第三話 SSA
1. 刻まれた記憶
春の光が芝生を染めていた。
SSA支部の裏庭に二人の影があった。
「今日は攻撃の訓練だ。僕に攻撃を当ててみて」
アラシが構える。いつもの穏やかな表情とは違い目が真剣だった。
「はい」
ハルも構える。拳を握り重心を落とす。
三か月の訓練で体の動かし方はだいぶ変わった。最初は力任せに飛び出していた体が今は無駄なく床を蹴る。
踏み込む。アラシの顔が目線の端で揺れる。
(右の腹)
直感した。ハルの拳が走る。アラシが半歩でかわす。
「いいね。当たるかと思ったよ」
アラシが微笑む。息ひとつ切らしていない。
「でもまだ読まれてます」
「それは君が踏み込む前に肩が動くからだ。もっと体の中心から動かしてみて」
ハルは息を吐いてもう一度構えた。
踏み込む。今度は腹筋から体を運ぶ。拳が伸びる。アラシがわずかに体をずらす。紙一重だった。
「そう。今のはいいよ。あと三回やってみて」
ハルが拳を繰り出す。一回二回三回。どれもかわされる。けれど三回目はアラシの外套の端を掠めた。
「当たった!」
「かなり近づいたね。ここに来た最初の頃とは大違いだよ」
アラシが外套の端を直した。少しだけ誇らしげなハルを見て穏やかに笑う。
二人は芝生に腰を下ろした。訓練の後の恒例だった。少し休んでアラシが色々なことを話してくれる。
「ねえ隊長。神器っていつからあったんですか」
ハルが訓練の息切れを整えながら尋ねた。
「記録に残っているもので一番古いのは18年前の8月に初めて発見されたものだよ」
アラシは空を見上げた。雲がゆっくりと流れている。
「それまでは存在しなかった。少なくとも記録には残っていない。18年前の8月に突然世界中で同時期に発見され始めたんだ」
「突然」
「うん。それまでの歴史には一度も現れなかった。それがその時を境にあちこちで見つかるようになった。まるで何かの引き金が引かれたみたいに」
アラシは芝生の上に手をついて体を後ろに倒した。
「最初は誰も正体が分からなかった。奇妙な道具が力を発揮する。学界も政府も大騒ぎだったそうだよ。SSAができたのもその数年後だ」
「18年前か……。私が生まれた年に世界が変わってたんですね」
「そうなるね。君の力も生まれに何か関係あるのかもしれないね」
ハルは自分の手を見つめた。あの夜初めて力が目覚めたときの感覚。体の中で何かが目を開くようなあの感じ。
(私が生まれたのと同じ年に神器が生まれた)
今はまだそれが意味することはわからない
「アラシさん。私が赤ん坊の頃のこと何か知りませんか」
アラシは少し目を細めた。
「調べたことはある。でも記録はほとんど残っていなかった。孤児院に保護された経緯も詳しいことは分からなかったんだ。ごめんね」
「いえ。謝らないでください。教えてくれただけで」
ハルは膝を抱えた。
(18年前。私が生まれた年)
風が芝生を渡る。遠い記憶の端がふと蘇った。
*
とても幼い頃の記憶だ。
孤児院に入る前。まだ母親がいた頃。
ハルの記憶は断片的だ。母親の顔はぼやけている。けれど声だけは覚えている。柔らかくて温かい声。
あの日母親と歩いていた。どこに行く途中だったのかは覚えていない。すると道端にうずくまっている人がいた。
おばあさんだった。荷物を抱えて道端で転んでいた。
母親がしゃがみ込んだ。おばあさんを助け起こした。荷物を拾い集め膝についた土を払った。
「ありがとうございます。本当にありがとう」
おばあさんが何度も頭を下げた。母親は笑って首を振った。
「お気をつけて帰ってくださいね」
おばあさんが去ってからハルは母親を見上げた。
「お母さん、なんで助けたの」
母親がしゃがみ込んだ。ハルと目線を合わせる。
「ねえハルちゃん。もし人に助けられたらね、助けてくれた人にありがとうってするのはもちろんだけど助けられた分だけほかの人を助けるのよ」
「ちがうひとを?」
「そう。お母さんは昔たくさんお父さんに助けられたの。それでねそのお礼はどうしたらいいって聞いたら俺じゃない別の誰かをいつか助けてほしい。それは知らない人でもいいって。人が人を善意で助けることに見返りはいらない。だけどもしありがとうって思ってくれているならまた君みたいに困っている俺じゃない誰かに手を差し伸べてって」
母親はハルの頭を撫でた。
「そうやって助け合いを続けていけばいずれあなたが大変なときに誰かが助けてくれるのよ」
「私がたすけてもらえるの!」
「うん。きっとね。お母さんを助けてくれた人もきっと誰かに助けてもらっていたの。その人も誰かに助けてもらった。そうやって繋がっていくんだよ」
母親は優しく笑った。
「だからねハルちゃん。困っている人がいたら手を差し伸べるの。そうすればきっとあなたのところにも誰かの手が差し伸べられるから」
あの日の母親の笑顔は記憶の中で少しだけ滲んでいる。けれどあの温かさだけは今でも覚えている。
*
「ハル?」
アラシの声で我に返った。
いつの間にか膝を抱えたまま俯いていた。
「ごめんなさい。ちょっと思い出してて」
「懐かしい記憶かい?」
「はい。お母さんの記憶です。まだ小さい頃に」
ハルは小さく笑った。
「お母さんがね人を助けると助けられた人がまた別の人を助けてそうやって繋がっていけばいつか自分が大変な時に誰かが助けてくれるって。そう教えてくれたんです」
「いいお母さんだったんだね」
「たぶん。よく覚えてないけどそういう人だったと思います」
ハルは立ち上がった。芝生についた土を払う。
「だからあの日も。あの女性が殺されそうになってて体が動いたんだと思います。お母さんに教えられたから」
「そうか」
アラシは穏やかに頷いた。
(この子の強さは力だけじゃない。心が強いんだな)
「さあ訓練を再開しようか。卒業するまでに僕をぼこぼこにできるようになってもらわないと」
「うぐぐ人類で隊長に勝てる奴なんていませんよ……」
ハルが構える。拳を握り直す。目の端に夕焼けが映る。
あの日母親がくれた言葉。それは形を変えて今のハルの中に生きている。
困っている人がいたら手を差し伸べる。それがハルの選んだ生き方だった。
「行きます!」
ハルが踏み込んだ。拳が夕日を裂く。
アラシがかわす。けれどその外套の端を拳が掠めた。
「当たった!」
「いいね。今のは良かったよ」
アラシが笑う。ハルも笑い返す。
(卒業まであと二か月。もっと強くなる)
幕間 院長への報告
ある日、ハルは孤児院で院長に話をしに行った。
古びた木の扉を押し開けると廊下の奥から 子供たち の笑い声が聞こえてくる。いつもの光景だ。けれど今日は、その懐かしさが少しだけ重く感じられた。
院長室のドアをノックすると、中から落ち着いた声が返ってきた。
「どうぞ」
「失礼します」
ハルは部屋に入りまっすぐに院長の前に立った。院長は机の上の書類から顔を上げ、眼鏡の奥で優しく微笑んだ。
「ハル。急にどうしたの?」
「話があって来ました」
ハルは一度深呼吸をした。胸の奥で、言葉がうまくまとまらない。それでも、まっすぐ伝えなければと思った。
「私、SSAに入ることにしました」
院長の手が、止まった。
書類を束ねていた指がゆっくりと机の上に置かれる。しばらくの沈黙のあと、院長は静かに言った。
「……そう。決めたのね」
「はい」
「危ない仕事だと、聞いているわ」
「……はい」
院長は椅子から立ち上がり、窓辺へ歩いた。外では 子供たち が鬼ごっこをしている。その無邪気な声が、妙に遠く聞こえた。
「あなたが決めたことなら、私は止めないわ」
院長は振り返らずに言った。
「でも、一つだけ約束して」
「何ですか」
「絶対に、命をなげうったりしないで」
その声は、少しだけ震えていた。
ハルは胸が詰まるのを感じた。この人はいつも、自分たち孤児のことを第一に考えてくれていた。怒ることも、泣くこともせず私に命を大事にしろと。それがどれほど重い願いか、ハルにも分かった。
「約束します」
ハルは力強く頷いた。
「必ず、帰ってきます」
院長が振り返る。その目は少し赤くなっていたけれど、笑っていた。
「なら、行きなさい。あなたの場所へ」
「……行ってきます」
頭を下げ、ドアへ向かう。背後から院長の声が追いかけてきた。
「ハル」
「はい」
「あなたは、私の娘よ」
ハルは振り返らずに、小さく手を振った。
扉を閉めたあとしばらく廊下に立ち尽くした。子供たちの声が、また聞こえてくる。いつもと変わらない孤児院の音。けれど、もう自分はここにはいられないのだと思った。
(帰る場所は、ここにある)
そのことを胸に刻み、ハルは歩き出した。
2. 初任務
数日後の夕方。
SSA支部の会議室にアラシ、ライ、ユキヤ、ハルが集まっていた。
「今日はねハルの初めての正式な任務についての会議だよ」
アラシが書類をテーブルに広げた。
「ついにですか!」
ハルが身を乗り出した。
「そうだよ。ただしあくまでサポート役だ。前線に出るのはイツハとユキヤ。ハルとライは後方支援だ」
「分かりました。やります!」
ハルが答える。
「あれイツハって誰ですか?」
ユキヤが腕を組んだ。
「もう来てるよ」
会議室の隅の窓際に一人の女性が立っていた。いつからそこにいたのか気づけなかった。
白髪の長髪。白い目。黒いスーツ。整った顔立ちは美しかったがどこか人形のような冷たさがあった。口元には黒いマスクをつけている。
「私はイツハ。よろしく」
声は低く滑らかだった。マスク越しでも声はよく通る。
「えっとはじめまして。ハルです」
ハルが頭を下げる。イツハはハルを一瞥しただけだった。
「……うん」
それだけだった。
(なんかあっさりしてるな)
ハルは少し戸惑った。
「ハルは会うのが初めてだよね。イツハは実はずっと別の任務で出張していてほんとはここの歴はハルより長いんだ。だから君の先輩にあたるかな。口数少ないけど言うこと聞いてね」
「やかましい。それより状況は」
イツハはマスクの下で短く言った。アラシが話を戻す。
「現場は港にある倉庫街だ。神器売買のブローカーを見つけた。名前はサジン。複数の神器を所持している危険人物だよ」
「神器売買か。性質が悪いね」
イツハが呟く。
「サジンは倉庫街の奥にある廃倉庫を拠点にしている。イツハとユキヤで正面から突入する。僕は裏口を押さえて逃走防止。ライは周辺の探知で神器の反応を監視。ハルはライと一緒に後方で待機だ」
「待機ですか」
ハルが不満そうな顔をする。
「当然でしょ。初任務で前線なんて出させるわけない」
イツハが冷たく言った。
「でも私だって訓練は」
「訓練と実戦は違う。人が死ぬかもしれないのよ」
ハルの言葉が止まった。
イツハの白い目がハルを真っ直ぐに見ていた。マスクの下で何を考えているのかは分からない。
「イツハの言うとおりだよハル。今はまだ無理しないで」
アラシが穏やかに言った。
「分かりました」
ハルは唇を噛んで頷いた。
「じゃあ作戦実行は三曰後。解散するよ。準備をしておいてね」
アラシが穏やかに締めた。
イツハは無言で会議室を出ていった。その背中はまるで最初からそこにいなかったかのように静かに消えた。
(あの人なんだろう)
ハルはイツハの去った扉を見つめていた。
*
3. ライの目
三日後の夜。
倉庫街は夜の闇に沈んでいた。街灯がまばらに灯り鉄骨の影が長く伸びている。
ハルはライと一緒に倉庫の外壁に背を預けていた。少し離れた場所にユキヤとイツハの姿が見える。
「緊張してる?」
ライが小さな声で聞いた。
「ちょっと。でも興奮してるほうが大きいかも」
「そう。僕も実戦は何度かあるけど緊張するのはいつも同じだよ」
ライはおずおずと微笑んだ。長い前髪の隙間から灰青色の目が覗く。
「ライさんはいつからSSAにいるんですか」
「一年くらいかな。アラシさんに助けられてそれから」
「助けられた?」
「昔いじめられてたんだ。そのときたまたま通りがかったアラシさんが助けてくれた。それを見て僕も人の役に立ちたくて」
ライは俯いた。その背中は小さく震えていた。
「私も似てるかもしれません。あの日あの人を助けたかった。それで力が目覚めて」
「そうかい。似てるね僕たち」
ライは少し笑った。
そのときライが外套の中から取り出したのが一つの虫眼鏡だった。
「それがライさんの神器ですか」
「うん。神器シーカー。指定した探したいものを探知するんだ。ただし対象についての知識が曖昧だと正確な情報はわからないんだよね。パソコンで検索する感じかな。ほら、高校の授業とかでわからないことあっても教科書でわからないところ確認してから調べないと何が何だかわからないでしょ?あんな感じ」
ライは虫眼鏡を構えた。レンズが淡く光る。
「倉庫の中に三つ……いや四つ。神器の反応があります」
「四人ですか」
「たぶんサジンと仲間が三人。反応の強さが違います」
「ライ、反応はどうだい」
アラシの声が無線で響いた。
「倉庫の中に四つ神器の反応があります。一つは大きいです。サジンが持ってるやつかもしれない」
「分かった。気をつけて。イツハとユキヤは正面から突入して。僕は裏口を押さえる。ハルとライはそこで待機。何かあったら指示するから動かないでね」
「了解」
イツハの声が静かに響いた。
「了解っす!」
ユキヤの元気な声が続いた。
ハルは拳を握りしめた。胸の奥がざわついている。
(私はここで何もできないの)
悔しかった。せっかく力を得たのにそれを使う場所がない。
けれどアラシの言葉を思い出す。今はまだ無理しないで。
(今は待つ。でもいつか必ず)
4. 断ち切るもの
イツハとユキヤが倉庫の正面扉に取りついた。
イツハが静かに扉に手をかける。ユキヤが槍を構える。
「行くよ」
イツハが扉を開けた。
中は広い空間だった。いくつもの木箱が積まれ鉄骨の骨組みが露出している。暗がりの中に人の気配があった。
二人の男が立っていた。一人は小柄で鋭い目つき。もう一人は大柄で腕を組んでいる。
「ようこそSSAの皆さん」
小柄な男が笑った。手に小さな方位磁針を持っている。
「残念だけどあなたたちはここで終わりだ!これは神器ディレクション、指定した方向にどんなものでも指向性を持たせられる」
大柄な男も手に接着剤のチューブを持っていた。
「俺の神器はボンダー。接着する神器だ。お前らをくっつけて動けなくしてやる」
イツハが一歩前に出た。
「ユキヤ。右を頼む、私はこいつの臭い息を止める」
「了解!」
ユキヤが右の男ボンダーに向かって跳んだ。
「まずはお前から!」
ユキヤが槍を突き出す。ボンダーは手元の接着剤を地面に向けた。
「接着!」
チューブから透明な液体が飛び出し地面に広がった。ユキヤの足が地面に張り付く。
「なっ!?」
ユキヤが足を引こうとしたが動かない。
「かかったな!」
ボンダーが笑った。手元の接着剤で周囲の木材やコンテナの破片を次々とくっつけ始めた。木材が組み合わさり壁ができあがっていく。
「何だこれ!」
ユキヤは足を引き剥がそうとしたが接着力は異常だった。普通の力では引き離せない。
「終わりだ!」
ボンダーがさらに木材をくっつけユキヤを囲い込もうとした。壁が四面に組み上がりユキヤを閉じ込めようとする。
けれど次の瞬間
「残念だったな」
ユキヤが槍を構え直した。
「神器ペネトレイター。貫!」
槍の先が光る。ユキヤが槍を突き出すと壁を構成していた木材が紙のように貫かれた。それだけではない。槍の先から放たれた力は壁の向こうの木材も次々と貫いていく。
「なんで!」
ボンダーが驚愕する。ペネトレイターの能力「貫」。どんな障壁も貫く力だ。
「壁なんざ関係ねえ。俺の槍は何でも貫くからな!」
ユキヤが足元の接着剤ごと地面を貫いた。接着力が無効になり足が自由になる。
「次!」
ユキヤが跳んだ。敵はボンダーで慌てて木材をくっつけようとする。しかしユキヤの槍はそれを貫いた。
「ぐっ……!」
ユキヤは敵をけり倒し神器を手放させた
敵は崩れ落ちた。神器のチューブが転がる。
「へっ、俺みたいな美系に捕まるなんて、お前も運のいいやつだな」
ユキヤが槍を肩に担いだ。一人撃破。
*
一方イツハはディレクション使いと対峙していた。
男が方位磁針を構える。
「行け!」
方位磁針が光る。倉庫の中にあった鉄骨が音を立てて飛んできた。方向を定められ飛ばされたのだ。
「……」
イツハは静かに立っていた。鉄骨が迫る。けれどイツハは全く動揺しない。
高速で鉄骨をかわす。鉄骨が背後の壁に突き刺さった。
「なっ」
男が驚愕する。
「もう一度!」
男は次々と飛ばした。鉄骨木材コンテナの破片。あらゆるものが方向を定められイツハに向かって飛んでくる。
けれどイツハはすべてをかわした。まるで舞うように。
(何だこいつ早すぎる!)
男は焦った。イツハはただ立っているだけのように見える。けれどその立っている位置が常に最短の回避軌道にいた。
「くそっ!」
男は周囲を見回した。目の前に大きく積まれたコンテナがあった。
「これならどうだ!」
男が方位磁針をコンテナに向けた。コンテナが音を立てて浮き上がる。巨大な鉄の箱がイツハに向かって飛んできた。
今度はかわせない。男はそう確信した。
けれど。
イツハは静かに右手を腰に伸ばした。
そこにあったのは一振りの刀だった。
白鞘の刀。名は断ち切るもの。
イツハが刀を抜いた。
刃が光を反射して白く光る。
「切」物理的なものを断つ。
一閃。
コンテナが真っ二つに両断された。切り口は鏡のように滑らかだった。両断されたコンテナがイツハの両側に分かれて崩れ落ちる。
「嘘だ……」
男が後ずさりした。
イツハは刀を下げたまま静かに歩き出した。男のところへ。一歩ずつ。
「待て待て!」
男が方位磁針を構え直した。イツハの進行方向を変えようとする。けれど刀を払った瞬間に方位磁針の力が刃に弾かれた。
「無駄」
イツハが短く言った。
そして男の目の前に立った。男が何かを言おうとした瞬間イツハの刀が閃いた。
男の手から方位磁針が切り落とされた。同時に男の体が床に倒れる。
「みねうち、大げさ」
イツハは刀を鞘に戻した。表情はマスクの下で分からない。けれどその目は何の感情も表していなかった。
5. 裏口の遭遇
「二つの神器を回収した。サジンはこちらにはいない」
イツハの報告が無線に入った。
「倉庫の中にいたのは二人だけだ、おそらく裏口から逃げた」
「隊長、裏口の状況は」
ハルが無線に呼びかけた。
「大丈夫だよ。多分サジンはこっちに来るから僕が捕まえる。君たちはそこで待っていて」
アラシの声は穏やかだった。けれどその裏口で何が起きていたのかハルたちはまだ知らなかった。
*
「ぜえ、ぜえ、くそ、なんでSSAのやつらが、」
サジンは倉庫の裏口から走り出てきたところだった。目の前に黒い外套の男が立っている。
「どこに行くんだい?」
アラシが穏やかに言った。サジンは足を止めた。
「くそ!見つかったか!」
サジンは手に持っていた箱を開けた。神器パンドラ。どんなものでも収納する箱だ。
「箱の神器か。色々入ってそうだね」
アラシが一歩踏み出した。サジンはパンドラの中から小さな球体を取り出した。手りゅう弾だった。
「じゃあな!」
サジンが球体を地面に投げた。爆風が裏口を飲み込んだ。
サジンはパンドラから取り出した車で、その隙に逃げた。
(車か)
車が急発進した。サジンが運転席にいるのが見えた。車は急発進し、その場から離れようとする
「ふう、これでいったん大丈夫、」
しかし気づいたときには車の前方にアラシは立っていた
「バカな!手りゅう弾食らったはずだろ!ちい、こうなったらひき殺してやる!」
サジンの声が車内から聞こえた。アラシは動かなかった。
車が迫る。あと十メートル。五メートル。
そのときアラシが手に持っていたのは一枚の切手だった。
「彼岸切手」
アラシは自分の肩に切手を貼った。
車がアラシを弾き飛ばそうとした瞬間アラシの姿が消えた。
次の瞬間アラシは車の助手席にいた。
「こんにちは。いい車ですね」
アラシが穏やかに微笑んだ。
サジンが悲鳴を上げた。
「なっどこから!?」
「助手席からです。ちょっといいですか」
アラシがサジンの手首を掴んだ。同時に足でハンドルを蹴った。車が大きくカーブした。
「うわああ!」
サジンがハンドルを取ろうとする。けれどアラシの手がサジンの腕を蹴り抜く。
「痛い痛い!」
「静かにしなよ、夜中だよ?」
「ごはっ、」
アラシはサジンを殴り気絶させハンドルを奪い、車をゆっくりと停めた。その後サジンは完全に拘束された。サジンは数分後意識を戻した。
「君は終わりだよ。神器売買の罪で厳しく罰せられる」
アラシは静かに言った。サジンは青ざめた顔でパンドラを握りしめていた。けれどもう逃げられない。
「くそ……SSAめ……」
サジンが呟いた。
「さてと報告しないとね」
アラシが無線を手に取った。
「全員報告だ。サジンを確保した。倉庫の二つの神器も回収完了だよ」
『了解』
イツハの声が響いた。
『さすが隊長。一瞬だったね』
ユキヤが笑った。
「あとは戻って詳しい話を聞こうか」
アラシはサジンを後部座席に座らせ自分が運転席に座った。車はゆっくりと動き出した。
その様子を倉庫の陰から見ていたハルは目を丸くしていた。
「すごい……」
ハルが呟いた。アラシの力。仲間の力。どれもがハルの知らない世界だった。
(私ももっと強くなりたい)
胸の奥で何かが熱くなった。
初任務は終わった。けれどハルの物語はまだ始まったばかりだった。
第三話 了




