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『コスパがいいから』で選ばれた脈なし幼妻ですが、旦那様を悩殺してみせます!  作者: 美海@『承香殿の身代わり姫君』発売中


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十八歳⑧

 七の月の初め、バルトール国王は静かに息を引き取った。

 多くの子女を儲けて王室費用を増大させた以外にさしたる問題も起こさなかったまずまずの名君の死をバルトール国民は悼み、国中が喪に服した。

 だが、王侯貴族は悲しんでばかりもいられない。バルトールの慣例では国王の崩御から二週間後に次代の即位式典が執り行われる。長く王位を空けるわけにはいかないが、即位式典に近隣諸国の国家元首が欠席すれば赤っ恥もいいところだ。移動に要する日数を考慮して空位期間が定められていた。


「念のため聞くが、私の即位に異議のある者はいないな?」


 王太子エーミールは玉座に腰かけ、謁見の間に並んだ臣下を見下ろした。

 慣例に従って近隣諸国には用件を『新国王の即位』とのみ伝えたが、エーミールが次の国王となることはとうの昔に決まっている。もしもこの場で異議が出るようなら、そもそもエーミールは王太子に成れていなかっただろう。

 あくまでも形式だけの問いを投げかければ、臣下全員が新国王の即位を承認して忠誠を誓う儀式――そのはずだった。


「エーミール王太子の即位に異議を唱えます」


 だから誰も、老いてなお矍鑠とした老公爵がピンと伸ばした手を挙げて発言することなど予想してはいなかった。


「次期国王にレオカディア・フォン・バルトール王女殿下を推薦いたします」


 公爵が、国王と王妃の娘で筆頭公爵の孫娘――王太子よりも血筋の優れた他の国王候補を提示して、この場に波乱を巻き起こすということも。


「何のつもりだ、ローゼンハイム公!」


 しばらくぽかんと口を開けていたエーミールは、我に返るや否やローゼンハイム公爵に食ってかかった。

 立太子の際も一番の障害はローゼンハイム公爵家の意向だった。その時は公爵も表立って反対しなかったのに、今になって何を言い出すのか。


「何が問題なのです? レオカディア殿下は大公家に嫁いだ後も王位継承権を放棄しておられません」

「そんなの、当然――っ、」


 女のレオカディアが国王になれるはずがない。その当然の摂理を口にしようとしたのに、曇りのない目を向けられると言葉に詰まった。


「……まあいいっ、レオカディアにも王位継承権があるとしよう。だが、それは『彼女一代限りの、限りなく継承順位が低い王位継承権』だ。レオカディアは女で若年だからな。これはバルトールの確立されたルールに基づく順序だ。まさか異議を唱えはしまい?」

「いえ。それ自体は構いません」

「分かってくれて嬉しいよ。レオカディアはともかく、蛮族の子に継承権を握らせるなんて、考えるだけでもぞっとする」


 エーミールが肩をすくめると、場がどっと湧いた。

 国王の直系しか王位を継げないことにすると、その血統が絶えた瞬間に王朝は断絶してしまう。だから国王の弟妹にも王位継承権を残しておくのはいい。

 だが、レオカディアの子―― 異民族との混血児が国王になる可能性など、この場にいる者にとっては『悪い冗談』としか思えなかったのだろう。


「ローゼンハイム公は私に不満があるのかもしれない。だが、私の次に継承順位が高い弟も宰相派だ。どう足掻いてもレオカディアまで王位は回るまい」

「それはどうでしょうな」


 自身が推薦したレオカディアの王位継承順位が低いことは認めながら、ローゼンハイム公爵はわざとらしく首を捻って言った。


「上にどれだけゴミが詰まっていようと、綺麗に掃除して全て取り払ってしまえばいい。そうすれば『ルールに則って』繰り上がったレオカディア王女が王となるように、儂には思えてならんのですが」

「な……っ、謀反を企むかっ! 貴様っ!」


 その言葉は『レオカディアよりも継承順が上位の者を全て殺せば彼女を国王にできる』という意味にしか聞こえなかった。

 色めきたったエーミールが護衛騎士を呼ぶと、駆けつけた騎士たちは公爵を取り囲み、剣の切っ先を向けた。


「困りますな。儂は自分の考えを述べただけです。王太子殿下に『即位に異議があるか』と尋ねられたから答えただけ、『高順位の王位継承権者を全て排除した場合の扱いはどうなるのか』と疑問点を尋ねただけではありませんか」

「ぬかせっ! 謀反人が何を言うかっ!」


 理屈の上ではそうかもしれないが、わざわざ口にすること自体が如実に『別の意図』の存在を示している。

『反逆罪だ、早く処刑しろ!』と息巻くエーミールに、老公爵は焦るでもなく――どこか憐れみさえ滲ませた視線を返した。


「謀反を起こす時に『謀反を起こします』と言う馬鹿はおりますまい。策は、事前に巡らすものですよ」

「――『謀反』とは、どういう意味だったかしら」


 エーミールが公爵に詰め寄る前に、耳に心地よい中低音が謁見の間に響く。

 見れば入り口に人影が二つ、男性の礼装に身を包んだ金髪の人物とドレスの貴婦人だ。一見すると似合いの恋人同士のようにも見える二人は、エスコートをすることもされることもなく、互いの間に少しの距離を空けて歩を進めた。


「辞書的には『国家や君主にそむくこと』かしら」

「王太子は『君主』ではないわね」

「そうね、王子や王女同士の争いならばただの対等な『小競り合い』になりそうだもの。ならば、わたくしの考えは正しいわね」


 固唾を飲んで事態を見守っていた者たちは、近づく二人を見てようやく気づいた。――どちらも女だ。そして彼女たちが睦まじく話している内容は、世間話にしては随分と物騒な『国』に関することだ、と。


「玉座を退きなさい、エーミール・フォン・バルトール。まだ『君主』ではないあなたにそこに座る権利は無いし、この国を蝕み他国に売ろうとするあなたこそが『謀反人』でしょう」


 玉座の真正面でぴたりと足を止めた男装の女――レオカディア・フォン・バルトールは、玉座に座した異母兄のことを挑戦的に睨みつけた。


「……私が謀反人だと? レオカディア、冗談はよせ」


 レオカディアに喝破されて硬直していたエーミールは、ぎこちない動きで玉座に座り直して脚を組んだ。


「売国奴を謀反人と呼んで悪いの?」

「売国奴? 何の話だか分からないな」

「まあ、記憶力が悪くなられたのね。お可哀想に」

「っ、ああ! もしかして、我が妹は鉄鉱山の話をしているのかな?」


 余裕を見せて空惚けたつもりが、レオカディアに冷ややかな同情の視線を送られて、エーミールはこめかみをひくつかせた。


「レオカディア、貴様は『聡い』とちやほやされていたが、本の中のことしか知らないらしい」

「あら、どういう意味かしら」


 肩をすくめたエーミールは幼子を諭すように――立派な大人であるレオカディアを『思慮が足りない』と馬鹿にするように、言った。


「貴様はこの場に押しかけて、『エーミール王太子はバルトール国民を過酷で危険な環境で強制的に働かせている。民を守る王の器ではない!』とか何とか騒ぐつもりだったのだろう? 愚かな女子どもの夢見がちな戯言だ、ここにいる者はな、みんな、そんなことは知っているんだよ」

「……そう。知っているのに、何もしないのね」

「仕方がないだろう、犯罪者も貧乏人も異民族も『真っ当なバルトールの民』ではないのだから。貴様は私を非難するだろうが、国王だって人間だ、守れるものには限りがある。どこかで線を引かねばならない時に、真っ先に異端者が弾かれるのは仕方がないと思わないか?」


 もしも彼らを守ろうとすれば割を食うのは善良な国民だ。だから仕方が無いのだと、エーミールは悲しげに眉を下げてみせたが、内心の毒気を隠しきれていない表情は、クレアの目にはひどく醜く見えた。


「残念ながらこれが『現実』だ。本で学んだだけでは知らないだろうが――」

「あなたの言うとおりだったわね、クラウディア」


 そこまでを聞いてレオカディアは興味を失ったようにエーミールから視線を外し、横に並んだクレアに顔を向けた。


「ええ、姉様。中身のない人ほど大きなことを語りたがるし、相手の発言の価値を貶めようとしてくるものよ」


『あなたには分からないだろうけど』――確かに基礎となる知識が無ければ分からないこともある。だが、見くびられて説明を省かれたせいで分からないことも、説明する側が威圧して自分の考えを押し通そうとすることもある。


「馬鹿みたい。考えに自信があるなら堂々と説得すればいいだけなのに。互いの考えを戦わせる議論には、声の大きさも誰が誰に言うかも関係ないはずなのに」


 口から出た声は冷めきっていた。

 かつてのクレアは長兄に馬鹿にされても何ひとつ言い返せなかった。こんなくだらない男に対して劣等感を感じて怯えていたのかと過去の自分を情けなく思う。


「無礼な女めっ、小賢しい口を閉じろ!……待て、『クラウディア』だと?」

「ご無沙汰しております、兄様。先ほどレオカディア姉様からも話があった通り、兄妹の間に『無礼』は無いかと思いますが」

「嘘だろうっ、貴様、あの冴えない『薄茶色』か!?」


 驚きの声が上がったところを見ると、兄もこの場にいる貴族たちもクレアに気づいてすらいなかったらしい。苦笑いが出てしまった。


「ええ、そうよ。あなたたちがスヘンデルの言い値で売り払った、『みそっかすのクラウディア』は私」

「なんだ、見られる姿に育ったじゃないか。売り時を間違えたな、数年待てばもっとバルトールに有利な条件を引き出せただろうに」


 容姿しか見られていないことも『商品』としか見られていないことも、兄に期待などしていなかったから傷つかない。

 それでも一つだけ誤解を正しておきたくて、クレアは深呼吸してから兄を見据えて言った。


「兄様は森の獣と一緒ね」

「なんだとっ!」

「これが『現実』だ? 甘えたことを言わないで。目の前にある草を全部食べ尽くして『もう無いから仕方ない』って言ってるのと同じよ。それで飢え死にしたいなら勝手にすれば? 私はそんなの絶対に嫌だし、他の答えを探しに行く。他の場所を探してもいいし、自分で育ててみてもいい、他の人から借りたりもらったりしてもいい。見つかるまで、見つからなくても、最後まで探し続ける」


 国王だって人間で、人ひとりの力には限界があるのは嘘ではない。

 だが、限界を知っているなら、どうしてその『限界』を押し上げるために自分を鍛えないのか。どうして他の者の力を借りないのか。書物を読めば過去の人の力を借りることもできるのに、どうしてそれをしないのか。

 あなたは『望んで国王になろうとする者』なのに、どうして『個人』をすり潰すほど働かないのか。


「自分に都合がいいことしか見ていないくせに、見る気すら無いくせにっ、簡単に限界を決めて『仕方ない』とか言うなっ!」


 目の前に『正解』が降ってこないことは、最適解を探ろうとしない理由にはならないと、覚悟の決まった瞳で説くクレアを見て、エーミールは気圧されたように身を引いた。


「く……っ、綺麗事しか知らない女の戯言だ! 甘ったるい理想を夢見るのは結構だが、寝言は寝て言え。貴様らの細首など剣の一振りで簡単に落とせると知れっ!」

「あら、本当に殺してしまっていいの?」


 クレアには護衛騎士達の猛攻を掻い潜ることはできないし、命令が下れば文字通り初太刀で殺されてしまうだろう。もちろん死にたいわけでもない。

 それでもクレアは堂々とエーミールを脅し返した。恐怖は感じていなかった。だって、今この場で一番『強い』のは私だ。


「もしも私を殺したら、私は『バルトールの民を守ろうとして非業の死を遂げた英雄』になってしまう。クラウディアは理想に殉じた聖女で、あなたは聖女を殺した暴君だと語られる。未来永劫、ずっとそのまま」


 自分の人となりはもちろん顔すら知らないような人間が、自分の名を怨嗟とともに吐き捨てる様を想像するのは嫌でしょう?

 この場で一人の人間が生きるか死ぬかという話ではない。その人の為したことを、存在そのものを、未来にわたって徹底的に破壊し尽くし貶める――そういうこともきっと、やろうと思えばできてしまう。今のクレアが持つ人脈を使えば。


「そう書かせるわ。私、スヘンデルでお友達を作ったの。国内外にたくさん、学者も作家も詩人もね。画家もいるから絵も描いてもらおうかしら。版画にして印刷して配れば、文字を読めない人にまで広まるでしょう?」

「はったりだっ! 貴様にそんな力があるはずが……っ、第一、王宮の中で何が起ころうが、外に伝えさせなければいいだけの話だ!」

「話は先につけてきたのよ。『私が死んだら知らせる』じゃなくて『私が生きているかぎり知らせるから、知らせが途絶えたら来て』と」


 だからクレアはおとなしくここで待っていればいい。早く行動しなければと慌てふためくのは、彼らの方だ。


「あなたは私の無事を外に伝えないといけないの。もうすぐ私の怖い旦那様が訓練されたスヘンデル国軍を連れてやってくるわ。『新国王の即位祝い』という名目で」

「ひぃっ!?」


 フレッドがいきなり他国に非難されるほどの大軍勢を率いて来ることはないだろう。それでも『新国王への敬意を表すために大人数で来ました』とバルトールに乗り込んだ彼らは、クレアに危害が加えられたと知った途端に国際世論を味方につけて王都包囲戦を開始する。その場に居合わせた他国の使節も、諍いを止めるよりは便乗することを選ぶだろう。

 惨状を想像したエーミールが小さく悲鳴を上げるのを、クレアは笑みを浮かべて見ていた。


(私自身に力が無いから、周囲の力を利用する。結局は私も兄様を力で押さえつけている。自分でも嫌になるくらい狡い方法ね。これのどこが『綺麗事』なのかしら)


 笑みの下で、猛烈な自己嫌悪に苛まれながら。

 図書室でレオポルト一世の詩集を読んだ時、この方法を思いついた。後世に『賢王』と讃えられた男の犯した『罪』を知ったから。


『僕は一国の君主としてとても顔向けできないことをした。戦勝国の支配に不満を持つ被征服民を『自分たちの国を取り戻そう』って綺麗事で扇動して蜂起させた。内輪揉めで共倒れしてくれればスヘンデルまで手を伸ばす余裕は無くなると思ったから。工作員を送って噂を流して、彼らに『自分自身の意志で立ち上がった』と思い込ませさえした。スヘンデルの関与を辿られないように』


 エルネスティーヌ妃の故国が滅ぼされた後、スヘンデルに迫った強国は程なくして内乱状態に陥り瓦解した。賢王自身にはこの件に関して目立つ事績は無い。――彼は、記録に残すべきではないことをしていたからだ。


『嫁いだばかりの頃のエルネスティーヌに『貴重な紙に落書きして捨てるなんてもったいない』と怒られたっけ。伝手があるから手に入りやすいと言ったら驚いていた。森ばかりで農地が少ない僕の領地で、商品にならないかと皆で試行錯誤して作った紙。それで作った扇動チラシも撒いた。……こんなことには使いたくなかったな』


『敵』を上手くやり込めて侵攻を食い止めたはずの彼は、ちっとも嬉しそうではなかった。自身の選択の裏に、顔も知らない大勢の死がこびりついていると気づいていたからだろう。それでも、賢王の選択は『正解』ではあったのだ。


「『武器は説得に屈服する』と言うでしょう。剣の一振り、銃の一発はもちろん強い力を持つけれど、それで動かせるのはせいぜい一人の人生だけ」


 エーミールの言う通り、力を伴わない言葉は空虚だ。だが、綺麗事が『綺麗』なのは、そこに描かれた理想に皆が魅力を感じるから。皆を惹きつける言葉は必ず人を動かす力を持つ。


「理想への期待は何千何万の人の心を動かして駆り立てる。綺麗事を舐めるんじゃないわ」


 その強大な力は良くも悪くも働き得るものだけれど――だからこそ良い方に働かせなければならない、少なくともそう努めなければならない。


(ああ、やっぱり私は王様になんてなりたくない)


 選択に重圧がかかるばかりで気分はちっとも晴れがましくない。この鬱々とした気持ちに彼はずっと耐えていたのだろうかと、クレアは遠く離れた夫を想った。

 思い浮かべた声を、まさかこの場で聞くことになるとは思いもせずに。


「――その通り、皆の理想への期待は重くて怖くて扱うのが大変だったけど。でも、悪くなかったよ」

「……っ、フレッド!?」


 まるで『五年前』をやり直しているみたいだった。

 バルトールの王宮の謁見の間で、二つ隣のスヘンデルという国からやって来た美しい男は玉座に向かって歩を進める。居並ぶ貴族の前をゆっくりと通り過ぎ、ローゼンハイム公爵を囲む護衛騎士達の横を通り過ぎて、この国の第九王女だったクレアの隣で、彼はぴたりと足を止めた。


「共通の目標は他人と手を組むのに使えるし、何より僕自身も期待して『叶えたい』と熱に浮かされて、じっとしていられなかった。早く解決して、胸を張って会いに行ける理由を作ろう、って」


 ――スヘンデルと隣国カルメは、バルトールと三国同盟を締結する。

 コルキアの侵攻を阻み、諸国の平和を維持する正義は我らにある!


 歴史的な快挙を声高らかに宣言した護国卿ハウトシュミットは、驚いている妻に向かって『来ちゃった』と可愛こぶって告げてきた。


「おやおや、ハウトシュミット卿の奥方想いは微笑ましい。急に駆け出されると老体には追いつくのもやっとですよ。夫婦和合は神の意思に適うところ。貴方がたに神の祝福があらんことを」


『追いつくのもやっと』と言う割に、息も切らさず悠然と謁見の間に踏み入った深紅の法衣の男は、片手を掲げて祝福の聖句を唱えた。

 深紅色の法衣は、教会の中でも高位の聖職者である枢機卿のみが纏うことを許される。法衣と揃いの丸い帽子を被り、たくわえた口髭がトレードマークの枢機卿――カルメ王国宰相を務めるジョルジュ・ルナールだ。


「それに比べて、前バルトール国王の乱行は甚だしい。教会に祝福された結婚相手以外と子を儲け、あまつさえ後継となる正式な娘を差し置いて『庶子』を指名するとは。信仰と教義を守るために戦う枢機卿として、堕落を見逃すわけにはいきません」


 ルナールは『なんと嘆かわしい!』と頭を振ってみせたが、そのそぶりはどこか芝居がかっていた。

 確かに教会の教えによれば『一対の夫婦が互いに愛し合う』ことが尊ばれている。だが、政略結婚した夫婦の相性が良いとも、二人の間に子ができるとも限らない。

 ゆえに、特に教会の総本山から離れた東部諸国では、愛妾も庶子も正式な妻子とさほど変わらない扱いを受けてきた。

 今まではその実態を黙認してきたのに、今更になってバルトールの王位継承については教えを厳格に適用するという。ルナールの申し出には明らかに『別の思惑』が滲んでいた。


「何が『教義を守るため』だ! カルメの狐がっ!」


『王位継承権を持たない庶子』と断じられたエーミールは、堪らず叫んだ。

 ルナールは『これは枢機卿としての行動だ』と嘯くが、宰相としてカルメのために働いていることは誰の目にも明らかだ。

 隣国コルキアの封じ込めのため、利害の一致するスヘンデルと結び、バルトールに親カルメ・スヘンデル派の新国王を擁立しようとしているに過ぎない。

 レオカディアの王位奪取に協力すれば、バルトールに恩を売る形で三国同盟を締結できると考えたのだろう。

『俗物め』と非難されても、ルナールは眉ひとつ動かさなかった。


「教会の最大の守護者たるカルメの国益を拡大することは、神の教えにも適いますとも。何か問題でも?」

「詭弁だ!」

「貴方がどう思われたとしても、事実、わたくしは枢機卿の地位に任ぜられておりまして。神の教えに従えぬと仰るなら破門して差し上げましょう」

「……っ、!?」


 ルナールは俗物で有能な政治家でカルメ王国宰相で――だが確かに枢機卿でもあるのだ。

 やすやすと『破門』という切り札をちらつかされて、エーミールは硬直した。破門されれば、以降は教会が関わる儀式に一切参加できなくなる。

 当然のことながら、大司教が新国王に王冠を授与する戴冠式にも。

 いくら力づくでレオカディアを排除して自身が国王だと言い張ったところで、王冠を受けられない王になど誰もついてこない――結論を悟ったエーミールはだらりと玉座にもたれかかった。


「……私が正妃ではない母のもとに生まれたから? たったそれだけのことでっ!? そのせいで私は何も選べない、これまでの努力は全て無に帰す。そんなの受け入れられるわけがないだろうっ!」


 これまでエーミールは『国王の庶子』ではなく『王子』、それも次期国王たる『王太子』だった。王太子として厳しい教育を施されて、自分なりに斜陽の王国を守るためにと考えて行動してきた。

 それがどうして、今まで立っていた足場、どこまでも続くと思っていた地面を丸ごとひっくり返されるような目に遭わねばならないのかと、エーミールはレオカディアを睨みつけた。


「ええ。わたくしもとても不公平で理不尽だと思うわ。でも――その理不尽に憤ることができる心があるのに、あなたはどうして、クラウディアを蔑んだの。どうしてオルドグを迫害するの」

「それは……っ!」

「あなたは立っている河岸によって意見を変えるだけでしょう」


 母の身分も民族の違いも、自分が好きで選んだものではないし、生まれながらに決まっていて変えることはできない。

 それによって異なる扱いをされることがおかしいと言うのなら、今まで何を思って他者を取り扱ってきたのか。


「わたくしはクラウディアほど人間を良いものだとは思わない。理想も大義も持たずに、強きを助けて弱きを挫く者が殆どよ。だからこそ弱き者を尊重しなくてはならないの。自分の掲げたルールがいつか、弱くなった自分に牙を剥くかもしれないから」

「やめろっ、寄るな!」

「あなたのことは、あなたのルールの中で叩き潰してあげる。あなたに完膚なきまでに『負け』を認めさせるために。わたくしの何が気に食わないの?」


 玉座に近づくレオカディアを止める者は、誰もいなかった。この国の新たな国王となるべき者が彼女であることを皆が受け入れてしまっていた。

 その圧倒的な王者に迫られて、エーミールは必死に頭を働かせた。血筋正しい国王と王妃の娘で、幼い頃から聡明さを称えられ、嫁いでからは蛮族との折衝に努めている異母妹の『自分に比べて至らないところ』とは何なのか――。


「だが……っ、貴様は女で、若いっ!」

「そう。嬉しいわ、捻り出してもそれ以外の欠点が無いと言ってもらえて」


 言うや否や、レオカディアは腰の剣を鞘から抜き払う。一閃、振るわれた白刃の眩しさは観衆の目に残った。


「ならばこれで満足だな、エーミールよ。皆の者、これ以降、余を『女』と扱う必要はない! 余は、この国の王だ!」


 彼女の金髪は、女性的な美の象徴は、肩のところでぱつりと切り揃えられていた。

 自分で切り落とした長い髪の束を、腰を抜かして床にへたり込んだ異母兄の手に握らせると、レオカディアは観衆に向き直って宣言した。


「個人の平凡な幸せも、愛する家族も捨てよう。余は王としてのみ生きるとここに誓う。だが、それでも余は若く経験の不足は否めない。そこでエーミールに一代限りの『侍臣』の地位を授ける」

「侍臣?」

「ああ。余を補佐する家臣団だ。王太子として受けた教育と経験の成果を死蔵することは許さん。王子の地位は奪うが、王の傍で働くに足る体裁を整えるだけの費用は与えよう。つまり『給料』だな」


 エーミールは殺さない。働かせて、金でその働きを評価する。

『努力を無駄にされたくない』なら本望だろう? まさか権力を恣にするために王位に固執したわけでもあるまいし。

 一音一音を刻むように発するレオカディアの声は、金切り声で死刑を宣告するよりもずっと恐ろしいものに聞こえた。


「余は国王になるにふさわしい生まれだ。他に候補者がいないことを思えば、『生まれながらの国王』とも言えるかもしれない。だが『それだけ』だ。実力以外のものに頼って玉座にふんぞり返り、寝首をかかれるのはごめんだ。近頃は革命などという物騒なことが起きると聞くし」


 そう言って女王レオカディアは、スヘンデルの護国卿に視線を送った。

 可愛らしく小首を傾げて返す夫を見て、クレアは肝を冷やす。……どうしてこの二人は顔を合わせるたびにこんなにも冷ややかな空気を漂わせるのだろう。


「余は同じ轍は踏まない。バルトール国内の反乱の芽は摘まねばならんな。弾圧するために使える金が無い以上、宥和して懐柔するしかない。そなたたちも命を失うくらいならいくらか特権を手放す方がマシだろう?」

「それは、まあ……」

「富裕な平民には金を納めることを条件に議会での議決権を与える。機嫌を損ねたコルキアがバルトールに攻め込む可能性を考えると、傭兵頼みではない国軍の整備も急がねばな。納める金を兵役で代えることを許そう」


 女王の言葉に、居並ぶ貴族たちは不承不承頷いた。

 スヘンデル革命では国王や側近が無慈悲に処刑された。『バルトールでも革命が起きるかもしれない』と仄めかされて八年前の衝撃を思い出した上で反対する者はいなかった。

 実際にはレオカディアの提案は付け加えられた後半に主眼が置かれており、以後、騎兵としてバルトール国軍に所属したオルドグ人の発言力が増していく契機となる。


「――それから、我が妹クラウディアよ」


 国王としての所信と施策を述べた後に、レオカディアはクレアに向かって『姉』の顔で言った。


「そなたも前国王の庶子として扱われることになる。『バルトール王女』を望んで婚姻したそこの男と別れるなら、いつまででも王宮にいればいい。国王の私費から養って――」

「絶対に別れないからな。僕の妻を囲おうとするのはやめろ」

「そうか。残念だ」


 間髪入れずに隣のフレッドは提案を却下した。それを聞いたレオカディアもまた、意外なことにおとなしく引き下がる。

 クレアが大事にされないことに憤っていた彼女だから、フレッドの反応を見て安心したのかもしれない。


「そのことだけど。姉様、フレッド」


 クレアはフレッドに愛されていて、彼の妻でいてほしいと望まれている。それは分かったし、心底嬉しかった。今すぐ彼の胸に飛び込んでしまいたい気持ちもある。

 けれど――。


「――私、バルトールに残ろうかと思うの」


 クレアの言葉を聞いた彼らが揃って、目を大きく見開くのを見た。

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