十五歳④
フレッドからわずかに遅れて、クレアの声や銃声を聞きつけた者たちも現場へと集った。
「何があった! リリ⁉」
「おとうしゃまぁ!」
厳しい声で事情を聴こうとしたヴィルベルトは、震えて泣いている愛娘を視界に捉えるや否や、駆け寄って優しく声をかけて宥めていた。
愛娘を害された怒りに燃える彼が制止されたり、駆けつけた医官が応急処置を施したりした後に、容態が安定した血まみれの暴漢は運び出されて行った。
「……フレッド、力を込めすぎて痛いわ」
「ああ、ごめん」
その間ずっと、フレッドはクレアのことを抱きしめていた。
周りを気にする余裕など無かったし、周囲にも冷やかす余裕は無かっただろうが、ひと心地つくと照れくさい。
クレアの言葉を聞いて抱擁を解いたフレッドは、いつものよく回る舌を落としてきたかのように、拙く尋ねてきた。
「……クレア、大丈夫?」
「何が?」
「いや、なんとなく。……ごめん、変なことを言った」
「大丈夫よ。あなたが来てくれたから、私は怪我ひとつしてないし、大丈夫」
何度も『大丈夫』だと断言すると、フレッドはクレアの顔を探るようにじっと見つめて、それからまた視線を彷徨わせた。
「あのさ、」
「私はピンピンしてますから! フレッドは仕事に戻って!」
「あっ、うん」
私の事情聴取はこれから長引きそうだから、と再度背中を押すと、ようやく彼は『そうだね』と頷いて去っていった。
まったく心配することなんて無いのに。クレアは傷つけられていないのに。
「大丈夫よ。私は怪我もしてないし。大丈夫に決まってる、のに……!」
それなのにどうして、涙が出るのだろう。
ハウトシュミット邸の自室に戻って、独りになった途端に、震えと涙が止まらなくなってしまった。
それまでは『何事もなく済んでよかった』と笑顔を浮かべることすらできていたのに。
涙よ止まれ、早く止まってくれ。だって、そうでなければ――。
「――ごめん、クレア。君を放っておいたら駄目だった。殺されかけて『大丈夫』なわけがないのに」
そうでなければ、見られてしまう。彼に心配をかけてしまう。
息を切らして帰ってきた夫は、目敏いその目にしっかりとクレアの涙を捉えてしまった。
「だいじょうぶっ」
「泣いてるじゃないか」
「でも、フレッドに迷惑をかけるほどのことじゃない……っ」
「迷惑じゃない」
「え?」
「……他人に言われて気づくなんて、我ながら大馬鹿野郎だと思うけど」
後になって気づいたのだと、彼は言った。
何度もクレアから『大丈夫だから行け』と促されても離れがたかった理由に。
「――僕が、君の傍にいたいんだ」
『義務だから』とか『必要だから』することではなくて、これは自分の意思でそうしたいと望むことなのだと言い切った彼は、最後に弱気に譲歩した。
「……もちろん、君が嫌じゃなければ、だけど。嫌なら、考え直すけど」
「嫌じゃない!」
「わっ」
それを聞いたらもう堪えられなかった。
抱きついたクレアの勢いによろめいたフレッドは、半歩後退って何とか踏み留まる。
「こわかった……っ、今も怖いの。おねがい、そばにいて……っ」
「ああ。もちろん」
恥も外聞もなく子どものようにわあわあと泣き喚いて、彼の上着の上質な生地にべったりと涙と鼻水を擦りつけた。
口から生まれたような男のくせに、フレッドは慰めもからかいも何ひとつ口にせず、ただクレアに寄り添っていた。
ひとしきり泣くと少し気持ちが楽になって、喉の渇きや頬のひりつきに意識を向ける余裕が出来た。
手際よく果実水や湯を含ませた布を用意するフレッドは侍従になっても十分にやっていけそうな気がする。
「護国卿を従者にするなんて、ずいぶん贅沢な話だけど」
「遠慮なさらず、何なりとご命令ください。クラウディア王女殿下」
「嫌だわ、うさんくさい!」
「うさんくさ……っ!?」
天使のような笑みを浮かべた彼を見て吹き出すと、彼は何やら衝撃を受けたように固まってしまった。
日頃の意地悪な顔との落差で笑わせる芸だったのだろうが、彼はどんなことにも真剣すぎる。
「……まあ、いいか。君が笑ってくれるなら何でも。他に欲しいものはある?」
「……ここにいてくれる?」
「とりあえず明日からの仕事は家でできるように調整したけど」
「明日からも!?」
「他には無い? 何でも聞くよ」
「えっと、じゃあ……」
どうやらフレッドは想像以上にクレアに尽くすつもりらしい。
『何でも言うことを聞いてくれる優しい彼』なんてうさんくさくて気味が悪いが、せっかくの機会だ。普段の彼なら絶対にしないことをしてもらおう――そう思って、思い浮かんだのが『それ』だった。
「一緒に寝て」
いまだにフレッドは頑なに寝室を分けているが、『明日以降も一緒にいる』と自分から言い出すくらいなら『今夜一緒にいる』ことは呑めるだろう。
クレアが提案すると、フレッドは苦虫を噛みつぶしたような顔で『何でもと言ったもんね、二言は無いよ』と答えた。
「私、ちゃんとできてた? ちゃんと、リリを守れた?」
「っ、……ああ」
寝台に並んで横たわったフレッドに『答えて』と縋りつくと、彼は息を呑みそれから硬い声で言った。
「君はよくやってくれた。立派な行いだったと心から賞賛する。……でも、僕は子どもに『立派で正しい行い』なんか強いたくなかった」
「私はもう十五歳よ。十分に大人だわ」
「まだまだ子どもだよ」
「いくつになったら大人になれるの? 早く大人になりたいわ」
「そういうことを思わなくなったら、じゃないかな」
「意地悪な言い方……」
「大人なんて、憧れるほど良いものじゃないよ」
焦ることなんてない、ずっと子どものままでいればいい。
その言葉は大らかな寛容というよりも、切実な願いごとのように聞こえた。
「……フレッドは、大人になりたくなかったの?」
クレアが感じたことを率直に尋ねると、フレッドは首を捻った。
「……どうかな。分からない。気づいたら大人になっていて拍子抜けしたって感じだ。ただ、子どものうちしか受け取れないものもある気がするから」
「たしかに……大人になったら、こうやって寝かしつけてもらえなくなる?」
「こんなことなら、クレアに頼まれればいくらでもするけどさ」
「そう? それなら絶対にお願いするわ。あなたの手、気持ちいいもの」
ぽんぽんと優しく背中に手が当たる。その一定のリズムと手の温かさに眠気を誘われて、クレアはあくびを噛み殺した。
「フレッドは子ども好きだから、寝かしつけにも慣れているの?」
「いや、寝かしつけは初体験だよ。友達の子どもにする機会は無いし」
「家族の世話をしたことがあるとか? フレッドって兄弟はいるの?」
「姉が一人ね。この間、僕にとって三人目の甥が生まれたみたいだけど、会う機会が無くて顔も見れてない」
「忙しいから? それとも……仲が良くないの?」
結婚して二年経つのに、彼の姉の話は初めて聞いた。
仲が悪いから話さなかったのかもしれないと不安になって青ざめると、フレッドは小さく笑った。
「別にごく普通の、仲が良い姉弟だったよ。クレアは?」
「私?」
「君には兄姉がたくさんいるだろう? 傍目にはナーディア殿下とはあまり仲が良くなくて、レオカディア殿下には可愛がられてたのかなって思ったけど」
「ナーディア姉様とは、まあ、その通りね。でも、レオカディア姉様に可愛がられてもいなかったと思うわ。私が特別嫌われていたわけではないけど、姉様は皆に対して距離を取っていたから」
レオカディアは兄弟に対しても他人行儀で、呼ぶ時も愛称は使わず――でも顔を合わせた機会には『クラウディア』とクレアのことを呼んでくれた。
「今思えば、偏りなく全員と距離を取るなんて不自然ね。あれはわざと?」
バルトール国王が艶福家だったせいで『王妃』の地位は有名無実化していたが、レオカディアは王妃が産んだ娘で背後に王妃の実家である有力な公爵家がついていた。
兄弟のうちの誰かに肩入れして王位継承についての公爵家の意見と受け取られることを警戒していたのかもしれない。
真相を確かめようにも、レオカディアはバルトール国内の辺境の大公家に嫁いだと聞いた。民族も言語も文化も異なる遠い土地での生活に忙殺されているだろう彼女に聞くわけにもいかない。
「私が賢くて、気づけていれば、姉様と仲良くなれたのかしら。悔しいわ」
「そう思えるくらい成長したってことだよ。次に会う時に伝えればいい」
その時にはわだかまりなく話ができるといいね。
穏やかな声を聞きながらクレアは眠りに落ちて、素敵な未来を夢に見た。
――あの事件の日以来、クレアには日課が増えた。
今日も定刻通りに健やかな目覚めを迎えたクレアは、薄明の微かな光が入り込む部屋で必死に目を凝らす。
同じ寝台の上に、人ひとり分ほど隙間を空けてクレアの夫が眠っている。すかさず間の距離を詰めて、夫の顔を覗き込んだ。
柔らかそうな髪質の暗金髪には寝ているうちに少し癖がついている。彼の洒落た髪型は、無造作に見えて、自然に出来上がるものではないらしい。
白皙の美貌に男くささはなく、目鼻のパーツ毎に区切って見るとむしろ女性的かもしれない。
普段の彼の活発な少年めいた印象は、彼が作る表情と瞼に隠れたペリドットの瞳によるところが大きいのだろう。
二十代も終わりに差しかかった今でさえ中性的なのだから、幼い頃の彼は少女と見紛うほど愛らしかっただろう。
彼の姉と並ぶと姉妹に見られたかもしれない、と想像して、クレアは口元を緩めた。
フレッドがクレアの部屋に夜も留まるようになって、クレアは『夜も眠らない化け物』は、他人より遅く眠り他人より早く目覚めていただけだと知った。
彼に付き合って夜更かしをすれば『子どもは寝る時間だ』と窘められてしまうけれど、早起きするぶんには気づかれない。
そのことに気づいたクレアは、夜明け前からフレッドが目覚めるまでの時間、彼を観察することにした。
何せ彼は十分に鑑賞に堪える容姿をしていて、見飽きない。
「ん……」
だが、あまりにも熱心に見すぎたのかもしれない。身じろいだ彼がぼんやりと瞳を開けるのを見て、慌ててクレアは体を伏せて目を瞑った。
さすがに起きた時に顔を覗き込む者がいれば気味悪がられるだろう。
「ん? なんか近いような……? 寝相で移動したのかな。気をつけないと」
独りごちたフレッドは、ふわあとあくびをすると、半身を起こした。その拍子に彼に絡めていたクレアの腕は、不自然な軌道でシーツに沈む。
「……っ」
「ああ、起こしちゃったか。ごめんね」
クレアが今起きたところだと誤解したのだろう。
謝ったフレッドは『君はまだ寝ていて』と優しく声をかけると、クレアの頭をぽんと撫でた。
身支度のために部屋を後にしたフレッドの背中を薄目で見送ってから、クレアはきゅっと手足を丸めた。そうしなければ湧き上がる衝動を抑えられない。
(もうっ、何これ、こんなの……役得だわ!)
ごろごろと転がって、喚いて、この気持ちを発散したい。だが、そんなことをすれば『不審者』扱いまっしぐらだ。
まだ体温の残るシーツの上でクレアはひとり身悶えした。




