像のような体色。石の布で覆われた目元。蹲るように抱き寄せられた足。ぴったりと耳元に合わせられた肩。
そしてその全体を包むように覆いかぶさった石の翼。
どことなく少年の面影を残した裸の石像は微動だにせず、口元も動いてはいない。
しかし、泣きじゃくる声だけは確かに、目の前の石像から発し続けられている。
「脳裏心象体……」
目の前の存在に対し、畏怖を含んだ声が零れる。
その存在は決して、今の私では手が出せない。
今までの経験がまるで意味を成さない。
――人智を超越した、超常の存在。
絶望に彩られた私に向けて、その存在は微動だにしなかった右手をゆっくりと向ける。
その行為から反射的に身体が反応し、私は先ほど圧倒的火力を見せつけた4連装のロケットランチャーを向け返す。
一瞬の迷いもなく引き金を引こうとしたその瞬間――しかしそれは叶わず、指が空を切るばかりだった。
手元を見やれば、そこには何もない。
先ほどまであった鉄の重みも、耳当ても、サングラスすらも…まるで嘘だったかのように消え失せてしまっている。
だが、それも当然なのだ。
何故ならば、そう…
――この世界では、彼が管理者なのだから。
泣き声が止み、彼は私に向けた石像のような人差し指を下に向ける。
すると私は唐突な浮遊感と共に、漆黒の世界を落ち始めた。
その速度は留まるところを知らず。どこまでも、どこまでも加速を続ける。
彼が小さな豆粒のような大きさになっても尚、私は落ち続ける。
私は声を発することができない。
ただ最後の恐怖を象った表情のまま、石像のように固まった身体の落ち続ける感覚と意識だけが続いていた。
そうして幾ばくかの時間が過ぎ、豆粒のような大きさの彼すらも見えなくなりかけた時。
私の意識はそこで途切れた。
用語解説
●強制遮断
脳裏清掃員が危険と判断した時に利用する緊急脱出ポート。精神だけで潜る個人心象においてのみ使用できる。
●管理者権限
脳裏世界における絶対的権限。個人心象においてはその本人が持ち、行使することができる。だが肉体を持つ人間にはその全てを理解することはできず、精神体である脳裏世界の住人となって初めて自覚し、行使できるようになる。
●自我崩壊
自我の断片である記憶が心象生物やその他の要因によって浸食され、正常な自我を保てなくなってしまった者が陥る現象。また極度のストレス状態が長期に渡って持続的に続いたり、耐えきれない程の心理的圧迫を短い期間で受けた時にも起きることが多い。ほとんどの場合、自我崩壊してしまうと脳裏心象体へと堕ちる。
●脳裏心象体
トラウマやストレスによって心理的圧迫が極限まで高まり、肉体を捨て去ることで楽になろうとした者の末路。物質世界での存在は蒸発し、脳裏世界の住人となる。個人心象においては管理者権限を行使し、外部からの侵入者を排除して自分を守ろうとする。心象生物と比べて桁外れに危険であり、成長度合いによって黎明期・成熟期・末期の三種類に分けられる。世界心象では別の基準が用いられる。




