大人の気持ち②
ヒーロー視点です。
「せっかくイェルチェにもらったのに、壊してしまった……」
応接室の椅子にかけた青年は薄青のレンズの色眼鏡を指先で弄び、未練がましく呟いた。
傍目には『日差しの眩しさを抑える』という実用一辺倒の野暮ったい代物に見えるが、彼にとっては大切なものだったらしい。
「それもこれも、ここの警備がぬるいからだ」
「返す言葉もない」
露わになった彼の赤い瞳に鋭く睨みつけられて、フレッドは素直に頭を下げた。
警備を任せた隊員が事件を起こすなんて、今回ばかりは失態の言い訳のしようもない。
「あの男の動機は何だったんだ?」
「さあね。いくつか思い当たることはあるけど、本人から聞くまで分からない」
「聞いてみて他の者にも当てはまる原因なら直すべきだが、逆恨みの可能性も高い。あなたが気を落とす必要はない」
「うっそ、僕もしかして元王太子殿下に慰められてる?」
「『王太子』は死んだはずだ。『ブランカ』と呼んでくれ」
今は『ブランカ』と名乗っている青年の本名は、レオポルト・ウィルヘルム・スヘンデル――スヘンデル王国の最後の王太子だ。
記録上レオポルト王太子は革命戦争の最終局面、王城の陥落の際に自害したことになっているが、実際には母王妃の無理心中に巻き込まれたところを革命軍の軍医に救われ、密かに匿われた。
その経緯もあって、彼にスヘンデル王国を復活させる気はないらしい。
とはいえ、さすがに故国を滅ぼした革命軍のリーダーを気遣うほどお人好しではないだろうと思っていたが――。
「テロリストが『旧王族への忠誠心が高じてやった』と言い出した時に連座させられたくない。仮に僕の名前が出たとしても、僕は無関係だと覚えておいてくれ」
「なるほど、打算的なアピールだったか。無能な味方に足を引っ張られたくないと」
「味方じゃない。あちらも『王国の復活』を神輿くらいにしか思っていないだろうし」
「ははっ、違いない」
どうやらブランカは賢くしたたかな男に育ったようだ。
彼を匿って育てた友人の得意げな笑みが、フレッドの脳裏によぎった。
「……大きくなったねえ」
「もうすぐ十九歳だからな」
「ということは、まだ十八歳かぁ。どちらにしろ若いことに変わりはないけどね!」
「年齢はどうすることもできないだろう!」
「あ、やっぱり気にしてた? ごめんねぇ、僕ってば、君の大事なイェルチェと『長い付き合いの友達』で!」
にんまりと口角を引き上げてみせると、ブランカは刺すような視線を寄越した。
フレッドが『友達』だと明言してなお嫉妬を隠そうともしないとは、よほど彼女に惚れ込んでいるのだろう。
瀕死の自分を救い、その後も親身に世話を焼いてくれた年上の女性を慕う気持ちは理解できるが、まんまと口説き落とすのはいただけない。
(だって、僕だけ置いていかれたみたいだ)
イェルチェ・ツァルトは優秀な人材であるのと同時に、フレッド個人にとっても大切な友人なのに。
大切な友人だから、彼女には幸せになってほしい。相手にわざわざ『死んだはずの王太子』という危険物なんか選ばなくていいのに、とわだかまる気持ちはある。
もちろんそんなことを本人には言えないから、こうして小舅じみた八つ当たりをしているわけだけれども。
「……あなたが僕より早く彼女と出会って、僕の知らない彼女を知っていることを、羨まないと言えば嘘になる。でも、いい。これから先ずっと彼女の傍にいるのは僕だ」
大人気ない嫌がらせに屈せず前向きな未来を語るのも、彼の若さがさせることなのだろうか。
内心で『ほらやっぱりまだ子どもだ』と嘲笑いながら、眩いくらいに純粋な願いごとを持てることを羨ましくも思う。
その気持ちを隠してフレッドは渋い顔を作った。
「『ずっと傍に』か。困るな、これからもイェルチェには頼みたいことがあるのに。その周りを君がうろちょろするってことでしょ?」
「どうにかしてくれ」
「無茶言ってるって分かってる?」
「頼む」
「……あー、うん、そうだね。君が会った四歳児、リリアンネって言うんだけど」
「知っている。姉上とヴィルベルトの娘だな」
「リリから聞いた? まあいいや、リリには弟もいるんだ」
「まだ赤ん坊の『アル』のことか?」
「そう、アルベルトって名前の、こっちは父親そっくりの男の子。顔立ちも髪の色も、瞳の色も」
「……黄金の瞳の男児か」
スヘンデル王国の建国王が持っていた黄金色の虹彩は世代を経るうちに王家から失われていた。それが、父方にも王家の血が流れているためか、アルベルトの瞳に顕れたのだ。
スヘンデル王国を復活させようとするなら、死んだことになっている王太子よりも、『いかにも王族らしい』見た目と立場のアルベルトを担ぎ出す方が難がない。
「そういうわけだから、君の甥に当たる子も確保できたし、以前に比べれば君を殺す必要性は高くないけど……僕が『分かった、自由に出歩いていいよ』と言うと思った? イェルチェが育てた子なのに、自分に流れる血の意味も分からないほど馬鹿なのかな?」
「王子が生きていると知れるとまずいのは分かってる。知られている『レオポルト』の容貌からはかなり変わったと思うが、足りないか? 僕の顔をふた目と見られないほど火で炙れば、彼女と一緒にいてもいいか?」
「……いや」
覚悟の決まった言葉に、虚をつかれた。
ブランカの『好きな女性とずっと一緒にいたい』とは、後先も考えずに自分の欲求を述べているだけだと思っていた。
それがひたむきな恋心であることは否定しないが、一時の感情に流されて軽々しく永遠を誓うような、幼い願いごとだと。
なかなかどうして――子どもとは、見ないうちに飛躍的に成長するものみたいだ。
「……そこまでは求めないけど。というか絶対やめなよ、そんな理由で焼いた顔を見せられる彼女の気持ちも考えなさい」
「罪悪感と心配で縛られてくれるだろうか」
「考えた上でのそれか! たち悪いな、君!」
賢く慎重で周到なのは結構だが、その長所は友人を追いつめるために存分に振るわれているようだ。
イェルチェを気の毒に思わなくもないが――彼をそう育てたのも彼女だしいいか、とフレッドは思考を打ち切った。
「あーあ、イェルチェも気の毒になあ。僕に任せればもっと上手く育てたのに。うちの子はあんなにいい子に育っているんだから」
「……」
「あ、ごめん、声に出てた? 気にしないで。育てた子に食われるなんて、彼女も油断したなあって思っただけ」
ブランカの恋心は若干病的だが、イェルチェを傷つける方向には向かわない。安心して放っておくことにした。
「恋に一途な青少年は応援してあげたくなっちゃう! ……って、何? その微妙な顔は」
「……いや、僕から伝えることではないかと思って」
「何が?」
「ところで、イェルチェから話を聞いて、あなたは弟子を育てているんだと思っていたが。妻を自分好みに育てるなんて、いい趣味してるな」
「ぶはっ!?」
「ちょうど僕と姪くらいの年の差か」
「あああ、やめてその言い方!」
歯切れの悪さを追及する前に強引に話題を変えられ、その変えた話題に堪らずフレッドは咽せた。
目に滲む涙は咳き込んだ拍子に出たものか、それとも、とうとうほぼ初対面の相手からも幼女趣味疑惑を正面から突きつけられた悲しみによるものなのか、分からない。
「……元王太子殿下なら重々ご存知だろうけど、政略結婚ってそういうものでしょ!」
「貴方の場合には、自分の好みで幼い少女を選んでおいて?」
「それはっ、好みと言えば好みの話になるけど、僕の言うことを聞いてくれる子がいいなって思っただけで」
「下衆め。というか、今もまだコントロールできるつもりでいるのか……? クレアは乗り気というかヤる気というか……」
「もにゃもにゃ言って、やる気がどうしたの? ああ、勉強熱心な僕のいじらしい妻が僕の弱みになるとか思った? 見逃してやった恩を忘れてテロでも企んでみろ、今度こそ殺すよ」
「肝心なところで鈍いし。あなたには恩があるから助言しようと思ったのに」
「助言?」
先ほど意地悪いことを言っていびった意趣返しではないのかとブランカを見返すと、彼は至って真面目な顔をして言った。
「――あなたは何故、あの場に駆けつけた?」
ブランカの問いの意味が、最初はよく分からなかった。
クレアたちが襲われているところに駆けつけた理由も何も――気づいたら駆けつけるのが当然だろう?
「たまたまクレアの声が聞こえるところにいたから、気になって様子を見に行っただけだけど」
「護国卿自ら暴漢を見に? 不用心にも程があるだろう」
言われてみれば確かにそうだ。
何が起きたか気になるからこそ、他の者に様子を見に行かせるべきだったし、普段のフレッドだったらそうしていた。
剣も体術も苦手な自分がいち早く現場に駆けつけたところで、足手まといにしかならないからだ。
「……つい、うっかりしてたんだ。そういうこともあるよ」
「その『つい』はクレアの声を聞いたからじゃないのか?」
「何か勘違いしているようだけど、僕に『夫婦の愛』とか期待されても困る。僕は典型的な『妻より仕事が大事な夫』だ。現に今もこうやって妻を放って君の相手をしている」
「無傷の妻に『仕事に戻れ』と追い払われた後に?」
「茶化すなよ」
「ふざけているのはどっちだ。それなら聞くが、もしもクレアが大怪我を負っていたなら、あなたはどうするつもりだった?」
「それは……」
あの場に駆けつけて、クレアに怪我が無いと分かって安堵した。
でも『よかったよかった』で仕事に戻るのも違う気がした。
何もできないくせに、その場を離れることもためらわれて、立ち尽くしていたら、動かされたのだ。
『私はピンピンしてますから! フレッドは仕事に戻って!』
他でもない、彼女自身によって。
そこまで言われては留まることもできず、こうやってブランカと楽しくもない話をしているわけだが――。
もしもクレアが怪我をしていたなら、自分はどうしただろう?
「……さすがに仕事の手は止めて彼女に付き添った。お飾りの妻でもそれくらいの情はある。おかしいか?」
「まさか。おかしいどころか自然なことだ。だから無駄に抗うのはやめて、早くクレアのところに行ったらどうだ?」
「は?」
たった今『クレアが怪我をしていたら付き添ったが、無傷だったから仕事に戻った』という話をしたばかりじゃないか。
それを肯定しておきながら、何を促すつもりなのか。
訝しむフレッドに、ブランカは言った。
「人の『心』というのは面白いな。強い恐怖や不安に晒されると、そこから逃れるために普通じゃない働き方をするらしい。怖い気持ちを抑えつけて忘れてしまったり、あえて正反対の行動に出る例もする。興味深いのは、それらは無意識に、本人も気づかぬうちに起こるそうだ」
思い出したくない記憶を封じてしまうのは分かる気がするが、と続けるブランカの声は、フレッドの耳を素通りしていった。
クレアは怪我を負っていないと思ったから、彼女の傍を離れた。
もしも、クレアが心に大怪我を負って、何でもないそぶりをしていたなら、自分は――。
「行かないのか?」
「っ、ご忠告どうも!」
礼もそこそこに飛び出していったフレッドの背中を、ブランカはじっと見つめた。
「……僕は、あなたたちには、本当に感謝しているんだよ。だから、あなたたちが無用な苦しみから解放されればいいのにと願っている。『傷つきすぎたせいで自分でも気づかないうちに心を抑えつけてしまう』……ハウトシュミット、それはあなたも同じだろうに」




