第32話 数字は、まだ崩れていない
三日後、王都の調査団がノルト西境へ入った。
正式な処罰ではない。
あくまで「状況確認」。
その言葉の便利さを、私はよく知っている。
「……一次報告が届きました」
ミレイアが、まとめた内容を読み上げる。
「税収、維持」
「交易量、微減」
「治安悪化、局所的」
私は、静かに頷いた。
「数字は?」
「……まだ、崩れていません」
“まだ”。
暴動が起きても、
死者が出ても、
数字が持ちこたえている限り、制度は“成功”と呼ばれる。
それが、王都の論理だ。
午後、アデルハイトから二通目の書簡が届いた。
今度は、少し整った筆跡だった。
――帳簿は正しい
――規定通りに処理した
――それでも、制御不能になった
私は、その三行を何度も読み返した。
(彼女は、嘘をついていない)
帳簿は正しい。
手続きも正しい。
規定も守った。
それでも、壊れた。
夕方、私は集落の外れにある作業場を訪れた。
受け入れたばかりの者たちが、慣れない手つきで働いている。
「……ここは、追い出されない」
一人の男が、ぽつりと言った。
誰に向けた言葉でもない。
私は、足を止める。
「約束は、守ります」
それだけ答えた。
追い出さない。
だが、優遇もしない。
それが、この制度の骨だ。
夜、執務室でハロルドが言った。
「王都は、速さを評価しています」
「ええ」
「暴動は“過渡的混乱”という扱いだと」
私は、机の上の地図を見つめる。
「では、当面は路線維持」
「はい」
誰も責任を取らない。
数字が壊れていないから。
「……悔しくありませんか」
ミレイアの声は、小さかった。
「人が死んでいるのに」
「制度は、続く」
私は、少し考えた。
「悔しいわよ」
「でも、驚かない」
前世でも、見た構図だ。
制度は、崩壊が数字に現れるまで、
崩壊を認めない。
「だから、記録する」
私は言った。
「数字の外側を」
新しい紙に、私は書き始める。
――暴動参加者の属性
――切り捨て後の生活経路
――治安悪化までの期間
これは、誰にも求められていない資料だ。
だが、必要になる。
「……来ますか」
ミレイアが、問いかける。
「ええ」
私は頷く。
「次は、もっと大きい」
数字は、まだ崩れていない。
だが、信頼は揺らいでいる。
それは、目に見えない。
けれど――
一度揺らいだ信頼は、
必ずどこかで、形を変えて現れる。
私は灯りを落とし、最後に一行を書き足した。
――数字は、遅れて壊れる
それが、私の経験則だった。
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