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大人の気持ち⑤

「……ちっ、逃がしたか」


 妻の私室の扉を蹴破ったフレデリック・ハウトシュミットは、苛立ちを隠さず舌打ちした。ピン一本での枷の解錠に手間取っているうちに、妻には首尾よく逃げられてしまったらしい。

 疲れきったクレアが意識を朦朧とさせ始めた頃に、『左手の枷も外して』と囁きかけたが、彼女はふるふると首を振って拒否し続けた。嫌な予感を感じ取っていたのかもしれない。


「せっかく『立派な人間じゃなくていい』って言ってもらったことだし、バルトールのクーデターが終わるまでベッドに縛りつけておこうと思ったんだけどな。それは今度会った時にするとして――」


 クレアの行き先は十中八九バルトールだろうが見落としが無いように、と室内に目をやっていたフレッドは、机の上の枷の鍵と手紙と包み紙に気づいた。


『前にもらったペリドットのピンのお返しです』


 手紙の文字はクレアの筆跡だ。別れの挨拶にしては簡潔なのは、出かける時に急いで書いたものだからだろうか。


『これを身につけたあなたが、筋金入りの年下好きの精力盛んな変態だと思われればいいと思って選びました。気に入らなければつけなくていいけど、私がいない間も浮気はしないでくださいね。あなたがお盛んなのは分かってますけど』


 文面の端々に昨夜の恨みがこもっているのは分かったが、気にならない。

 紙に包まれていたのは瑪瑙を使った浮き彫り細工のタイピンだった。多彩な層が重なって縞模様を成した瑪瑙の、赤みを帯びた層を土台にして、その上の白い層を薄く削ることで見惚れるほど繊細な浮き彫りが施されている。

 手の込んだ彫刻は完成までに年単位の時間がかかる。発色の美しい瑪瑙を探し、これほどの彫刻技術を持った職人を見つけるだけでもどれほどかかるか、と、つい商人の目線で査定してしまった。

 いったいクレアはいつから用意していたのだろう。このピンの美しさもさることながら、彼女から長く向けられていた恋心の証のように思えて、胸のあたりが温かくなった。

 それにしても――。


「そういう時は『これを見るたびに私を思い出して』って書けばいいんだよ」


 カメオのモチーフは少女の横顔。装飾品らしく図像化されてはいるものの、クレアを象っていることは明らかだ。

 妻の顔が刻まれたアクセサリーを身につけることで周囲に伝わるメッセージは『年下好きの変態』ではなく『愛妻家』だろう。


「留守中の浮気相手を牽制するくらいなら、君がずっと傍にいてくれればいいのに。……まあ、そういうところも可愛いけど」


 さあ、早くクレアを迎えに行く準備をしないと。護国卿は愛しの妻を二度と離さなくて済むように、近隣諸国に密使を走らせた。

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