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比翼連理  作者: 美羽
管鮑の交わり
13/22

12*

珍しく己の為に用意された室から出歩いている俺に対して、回廊ですれ違う者達は驚いた様な顔をして道をあけていく。

そして俺が通った後ではその斜め後ろを瞳を見られないようにだろう、俯きがちに歩く女を見てあれこれと勝手な憶測を繰り広げた。それがこちらの耳には届かないとでも思っているのだろうか。

物事を好き勝手に受け取り事実を歪め広めることは、俺にとって最も厭わしい行いだ。

それによって真実は跡形もなく消え去り後に残るのは尾ひれ背ひれのついた虚言のみ。

―――当事者がそれに、どんな感情を抱くかも知らないで。


「おい、そこに座れ」


周囲への苛立ちで普段よりも早足となった結果、軍師の室へは心もち早く着くことになった。

我ながら乱雑な仕草で座るよう求めるが、女は戸惑った表情で突っ立ったままだ。

……同じことをこいつは何度言わせる気なんだ。


「聞こえなかったのか」


「あ、いえ…ですが軍師もお座りになっていらっしゃいませんし……」


「俺は座れと言ったんだ」


大体一々上官が座っているかどうかなど気にしなくていいだろう。

そんな所まで真面目と言うか――いいや、これは融通が利かないと言うのだ。

再三促せばようやく、しかし渋々ながら女は席に腰掛け戸惑ったように俺を見上げた。

瞳の色は既に半分程元の菫色に近くなってはいるがそれでも一部は橙のままで、まるで夕暮れ時のような色彩を見せている。興味深くついじっくりと見つめそうになるところを慌てて視線をそらし、俺はその目の前に片手を差し出した。


「あの……?」


「何をしている、手を出せ」


「はい、分かりました」


「……」


目の前に差し出された右手。

……この女はわざとなのかそれとも素なのか。

いや、素でありわざとなのだろう。俺の意図がわからず、それでも血で汚れた手を上官に出すわけにはいかないと頭を働かせた結果のはずだ。


「違う、左手だ。そんなことも分からんか」


「申し訳ありません…あの、では一度洗ってから……」


「それをやってやると俺は言っているんだろうが」


察しが悪いと言うか鈍感と言うか、よくもまあこれで榜眼及第などできたものだ。

いや、この女の知識や仕事の効率の良さは既に分かっていることだから恐らくこういった対人関係や日常的な物事に対してのみの事なのだろうが………それでも鈍すぎる。

ため息を吐いて半ば強引に、投げられた石を弾き落とした時に傷ついた左手をとる。思った通り乾いた血がこびりついていて、少し傷は深いのではないだろうか。


「いえあの、矜牙軍師のお手を煩わせるほどのものでは…!」


「それは俺の勝手だ」


卓から適当に布をとって水の天術でしめらせる。

傷口の血を拭うのだから少し痛むかもしれないが、こればかりは仕方がない。

しかしそんな考えとは裏腹に女は始終恐縮した様子は見せつつも、一切痛みを表情に示すことがなかった。


「おい、痛みはないのか?」


「は……あぁ、問題ありません。その、説明が遅れてしまいましたが、実はもう治っておりますので軍師にここまでしていただく必要はないのです」


「治って……?馬鹿を言え、ついさっきの傷だぞ」


「いえ、本当です」


女は丁寧な仕草で布から手を抜き、今まで拭われていた手のひらを俺へと示した。

まだ少し拭き取れていない部分もあったがそこは元の通りの白い肌が覗いており―――確かに、傷跡など見当たらない。


「私は恥ずかしながら天威は人並みに備わっておりますが、天術の行使は不得手です。

ですがその代わり体内の天威が体の回復や強化に回るらしく、他人よりも傷の治りが早いのです。

あれくらいのものならば一分と経たずに元の通りに戻りますから、軍師の手を煩わせる必要はございません」


ですが、ありがとうございます。

そう言葉を切って頭を下げた女を見下ろしながら眉を寄せる。続いて視線を向けたのは血を拭ったことで少し汚れた布。

――例え治りが早いと言っても、痛みがない訳ではあるまい。

しかしそれをどう捉えたのか、顔を上げた女は表情を曇らせた。


「申し訳ありません、汚してしまいましたね…」


「いや、構うな」


「ですが……あの、今から濯げば少しは落ちると思いますので。

私は手の方もきちんと洗わなければなりませんし、少々お借りしてよろしいですか?

もしも落ちなかった場合には何か代わりの物をお返しします」


………構うなと言っているのにこの女はどこまでも気を遣うと言うか下手に出ると言うか。

そもそも五大家筆頭の、深窓の令嬢が洗濯など……いや、そう言えば養子なのだったか。


「……お前、拾われたというのは本当か?」


本当ならば聞くべきではない、聞かなかったフリをすべきものだろう。

しかし目の前のこいつには俺がいつからあの場にいたのかすら分かっているはずだ。

それを今更知らぬふりなどしたところで意味など持たないし、俺としては貶めるための問いでは無い。単純に事実確認としてのものだ。

それがこの女に伝わるのかどうかは、分からないが。


「その通りです」


穏やかに頷いたその表情は相変わらず凪いでいて、先程見た怒りは感じられなかった。

ただその奥に隠された感情は読み取ることなどできはしないが。


「そうか……道理で淹れた茶が美味いはずだ」


「……………、こ、光栄、です…」


けれど俺の言葉に瞳を揺らし、ぴったりと合わせていた視線をそらして気が抜けたように微笑むこの表情は、心からのものなのではないかと思えた。


「――俺は少し柳栄に用がある。お前は好きにして――いや、手を濯いで茶を飲んでいろ」


「茶を、ですか……?」


この女に好きにしていろなどと言ったら仕事を続けるに違いない。こういった面ではこちらの意図が全く伝わらないのだから。

実際よく分からないといったように首を傾げる女にため息を吐き、仕方なく持っていた布を差し出す。


「それと、これは簡単に濯いでおけばいい。いいか、簡単にだぞ?血が落ちるまでだとか、そういったことは求めていないからな?」


「は、はい」


「これは命令だ。ともかくこの室から出ずに、手とこれを濯いで大人しく茶でも飲んでいろ、この馬鹿者」


「わかり、ました……」


確かに女が頷いたことを確認して、俺は身を翻し室を出た。

向かうは先程立ち去ったばかりの将軍の室だ。あいつはまず間違いなく全てを分かって面白がっていたに違いない。


「柳栄!入るぞ」


戸を蹴って室内に入れば待ち構えていたように仕事もせずに暢気に座っているやつがにんまり笑い、俺は軽い殺意を覚えた。

そして同時に先程までは抑えていた苛立ちや後悔までもが胸中に湧きあがる。


「やあ矜牙。面白いものは見られたかな?」


「どこがだ、馬鹿者が!あの状態を分かっていたなら言え!」


「あの状態って?」


―――こいつは、ここまで俺に言わせると言うのか。


「……あの女が、どこぞの下官に愚弄されていたことだ!」


「………うん。知ってたよ。

玲湶は朱家を名乗ってはいるけれど、正式にその血をひいているわけじゃないからね。

ある意味こうして外朝に仕えることを決めた段階で逃れられない宿命ってやつかな」


飄々と言う柳栄の目の前に腰掛け、その青の瞳をギロリと睨む。

だとして、この男ならば何かしらの対策を打つことも出来ただろう。しかしこいつは何もせずに静観を続けた。


「でもさ、それを助長したのは矜牙だよね?

結構有名なんだよ?軍師の君が補佐官である玲湶を認めずに冷遇してるって話。

だから今日ああいうことをした奴らも調子づいてるってわけ。

軍に入って数日の間は何だかんだ五大家の名前を恐れて、玲湶に手出ししてくる輩はいなかったんだからね。

それが君とのことを知った途端ああいう事態になっちゃって。玲湶ってばすごく可哀想だったよ」


「………」


「ちなみに大体分かってるんだろうけど種明かしすれば、君が怒ってた配達の帰りが遅いっていうのは道中ああいう輩の邪魔が入ってたから。石投げられたり道塞がれたり囲まれたりとかね。

頭に葉っぱつけてたのはそれを回避するために木の上を通って来たから。

火鉾の面子もタイミングが合う時は玲湶の手助けしてたんだけど、そういうのもまた火に油って言うか。それにいつも一緒にいる訳じゃないしね」


つまり何も知らなかったのは俺だけだということか。

だがそれも当然と言えば当然だろう。恐らくそれを聞かされたとして俺は耳を傾けなかっただろうし、逆にそれならばいっそ補佐官の任を外れろと言っていただろうことは我がことながら想像に難くない。


「俺はお前の言っていた通り、視野を狭めていたということか」


五大家である朱家の長姫という、目に見える肩書に振り回され意地になっていた。

目の前に示される女の言動や周囲の言葉から目を背け、ただ五大家だからと、位の高い貴族だからというだけで無為にそれを拒み冷たく当たった。

これでは俺自身が忌避する上辺だけしか見ることをしない人間達と同じだ。


「……そうそう、矜牙にいいことを教えてあげるよ」


俺の言葉に目元をゆるめ、普段通りの雰囲気を漂わせた柳栄は楽しげに呟く。

瞳にとっておきの悪事を企む色が見え隠れして、残念ながら全く良い事である予感はしなかった。


「玲湶ってさ、すごく箱入りなんだ。祠苑に拾われたのは十三年前らしいんだけど、拾われてから五年間はずっと朱家から出ないで祠苑と朱家門下の人間以外と会ったことも無かったんだって」


「確かにまあ……随分な箱入りと言えるが。それがどうした」


「うん、で、俺が玲湶に会ったのは将軍になって祠苑と親しくなってからだから五年前くらいなんだけど、李柳栄ですって自己紹介したらそうですかってスルーされてさ、他の五大家の姓も知らなかったんだ」


……俺は一体何の話を聞かされているのか。

話の先が全く見えず眉がよったところを見咎められたのだろう、柳栄は楽しげに笑みを漏らした。


「あはは、もうちょっとだから聞いててよ。

すごくない?今から五年前の時点で五大家のことを知らなくて、でも朱家関連の歴史だとかそういうのは完璧でさ。礼儀作法、言葉遣い、芸能だとかも問題ないし、その辺の直系貴族なんて目じゃないくらいだったのに」


「あぁそうか。わかったわかった。だから何なんだ」


「うわ、酷いなその態度。まあいいけどね。

で、つまりは何が言いたいかって言うと―――玲湶、君の事情全く知らないから」


――知らない。

軍師として情けない話だが、その言葉に一瞬思考が止まった。


「……は?」


「だから、何も知らないんだよ。矜牙に対する周囲の噂も、真実の断片も、もちろん真相も、玲湶は何も知らないの。

気づいたかな、最初に君を紹介した時、玲湶小さく首を傾げたんだよね。彼女は君の持つ緋姓の意味も、五大家じゃないのに特別な官衣を纏っている理由も全く分からなかったから不思議に思ったんだと思う。

しかも緋姓なんてあったんだ、特別な官衣は五大家だけじゃないんだって、その場で知ってそれでおしまい。俺とか祠苑に聞いたりもしないで、ふーんて納得して終わり。

玲湶って自分のこと五大家っていうか、貴族と思ってないし下手したら誰より低い身分だと思ってるから、他人は実際自分より絶対に身分が上だって決めつけてるんだよね。

だからちゃんとした身分はわざわざ人に聞いてまで知る必要ないって思ってるんだろうけど、でもちょっとそれは思い込みが激しいよね。あれ?矜牙、聞いてる?」


にやにやと意地の悪い表情で問いかけてくる男に軽くはない殺意を抱いたが、それよりも急速に自分の身を襲った感情についていけそうにない。

それは紛れもなく―――羞恥だ。


柳栄は今なんと言った?

俺の事情を知らない?俺の過去も?

真実では無かったとして、まことしやかに周囲で囁かれる根も葉もない噂すらも?

緋姓の意味など、この官衣の意味などどんな位の低い貴族だとして、いや、下手をすれば貴族でない者とて知っているだろうに、それ程に、ある意味有名な――だと言うのに、それを、知らない……?

そもそも五大家の現筆頭貴族である朱家に迎え入れられて、誰よりも低い身分だと確信しているなどと、本物の馬鹿者ではないか。


だがそんな大馬鹿者のことを勝手に、どうせその無表情の裏では俺の事を侮っているのだろうと、嘲笑っているのだろうと、貶めているのだろうと疑っていたのは他でもない俺自身で。

つまり俺は元々存在しない幻影を自分勝手に形作りそれをたまたま折よく補佐官としてやってきたあいつに投影して、そして勝手にあいつを厭って辛く当たっていたという訳で。


「ほんと矜牙ってば、自意識過剰だよねー」


「……っ、う、五月蠅いこの、馬鹿者が!!」


そして柳栄のこの言葉が正に的を射ていて図星の紛れもない事実であり、それを指摘されたことで羞恥が頂点に達し恐らく顔も赤くなっているだろう俺自身がそれを認めているようなものではあるが。

気に喰わなかったことも事実であるのだから、そんな柳栄を天術で屋外に吹き飛ばしたのは俺にとって正当な対処だ。
















「――矜牙軍師。お戻りですか」


しばらく柳栄の室で自らを落ち着かせるためにじっとしていた俺が、自分の室に戻ってまずかけられた言葉はそんなものだった。

きちんと命令通り卓につき休んでいる女の顔を見ていられなくてすぐにそらす。落ち着かせた羞恥心がまたぶり返してきそうだ。


「……戻った」


「はい。あの、お茶は如何でしょう?

私だけ休んでしまうのはいたたまれませんし、どうぞお座りください」


「いや俺は…………あぁ、そうだな。淹れてくれ」


正直遠慮したかったが、逆に良い機会だろう。これ以上俺自身が馬鹿な事をしでかさないためにも、少しの会話は必要だ。

執務の為の机には向かわず自らの正面に座った俺に対して女は一瞬不思議そうに首を傾けたが、何を言うでもなかった。大袈裟に戸惑ったり、嫌そうな顔をしたり、逆にわざとらしく嬉しそうな顔をすることも。

こうしてきちんと視野を広げれば容易く分かる、この女の在り方。今まで俺が見ようともせず、見たとして目をそらしてきたものだ。


「では湯を……」


「いや、これで構わん。まだ入っているのだろう」


「ですがぬるくなっています」


「構うな。ほら、注げ」


恐らく俺が戻った時には茶を飲ませようと決めていたのだろう。

卓に乗った盆にはもう一つ空の茶器が用意されていて、それを差し出し顎をしゃくる。

女は今度は迷うように視線を彷徨わせたが、結局諦めたらしく素直に茶を注いだ。


「……その、なんだ」


一口茶を含んで、躊躇いがちに口を開く。

相変わらず美味い。

もうそれを打ち消すための、とってつけたような文句も頭には浮かばなかった。


「はい。何でしょう?……あ、同席するのはやはり避けた方がよろしかったでしょうか」


「違う!お前はどうしてそう意味もなく腰が低いんだ!」


「えっ、申し訳ありません…」


立ち上がりかけた女を我ながらどうしようもない言葉で止めれば申し訳なさそうに頭を下げる。

……だから、腰が低すぎる。


「お前な、そんな事だからああいったことが起きるのだろう。いや、まあ俺の態度にも責任があった訳だが…」


「そんな、矜牙軍師は上官として当然のことをしていらっしゃっただけです。元々は私の事情が呼び込んだ些事ですので、お気になさらないで下さい」


「だが……いや、この話はもういい。

ともかくお前はもう少し偉そうにしたらどうだ。お前は朱家の人間だろう」


今更俺が言うのもおかしな内容ではあるが、間違ってはいまい。

偉そうでなくとも、もう少し自信を持てばいい。

女は考えるように視線を手元の茶器に落とした。

自らの杯にも茶を注いで、再び目線をこちらへと戻す。


「お言葉ですが、私は朱姓を名乗ることに誇りは持っていても、それを自分の行いによって得られたと思えません。

私が今こうして生きていること、朱玲湶であることは、全て朱家のご恩情によるものなのです。……ですので、更にそれを笠に着て振る舞うことはしたくないのです」


「どこまで頭が固いんだ、お前は」


貴族の姓など、代々伝わるものなのだから自らの行いによりそれを手にした者など今の世にありはしないだろうに。

最早ここまでくると怒りも苛立ちもわかずに呆れる。それを感じ取ったのだろう、目の前の顔は曖昧に微笑んだ。


「よく言われます」


「だろうな。……柳栄に、お前はとんでもない箱入りだと聞いた」


「……それも、よく言われます。けれどお言葉ですが、周囲の方々に言われるほどではないかと」


「嘘を吐け。では聞くが、俺の姓はなんだ」


問いに、女は不思議そうに瞬いた。

既に瞳は元の菫。銀の睫毛が揺れ戸惑うように視線が注がれる。


「……あの、何かの暗喩でしょうか?」


ある意味この言葉こそが全てを物語っているというものだ。

真実か噂の断片でも知る者ならば、まず間違いなくこんなことは言わない。


「そのままの意味だ」


「……あの、私が例え箱入りであり何も分からぬ卑しいものであったとして、流石に自らが仕える上官の姓は憶えております。紅国国軍軍師兼火鉾隊長、緋矜牙様」


きっぱりと言い切った割に窺う様にこちらを見つめてくるのは何なのか。

それがどうにもおかしくつい口許がゆるむ。


―――つまり、分かっていたことだが柳栄の言葉は紛れもない真実で。

この目の前で驚き瞬く女は俺に対し何の作為も虚偽も悪意も持たない、高い実力と深い知性を兼ね揃え貴い姓を認められた、随所に渡る心遣いができ真っ直ぐな性根を持つ有能な武官だということだ。


「その通りだ、玲湶軍師付き補佐官」


「………………こ、光栄、です……?」


そしてどうにも俺の補佐官は世事に疎く他者の心情に鈍いらしい。

いや、今までの事を思えばこのような一言で全てを無しにしようとするのは褒められたことではないだろう。


「分からん奴だな。つまり――


「玲湶のこと、矜牙が自分の補佐官として認めたって事だよ!おめでとう!!」


突如響いた声に、今までの穏やかな晴れ渡った気分は一瞬で消え去った。

折角の人の言葉を、俺が今までの行いを悪く思いきちんと伝えようとしたものを、懲りないこいつは全て持って行ったのだ。


「……柳、栄!貴様、いい度胸だな…?」


「あはは、何怒ってるのさ。あ、もしかして自分で伝えたかった?ごめんね台無しにしちゃって」


謝罪の言葉を口にする割に全くそこに気持ちがこもっていないと感じるのは俺だけではあるまい。

睨みつけてもそれをものともせず平気で同じ卓につくこの男をどうしてくれようか。


「あの、柳栄将軍…一体いつからいらっしゃったのですか?」


「いや、二人の様子気になってさ。気配消して玲湶にもバレないようにずっと扉の前にいたんだよね。

いやーでも本当に良かった、これで明日から平穏に過ごせるよ。

もう矜牙がなかなか素直にならずに玲湶のこと認めないから毎日毎日朱家門下の人達の目線が痛いのなんのって。

まあ中でも一番酷かったのが祠苑なんだけどさ。でもこれで少なくとも俺は安心だね、矜牙はちょっと朱家に恨まれるかもしれないけど」


「………」


「いえ、流石にそのようなことはないと思われます」


こいつはこう言っているが、しかし確かに柳栄の言葉は納得がいく。

最初の、それこそ軍に入って数日の段階で永莉がああ言って来たのだ、朱家の怒りを買っていることは想像に難くない。


「まあ、今後の矜牙の態度次第かな。でさ、認めるんだよね、玲湶のこと」


まるきり他人事のように言いきって、柳栄は悪戯が成功した悪餓鬼のような表情を浮かべて問うてきた。

それに正面で苦笑していた顔も戸惑ったように俺と柳栄を交互に見つめ、居心地悪そうにしている。

自分がその切欠をぶち壊したくせにこんなわざとらしいタイミングをつくって俺にきちんと言わせようなどと、この男は本当にどうしてくれようか。

――しかし言わない訳にはいかない。

怒りで引きつる唇をどうにか開き、戸惑いに揺れる菫の瞳と視線を合わせる。


「…………玲湶。お前の事を、軍師付き補佐官として認めてやる。

これからも……今までの様に、俺の役に立て」


「………矜牙、すっごい偉そう」


「五月蠅い、黙れ、口を出すな馬鹿者」


これが今の俺の精一杯なのだ。そもそも最初の機会を壊したのはお前だろうに。第三者もいる前で認める、と口に出すのはやりにくい事この上ない。

そして先程から――――玲湶、が反応を示さないのは何なのか。

俺が恥を忍んでこうまで分かりやすく端的に言ったのだ、何か反応のひとつでも返せばいいものを。


「……おい、玲湶。お前、何か言う事はないのか」


「…………あの、無礼を承知でお聞きします。それは、同情でしょうか?」


「は?何を言っている」


大体何だ、同情というのは。

言っている意味が分からずに眉を寄せた俺とは反対に、柳栄はあぁ、と納得の声を上げた。


「つまり玲湶は今日自分が色々と言われているところを見たから、それに同情して認めたくもないのに矜牙が自分を認めたって言ってくれてるんじゃないかって思ったんだ?」


「………申し訳ありません」


玲湶は心底己を恥じるように瞳を伏せる。

その態度から言って柳栄の予想は当たっているという事なのだろう。

……確かに俺の今までを振り返れば当然と言える。そもそも実際のところそうして謝罪する必要すらないのだ。全て俺が未熟だった事が原因なのだから。


「いや、無理もないって。だって今までの矜牙の態度とか考えると有り得ない事態だもんねー。そりゃ急に意見翻されたら疑っちゃうよねー」


しかしそんな玲湶を慰めるふりをして俺に嫌味をぶつけてくるこいつは、間違いなく、わざとだ。


「……よし、とりあえずお前は即刻出ていけ」


「やだな、八つ当たりしないでよ。で、玲湶の疑問に対しての答えは?」


「貴様………覚えていろ」


この件に関して俺が全面的に悪いことは分かっている。

だが、それと柳栄の態度はまったく別物だ。今後の報復を胸に誓いながら、しかし今回ばかりはこちらの問題が先であるため仕方なくすぐの実力行使を諦め玲湶を見やる。


「同情かどうか、だったか。つまりお前には俺が同情程度で意見を変えるような軍師だと、そう見えるという事か?」


「……っ、いえ、その様な事は決して」


「全くだ。俺はそんな事では動かん。

いいか?お前を認めてやったことに先程の事が関係ないとは言わんが、全てではない。

………お前の茶はなかなかのものだし、確かに俺は武術はからきしだ。それに一々指示を出さずに資料や次の仕事をこなせるような補佐がいれば、使えない将軍職のせいで溜まりに溜まった仕事も早く終わる。

俺はそういったお前の今までの行動を総合的に評価して、認めてやると言ったんだ。まあまだまだ未熟な面がありもするがそれは追々でいいし、俺が直々に指導してやる。だから俺の補佐官となれ、朱玲湶」


――嗚呼クソ、どうして俺がここまで言葉を尽くさなければならんのだ。

そもそも玲湶が最初から喜んで頷いていればこんな面倒な手順は入らなかった。

いや、実際は最初の時点で俺が認めればよかったのだが―――それは今更仕方がない。

ともかくこれ以上の反論は許さないという意思を込めて玲湶を睨みつければ、やつはやはり数度瞬き、次いでふわりと……本当に、自分でもどうかと思うが、それこそ本当に嬉しそうに、花が咲くように微笑んだ。

見ていられなくて目をそらした俺の耳に、いつもよりも少しだけ弾んだように感じられる澄んだ声が届く。


「―――はい。誠心誠意、お仕え申し上げます。

私はこれより矜牙軍師付き補佐官として貴方様の盾となり剣となり、御身をお守り致します」


「………ふん、好きにしろ」


ついぶっきらぼうに呟いた俺に、この場に同席したもう一人から同じように声が届く。


「ほんと、素直じゃないんだから」


どこがだ、馬鹿者。




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