十三歳⑥
「……そう言われても、責任重大すぎるというか」
「何かあった? 浮かない顔だね」
コニングの言葉の意味について考え込んでいると、フレッドから話しかけられた。
まだ、コニングから与えられた示唆を、自分の中で咀嚼しきれたわけではないけれど――。
「私、やっと分かったんです。あなたが時間を取って私と過ごす理由」
「……ふーん?」
心なしか、フレッドはとげとげしい気配を身に纏った。
やはり指摘されたくない事項だからクレアには隠していたということなのか。コニングの見立ては当たっているのかもしれない。
「あなたが私に構うのは……ずばり、『妻以外には話し相手がいなくて寂しいから』ですよね? これからはもっとお話ししましょうね!」
「……えっ? 違うよっ!? 自慢じゃないけど、僕は友達も知り合いも多い!」
「そうなんですか?」
「そうだよ! ただの、君が冷遇されるのを防止しようと思った策なのに……いや、君は気にしなくていいんだけど! とにかく、僕は、寂しいと死んじゃうウサギさんじゃない!」
「ウサギは寂しくても死なないって聞いたわ」
「そうなんだ、教えてくれてありがとう。……じゃあ、僕はウサギ以下だって!?」
「どうしてそんなにむきになって否定するの? 誰だって、寂しいのは嫌だと思って当然でしょう?」
勢いよく噛みつかれて、不思議に思った。
クレアの見立て自体は外れているのだとしても、大人にとって『寂しい』と認めることは、よほど不名誉なのだろうか。
「私だって寂しいのはいやよ。もっとあなたと話したいわ」
「『仕事に明け暮れて妻を蔑ろにするな、夫婦の時間を取れ』と? ごめん、僕はそういうのが一番苦手なんだ」
「それは分かってます。フレッドは忙しいし、私だって勉強で忙しいわ」
「ああ、亡命中の錬金術師を招聘したいって手紙に書いていたね。なんでまたそんなマニアックな要望を?」
フレッドがクレアと会うのは週に一度くらいだ。それ以外の時に伝えたいことがあれば、手紙で寄越せと言われていた。
最近の手紙にクレアは『錬金術師から教えを受けたい』と書いた。
「だって、フレッド、『最近の外貨に精巧な贋金が混ざっている』って言っていたでしょう? 錬金術師なら、贋金の作り方や見分け方を知っているかもしれないし、話を聞いてみたかったの」
「……『全部僕の言うとおりにする』だったっけ。初夜で言っていたでしょ? 本当に、僕の役に立とうとか、気にしなくていいんだよ」
「うーんと、うまく言えないけれど、それとは少し違うと思うの」
「違う?」
「あなたに嫁ぐと決まったとき、私はスヘンデル語を勉強したわ。『言葉が通じないと嫁いだ後大変だ』って言われて、その通りだと思ったから。勉強のきっかけはあなただけど、これを『あなたの好みに合わせた』とは言わないでしょう?」
「確かにそうだね。言語はただの意思疎通の道具で、好み云々の話じゃない」
「それと同じよ。あなたが何を考えているか知るために、私の考えを伝えるために勉強するの。知識をあなたと話すための『言葉』にするために」
二人の間に共通言語があることで、表現できることがある。
もっと濃く深く多様な話を、あなたとしたいと思っただけ。
そのために、知識という共通言語を身につけようと思ったのだ。
「……なんてね。こんなこと言ってても、私、講義を聞いても分からないことばかりで。全然ものを知らなくて、頭が良いわけでもないから」
「クレア、それは違うよ」
恥じ入って俯くと、フレッドはすかさず声を掛けてくれた。
「全てのことをその道の第一人者並みに理解する必要はないし、そもそもそんなことは不可能だ」
「不可能って……」
「聞いて。君が悪いんじゃない。後学の君が一から学ぶ間、先学は足踏みして待っていてくれないからね」
「あ……!」
「そう、君が成長する間に、彼らだって成長するだろう?」
生きているかぎり人は良くも悪くも変化を続ける。
学問が蓄積した知識を前提として発展するものである以上、現在の研究の第一人者が、同時代を生きる素人に後から追いつかれることはほとんど無いだろう。
そう言われて、納得したクレアは渋々と頷いた。
「ううん、分かったけど、でも何も極められないって悔しいわ。私にも、何か一つでいいから『これなら私が一番得意』って言えるものがあればいいのに」
「こればっかりはどうしようも――」
「んっ……? そうだ! それよ、私にはそれがあったわ!」
「何だい?」
「私、あなたを研究するわ! あなたの妻は私一人しかいないんだから、私が『第一人者』よね!?」
競争相手がいない分野では自動的に一位が取れるし、一度詳しくなれば後学者にはそうそう追い越されない。
素敵な思いつきに、ぱあっと表情を明るくしたクレアと、フレッドはしばし無言で見つめ合った。
「……それは、そうだね。そうだけど、『夫の研究』って何をする気? 手始めに僕の身体の隅々まで見て観察日記でもつける?」
「見っ⁉ ……ごめんなさいっ、変なこと言いました! 忘れて!」
「いや、君の言ったことは何も間違ってなかったよ。謝らないで。ふふっ、僕としては観察日記でも構わないけど?」
「もうっ、笑わないで!」
頬が熱を持っているのが分かる。今、彼の顔を見ることはとてもできなくて、クレアは林檎のように紅く色づく頰に両手を置いた。
「じゃあ、僕が仕事しているところも見に来る?」
「いいの?」
「うん。次の会期の国民議会を見学するとか」
「ぜひ行きたいわ!」
機密書類がある執務室には入れないが、元々議事録の公開が定められている国民議会なら見学して構わないらしい。
クレアにとっても、コニング議員が丁々発止の論戦を繰り広げて大暴れしているという議会の方に興味がある。
「見学席はあなたから離れたところにあるの?」
「議場の後方に、控えの書記官や書記官見習いの学生の席がある。そこで聞いてもらおうと思っていたけど、僕の近くがよかった?」
「いいえ。議員じゃない私が近くに座って邪魔をしたら悪いわ。それに……」
クレアはまだ熱の残る頬に自分の手を押し当てた。
『僕の身体の隅々まで見て観察日記でもつける?』――フレッドを近くで観察していたら、さっきのからかいの言葉を思い出してしまう。
そうしたら、大勢の前で茹で蛸のように真っ赤な顔を晒してしまうかもしれない。
「僕を観察するには遠くない? 近くの席なら、休憩中に君の分からなかったところを補足説明できるかもしれない」
「いいえ、適切な位置です! きっちり下調べして、分からなかったところは後でまとめて聞くので、時間をとってください!」
「そう? わかった。それなら予定通りに」
『見学前に議会の進行手続きの確認と議題に関する調べ物をしておくように』と宿題を出されて、クレアはその日までの日数を指折り数えた。準備はきちんと間に合うだろうか。
「あと準備することは……ええと、議員の女性はどんな服を着ているの?」
そうだ、当日の服装も聞いておかなければならない。
あまりにも場違いな格好をして行ったら、見学者とはいえ『議場は子どもの遊び場じゃない』と冷ややかに見られてしまうだろう。
日頃から議場に出入りしている女性の服装を参考にすればいいかと尋ねると、フレッドは皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「女性議員はいないよ。みんな、男だ」
「え……」
そんなの変だ、と思った自分にクレアは戸惑った。
だって、バルトール王国では『政治』とは国王の、延いてはその背後にいる宰相のものだった。
貴族の子弟は領地の運営に必要な政治や法律や徴税について教育されるはずだが、彼らは宮廷で『いかに有力者に気に入られるか』ばかりを気にしていたし、女性にはその教育さえ施されなかった。
それに比べれば、スヘンデルはずっと進んでいる。
国王を廃し、平民出身も含めた議員から成る国民議会を開いて、志ある者が議案を持ち込んで、多数決で国の行く末を決めている。――そんな『進歩的な理想の国』は、独裁者である護国卿がいなければ成り立たず、『志ある者』も護国卿の決定に阿り、『平民』といえども富豪出身の男性議員しかいない。
「どうして……?」
「これまでの僕らに人を育てる力が無かったせいだ」
この心が重くなる感覚を、失望や落胆と呼ぶのだろうか。
暗い声で呟いたクレアに対して、フレッドは単なる事実を述べるように淡々と言った。
「僕は元商人だけど、それでも何とか『護国卿』をやれている。店を切り盛りしている女商人や商家のおかみさんは山ほどいるんだから、政治も女性にやれないはずがないと思う」
「それじゃ、」
「でも、人生の時間は有限だ。『男が身につけるべきこと』と『女が身につけるべきこと』をどちらも学ぶには時間が足りないし、かといって『身につけるべきこと』を身につけなければ半人前と見なされる。……窮屈な話だけど」
世間が課す『身につけるべきこと』が男女で異なっている以上、女は『一人前の女』か『変わり者の半人前』にしかなれない。
その二つの選択肢を並べてどちらが選ばれるのかは言うまでもない。
「僕が四年弱でできたことなんて、この程度だよ」
「……」
「幻滅したよね。そりゃそうだ、この状態が正しいわけがない。僕だってそう思う。それなのに『護国卿のすることに間違いは無い!』って言われ続けると、時々不安になる」
自分でも間違っていると思うのに自分を『正しい』と肯定する声しか聞こえなくなった時、流されやしないか。
耳に優しい言葉だけを欲しがって、自分と違う考えを受け入れたくなくて、権力任せに弾圧して排除しようとしないか。
このままだと、自分はいつか――。
「――僕は暴君になる前に死ねるだろうか、って」
暴君を嫌って革命を起こしたはずなのに、いつかそのことすら見失うかもしれない。
自嘲するフレッドを見て、クレアはコニングの言葉を思い出した。
(『一刻も早く失脚させたい』って、そういうこと? フレッドがフレッドのままでいられるうちに、違うことに『違う』って言える関係になりたいって)
そうだとしたら、コニングがクレアに望む『伴侶としての話し相手』には、『対等な話ができる相手』以上の意味が込められているのかもしれない。
「僕も諦めたわけじゃない。いずれは変えるよ、絶対に。でも、職業訓練校や大学に行った女学生たちが要職に就くまで、あと何十年かかるか分からない。少なくとも今は、議場に『煌びやかなドレスの女が参加するべきじゃない』という空気がある」
だから礼服の豪奢なドレスを着て見学すると要らぬ反感を買う、と言われてクレアは考え込んだ。
「私も男の人の服を着た方が良い?」
「それにもまた問題がある。護国卿は君を『一人前の男』として扱うと決めたから議会の見学を認めた、って伝わると厄介だ」
『政治は男だけがするものだ』というメッセージとして受け取られてしまうかもしれないという、彼の懸念はもっともだった。
フレッドの周りには彼の行いを全て肯定するだけの取り巻きがたくさんいるのだから。
「君の着たいものを着ればいいって言えたら良かったんだけど」
「華美なドレスでも男性の礼服でもなくて、失礼じゃない格好があれば……」
「そんな都合のいいものは無いだろう? どちらを選ぶにしてもクレアには『居心地の悪さ』を我慢してもらわなきゃならない」
女の服装で参加して、議場での白眼視に耐えるか。
着たくもなければ似合いもしない、男の服装をするか。
確かにどちらも気が進まない。だが議会の見学をする機会を諦めたくない。
(男でも、女でもない……?)
なんとなく、その表現が心に留まった。
だいたい『男だから』とか『女だから』とか、わざわざ『斯くあるべし』を取り決めるから窮屈なのだ。
俗世の決まりごとなど離れてしまえば――。
「いいえ、あるわ! ある、ちょうどいい格好!」
頭にこれ以上ない『正解』が思い浮かんだとき、クレアは嬉しさのあまり、ぴょんと飛び跳ねた。




