十八歳⑤
やや強引にヒロインが迫る描写があります。
食卓には彩りや盛りつけに凝った料理がずらりと並んでいた。白身魚のソテーをはじめ、どれもこれもクレアの好物ばかりだ。
「ご馳走ね。急に作らせて大変だったでしょう」
「料理人とは給料一月分の特別手当で話をつけた」
「しっかりしてるわね、さすがあなたの雇った人たち」
「みんな抜け目がなくて何よりだ。それに『二人きりであらためて結婚記念日を祝いたい』と言ったら乗り気になってくれたよ」
「『妻の送別会』とは言えないから?」
「君のバルトール行きは極秘だ。まだ軍や議会にも知らせてない。他に使える言い訳が思いつかなかった」
道理で食後のデザートの皿まで既に並んでいるわけだ。この晩餐の場に他人を入れるつもりは無いのだろう。
これなら二人きりで心置きなく話ができる。
「いいわね。『最後の晩餐』にふさわしいわ」
クレアが『最後』を強調すると、フレッドは唇を真一文字に引き結んで、それには返事をしなかった。
「覚えている? 私が最初に『政治』の授業を受けた日の晩に、あなたとコニング議員の話をしたことがあったでしょう?」
「あったね。君は『コニングさんは自分だって変人のくせに厳しくて口うるさすぎる。どうしても彼が先生じゃないといけないのか』と言ったのに、僕が他の候補を挙げたら急に慌てていた」
「慌てるに決まっているでしょう。私はただの愚痴を言っただけなのに、あなたは彼をクビにすると言い出すんだもの」
「教師から外したところで彼を冷遇するわけじゃない。どうしても合わない人と無理に付き合う必要は無いと思うし」
「あのね、フレッド。あの時のあなたも同じことを言っていたけど、私は解決策を求めて相談したんじゃないの。ただ『大変だったね』って言ってほしかっただけ。あなたとたわいもない話がしたかっただけなのよ」
「……そうか。僕は間違えたんだね」
「そうやって深刻に反省しないで。これもただの愚痴で、たわいもない思い出話なんだから。あなたにだってそういう思い出はあるでしょう?」
クレアの問いに、フレッドはあいまいに頷いた。……きっと、彼には簡単に思い出せるような『愚痴』は無いのだろう。常に『理屈の通った行い』をするようにと自らを律してきた人だから。
ようやく彼がぽつりぽつりと話し始めたのは、クレアにとって聞き捨てならない話だった。
「……クレアがこの国に来た時、正直『困ったな』って思った」
「ひどい! あなたが自分で求婚したんでしょう!」
「そうだけど、僕には君のような年頃の子どもと深く接した経験が無かった。十三歳って思っていたよりも子どもで馬鹿で何もできないんだって。でも、変なところで大人っぽくて現実が分かっていて……そんなに目を離したつもりもないのに、すぐに大きくなる」
君のことは扱いにくくて接しにくくて苦手だった。――確かにこれは『愚痴』には違いない。
けれどそこには『クレア』という一人の人間に向けられた温かい情が満ちていた。
「今振り返ってみれば、後悔ばかりだ。もっと上手く接すれば、もっと君に時間を割けばよかったとか。もっと僕が間違わなければ……っ」
そこまで言って、フレッドは声を喉に詰まらせた。
「……行かないで」
彼は、まるで幼い子どもが親の脚に縋りついて駄々をこねるみたいに言う。
「勝手なことを言ってるのは分かってる。この気持ちを押し通すための理屈も上手くつけられない。けど、僕はクレアを愛している。僕の傍にいてほしい」
国のために魂を捧げて私心を捨てた『護国卿』は、理屈も通らず得にもならない『愛』を告白した。
『愛しているから傍にいてほしい』はクレアがずっと欲していた言葉でもあるけれど、そこに込められた意味を知っては喜べない。
「――でも、あなたは私を抱けないでしょう?」
「それは」
「フレッド、今更言わなくたって知っているでしょうけど、あえて言うわ」
あの時フレッドが遮った言葉を、今になってようやく伝えることができた。
「私はあなたに恋をしているの。あなたから欲しいのは、保護者の愛情じゃない。そんなものはもう要らない、似て非なるものをもらってもかえって渇きを意識してしまうから」
――ほら、ここまで言っても、あなたは苦しそうな顔をするだけ。
私との関係を変えるつもりも、あなた自身を変えるつもりも微塵もないのでしょう?
「私を『守るべき子ども』としか思っていないあなたと一緒にいると辛いの。私はもうおままごとを続けたくない」
「……それも、バルトールに行くと決めた理由?」
微笑んだまま答えないクレアを見て、フレッドは力無く肩を落とした。
「そんな顔をしないで。あなたの笑顔を覚えていたいの、そうしたら私も頑張れると思うから。ほら、ぱあっと飲んで飲んで!」
嫌い合って別れるわけじゃないんだから。
クレアの言葉に夫は悲しい笑みを浮かべた。『愛する者と別れるからこそ辛いのにそんな時に笑えるか』と言いたいのだろう。
彼の気持ちは分かるけれど、クレアだって譲ってやれない。
「――だって、これから私がすることを知ったら、あなたは怒るでしょう?」
クレアはそっと、寝台に横たわって眠る夫の頬を撫でた。
美貌を歪めた印象ばかりが残るのは嫌だ。笑顔の彼の面影もバルトールに連れて行きたい。
「バルトールに行くのは、私を子ども扱いするあなたから離れたいからじゃない。いくら離れたところであなたを忘れられるわけないのに、離れることに意味が無いわ」
クレアは『バルトールに帰る』とは言ったが『王になる』とも『フレッドを諦める』とも言った覚えはない。
クレアの王位継承権は婚姻の無効を前提とするもの――平たく言えば、クレアがフレッドと夜を過ごしていないことがバルトール国王になるための条件だ。
『バルトールに帰る』『子ども扱いされるのが辛い』という発言は、クレアがバルトール国王になると決意したのだと、勘違いさせるためのもの。
このタイミングだけは、フレッドは絶対にクレアを疑わない。
『一緒にお酒を飲んだ経験も少ないから最後くらいは』とねだられて杯を重ね、『最後の夜だから一緒に寝たい』とねだられてふらつく足で寝室へと歩かされ、寝台に横たわって眠りに落ちてもなお、クレアのことを疑わない。
「最後の最後で油断したわね、フレッド。今夜のうちに『子ども』と思えないようにしてあげる」
最初にフレッドの四肢に枷をつけて寝台に繋いだ。
準備の途中で目を覚ました彼に逃げられてはたまらない。
「相変わらず綺麗な顔ね。憎たらしい」
仄赤く染まった寝顔が愛おしくて、彼の前髪をかき分けて額に口づけた。
瞼に、頬に、唇の端に――クレアの唇に触れた肌はどこも熱い。酒に酔ったせいだと分かっていても彼の熱が興奮によるものならいいのにと思ってしまう。
「早く起きないと、寝ているうちに全部奪ってしまうわよ?」
触れ合わせた唇が、ちゅっ、と濡れた音を立てた。
『深い口づけ』というものもしてみたいけれど、彼が唇を閉ざしているせいで諦めるしかなさそうだ。
未練を残しながらも、クレアは浴室で身を清めることにした。物言わぬ彼とのふれあいばかりに時間をかけていては、彼が目を覚ましてしまうかもしれない。
「……なんだ。もう起きてしまったの」
そして、その心配は現実のものとなった。
浴室から出たクレアは、部屋に戻るや否や、寝台の彼が向けてくる強い視線に晒された。
「どういうつもりだ、クレア」
「知りたい?」
――答えは分かりきっているくせに、本当に知りたいの?
クレアが意地悪く念を押すと、フレッドは途端に口をつぐんだ。
「聞かないの? まあいいわ、教えてあげる。お別れするのに、餞別の品をもらっていなかったから取りに来たの」
「餞別?」
「せっかくなら思い出に残るものがいいと思って。そう、一生に一度しか体験できないような」
「待っ――」
「あなたは五年前『お互いに好きになって夫婦らしいことをしたいと思えたらする』と言った。……その気なんて、ちっとも無かったくせにね」
クレアは寝台に乗り上げると、フレッドの腹上に座り込んだ。
「私、初夜のあなたの言葉を何度も何度も思い返したのよ。いつになったらあなたは『したい』と思ってくれるのかなって期待しながら。でも、全然そういう話にならないからあなたを説得するためにはこうするしか無かったの」
「何度も思い返したなら『夫婦でも合意がないとダメ』って趣旨の言葉だって分かるだろ!? こんなのは『説得』じゃない!」
それでは、今の彼のように、何の駆け引きも無く怒鳴りつけることが『説得』だとでも言うのだろうか。
余裕を無くした彼はなんて可愛いのだろう。
気を良くしたクレアはうっとりと微笑む。その笑みに、クレアには退く気がないと伝わったのか、彼は激しく身をよじった。
やはり金属製の枷にして正解だった、布で縛るだけなら解かれてしまっていたかもしれない。
「拘束を解け、クレア!」
「嫌です。解いたら逃げるでしょう?」
「当たり前だ! 僕はこんなことしたくない! 君がしようとしてるのは犯罪だ!」
「もちろん分かっているわ。あなたは刑法学者も私につけてくれたものね」
「分かってるなら今すぐ退け! 落ち着いて自分の行動の意味を考えろ!」
「あら。ひどいわ、フレッド。いつまで私の教師面をしているの? 現状を落ち着いて考えるべきはあなたでしょう」
何が『偉大なる護国卿』だ、今のフレッドは小娘ひとりに首尾よく拘束されて身動きを封じられた無力な男でしかない。
「普段デスクワークばかりしているから簡単に拘束されるのよ、可哀想に。少しはロマンチックな夜になるように、今のうちからお祈りでもしてらっしゃい? 初夜のやり直しよ、一生の傷になるといいわね?」
呆然としているフレッドを見て、クレアはくすりと笑った。
もう取り返しもつかないくらい、彼に軽蔑されて、嫌われてしまった。
もう彼の心は手に入らない。――だからこそ、今この機会に何としても彼の身体だけでも手に入れたい。
「っ、クレア!」
彼に乗りかかったクレアの目にその覚悟を見たのか、彼は再び抵抗して、悲痛な声を上げた。
「本当に嫌だ、やめてくれ! 僕に君を傷つけさせるな!」
さんざん酷い目に遭わされて、傷ついているのは彼の方だ。クレアに傷つけられているのは彼の方なのに。
それなのに、ただ、『クレアを傷つけたくない』とだけ、彼は言った。
「……ねえ、フレッド。あなたが女体に触れると蕁麻疹が出る体質だとか、自分のことを襲ってくる痴女は嫌いだと言うなら、仕方がないと思ったのよ」
いくらフレッドの手足を拘束したところで、彼のお得意の口は塞いでいない。その口で『痴女は嫌いだ』と言葉を尽くして罵られれば、さすがに途中で心が折れていたかもしれない。
だが、フレッドはクレアに『これがいかに恥ずべき行為か』を訴えるだけだったし、最後の最後に『クレアを傷つけることが嫌なのだ』と言ってくれた言葉は本心だったと信じたい。
その気持ちが嬉しかった。
だから、クレアは――。
「フレッド、私はあなたのお姉様じゃないわ」
だからクレアは、彼の心のひときわ柔らかいところを、土足で踏み抜いた。




