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『コスパがいいから』で選ばれた脈なし幼妻ですが、旦那様を悩殺してみせます!  作者: 美海@『承香殿の身代わり姫君』発売中


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十八歳⑦

 その翌朝、ふらつく足取りで迎賓館の部屋を訪れた異母妹を見て、姉は目を丸くした。


「こんな早朝にどうしたの? それに、その格好は?」


 簡素なワンピースの上から外套を羽織り、髪は結わずに下ろしたまま。およそ人前に出られるような格好でないことは、クレアにも分かっている。

 それでも今は身支度のひと手間さえ惜しかった。


「姉様、バルトールへの出発を早めることはできる?」

「ええ。可能だけれど……?」

「それなら今すぐ出ましょう! 早くしないと捕まっちゃう!」

「誰に?」

「フレッドに!」


 彼とにこやかに語らっているうちはよかったが、お互いがお互いに向ける愛情を思い知り、想いも高まってしまい――最終的には、本当にひどい目に遭わされたのだ。

 寝台にくったりと沈むクレアを見て初めてフレッドは身を離してくれた。

 その時に『逃げる体力が無くなればバルトールに行かせずに済むよね』と恐ろしい言葉が聞こえた気がするが、気のせいだったと信じたい。

 あまりの恐ろしさに聞き返すこともできず、クレアは即座に寝台から滑り降りて逃げ出してきた。もし、捕まろうものなら――いくら好きな男が相手でも、期待よりも恐怖が勝つ。


「ああ、それと。私、女王にはなれません」

「……え?」

「さっき、大願を成就させたので!」


 拳を突き上げて満足げに宣言するクレアに、虚をつかれた様子のレオカディアはクレアの全身をまじまじと見つめ、目を見開いた。


「別れを渋ったあの男に襲われたの!?」

「うふふ……フレッドの赤ちゃんはきっとすごく可愛いでしょうね。欲しいけれど、一夜で授かるのは望み薄かしら」

「クラウディア!? 話を聞きなさい! 真面目に考えないと駄目よ、あなたの将来に関わることよ!」


 真剣に怒り心配している姉を見て、クレアは微笑んだ。

 よかった、このひとは最初に『妹の将来』を案じられるひとだ。もしも王となる資格を失ったことを責められたり惜しまれたりするようなら、話はここで終わらせようと思っていた。


「安心して、姉様。私が彼を襲ったし、最終的には合意だったわ」

「……なぜ、そんなことをしたの? あなたは自分の口で『バルトールに行く』と言ったでしょう」

「ええ、バルトールには行く。でも、王にはならない」


 あなたに協力するつもりはあるけれど、言いなりにはならない。

 戸惑った表情のレオカディアに、クレアは先日抱いた『違和感』を突きつけた。


「責任感の強いレオカディア姉様が、肝心の王位を私に放り投げることにどうしても違和感があったの。だって、国内の大公家に嫁いだ姉様は今も王位継承権を持っているでしょう? あなた自身が王になればいいのに」


 外国に嫁ぐ王女が王位継承権を放棄する慣習は、他国の内政干渉を防ぐためのものだ。バルトール国内に嫁いだレオカディアには定めは適用されない。


「……理由は、ハウトシュミット卿も言っていたじゃない」

「ローゼンハイム公爵については分かるの。権力は握りたいけど自分の身に危険が及ぶのは怖いから、私を捨て駒に使うことにした。打算まみれで、逆に好感が持てるわ。でも、あなたはとっても中途半端」


『責任感が強いから国民を放っておけない』割には、王位はクレアに押しつけるつもりだと言う。

 だが『無責任』と言うには、自らスヘンデルまで乗り込んでくるなんて、何かに追い立てられているような必死ささえ感じる。


「まだ、私に言ってないことがあるでしょう」


 命懸けの危険な作戦に協力するのだ、聞かせてもらわなくては。 

 心の底まで見透かそうとするクレアの目に、レオカディアが怯んだのが分かった。


「姉様、自分の腹を痛めて産んだ息子って可愛い?」

「……どうして分かったの」

「ただの勘よ。私がバルトールにいた頃の姉様なら、国を憂いはしても深入りしないようにしたんじゃないかなって思ったの。姉様を変えたのはこの数年のうちに出会った人かなって」

「そう。賢くなったわね、クラウディア」


 決め打ちで投げかけた言葉に、姉は諦めたように笑った。


「ええ、息子はとても可愛いわ。アンドラーシュは三歳になったところなのだけれど、年齢を聞かれるといつも二本指を立てるの。くりくりの黒い巻き毛も焼きたてのパンの色の肌も、天使みたいよ」


 張りつめていた声が優しくなったのは、遠くオルドグ大公領に残してきた我が子に思いを馳せたからだろう。

『アンドラーシュ』という異国風の名前、癖の強い黒髪、浅黒い色の肌――異民族の特徴を色濃く受け継いだ息子に。


「あんなに可愛いのに、誰もが愛して然るべきなのに、お兄様の作ろうとしているバルトールはあの子に優しくない。バルトールの民さえ切り捨てるのだもの、異民族なんてなおさらよ。ごめんなさい、クラウディア。クーデターが失敗したときにオルドグ人を迫害する大義名分を与えてはいけないと思ったの」


 今は『オルドグ大公領』と呼ばれているバルトールの辺境部は、百年ほど前まではどこの国にも属さない草原だった。

 そこに住む遊牧騎馬民族の一部が対立部族に対抗するためにバルトール王家と密約を交わし、大公位と定住する土地の所有権を認められたのが、オルドグ大公家の成り立ちである。

 名目だけは『バルトールの臣下』になったとはいえ、住む土地も民族も言語も文化も異なる民を『仲間』と思う方が難しい。

 バルトールの民は騎馬民族を『悪魔』と呼んで恐れ、蛮族だと嘲り、迫害してきた。バルトール王家とオルドグ大公家との関係も年々悪化する一方だ。

 この状況で『オルドグ大公妃』が王家へのクーデターを起こせば、全面戦争になりかねない。


「そのことはオルドグ大公に言ったの?」

「『あなたたちに迷惑をかけたくないから別れて』と言ったわ。でも、聞いてくれなかった。常備軍も傭兵を頼む金も無いバルトールなんてオルドグの騎兵で滅ぼしてやる、わたくしのことは大公妃として守るから安心しろ、って」


 オルドグ大公の言うことは正しい。

 徴兵された農民を中心とするバルトール軍と、よく訓練された馬と高い騎馬技術を持つオルドグ人部隊が正面から戦えば、数の差があっても最終的にはオルドグが勝つだろう。

 決着がつくまでに両軍ともに多くの犠牲が出るだろうが。

『たとえバルトール人に同族を殺されても、バルトール王女を娶るメリットが無くなっても別れない』というのは、大公なりのレオカディアへの愛の告白だったのだろう。

 だが、バルトール王女として生まれ育ったレオカディアは、骨の髄までオルドグの人間になりきることはできなかった。


「わたくしは故郷のことも捨てられない。彼や彼の仲間に怪我をしてほしくはないけれど、簡単に『オルドグが圧勝すればいい』なんて言えないのに」


 互いに譲らず喧嘩別れして大公家を飛び出してきたのだと、レオカディアは悲しい目をした。愛する夫や息子に二度と会えなくなるとしても己の為すべきを為すと心を決めた目だ。

 実に美しい覚悟だ、これが戯曲なら拍手喝采を送ってもいい、とクレアは思った。――もちろん皮肉を込めて。


「姉様、あなたは賢いけど大馬鹿者だわ」

「クラウディア?」

「危なっかしいあなたを見た周囲がどう思うかなんて、気にしないの。そういう独りよがりなところ、フレッドとそっくりね。……私は嫌よ。姉様が不幸になるのも嫌だし『私は自分を不幸にしてまで国のため民のために尽くしているんだから、お前も同じようにしろ』って求められるのも嫌」

「そんなこと、」

「これは某名君の言葉なのだけど、『他人を不幸に陥れたくならないためにも自分は幸せになっておいた方がいい』そうよ」


 スヘンデル王国の誇る名君レオポルト一世は斯くの如く書き残していた。


『だから僕は、こう言った。『僕に向かってエルネスティーヌと別れるように言った者は全員、自分の愛する者と別れてもらう』と』


 国を守るために愛する女性を殺すか、彼女を守るために国と民を捨てるか。そんなろくでもない選択肢はどちらも選びたくないに決まっているし、選択を迫る者には噛みついてやる、と。

 当時の宮廷記録によれば、従順だった国王の豹変に臣下は慌てふためき、政略結婚を受け入れさせるために宥めすかしたという。ある者は『あまりにも無慈悲で横暴だ』と国王を責め、ある者は『お辛くても意義のあることです』と説得を試みた。だが、後に『賢王』と呼ばれることになる青年は、こればかりは頑として譲らなかった。


『僕は弱い人間だから、自分が不幸になった時に幸せそうな人間を見たらきっと妬んでしまう。妬みのあまり酷いこともしてしまうかもしれない。それが嫌なら『みんなが幸せになる方法』を考え続けなければならない』


 それはきっと楽な道ではない。誰かに嫌なことを押しつけて見ないふりをすれば済むものを、何倍もの手間をかけて答えを探すことになる。でも、その先にハッピーエンドが待ち受けていると信じて前に進むしかないのだと。


「姉様、私のためにも幸せになって」


 クレアが言うと、レオカディアは泣きそうに顔を歪めた。


「無理よ。なれないわ」

「バルトールもオルドグも諦めなくていい方法があるなら、乗ってくれる?」

「そんな都合のいい話は無いわ。価値観は簡単に変わらないもの、相容れない者同士の争いは片方を滅ぼすまで止まらない」

「もしも、よ」

「……そうね。その夢物語が叶うなら、喜んで協力する」

「約束よ。姉様、私たちにはきっとできるわ。離れた対岸を繋ぐ架け橋となるために私たちは嫁いだのだから」


 それはきっと『私たちにしかできないこと』だ。クレアは姉の手をとって、強く握りしめた。

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