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十五歳⑤

 昼夜ともクレアの傍にいると決めた彼は、書斎に大量の書類を持ち込んだ。


「重要なことを僕だけが抱え込んでいる状態はまずいし、良い機会だった」


 急ぐ仕事は他の者に振ったから大丈夫だと言ったのは、クレアへの気遣いもあったのだろうが、彼の手元に残った仕事だけでも十分多すぎる気がする。

 同じ部屋で教師からの宿題に取り組むクレアは、仕事をこなすフレッドの顔をちらりと盗み見た。

 書類を読み込み、不明点をまとめて説明を求め、最終的な裁定を下す。その一連の流れの中で、彼はにこりともしていなかった。


(ここにはフレッドをよく知っているひとしか来ないから?)


 これまでもなんとなく思ってはいたが、周りに他人がいないとき、フレッドはあまり『笑顔』を作らない。

 今だって真顔だし、気の置けない友人たちの前ではもっと意地の悪い表情をしていることが多い。


(今みたいに真面目な顔をした方が、かっこいいのに)


 フレッドの『人好きのする愛想の良い笑み』を見せられた日には、クレアなら何を企んでいるのかと警戒してしまう。

 でも『護国卿に気さくに声をかけていただいた』と喜ぶ人も見たことがあるから、『愛想の良い彼』のことが好きな人も多いのだろう。


「クレア? どうかした?」

「ううん、少し聞きたいことがあっただけ」

「見せて。ああ、これはね――」


 宿題についての質問があって、とごまかしたクレアのことを疑いもせずに、フレッドはすぐに帳面に視線を落とした。


(フレッドのことを好きな人がどれだけいようと、彼は私の夫だもの)


 耳に心地よい解説の声を聴きながら、クレアは夫の横顔を見つめ続けた。

 バルトールにいた頃、クレアは『自分が護国卿の婚約者である』ことに優越感を抱いた。まるで自分まで立派で特別な存在になれたような気がしたから。

 今の気持ちは少し違う。『フレッドが自分の夫である』ことを誇りたいのは変わらない。でも、真面目な顔の彼が格好いいと触れ回ろうとは思わない。


 だって――それは、クレアだけが知っていればいいことだ。


 その感情を『独占欲』と呼ぶことを、クレアはまだ知らなかった。

 結婚によって『独占』できたと思った夫が、これっぽっちも自分のものになどなっていなかったことも、知らなかった。


 クレアを心配して共寝するようになったフレッドが彼の側から添い寝を打ち切ると言い出すことは無かったし、クレアも親切に『もう心配は要らないわ』と言って解放してやろうとは思わなかった。


「良い香りだね。カモミールか」


 ある夜、傍らに添ったフレッドが呟くのを聞いて、クレアは微笑んだ。湯船に浮かべた花の甘い香りは上手く体に移ったのだろう。


「よかった。フレッドの好きな香りだと聞いて選んだの」

「どうして? 僕の好みは君には関係無くない?」

「……えっ?」

 関係無いわけがない。同じ寝台で眠る夫婦として、相手の好きな香りを身につけたいと思うのは当然だろう。

 困惑するクレアを見て、フレッドもまた不思議そうに首を捻った。


「僕は君のお見舞いに来ているだけなんだから、気を遣わなくていいんだよ」

「……っ!?」


 確かに、そういう理由で彼に『一緒に寝て』とねだったけれど。

 拒否されないのをいいことに今日まで続けてしまったけれど。

 どこかで、クレアは勘違いをしてしまっていた。


(夫婦として、私が近くにいることを許してくれたんだって。フレッドも夫として私と離れたくないと思ったんだって、勘違いしてた)


 あくまでもフレッドは『怖い目に遭った可哀想な子ども』を放っておくことはできないと同情して、大人としての責任感を抱いただけだったのに。

 これまでの彼の気遣いは本物だったし、きっとこれからもクレアが『もう要らない』と言うまで傍にいてくれる。

 それは何ひとつ変わらないけれど――。


(私はフレッドに『好き』と思ってほしかったの)


 フレッドには、クレアが好きだから傍にいるのだと言ってほしかった。

 彼の好きな香りを身につけたら、喜ぶだとか褒めるだとかの反応が欲しかった。


「ごめんなさい……」

「クレア!?」

「ごめん、なさいっ、」

「泣かないで。僕がいることでかえって君に余計な気を遣わせているなら申し訳ないって思っただけだ。君を責めたわけじゃない」


 誠実な大人らしくクレアの『誤解』を解こうと宥めてくる彼を見て、クレアはぼろぼろと大粒の涙を溢した。

 クレアは謝らないといけない。

 フレッドは傷ついたクレアを心配して傍についていてくれたのに。クレアはフレッドと一緒にいられることを喜んで、この機会を利用しようとしていた。

 一歩外に出れば『皆のための護国卿』になってしまう彼に、自分は妻だから誰よりも近づくことができて、誰よりも近くにいる自分にだけ見せてくれる顔があるのだと悦に入っていた。


 ――全部、彼を独占したかったから。


(ごめんなさい。好きになってしまってごめんなさい。綺麗な子どもでいられなくて、浅ましく身勝手で、それでも傍にいたくて、ごめんなさい)


 いくら経験が無いクレアにだって、このどろどろとした醜い感情を『恋』と呼ぶことくらい、習い覚えて分かっていた。

 フレッドが『子ども』に対して『恋』を返すことは無い、ということも。


「ごめんなさい……でもっ、夜は怖い夢を見るから、これまでどおり、一緒に寝てほしいの……」

「もちろん。クレアの負担にならないなら喜んで」

「本当? 嬉しい! これから先も――ずっとね?」


(ごめんなさい。ずるいと分かっていても、私はやっぱり、あなたのことを諦められない)


 あなたが庇護する『か弱い子ども』の皮を被り、あなたの心に侵入し、純真な子どもとは程遠い、狡く汚い手を使っても、あなたを仕留めたいの。


(だって、私はあなたに恋をしているから)

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