十八歳⑥
「私の何が駄目なの、私と結ばれてはどうしていけないの? 何があなたを咎めるというの。神様? 法律? 国民?」
呻いたフレッドの顔をクレアは覗き込んだ。彼の表情に本気の後悔が滲んでいるのを見て、むっと唇を尖らせる。
クレアにとっての『恋心の成就』を『悔いるべきこと』として扱うなんて失礼すぎる。
「神様は夫婦が仲良くするのを寿ぐわ。法律も同じ。国民だってあなたの子どもを心待ちにしてる。ああ、それから、ミランダお義姉様も『フレッドは頭でっかちだから押し倒さないと分からない』って応援してくれた」
だから駄目な理由なんて無いと言うと、彼はきっ、と鋭い目を向けてきた。
「姉上のこと、誰から聞いた?」
常人離れした傑物たる護国卿の泣き所は家族、特に姉。笑ってしまうくらいありふれた弱点だ。
でも、フレッドが弱点を隠していたのは自分のためではなくて、家族を世間の噂から守りたかったからだろう。
それはクレアにも分かるから『誰かが姉の噂を面白おかしく広めているのか』と考えた彼が、本気で怒っていることにも気づいた。
「お義姉様から直接」
「会ったのか!?」
「夫の姉に会っちゃだめなの?」
「何を話した!」
「怒らないで。あなたの話を聞きたくて会いに行ったの」
「……僕の?」
「好きな人のことが知りたかったから」
フレッドの『仲の良い姉弟だった』と聞いたから、彼を誘惑するのに使える秘密の一つや二つを知らないかと思って会いに行っただけだ。『だった』という過去形の意味をよく考えるべきだったと後悔はしたけれど。
『私が言うのもなんだけど、仲の良い姉弟だったと思うわ。だからフレッドは傷つきすぎてしまったのね。彼を責める者なんて誰もいなかったのに。……ううん、誰にも責められないから余計にね』
憂い顔で教えてくれたミランダは、フレッドとよく似た美しい面差しの女性だった。その美貌は悪しき者まで引き寄せて、彼女と周囲の人生を狂わせた。
『頭でっかちで生意気だけど心の優しい弟なの。あの子、国を動かす判断なんて出来るタマじゃないのよ。やり手の商人をやれてたのにも驚くくらい。だって、小さな頃から臆病で、失敗を怖がりすぎる子だったもの』
きっとあなたとの関係も『失敗』や『間違い』が無いように、とばかり考えてるのよ、義妹ちゃん。
ミランダはクレアに向かって微笑むと『恋愛にもマニュアルを持ち出すような頓珍漢だから』と容赦なく弟をこき下ろした。
『馬鹿よね。『間違い』は無かったとしても加点式の採点なら零点かもしれないし、『損失』を抑えるだけじゃ大儲けには繋がらない。でもフレッドは今持っているものを失いたくない、間違いたくない、って気持ちが強すぎる』
『それは、人間関係の話なら正しい考え方なのでは?』
試験や商売の話ならいざ知らず、親しい人と波風立てずに過ごしたいのは自然なことに思えた。クレアが小首を傾げると、ミランダはおかしそうに言う。
『じゃあ、義妹ちゃんは一生フレッドに子ども扱いをされたままでいいの?』
『駄目です! 近々悩殺します! あっ』
『そういうことよ。皆が変わらないでいられるならいいけど、それは不可能だもの。変わらないものなんてない。そして、何かが変わるときに波風が立たないなんてありえない。でも波乱が去った後にはもっと良いものが流れ着くかもしれない』
あなたがフレッドをかき乱す嵐になればいいわ。
そう言い残して、少女の頃と同じく美しい彼女は、三児の母たる貫禄のある仕草でやんちゃ盛りの息子たちを叱りつけに向かった。
「事情を聞いて、あなたが恋愛に前向きになれないのは分かった気もする。でも、やっぱり納得できないわ。だって私とあなたには、夫婦の愛の営みには、当てはまらない話でしょう?」
そもそもフレッドとマノンという少女との恋は、十分に甘酸っぱいものだったはずだ。それが暴力と同じはずがない。
お互いの気持ちがある恋愛ならいいだろうと言うと、彼は頑なに首を振った。
「少なくとも君と僕との間では同じ話だ」
「全然違うわ」
「一緒だよ。僕が余計なことを企まなければ君には似合いの相手が現れて、普通に恋をして普通に結ばれて普通に幸せになったかもしれない。僕が金と国力に物を言わせて、その未来を摘み取った。挙句に君を命の危険にまで晒して」
「あれはあなたのせいじゃないわ。それにあなたに選ばれなかったら私はもっとひどい相手に嫁がされたかもしれないわよ? 『王女』の肩書き目当てなのはあなたも同じだけど、幼子を痛めつけて興奮する変態とか」
フレッドが一番嫌いそうな類の変態を例に挙げると、彼は顔を顰めた。『想像したくもない』ということだろうか。
けれど、そうなる可能性はそれなりに高かったはずだ。後ろ盾も無く本人の特技も無いみそっかすの王女には、残り物のろくでもない縁談しか回ってこないだろうから。
「……最悪の『もしも』を想定されても」
「あなたこそ私の可能性を過大評価しすぎよ」
確かに今のクレアにはもてはやす信奉者がいる。でも、その人たちはクレアが『みそっかす』だった頃には見向きもしなかった。
周りの見る目を変えようと努力したのだから、当然ではあるし、今の自分を誇らしくも思う。それでも『優れた私でいないと愛してくれないんでしょう』と思う自分もいるのだ。
裏にどんな思惑があったにしても、あの頃のクレアを見つけて選んでくれたのはフレッドだけだった。
「『もしも』なんて置いておいて、現実には私たちが出会って結婚して、私はあなたに恋をした。あなたも私のことが大好き。ねえ、それってとても幸せなことじゃない?」
都合の悪いことは呑み込んで幸せになってしまえばいいのにと囁くと、フレッドはぽつりと言葉を溢した。
「……分かってるよ。僕を許さないのは、僕自身だ」
馬鹿だよね。もういい歳なのに、あれから十五年も経ったのに、子どものまま『大人は汚い』って喚き立てている。
自嘲の笑みを浮かべたフレッドを見て、胸が痛くなった。賢い彼は『自分が償う義務は無い』ことも『不幸は忘れたふりをして幸せになればいい』ことも理解している。
頭では理解していても、彼の中の潔癖な少年の心が大人になった自分の狡さを許せないのだ。
「そうね。だから、そのぶん私があなたを許すわ」
「え?」
「私が許す。格好悪くて情けなくてすぐ逃げる臆病な小心者でも、私はあなたを愛する。ついでに幼女趣味の変態でも私以外の女の子を見ないなら許してあげる。それに、もしもあなたが暴君になったとしても、私は妻として一緒に広場の晒し首になってあげる」
彼はそういう人なのだと知っている。必死に『理想の自分』の姿を作り上げて、醜く弱く愚かな自分を許さず愛さず投げ捨てた。
クレアはそれを残さず拾ってあげたい。捨てられた部分だって愛しい男を成すものであるはずだから。
「……あんまり甘やかさないでよ。駄目になりそうだ」
「人間だもの、駄目になってもいいわ。でも、私はかっこいいあなたを見たいからきちんと仕事はしてほしいし、あなたの見た目も好きだから節制も運動もしてほしいし、他の女の人に手を出そうものなら私があなたを殺すから」
「厳しいな。君のお眼鏡に適う男でいることの方が『立派な護国卿』より大変そうだ。『かっこよくて落ち着いた余裕のある大人の男性』が条件に入っていなくて助かった」
「それでもいいけど……フレッドにも私にどきどきしてほしい」
クレアばかりが彼に振り回されるのは不公平な気がするし、他の女の人相手に磨いた技術を自分に使われるのも嫌だ。
クレアが『あなたが誰ともお付き合いしていなくてよかった』と言うとフレッドは渋い顔をした。
「そうだ、それも。どうやって知ったの?」
「お義姉様もヴィル兄様も『フレッドと深い関係になった女の人はいなかった』って言ってたし、コニング議員も『職場恋愛は無い』と教えてくれたの」
「身内も友人も裏切り者ばかりじゃないか!」
情報源を指折り数えて挙げるとフレッドは喚いた。彼の手が枷で繋がれていなければ、頭を抱えていただろう。
「僕ってそんなに人望無いかなぁ……」
「違うわ、フレッド。みんな、私に『フレッドのこと大事にしてあげて』って言ったの。あなたに幸せになってほしい、って」
フレッドは彼自身が思うよりも大切に思われている。『立派な人間だから』ではなく『放っておけない、見ていて心配になる人だから』と。
彼が仕事を離れたら『何も残らない』なんてことはない。彼は自身に向けられた『愛』を知るべきだ。
「……で、みんなに頼まれた結果が僕を襲うことなの?」
じろりと睨んでくる視線に先程までの険はない。
心配されたことへの照れ隠しが含まれているのが分かって、クレアは笑った。
「お詫びに私に何をしてもいいから」
「……クレア、枷を外してくれ」
「いや!」
「もう逃げないから。君の話はよく分かった。外すのも右手の枷だけでいい」
「……本当に逃げない?」
「約束する」
そろそろ手が痺れてきたと言われて、クレアは右手の錠を解いた。
手の動きを確かめるように握って開いてを繰り返すフレッドを見ていると、彼の右腕はクレアにがばりと襲いかかった。
「騙し――っ!?」
「騙してない。僕は逃げない、クレアが逃げたいと思うかは知らないけど」
背中に腕を回して抱き込まれた。
「クレア、僕は怒ってる。嫌がってる人を襲っちゃダメだし、拘束されると怖くて嫌な気持ちになる。よりにもよって信頼してた君にされるとは思わなかった。バルトール行きについても考えがあるなら先に教えてほしかった」
「……ごめんなさい」
真正面から正論で叱られると、何も言い返せない。
しゅんとうなだれて、彼の胸に押しつけたクレアの額に、彼の右手が触れた。
「ごめん。僕が君を悩ませて思いつめさせた。独りよがりに『幸せにしてあげよう』と考えて君の心を傷つけた。そんな自分に腹が立つ。でも、何よりも……」
優しい手に促されるようにして、顔を上げたクレアは至近距離でそれを見た。
今までに見たことがないほど優しく、眩いほどの笑みを浮かべた彼を。
「ごめんね、大人の余裕を見せられたらよかったんだけど。大事な女の子に一生懸命誘惑されてぐらつかないほど、僕は人間できてなかったみたい」
「……ぐらついてくれないと困るわ。私、頑張ったのよ?」
照れくさくて、プイと横を向いて顔を逸らして、うそぶいてみせたけれど。
「ああ、完敗だよ。僕の奥さん」
大好きな夫にそう言われただけで、天にも昇る心地になってしまったのだから、たいがい自分も単純だ。
頬を綻ばせて、クレアは『そうでしょう!』と彼に抱きついた。




