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『コスパがいいから』で選ばれた脈なし幼妻ですが、旦那様を悩殺してみせます!  作者: 美海@『承香殿の身代わり姫君』発売中


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23/28

大人が子どもだった頃

ヒーロー視点、過去編です。

性犯罪被害を匂わせる描写あり。

 人は誰しも忘れられない思い出を持っている。フレッドにとっては少年の日の何気ない会話もまた、そうだった。


「ねえ、義兄上。『世間話をする時に女は共感を求めて、男は解決策を求める』って話は本当なの?」


 あの日のフレッドにはどうしても知りたいことがあって、義兄に声をかけた。

 正確には当時の彼はまだ『姉の婚約者』だったのだけれど、元々幼なじみで頻繁に互いの家を出入りする仲だったから、既に『義兄上』と呼んでいた。

 穏やかで思慮深い義兄は相談相手にはもってこいだ。だって、こんな話題を家族、特に姉に聞かれようものなら――。


「フレッド、またどこかでくだらない話を聞いてきたわね!」


 ほら、来た。こうやってキャンキャンと噛みつかれるんだから。

 姉のミランダに『なに馬鹿な話を信じてるのよ』と言われたのが悔しくて、ふてくされたフレッドは拗ねた口ぶりで言った。


「うるさいなあ。ミラには聞いてないじゃんか」

「『ミラ』じゃなくて『ミランダお姉様』とお呼び!」

「たった一歳しか違わないのに」

「返事は?」

「はいはい、わかりました、姉上。それでどうなの? 義兄上は姉上と話す時に何でも『そうだね』って頷くの? こんな横暴な姉上の言うことなのに?」

「フレッド!」


 すぐさま口喧嘩を始めた姉弟を見やってくすくすと笑った義兄は、それとなく姉を宥めてくれた。

 姉も彼の言うことは素直に聞き入れるから、やっぱり彼に相談して正解だった。


「フレッド、どうしてそんなことを聞くんだい? 誰か上手く話したい相手、気になる女の子でもいるのかな?」

「別にっ、そういうのじゃないけど。ちょっと気になっただけで」

「うん。でも、気になったきっかけはあるんじゃないかい?」

「……次の週末にね、布問屋のマノンと出かけることになったんだ。急に誘われてびっくりして、何を話したらいいか分からないし、」

「それで『上手な話し方』を覚えようと思ったのか」

「参考に、あくまでも参考にするだけだから!」


 ほら、僕があんまり失礼なことを言ってマノンに嫌われたら、父上の仕事にも影響があるかもしれないし。――それまで考えてもいなかったような言い訳を、必死に並べたことを覚えている。

 冷静になってみれば弁解するほど怪しいのだろうが、少年だったフレッドには知恵も経験値も無くて、自分の姿を客観的に見ることもできなかった。

 そんなフレッドを見て、姉は何かを悟ったようににやにやと笑っていたが、義兄は笑わずに真面目な顔で答えてくれた。


「僕個人の意見だけど、共感と解決策のどちらを求めるかは男女の差ではないんじゃないかな。悩みごとなんて人それぞれだし、感じ方も人によって違う。同じ人でも気分が落ち込んでいる時に悪いことが重なると深刻に考えすぎてしまったり……『常にこれが正解だ』とは言えないと思うよ」

「そんなあ」

「でも、フレッドは気になる子に良いところを見せたいと思ったんだろう? 気になる子の話なら自然と興味を持って聞くだろうし、そうすれば彼女が欲しい言葉も自然と分かるよ」

「そんなにうまくいくかなあ……って、マノンは『気になる子』じゃないよ!」

「ふふ、そういうことにしておこうか。怖がらなくても、取り返しのつかない大間違いなんて滅多にないさ。悩みに寄り添うことも、正解へと導くことも、どちらも大切なことだからね」


 求めていた答えとは少し違うものが返ってきたとしても、真摯に話した結果であれば相手の気を悪くすることは無いと思うよ。

 義兄の言葉にフレッドは少しだけ気を楽にして、頭の片隅に『相手の話をしっかり聞く!』と書き込んだ。


「ありがとう、義兄上!」


 それにしても義兄は頼りになる。貴族との縁談もあったミランダが迷わず彼を選ぶのも分かる。彼が『家族』になるのは良いな、と素直に思えた。

 自分にもいつかそういう『良い』と思える相手ができるのだろうか。今度出かける約束をしたマノンは父の取引先の娘で、結婚相手として不足は無いはずだけれど――とまで考えて、先走りすぎだと頭を振る。

 まずは『次のデート』に漕ぎつけるかどうかが問題だ。きちんと当日までに対策をしておかないと!

 挙動不審な自分を見る姉と義兄の視線にも気づかないくらい、フレッドの頭の中は『初めての恋』でいっぱいになっていた。


「次の週末、王城に新商品を持っていくことになったから、伴をしなさい」

「えー!」


 だから、父から用事を言いつけられた時には思わず不満の声を上げてしまった。

『まずい』と気づいて手で口を覆っても、遅い。父は怪訝な顔でフレッドのことを見返してきた。


「どうした? お前、いつも王城に行きたがるじゃないか」

「べつにっ、何でもないけど……」


 父は子どもたちに甘いから、事情を話せば聞いてくれただろう。

 でも、フレッドは『気になる女の子とのデートの日だからお手伝いは無しにして』とぬけぬけと言える性格をしていなかった。父に言って、からかわれたり、気を回して縁談を進められたりするかもしれないと思うだけで嫌だった。


「お父さま、その日はフレッドはどうしても外せない用事があるんですって。だから私が代わりに行ってもいい?」


 俯いて黙り込んでしまった弟を見かねた姉の援護射撃に、フレッドはぱっと顔を上げた。その時ばかりはミランダが光り輝いて見えた。


「ミランダが? いや……」

「お願い。嫁げば王城に行く機会も無くなるもの。今のうちに、ね?」


 姉の嫁ぎ先も裕福な商家ではあるけれど、王城への出入りは許されていなかった。『綺麗なお城の中を見てみたい』と言ったのは、あながち弟のための嘘ではなかったのかもしれない。

 父は姉にも商人としての教育を与えていたが、どういうわけか王城に行く時のお伴にはフレッドばかりを選んでいたから。


「まあ、いいだろう」

「やった!」

「……会うのはせいぜい侍従長までだ。まさか、あの場に――がいらっしゃるわけでもあるまいし」


 父の行動の理由を考えてみればよかった。渋々ながら姉の同行に許可を与えた父の言葉に注意を払っておけばよかった。

 そんなことを考えもせずに、フレッドはただ恋に浮かれていた。


 その頃フレッドは遅めの成長期を迎えていた。

 幼い頃から『女の子みたい』と言われ続けた顔と伸び悩んでいた身長のせいで抱えた劣等感から解放されて『頭でっかちの小心者』は『知的で素敵』と言ってもらえるようになった。

 ついには街でも評判の美少女のマノンから声までかけられた。おまけに彼女は積極的で、最初のデートで身体をすり寄らせてくる。


(たぶん、いくらかは打算もあるんだと思う。マノンの家よりハウトシュミット家の方が裕福だ。僕だってマノンを本当に好きなのかは分からない。でも、お互い嫌いなわけじゃないし……)


 義兄に『マノンは気になる子ではない』と言ったのは、八割は照れくささによるもので、残りの二割はフレッド自身にも分からなかったからだ。

 異性への好奇心、恋人ができたと自慢する友人への劣等感と焦り、彼女への漠然とした好意、恋愛が許される関係への甘え――そういったものをごた混ぜにして『恋』と呼んでいたような気がする。

 マノンから思わせぶりな目配せをされて、二人で人気のない方へと向かいかけた時だった。


「フレデリック坊っちゃま! 大変です!」

「どうしたの? 見ての通り、その、僕は取り込み中なんだけど」

「いいから早く戻ってください!」


 慌てた様子のハウトシュミット家の使用人に見つかって、流しの馬車に詰め込まれ、家まで即座に連れ帰られた。

 手伝いを断ってデートしているのがバレたからってここまでしなくても、と唇を尖らせたフレッドは、裏門で馬車を降りて屋敷の裏口に足を踏み入れてから家の異様な雰囲気に気づいた。

 日頃明るい雰囲気で賑やかな家族や使用人の会話が聞こえてくる玄関ホールには、暗く澱んだ空気が溜まって、大人の言い争いの声が聞こえた。


「ミランダ・ハウトシュミットには国王陛下直々の出仕命令が下ったのです。命令を拒否するつもりですか?」

「うちの敷居を跨ぐな、女衒がっ、よくもおめおめと顔を見せられたもんだ!」


 そこにいたのは針金のような体を黒い衣服に包んだ死神のような男と、フレッドの父だった。

 父はフレッドに似ず、豪快で強面の商売人だったが、見た目に反して情に篤く、たとえ気に食わない相手のことだって、こんなふうに怒鳴りつけるところは、一度だって見たことはなかった。

 そうだ。父がもしも怒るとしたら、彼の愛する家族に関することくらいで――。


(……今、『ミランダ』って言った?)


 嫌な胸騒ぎがした。硬直して動けないフレッドに気づかずに、父は『死神』に食ってかかっていた。


「わたくしは女衒ではありません。侍従長の任にあります」

「女衒と何が違う! 暴君に女を斡旋するのがてめえの仕事だろうがっ!」

「陛下への無礼は聞かなかったことにしましょう。おまえは卑しい商人とはいえ、貴族にも劣らぬほどの財を蓄えているのでしょう、ハウトシュミット。娘御に国王陛下の愛妾として恥ずかしくない支度をしてやるのが親心ではありませんか」

「娘が好いた男に嫁ぐなら、身分違いだろうがどうにかしてやるし、いくらでも金は出してやる! だが俺の娘に勝手に目をつけて奪い取って金まで出せだぁ? 冗談もいいかげんにしやがれっ! とっととミラを返せっ! ……返してくれよ、頼むから! 頼む、俺の娘を返してくれ、金ならっ、どれだけでも払うから……っ!」


『死神』の胸に掴みかかり、引き寄せて――まるで縋りつくみたいに崩れ落ちて、男泣きに泣き始めた父に、『死神』は目を向けて、わざとらしく肩をすくめて言った。


「勝手が許されるのが『国王』というものです。……はっきり言わねば分かりませんか。あの娘は王の子を孕んだかもしれないのですよ。城の外に出せるわけないでしょう」


 このひとは何を言っているのだろう。

 だって、ミランダはもうすぐ義兄と結婚するはずで。そのうち二人の間に可愛い子どもが生まれたら、フレッドは若くして『叔父さん』になるかもしれなくて。それがちょっと嫌だけど、そんな日が来るのを楽しみにしていたのに。

 その姉が、国王に見初められて国王の愛妾になる? 

 すでに国王の子がお腹にいるかもしれない? 

 そんなこと、起きてはならないことだ。起きてはならないことが起きている。


「既に起こったことは、受け入れなさい。陛下は恐ろしいお方だ。逆らうなら、王命を無視したあなたがたを全員処刑すれば済んでしまう。財産は没収され、娘も守れない。ならばせめて、娘の待遇を良くするように寄付を、と考えるのが、賢明な選択かとは思いますが」


 そう言ったときの『死神』が何を考えていたかは、ついぞ、フレッドには分からないままになった。

 国王の侍従として側近くに仕えていた彼は、ある日、国王の不興を買って処刑されたからだ。フレッドが革命を起こして国王を殺すよりも、何年も前に。

 ただ、あのときの『死神』からは、貴族の傲慢は鼻をつくほどに漂っていたが、不思議と悪意は感じなかった。

 彼はただただ、彼よりも目下の、国王の理不尽に逆らうすべも持たない身分の低い商人の一家を憐れんで、彼なりに考えた『正しい選択肢』を教え諭しているように聞こえた。


(ちがう。こんなの、正しくない。間違ってる……)


 あのときのフレッドの頭は、まだ現実を受け止めきれずにいて、理屈など考えられず、その考えを到底受け入れられなかったけれど。

 父の手伝いで王城を訪れたミランダは国王に目をつけられて、そのまま囚われた。この国の王は暴君だ。妾奉公を強制されるのみならず、彼の不興を買えば命すら危うい。フレッドが生きた姉に会うことは、もう二度とないのかもしれなかった。

 あまりに大きな衝撃を受けると、頭はぼんやりとしかものを考えられなくなるらしい。屍のように過ごしていたフレッドを現実に引き戻してくれたのは、マノンだった。

 彼女自身は意図せず、さらに強い衝撃を与えて直すようなやり方で。


「坊っちゃま、マノン嬢が訪ねて来られましたよ」

「マノン……ああ、彼女か。今行くよ」


 名前を聞いても彼女の顔が思い出せなかった。

 応接間で待っていた少女を見て色合いの一致からマノンだとは分かったものの、心はぴくりとも動かない。確かに彼女に恋をしていたはずなのに。

 ミランダの身に起きたことを知らないマノンは『あの日、急に解散になってびっくりしたけど、何かあったの?』と能天気に笑って、曇った表情のフレッドを訝しむように見ると、もじもじと身をくねらせて言った。


「あのね、フレッド。この間の続きだけど、フレッドだったら、いいよ?」

「『いい』って何が?」

「もうっ、言わせないでよ!」


『恥ずかしい』と両手で顔を覆ったマノンを見て、ようやく彼女が何を言いたいかを悟った。

 この間の続き。人目につかない部屋で二人でするような行為。フレッドがマノンと軽率にしようとしていた行為で――姉の心と体に一生消えない傷を刻み込んだ行為。


「フレッド? どうしたの、顔が真っ青よ」


 今の今まで、フレッドは自分を『姉を奪われた被害者』だと思っていた。

 でも、本当は自分の中にも姉を傷つけたのと同じ獣欲はあって、その欲を満たすためにフレッドはマノンと会おうとして、父の手伝いを姉に押しつけて、そのせいで姉は不幸になった。


 だったら――自分は『加害者』じゃないか。


「大丈夫? 風邪でも引いたとか、」

「来るな!」


 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い!

 自己嫌悪に吐き気がした。どんなに押さえつけようとしても、それまで好感を持っていた少女の温かくて柔らかい体に寄り添われれば意識してしまう。

 自分の中の欲を、暴君との共通点を、直視させられてしまう。


「フレッド? ねえ、あなた、様子が――」

「僕に触るな! 気持ち悪い!」


 恐慌状態に陥ったフレッドに戸惑いの目を向けていたマノンは、それを聞くときゅっと唇を噛み締めた。

 パシン、と小気味良い音を立てて、彼女の平手がフレッドの頰を捉えた。


「さいってー! ちょっと金持ちで顔がいいからって調子に乗るんじゃないわよ! あなたなんか……っ、ちょっと良いなって思ってただけなんだから!」


 憤然として去る彼女に勘違いをされたのは分かったけれど、追いかける気にはならなかった。

 だって、彼女との触れ合いを気持ち悪いと感じてしまったことも、フレッドが『最低』なのも事実で、解くべき誤解は無かったのだから。

 フレッドは私欲のために姉を犠牲にした最低の人間だ。姉に死んで詫びろと言われれば喜んでそうする。でも、今はまだ駄目だ。姉を助け出していない今、勝手に死んだところで償いにはならない。

 古い考えの王侯貴族は爵位を持たぬ者を虫けら同然に思っている。彼らに話を聞かせるためには、まずは貴族にならないことにはどうしようもない。


「僕が奴らと同じ存在になる。そうやって、姉上を取り戻す」


 姉を国王の愛妾として差し出し、王家に寄付を行った代償として、ハウトシュミット家は男爵位を得た。この地位を、姉を助け出すために使うのだ。

 そうすればきっと償える。フレッドが犯した罪も許されるはずだと信じた。そう思い込まなければ自分が許せなくて、生きていられないと思った。

 ところがいざ王城に出仕すると、早くも国王の寵愛を失った姉は追い出された後に行方知らずになったことを知らされた。

『国王を満足させられなかったミランダが悪いから知らせなかったし、これまでにハウトシュミット家が支払った寄付金は返さない』そうだ。王家の悪どさとがめつさにもはや溜息も出ない。

 姉の情報を得るために、出たくもない貴族たちの集まりに出て媚を売り、吐き気を催すような人柄の人間と親しんだ。


「下賤の者が上手く化けたものだなあ、ハウトシュミット。見かけだけなら立派に貴族に見える。実は貴族の血を引いていたりしないのかね?」

「どうでしょう。私も姉も母に似ていると言われますが、母方と疎遠でして」

「調べてみた方がいい。なあに、もし家系図を紛失したということであれば、儂が縁戚だと証明してやってもいい」

「閣下のお気持ちはかたじけなく思います。親戚は助け合うものですからね、閣下の入り用のものを用立てさせてくださいませ」

「うむ、分かっておるではないか」


 得た金以上の金を使えば財産が減る、商人から金を借りたら利子をつけて返さねばならない。そんな子どもが最初に習う算術すらまともにできないくせに、どうして驕り高ぶっていられるのだろう。


「卿と縁戚になっていればなあ。儂も国王陛下に見初められるような美しい娘が欲しかったものだ」

「……はは。それは私の姉のことですか」

「無論だ。卑しい商人の娘のことだ、したたかに陛下に迫ったのだろう。所詮小娘の浅知恵、寵姫として栄華を極めることには失敗したようだが――」


 殺すな、堪えろ。殺してしまえば、姉の話が聞けなくなる。

 頭の中で彼らが悲惨な最期を迎えるところを思い浮かべて堪えた。

 そうだ、革命を起こすのはどうだろう。身分以外に何も持たない彼らから身分を奪って『ただの人』にした上で処刑してやれば、少しはこの心も晴れるだろうか。

 姉への侮辱を笑顔で聞いて、『陛下に見初めていただけるなど光栄の極みです』と返し、『姉が至らなくて申し訳ありません』と詫びる。

 心とちぐはぐな振る舞いに慣れた頃には、自分が浮かべている表情も分からなくなっていた。


「なにを考えているの、フレッド! ミラがどんな思いで王城に行ったと思っているのっ!? なのにっ、よくも奴らと楽しくお茶なんて飲めるわね!」


 塞ぎ込んでいた母に涙ながらに責められた時、自分は『貴族らしく』なれたのだと知った。

 蝙蝠は鳥のふりを覚えなければ鳥を欺くことができないのだから目標の達成を喜ぶべきだろう。でも、鳥のふりが上手くなった蝙蝠は、もはや獣の仲間とはみなしてもらえないのかもしれない。


「母さんがごめんな、フレッド。お前が何かをがむしゃらに頑張っているのは分かるよ。……でもな、」


 フレッドの行動を静観していた父も、やがて怯えた目を向けてくるようになった。


「俺も、時々お前のことが怖い。普通は家族が傷つけられたら悲しむものじゃないのか? お前は、違う。お前が何を考えているのか、俺には分からない」

「そう。別にいいよ。誰かに分かってもらったり褒めてもらったりしたくてやってるわけじゃない。僕が勝手にやるから、父上は心配しないで。じゃあね」

「待ちなさい、フレッド!」

「仕事が忙しいから別宅に移るだけだよ」


 全て自己満足なのだから、理解されないのも感謝されないのも当然だ。それなのに『分からない』と言われた時に反発したくなったのは何故だろう。


「悲しんでいれば姉上が帰ってくると? 何もせずにただ待っていろって?」


 父の部屋を逃げるように出て、独りごちた。

 言い負かせばきっと父は『そうだな』と答えただろう。

 フレッドの考えも行動も間違っていないはずだ。でも、それは『父の欲しい答え』ではなかった。

 必要最小限の荷物をまとめて玄関ホールに向かうと、義兄が来ていた。

 この人もまめな人だ。ミランダの帰りなど待たずに、他の女と結婚してしまえばいいのに、いまだにしょっちゅう訪ねてきては、ハウトシュミット一家を気遣ってくれるものだから『義兄』呼びの止め時が無かった。


「やあ、フレッド。その荷物はどうしたんだい?」

「しばらく向こうの家を使おうと思って。義兄上、父上と母上のことをお願いしてもいい? あの人たちが欲しかった息子は、僕じゃないみたいだから」

「フレッド……」


『共感と解決策のどちらを求めるかはその人と状況によって変わる』――いつだったか、姉と義兄とそんな話をした。

 父も母も『待っているだけでは姉は帰ってこないよ』という答えを突きつけられたくなかったのだ。彼らは一緒に悲しんで心に寄り添ってくれる家族が欲しかったのだ。

 フレッドには根拠の無い慰めで傷を舐め合うような真似はできなかったし、義兄はその役割を果たしてくれる。

 この家にはもうフレッドの居場所は無いし、どのみち革命軍の拠点は他に用意しなければならない。

 巣立ちには良い時機だと自分に言い聞かせて、生まれ育った家を去った。

『革命』はフレッドなりの復讐であり、八つ当たりだった。

 自分が抱えた恨みつらみを悪しき王侯貴族に向けていいと肯定されて、自分たちを苦しめた身分という仕組みが跡形も無く壊れていく様を見ると、心の中の蟠ったものが解けていく気がした。

 姉はまだ見つからない。本当に帰ってくるかも分からない。でも、姉を苦しめたものが無くなれば姉だって喜んでくれるだろう。

 そうしたら姉は『フレッドは罪を償った』と認めて、許してくれるかもしれない――。


「城の中でエフェリーネ王女殿下だけは親切にしてくださったわ。着の身着のままで城から叩き出されそうになった時も、自分の侍女の中に紛れさせて匿ってくださったのよ」


 そう思っていたのに、革命後に帰ってきた姉はフレッドの欲しい言葉をくれなかった。それどころか憎い暴君の娘のことを慕わしげに話しさえする。


「……へえ、そうなんだ」

「そうよ。ねえ、フレッド。王女殿下は無事なの? 落城時に亡くなったって噂を聞いたのだけど。あなたのお仲間が何かしたなら絶対に許さないわ」

「今のところは王女とも知り合いの、僕の信頼できる友達が保護してる」

「よかった!」

「姉上、エフェリーネ王女のことはいいんだ。姉上に嫌な思いをさせた他のやつのことは? ねえ、何だってするから、何かしてほしいことはない?」


 言ってくれ。一言『憎いやつを苦しめてくれ』と言ってくれれば、フレッドにもできる償いの方法を教えてくれれば、ようやく償うことができるのに。


「うーん……辛いことも悲しいこともたくさんあったけど、全て終わったことだもの。今は特に思いつかないわね」

「そんな。許したっていうの?」

「許すわけないでしょう。たぶん一生許さないし忘れられない。でも、私の人生はこれから先の方がずっと長いのよ? だから忘れたふりをして生きていくことにしたの。嫌いな人のことを考えるのに時間を使いたくないし、今の私は好きな人といて幸せだもの」


 姉は、傍から離れようとしない義兄に微笑みかけた。

 姉をずっと待っていた――待つことしかしなかった彼に向かって。

 もしかして、と思う。フレッドの背中には冷たい汗が伝っていた。

 ミランダを助けたのは、彼女を匿ったエフェリーネ王女であり、姉が帰る場所を守っていた義兄だ。

 フレッドの行為は何ひとつ姉のためにはならなくて、それどころか一歩間違えば姉の恩人である王女のことも『暴君の娘だから』と殺していただろう。それは『爵位が無いから』とフレッドや家族を虫けらのように扱った奴らの行いと何が違うのだろう。


 僕は『姉のため』をお題目に掲げていただけで、本当は自分自身の欲望を自分勝手に満たし、鬱憤を晴らす先を探していただけじゃないのか?

 気づかぬうちに一番嫌悪する存在と同じものになっていたんじゃないか?


 それからは『違う』ことを証明するために躍起になった。

『護国卿』は暴君とは違う。有能で勤勉で品行方正で、清く正しく美しく賢く強くて、個人的な好悪を持たず全ての人に対して平等に接して、決して私欲を優先させることなく常に国のためになることしか考えていない――そういう存在になることができれば、自分のしたことは許されるだろうか。

 想いが性欲に転じるのが怖くて『愛する人』は作れなくなった。

 家族はもういないも同然だ。

 友人たちはいるけれど、彼らはいずれフレッドよりもずっと大事なものを作るだろう。

 仕事の付き合いはあくまでも『護国卿』の役職に応じて生じるものであって『フレッド』には何も無い。空虚で、寂しい。

 そう、自分は寂しい人間だ。


(死ぬまで『護国卿』の役を立派に演じきってみせる。……僕にはもう、それしか残っていないんだから)


 使命感や責任感なんてたいそうなものではない。それは、歪んだ自己の存在証明に他ならなかった。


「だから僕は、誰かを特別に愛してはならない。恋に溺れるなんてもってのほかだ。『護国卿』じゃなくなった僕には生きる意味も価値も何も無いのにっ、僕は空っぽになりたくない!」

「いいえ、恋を知ったあなたになるだけよ! 人が人を愛してはいけない理由があるものですか!」


 心を傾けなくてもいい、愛さなくても妻として振る舞ってくれる、都合のいい少女を妻に迎えたはずだった。

 それなのにどうして、彼女の一挙一動から目が離せないのだろう。

 彼女が幸せになるようにと心を砕き、彼女の気持ちを尊重したいと思うのに身勝手にも自分の傍にいてほしいと頼んだのだろう。

 そろそろ認めなければならない。彼女はとっくに特別で、大切で、手放したくない存在だ。

 彼女を自分から奪っていく者のことをフレッドは許せそうにない。

 たとえその者が彼女自身だったとしても。


「あなたが格好悪くて情けなくてすぐ逃げる臆病な小心者だってことくらい知ってるわ。知った上で恋をして、愛しているのよ」


 彼女とこれ以上ないくらい近づいて、愛の告白を受けたとき、フレッドは久しぶりに『自分の気持ち』を意識した。

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