第33話 助けてほしいと、言わなかった人
アデルハイトが来たのは、夕暮れだった。
護衛は二人。
馬車も最小限。
前に会った時より、明らかにやつれている。
「……歓迎は、いらないわ」
執務室に入るなり、彼女はそう言った。
声は落ち着いている。
だが、無理をしているのが分かる。
「座ってください」
「ええ」
ミレイアが静かに茶を置き、下がる。
部屋には、私たち二人だけ。
沈黙が、しばらく続いた。
「……数字は、まだ持っている」
最初に口を開いたのは、彼女だった。
「税収も、交易も、表向きは崩れていない」
「王都は、是正しない」
「ええ」
私は頷く。
「報告は受けています」
「でも」
彼女は、視線を逸らさずに言った。
「人が、崩れている」
その言葉は、静かだった。
怒りも、後悔も、混じっていない。
ただ、事実。
「治安維持に回した人員が、疲弊している」
「職を失った者が、地下に潜った」
「帳簿の外側で、金が動き始めた」
私は、何も言わなかった。
彼女は、続ける。
「私は、間違えた?」
問いではなく、確認だった。
「いいえ」
私は即答した。
「あなたは、間違えていません」
彼女の眉が、わずかに動く。
「……慰め?」
「いいえ」
「あなたは、順番を飛ばしただけ」
彼女は、黙る。
「切ること自体は、間違いではありません」
「でも、“切られた後”の設計がないまま進めた」
「……時間が、なかった」
「ええ」
それも事実だ。
「助けてほしい、と言えばいいのに」
私は、あえて言った。
彼女は、笑った。
疲れた笑みだ。
「言わないわ」
「どうして?」
「あなたの正しさを、私が証明する形になるから」
その矜持は、嫌いではない。
「では、何をしに来たのですか」
彼女は、まっすぐに答えた。
「選択肢を、見に来た」
助けを乞うのではない。
救済を求めるのでもない。
“他の道”が存在するかを、確認しに来た。
私は、ゆっくりと立ち上がり、窓を開けた。
焚き火。
倉庫。
作業場。
「ここは、速くありません」
「でも、崩れていない」
彼女は、外を見つめる。
「遅い」
「ええ」
「でも、戻れる」
彼女の手が、わずかに震えた。
「……戻れる、か」
「あなたの領地は、戻れない」
「速さを選んだ瞬間に」
残酷な言葉だ。
だが、彼女は逃げない。
「だから」
私は続ける。
「“戻る場所”を作るしかない」
「どうやって?」
「条件を出します」
彼女は、目を細める。
「どんな?」
「あなたの失敗を、記録として公開すること」
「切った人数と、その後の経路を開示すること」
「そして――」
私は、一拍置いた。
「順番を、作り直すこと」
彼女は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……重いわね」
「ええ」
「でも、それしかない」
彼女は、初めて目を伏せた。
「助けてほしいとは、言わない」
「でも」
そこで、言葉が途切れる。
私は、静かに言った。
「条件を、出します」
「受けるかどうかは、あなたが決めてください」
彼女は、ゆっくりと頷いた。
「……あなたは、王にならない」
「ええ」
「でも、逃げ場になる」
私は、否定しなかった。
夜、彼女は滞在を決めた。
正式な要請ではない。
だが、立場は変わった。
速さを選んだ者が、
遅さの中に立っている。
帳簿の端に、私は一行を書き足した。
――外部領主、滞在中
――思想衝突、継続
助けてほしい、と言わなかった人。
その選択が、
この物語を、次の段階へ進めていた。
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