十三歳⑤
(結局話をはぐらかされちゃった。本当はもっといっぱい聞きたいことがあったのに。そうだ、『危険思想』のことだって――)
あの言葉の意味も確かめたかったのに、ついつい顔面の威力に圧されて聞き損ねてしまった。
でも、彼が言いたくないことなら、あらためて正面から切り込んだところで答えてくれないだろうし――。
「ちゃんと聞いてますか、クラウディア嬢!」
「わっ、ごめんなさい!」
昨夜のやりとりを思い返して考え込んでいたところを、至近距離に落ちた雷のような大声で現実へと引き戻されて、クレアはぴゃっと飛び上がった。
目の前には腕組みをした三十がらみの男が、しかめっ面で立っている。
「集中が切れましたか。休憩しましょう」
「ごめんなさい!」
「いいえ? 私の講義計画に無理があったのやもしれませんし?」
「本当にごめんなさい……!」
よりにもよって今は、数ある講義の中でもダントツで厄介な教師が受け持つ『政治』のコマの最中だというのに。
(それもこれも、フレッドが何も教えてくれないせいよ!)
ねちねちといやみったらしくいびられると、頭の中を占拠しているフレッドの面影に八つ当たりしたい気分になった。
「で? 何を考えていたんです?」
じろりと睨みつけてくる教師を前にして、クレアは渋々と口を開いた。
ここで正直に言っても『そんなことを考えていたとは』と鼻で笑われることは目に見えているが、隠しごとをしようとすると余計にお説教が長くなるからだ。
「昨日、フッ、フレッドと話してて気になったことがあって」
「おや? 私の講義の内容よりも、結婚して何ヶ月も経つ夫の名前を照れてまともに呼べないことよりも、気になることですか?」
「っ、なんでそんな意地悪な言い方するんですか!?」
「申し訳ない。口の悪さは生まれつきでして」
「嘘つかないで! そんなわけないでしょ!」
「どうでしょうねえ? なにせ『つむじ曲がりのコニング』ですから」
クレアの『政治』の教師役ニコラス・ヘルト・コニングは、若手議員の中の有望株らしい。
理路整然と論理を組み立て、ぐうの音も出ないほど正しい言葉を弁舌爽やかに相手の喉元に突きつける――という評判だけを聞けば、いかにも有能で清廉な政治家のように聞こえるが、惜しむらくは、彼の性格は『つむじ曲がり』の異名を取るほどに捻じ曲がっている。
フレッドは『彼ほど正直なやつはいない。普通は自分を良いふうに見せようとするだろう?』と面白がっていたけれど、なかなかその境地には至れない。
そうかといってクレアもコニングを嫌いなわけではないので、憎めなさは分かる気がする。
いやみっぽい男だが、それゆえに絶妙に『彼には気を使わなくていいか』という気持ちにさせてくるのだ。
「それで、フレッドに『危険思想』を吹き込む人が紛れ込まないようにしてるって言われたんだけど。コニング議員は野放しなのに変だなって思ったの」
「『野放し』って。鳥獣か犯罪者みたいに言わんでください」
「今日も鳴き声みたいに『護国卿の独裁は間違っている!』と言ってたのに」
「それは事実ですから……って、何が『鳴き声』ですか!」
キャンキャンと吠えるコニングを見て、『そういうところかな』と思ったことは口には出さなかった。
政治は代々宰相を輩出する名家出身の宰相に任せっきりのバルトール王国で育ったクレアに言わせれば、スヘンデルが貴族や富豪出身の議員を構成員とする国民議会を設けていることと、世襲ではなく個人単位での役職の任免の仕組みを導入したことは、かなり斬新だと思える。
しかし、コニングは『それも結局は護国卿ハウトシュミットの一存で決まる独裁体制だろう!』と批判してやまないのだ。
彼は『全ての成年の国民に等しく選挙権と被選挙権を与えて議員を選ぶ選挙制度を敷くべきである』という夢物語としか思えない過激な思想を説いている。
「それなのに、あなたは捕まるどころか私の教師役に選ばれた。いろいろ過激なあなたとも元王女のレディ・エフェリーネとも『仲良くしなさい』って言うくらいなのに、フレッドが心配する『危険思想』って何なのかなって」
元王族でフレッドのことを恨んでいるだろうエフェリーネも、このコニングでさえ、『思想に問題がない』と判定されるなら、世の中から『危険思想』は無くなりそうなものだ。
少なくともクレアには、フレッドが何を心配しているのか、上手く想像できなかった。
「なるほど。護国卿が嫌う『危険思想』とはテロリズムのことですよ」
「テロリズム……?」
「暴力の恐怖で脅しつけて従わせて政治目的を達成するやり口のことです」
恐怖によって相手を無理やり従わせるやり方は、自らと異なる考えを持つ者のことを話合いの余地すらなく拒絶している。
護国卿は『自分と違う考えを持つ者』のことは排斥するどころか面白がる節すらあるが『他の者の考えを無きものとする』テロリズムだけは受け入れがたいのだろう、とコニングは言った。
「護国卿がテロリズムを嫌うのは分かりますし、私も心底嫌いだ。だが、奇しくも革命によって、彼自身が『暴力には現状を問答無用で変える力がある』と証明してしまった」
革命軍を指揮して王政を倒し、国王さえも処刑した護国卿の行動を見た国民は『話合い』を選ぶだろうか。
護国卿を初めとする新政府の重鎮を殺せば、誰かを人質にとって彼らを脅せば、目的を簡単に果たせる――そういって短絡的に暴力の道を選ばずにいられるだろうか。
「あの方は有能だ。性格にクセはあるが、行動も品行方正そのものと言っていい。若く美しく強大な『革命』のシンボル――無くなれば一気に革命政府が瓦解するほどの。誰もが知っている、『護国卿の死』には一人の人間が死ぬこと以上の意味があると」
生まれて間もないこの国はまだ『護国卿』を失うわけにはいかないのだと、コニングは吐き捨てるように言った。
クレアはその時になってようやく気づいた。
コニングが苦々しげな表情を浮かべるのは、護国卿の独裁そのものというよりも――国を安定的に治めるために、護国卿の独裁に頼るしかない自分たちの無力さが気に食わないのだと。
「でも、護国卿も人間だ。いくら超人でも歳をとれば耄碌するし、いつか必ず死ぬ。彼がいなくなった後も続く国を作らねば、彼が人生を賭して為したことの意味が無くなるでしょうが!」
――だから私は『護国卿の独裁は間違っている』と言い続ける。私が望む未来を絶対に諦めない。
言い切ったコニングの瞳には強い光が宿っていた。
「熱烈な告白ね。さんざん悪口を言っても、コニング議員はフレッドのことが大好きなのね」
「嫌いだったら奥方の教師役なんか引き受けませんよ」
「なるほど。ところで、コニング議員は今の護国卿による統治体制をどう思うか、ご意見をうかがってもいいかしら?」
「大ッ嫌いですね! 彼には一刻も早く失脚してもらって、地方選挙区選出の一議員からやり直していただきたい! 私も同じ選挙区から出馬するので、正々堂々一騎打ちと参りましょう!」
「ぶれないわね……」
フレッドのことを案じる程度に愛情を抱きながらも、彼を全力で追い落とそうとするなんて、愛情表現まで捻じ曲がって面倒くさすぎる。
クレアは呆れて笑った。
「フレッドのこと、考えれば考えるほど、よく分からなくなってきたわ」
エフェリーネは『感謝しているけれどどちらかと言えば嫌いだ』という。
コニングは『フレッドを心底失脚させたいけれど心底大好きだ』という。
善人か悪人か、世話焼きかそっけない冷血漢か、どれが彼の本当の顔なのだろう。
呟いたクレアにコニングは馬鹿にしたような笑みを向けてきた。
「せいぜい考えてみてください。まあ、あなたが少し考えたくらいで理解できるような方なら、私は今頃、彼の全てを理解しきって、彼の大親友になっているでしょうが」
「本当に嫌な言い方ね! ……って、あなたたち、友達じゃないの?」
遠慮なく相手をこき下ろすための熱弁を振るえる上に、愛の告白までできる大親友だと思っていたのに。
クレアが尋ねると、コニングは渋い顔をした。
「確かにハウトシュミット卿もあの日を惜しんでいるのだとは思いますが」
「あの日?」
「私たちの魂の交歓のことを。迸る熱いものを交わし合った夜を」
「……はっ? 迸る、熱い、何ですって?」
「何って……ディベートでお互いの持論をぶつけ合ったという話ですが。何を想像したんですか?」
「何でもない!」
「いやぁ、お年頃ですねえ」
ひとしきりクレアをおちょくって遊んでから、コニングは神妙に言った。
「あの方は、話好きですからね。『命令』でも『訓戒』でもない『対話』に飢えているのでしょう。護国卿は孤独だ。私はそこに寄り添えないし、寄り添いたくもない。どうせ倒すなら『可哀想さの無い巨悪』の方がいいですから」
自分に追従するばかりの相手と話すのは壁に向かって話すのと変わらない。そうかといって、国家元首たる護国卿と対等に話ができる者がどれだけいるというのか。
心臓に剛毛が生えたようなコニングですら、フレッドの人となりを知らないうちは萎縮していたくらいなのに。
「ところで、クラウディア嬢は、寄り添って連れ立って一緒に旅路を進む者のことをスヘンデル語で何と言うか、ご存じですか?」
「……『伴侶』?」
「大正解! 長い旅のあいだには話もするでしょう。だからまあつまり、そういうことです」
お任せしますよ、ハウトシュミット夫人。
その日初めて彼は、クレアをその名で呼んだ。




