03話 ローカルネットワーク ~個人心象~
「ったくよぉ〜。ねえちゃんもなんでわざわざ受けちゃったんだよ〜」
真衣の前には頭の後ろで手を組み、不満げにぼやくアキラが歩いていた。
その隣には悪い意味で、年齢差をまったく感じさせないお兄様。
腕組みしながら頭をブンブンとヘドバンさせ続ける能木の姿があった。
「せっかく堂島さんが頼ってくれたんじゃない。日頃のお礼くらい、こういう時にしないと」
実際、真衣たちの事務所は脳裏対策局の依頼で成り立っているといっても過言ではない。
その事実に反論の余地も、また無い。アキラはツンッと口を尖らせ、せめてもの言葉なき反論を態度に示していた。
だが、次第に不満冷めやらぬ気持ちが湧き出してきたのだろう。ぐちぐちと言葉に表れ始めた。
「はぁ〜ぁ。せっかく今日はオフで買い物の予定だったのにさ」
「あら、それならわたしはオペレーターが能木さんでも構わないけど?」
何故かアキラに睨まれる。そしてそのままフンッと言いながら前に向き直ってしまった。
「あっははぁ…せっかくのお誘いで申し訳ないんだけど、僕の方は勘弁してほしいかな?また堂島さんにどやされたくないし」
「あ、それは!その…すみませんでした…」
真衣は以前の失態を思い出し、顔を赤らめながら謝罪する。
アキラが定期健診でいない間、能木がオペレーターとして真衣のサポートに入っていた時期があった。
その時も、真衣はいつも通りの仕事をしていたのだが――能木は真衣の指示スピードに付いていけなかったのだ。
結果、依頼中に割と危ない場面が多々起きてしまい、能木は堂島に折檻される。という悲しい過去が作られてしまったのである。
「それで謝られるのも、なんか悲しいんだよね…いやほんと…」
肩をガクッと落とした能木はどんよりとした負のオーラを纏い始め、まるでそこだけが雨に降られているかのようだった。
そんなやり取りをどう見たのか、アキラは不貞腐れたように会話へと割り込んできた。
「フンッ!こんななよなよしたにいちゃんに任せられっかよ。しょうがねーから、俺がやるし」
口をへの字に曲げたアキラは、さも不本意極まるとでも言いたげに捨て台詞を吐いていく。
それを受けた能木はより一層しょんぼりしてしまい、もはや豪雨に浚われた枝木でしかなかった。
(まったく、面倒な弟なんだから)
真衣は心の内ではやれやれと思いながらも、少しだけ、口元に弧を描くのだった。
――――――――――
脳裏対策局の社用車に乗り込んだ真衣は、そのまま依頼のすり合わせをすることにした。もちろん、運転は能木である。
「今回の依頼はどんなものになるんですか?」
「あぁそうだね。分かってるとは思うけど、今回の依頼は”個人心象”――つまり、ローカルネットワークだ。」
脳裏清掃員の仕事は大きく分けて、パブリックネットワークとローカルネットワークに分けられる。
「君たちに改めて説明するのもなんだけど…ローカルは個人の部屋。パブリックはその部屋が集まったマンションみたいなもんだね」
パブリックネットワークでの仕事は政府が全て管理しており、その複雑な世界構成ゆえに、危険度もイレギュラー率も高い。
更には専用の”窓枠”を通して肉体ごと脳裏世界に投影されるため、脱出にも時間と手間がかかってしまう。
対してローカルネットワークは個人依頼なので、政府や各脳裏事務所などが広く受け持っている。
侵入は精神のみで行える。”窓”が接続された脳波同期ギアを、依頼対象と自分が同時に装着するだけで投影可能だ。
「ま、今回の依頼対象は”休眠”にも入っていないし、精神診断上も割と安定してるから安心しなよ」
ローカルネットワークは依頼対象固有の脳裏世界。いわば、本人の精神そのものだ。
心象が本人の意識だけで形づくられ、危険度の予測もある程度できるためイレギュラーは起きづらい。
また脱出には”強制遮断”も使えるため、最低限の安全も保障されている。
「とはいえ、”休眠”かつ”蒸発”間近のローカルだったら、パブリックにも負けず劣らずな危険性にはなっちゃうけどねぇ…そうなったら怖いもんさ」
能木の言葉に、真衣はわずかに表情を曇らせる。以前失敗した依頼が、ふと脳裏をよぎったのだ。
「依頼の詳細は――アキラ君。悪いけど依頼リストを真衣ちゃんに渡してもらえる?青いバインダーのやつ」
能木が後部座席に座っていたアキラへと声を掛ける。
アキラは隣に散らかっていた書類の山から一つを抜き出し、手渡してくれた。
「ほい」
「ありがと」
「えーっと、今回の依頼内容は…たしか結構下の方だったかな?」
能木の言葉に従い、ページをペラペラと捲っていくと目的の人物を探し当てる。
「睡眠評価レベルⅡ、前職PTSD有、うつ病中等症、心象切除依頼。――へぇ?これ自己依頼なんですね」
「そ、珍しいでしょ?精神病は大抵、周りが気づいてようやく自覚するようなものだからね」
とはいえ、『平均睡眠時間の増加』によって、以前より精神病の自己発見率は向上しているらしい。
ただ、それを”自覚”していても、”自認”しないことは往々にしてあるものだ。
そうして知らず内、”蒸発”する人々は絶えない。
「しかし、自己申告で心象切除依頼ですか…依頼人は記憶が封印されることも承知の上なんですか?」
「そうみたいだね。うちで何度か検診してるし、そこに問題はないはずだよ」
と、いうことは――本人が自認するレベルで取り除きたい記憶。
”依頼人の逆鱗”ともいえる心象を刺激することになるわけで…苛烈な反撃がいとも容易く、想像できてしまう。
真衣は、これから待ち受ける厄介事に思いを馳せ――仕事終わりの中年のような疲れたため息を、深々とこぼした。
「っはは。真衣ちゃんでもそんな風になること、あるんだねぇ」
「能木さん…私のこと、戦闘狂かなんかだと思ってます?」
冗談のつもりで言った真衣だったが、どうも焦る能木を見る限り、図星だったらしい。
何故そんな印象がついてしまったのだろうか。
全く思い当たる節のない真衣は、その無礼な男に蟲を見るような視線を送るしかなかった。
「にいちゃんとねえちゃんって、一緒に仕事したことあったんだ?」
間が良いのか、悪いのか。自由奔放な我が家の幼獣は、少しばかり険悪になりそうだった空気を霧散させていく。
その変化を機微に察知した能木は、磨き抜かれた逃げの手腕でもって、話題に相乗りしていった。
「そ~なんだよ!アキラ君が定期健診でいなかった時期に一度だけ、一緒したことがあったんだ」
「ふ~ん。にいちゃんがオペレーターやってんの、なんかイメージつかないなぁ」
「うぐっ…あっははアキラ君?これでも僕はね――全国の超エリートが集まるオペレーター養成校で、二番目の成績優秀者だったんだからね?」
「えぇ~?うっそだぁ~」
アキラと能木の会話がはずむ中、真衣は次第に思考の海へと潜っていった。
今回の依頼、必要な情報、意外な能木の成績、博士と堂島は今何をしているのか。
様々な思考が雑多に流れていく中。一つだけ、引っかかりを覚えたものがあった。
(そういえば――アキラの”定期健診”って何してんだろ?)
アキラと博士は、大体二ヵ月に一度のペースで三日間に渡る定期健診をしている。それは、アキラが事務所に来た五年前から続いていることだ。
初めからそうであったため、今まで特に気にしたことはなかったのだが――改めて考えると、何か身体が悪いといったことでは無さそうだ。
(持病?博士は孤児院で拾ったって言ってたっけ)
五年前。政府の依頼でパブリックネットワークに潜っていたはずの博士は、帰ってくると一人の男の子を連れていた。
「孤児院から引き取った」という博士の声が無機質に響いていたことを、真衣は今でも印象に残っている。
(アキラも、最初は話さなかったなぁ)
アキラが事務所に来てしばらくは、全く喋らない子だった。
それはまるで自我が薄いかのようで、年齢に対して精神が発達していないかのように思えた。
それが今では、このうるささに生意気さだ。まったく、少しは昔を習って節度を学んで欲しいものだ。
(あれ、そういえばアキラって今何歳だっけ?それに――)
「さて、到着っと~。まずは依頼人兼依頼対象に挨拶しにいこうか。一応二人だけだと年齢で不安がられるかもしれないし、僕が上司で立ち会うっていう形にするね」
「え~。にいちゃんなんもしねーのに威張んのかよ~」
「アキラ君~?大人になると、こういう体裁ってのは大事なんだよ?決して、僕が良い顔したいとか――そんなことは一切、無いからね!」
鼻の下を伸ばしきった能木の姿に、先ほどまでの思考もどこかへと吹き飛ぶ。
代わりにジトッと、その緩み切った顔に視線を送る。
すると能木は手で顔を洗い始め、無駄にシャキッとした”仕事出来るマン”な顔を作り上げた。中身を知っているこちらからすれば、正直とてもウザい。
その勇み足は我先と車を降り、胸を張ったズンズン足で依頼人宅へと向かう。あれの後ろに付いていくのはすごく――そう、すごく躊躇われる。
真衣が思い悩んでいると、そんな能木へ付いていくように、アキラは車を降りた。こういった時、あの愚弟も頼りになるものだ。
アキラの姿を車窓越しに眺めていると、ふと、先ほどの思考がふわふわと舞い降り始める。
――だが、その思考は明確な形となる前に、アキラから声がかかった。
「なぁ~ねえちゃん何してんの?はやくいこうぜ~」
車越しに聞こえるそんないつもの声に、思考はまたも散り散りになる。
焦れたアキラは段々と身振り手振りでこちらを呼びかけ始め、今ではもう全身を使うかの勢いになっていた。
(…ま、どうでもいっか)
そんなバカらしいいつもの日常を前に、真衣の思考も次第に放棄されていく。
真衣は車から降り、外の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。
これから始まる厄介な仕事を前に、真衣は緩んだ気持ちを引き締め直すのであった。
世界観用語
●オペレーター
脳裏清掃員に脳裏世界の情報や指示を送る外部のサポーター。脳裏世界には入らず、脳裏清掃員とは違って危険なことが滅多に起こらない。“櫛磐窓”と呼ばれる機械を用いて脳裏世界に干渉している。脳裏清掃員の中にはオペレーターを伴わず脳裏世界に潜る者もいるが、その危険度は各段に増してしまうため、オペレーターの重要性は広く認知されている。
●“強制遮断”
脳裏清掃員が危険と判断した時に利用する緊急脱出ポート。精神だけで潜る個人心象においてのみ使用できる。
●ローカルネットワーク
個人に“窓”を通して覗き込むと見る事のできる心象の総称。脳裏清掃員はこれに干渉するため、“窓”が接続された脳波同期ギアを用いる。個人の心象なため、その世界構成全てが対象の認識に依存している。あらゆる事象が起き得る半面、その影響範囲は心象本人の認識が限界なため、事前診断や半生から事象の予測をすることが可能。ローカルネットワークにおける心象生物は『睡眠評価レベル』と『自我の有無』によって危険度を策定する。
●パブリックネットワーク
個人心象が寄り集まり、世界を象るに至った概念的心象。個人心象とは異なり、“窓枠”を用いて肉体ごと世界へ投影を行う。個人心象が寄り集まってできた概念的心象なため、その世界構成は現実世界とほぼ遜色がなく、個人心象のような天変地異が起きることはほとんどない。安定した世界である反面、事前診断を行うことは不可能なため、あらゆる事象に対応できる実力が求められる。パブリックネットワークにおける心象生物・脳裏心象体の危険度には個人心象とは別の評価基準が用いられる
●”窓枠”
3m程の高さと二人分程の幅を持つ、大きな窓枠のようなオブジェ。枠の内部にはガラスが割れたような空間の裂け目があり、安定した世界心象への入口として使われている。”窓枠”は国によって管理されてはいるが、十五年前より”窓枠”と似た性能を持つ不安定な空間の裂け目も世界各地で確認されており、期間も場所も把握できないそれらは脳裏世界における犯罪が横行する現場ともなってしまっている。
●睡眠評価レベル
休眠へと至る原因が脳裏世界による影響と解明され、脳裏症として症例が認められたことで導入された診査基準。現在はⅠ~Ⅴの五段階で評価されている。睡眠評価レベルは心象内での危険度にも直結するため、脳裏清掃員にとってはとても重要な指標の一つ。
●オペレーター養成校
脳裏対策局が運営する養成校の内、オペレーターの養成を目的とした学校。15歳以上であれば入学試験を受けることができ、最大で六年間通うことができる。卒業後は脳裏対策局職員として勤めるか、個人としての独立を選ぶことができる。学年などは無いが入学試験自体が極めて難関である上、在学中の試験でも規定点以上を取ることが困難であり、在学中に卒業できない者も多い。自分磨きのため、あえて卒業資格を得た後も在学し続ける者もいるが非常に稀。その難関さ故、20歳以上まで下積みしてようやく入学となる者が多い。




